2019年03月21日

天皇と神道C

 日本の原光景」
 天皇と神道C
 天皇は、心情や血縁、地縁でつながった共同体における権威である。
 この心的共同体が国体で、歴史的・文化的な基盤の上に立っている。
 一方、ヨーロッパの王は、力にもとづく共同体の権力者である。
 この共同体が政体で、拠って立つところが、武力や権力である。
 そこが、日本の天皇とヨーロッパの王政が決定的に異なるところである。
 天皇の権威にたいして、ヨーロッパの王制は、あくまで、権力なのである。
 歴史的に見て、国家は、国体と政体の二面から成り立ってきたといえる。
 国体が文化、政体が力で、国家のゆたかさは、軍事力によってまもられる。
 それが、18世紀までの国家観で、歴史や伝統的な価値が継承されてきた。
 ところが、18世紀以降、革命の嵐が吹き荒れて、そんな国家観がふきとんだ。
 米・英・仏・ロ・中の常任理事国が国体をもたないのは、革命国家だからである。
 歴史を断ち切って、民主主義と自由主義を最大の価値としたのである。
 先進国のなかで、国体をもつ伝統国家は、日本だけである。
 その日本が、百年近くも昔、米・英・仏・ロらの革命国家とたたかったのが第二次世界大戦だった。
 日本は、負けて、民主主義をうけいれたが、もともと、日本は、君民一体の民主主義国家だったので、さしたる抵抗はなかった。
 米・英・仏・ロ・中の五大強国は、革命後、政体がそのまま国家となった。
 したがって、民主主義一辺倒である。
 ところが、日本は、国体が残っているので、伝統の力がはたらく。
 革命国家とは、国柄が異なるのである。
 革命国家では、民主主義の下で、なんでもがゆるされる。
 国家体制や国法の変更も、戦争をするかしないかも、多数決できめられる。
 ところが、伝統国家では、民主主義万能ではない。
 形式的といえども、天皇が裁可して、論理的には、不裁可もありうる。
 天皇は、憲法四条によって、国政への関与が禁じられている。
 だが、憲法など法律の公布や国会の召集、衆議院の解散、国務大臣の任免の認証、栄典の授与など、内閣の助言と承認をともなう国事行為に天皇の裁可が必要である。
 しかも、不裁可の場合の対処法が、法的に想定されていない。
 いくら、民主主義が優先されるといっても、天皇の裁可がなければ、国政がマヒ状態に陥る仕組みに、日本は、なっているのである。

 天皇の権威は、血統や伝統、歴史などの超越性にもとづいている。
 万世一系という皇統、太古からの神道祭祀という伝統、天皇という歴史上の玉座は、世俗を超越している。
 この超越性があって、はじめて、権威は、権威たりうる。
 何人といえども、権威に手を触れることがゆるされない。
 権威が、手の届かないところにあるので、権威は、権威たりえるのである。
 権威がその威力を失えば、権力も、また、不安定になる。
 権力は、権威から権力の正統性を授かって、はじめて、安定する。
 政体という権力構造は、国体=天皇という文化構造にささえられていたのである。
 ヨーロッパの王制は、まったく、事情が異なる。
 日本の共同体は権威にささえられているが、ヨーロッパの共同体をささえているのは、権力である。
 力による共同体は、個人主義で、キリスト教は、個人と神の契約といわれる。
 ヨーロッパの王権神授説も、一種の契約で、王と神が取り引きしたのである。
 キリスト教以降、ヨーロッパの王制が、覇者の系譜となった。
 力による共同体の支配原理は、恐怖や強制、暴力である。
 そこからうまれたのが絶対王政だった。
 ヨーロッパで革命の嵐が吹き荒れたのは、絶対王政を倒すためだった。
 その絶対王政が、革命後、無力化されて、象徴となった。
 象徴という概念は、英連邦のウェストミンスター憲章へひきつがれた。
 第二次大戦後、GHQが、英連邦のウェストミンスター憲章から借りてきた象徴という概念を憲法にとってつけた。
 天皇を象徴というのは、GHQの傑作で、日本は、昔から、天皇は象徴的な存在だった。
 天皇は、豪族の連合政権だった大和朝廷から律令体制、摂政や院政、武家政治にいたるまで、象徴的な存在で、皇親政治をとった天武朝以外、権力をもたなかった。
 権威が、宗教性にもとづいているのは、世界史的な事実といってよい。
 天皇の地位も、神道的な価値のなかにもとめられる。
 天皇の権威をささえてきたのは、歴史や伝統、神道という精神文化だった。
 日本人にとってもっとも普遍的なのが、神道的な価値観で、自然にたいする畏怖や八百万の神々への信仰が、天皇への敬愛心につながっている。
 次回は、天皇の権威を歴史からふり返ってみよう。

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2019年03月15日

天皇と神道B

日本の原光景」
 天皇と神道B
 一神教では、創造主がこの世をつくって、唯一神がこれを支配する。
 それが、西洋文明の本質で、根っこにあるのは、一元論である。
 一元論は、すべてを一つの原理で説明しようという考え方である。
 キリスト教から唯物論、科学や合理主義にいたるまで、一元論が西洋をつらぬく精神、価値観である。
 一元論は、一元論以外の価値や存在をみとめない。
 キリスト教は、十字軍遠征で、奪い、殺し、インカやマヤ、アステカ文明を滅ぼした。
 同様に、ヨーロッパの多神教を徹底的に壊滅させた。
 ローマ帝国も、4世紀には、キリスト教を帝国の国教として、以後、ヨーロッパ王制は、王権神授説など、キリスト教の影響下におかれる。
 キリスト教によって、ヨーロッパは、多神教の牧歌的世界から、一神教の宗教世界へ暗転した。
 キリスト教は、民に死や地獄をつきつけて、神の奴隷にしたのである。
 そして、権力者は、創造主や唯一神の代理人を名乗って、民を支配した。
 それが、ヨーロッパの暗黒の中世で、教会の権力と絶対王政をささえていたのは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教に共通する唯一神ヤハウェへの絶対信仰だった。
 西洋は、一神教世界で、多神教の日本とは根本的に相容れない。
 とはいえ、キリスト教以前、ヨーロッパは、多神教社会だった。
 創造主も唯一神もいない多神教のもとでは、神話的世界がつくりだされる。
 その象徴がギリシャ神話で、オリュンポス十二神の王座にあった全知全能の神ゼウスといえども、創造主で はなかった。
 神話的世界で、王権をささえたのは、権威と世襲、祭祀権の三つだった。
 日本の天皇と似ている。
 多神教の神道には、経典も教義もないが、神話がある。
 その神話からうまれたのが天皇で、天皇を中心に、豪族たちがつくりあげたのが、のちに大和朝廷となる古代連合国家だった。

