2020年07月08日

官僚国家ニッポンの悲劇D

 ●社会保険事務局が工作した静和病院冤罪事件
 2010年3月10日、静岡地方裁判所は、静和病院の吉田晃元院長と水谷信子元事務長に、健康保険法違反と詐欺罪の有罪判決を下した。
 それぞれ、懲役6年6月、5年6月という殺人罪並みの重刑だった。
 だが、この判決で、健康保険法(「15対1入院基本料の施設基準」)違反の具体的事実や違反した数値、証拠や根拠が明らかにされることはなかった。
 それどころか、このとき、静岡地裁は、静和病院一般病棟(55床)の適正看護師数を19人と誤った上で、有罪を宣するという、司法史上、前例のない醜態を演じた。
 適正看護師数は、静岡社会保険事務所が静岡県警に陳述したとおり、9人である。
 なぜ、静岡地裁と静岡地検は、適正看護師数を19人とする致命的なミスを犯したのか。
 平成18年4月以降、新法(15対1入院基本料の施設基準)を適用させるべきところを、旧法(3対1)を適用させたからである。
「3対1基準(旧法)」と「15対1基準(新法)」では、数値が異なる。

 ●新法「15対1入院基本料の施設基準」の適正看護師数=9人
   計算/55床÷15×3(8時間3交代)=10・999…(11人時間)
   ※夜勤2人は16時間勤務のため実質9人
 ●旧法「3対1基準」の適正看護師数=19人
   計算/55床÷3=18・333…(19人)


 本来なら、法令誤認の事実が判明した時点で、原判決破棄の差し戻しとならねばならない。
 だが、司法は、みずからの誤りをみとめようとせず、再審請求は却下された。

 静和病院事件の共犯者で、元院長と元事務長を主犯と告発、執行猶予処分をうけた木口崇は、公判で、静和病院一般病棟55床の必要看護師数を19人と証言している(木口レポート)。
 検察や裁判所が、必要看護師数を19人と誤認したのは、木口証言を真実としたからである。
 木口の第三回公判調書(平成20年〈わ〉第533号)にこうある。
 松枝検察官「15対1の基準というのは、平成18年4月の改正までの基準だと、3対1に相当するわけですよね」 
 木口「はい」
 吉田・水谷裁判の判決文でも「従来の3対1基準に相当する『15対1入院基本料の施設基準』」という文言が幾度となくくり返されている。
 木口は、強制捜査直前、静和病院を退職して、西伊豆病院に転職している。
 西伊豆病院は、吉田晃が、補助金の不正受給があったとして、国会で問題にさせた熱川温泉病院と同系列(社団健育会)の病院である。
 木口が、なぜ、吉田院長と敵対関係にあった健育会系の西伊豆病院へ移ったのか。
 西伊豆病院が木口をとりこみ、静岡県警に協力させて、静和病院院長の吉田晃を陥れたとみるのが自然だろう。

 看護師不足は、行政指導の範疇にあって、ほとんどの行政が放置していた。
 看護師が不足している病院は、山ほどあって、行政指導が追いつかないのである。
 ところが、静和病院事件では、静岡社会保険事務局と県医務室が静岡県警の強制捜査にくわわった。
 理由は、生活法で刑罰のない健康保険法違反を根拠に、強制捜査をおこなうことはできなかったからである。
 強制捜査には、刑法上の犯罪である詐欺容疑が立っていなければならない。
 詐欺罪の前提となるのが健康保険法違反だった。
 健康保険法違反にもとづいて診療報酬の不正受給がおこなわれ、なおかつ、同不正受給が、欺罔(だまし)や計画性にもとづくと判定されて、はじめて、詐欺容疑が成り立つ。
 静岡県警が、強制捜査前に、詐欺容疑を立てることができたのは、静岡社会保険事務局が静和病院の健康保険法違反を認定、告発したからだったのである。
 静岡県警は、看護師数が足りないとする健康保険法違反と、診療報酬の不正受給、詐欺容疑を三重につなぎあわせて、静和病院の吉田院長と水谷事務長を送検、静岡地検は、健康保険法違反を誤認したまま起訴、静岡地裁は、必要な看護師9人を19人と錯誤して、院長と事務長に殺人犯並みの重刑を科したのである。

 でためな判決がまかりとおった理由は、強制捜査に、静岡社会保険事務所がくわわったからだった。
 旧社会保険事務所は、厚生労働省の外局だった旧社会保険庁の傘下にあって、保険料の徴収や保険給付、保険給付裁定、被保険者資格得喪の認定など、国や厚生労働省の健康保険事業を代行する専門機関として、もっとも権威をもっていた。
 社会保険事業の権威である静岡社会保険事務局が、強制捜査にくわわったことによって、健康保険法違反が既成事実とされた。
 静和病院の健康保険法違反は、静岡県警と静岡社会保険事務局の談合だったのである。

 静和病院が強制捜査をうけたのが、平成20年4月である。
 社会保険庁が廃止されたのは平成21年で、同庁の業務は、翌22年、特殊法人「日本年金機構」にひきつがれている。
 年金記録問題などの不祥事や、社会保険庁のオンライン化(平成19年)にともなうコンピュータ入力のミスや不備が多いことなどずさんな管理が国会やマスコミで批判されて、自民党政権が倒れる騒ぎにまで発展した。
 社会保険庁のオンライン化計画にたいして、社会保険職員労働組合が「独占資本のための合理化である」として反対したばかりか、労働強化反対と称して集団サボタージュを正当化させる覚書を取り交わしていたことまでが明らかになった。
 社会保険庁(社会保険事務所)が、当時、健康保険法の正しい適用法を管轄しえただろうか。
 社会保険事務所は、静岡県警の事情聴取にたいして「15対1入院基本料の施設基準」の看護師数が9人であると陳述している。
 ところが、静岡社会保険庁も静岡県警も、検察や司法の法令誤認を見て見ぬふりをして、世紀の大誤審を誘導した。
 静和病院冤罪の原因は、健康保険法を私物化して、静和病院を潰し、無実の吉田元院長と水谷元事務長に殺人罪並みの重刑を誘導した厚生省・旧社会保険庁にあったのである。
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2020年07月05日

