2020年11月27日

 反官僚の菅政権に期待するI

 ●民主党大統領で急がれる脱アメリカ
 メイフラワー号に乗って、イギリスから渡ってきた(1620年)102人の清教徒は、400年をかけて、アメリカという超大国をつくりだした。
 イギリスとの独立(革命)戦争に勝利して独立宣言(1776年)を建てたあとのアメリカは戦争と征服≠国是として、つぎつぎに領土・権益拡張の政策を実行に移してゆく。
 1000万人以上の先住民を殺害したインディアン戦争やメキシコからテキサスを奪った米墨戦争(1846年)をへて、アメリカは、ついに、太平洋へのりだしてゆく。
 カメハメハ大王のハワイ王国を収奪して、米西戦争(ともに1898年)に勝って、フィリピンやグアム島を獲得したアメリカは、すでに、東インド艦隊を率いるペリー提督が日本を開国(黒船来航/1853年)させ、環太平洋の覇権は、目前に迫っていた。
 アメリカの最終目的が、世界最古の大国、中国にあったのはいうまでもない。
 西へ西へとすすんできたアメリカの拡張政策は、世界最大の巨大市場≠ナある中国を支配下におさめて、一応、最終段階を迎えるはずであった。
 ところが、ペリー率いる東インド艦隊が開国させた日本が、そのわずか半世紀後に、日清戦争に勝って、朝鮮半島をふくめた大陸へ進出してきた。
 それどころか、ロシアを打ち破って、五大強国にのしあがって、英米と肩を並べるに至った。
 アメリの神経を逆なでしたのが日英同盟(1902年)だった。
 イギリスと手をむすんだ日本が、日露戦争(1904年)や第一次世界大戦(1914〜1918年)に勝利して、アメリカをおびやかすほどに国際的な地位を高めてきたのである。
 警戒したアメリカが、イギリスに迫って、ワシントン会議(1921年)をへて、ついに、日英同盟が破棄される。
 ここから、アメリカの対日報復政策が開始されて、やがて、日米戦争に至る。
 ちなみに、対日敵対政策をとった第32代大統領フランクリン・ルーズベルトは、日露戦争で日本とロシアの調停をつとめた第26代大統領セオドア・ルーズベルト(ポーツマス条約の和平交渉に尽力した功績からノーベル平和賞を受賞)の縁戚にあたる。
 セオドア・ルーズベルトが保守的な共和党で、フランクリン・ルーズベルトがリベラルな民主党というちがいもあるが、それ以上、大きなちがいは、軍人や作家、ハンター、探検家の顔ももつセオドアが、カウボーイ的な男性らしさで、国家の利益や発展に貢献したのにたいして、フランクリンは、女々しく、嘘つきで、なによりも、スターリンにぞっこんの共産主義者だった。
 
 フランクリンの母親サラは、少女時代、香港に滞在して、中国を第二の故郷と思うような女性だった。
 フランクリンの祖父(サラの父)は、清朝末期に、阿片貿易で巨富を築いて香港に豪邸を所有していたからで、フランクリンも、祖父が中国から略奪してきた絵画や屏風、象牙や陶器などの美術品に囲まれて育ち、中国に深い愛着をもっていた。
 アメリカが、当時、中国に親しみをかんじていたのは、中国が、アメリカの巨大な市場で、中国人は、アメリカから多くのキリスト教宣教師をうけいれた従順な羊のような人種と思っていたからである。
 一方、五大強国にのしあがった日本は、伝統をまもって、キリスト教文明をうけいれないばかりか、西洋に媚びない、アジアでは異質な国で、アメリカが太平洋をこえて最終目的とする中国の市場を奪う、憎き仮想敵国だった。
 ルーズベルト大統領が中国を愛して、日本を疎んじていたことが日米戦争の最大の原因だったのは、いうまでもない。
 そして、その思想をうけついでいるのが、リベラルの民主党で、日本がかつて敵国で、日米戦争に負けて、アメリカに占領された敗戦国というほどの認識しかもっていない。
 それが端なくもあらわれたのが、バイデンの「日本憲法アメリカ起草論」である。
 2016年、バイデン副大統領(オバマ大統領)は「われわれが(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と発言している。
 バイデンから、日本を、パートナーとして尊重する気持ちをかんじることはできないが、それが、日本に原爆を落とした民主党大統領の(32代ルーズベルト、33代トルーマン)の日本観である。
 民主党の大統領は、日本になんの関心ももたなかったカーター(39代)から「スーパー301条(不公正な貿易への報復と制裁)」を発しただけだったクリントン(42代)、中国の南シナ海要塞化や北朝鮮の核武装化をゆるしたオバマ(44代)まで、日本無視がつづき、対米関係重視の日本に逆風が吹いた。
 マスコミは、バイデン支持で、トランプ叩きに余念がないが、日本の国際的な地位を高めた米大統領は、レーガン(40代/中曽根)、ブッシュ(43代/小泉)、トランプ(45代/安倍)ら共和党の大統領だったことを忘れてはならないだろう。

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2020年11月19日

 反官僚の菅政権に期待するH

 ●GHQ民主主義からの脱却
 日本人は民主主義が一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の産物であることを知らない。
 一神教は、正しいものが一つしかないとする一元論で、正しいほうが正統で、悪いほうが異端となる。
 中世の宗教戦争では、カトリックとプロテスタントが凄惨な殺し合いをくり広げ、異端裁判では、おびただしい人数の罪なき女性が火刑に処された。
 一神教においては、異端は、完全に滅ぼされなくてはならない。
 異端を滅ぼすことによって、正統が成りたつ構造に立っているので、正統は、異端を皆殺しにする。
 だが、その正統から新たな異端がうまれて、ふたたび、血みどろの争いがはじまる。
 この悪循環にくさびをうちこんだのが、市民革命の原理となった多数決≠セった。
 多数決なら、永遠につづくであろう正統と異端の争いに終止符を打つことができる。
 古代ギリシャでうまれた多数決(民主政)を批判したのがソクラテスで、多数決政治では衆愚政治になるとした。
 民主裁判で、死刑を宣告されたソクラテスは、毒をのんで自殺するが、弟子のプラトンは、哲人政治を唱える。
 政治をゆだねるなら、気まぐれで無知な大衆ではなく、英知をもった哲人のほうがましというのである。
 17世紀に、ルソーがよみがえらせた多数決の原理は、フランス革命の原動力となったが、一方、プラトンの哲人政治は、ヒトラーやスターリンの独裁に悪用された。
 現在、世界の国々は、多数決を採用して、これを民主主義と称している。
 だが、デモクラシーは、大衆による支配という方法論で、主義でも思想でもなく、まして、理想でもない。
 それどころか、民主主義は、窮余の策で、チャーチルではないが、独裁よりはマシという代物にすぎない。
 人類最大の難問が「個と全体の矛盾」で、いまのところ、民主主義が唯一の処方箋である。
 だが、49%の少数派が切り捨てられる「数の暴力」が最良の政治形態であるわけはない。