 多神教の時代、なぜ、権力をもたない天皇や王が、国を治める力をもちえたのか。
 民は、権力にしぶしぶ従うが、権威にはみずからすすんで従おうとする。
 権威には、集団を引率して、一つにまとめあげる能力がそなわっている。
 親子や家族や村落など、地縁や血縁、精神的な連帯などによって、共同体がつくられる。
 それが、心でつながった共同体である。
 心的な共同社会において、民をうごかすのは、権力ではなく、権威である。
 権威は、尊敬や敬愛の対象で、情緒である。
 天皇と臣民、王と領民が、情緒によってむすばれた社会では、権威が一つの支配原理となるのである。
 心的共同体の核となっているのが、日本の場合、神道である。
 神道は、集団の宗教といわれる。
 神道が、天皇や国体をささえるのは、個や私を超越した集団の精神だからである。
 そこに、天皇が、祭政一致にもとづいて、祭祀権をあずかった根拠がある。
 日本人は、皇祖神にして日本国民の総氏神である天照大神を敬っている。
 神話を共有することによって、日本人は、同胞となった。
 自然崇拝からアニミズム、シャーマニズム、神話をへて、神道は、民族の精神となったのである。
 日本では、縄文時代と弥生時代の端境期となる紀元前10世紀頃には、農耕儀礼を中心とする原始神道がめばえていたと思われる。
 原始農耕社会において、天皇は、氏族の長を従えた神道の最高神官だった。
 神道の元型は「イネの祭り(予祝際・収穫祭)」のような集団祭祀だった。
 生産を支配する大地や水、太陽や風、月の神格化と穀霊崇拝が、皇室神道にいたって、五穀豊穣や国民安寧を祈る宮中祭祀となった。
 天皇の宗教的権威は、イネの祭り(新嘗祭など)にもとめられる。
 新嘗祭は、古代から現在にいたるまで、天皇の祭祀の中心で、天皇の即位にさいしては、新嘗祭の大祭である大嘗祭が、一代一度の祭典として挙行される。
 それが、天皇の権威の源泉で、神道は、集団の指導原理にもとづいている。
 権威をまもるのは血統で、皇位は、世襲でなければならない。
 世俗の権力は、武力や政治、多数派工作などで手に入れることができる。
 ところが、権威は、血筋と伝統によって、おのずとそなわるもので、人為的にえようとすれば、却って、地に落ちる。
 世襲ほど安全に権威を相続する方法はないのである。
 天皇におなりになることは、万世一系の血筋を継がれる皇族が、祭祀をとおして、歴史に用意された皇祖皇宗につらなる玉座にお就きになることである。
 権威は、その祭祀をとおして生じるもので、皇族個人にそなわったものではない。
 それが、象徴性で、天皇は、伝統という歴史的権威の象徴なのである。
 権威とは、象徴であって、それが、君臨すれども統治せずということである。
 次回は、天皇の象徴性について、ふみこんで、考えてみよう。


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2019年03月07日

天皇と神道A

「日本の原光景」
 天皇と神道A
 天皇の権威はどこから生じたのか。
 なぜ、数千年にわたって、権力者が天皇の権威を立ててきたのか。
 その謎は解明されていない。
 天皇の権威の根拠が明治維新以降の現人神信仰ではなかったことは、すでに歴史がしめすところである。
 天皇の権威は、大型の前方後円墳がつくられた3世紀から6世紀末頃までの古墳時代には、すでに、確立されていた。
 天皇の下で、大臣・大連が政治を執ったヤマト王権は、その後、摂関政治や院政、武家政治へとひきつがれる。
 その間、天皇の権威を奪おうという権力者はあらわれなかった。
 権威と権力は支えあう二元論なので、権威を倒すと権力のほうも危うくなる。
 日本では、古代から、為政者が、権威から権力の正統性(レジテマシー)をさずかるという特異なシステムができあがっていたのである。
 そして、それが、驚くべきことに、現在にまでひきつがれている。
 内閣総理大臣の任命から国会の召集や解散、法令の公布、外交文書の認証にいたる国事行為は、権威による権力行為の承認で、形式的には、古来、かわるところがない。
 天皇の権威の歴史的由来ははっきりしない。
 農神や穀霊を祀る祭祀王が、豪族に擁立されて大王となって、国を拓いた。
 それが大和朝廷で、その歴史を綴ったのが、8世紀初頭に完成した古事記や日本書紀だった。
 記紀によると、のちに神武天皇となる「かむやまといわれびこのすめらみこと」は、45歳のとき、兄らと東征を開始。日向国から約6年をかける苦難をへて、ようやく、大和国に到った。
 そして、橿原の地に都をひらき、翌年に初代天皇として即位した。
 戦前まで、それを紀元前660年としてきたが、戦後、歴史家が皇国史観を徹底的に排除して、そのせいで、天皇史・古代史は、闇に鎖された。
 皇国史観に、科学的・実証的な根拠がないというのだが、神話にそんなものがあるわけはない。
 どの国でも、建国神話はあるもので、ないのは、革命によって、否定されたからである。
 中国は、1949年、毛沢東によって建国が宣言されたが、中国には3千年の歴史があって、それ以前は、神話の世界だったはずである。