官僚国家ニッポンの悲劇C

 ●社会保険事務局の犯罪/静和病院冤罪事件A
 伊豆半島で最大級の病床数(307床)を有していた静和病院(熱川市)は6階建て2棟の大病院で、当時、多額納税の病院として知られていた。
 施設や設備も充実していて、日経新聞(2004年3月8日)に発表された「経営充実度」病院ランキングで、静和病院は、聖路加国際病院ら名門と肩を並べて、全国8位(関東3位)という高い評価をえている。
 その静和病院の院長と事務長に、それぞれ、6年6月と5年6月の懲役刑が科せられた。
 看護師数を規定する健康保険法の違反から診療報酬の不正受給と詐欺罪を推認されたのである。
 看護師が足りないというどこの病院もかかえている問題から、なぜ、そんな重刑がとびだしてきたのか。
 今回は、そのミステリーを解いてみよう。
 ところで、実際に看護師は足りなかったのか。
 源泉徴収簿兼賃金台帳によれば、静和病院では、1日平均60人の看護師が勤務についていた。
 若い看護師助手も約50人以上在籍していた。
 源泉徴収簿兼賃金台帳によると、当時、静和病院には、約82人の看護師が登録されていた。
 看護師の出勤日数は、平均22日なので、1日当たり出勤者数は55人強となる。
 源泉徴収簿兼賃金台帳には、健康保険料、厚生年金、所得税、住民税などの控除額が記載されている。
 給与のほか、勤務日数を記録した給与元帳もついている。
 源泉徴収簿兼賃金台帳をみるかぎり、静和病院に看護師数の不足はみとめられない。
 たとえ、看護師が、多少、少なくても、それが刑事事件に発展したケースは日本の医学史上、前例がない。
 しかも、科せられたのは、殺人罪並みの重刑である。
 背景にあったのが、県や医療行政との摩擦であった。
 医療費の不正受給については、通常、社会保険事務所と医療機関のあいだで手続きがおこなわれ、返済や課徴金などで行政処理される。
 げんに20億円に上る診療報酬を不正受給していた静岡県の熱海温泉病院や50億円をこえる不正受給が発覚した愛知県の医療法人「豊岡会グループ」ですら、責任者の逮捕、起訴にはいたっていない。
 院長と事務長に重刑が科されたこの静和病院事件で、不正受給したとされる診療報酬金額は8700万円である。
 豊岡会グループ50億円の57分の1である。
 にもかかわらず、院長と事務長に重刑が科された。
  静岡県にとって、静和病院は、もともと、厄介な存在だった。
 静岡県は、静和病院の療養病棟252床を老人ホームにきりかえるようもとめた。
 入院患者のほぼ全員が県外からの移入者であるにもかかわらず、静和病院が保有する307床によって、静岡県が、病床数の制限(基準病床数制度/厚生労働省)をうけるからだった。
 吉田晃はこれを拒絶した。
 静和病院に、静岡県警と静岡社会保険事務所、県の医療課による合同捜査が入ったのは、その数か月後である。

 平成13年、吉田晃は、元県知事の秘書を介して、民主党の木下厚に、熱川温泉病院の補助金問題を国会(第153回衆議院厚生労働委員会)で取り上げさせた。
 そして、熱川温泉病院から補助金6億円を返還させた。
 このとき、木下代議士はこんな質問をおこなっている。
「もう一つ。この熱川温泉病院を経営している健育会は、全国に九つの病院やクリニック、特別養護老人ホームをもっています。このグループにはさまざまなうわさがあります。先代の理事長は茨城県出身です。そこから、茨城県出身の厚生族の大物国会議員がバックにいるということで、かつて、何回も問題になったことがあります。今回の案件について、政治力がはたらいたのではないかという指摘がありますが、その辺はどうですか」
 茨城県出身の大物国会議員というのが、熱川温泉病院と顧問関係をむすんでいた厚労族のドン丹羽雄哉(第75・83・84代厚生大臣)である。
 補助金を取り上げられた熱川温泉病院の遺恨は深かった。
 それ以上に腹を立てたのは丹羽雄哉だった。
 顔をつぶされた上、国会で難癖までつけられたのだ。
 さらに吉田晃は、静岡空港(平成21年開設)の反対運動を支援して、計画をすすめていた石川嘉延知事を激怒させている。
 石川知事は、熱川温泉病院の民事訴訟で、保健衛生部医務課長とともに被告席に座らされてもいる。
「静和病院をつぶしてやる」
 元静岡県山本敬三郎知事の秘書で、熱川温泉病院の補助金問題で国会質問をしかけた吉田院長のパートナー、飯田忠雄は、石川知事の呪詛のことばを耳にしている。
 決定的だったのは、静岡県とやりあって、税金(所得税)の納付先を大阪にきりかえたことだった。
 県に逆らい、県の利益になんら貢献しない静和病院など、静岡県から消えてくれたほうがよかった。
 静岡県にとって、静和病院は、怨恨の対象でしかなかったのである。
 ちなみに、飯田元秘書は、その後、自殺をとげている。
 静和病院が強制捜査をうけたのが、平成20年4月である。
 社会保険庁が、連発する不祥事のため、廃止されたのは平成21年で、同庁の業務は、翌年、特殊法人「日本年金機構」にひきつがれている。
 社会保険庁(社会保険事務所)が、はたして、健康保険法の正しい適用法を指導しえただろうか。
 次回は、社会保険庁に静和病院の健康保険法違反を告発する資格があったか否かを問おう。

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2020年07月01日

官僚国家ニッポンの悲劇B

 ●社会保険事務局の犯罪/静和病院冤罪事件
 伊豆半島で最大級の規模と設備を誇った静和病院(307床)が静岡県警や県医療室、社会保険事務局による強制捜査(100人規模)をうけたのは平成20年(2008年)4月23日のことである。
 数台のトラックがのりつけて、カルテなどの医療や医務、保険関係の資料を根こそぎ押収して、その後の診療や医療業務に支障をきたしたほどだった。
 容疑は、2年前の平成18年4月に改正された健康保険法の違反と同違反にもとづく詐欺罪だった。
 改正された健康保険法(「15対1入院基本料の施設基準」)は、看護師数の規定で、静和病院一般病棟(55床)では、看護師の員数がこの基準に足りていなかったというのである。
 そして、新健康保険法違反にもとづく診療報酬の不正受給が計画的だったとして、詐欺容疑が適用された。
 源泉徴収簿兼賃金台帳によると、当時、静和病院には、約82人の看護師が登録されていた。
 看護師の出勤日数は、平均22日なので、1日当たり出勤者数は60人強ということになる。
 源泉徴収簿兼賃金台帳には、健康保険料、厚生年金、所得税、住民税などの納付額や控除額が記載されている。
 給与明細のほか、勤務日数などの基礎データも記録されている。
 看護師の勤務実態を知るにあたって、源泉徴収簿兼賃金台帳以上に信憑性がある資料はない。
 源泉徴収簿兼賃金台帳をみるかぎり、静和病院において、全病棟にわたって看護師の不足はまったくみとめられない。
 ところが、吉田晃院長と水谷信子事務長に、有罪判決が判決が下された。
 罪状は、看護師が足りなかったとする健康保険法違反、および、同法違反にもとづく詐欺罪である。
 しかも、殺人罪並みの重刑で、吉田晃は懲役6年6月、水谷信子は懲役5月6月で、静和病院は、その後、廃院となって、巨大な廃墟が野ざらしになっている。
 看護師数が足りなかったかもしれないという、どこの病院でもかかえている容疑でこの仕打ちである。
 ちなみに、再審請求(榎本哲也弁護士)においては、看護師数が足りていたことが完全に証明されている。
 驚くべきことだが、本裁判では、看護師の勤務実態を示す唯一の公的資料というべき源泉徴収簿兼賃金台帳が証拠提出されていない。
 源泉徴収簿兼賃金台帳を証拠提出すれば、静和病院に健康保険法違反がなかったと一発でバレてしまうからである。
 有罪にするには、社会保険事務局から、健康保険法違反を宣告してものらうほかない。
 かかる経緯から、静岡県警の強制捜査に、社会保険事務局がくわわることになった。
 健康保険法違反があったか否かを判断できるのは、社会保険庁の地方機関である社会保険事務所だけである。
 健康保険法は、社会保険事務所の専管事項で、違反の判断から処分方法まで国から一任されているからである。
 健康保険法は、解釈や適用、手続きなどが複雑で、社会保険庁の判断に拠るしかない。
 強制捜査に社会保険事務所がくわわったのは、静和病院の健康保険法違反を既成事実とするためで、静岡社会保険事務所は、こうして、静岡県警の下請けとなった。
 なぜ、静岡県警が静和病院つぶしにまわったか、その事情や背景については、次回、詳説しよう。
 