 キリスト教を正統と異端の一元論でみてきた西洋では、すべてを対立概念≠ナとらえる。
 国会は、与党と野党が対立している状態で、与野党の対立がなくなると、国会ではなくなってしまう。
 世界は、善と悪がたたかっている場所で、善あるいは悪だけの世界はありえないのである。
 一方、多元論、二元論の日本は分立概念≠ナある。
 八百万の神々がいて、民に幸をもたらす和魂(にきたま)がいれば、民を苦しめる荒魂(あらたま)もいる。
 対立概念の西洋では、一つのなかに、正統と異端、善と悪などの概念が対立的に存在している。
 裁判所も、検事と弁護士が、有罪と無罪を論争する場所で、裁判官は行司にすぎない。
 ところが、分立概念の日本では、すべてが、善玉か悪玉で、一つのなかに、善と悪が対立的に存在する状態はありえない。
 司法は神聖なる正義で、検察の起訴有罪率99・9%とあって、司法も検察も、非の打ちどころがない善玉である。
 憲法は、不磨の大典で、民主主義や国民主権は、天から授かった絶対無比の真理である。
 池袋暴走事故で、母子2人の死亡をふくめて11人を死傷させた飯塚幸三の無罪の主張にたいして、杉村太蔵は「民主主義において裁判で被告がじぶんの正当性を主張するのは基本的人権の一丁目一番地」と擁護論をのべ、慶応大学名誉教授の金子勝は、菅首相が日本学術会議の新会員候補6人の任命を拒否すると「反民主主義の体質を露呈」と騒ぎ立てた。
 西洋人が、他に選択肢がないので、やむなく採用した民主主義が、日本の民主主義者にとって、西洋からやってきた後光がさす有り難い真理なのである。
 民主主義と基本的人権、憲法9条を信仰するかれらは、当然、日本の歴史観にもとづく価値観や社会通念、習慣や習俗、日本人としての常識や道理、義理人情などにうとい。
 歴史や国体、天皇への尊敬心も薄いが、伝統もまもることは、改革を叫ぶことよりよほど知的努力がもとめられる。
 戦後のGHQ革命によって、日本の国是が、歴史に根差した伝統文化から、アメリカ民主主義へきりかわった。
 そして、民主主義や自由平等、基本的人権、平和主義が、戦後日本の唯一のルールとなった。
 大統領就任が確実なジョー・バイデンは、2016年、ヒラリー・クリントンの応援演説で、日本の核武装を匂わせたトランプを批判して「(トランプは)われわれが日本を核武装させないために憲法を書いたと学校で習わなかったのか」と発言している。
 日本人は、GHQがわずか10日で書きあげた「占領基本法」を神棚にあげていまもなお拝んでいる。
 いい加減に目をさまして、わが国の伝統的な価値や文化に立ち返らなければ、日本は、アメリカの精神的植民地になってしまうのである。

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2020年11月08日

 反官僚の菅政権に期待するG

 ●既得権益にメスを入れる菅行政
 日本の世論は真っ二つに割れている。
 一つは、民主主義や基本的人権、自由や平等を信奉するリベラル派である。
 もう一つは、伝統的価値観や一般常識、社会通念を重んじる保守派である。
 国論二分の現象が劇的にあらわれたのが「60年安保」で、当時、日本中のマスコミが民主主義をまもれ≠ニ、連日、叫びつづけた。
 強行採決が、民主主義的ではないというのだが、民主主義は多数決のことであって、清瀬一郎議長を負傷させた野党議員の採決妨害の暴力的抵抗のほうがよほど民主主義に反している。
 一方、保守派は、岸首相が「声なき声」といった一般国民のことで、反安保の声の大きさとはくらべようもなかったが、それでも、戦後、世論の多数派を占めてきた。
 保守派は、歴史や伝統をふまえているので、文化的な奥行きがもつが、リベラル派は、民主主や人権をまもれの一辺倒で、民主主義や人権がなんたるかという議論にふみこんできたことはいちどもない。
 思考停止に陥っているのは、リベラル派にとって、啓蒙思想が、宗教だったからで、自由も民主主義も、有り難く拝んでいればよいものだった。
 その風潮は、マスコミが、安保条約が旧安保(51年)の画期的改正だったことに一言もふれなかった60年から「学問の自由をまもれ」の現在にいたるまで、すこしもかわっていない。
 伊吹文明元衆院議長が、日本学術会議の会員任命を見送ったことにたいするマスコミや野党、各種学会の政府批判について「学問の自由という水戸黄門の印籠にみなひれ伏さないといけないのか」と苦言を呈したが、リベラル派には馬の耳に念仏だった。