 歴史に考古学をもちこむことも、その逆も、タブーであろう。
 歴史は唯心論である。
 権力や権威、伝統や文化を語るからである。
 一方、発掘や史料、科学や実証性を土台にする考古学は、唯物論である。
 歴史が、ヒトや神々の物語なら、考古学は、史料をもちいて実証的に歴史を解明する科学で、両者を同列に語ることはできない。
 われわれがテーマにしているのは、ヒト・モノ・コトがどううごき、権威や権力、文化がどう形成されていったのかを問う生きた歴史・文化論で、歴史を科学的に解明しようというのではない。
 考古学にあるのは、遺跡や古跡、科学的根拠、縄文や弥生、古墳時代などの時代区分などで、文化や宗教、人文学や社会学などと絶縁している。
 欠史八代の天皇は実在したか否か、邪馬台国がどこにあって、卑弥呼はだれかというのも、考古学で、見解は、諸説あって、それが歴史である。
 歴史は、かつての日本人が、なにを信じ、なにを大事にしてきたかを物語る民族の遺産で、精神文化というべきものである。
 精神文化の根本にあるのが神話で、自然崇拝の神道は、神道から派生した。
 歴史が、神話から実史へつながってゆくのは、歴史が物語だからである。
 神話について、ものの本には、実在が証明されているわけではない、という但し書きがあるものがある。
 あたりまえの話である。
 天照大神や神武天皇が実在したかどうかを問うのは、考古学である。
 神話は、空想で、日本人は、その空想を民族の「共同幻想」として、わかちあったのである。
 神話も歴史も、人間が過去をふり返ってつくったフィクションである。
 フィクションは、共有されることによって、歴史となる。
 それが、歴史精神というもので、日本では、その中心に天皇がおられる。
 天皇をささえているのは、神道的な精神性である。
 その頂点にあるのが、高天原を統べ、皇祖神にして日本国民の総氏神、太陽神でもある天照大神である。
 神道においては、すべてが、わけへだてなく、平等に、太陽の恵みをうける。
 日本は、天皇も民も、天照大神を崇める究極の民主主義国家だったのである。
 次回も、天皇と神道のかかわりについてのべよう。
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2019年03月01日

 天皇と神道@

「日本の原光景」
 天皇と神道@
 神道は、歴史や風土、民族などの土着性が育んできた日本の心である。
 自然崇拝に、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズム、祖霊や氏神、鎮守や産土神信仰、神話などがくわわって、日本固有の独自の世界観がうまれた。
 このシントーが、現在、世界で注目されているのは「自然との共存」という思想が、地球温暖化など、自然破壊がすすんだ現代に、うけいれられはじめたからであろう。
 西洋文明は、自然と対決して、これに勝利して、獲得されたものだった。
 自然は、人間が生きてゆくための糧や材料にすぎず、神から与えられる。
 それが一神教の考え方で、世界は、創造主によって、つくりだされたとする。
 したがって、神の思し召しに叶うなら、煮て食おうと焼いて食おうと勝手ということになる。
 それが、科学や合理主義、進歩主義につながった。
 絶対主義も一神教の産物で、神の御心に沿わぬ者は、異端裁判にかけられて火刑に処される。
 暗黒の中世を経て、神が科学や合理にいれかわって、近代が誕生した。
 近代主義は、革命をうみ、歴史をまるごとひっくり返した。
 自然を支配した人間は、こんどは、歴史の支配者になった。
 人間が、かくも、傲慢な存在になってしまったのは、一神教が、人間を神の代理人に仕立てたからだった。
 一神教ということは一元論である。
 日本と西洋のちがいは、日本が多元論で、西洋が一元論というところにある。
 そのちがいが、端的にあらわれたのが、のべてきたように、自然観だった。
 日本人にとって、自然は、八百万の神々が宿る崇拝の対象である。
 ところが、西洋人にとっては、破壊と征服の対象でしかなかった。
 かつて、ヨーロッパ全土を包みこんでいた森林が、開墾の名目で、徹底的に破壊された。
 自然が征服されるべきものだったからで、古代から農業を営んできたヨーロッパでは、森林を伐採して、耕地を拓いた。
 ヨーロッパ人にとって、自然は、征服されるべきもので、森を耕地や広場に変えて、それが、自然に勝利した人類の英知だった。
 日本の神社は、鎮守の森と一体化しているが、ヨーロッパの大聖堂は広場の中央にあって、周囲にはなにもない。
 日本の稲作は、河川沿いの沖積平野でおこなわれるので、森林がまもられる。
 日本列島を飛行機で俯瞰すると、国土の70パーセントが森林で、森林占有率は、フィンランドとスウェーデンに次いで世界第3位である。
 農地や都市は、30パーセントの平野部にあって、列島が丸ごと鎮守の森にまもられている。