 健康保険法のような社会法を根拠に、強制捜査をかけることはできない。
 警察が強制捜査をかけるには、詐欺罪のような刑法にもとづかなければならない。
 事実、静岡県警は、強制捜査に際して、詐欺容疑を立てている。
 詐欺罪を成立させるのは、健康保険法違反が確定していなければならない。
 健康保険法違反にもとづく診療報酬の不正受給が計画的だったことが明らかになって、はじめて、詐欺容疑が立つ。
 静岡社会保険事務所は、静岡県警に、静和病院が健康保険法に違反していることを担保するために強制捜査にくわわったのである。

 強制捜査の2か月前、静岡社会保険事務局は、静和病院の看護師数が足りている旨、静岡県警に報告している。
 静岡社会保険事務局が、平成20年2月26日、静岡県警の「捜査関係事項照会書(下田警察署長小林達視)」にたいして、回答した文書に、つぎのような数値が記載されている。

 看護要員の数:看護師35人、准看護師40人、看護補助者78人

 静和病院の看護師数が足りていると知っていた静岡社会保険事務局は、いかなる根拠、経緯から、強制捜査にくわわったのであろうか。
 ちなみに、平成20年2月26日以降、強制捜査に入った4月23日までの2か月間に、静岡社会保険事務局が静和病院に査察に入った形跡はない。
 それでは、静岡社会保険事務局は、いかなる根拠をもって、静和病院の健康保険法違反を判断したのであろうか。
 わたしは、令和2年2月10日、静和病院元院長吉田晃と同院元事務長水谷信子と連名のもと、加藤勝信厚生労働大臣へ質問状を送付した。
 内容は以下である。

 1、静岡社会保険事務局は、静和病院にたいする静岡県警の強制捜査(平成20年4月23日)にくわわったか否か
 2、静岡社会保険事務局は、捜査関係事項照会書に、静和病院の看護師数を75人と回答した平成20年2月26日以降、静岡県警の強制捜査(平成20年4月23日)までの間に、静和病院へ立ち入り検査をおこなったか否か
 3、強制捜査の段階(平成20年4月23日)で、静和病院(一般病棟55床)に健康保険法違反があると判断した根拠はなにか

 
 イエスかノーか、あるいは、箇条書きですむ回答だが、返事はまだない。
 次回は、静和病院がらみで、政と官が癒着して、日本の政治を歪めていったか、その経緯をもういちどながめてみよう。
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2020年06月22日

官僚国家ニッポンの悲劇A

 ●官僚+官公労がつくった働かない公務員
 藤原弘達が『官僚の構造』のなかで、松本清張の『現代官僚論』を引用している。
 そこにこうある。上級公務員は「仕事については事大主義、消極、保守、非能率」「自己と周囲の関係としては、保身、出世、縄張り争い、派閥と階級性」「外部の下の者、つまり国民にたいしては、不親切、蔑視、支配観念」「自己より上の方には、無抵抗、従順、迎合、卑下、阿諛(へつらい)」といった性格をもっている。
 その他、官僚主義には、一般的に次のような批判がある。
「規則万能(規則にないからできない)主義」「責任回避や自己保身(事なかれ)主義」「秘密主義(情報の独占と隠蔽)「前例主義(前例にないからできない)」「画一的傾向(新しいことはやらない)」「権力主義・権威主義(権威や権力への接近/天皇の官僚からGHQの官僚への転進)」「文書主義(不必要な文書やデータを作成、保管することを業務と心得る)」「セクショナリズム(タテ割り行政や専門外管轄外の業務の回避)」などなど。
 もともと、官僚は、生産性がなく、ひたすら、税金を食うだけである。
 資本の論理や市場原理からも切り離されて、共同体意識ももっていない。
 ということは、モラルや常識、人間性を欠いているということで、かれらの社会的な地位をささえているのは、唯一、学歴だけである。
 どんなに下劣な人間でも、東大法卒で、国家公務員総合職(旧一種)試験に合格すれば天下のエリートで、順風満帆の人生が約束される。

 日本は、大昔から律令国家・太政大臣の国で、官僚は、天皇の手足のような存在であった。
 天皇という絶対権力のもとに権力行為を代行する官僚群がいて、両者の力がかみあって、はじめて、国家がなりたつのである。
 ちなみに、聖徳太子の17条憲法は、天皇に仕える官僚の心構えをのべたものである。
 官僚の究極は「宦官」で、天皇にお仕えするにあたって、去勢までする。
 官僚は、奉仕する相手がいて、存在価値が生じるが、仕える御主人がいない場合、壮大な根無し草になる。
 戦後、霞ヶ関は、天皇の官僚から、もののみごとに、GHQの官僚へと豹変した。
 GHQが驚いたのは、官僚の優秀さ以上に、昨日まで憎き敵だったGHQに献身的に尽くす官僚の変わり身のはやさだった。
 御主人が天皇であれ、軍部であれ、GHQであれ、官僚は、下僕であるかぎりにおいて、もちまえの能力をいかんなく発揮する。
 官僚が仕えるのは、天皇や軍部、GHQのような絶対権力で、寄り添う権力が大きいほど、えられる権限や権益も大きくなる。
 官僚に異変がおきたのは、サンフランシスコ講和条約がむすばれてGHQが日本から去ったあとである。
 官僚は、GHQという御主人様を失って、宙ぶらりんの状態になった。
 官僚が仕えるべき新しいご主人は、国民でも自民党政権でもなかった。
 エリート官僚に公僕精神などという殊勝な心構えなどあるはずもなかった。
 天皇が象徴となって、GHQが去った戦後日本で、官僚は、主人をもたない強大な権力機構として、霞ヶ関にそびえたった。
 そして、官僚は、みずからを主人として、官僚の、官僚による官僚のための政治を開始する。
 日本の戦後政治の主役は、永田町(政界)ではなく、霞ヶ関(官界)だったのである。

 戦後日本で、もう一つ、激変したのが労働運動、組合活動だった。
 1947年2月1日に実施される予定だったゼネラル・ストライキは、共産党と労働組合幹部による「民主人民政府」の樹立をめざしたもので、GHQのマッカーサー最高司令官の中止命令がでていなかったら、吉田内閣がふっとぶどころか、革命がおきていたかもしれなかった。
 日本共産党やマルクス学者らに指導されてきた日本の組合運動は、賃上げや労働者の権利拡大をこえて、共産主義革命をもとめるもので、当初、GHQがめざした日本の民主主義化とは方向が異なっていた。
 日本の組合運動は、ブルジョワ革命(民主主義化)を一足飛びした社会主義革命で、つねに、政権奪取を視野におさめている。
 英米の労働運動とはちがって、日本の組合活動は、後進国並みの階級闘争や文化大革命のおもむきがつよいのである。
 公僕意識を捨て、左傾化した権力組織が、自治労(全日本自治団体労働組合)と国公労連(日本国家公務員労働組合連合会)などで、赤旗を振って転落した官がおこした事件が消えた年金≠フ「年金記録」問題だった。
 資本主義において、勤労は、美徳であり、冨の源泉である。
 ところが、マルクス主義では、勤労や労働は、資本家に搾取されるものとあって、労働者は、立ち上がって、資本家を倒さなければならない。
 このアンモラル(不道徳)なマルクス主義が、5000万件の年金とともに社会保険庁を消滅させたが、赤化官僚は、懲りることなく、シロアリのように日本という国の大黒柱を侵食している。
 男女共同参画社会基本法や人権法案から、外国人参政権法案や外国人参政権法案、道州制や夫婦別姓、皇室の民主化まで、反日法案を陰ですすめているのは役人である。
 マスコミ(日本マスコミ文化情報労組会議)から官庁(自治労・国公労連)にいたるまで、日本および日本人は、組織的な左翼組合運動に脅かされつづけている。
 日本人は、日本が、マルクス主義という前世紀の亡霊に食い荒らされていることにもっと注意ぶかくあってよいだろう。