 現在の日本では、民主主義と学歴、マスコミが三大善≠ナ、その上に左翼と上級国民、国際派があぐらをかいている。
 わが世の春を謳歌しているのは、マスコミ労組(MIC)と上級国民である高級官僚、国際派の有識者(学者・文化人)、内部留保450兆円をためこんだの大企業とその社員らである。
 その下で、個人所得が世界2位(1988年)から26位(2018年)にまで転落した大方の日本国民が、低所得と格差社会にあえいでいる。
 かつて、労組や野党ら左翼は、労働者の味方だったが、新自由主義によって社会の格差化がすすみ、正社員の4割もの非正規社員が組合から追いだされる事態になって、様相が一変した。
 労働組合が、組合員の身分保護とひきかえに、内部留保にむかう企業方針に同調するようになったのである。
 そして、野党も、かつての社会党のような労働者の党ではなく、反日・反国家の権力集団になってしまった。
 そもそも、組合費や闘争積立金など膨大な内部留保をにぎって労働貴族化≠オている大手の労働組合には、賃金闘争をやる気などさらさらない。
 見捨てられたのは、日本企業の99・7%を占める中小零細企業の従業員と非正規雇用の社員で、日本は、既得権者のグループと非既得権者のグループに二分されて、前者だけが恩恵をうける偏向した国家になってしまったのである。
 そこに、菅首相が、所信表明演説で「役所の縦割り、既得権益、前例主義を打倒して規制改革をすすめ、国民のためにはたらく内閣をつくる」と既得権益をあえて名指しした根拠がある。
 インターネットの「ウィキペディア」で既得権益≠検索して、プリントしてもらうと以下の項目があった。
 ※既得権益の例示として頻出される事象
「国家権力で保護されている公務員」「批判や対抗組織がない警察」「天下りや利権構造をもった特定の企業や団体」「莫大な資金で市場操作して利益を獲得する金融機関」「通貨発行権をもつ団体」「価格操作が可能なほど寡占化している業界や企業」「著作権管理など独占的な営利団体」「中小企業を支配して有利に物事をすすめる大企業」「解雇規制に守られた正社員」「正社員の雇用しか守らない労働組合」「全国に票田をもち、コメの流通を支配する農協」「参入障壁に保護されているマスメディア」「株式買収から保護されている新聞社」「放送法によって寡占状態にある放送局(テレビ局・ラジオ局)」新規参入が困難な報道機関」「権限を有する芸能団体」「組織票が見込める業界団体」など
 ※代表的な既得権益
 官僚制/水利権/天下り/記者クラブ/原子力発電/NHK受信料
 菅首相が、マスコミや学会ら左翼インテリから叩かれるとわかっていながら日本学術会議の会員任命の見送ったのは、既得権益への政治介入で、うごきはじめた菅行革の露払いだった可能性が高いのである。

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2020年11月02日

 反官僚の菅政権に期待するF

 ●「高学歴者」はいるがプロがいない日本
 日本には、学歴と民主主義、マスコミ芸能の3つが是で、政治や伝統、歴史的習慣の3つが非という奇妙な風習が根づいている。
 戦後の風潮ではなく、明治維新からそうで、日本は、科挙社会にして、西洋主義、戦前の天皇主権から戦後のマスコミ主権と、薩長がつくった明治政府の構造が、そのまま現在にひきつがれている。
 その印象を深くしたのは、日本学術会議の会員の45%が東大など旧帝国大に所属しているという菅首相の指摘にたいするマスコミ世論の猛反発だった。
 日本学術会議に批判的なネット世論まで、学者が旧帝国大学に属しているのは当然で、菅首相の批判には根拠がないと騒ぎ立てた。
 菅首相によると、旧7帝大以外の会員は、国公立大が17%、私立大は24%で、産業界に所属している会員や49歳以下の会員は、それぞれ、3%に過ぎない。
 問題なのは、産業界に所属している会員の少なさである。
 米中がトップを競ってきたスーパーコンピュータで首位(「計算速度世界ランキング」)を獲得した富士通(富岳)や小惑星探査機「はやぶさ」や月周回衛星「かぐや」の宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、民間あるいは日本学術会議が協力を拒否している国立である。
 国から補助金や公務員の手当てをもらっておきながら、防衛庁の研究を妨害して、中国の軍事研究には協力する旧7帝大系の左翼学者を、高学歴がすきな日本人は支持するのである。
 テレビでは、クイズ番組が大人気で、日夜、東大軍団、インテリ軍団と連呼している。
 東大は、テレビの有名ブランドで、日本中に、東大神話が浸透している。
 東大(法)は、もともと、高級官僚の登竜門で、霞が関でエラくなるための専用エスカレーターだった。
 日本の学問は、明治以来、西洋に学ぶ欧化主義で、刀剣や建築、繊維や工芸などの分野で日本独自の技術もあったが、旧帝大は、もっぱら、西洋の文物のコピーで、これが、じつは、クイズに似ている。
 クイズは、答えが用意されているので、永遠に、出題者を超えることができない。
 同様に、いくら、西洋のマネをしても、先生である西洋を超えることはできない。
 鹿鳴館で、洋装で着飾って、西洋ダンスを踊っても、日本舞踊の文化的深みはでてこないのである。
 そもそも、日本の近代化がサル真似で、国体二千年の伝統を破って、天皇を元首(元帥)にすえた明治憲法が、プロイセン(ドイツ)憲法をお手本にしたものだった。
 西洋化が日本近代化の背骨となって、西洋を学ぶ大学が、体制維持の基準となった。
 儒教を国家のルールとした中国(隋から清まで1300年間)や朝鮮(高麗から李王朝/両班)で科挙制度が国家をささえたように、日本では、7旧帝大を中心に陸軍士官学校や海軍兵学校をふくめた官立・私立大学が科挙の代用となって、壮大な学歴社会をつくりあげた。
 戦後、民主主義と基本的人権が、国家の唯一のルールとなって、伝統国家としての価値観や常識、習慣や社会通念が消えてしまった。
 これでは、科挙制度によって、国を滅ぼしてきた中国や朝鮮の二の舞である。
 学歴社会が滅びるのは、自己利益しか頭にない高学歴者が国家を私物化するからである。