 西洋の一神教や一元論においては、、正しいとされる唯一のもの以外は、徹底的に排除される。
 かつて、キリスト教文明は、インカやマヤ、アステカなどの多神教文明を滅ぼして、一神教の優位を叫んだ。
 多神教は、古代の野蛮な風習で、一神教こそが理性を宿した目覚めた宗教というのである。
 現代の日本でも、神道を古代の伝説や迷信と一蹴する論者が少なくない。
 国家神道の成立に大きな影響力をふるった大国隆正(平田篤胤門下)はこういった。
「神道はたしかならぬ高天原よりはじめて国を生みしなど、わけのわからぬ事をのみいふ。(略)ただ日本の道というばかりにて」
 神道が、日本固有という以外に取り柄がない、わけのわからぬ事という妄想というのである。
 平田篤胤らが唱えたのが、復古神道と廃仏毀釈で、これらが、尊皇攘夷運動のイデオロギーとなったのは、多神教の神道が、一神教・一元論へ改造されていたからだった。
 平田は、復古神道に最後の審判や天国の思想などをもちこみ、造化三神の一柱である天之御中主神を創造主とみなした。
 神道は、国学から復古神道をへて、国家神道になるに到って、ついに、現人神をささえる一神教の教条となった。
 西洋の絶対王権をささえたのは王権神授説で、宗教が権力の後ろ盾になっている。
 日本も、明治維新で、西洋の真似をした。
 それが、現人神で、祭祀王の権威と西洋の王権が合体して、天皇軍国主義というべきものがつくりだされた。
 現人神をうんだのは、ヨーロッパから移入した明治憲法で、第3条に「天皇は神聖にして侵すへからす」とある。
 日本が移入したのは、王権が強いプロイセン憲法で、のちに、「鉄血宰相」の異名を取るビスマルクがプロイセン王国を統一して、強大なドイツ帝国をうちたてる。
 それが、伊藤博文がプロイセン憲法にとびついた最大の理由だった。
 伊藤は、日本をドイツ帝国のような強い国にしたかったのである。
 そのことから、明治憲法は、多分に、王権神授説の影響をうけていたとわかる。
 日本は、神道を背景に軍国主義化したのではない。
 その逆で、神道という日本の心を裏切ることによって、戦争の道をつきすすんだのだった。
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2019年02月21日

「天皇の地位」H

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」H
 象徴天皇が、憲法に規定された存在と思っている日本人が少なくない。
 かつての天皇主権は、明治憲法の産物で、戦前、天皇は、現人神だった。
 戦後、国民主権になって、天皇主権の圧制や現人神の神話から解放されたというのが護憲派やリベラル派の言い分である。
 それが象徴天皇で、政治権力を有さない。
 だが、天皇は、摂関政治や武家政治の時代から象徴的な存在で、天皇が政治権力をにぎったのは、皇親政治をとった第40代天武天皇のわずかな期間だけである。
 天皇主権は、明治政府による天皇の政治利用で、天皇の名の下で、三権(立法権、行政権、司法権)をほしいままにした。
 立法権は、帝国議会ではなく、天皇がもち(5条)、行政権は、内閣ではなく国務各大臣に輔弼される天皇のもの(55条1項)で、司法権も、天皇の名において、裁判所がおこなう(57条1項)とされた。
 だが、これは、政治家が、三権をあやつるための道具立てで、天皇は、その目的のために利用されたにすぎない。
 現人神も、軍部による天皇の政治利用で、現人神の威名の下で、軍国主義が吹き荒れた。
 軍部が、天皇の統帥権(11条)や「宣戦講和の権(13条)」をわがものとして、参謀総長(陸軍)や軍令部総長(海軍)が、議会や内閣、行政にとって代わって、軍国・臨戦体制をつくりあげ、勝手に戦争をはじめたのである。

 多くの日本人は、憲法によって、天皇が象徴という平和的な存在になったと思っている。
 ところが、実際は、その逆で、天皇軍国主義をつくったのが明治憲法だったように、憲法は、国体や天皇を政体へとりこみ、危険きわまりないものにしてしまいかねない。
 憲法は、歴史や伝統、文化にもとづく国体ではなく、権力にもとづく政体だからである。
 政体を支配するのは、力で、そのなかには、軍事力や政治力、多数決までがふくまれる。
 憲法が君主制をとれば、元首となるが、共和制をとれば廃帝となる。
 それが、憲法に規定された天皇の地位で、数千年の歴史が風前の灯となる。
 だが、2千年の歴史と伝統が、政体や憲法という一過性のものの手に負えるわけはない。
 天皇は、国体と一体化した歴史の遺産で、そのなかに、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズム、自然崇拝や神話、神道という宗教性・精神性をかかえこんでいる。
 天皇の神格性をささえているのが、祭祀と大御心、万世一系の3つである。
 祭祀は、高天原との霊的な交流で、大御心は、皇祖皇宗との一体化である。
 そして、万世一系は、皇統という血筋と歴史に用意された皇位という玉座である。
 その3つが揃うのが、天皇の即位にともなう一世一代の大嘗祭である。
 年祭である新嘗祭は、起源が収穫祭や穀霊祭で、弥生時代にまで遡る。
 国体や天皇の歴史を政体という薄っぺらな次元から遡ることはできないのである。

 戦前の「国体」が天皇制なら、戦後の「国体」は対米従属である――。
 そんな内容の『国体論/菊と星条旗』(白井聡)が話題となっているという。
 かつて「天皇なきナショナリズム」や「憲法は国体」という議論が流行したが、同じようなもので、国体と政体の区別がついていない。
 白井は、戦後の国体は「菊と星条旗の結合」という。
 天皇制から軍国主義を抜き取って「平和と民主主義」が注入された。
 その結果、天皇の権威の下で、対米追随構造がうまれたという理屈である。
 かつて、天皇は、家族国家の家長で、支配と被支配の関係にはなかった。
 現在の対米従属も、その関係に似て、日本国民はアメリカに愛されているという錯覚にとらわれているという。
 そんな事実はない。
 アメリカ従属は、政治や外交、貿易の話で、政体の問題だからである。
 かつての天皇主権も、政体の問題だったので、白井が錯覚したのも無理からぬところだが、天皇と国民の親和性には、神話や神社、八百万の神々など神道が介在している。
 それが国体で、国体は、民族の精神=信仰なのである。
 それが、どうして、アメリカにとって代わるのか。
 憲法がつくりあげた現人神を国民は信用していなかった。
 そして、人間宣言された天皇の全国行幸を熱狂的に歓迎した。
 天皇の祖も日本人の源流も、天照大神で、同一の神話を共有している。
 天皇の地位は、神道という日本人の信仰や精神にささえられているのである。
 次回は、天皇と神道の関係について、ふみこんで考えてみよう。
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2019年02月18日