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2020年06月16日

官僚国家ニッポンの悲劇@

 ●日本を「IT後進国」にした官僚と労組
 新型コロナウイルスの影響で売上高が半減した中小企業に最大200万円を支給する「持続化給付金」の民間委託に不信の声があがっている。
 1つは、経済産業省が大手広告代理店の電通に丸投げした事業内容や構造が不透明なことと、給付金の支給が、例によって、遅滞していることである。
 2020年4月、経済産業省は、競争入札で一般社団法人サービスデザイン推進協議会へ「持続化給付金(769億円)」の委託をきめた。
 するとサービスデザイン推進協議会は、これを電通に再委託(749億円)した。
 そして、電通は、子会社5社に再々委託して、さらにそこから人材派遣会社パソナやITアウトソーシングの大手のトランスコスモス、大日本印刷などへ業務が外注された。
 サービスデザイン推進協議会ばかりか、電通の子会社らも、それぞれ、コミッションを抜いていたわけだが、国家の給付金事業に、多くのエージェントがくちばしをつっこんで利を漁る構造はいただけない。
 しかも、競争入札で指名をうけて、20億円を中抜きしたサービスデザイン推進協議会が、電通やパソナらがつくったペーパーカンパニーだったというのでは、この丸投げが、経産省ぐるみの悪だくみだったと白状したようなものである。
 もう1つは、業務の遅れで、全国民に一律10万円が支給される「特別定額給付金」と同様、事務処理に手間取って、振込みが遅々としてすすんでいないことである。
 アメリカでも、1人当たり最大1200ドル(約13万円)の給付金支給がきまったが、トランプ大統領が関連法に署名した半月後、対象者約8000万人の銀行口座へ現金が振り込まれた。
 ドイツでは、総額約7500億ユーロ(約90兆円)の経済対策を決定したのち、従業員の解雇や経営破綻を防ぐため、簡素化したオンライン申請方法を導入して、大半の対象者が、申請から2日後に助成金を受け取ったという。

 日本で、行政の事務処理が滞る最大の原因は、デジタル化の遅れにある。
 海外メディアは、厚生労働省と全国の自治体が、PCR検査のデータの一部をファックスでやりとりしている事実を、驚きをもって報じた。
 韓国の『中央日報』は日本を「IT(情報技術)後進国」と断じたが、その根拠の一つとされたのが、ITを知らない「IT政策担当相」の竹本直一(元建設省キャリア官僚/79)とパソコンを使ったことがないサイバーセキュリティー戦略本部担当相(五輪担当相と兼務)の桜田義孝(70)の登用だった。
 世界は「IT(情報技術)」や「AI(人工頭脳)」、「5G(第5世代移動通信システム)の時代で、欧米と中国の全面対決に韓国やアジア諸国が参戦する構図になっているが、日本は、世界から一周遅れとも二周遅れともいわれている。
 素材や部品、工作機械で、世界経済をリードする日本経済が、なぜ、ITやAI、5Gの分野で、ここまで、後退してしまったのであろうか。
 そのことと、日本が、世界の最たる官僚国家であることを切り離して考えることはできない。

 2007年、国会で、登録者が不明な年金記録が5000万件にもたっすることが明らかになって、大問題となった。
 年金記録漏れの原因は、手書き原簿からコンピュータに入力する際のミスが原因で、責任は、すべて、当事者たる社会保険庁にある。
 といっても、実際にパソコンを使って作業をおこなったのは、社会保険庁の職員ではなく、アルバイトの主婦や学生だった。
 社会保険庁の職員が、国民年金のオンライン化計画という重要な業務をアルバイトにまかせっきりで、十分な管理もおこなわなかったのは、コンピュータ導入にあたって、社会保険庁と自治労がとんでもない覚書を交わしていたからだった。
 その覚書には、労働強化にならない配慮とあって、具体的に「キーボードを45分操作したら15分休憩」「キーボードの入力は1日当たり平均5000字以内」と記載されている。
 5000字は、母音と子音からなる日本語では2500字で、30分ほどの作業で終わってしまう。
 社会保険庁の職員は、それ以上の作業は労働強化にあたると反発、職場に電動式の全身マッサージ器までおいて、残りの時間をサボっていたのである。

 パソコンを労働強化とする思想は、都道府県庁や市町村を仕切る自治労から国家公務員などが組織する国公労連にまで浸透していて、世界を動かしているITやAI分野が、日本の官僚や労働界にとって、民間や資本からのびてくる悪魔の手だったのである。
消えた年金≠アと年金記録問題の主犯は、民主党の支持母体だった自治労にあったわけだが、マスコミは、悪いのは自民党政権だと叩きに叩いて、自民党を政権からひきずりおろして、その自治労が支持する民主党政権を実現させることに成功した。
 世界がITやAIの研究開発に心血をつぎこんでいるさなか、日本の官僚と労組は、拳をふりあげて、ITやAIの排斥を叫び、自民党政権においても、ITやAIがなんのことやらわからない大臣が、IT担当相になるありさまである。
 中国や韓国、台湾などでは、ITやAIの国際的専門家が大勢、国家の担当部署につき、台湾で行政のデジタル化を担当するオードリー・タン(唐鳳)は国際的に名が知られたプログラマーである。
 台湾や韓国、東南アジアで、コロナ対策がうまくいったのは、ITやAIを駆使した行政システムが機能したからだった。
 ところが、日本では「マイナンバー」のオンライン化どころか、登録すら途中でとまっている。
 役人が働こうとしない日本では、左翼組合の追い風をうけて、壮大なる事務の停滞が生じてしまうのである。
 日本の大学や研究機関のITやAIが、世界に比べて、それほど劣っているわけではない。
 ところが、行政権を一手に握る役人は、けっして、民間の組織や団体に協力をもとめない。
 縦割り行政のなかで権限をふりまわしている役人は、ITやAIなどという世界のきびしい風に身をさらすのは真っ平なのである。

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2020年06月08日

国益は正義である――という大原則C

 ●「国際主義」と「民族主義」へ分裂した日本
 近代日本において、盲目的に国際化をすすめたのが、それまで、尊皇攘夷をキャッチフレーズにしてきた薩長の明治政府だった。
 文明開化とは、ヨーロッパ化のことで「西洋のものなら何でもよい」という風潮がはびこった当時、明治政府は、日本土着の文化習俗を「悪弊」「旧習」と切り捨てて、ヨーロッパの猿マネである鹿鳴館文化をつくりあげた。
 日本史のなかで、これほど極端にイデオロギーを豹変させた権力集団は例がない。
 脱亜入欧も、文明開化と同じような意味合いでもちいられるが、福沢諭吉の「脱亜論」とは別物である。
 諭吉の「脱亜論」は、前近代的な支那や朝鮮につきあっていると日本が立ち遅れてしまうという危機感からでてきたもので、入欧ということばはいちども使っていない。
 欧米の文明を吸収すべきだが、それは「一身独立して一国独立する」(『学問のすすめ』)のためのもので、大事なのは、文明開化や民権よりも国権だとする論を、諭吉は、みずからが発行する「時事新報」をとおして主張した。
 第二の「文明開化」が第二次大戦後のGHQ革命だった。
 このとき、アメリカ民主主義とソ連共産主義が同時に入ってきて、戦後日本の思想的混乱は、革命前夜さながらとなった。
 革命がおきなかったのは、天皇がおられたのと、GHQが逆コース(反共路線)≠とったからである。
 このとき、日本国内で、国際主義と民族主義の2つの系統が生じた。
 国際派と伝統派といってもよいが、この2派は、価値観が根本的に異なる。
 そして、この2つの系統が日本に深い亀裂を生じさせて現在に至っている。
 伝統派(民族主義)は、日本人本来の伝統的な価値観で、これはあらためてのべるまでもない。
 問題なのは、国際派で、かれらは、日本人としての魂も価値基準ももたない。
 福沢諭吉が、みずからすすめた文明開化や民権思想を、あえて、国権の下においたのは、もっとも優先されるべきは、歴史や文化、国家の利益だったからである。