 日本の中枢機関も、いるのは、高学歴者ばかりで、プロがいない。
 官僚ばかりか、入社試験と書類審査で、高学歴者ばかりを採用した大企業もその例にもれない。
 東芝やシャープ、NEC、ソニー、パナソニック以下、かつての一流企業が台湾や韓国の下請けクラスに転落していったのは、社員が、偏差値が高いだけのアマチュアだったからである。
 それでも、日本経済がもちこたえているのは、全企業の99・7%をしめる中小企業が、愛国心や愛社精神をもった仕事のプロだからである。
 前大戦では、旧日本軍が、エリートを重要ポストにつけ、それが敗戦という最悪の結果を招いた。
 ハンモック・ナンバー(海軍)のトップと恩賜の軍刀、銀時計組(陸軍)がちやほやされた旧日本軍はおそるべき学歴社会で、連合艦隊参謀長の宇垣纏は海軍兵学校や海軍大学校の卒業順次がじぶんより下の者へ敬礼も返さなかったという。
 ミッドウェー海戦における最適任者は、マレー沖海戦で英国艦隊旗艦プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルスを撃沈した小沢治三郎と海軍のだれもがみとめていた。
 だが、司令官になったのは、機動部隊を創設した小沢ではなく、飛行機の素人だった南雲忠一だった。
 南雲は、決定的な作戦ミスをくり返して、勝てるはずのミッドウェー海戦を無惨な負け戦にして、それが、日本敗戦の引き金となった
 学歴主義(軍令承行令)によって、司令官が、小沢ではなく、南雲に回ってきただけの話だった。
 日露戦争では、元老院の西郷従道と海軍大臣の山本権兵衛が、連合艦隊司令長官に東郷平八郎を抜擢、東郷は、日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を全滅させた。
 日米開戦の永野修身と真珠湾攻撃の山本五十六、ミッドウェー海戦のあとも指揮をとりつづけた南雲忠一と参謀長の草鹿龍之介。ノモンハン事件の服部卓四郎と辻政信。重慶空爆とガダルカナル島の戦いなど島嶼作戦を指導した海軍の米内光政と井上成美。盧溝橋事件、インパール作戦など、二度、三度、失敗をくり返した河辺正一と牟田口廉也、みな、旧日本軍の超学歴エリートたちであった。
 情けないことに、大方の日本人は、旧帝国大がのさばる「日本学術会議」を改革しようという菅首相の真意が読めないのである。
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2020年10月26日

 反官僚の菅政権に期待するE

 ●安倍からひきついだ「戦後レジームからの脱却」
 日本学術会議の任命拒否問題で、野党やマスコミら、日本中の左翼が一斉に菅首相かみついたが、ネットを中心に、日本学術会議批判が沸騰して、これを第二の森友、加計問題にしようともくろんだ左翼陣営の思惑はもののみごとに外れた。
 防衛庁には協力しないが、中国科学技術協会とは手をむすぶという日本学術会議の売国奴ぶりが日本人の逆鱗にふれたわけだが、任命拒否が学問の自由を奪うという言いがかりには、多くの国民が呆れはてた。
 昭和天皇の肖像を燃やしてふみつける行為を表現の自由とする「あいちトリエンナーレ」騒動で、主催者の大村秀章愛知県知事にたいしてリコール運動がおきているように、ネット時代になって「表現の自由」「学問の自由」といえばなんでもとおった古き啓蒙主義はすがたを消しつつある。
 菅政権は、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」もひきついでいる。
 これは「YP体制」やGHQ占領下でつくられた戦後体制からの脱却だけを意味しない。
アメリカ民主主義≠わがものとして、戦後日本に君臨してきた左翼やマスコミ、上級国民(高学歴者・高級官僚)のやりたい放題にくさびをうちこもうというのである。
 日本学術会議の任命拒否は、そののろしで、菅首相は、はじめから同会議をつぶすハラだったである。
 戦後のGHQ革命によって、日本の国是が、歴史や文化、民族性にもとづく習慣や習俗、常識や社会通念、日本特有の道理や人情などから、アメリカ民主主義へきりかわった。
 そして、民主主義や自由平等、基本的人権、平和主義が、戦後日本の唯一のルールとなった。

 民主主義と、一概にいっても、イギリス(議会民主主義)とアメリカ(国家民主主義)、フランス(人権民主主義)、ロシア(人民民主主義)では、内容がそれぞれ異なる。
 1688年のイギリス名誉革命は、ホッブズの社会契約説にもとづいたもので、自然状態では「万人の戦争」がおきるため、強固な国家をつくりあげるとする考え方である。
 ところが、その百年後、詭弁家ルソーは「自然に還れ」とホッブズと反対の社会契約説を唱えた。自然状態こそが自由と平等、平和が約束された理想的状態というのである。
 こうして、古代ギリシャでうまれ、衆愚政治として捨てられた民主主義がゾンビのようによみがえってきて、フランス革命(1789年)の根本思想となった。
 その10年以上前にアメリカ革命(独立宣言/1776年)がおきている。
 アメリカ革命の思想的支柱は、革命権をそなえたロックの社会契約説である。
 マルクス主義も、一種の社会契約説なので、革命国家は、すべて、社会契約説と民主主義をとったことになる。
 一方、伝統国家は、国体(権威=文化)と政体(権力)の二元論である。
 歴史や天皇、文化など権威の体系が国体で、統治や外交、防衛などの権力の体系が政体である。
 社会契約説が、国体にあたるもので、いわば、国家の原理である。
 そして、伝統国家においても、民主主義が、政治手法として政体にとりいれられてきた。

 ところが、戦後日本では、左翼が、政治手法にすぎない民主主義を、国体と政体の両方にもちこんで、日本の政治をマヒ状態に陥れてきた。
 天皇を憲法上の存在とするのは、権威と権力の混同で、国体を危機に陥れる。
 万世一系の皇位継承に男女平等≠もちこむのは、天皇の否定につながる。
 伝統のうえになりたっている国体が、憲法と民主主義によって危うくされているのである。
 一方、政体は、国家や国民のために、国家権力を行使する機関だが、野党やマスコミら左翼は、民主主義を立てて、これを妨害してきた。
 野党やマスコミは、この数年、民主主義の根幹にかかわる重要な問題をはらむとして、森友、加計、桜を見る会の説明責任をもとめつづけ、政府になにも仕事をさせてこなかった。
 そして、政府をマヒ状態に追いこむのも野党の重要な仕事とうそぶいた。
 長年、政権をささえてきた菅首相は、左翼のそのいやらしさをいやといほど知っている。
 菅首相が「戦後レジームからの脱却」の標的においているのは、日本という国家をさんざん食い物にして、害ってきたマスコミと反日左翼であろう。
 日本学術会議の任命拒否は、その宣戦布告で、菅首相はやる気なのである。
 日本には、主権国家としてあるべき重大なものを3つ欠いている。
 国家主権と国家機密、そして、国家防衛である。
 いずれも、マスコミや野党、左翼が民主主義を立てて、反対・妨害してきた重大な政治案件である。
 次回以降、菅政権がとりくむべき政策を一つひとつ検証してゆく。
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2020年10月19日