「天皇の地位」G


 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」G
 天皇は、なぜ、数千年にもわたって、続いてきたのであろうか。
 権威だったからである。
 権力だったら、かならず、政敵があらわれて、そのたび、政変の危機にさらされていたはずである。
 権威と権力のちがいに、政敵の有無を挙げることができる。
 闘争の原理にもとづく権力には、当然、政敵がついてまわる。
 ところが、権威には、政敵がいない。
 勝者と敗者、敵と味方、多数派と少数派の両方を呑みこむからである。
 そこに、自然崇拝=神道という日本固有の精神文化がはたらいている。
 生きとし生けるものが、大自然という同一地平上で、争うことなく共存しているのである。
 ここでいう神道は、儒教や仏教などの宗教が入ってくるはるか以前の古道のことで、惟神道(かんながらのみち)である。
 神話や八百万の神々、祖霊や自然現象などにもとづく多神教で、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズムの影響もうけている。
 宗教というより、日本人の古来の自然観や世界観、モノの考え方、価値観を反映した精神性で、これが国体である。
 歴史や伝統、文化を国体の身体とするなら、神道は、国体の心で、古事記や日本書紀の神話から、万世一系、皇祖皇宗の大御心にまでつうじる。

 敵と味方の論理が権力なら、権威は、万物が混交する神道的な世界観の上に成立している。
 全体をつつみとるという意味で、権威は、象徴でもある。
 国民統合の象徴というとき、民主主義において、本来、統合できない国民を丸ごと呑みこんでしまう。
 民主主義や個人主義では、個の差異や利害得失、各々の立場によって、対立関係が生じる。
 そんな場面で、重んじられるのは、多数決である。
 かつて、安倍首相が、みずからを立法府の長と呼称したが、内閣総理大臣は行政府の長で、立法府の長は、議長である。
 議長は、議会の多数決をうけて、これを議決する。
 このとき、多数意見が採られて、少数意見が捨てられる。
 二つに分裂している意見を、議長の裁量で、一つとするのである。
 それが可能なのは、議長の椅子に権威がそなわっているからである。
 議長が権力の側にあれば、議場が紛糾して、収拾がつかなくなる。
 権威は、もともと、政治力や権力の乏しいところに宿るのである。
 議長の権威には、年功や経験、人徳とさまざまあるが、議決が政治的決定であるかぎりにおいて、その権威には、おのずと、限界がある。
 政治的決定には、かならず、反対派という政敵があらわれるからである。
 反対派や政敵があらわれると、権威は、もはや、権威たりえない。
 権威は、敵や反対者、対立者を超越して、はじめて、権威なのである。
 権威が非政治的であらねばならない理由がそこにある。
 政治は「敵と味方の峻別」といわれるように、政治的にふるまえば、かならず、敵や対立者、反対意見があらわれる。
 承久の乱の後鳥羽上皇も、建武の新政の後醍醐天皇も、権威を捨てて権力をとって、武士の反撃を招き、墓穴を掘った。
 権威をもって武を制することはできず、武をもって権威をえることはかなわない。
 だからこそ、権威(国体)と権力(政体)の二元論が成立する。
 権威をえるには、政治や権力に近づかないことで、それが、帝王学の基本である。
 秋篠宮殿下の大嘗祭「異例発言」が問題だったのは、発言内容ではない。
 政治的な発言をおこなって、異論や反対意見を呼び起こしたことである。
 この発言によって、秋篠宮殿下の権威は失墜した。
 私見をのべたことによって、権威という超越的な場から政治という世俗的な場へ滑落したからである。
 国家は、国体という文化構造の外側に、政体という殻をつけた構造になっている。
 国体が、歴史や伝統、文化なら、政体は、法や権力、政治である。
 政体は、一過性で移ろいやすく、わが国は、古来、政体の変遷をくり返して今日に至っている。
 だが、核となる国体は、非政治の精神文化で、永遠に変わることがない。
 天皇の地位が、数千年にわたって、安泰だったのは、それが、国体のなかに用意された玉座だったからである。
 万世一系の血を継がれた皇胤がその玉座に就かれて、天皇とおなりになる。
 天皇の権威と永遠性は、国体のなかに根を下ろしていたのである。
 次回も、天の地位と国体についてのべよう。
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2019年01月31日

「天皇の地位」F

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」F
 天皇の地位あるいは象徴天皇が、憲法上の存在であるかのような言説がまかりとおっている。
 憲法が担保しているのは、政治(=政体)上の立場であって、天皇の地位をささえているのは、法や政治をこえた文化概念(=国体)である。
 国体について、見解が、幾筋にも分かれている。
 一つは、天皇主権で、源流が大日本帝国憲法だったのはいうまでもない。
 明治憲法がドイツ(プロイセン)憲法を手本にしたのは、君主権が強かったからで、伊藤博文は、ヨーロッパの絶対王政を導入して、天皇中心の中央集権国家をつくろうとした。
 明治維新は、文明開化や帝国主義というヨーロッパ化と、天皇を中心とする皇国・神国思想という相反する両面をもち、現人神という日本特有の国体観をつくりだした。
 現人神は、ヨーロッパの王政と神格化された祭祀王の合体とみることができる。
 天皇を神と崇めて、畏れ多くも天皇陛下のお言葉なら、必ず謹んで聴かねばならないとする承詔必謹(「17条憲法」)の精神は、日本古来の伝統的なものではなく、明治憲法の産物だったのである。
 もう一つは、万世一系の天皇によって統治された君主政体は、大東亜戦争の敗北によって、崩壊したとする国体喪失論である。
 1945年8月のポツダム宣言の受諾によって、大日本帝国憲法から日本国憲法へ、天皇主権から国民主権へ移行したとする宮沢俊義の『八月革命説』がその代表である。
 そこに、天皇なきナショナリズムや憲法を新しい国体とする戦後思潮がくわわって、アメリカ製憲法が、紀元前からの国体にとって代わった。