 国際派は、国権の真反対にある概念で反日≠ニ呼んでもよい。
 国際派が最大の価値とするのは、マルクス主義から啓蒙主義、新自由主義にいたるまで、すべて、西洋から借りてきた価値基準で、要するに、西洋かぶれである。
 小泉純一郎が皇室典範を変えて、万世一系を否定しようとしたのは、新自由主義にかぶれた改革主義者だったからである。
 戦後の混乱のなかで、特筆されるべきは、憲法学の権威で東大法学部教授の宮沢俊義が唱えた「八月革命説」である。
 日本が戦争に負けて革命がおきたという論で、GHQがつくった日本国憲法を革命憲法と規定して、これを不磨の大典として、戦後の法学界を脳死状態に陥れた。
 日本の司法試験は、宮沢法学とあって、日本の弁護士会は左翼なのである。
 日本の大学はマルクス主義学者の牙城で、日本共産党はマルクス政党である。
 左翼・マルクス主義は、共産党政権志向なので、戦後、日本は、国体をおびやかされつづけてきたのである。
 国際派のもう一つの流れが啓蒙思想で、このなかには、アメリカ民主主義や人権思想、男女平等(フェミニズム)から表現の自由までがふくまれる。
 啓蒙思想が、日本の文化習俗と折り合うことができれば、問題はない。
 自由や平等、権利は、日本人にとって、物珍しいものではなかった。
 ところが、国際派の啓蒙主義は、そんな生易しい代物ではない。
 あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」では、天皇の肖像を焼いて踏みつける映像や特攻隊を愚弄する画像、慰安婦像を表現の自由として扱っているが、表現の自由のメッカといわれるアメリカで、星条旗やキリストの肖像を焼いて、ただですむか。
 東京大学や芸大有志、現代美術画廊らが、文化庁の予算執行停止にたいして異義を唱えているが、予算申請の際、展示内容を偽った大村秀章愛知県知事と監督の津田大介には、詐欺などの刑事罰が適用されるべきである。
 国家侮辱罪やスパイ罪がない日本は、文化テロに国家が予算を騙しとられるほど風紀や規律がゆるんでいるのである。

 自国に絶対的な価値基準を打ち立てられない国際派が重視するのが、海外の評価である。
 今回のコロナ騒動で、その一端がハシなくもあらわれた。
「PCR検査」数が少ない日本のコロナ感染の公式発表は信用できないとする海外メディアなどの評価をもって、マスコミや文化人、タレントらが、日本のコロナ対策にあらんかぎりの嘲罵を浴びせかけたのだが、日本は、世界のなかで、もっともコロナ防衛に成功した国だった。
 日本に、日本独自の価値観や基準があるのは当然で、海外の評価や基準に左右されることはない。
 海外の評価や評判に一喜一憂するのは、じつは、危険な兆候である。
 自民党の甘利明衆院議員が、5月の連休前、ツイッターで、こう綴った。
「東日本大震災でも日本人は世界の尊敬を集めました。要請だけで人的接触をここまで減らせる日本って、やっぱり凄いですね。あと一息です。ゴールデンウィークをステイホームで『さすがニッポン!』って、もういちど世界に言わせませんか」
 愚かにも、世界の目をアテにして、日本人の公徳心や行動倫理を規制しようというのである。
 日本が、コロナ防衛に一応の成功を収めたのは、集団性が高い日本人の国民性や独自の宗教観によるもので、それが日本の内なる根源力である。
 ところが、甘利は「もういちど世界に『さすがニッポン!』と言わせませんか」と外へ目をむける。
 外国の評判を気にかける精神が危ういのは、民族の魂というべき価値基準をもたないからである。
 衆院当選12回で、筋金入りの保守政治家だったはずの甘利が、歴史上前例がない女系天皇をみとめる発言をして、保守層から批判を浴びている。
 女系天皇をみとめれば、その瞬間、王朝が変わって、国体が崩壊する。
 だが、外国人にとって、国体も万世一系も、特殊な文化で、かれらの普遍的な価値観は男女平等である。
 甘利が、女系天皇をみとめる発言をおこなった落とし穴がそこにある。
 伝統をまもる覚悟をもたない者は、国際主義にのまれて、国体や万世一系という国家や民族の価値などどうでもよくなってしまうのである。
 それが、国際主義が大手をふっている現代日本の最大の弱点であり、体制の危機なのである。

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2020年06月01日

国益は正義である――という大原則B

 ●伝統派と国際派に分断された日本
 新聞労連や民放労連、出版労連などをかかえる「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」は、2020年3月10日、市民の自由や集会・報道の自由を脅かすとして「新型コロナ対策特別措置法に反対する声明」をだしている。
 もっとも、これは、マスコミに公表されていない。
 万が一、この事実が報道されていたら、マスコミが、新型コロナウイルスとたたかう日本人の敵であることが明らかになって、マスコミと国民のあいだに大きな摩擦や軋轢がうまれたはずである。
 いうまでもなく、緊急事態宣言は、コロナ特措法にもとづいている。
「新型コロナ対策特別措置法」が成立していなかったら、日本は、西浦教授が懸念したように、パンディミックが発生して、日本中、死体の山ができていたかもしれなかった。
 WHO以下、欧米は、安倍内閣が、新型コロナウイルスの防衛に成功したとしぶしぶみとめたが、首をひねっているのが、内閣支持率の低さである。
 欧米では、コロナ禍によって、国家と国民のむすびつきがつよまって、政権支持率が軒並み大幅上昇している。
 日本で内閣支持率が低迷している理由は、表立って、政府の緊急事態宣言に反対できないマスコミ(MIC)が、PCR検査不足から医療崩壊、給付金や支援金、マスク給付にいたるまで、安倍内閣に批判や非難の集中攻撃をくわえたからである。
 ニュースキャスターやタレント、評論家が、「呆れはてた」「開いた口がふさがらない」と、連日、安倍首相に罵詈雑言を浴びせかけ、立川談四楼などは「ブン殴ってやりたい」とまで息巻いた。
 そして「敬意や感謝、きずなの力があれば、かならず、ウイルスに打ち勝つことができます」という首相の真摯なことばをせせらわらって「安倍のどこに危機管理能力があるのだ」と毒づいて、マスコミは、これを立川師匠の苦言としてもちあげた。
 このコロナ禍で、マスコミ関係者は、MICにシナリオどおり、安倍批判に走って、多くの日本人もその尻馬にのって、安倍首相や政府を罵った。
 そして、世界がコロナで甚大な被害をこうむったなか、最小の被害ですんだ功績にたいする評価や感謝どころか、安堵や無事をよろこぶ声すらなかった。