 反官僚の菅政権に期待するD

 ●森友、加計、桜だけだったインテリ左翼
 わが国の足をひっぱり、わるくしてきたのは、野党とインテリ左翼である。
 なにしろ、かれらは、国家や国民のためにまったくはたらかないのである。
 森友と加計、桜見る会の説明責任≠もとめる以外、この数年間、なにもしてこなかったが、こんどは、日本学術会議の任命拒否問題で、当分、らくができると思いきや、ネットを中心に、日本学術会議批判が沸騰して、どうやら計算がトチ狂ったようである。
 防衛庁や国家防衛には協力しないが、軍事開発に血道をあげる「中国科学技術協会」とは協力覚書をむすぶという売国奴ぶりに、一般国民や日本の企業の99・7%をしめる中小企業の勤め人=非労働組合の人々が怒り心頭に発したのである。
 ちなみに一般国民は、インテリ左翼=上級国民から、差別的にネットウヨと呼ばれている人々である。
 左翼といっても、すべて、マルクス主義者というわけではない。
 大半が、民主主義と基本的人権、憲法9条を信仰する平和教の信者である。
 むろん、一般常識や社会通念、習慣や習俗、日本人としての道理や人情などの伝統的価値観をもちあわせていない。
 池袋暴走事故で、母子2人の死亡をふくめ11人を死傷させた旧通産省工業技術院元院長の飯塚幸三が初公判で無罪を主張したことにたいして杉村太蔵は「民主主義において裁判で被告がじぶんの正当性を主張するのは基本的人権の一丁目一番地です」「推定無罪という大原則はきちっと抑えておかなければならないポイント」と擁護論に走った。
 政権に悪態をつくしか能がない慶応大学名誉教授の金子勝教授が、日本学術会議の新会員候補6人の任命を菅首相が拒否した問題について「反民主主義の体質を露呈」と鬼の首でもとったように騒ぎ立てた。
 テレビ朝日の玉川徹は「北方領土や竹島を取り返すには戦争という手段しかないんじゃないですか』とのべた丸山穂高議員を批判して「戦争しないというのは日本の国是なんです。日本は戦争をしないと決めた国なんです。戦争しかないなどの発言をする人間には国会議員の資格はないと思います」と得意げにぶちあげたことがあったが、日本をまもっているのは、世界第6位の軍事力と日米安保条約である。
 自国を軍事防衛しないのが国是なら、国連憲章以下、国際法や慣例法違反となって、日本は、チベットやウイグル以下の四流、五流の国になってしまう。

 官僚や学者、マスコミ人らインテリ左翼が、変革をともなう発展に抵抗するのは、既得権が脅かされるからで、そのせいで、日本は「失われた30年(1990〜2020年)の前で沈没しかかっている。
 この30年で、世界経済は、IT革命によって、10倍になったが、日本の賃金上昇率は低く、日本の1人当たりGDPが世界26位にまで転落した。
 少子化高齢化のきまり文句のもとで、金持ちをまもる反インフレ、投資家や株主をまもる新自由主義をとって、一般庶民は、格差社会というゴミ箱に捨てられた。
 大企業の内部留保が450兆円をこえる一方、年収が200万円以下の勤労貧困層が拡大して、日本経済は規模縮小へむかっている。
 日本は特権国家になって、上級国民のインテリ左翼は森友だ加計だと叫んでいれば十分にメシが食えるが、中級、下級国民になるとそうはいかない。
 国家が舵をとって、日本をゆたかで、強固な国にしてくれなければ、大方の日本人は干上がってしまうのである。
 失われた30年をとり返すには、日本は、左翼特権主義を捨てて、ふつうの国になるほかない。
 それには、これまで、左翼や既得権者、親中・親韓派につぶされてきた政策を実行へ移さなければならない。
 ●経済=地方創成/サプライチェーン確立/エネルギー政策転換/富裕税の導入
 ●政治=スパイ防止法(米・英・加・豪・ニュージーランド5か国との機密情報保護条約/放送法強化とテレビ局電波料値上げ
 ●外交=日米豪印によるアジア版NATO設立/防衛力強化(敵基地攻撃能力の保有)
 これらの政策は、左翼が目の敵とするところだが、菅政権なら、突破できる可能性が十分にある。
 次回から、その政策の一つひとつの内容を検証していこう。
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2020年10月12日

 反官僚の菅政権に期待するC

 ●売国奴に堕ちた日本の学者たち
 菅義偉(よしひで)首相が、日本学術会議から推薦があった新会員の候補者6人を任命しなかった件で、マスコミから総攻撃をうけたが、これは、すでに織り込み済みだったとみえ、菅首相は、ビクともしなかった。
 一方、任命を拒否された松宮孝明・立命館大学教授は「日本学術会議に手を出すと内閣が倒れる危険がある。撤回するなど早く手を打った方がいい。政権のために申し上げておく」とインテリらしからぬ脅し文句を並べた。
 上から目線の、この傲慢な態度は、任命を拒否された6人の学者の共通点である。
 岡田正則・早大教授が「学術を理解していないかたのやり方」と学者の自尊心を丸出しにすると、加藤陽子・東大教授は、学問の自由を軽んじる菅内閣と特権意識をむきだしにした。
 朝日新聞が「学術会議の任命拒否、広がる抗議。90超の学会など声明」とノロシをあげると、経済学者で、親中・親韓政治家のチャンピオン静岡県知事の川勝平太が「首相の教養レベルが露見」「学問立国に泥」とぶちあげた。
 結局、かれらが言いたいのは、左翼にして、親中・親韓、高学歴のインテリ様に逆らうなという恫喝で、それ以上のなにものでもなかった。
 菅内閣は、安倍内閣の継承で、前内閣ができなかったことを次の内閣がひきつぐのは当然で、その一つに「戦後レジーム」からの脱却がある。
 GHQがつくった戦後支配体制の特徴は、わたしのみるところ、次の3つである。
 @左翼(ニューディーラー/社民主義)A官僚化(GHQ官僚)B学歴主義
 戦後日本が、学歴社会になったのは、左翼は、学歴以外の、歴史的価値や国家的な規範をみとめないからだが、日本の官僚体制も、東大法を頂点とする科挙制度の上になりたっている。
 高学歴のインテリ様に逆らうなという上級国民の傲慢さはここからでてくる。
 戦後レジームをつき破るパワーは次の3つである。
 @技術・工業力A日本の伝統的秩序B精神的な高さ(勤勉さ・和の心など)
 つまり、日本企業の99・7%を占める中小企業が健全なかぎり、日本は徳俵一枚で生き残れるのである。
 