 国体の土台が神道なのはいうまでもない。
 皇室は万世一系の天照大神の子孫で、神勅によって、永遠の統治権が与えられている。
 神勅というのは、天孫降臨において、天照大神が与えたことばである。
 国体は、日本を神々の国とする神国思想と皇位の血統性を記した皇国思想の合体で、神話と万世一系が語られた『古事記』や『日本書紀』が日本の正史とされる所以である。
 国体には、君主が主権をもつ「君主国体説(穂積八束・上杉慎吉)」と天皇による統治は国民のためにおこなわれるべきとする「民主国体説(美濃部達吉・吉野作造)」があって、これがのち(昭和10年)に大きな問題をひきおこす。
 国会議員や軍部・右翼らが国体に反するとして、美濃部達吉の天皇機関説を攻撃、テロ事件までひきおこして、政府は、2度にわたって、国体明徴声明を発せざるをえなかった。
 この事件を契機に日本は一挙に軍国主義へつきすすむ。
 かつて、国体は、国家の上位にあった。
 歴史や伝統、文化に根ざす国体の下で、政治権力、法という機能を行使するのが政体で、その二つを合わせたものが国家である。
 国体と政体は、二元論をなすが、これは、日本だけの国家形態である。
 諸外国の国家は、政体という機能だけがあって、国体という精神性を欠く。
 英語に該当することばがないので、コクタイとローマ字で記される。
 明治憲法下、日本は、国体を有する大家族国家で、そこから、忠孝を至高の徳目とする道徳観念が生じた。
 天皇の善性や国民の正直も、神道にもとづいた大家族国家の恩恵で、国体という文化的・精神的な基盤からうまれたものである。
 政治の様式からみたクニが国家で、精神的観念からみたクニが国体である。
 憲法学の大御所、佐々木惣一は、太平洋戦争の敗北によって、国体も運命をともにしたと考えた。
 君主政体が民主政体へ変わって、国体も、君主国体とともに消滅したとしたのである。
 ところが、哲学者の和辻哲郎は、そうは考えなかった。
 明治以前において、天皇は、統治権の総攬者ではなかった。
 戦後、政治的権力を返上して、天皇は、かつての天皇にもどった。
 したがって、君主国体になんら変更はなかった、としたのである。
 和辻哲郎や美濃部達吉のほか皇国史観や『古事記』『日本書紀』の文献批判で知られる津田左右吉らまでが、戦後、天皇擁護に走ったのは、天皇が、国体の柱だったからだった。
 津田はこういっている。
 国民的統合の中心であり、国民精神の生きた象徴であられるところに皇室の存在の意義がある。
 津田のこの表現は、憲法第一条の天皇条項とほぼ同じで、国民主権についても津田は、国民みずから国家のすべてを主宰するとのべている。
 戦後、憲法の枠内で、象徴天皇が語られるようになった。
 天皇が、国体という文化ではなく、法や制度などの構造に拠って立っているかのように思っているのである。
 そこから、国体が、憲法やアメリカにのっとられたという論法がでてくる。
 次回は、これら言説を批判的にのべよう。
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2019年01月25日

「天皇の地位」E

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」E
 神道には、死にたいする深い思索がない。
 というより、死という概念が存在しない。
 ギリシャ神話も、日本の神話と同様、死は脇役で、そこでくりひろげられるのは、神々の愛憎のドラマである。
 古代ギリシャの哲学者エピクロスは「生あるうちに死はやってこず、やってきたときには気がつかない」といったものだが、それが、多神教世界における死生観だった。
 人々は、生きることだけに精一杯で、死について考えなかった。
 この世は、生きとし生けるものだけのもので、死は、除外されている。
 神道やギリシャ神話に死がないのは、死は、生の舞台に必要がなかったからで、かつて、人々は、死という観念が存在しない天地をおおらかに生きていたのである。
 人々が、死について考えるのは、宗教がうまれたのちのことである。
 それまでは、死という事実はあっても、死が意識化されることはなかった。
 死や死の観念、死の恐怖、死後の世界、死からの救済という考え方をつくりだしたのは、ユダヤ教やキリスト教、仏教や儒教などの一神教だった。
 一神教は、天国や疑獄、輪廻を発明して、世界の絶対的な支配者になった。
 死に気づいたからには、だれも、死の恐怖から逃れられない。
 人々は、神への信仰をとおして、死のとりことなった。
 神は、信仰と死の恐怖を取り引きして、牧歌的だった多神教の世界を暗黒の一神教世界へぬりかえてしまったのである。
 人々は宗教の奴隷となって、一方、教会や教団は、強大な権力と大きな富をえた。
 ヨーロッパでは、教会が、死と神を商売の道具にして、大衆から権力までをとりこんでしまったのである。
 