 こんどのコロナ禍で、日本人は、文明論的に、伝統派と国際派に分断されていることがはっきりした。
 自粛と我慢で、コロナ禍をのりきった大方の日本人は、伝統派である。
 かれらは、歴史や伝統、良識や和の心をたずさえた昔ながらの日本人である。
 これにたいして、国際派は、マルクス主義とアナキズム、啓蒙主義の3つにくくられる西洋化された人々で、日本人としての魂をもっていない。
 マスコミ人(MIC)やタレント、評論家や学者、弁護士らがそうで、かれらの価値観やアイデンティティ=心の故郷は、日本ではなく、西洋にある。
 伝統派と国際派は、社会契約説の3人の思想家ホッブズ、ロック、ルソーにそれぞれふりわけることができる。
 伝統派は、自然状態では「万人による万人の戦争」がおこるとしたホッブズの考え方に近い人々で、ホッブズは、必要悪としての国家や君主をみとめた。
 英国も日本も、ホッブズ型の伝統国家である。
 国際派の筆頭にあげられるのは、人間は、うまれながらにして自由で平等としたルソーである。
 だが、民主主義のルソーには、国家観がなく、万民の一般意志をひきうける万人のため人民政府は、フランス革命において、ロベスピエールの恐怖政治をつくりだしただけだった。
 2つ目はマルクス主義インターナショナル(コミンテルン)である。
 マルクス主義は、ルソー主義にユダヤ経典(タルムード)をくっつけただけの代物で、ソ連のコミンテルン日本支部から発展した日本共産党が、天皇制と資本主義の打破を二大テーゼとするのは、日本の歴史や国体が眼中にない国際主義だからである。
 3つ目のロックの社会契約説は、革命権(抵抗権)を容認する間接民主主義(選挙/多数決)で、ロック主義のアメリカ民主主義は、歴史的・伝統的価値をもたない。
 日本国憲法をつくったGHQのニューディーラーが、その典型で、かれらの多くが、伝統を旧弊としか考えられない共産主義者であった。
 国際派の正体が徐々にわかってきた。
 一つは、マルクス主義者で、日本共産党と大学の教職に残存している。
 2つめは、ルソー主義で、民主主義や表現の自由、人権などを叫ぶが、国家や全体性との整合性をもたないので、秩序や全体の利益を害い、他人へ多大な害をおよぼす。
 ルソー主義には、アナキズムやフランクフルト学派(批判理論)がくわわる。
 アナキズムは、革命を忘れた反体制運動で、すべての権威や権力を否定した革命前夜のなかに、人間性の解放をみる。
 フランクフルト学派は、人類を苦しめてきた政治体制を批判することだけが目的で、否定がゆくつく果てに、否定しえない理想郷があるとする。
 3つ目は「八月革命説」の宮沢俊義(東大法学部教授)で、宮沢はGHQがつくった憲法を徹底的に擁護して、左翼でなければ司法試験に合格しない仕組みまでつくって、議会内左翼革命の準備をすすめた。
 以上3つが、日本の国際派だが、かれらには、おそるべき欠陥がある。
 日本を敵視するばかりか、日本を貶めることを善と考えるのである。
 それが露骨にあらわれたのが、今回のコロナ騒動で、マスコミは、海外の情報を根拠に日本のPCR検査や医療体制を非難する一方、成功したわが国のコロナ対策について一言も報じなかった。
 西洋の基準に立って、自国を嘲るのが、国際派で、かれらが金科玉条にするのが、MICも掲げた「言論の自由」「表現の自由」と「男女平等」である。
 次回は、この自由が、いかに野蛮な自由であったかについてのべよう。
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2020年05月27日

国益は正義である――という大原則A

 ●日本スタンダードをもたない悲劇
 欧米で、新型コロナウイルスの感染者、死亡者が爆発的にふえはじめた3月以降、マスコミは、テレビのキャスターやタレント、評論家や医事関係者らを総動員して、日本がコロナ防衛に失敗したのは「PCR検査」をサボってきた安倍首相の責任というキャンペーンを張った。
 新聞社や放送局、出版社を傘下におく日本マスコミ労組(MIC)の意向がはたらいたのはいうまでもない。
 MICは、「緊急事態宣言」の法的根拠となった新型コロナ対策特別措置法に反対声明をだした団体で、政府のコロナ対策に、真っ向から反対している。
 そればかりか、改憲論者である安倍首相を最大の天敵としている。
 マスコミ人が、一斉にPCR神話と反安倍に走ったのは、この空気を読んでのことであろう。
 わたしは、このブログで、3月段階から、押谷仁東北大学教授や西浦博北大教授らの「二段構え」戦略を評価、国民的な理解をもとめてきた。
 二段構えというのは、クラスター(患者の小規模集団)という点≠攻撃したのちに、拡散したコロナウイルスを「三密(密集・密閉・密接)回避」と「ステイホーム(外出自粛)」という面≠ゥら防ごうという挟み撃ちの作戦である。
 日本がコロナ防衛に成功した理由は、CTスキャンとマスクである。
 日本のCT普及率は2位グループの欧米を引き離して第1位である。
 新型コロナウイルスの死因は肺炎で、日本は、初期段階でCTによる肺炎を診断、治療をおこない、コロナウイルスによる肺炎の死亡率を最小限におさえこむことに成功した。
 PCR検査は、あくまで、副次的な手段で、厚労省は、はじめから、すべてのひとにPCR検査をすることは不可能で、有効ではないと宣言している。
 ところが、CTの普及率が日本の数分の1の欧米では、PCR検査を優先させて、CT所見による感染者・重症者の発見を見逃してきた。
 PCR検査による感染者の発見は数百人に一人で、しかも、感染がわかっても治療法や特効薬がなかった。
 PCR検査は、感染者を強制隔離するための手段でしかない。
 その反面、感染能力のある30%の偽陰性が放置されるので、これがパンディミックをひきおこす原因の一つとなった。
 しかも、PCR検査の実施率は、人口比1〜数%とあって、これが、パンディミック防衛に役に立つはずなどなかった。
 もう一つの理由はマスクで、欧米人と日本人では、マスクにたいする感覚が異なる。
 欧米人にとって、マスクは防衛用で、ウイルスから身をまもるためである。
 そこから、布製の繊維では、微小なウイルスの侵入を防ぐことはできないというマスク無効論がでてくる。
 一方、日本人にとってマスクは、飛沫を他人にかけないという他人のためのもので、それが、めぐりめぐって、ウイルス感染者の飛沫からじぶんをまもる自己防衛につながる。
 それが日本のマスク文化で、マスクをしていれば、ソーシャルディスタンスなど必要がない。
 WHOテドロス事務局長をはじめ、欧米諸国も、日本の成功をみとめざるをえなくなったが、分析的な見解をいっさいしめさず「奇妙な成功」で片付けている。
 諸外国が日本にたいして、好意的でないのは、あたりまえの話である。
 競争心や嫉妬心、敵愾心がはたらくというよりも、もともと、自国のことに精一杯で、どこの国も、他国に関心などないのである。
 したがって、外国の基準や評価を自国にあてはめることは、危険きわまりないばかりか、卑屈な売国思想、愚かな属国根性につながる。
 他国の顔色をうかがうのは、朝鮮半島の事大主義と同様、恥ずべきふるまいなのである。
 ところが、今回のコロナ騒動では、日本人は、マスコミ論調にのって、わが国独自の方針や政策を頭ごなしに否定、CT保有率やマスクの習慣など、日本固有の事情、文化的な特殊性にふれることなく、他国がわが国をどう評価しているかという視点のみに立って、自国に批判を浴びせてきた。
 それが、欧米に比較して、PCR検査数が少ないので、コロナ対策が遅れているとやら、感染者数や死者数をごまかしているなどという邪推だった。
 おかげで、安倍内閣の支持率は、コロナ対策を拒否して、死者数が急増しているブラジルのボルソナロ大統領以下となった。