 テレビのクイズ番組では、東大王、インテリ軍団と大騒ぎだが、日本のインテリは、過去の西洋の理屈には詳しいが、ろくにパソコンを扱えず、ねじ回し一つ使えない。
 東南アジアの大学・高校生は、日本が廃棄したパソコン3台から2台の新規パソコンを組み立てる能力をもち、多くがプログラミングの勉強をしている。
 日本のインテリは、クイズが得意だが、クイズは、永遠に出題者をこえることができず、創造性は、ゼロである。
 足利の歴代将軍の名を諳んじて、それがいったい、なんの役に立つのか。
 5GやIT(通信技術)、AI(人工頭脳)、ロボットは創造で、米中が国家事業とするスーパーコンピュータの分野で、民間企業である富士通が世界一の座を奪回したが、大学・学術学会は、なんの役にも立っていない。
 それどころか、日本学術会議は、船舶への水の抵抗を減らす研究(北大/流体力学)を「軍事研究」ときめつけて、幹部が北大総長室に押しかけて、研究を止めさせている(北海道大学の奈良林直名誉教授の告発)。
 この研究は、船舶燃費が10%低減されるという画期的なもので、世界から注目されていたが、その技術が、自衛隊艦艇に流用される可能性があるというので、日本学術会議が、半ば、暴力的に学問の自由を奪い、むざむざ、貴重な研究をふみにじったのである。

 マスコミの菅叩きにたいして、経済学者の高橋洋一は「学術会議はまともな研究をするのが前提のはず。中国の『千人計画』に賛成して防衛省の研究には協力しないという理屈はまかりとおらない」と切って捨てた。
 これにネットが反応して、よくいってくれたと賞賛の声があいついだ。
「よくぞ中国の『千人計画』の件に言及してくださった。日本学術会議がいかに、親中・反日組織か、多くの国民がそのことに気付くことを祈ります」
「千人計画」は、中国共産党中央統一戦線工作部の影響下にある孔子学院と並ぶ国家プロジェクトで、孔子学院が、中国語や中国文化の教育と宣伝(プロパガンダ)機関なら、千人計画は、海外から科学技術の優秀な人材を集めて、中国のために働かせようという国家的システムである。
 なにしろ、中国の研究開発費は、45兆円(2016年)とアメリカ(51兆円)に次ぐ第2位で、日本(18兆円)をはるかにしのぐ。
 2016年10月、中国の北京航空航天大に新設された「ビッグバン宇宙論元素起源国際研究センター」の調印式で、初代所長に就任した梶野敏貴・日本国立天文台特任教授が「ここを先端科学の極東の基軸にしたい」とのべて中国人出席者の喝采を浴びた。
 梶野は「千人計画」の参加者で「天体核物理学」の研究で米国物理学会から顕彰(「フェロー」授与)をうけている。
 中国では、量子通信衛星「墨子」による量子通信を成功させた潘建偉・中国科学技術大学教授が、中国でもっともノーベル賞に近い研究者といわれているが、梶野ら、日本の研究者が桁ちがい≠フ年俸と研究費に釣られて、続々と中国へ拠点を移して、中国人の初のノーベル賞受賞へ援護射撃している。
 対象となる研究分野は、ITやAI、5G、ロボットから宇宙物理学、量子コンピュータ、細胞生物学、遺伝子学、化学から医学にまでおよぶが、これらは、ミサイルから生物兵器をふくむ軍事転用が可能で、げんに、中国は、先端技術を軍事技術とみなしている。
 日本の文系学者は、親中・親韓、反日に走る一方、理系学者は、日本の国家的研究には協力せず、中国の軍事開発には、全力投球している。
 それを、川勝は「学問立国」というが、わたしからいわせれば「狂った学問」である。
 戦後レジームの修正は、このあたりから手をつけていかなければならないのであろう。

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2020年10月03日

 反官僚の菅政権に期待するB

 ●オカルト化している日本学術会議
 本ブログで、なんども、日本の学会とりわけ国立大学の特殊性にふれてきた。
 GHQの「公職追放令」によって、多くの学者が、国立大学から追放された。
 その後釜に入りこんだのが、逆に、そのGHQから優遇されたマルクス主義者だった。
 かくして、日本の国立大学は、ほとんどがマルクス学者という世界に珍なる光景となったが、これには、さらに続編がある。
 日本の学会は、世襲制で、前任者が後任者をきめる仕組みになっている。
 この仕組みによって、世界で、マルクス主義がとっくに滅びてしまったにもかかわらず、日本の学会のみが、逆に、マルクス学者がふえつづけているのである。
 マルクス主義者は、過去を否定するので、歴史からなにも学ばない。
 ひたすら、マルクス文献を奉るだけだが、マルクスの思想は、ルソー主義にユダヤの教え(タルムード)をくっつけた代物でしかない。
 したがって、マルクス学者の知恵は、底の浅いこと、この上ない。
 しかも、唯物論と革命主義の合体は、イスラム過激派と同様、危険きわまりない。
 唯物論というのは、神の否定で、革命主義は、過去の破壊と殺戮である。
 人間が神になって、歴史を断罪するとあって、一種の宗教戦争でもある。
 かれらは、無神論を唱えつつ、人間を神の座に据えて、聖なることばを唱えつづける。
 これが、日本の学会を支配しているマルクス教で、聖なることばというのは「平和」「自由」「戦争反対」「憲法9条」である。
 学者なら、論理があってよさそうなものだが、かれらは、念仏のようにこの4つのことばを唱えるだけである。
 日本の学会は、すでに、カルト教へ転落しているのである。