 一神教は一元論である。
 それが、キリスト教以後のヨーロッパ的な世界像で、西洋合理主義も、元をただせば、絶対専制や科学主義、ロゴス主義の一元論へゆきつく。
 近代ヨーロッパをつくったのはキリスト教=一元論だったのである。
 一方、多神教は、多元論で、ヨーロッパ的な一元論的世界とは、まったくの別世界である。
 それが神道の万葉世界で、多元的で多様性にとみ、変化や奥行き、柔軟性をもっている。
 ギリシャの神々は、一神教に滅ぼされて、ヨーロッパは、絶対的な一元論に塗りつぶされたが、日本では、神道が、仏教や儒教をのみこんで、数千年にもわたって、独自の宗教観や世界観、価値観をまもってきた。
 ヨーロッパと日本のもっとも大きなちがいが、王政と天皇であろう。
 ヨーロッパの王政は、権力で、世俗にある。
 日本の天皇は、権威で、神域にある。
 日本は、神域と世俗の二元論だが、ヨーロッパの絶対主義は一元論だった。
 一元論の世界は、王や絶対神への服従、圧制と弾圧、搾取という救いのない暗黒世界である。
 一元論は、同じ価値観をもちあうことで、他のあり方をみとめない。
 正義や正当、聖なるものが一つしかないため、永遠に内ゲバがつづく。
 一神教では、カトリックとプロテスタント、唯一神ヤハウェをめぐるキリスト教とイスラム教のようにいがみあって、宗教戦争は凄惨なものだった。
 仏教や儒教も、人格神による創唱宗教で、人間の頭で考えたことである。
 頭で考えたことが一元論になるのは、人間は、一つのことしか考えられないからである。
 儒教の「天の思想」も仏教の涅槃も、観念論で、一元的な教条主義である。
 ところが、八百万の神々とともにある自然も現実も、多元的にできている。
 多元論は、自然が考えだした現象や法則で、人間の頭では追いつかない。
 神道は、森羅万象、八百万の神々への崇拝で、きわめつけの現実主義である。
 現実主義というのは、生活や身体、日々の糧、現在性などのことで、観念や空想から切り離されている。
 一神教が観念の宗教なら、神道は、現実主義の宗教で、神道に経典や教義がないのは、観念が不在だからである。
 そこに、神道における祭祀の位置づけがある。
 祭祀は、聖と俗、現世と常世、人と神、日常と非日常を分かち、融合させる儀式で、それが、神道の本質である。
 神道は、神に祈るのではなく、祈りを祈ることで、祈ることによって、現世や人、俗や日常をこえた地平がひらける。
 神道における祭祀は、一神教における祈りとは異なる。
 一神教の場合、祈る対象が神で、キリスト教において、祈りが神との契約といわれる所以である。
 神道の祭祀は、自然との合一で、その場が神籬(ひもろぎ)である。
 自然との合一は、神霊とともにあるということである。
 神道で、清浄をなにより大事にするのは、そのためである。
 次回も、天皇の地位をめぐって、多元論と祭祀の議論をすすめていこう。

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2019年01月18日

「天皇の地位」D

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」D
 古来、天皇の地位は、神域にあった。
 神域は、世俗をこえた領域にあるもので、神道の中心的な概念である。
 注連縄や拍手、紙垂や榊は、俗世と神域を隔てる象徴で、この象徴の向こう側が神域で、こちら側が俗世である。
 神道の用語では、現世(うつしよ)と常世(とこよ)である。
 現世と常世の二元論が日本神話や神道の世界観で、この世は、生活の場面である現世と現実や日常、現在性をこえた常世からできている。
 常世は、隠世・幽世(かくりよ)ともいって、神性をおびた無意識の領域である。
 一方、現世は意識界で、祭祀をとおして、現世をとびこえ、常世へ接近する。
 大嘗祭では、新天皇が天神地祇に新穀を供え、常世の皇祖皇宗と一体化して歴史上の存在となられる。
 御身は現世にあっても、皇統は常世のもので、万世一系のご身分が、歴史のなかに用意された玉座にお座りになって、神格をそなえた存在となられるのである。
 現世の事々は、祭祀をとおして、常世=永遠のものとなる。
 日本人が、天皇を「神のようなひと」と見るのは、元々、現世と常世という二つの視点をもっているからで、それが、日本の伝統宗教である神道の本質といえよう。
 祭ることによって、物事が神性をおびるのは、物事は、元々、聖俗二面性をもっているからで、そのきりかえが、神道の祈り=浄めである。
 神道では、常世と現世は、隣り合っているが、かんたんにのりこえることはできない。
 現世と常世は、表裏の関係にあるからで、のりこえるには、じぶんを常世になげだして、いわば、無の存在にならなければならない。
 それが神道の祈り=祭祀で、祭祀では、なにかを願ってはならない。
 神道では、すでに、願いが発せられているからである。
 それが、高天原信仰であり、天照大神と豊受大神がこの世の繁栄を約束した「幽契(かくれたるちぎり)」である。
 高天原も神域で、この世は、その高天原と「不老不死」や「神仙境」「穀霊」から「黄泉国」までをふくむ常世に重層的にささえられているのである。

 神道には、教義や経典、戒律もない。
 神道は、生活そのもので、存在するのは、生命や身体、日々の糧などの物質的にして即物的なものだけである。
 生きているのは、神とともにあるということで、それが神道の宗教観である。
 カミという絶対的な存在にたいしてできるのは、浄めと自然崇拝だけである。
 その浄めの頂点にあるのが祭祀で、人格神の下にある創唱宗教ではない神道には、神のことばを借りて、ひとを惑わす言挙げなどしない。
 神道は、多神教で、アニミズム(万物霊)やシャーマニズム(神霊交流)という縄文の遺伝子をひきついでいる。
 したがって、言語や論理、価値基準などから切り離されている。
 日本に善悪や正邪の基準や仁義礼智の教えがないのは、人格神がいなかったからである。
 いたら、理屈やこじつけ、ウソがまかりとおって、日本神話にみえる正直さはなかったろう。
 日本の神話には、神さまらしくない神さまが大勢登場してくる。
 性的にも奔放で「汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて国土を生み成さむ」というイザナギ、イザナミの国づくり神話のほか、古事記には、性的な表現がすくなくない。
 現実は、身体や生命が活動する「生活の場」であって、観念や精神をとおしてあらわれる空想ではない。
 神道には、精神がなく、あるのは生活だけである。
 その生活が、裏と表のように、常世や現世に分かれている。
 神道以外の他の宗教には、常世や現世という考え方はない。
 あるのは、天国や涅槃、死後という観念の世界だけである。
 一神教の人々は、精神界を生きるので、現実も、観念的なものになる。
 そこに苦悩の源泉があるのだが、一神教は、だからこそ、神の救済が必要という。
 精神や観念は、ことばや意味、論理の世界で、一元論である。
 一方、日本は、多元論の国で、中江兆民が、詩歌や文学にはすぐれたものがあるのに、哲学や論理にみるべきものがないと嘆いたものである。
 神道に観念論がないのは、元々、自然崇拝だったからで、自然界に精神などというものは存在しない。
 存在するのは、八百万の神々だけで、唯一神も存在しない。
 唯一神は一元論で、ことばも、神のたまわりものなので、一元論である。
 言挙げしない神道は、多元論で、一元的な価値や意味、法則をもたない。
 われわれは、一元論に狎れているので、観念をとおして、世界をながめがちである。
 その世界も、先入観を捨てて、無心で見直すと、ちがった風景へ反転する。
 それが常世で、なにかを無心で見直すことが、祈り=祭祀である。
 挨拶からことば遣い、習慣や習俗、考え方にいたるまで、これらを祖先からうけついできた日本人は、だれもが神道的な心根をもっている。
 聖徳太子の「和の心」も神道的多元論で、聖徳太子は、同時に10人の話を聞いたという。
 多元論は、なにか一つをつきつめて考える一元論からみると、無や空という別天地につうじる。
 神道に死や苦悩、悲嘆がないのは、多元論だからで、悪しきことは、すべて考えという一元論から生じる。
 日本人は、太古の昔から、祈りをとおして、一元論の現世から多元論の常世へ移って、心を浄めてきたのである。
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2019年01月11日

「天皇の地位」C

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」C
 われわれは、唯心論と唯物論の二つの世界を生きている。
 唯物論は目に映る物質の世界で、唯心論は、目に見えない心の世界である。
 物心二元論といってもよいが、この両眼性が、日本人の国家観といえる。
 国家を、実体としての政体、属性としての国体に分けて、両眼でながめるのである。
 といっても、属性としての国体が、モノとして、どこかに存在するわけではない。
 国家が物的な存在なら、国体は心的な存在で、日本人は、歴史や伝統、文化や習俗などの文化概念をもって、これを国体とする。
 それが伝統国家の国民性で、日本人は、天皇を神として敬う唯心論と天皇を一人の人間としてみる唯物論の両方の視点を併せもっているのである。
 政体と国体と同様、権威と権力も二元論で、二元論に立たなければ、国家や権力構造の本当のすがたをとらえることはできない。
 二元論において、世界は、物中心の唯物論と心中心の唯心論から成り立っている。
 したがって、二元論をわきまえなければ、物事の表層しか見えない。
 われわれが、国家や権力の本質を見失うのは、一元論的にみるからである。
 戦前の国体は敗戦で消え、戦後、天皇に代わって、アメリカが新しい国体になったという論説や、古くは、天皇なきナショナリズムや憲法を新しい国体とする新保守主義がもちあげられた。
 これらの言説が的外れなのは、一元論に立っているからである。
 一元論は唯物論で、マルクス主義を挙げるまでもない
 唯物論に立つと、物質や現象、利害以外のものが見えなくなる。
 天皇や国体は、唯物論的なモノやかたちではなく、かたちのない唯心論である。
 したがって、目で見ることはできない。
 唯物論では、天皇や国体の本質は、見えてこないのである。
 天皇は唯心論の存在で、日本人の神道的世界観は、唯心論に拠って立つ。
 多神教や自然崇拝が唯心論で、心にもっとも深く根を下ろしている日本人の宗教心は、高天原信仰=神道といえるだろう。
 天皇主権が、戦後、アメリカ主権におきかえられたように見えるのは、一元論=唯物論に立つからである。
 しかし、天皇をささえてきたのは、神話や歴史、民族性にもとづく唯心論であって、制度や仕組み、機関のような一元論的な唯物論ではなかった。

 キリスト教やイスラム教などの一神教も唯物論である。
 かつて、ヨーロッパも多神教で、ギリシャ神話と日本の神話には、類似性が少なくない。
 ところが、一神教=キリスト教によって、唯心論がヨーロッパから一掃された。
 宗教だから唯心論と思うのは錯覚で、一元論である一神教は唯物論の原型となった。
 神の代わりに合理主義や科学、ことばがおかれて、それらが絶対化されたのである。
 それがロゴス主義で、世界の神的な秩序には、合理主義や科学からことばや理性、真理や論理、王権までがふくまれる。
 王権神授説も、キリスト教的な一元論で、キリスト教によって、唯心論的な宗教が失われて、神までが唯物的になった。
 神が科学や合理主義に入れ替わって、ロゴス主義から、ついに、革命国家がうまれて、西洋は、丸ごと、唯物論となった。
 西洋をとおして日本をみても、わからないのは、西洋の革命国家が唯物論に立っているからである。
 歴史や伝統、文化などの唯心論を断ち切ったからで、革命国家が信奉するのは、合理主義と科学、論理(イデオロギー)だけである。
 アメリカやロシア、中国は、革命国家で、そこで、資本主義がさかえているのは、資本主義もまた革命をうみだした唯物論だったからである。
 一神教が唯物論となるのは、キリスト教は、神との契約だからである。
 祈るのも、神との契約を確認することで、モーゼの十戒も、1から4までは神との契約である。
 一神教の西洋の祈りが契約となるのは、祈る対象が人格神だからである。
 これは、日本人の宗教観にはないもので、日本人の拝む対象は、人格をもたない自然神である。
 しかも、多神教で、アニミズム(万物霊)やシャーマニズム(神霊交流)という縄文の遺伝子をひきついでいる。
 宗教といっても、西洋と日本では、性格が百八十度ちがうのである。
 西洋の神は唯物論的なフィクションだが、日本の神は、唯心論的に実在する。
 神話や至高の理想としての高天原は、日本人にとって、心のなかに実在するもので、そこに、天皇の地位の問題がかかわっている。
 次回は、天皇の地位が、いかに、日本人の宗教観や歴史観、国体観に深く根ざしているかをみていこう。
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