 情報の出所は、外国のメディアや通信社だが、発言者は、ハーバード大学やコロンビア大学などの日本人研究者や日本在住の有識者で、国際派といわれる連中である。
 国際派のきわめつきがマルクス主義で、これに準じるのが啓蒙主義である。
 自由や平等、権利や民主主義は、市民革命の産物で、そこに、表現の自由や言論の自由がくわわって、革命前夜の様相がかもしだされる。
 フランクフルト学派は、別名「批判理論」の呼称があって、体制を批判することによって新しい体制がうまれるという造反有理の理論である。
 今回のコロナ騒ぎで、明らかになったのは、日本人および日本政府の冷静さと、その日本イズムを否定するマスコミ労組(MIC)や外国崇拝の国際派との対立だった。
 この対立の構図から、コロナ騒動をこえて、日本に、さらなる大きな亀裂がつくりだされた。
 女子プロの木村花さんがSNS上の誹謗中傷に耐えられず自殺した。
 一方、自民党の甘利明衆院議員が、女系天皇をみとめる発言をした。
「言論の自由」がひとの命を奪い、「男女平等」が国体を崩壊させる。
 日本という国家が、左翼や啓蒙主義に侵食されて、崩壊寸前なのである。
 次回も、この2つのテーマをふまえながら、新型コロナウイルスとたたかう日本人のすがたをみていこう。
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2020年05月20日

国益は正義である@

 ●日本を蝕むアナキズムという猛毒ウイルス
 新型コロナウイルス感染症にともなう緊急事態宣言が5月14日、39県で解除された。
 東京など8都道府県はまだだが、新規感染者が減少に転じて、終息も徐々に見えてきた。
 14日の記者会見で、安倍首相は「わが国の感染者数や死亡者数は、G7や主要先進国と比較して圧倒的に少なくすんでいるとのべたが、これを好意的に報じたメディアは皆無だった。
 コロナ防衛に失敗したのは「PCR検査」をサボってきた安倍首相の責任と叫んできたメディア、テレビのキャスター、医療関係者、タレントらは標的を失って、こんどは、安倍首相がすすめてきた「検察庁法改正案反対」へ矛先を振ってきた。
 国難といって大騒ぎしたコロナのことはすっかり忘れたようで、安堵の声も医療関係者への感謝のメッセージも聞こえてこない。
 そして、こんどは、検察庁法改正案反対へ一斉に声をあげはじめた。
 コロナのどさくさにまぎれて悪法をとおそうとする安倍をゆるすなという大合唱である。
 爆笑問題の大田光は「タレントも税金払っているのだから政治に口出ししたっていいじゃねえか」とうそぶく。
 だが、ツイッターが900万件を超えてブーム現象となった検察庁法改正案反対は、検察庁への応援歌で、とうてい、政治参加などと呼べる代物ではない。
 検察庁は、行政で、これを管轄下におくのが国政である。
 明治の司法省以来、日本の検察は、起訴有罪率99・9%、アメリカの意向をうけて田中角栄を逮捕、有罪にするなど、これまで、司法を抱き込んでファッショ的な特権をふるってきた。
 検察庁を奉って、別格官幣社にしてしまっては、政治の放棄だろう。
 タレントらが検察を応援するのは、検察が、日本の最高権力だからである。
 立憲民主党も共産党も、首相を逮捕できる検察権力を風化させてならないと力説するが、検察は、偏差値エリートの特権階級で、民主主義や国民主権から切り離された権力の牙城である。
 一方、野党やマスコミ、タレントが目の敵にしている政治家は、われわれが選挙でえらんだわれわれの代表である。
 じぶんたちの代表を足蹴にして、官僚を崇拝するのは、共産党官僚の中国と青瓦台エリートの韓国、霞ヶ関行政の日本だけである。
 この3国には、科挙制度や律令体制の歴史があって、いまなお、学歴偏重の階級意識をひきずっている。
 テレビは、東大生というだけでスター扱いするが、その一方、日本の大学生は、不勉強で、IT(通信技術)やAI(人工頭脳)分野では、中・韓・台のはるか下位、香港やインドネシアにも負けて、パソコンにさわったこともない老人がIT担当大臣をつとめている。

 これらは、みな、根っこは同じで、国家観や歴史観、国益や独立性、発展をもとめる愛国心など、独立国家としての自尊心や気概、行動原理を欠いている。
 国家や国民が眼中にないという意味で、アナキズム(無政府主義)である。
 そして、歴史や伝統、文化の一切を否定する批判主義(フランクフルト学派)に立っている。
 かられは、建設すべき国家も否定すべき歴史ももたないので、左翼ですらない。
 なにも信じるものがなくなったとき、人間は、学歴や特権、外国の権威などにしがみつくものである。
 それが、学歴主義や官僚体制、マスコミ権力、国際主義で、国家への信頼や愛着、信念や自信がつゆほどもない。
 そして、その結果、くらげのような衆愚社会がつくりだされる。
 その一つが「外国は日本をどう思うか」という西洋コンプレックスである。
 韓国が支那に媚びる事大主義なら、日本は、西洋に媚びる属国根性である。
 西洋を模倣して、西洋の顔色をうかがい、西洋の価値観をもちこむ西洋崇拝は、うわべだけをてらう虚栄でしかない。
 虚栄の裏側には、かならず、嫉妬という対立概念がひそむ。
 嫉妬は、権力にたいするねたみやそねみで、西洋に媚びる売国奴が反政府にはしるのは、自国の権力者にやきもちをやいているのである。
 聖徳太子の17条憲法の14条に「群臣百寮、嫉妬有ること無かれ」とある。
 6世紀の大昔から、日本は、虚栄と嫉妬に悩まされていたのである。
 自国を否定して、西洋を崇拝する精神構造は、岩倉具視の西洋使節団からはじまって、大正デモクラシー、GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、自虐史観や反日主義にいたるまで、近代日本の一つの骨格になってきた。
 そして、それが「宮沢談話(近隣諸国条項)」や「河野談話(従軍慰安婦日本軍関与説)、「村山談話(大東亜戦争日本侵略説」)、南京大虐殺実在説、日韓併合侵略説にひきつがれた。
 騒いだのが、左翼と反日、国際派だった。
 今回のコロナ騒動も、土台にあったのは、自虐史観と日本悪玉論だった。
 次回は、このテーマを、さらに、掘り下げてゆこう。
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2020年05月08日