 菅首相が、推薦された学者の6人を、日本学術会議の会員に任命しなかったことがマスコミ批判を浴びているが、この6人は札付きの反日主義というより「マルクス教」の信者である。
 こんな者たちが学者の国会≠ニいわれる日本学術会議を牛耳るようなことになれば、日本は、滅びるしかない。
 これまで、日本学術会議は、軍事研究に協力しないという声明を出してきた(昭和25、42年、平成29年)が、NASA(アメリカ航空宇宙局)を例に挙げるまでもなく、軍事と科学は表裏の関係にあって、IT(通信技術)やAI(人工頭脳)、ロボットから5Gまで、基礎研究の部分で軍事技術の恩恵にあずかっている。
 軍事技術を否定すれば、文明から離脱しなければならなくなる。
 世界のだれもが、平和や自由をもとめ、戦争をきらい、おそれている。
 だからこそ、現実政治をとおして、戦争や不自由、貧困や飢えのない状態をもとめるのである。
 だが、マルクス教の信者らは、じぶんたちだけが平和の使徒で、他の者らは戦争にとりつかれた悪魔の手下と考える。
 もっともかれらの平和は、観念の平和で、もとめているのは、宗教的な法悦で、平和を願っているじぶんは正しいという自己満足が欲しいだけである。
 したがって、平和をもとめる現実政治には、ひたすら、憎悪をむける。
 日本学術会議の任命を拒否された芦名定道(京大教授/宗教学)らが立てた声明文には千人以上の知識人らが名をつらねている。
 
 声明文/「自由と平和のための京大有志の会」
 戦争は、防衛を名目に始まる。兵器産業に富をもたらす。すぐに制御が効かなくなる。始めるよりも終えるほうが難しい。兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。
 精神は、操作の対象物ではない。生命は、誰かの持ち駒ではない。
 海は、基地に押しつぶされてはならない。空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
 血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
 学問は、戦争の武器ではない。商売の道具ではない。権力の下僕ではない。
 生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。


 マルクス教の信者は、声明文の美辞麗句に酔って、雄叫びを上げる。
 戦争が大好きで、人民の命を虫けらのようにあつかう自民党を倒そう!
 こんな連中に学者の国会≠まかせてはならない。
 菅首相には、学者バカの日本平和狂、マルクス教にさらなる鉄槌を下してもらいたい。
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2020年09月28日

 反官僚の菅政権に期待するA

 ●デジタル化の障害になっていたハンコ行政
 日本の政治がわかりにくいのは、政策と政権のちがいがはっきりしないからである。
 中村喜四郎とむすんだ立憲民主党の小沢一郎が「1年以内に政権を取る」と怪気炎をあげると、同党新代表の枝野幸男も、日本共産党や社民党との連携を視野に入れた政権奪取に意欲をしめした。
 ところが、国民民主党と合流した新立憲民主党の支持率は、逆にダウンしてわずか4%(読売新聞)というていたらくである。
 小沢や枝野がやろうとしているのは、政権争奪で、国家や国民のための政策政治ではないと見抜かれていたのである。
 マスコミが小沢・中村のタイアップをもちあげるのは、反自民を旗印にするマスコミ労連(MIC)が背後にいるからで、MICに忖度したテレビ芸人や評論家が、自民党を罵って、さかんに、野党連合へ声援を送る。
 MICがめざすのは、左翼政権の樹立で、それには、自民党を倒さなければならない。
 これは、日本や日本人のための政策政治ではなく、ただの政権抗争である。
 森友学園や加計学園、桜を見る会の国会議論も、倒閣運動で、国家や国民のためのものではなかった。
 自民党を倒せという権力運動と、日本の国益や安全、発展や繁栄をもとめる政策政治は、まったくの別物である。
 ところが、野党やマスコミ、多くの国民は、この区別がつかない。
 政治は二元論で、国家と人間、政治と選挙、政策と権力、理想と現実などが互いに背をむけあっている。
 そのなかに、具体性と抽象性という対立軸がある。
 具体性というのは、国益や領土、防衛や条約など実体をともなう政策である。
 抽象性というのは、平和や民主主義、自由や平等、人権などの観念論である。
 日本人は、観念論がすきで、野党や護憲派、左翼・反日派らが唱えるきれいごとのスローガンに踊ってきた。

 ところが、菅政権の登場によって、すこしばかり、風向きが変わってきた。
 政治が理想論や空想、抽象論ではなく、具体的な現実論であることに国民が気づきはじめたのである。
 菅首相が憲法改正をいわないのは賢明で、解釈改憲で、日本は世界第6位の軍事力をもって、アメリカと同盟をむすび、中・ロ・韓と対抗している。
 これを下手にいじって、9条に3項(「自衛隊の明文化」)をくわえるような失策を犯して、自衛隊違憲の論議を呼んでは、元も子もない。
 河野太郎行革大臣は、女系天皇をみとめる発言をしているが、国体は政治や憲法の問題ではなく、歴史や文化、国体の問題であって、伝統は、粛々と継承するほかないものである。
 余計なことはいわず、菅政権の下で、ゲバラのような革命家として、豪腕をふるい、一仕事を終えて、退場してもらいたい。
 菅政権の使命は官僚政治の打破で、これができるのは、河野以外にいない。
 河野は、デジタル化にむけて、全府省庁にたいして、ハンコやファックスを使用しないよう要請したが、お役人国家日本は、これまで、こんなことにすら手をつけることができなかったのである。

 世界経済は、この30年で、10倍以上のスケールとなった。
 その原動力がIT(情報技術)だが、日本は、アメリカからはじまったデジタル革命に乗り遅れて、世界比で、唯一、経済規模を縮小させるという深刻な事態に陥っている。
 かつて、日本の半導体は、世界シェアの半数を占め、世界のトップ企業10社のうち6社を占めていたが、現在は、後発の台湾TSMCや韓国メーカーの足元にもおよばない。
 日本の官僚が、モバイル端末向け半導体などの新たなトレンド分野に関心がなく、自治労とともに省庁へのパソコン導入に抵抗するなど、お話にならないほど後進的だったからである。
 その結果、日本のデジタル産業は、一挙に、原始時代へ逆戻りしてしまった。
 逆にいえば、日本は、立遅れたデジタル部門で失地回復すれば、経済成長が望めるという理屈になる。
 官僚のシバリを打ち破って、TSMCの国内誘致をふくめて、政治的支援をおこなえば、日本の半導体産業は、かならず、復活するのである。
 官僚が、新しい時代に不適応、もしくは、抵抗するのは、既得権が侵されるからである。
 その既得権をまもるのが、ハンコ文化で、その典型が「稟議制」である。
 稟議制は、一人でも反対者がいれば、提案が廃棄される仕組みで、たとえばデジタルに無知な上司が一人いれば、それだけで、デジタル化は不可能になる。
 ハンコ文化には、稟議制のほか、年功序列や権限の万能化、秘密主義 前例主義、保身主義、省益主義、縦割り主義、事なかれ主義、学歴主義、新規性や部外者の排除、決定の遅滞など、多くのデメリットがあって、河野のハンコの廃止が日本の行政におよぼすであろう功績ははかり知れない。
 次回は、菅内閣の規制緩和と地方創成、サプライチェーンの構築とジャパンファーストが、日本の経済におよぼす好影響についてのべよう。
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2020年09月23日

 反官僚の菅政権に期待する@

 ●常識と現実主義に立ったしたたかさ
 長期政権の記録をつくった安倍晋三前首相が、病気で引退した後をうけて、菅義偉(すがよしひで)前官房長官が内閣総理大臣(第99代)に就任した。
 自民党総裁選挙で、岸田文雄政務調査会長と石破茂元幹事長を大差で破ってのことで、世論調査の支持率も74%(日経新聞)と史上3番目の高さだった。
 菅内閣が、国民から高い支持をえた理由は、政治がわかりよいからである。
 菅首相は、就任後の初会見で、役所の縦割りや既得権益、悪しき前例主義の打破を表明したが、これこそ、国民が望んできたことで、しかも、官僚国家の弊害が深刻な日本にとって、現在、直面している最大の政治課題といえる。
一内閣一仕事≠フ観点からいえば、各省庁の政策一元化や、規制改革だけで十分な成果だが、そのほか、菅首相は、デジタル庁新設や「地方創生」などの新機軸を掲げている。
 これらが、すべて、コロナ対策と関連しているのはいうまでもない。
 マイナンバーを利用した給付金の支給が混乱したのは、官庁のデジタル化がすすんでいなかったからである。
 平成19年、社会保険庁と自治労が、パソコンの使用が労働強化にあたるとして、年金名簿入力をアルバイトにまかせっきりにして、5000万件の年金記録を消失させ、この失政で、自民党は、政権からすべり落ちている。
 だが、その後も、官庁のデジタル化はすすまず、コロナ対策では、厚労省や保健所が、ファックスで、情報をやりとりして、世界の笑いものになった。

 デジタル庁は、住民票から納税、健康保険などを、省庁横断的に一本化するマイナンバー(カード)の所轄部門である。
 担当大臣となる平井卓也は、スマートフォン向けゲーム(「あべぴょん」)を開発したデジタルやITの専門家である。
 これを期に、現在、世界の最下位にあるデジタルやITの競争力を増強してもらいたいものである。
 地方創生には「大阪都構想」から首都機能の地方分散、地方の雇用増大まで多々あるが、注目されたのが、コロナ対策である。
 大阪府の吉村洋文知事や東京都の小池百合子知事、北海道の鈴木直道知事らが、地方行政で、国政をこえた強力な指導力を発揮してきたのは、多くの国民の知るところである。
 住民投票で「大阪都構想」が可決されれば、ふるさと納税の主唱者で、松井一郎大阪市長と親しい菅首相が応援するはずである。
 菅政権から、地方の時代がはじまる可能性が高いのである。

 菅政権の目玉に、首相の指示の下で「行政改革目安箱(縦割り110番)」を設置した行政改革・規制改革相の河野太郎と、中国の神経を逆撫でする親台湾派で、安倍前首相の実弟にあたる防衛相の岸信夫らがあげられる。
 とりわけ、外務大臣や防衛大臣、国家公安委員会委員長をつとめてきた河野太郎は、これまで、歯に衣着せない物言いで、なんどか、物議をかもしてきた。
 豪腕で鳴る河野大臣が、硬直した日本の官僚体制にかける強引なゆさぶりに大いに期待したい。
 さて、河野太郎ら大臣については、次回、ふれるとして、菅首相の言動に目をむけてみよう。
 菅首相は、常識派で、抽象的な議論を好まない反面、ストレートな物言いでこれまで論敵をつぎつぎ片付けてきた。
 加計学園問題で、安倍前首相に噛みついた前川喜平前事務次官の内部文書を怪文書≠ニした菅官房長官(当時)は前川をこう切って捨てた。
「前川氏は、女性の貧困問題の調査のために、いわゆる出会い系バーに出入りして、女性に小遣いを渡している。これにはつよい違和感を覚える。杉田和博官房副長官からも厳しく注意をうけている」
 以後、東大出の前川をスター扱いしていたマスコミはぴたりと沈黙した。
 前川喜平をもちあげるなど、権力とたたかうと称して、記者会見で、愚問を連発させてきた左翼記者(東京新聞/望月衣塑子)にたいしても、菅官房長官(当時)は「あなたに答える必要はありません」と一蹴している。
 日本の政治は、政策と政権、空想と現実、保守と革新が入り混じって、国民にわかりにくいものになっていた。
 菅政権が、一定の支持率の下で、政策と現実、保守を一本の糸につなげると、日本の政治はかならず変わるのである。
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