憲法の不備と「40万人死亡説」の恐怖C

 ●官僚・学者・マスコミはアナキストの群れ
 かつて、社会党は、労働者の政党で、賃上げ闘争では、しばしば、自民党が経営側と社会党の仲介に立った。
 ところが、社会党は、イデオロギー政党へ変貌して、やがて、消滅した。
 労働組合も、賃上げ闘争を放棄、労働団体から反権力のイデオロギー集団となって、一人当たりGDPが世界比26位に転落する一方、企業の内部留保が460兆円にまでふくれあがるという皮肉な現象を招いた。
 マスコミ労連(MIC)も、生活闘争から思想闘争へ転換した労組である。
 国民が新型コロナウイルスに苦しんでいるなか、人権や報道の自由をタテに「新型コロナ対策特別措置法」や「緊急事態宣言」に反対して、反政府キャンペーンを仕掛けるなど、労組の枠をこえた反国家運動を展開している。
 マスコミ労連という反国家集団が、情報・報道機関を仕切っているところに日本の危機の構造があるといってよい。
 マスコミは、口が腐っても、天敵の安倍政権がコロナ退治に成果をあげたといいたくない。
 それを象徴するのがTBS系「サンデー・ジャポン」(4月26日)における杉村・岸論争である。
「亡くなった方はアメリカ5万人、イタリア、スペイン、イギリス、フランスは2万人を超えている。医療従事者の献身のおかげで、日本は、300人台におさえられている。その意味で、日本は(欧米に)勝っている」
とのべたのは、衆議院議員を1期務めたタレントの杉村太蔵である。
 これにたいして、元経産官僚で、慶応大学院教授、テレビのコメンテーターとして人気者の岸博幸が真っ赤になって反駁した。
 杉村は、現在、慶応大学院の学生で、岸の教え子にあたる。
「全体を考える場合は、死亡者数だけじゃなくて、感染者数、増加数がおさえられているかを考える必要がある。死亡者数が少ない本当の理由がわからないなかで、日本が勝っているというのは正直いってわけがわからない」
 いくら、読み返しても、岸がいっている主旨が理解できない。
 感染者数や患者の増加数、死者数はWHO(世界保健機関)が公表している。
 日本の死者数が際立って少ないのは、客観的な事実で、理由がわからないといっても、清潔好きでボディタッチがすくない日本の風習、GCG(結核予防ワクチン)の効果、CTの普及率の高さ、クラスター殲滅という点≠フ攻撃と三密回避やステイホームという面≠フ防御の成功と、考えられる可能性はいくらでもある。
 死亡者数が少ない理由がわからないから評価を下せないといってしまっては議論にならない。
 岸が、杉村発言を頭から否定したのは、反安倍の論客だったからで、安倍の点数稼ぎになる杉村の発言がゆるせなかったのである。
 総理のご意向文書を本物と主張した前川喜平・前文科省事務次官も反安倍の急先鋒で、「コロナ感染者数は公表の100倍」「PCR検査不足は安倍政権の責任」と告発しつづけている。
 貧困調査と称して、官費を使って売春目的の「出会い系バー」に入り浸って女性と値段交渉をしていた人物が、ネット上で「日本の右傾化を深く憂慮する一市民」「自由と平等と友愛を原理とする社会の実現をもとめて」「日本と世界の未来を危うくするアベ政権の退陣をもとめる」と発言しても、片腹痛いだけだが、岸と同様、支持者が多い。
 その理由は、日本に、アナキズムが深く浸透しているからである。
 アナキズムは、歴史的権威や政治的権力、法的秩序をみとめない。
 その一方、学歴やIQ、身分や知名度、資産などの個人の資質や属性を重視する。
 中国や韓国で、科挙制度がなんども国を滅ぼしたが、なんども復活した。
 権威が不在になると、学歴以外に社会的評価の基準がなくなるのである。
 恩賜の軍刀、銀時計組(陸軍)、ハンモック・ナンバー(海軍)の日本の軍国主義も極端な学歴社会で、連合艦隊参謀長の宇垣纏は、海軍兵学校や海軍大学校の卒業順次がじぶんより下の者へ敬礼も返さなかったという。
 軍部が、天皇よりも学歴の権威を重んじたのは、天皇崇拝は擬態で、天皇を政治利用していたからである。
 日本軍国主義は、数々の失敗を重ねて、滅びた。
 だが、アナキズムというかたちで、戦後、復活した。
 天皇の官僚からGHQの官僚へ豹変した霞ヶ関とGHQによって解放されたのち、要人追放令でがら空きになった大学教授の職にありついたマルクス主義者、そして、労働組合ある。

 左翼は革命を志向するが、アナキストは、体制内に巣食ってゆたかな生活を享受する。
 そして、その一方、体制を批判して、個としての存在のみを主張する。
 いわば、国家の寄生虫で、官僚や大学教授、マスコミ人、弁護士ら生産性のないものたちは、大半が、天皇や国家、 国体が眼中にないアナキストといってよい。
 アナキストが、唯一、信じるのが、学歴やIQである。
 舛添要一(元東大教授)や堀江貴文(東大卒)らが、じぶんのIQの高さをひけらかして、緊急事態法を発令した安倍首相のIQを疑うという論法をくりだす。
 ネットに、岸博幸が杉村太蔵を完全論破したという書き込みがあふれるのもIQ神話で、日本人の多くがアナキズムの信者なのである。
 アナキズムは、学歴偏向で、テレビが、東大軍団、インテリ軍団ともちあげるのは、番組制作者も視聴者も、アナキストだからである。
 ちなみに、IT(情報技術)やAI(人工頭脳)の分野で、日本がアジアで最下位に近いのは、大学生がコンピューターを学ばないからで、ITやAIが国家的な課題になっている中国や韓国どころか、香港やシンガポール、インドネシアからも水をあけられている。

 ベルリンの壁崩壊とソ連邦解体によって、共産主義への幻想はついえた。
 共産主義が人類の理想ではなくなったとき、左翼や反体制派は、アナキズム(無政府主義)とフランクフルト学派(批判理論)へ流れていった。
 無政府主義というのは、革命前夜の不安定な状態のことで、批判理論というのは、体制を批判することは正しいというイデオロギーである。
 両者とも、革命は捨てるが体制破壊は継続するという思想上のテロリズムである。
 それが反映されたのが、反日主義や自虐史観、フェミニズム(男女雇用機会均等法)だった。
 2009年、マスコミ労連支援の下で、ついに、社会主義政権が誕生した。
 当時、メディアにあふれた鳩山由紀夫と民主党への賛辞は、文字が読めない麻生首相へのネガティブ・キャンペーンに対比して、マスコミ史に残るほどの熱狂ぶりだった。
 ところが、政権をとった民主党は、ただひたすら、自民党政治と反対のことをやる愚策をくり返して、自滅していった。
 共産主義という理想を捨て、一方、伝統を足蹴にする宙ぶらりんの政治家の系譜が、村山富市から小泉純一郎、鳩山由紀夫、菅直人らで、それが、日本を被っているアナキズムの正体といってよい。
 民主党は、社会主義的な政党ではなく、アナキズムの政党だったのである。
 国家をみとめない無政府主義と体制を否定する批判理論が合体した亡国の思想≠ヘいまにはじまったことではない。
 反ナチスのフランクフルト学派と、伝統破壊のアナキズムは、日本国憲法をつくったニューディーラーにひきつがれて、憲法に反映されている。
 天皇も伝統も、国家も国体も眼中にないアナキストが、唯一、信奉するのが憲法である。
 国家主権にかかる国家防衛や国家緊急法、国家反逆罪やスパイ罪などの治安条項がそっくり抜けて、国民主権と国民の権利を謳った憲法は、アナキズムのテキストである。
 憲法制定当時、日本の主権者だったGHQの最大の謀略は、天皇を憲法上の存在にして、憲法改正で、廃位を可能にしたことだった。
 そして、自由や平等、人権は、天賦のものというオカルティズムを謳った。
 新型コロナ対策特別措置法や緊急事態宣言に反対するマスコミ労連が憲法をタテにとるのは、アナキストだからである。
 かれらには、新型コロナウイルスよりも、国家の自衛権や治安権、国家緊急法のほうが大敵なのである。
posted by office YM at 12:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする