2023年01月30日

「全体主義」と「民主主義」の相克と調和4

 ●「日米地位協定」をめぐる反日デマゴギー
「主権なき平和国家(集英社/伊勢崎賢治・布施祐仁)」という書籍が保守層にまで広くうけいれられて、文庫本化されている。
 キャッチフレーズに「地位協定の国際比較からみる日本の姿」とあるので、本格的な読み物と思いきや「オスプレイ墜落や米兵婦女暴行事件にたいして日本はなぜなにもできないのか!」という煽り本だった。
 デマゴギーと感情論のごった煮で、こういう宣伝文書を読まされて、日本の若者は反日戦士に仕立て上げられてゆくのかと、妙に納得させられた。
 同書にこうある。「1960年の締結以来、日米地位協定を一度も改定しなかった日本の主権放棄≠ヤりは、アメリカと地位協定をむすんでいる他の国々と比較しても際立っている」
 こうとものべる。「国内の一部領空には日本の航空機が通過できない空域(横田)があるなど、戦後から現在までアメリカの占領状態がつづいている。日本国憲法の上に日米地位協定が、国会の上に日米合同委員会があるような、アメリカに依存しきった主権なき平和を本当に平和と呼べるのか?」
 ウソとゴマカシも、理屈をつらねてゆくと、真実に思えてくるのがことばのこわさで、この手のアジ演説≠ェ左翼メディアに乗ってひろがって世論が形成されてゆく。
 その左翼メディアのスターの一人、寺島実郎はこうのべる。「日本はアメリカの属国で、アメリカも日本を保護領と見ている」(『問いかけとしての戦後日本と日米同盟』/岩波書店)。こうとものべる。「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」「アメリカは占領を終えたら出ていく約束だった」「米軍基地の縮小、撤退が主権回復へのみち」「中国との対立は危険」「地位協定を改定せずに主権をとりもどすことはできない」
 寺島の意見が正論に聞こえてくるのは、日本のマスコミ世論が、右(自由陣営=アメリカやイギリス)ではなく、左(共産陣営=中国やロシア、北朝鮮)に属しているからである。
 右にとって、国家をまもる安保が、左には、中・ロ・韓・朝にたいする好戦性としか映らない。そこで、安保法制を固めた日本を、アメリカの番犬(ポチ)」と呼んで憎悪をあからさまにする。それが反保守と反米を軸とする現在のマスコミ世論のすがたである。

 ●横田空域は主権放棄と息巻く寺島らの虚言
 寺島実郎は「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」というが、北朝鮮と国連(韓国と米国)軍および米軍を駐在させている日本は、現在、戦争状態(現在は休戦)にあって、事実、北朝鮮は日本海にさかんにミサイルを撃ちこんでいる。
 朝鮮半島が、歴史上、日本の安全保障の要衝だったことは、白村江の戦から蒙古襲来、日露戦争までの歴史が教えるとおりで、朝鮮半島の動乱は、つねに、日本の危機だった。
 横田基地は、日本防衛の要で、横田基地から朝鮮半島や中国大陸にむかう戦闘機の航路を開けておくのは、日本防衛のためであって、アメリカが日本の空域を侵しているわけではない。
 アメリカが横田空域を放棄すれば、日本の制空権は中国空軍におびやかされる。中国軍の尖閣列島や台湾への侵攻の最大のネックが制空権だが、アメリカが横田や岩国、那覇の空軍基地を失ったら、中国は空母打撃群(空母+戦闘機)を編成して、堂々と日本海や尖閣・沖縄周辺へのりだしてくるだろう。
 それが、寺島のいう「中国との対立は危険」ということで、かれらは中国を友好国と見て、日本の同盟国であるアメリカを敵視する。
 横田基地は、日本空域を侵す空の壁≠ナはない。旅客機の巡航高度は10000〜12500mだが、横田基地の空域高度は7000mまでなので障害にならない。横田空域をとばないのは、必要がないからで、千歳〜羽田航路は横田空域をとおらず、千歳〜那覇航路にいたっては海上ルートである。
 羽田発の旅客機が房総沖の海上で旋回して高度を稼ぐ航法をとる理由は二つあって、一つは、富士山の乱気流を避けるためで、二つめは、市街地の上空を旋回すると騒音問題が生じるからで、安全性にも問題がある。
 横田空域を使用する場合、米当局へ申し入れが必要だが、有視界の飛行なら自由に航行できる。事実、横田空域の立川飛行場から、連日、八丈島などへの定期便(有視界飛行)が飛んでいる。事前に申し入れれば、ジェット旅客機も横田空域を使用できるが、高度7000m以内を運行する大型旅客機など日本には存在しない。

 ●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
 アメリカとNATOの地位協定には、平時法と戦時法の区別があって、日本の報道が引用してきたのは平時法である。ところが、日本の地位協定は、戦時法なのでNATOよりも米軍優先になる。
 国家が自国内に他国の軍隊を受け入れる場合、NATOや日米、米韓も同様、一定のルールのもとでとりきめがおこなわれる。したがって、各国間で差異が生じることも不平等になることもありえない。日米地位協定も他国の条約を例にふまえて作成されているので、国際的慣行からみても均衡がとれている。
 軍隊を派遣する国とうけいれる国の主権がぶつかる場合は、うけいれる国が譲歩するのが慣例で、うけいれる国が、駐留する国の主権をみとめないということになれば、そもそも、駐留の根拠自体が失われる。
 アメリカ軍は、アメリカの国家主権を背負って日本に駐留している。日本の主権のもとで、軍事行動にあたっているわけではない。逮捕権や裁判権は、主権の問題なので、日本国内であっても、アメリカは、アメリカの法律をもって処分する。
 アメリカ兵が罪を犯して、アメリカ軍施設のなかに逃げこんで罪を免れたという話はつくり話で、アメリカは、アメリカの法のもとで、罪を犯したアメリカ兵を罰する。
 自衛隊が駐留しているジブチやクウェートでも、事情は同じで、自衛隊員は殺人を犯してもジブチやクウェートの法では裁かれない。逮捕して裁くのは、日本の警察や司法で、軍人には、現地の法がおよばないのである。
 逮捕や裁判、刑罰は国家主権で、有罪になると死刑(刑法第81条)になる外患誘致罪(外国と通謀して日本国に武力を行使させる)では、身柄が外国にあっても免罪にはならない。

 ●日本に有利なジブチとクウェートの対日地位協定
 ソマリア沖の海賊退治のために日本の自衛隊をうけいれているジブチで調印された日本ジブチ地位協定(2009年)は、自衛隊の過失犯が無罪になるほか、自衛隊基地が、事実上、ジブチ政府の治外法権とされるなど日本に圧倒的な有利な協定だが、これを問題にしているのは、一部の日本人だけで、ジブリでは問題になっていない。
 イラク戦争後、日本は、イラクの国家復興支援活動として、イラクに陸上自衛隊を、クウェートに航空自衛隊を派遣している。その際にむすばれた「日本クウェート地位協定」は、自衛隊の公務中の犯罪がクウェートの刑法から免除されるという不平等条約だったが、ジブチ地位協定と同様、問題になることはなかった。
 外国から派遣された兵士は、じぶんの国の法に縛られているので、駐留地の法で裁くことはできない。銃をもってたたかう兵士は、自国の主権を背負っているからで、これを「属人主義」と呼ぶ。一方、民間人は、生活している国の法令に保護されているので、罪を犯せば、その国の法によって裁かれる。これが「属地主義」で、軍人と民間では、画然たるちがいがあるのである。
 罪を犯した公務中の米兵、あるいは米当局が身柄をおさえた被疑者を日本の法律で裁けというのは「属地主義」だが、ほとんどの先進国は「属人主義」をとっている。他国の「属人主義」をさして、主権を侵されたと騒ぐのは、国際常識を知らない錯誤か被害妄想である。全国で相次いだ強盗事件で、フィリピン当局は、主犯と見られる人物を入国管理局の収容施設に拘束して、日本当局に引き渡した。それが「属人主義」というもので、フィリピンが「属地主義」をとって、この犯人を野放しにしたら日本と「犯罪人引渡条約」をむすんでいないフィリピンは、日本人犯罪者の巣窟になってしまいかねない。
 次回は安保条約と地位協定の関連をもうすこしつっこんで考えよう。
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2023年01月16日

「全体主義」と「民主主義」の相克と調和3

 ●集団主義というすぐれた気質をもつ日本人
「民主主義を正しく機能させるには、死者にも投票権をあたえなければならない(『正統とは何か』)」といったのはチェスタトンだった。
 世界は、現在ここにあるものではなく、昔からここにあったもので、歴史の産物である。空間的な存在ではなく、時間的な存在なので、現在、生きている人々だけで物事をきめてはならないというのである。
 現在を生きる人々がおこなう意思表示が民主主義で、その意思表示に死者をくわえるのが保守思想である。そして、かつて生きていた人々がきめたことをまもるのが伝統で、詩人エリオットは「変えることはかんたんだが、伝統を相続するには相当な努力を要する」といったものである。
 かつて二階俊博(元自民党幹事長)は皇室の皇位継承問題にからめて「男女平等の現在、男系相続にこだわるのはいかがか」と発言している。
 皇室や国体、文化は、現在のみにかかる問題ではない。過去から未来へつながる普遍的な問題で、保守主義は、守旧派ではなく、普遍的なテーマが時流に押し流されるのを、身をもって防がなければならない。
 現在のみを生きる人間は、理想的な共同体や社会、国家をつくることができない。人間をうごかしているのが理性ではなく、目の前の欲望だからで、その欲望を反映させるものが自由主義や個人主義、民主主義である。
 その啓蒙主義的なイデオロギーに価値があったのは、革命のエネルギーがもえたぎっていた18世紀の市民革命の時代までである。歴史上、価値があって、現在も価値があるのは、イデオロギーではなく、調和という文化である。その文化が集団主義で、聖徳太子の「和をもって貴し(たっとし)となす(十七条憲法)」が和の心≠フ神髄として、いまもなお、日本人のなかに生きている。日本中の町が清潔で、日本人に人情があって親切、善意にあふれているのは集団主義だからで、法で規制されなくとも、身勝手やエゴイズム、わがままを自省する気質が日本人にはおのずとそなわっているのである。

 ●無軌道な自由を制限する人格や人徳、モラル
 日本人は集団主義的という反省や自己批判が根強くゆきわたっている。その反動かどうか、個性や個人性がことさらにもちあげられて、じぶんらしさなどという意味不明なことばも流通している。
『集団主義という錯覚〜日本人論の思いちがいとその由来(東京大学名誉教授高野陽太郎)』に「日本人は集団主義的という認識はつくりだされたもの」とあって、集団主義が、逆説的に、民族的な欠陥としてあつかわれているが、集団主義は、長所であって、短所や欠点ではない。
 集団主義は、他者や世間と共存する文化で、個人の利益と集団の利益を同等、あるいは、個人より集団の利益を重視する傾向をもつ。一方、個人主義は、個人の目標達成や自己実現、自己完結性を重視する文化で、集団の利益よりも個人の利益をもとめる。
 西洋人が個人主義的になったのは、神と個人が信仰契約する16世紀のプロテスタンティズム以降である。それまで、世界は神のもので、じぶんは、神のシモベでしかなかった。だが、聖書をとおして、神と信仰契約するプロテスタンティズムによって、神から見られている個人が出現して、それが個人主義の萌芽となった。
 日本に個人主義がうまれなかったのは、多神教で、信仰契約がなかったからである。天神地祇と自然・人間・社会環境(ミクロコスモス)に囲まれて一家眷属が生きてゆくのに個人性などどこからも要請されない。
 もともと、個人主義は、世界原理に反している。世界には、個人主義や自由を収容する十分なスペースがないからである。したがって、最大多数が生きてゆくには、個人主義が制限されなければならない。それが、人格や人徳、モラルで、人間の根本は、集団主義に立っている。
 集団主義が、愛や利他心、礼儀や尊敬心を土台にしているのは、いうまでもない。法や掟、同調圧力や忖度、空気(ニューマ)読みも必要で、個人主義や自由主義を野放しにして、国家がなりたつわけはないのである。
 
 ●自由も平等も、民主主義も集団主義
「他人に迷惑をかけないかぎりなにをやってもよい」と説く学者(池田清彦/早稲田大学名誉教授/フジテレビ「ホンマでっか!?TV」)もいるが、自由は個人のものではなく、他者と共存するための相互主観性の問題で、集団のものである。自由が個人のものならなにをやってもよいのはあたりまえで、集団のものだからこそ、他人に迷惑をかけないというゆるがせにできない鉄則がでてくるのである。
 自由も平等も、民主主義も基本的人権も、他者との関係を土台にしている。
 人間が人間らしく生きられるのは、集団性や関係性が成立しているかぎりにおいてで、したがって、自由は、制限されなければ、自由たりえない。
 改革や規制緩和は歓迎だが、規制には反対というヒトが多いが、法治国家の根本は、法という規制で、六法はそのためにある。規制というガードレールがなければ、自由によって自由が殺されるというパラドックスが生じるのは、子どもにもわかる理屈である。
 ところが、ルソー主義を盲信する多くの日本人は、人間は、自由になるほどシアワセになると信じてやまない。
 自然状態では「万人の万人よる戦争がおきる」といったホッブズにたいしてルソーは「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている」と反駁した。ルソーやマルクス、フロイトがすきな日本人はルソーをうけいれたが、人間がうまれながらに自由だったのなら、うまれてすぐに立ち上がって辺りをかけまわっていたはずである。人間が単独で生きてゆけるまで十年以上かかる。それでも、自由というにはほど遠く、人間は、一生、じぶんという不自由な牢獄につながれたままなのである。

 ●新自由主義に破壊された資本主義の精神
 自由主義経済も、自由を制限しなければ、破滅へむかうことになる。
 企業形態がIT・AI関連に集中している現在、中国をふくめた世界経済の行く末を楽観することはできない。資本主義が不景気や不況、高インフレやデフォルトをこえた構造矛盾につきあたって、たちゆかなくなる可能性があるからである。企業収益がIT・AI企業に集中して、経済の空洞化と偏向がすすんでいるのである。
 資本主義は、企業による利益収奪機関ではなく、生産と消費、雇用と金融をとおして、社会全体に富がつみあげられてゆくシステムで、社会的な善≠ナある。
 日本の商道がめざしたのも、近江商人の売り手と買い手、世間の「三方良し」から江戸商道の合理性や徳や義で、代表的な人物に「堅く奢侈を禁ず。厳に倹約を心掛けよ」とした三井高利(越後屋/三井財閥)がいた。
 ところが、現在の経済は、竹中平蔵に代表される「儲かりゃいい」の新自由主義で、これが世界的に蔓延して、レーニンが『帝国主義論』でいったような侵略経済が進行しつつある。グローバル化した経済は米中の両帝国に握られていて、中国からおしつけられた巨額債務(債務のワナ)を返済できずに国家が経済破綻したスリランカのようなケースまででてきた。
 国家や国民をうるおす公器だった経済が、世界征服の道具になって、米中の毒牙がおよんでいない地域は、いまや、アフリカの一部だけになって、中国「一帯一路」の参加国も172か国(2021年)にふえた。
 経済が利益の収奪構造や他国侵略の武器になって、国民生活が疲弊しているのにくわえて、麻薬と貧困、凶悪犯罪がはびこって、多くの国々が窮地に追いこまれている。
 次回以降、旧植民地勢力などの動向見ふまえて、世界情勢を再点検してみよう。
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2023年01月04日

「全体主義」と「民主主義」の相克と調和2

 ●犯罪と麻薬、貧困がもたらす無政府状態
「世界の住みやすい国ランキング」の上位には、国土が小さく、人口が少ない先進国が多く、スイス、デンマーク、オランダ、フィンランド、オーストリアがトップ5を占めている。
 主要国では、ドイツ(8位)、アメリカ(15位)、日本(17位)、イギリス(21位)、フランス(28位)がランキング入りしているが、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(ブリックス5国)は30位の圏外におかれた。(NUMBEO/世界最大のデータベース)
 それどころか、中国以外、国家の機能が十分にはたらいていない無政府状態とみなされている。
 国家の仕組みや権力構造に問題があるのではない。
 国家が国家たるべき諸条件をみたしていないのである。
 現在、数十か国が内戦状態にあって、軍事衝突や反政府テロがくり返されているが、他に多くの国々も麻薬密売や武装ギャング、犯罪グループのバッコに苦しめられている。
 ブラジルやインド、フィリピンやインドネシアなどでは、一般住宅街と隣接する巨大なスラム街を根城に、犯罪集団や麻薬組織がヤミの経済圏を形成して、警察と抗争をくり広げている。
 世界の多くの国は、内乱やテロ、麻薬組織やギャングによる凶悪犯罪(殺人)の危機にさらされているばかりか、失業や貧困、スラム街(貧民窟)や難民問題をかかえて国家機能を失いかけている。
 世界には、犯罪と麻薬、貧困による無政府状態≠ニいう体制が存在していたのである。

 ●独裁国家よりも少なかった民主主義国家
 スウェーデンの独立研究機関が、世界の政治体制を4つの類型に分けた。
 ▽閉鎖型独裁/中国や北朝鮮、ミャンマーなどで、選挙における立候補の自由がない
 ▽選挙による独裁/ロシアやトルコ、インドなどで、選挙における立候補に制限がある
 ▽選挙による民主主義/ブラジルやインドネシア、モンゴルなどで、選挙における自由や権利が保障されている
 ▽自由民主主義/欧米や日本や韓国などで、普通選挙法のほか個人の権利や自由、法の下の平等、立法と裁判所による権力の制約などが約束されている
 そして、同機関は、民主主義国家の人口が23億人対55・6億人の比率で独裁国家よりも少なかったと報じて世界に大きなショックをあたえた。
 英オックスフォード大の国際統計サイト(「OWID」)も199か国を4つに分類して「自由民主主義(34か国)」と「選挙による民主主義(56か国)」の合計90か国にたいして「選挙による独裁(63か国)」と「閉鎖型独裁(46かカ国)」が合わせて109か国で、民主主義国家よりも独裁国家(権威主義的国家)な国の方の人口が多かったと報告している。
 民主主義の劣勢は、別の方面からも上がっている。米シンクタンク「ピュー・リサーチセンター」の調査(2020年)によると、民主主義34か国の国民52%が「自国における民主主義の機能の仕方に不満がある」と回答し、満足と応えたのは過半数にみたない44%にとどまっている。
 国際社会を「民主主義」と「独裁」の対比で見た場合、人口比も国民の支持も独裁側にあって、民主主義が人類最高の統治システムという結果にはなっていなかったのである。
 
 ●権威不在の民主主義と自由のない全体主義
 民主主義は、中ソの共産主義と英米の自由主義へと分かたれて、共産主義は滅びた。自由主義も、新自由主義とリバタリアニズム(自由至上主義)、修正資本主義へと移行して、普遍的な影響力を失っている。
 天安門広場に毛沢東の肖像を掲げる中国では、習近平政権がすでに3期目を迎え、プーチンのロシアは、スターリンの29年(1924〜1953年)につぐ独裁政権を維持、北朝鮮の金正恩と並んで、世界三大王朝政権を形成している。
 ルソーのいったように、国民主権は、直接民主主義から共産主義をへて、ついに独裁体制になったのである。
 アメリカも、間接民主主義の議会は無力で、公選制の大統領が大きな権力をもつ疑似独裁である。
 国民主権と民主主義は、結局、独裁者が権力を掌握するための方法論でしかなかったのである。
 民主主義が、世界中で、独裁に圧されているのは、民主主義が無力だったからである。
 中国に、反政府軍やギャング団、麻薬組織やスラム街も存在しないのは、強権で叩きつぶしてしまうからで、世界の指導者が中国や北朝鮮、ミャンマーなどの「閉鎖型独裁」あるいはロシアやトルコ、インドなどの「選挙による独裁」を志向するのは当然だった。
 どの国も、ギャング団や麻薬組織、貧困やスラム街はいらないのである。
 民主主義が無力なのは、権威が不在だからで、権威がないところでは暴力や反乱、略奪や犯罪がおおっぴらになる。
 かつて、日本が、道徳国家だったのは、天皇の権威の国だったからだった。
 
 ●第三勢力を交えて混沌とする体制問題
 独裁国家は、権威主義的国家でもあって、民主主義と権威主義は相容れない。
 民主主義国家は、権威主義を暴力革命で倒して成立した国家だからである。
 じじつ、第二次世界大戦は、権威主義(日独)と民主主義(米ソ英仏)が覇権をあらそった戦争だった。
 このとき、民主主義のルーズベルトと共産主義のスターリンが手をむすんだのは、共産主義と民主主義は、一卵性双生児だからで、共産主義や民主主義が独裁となるのは、ルソーがいったように、国民主権をあずかった為政者が主権者として全権を奮えるからである。
 全権者は、大日本帝国憲法においては、天皇だったが、戦後の日本国憲法では国民となった。多くの日本人は、日本国民に主権があるというが、日本国民全員にあたえられた権利を個人が行使することはできない。明治憲法下、主権者だった天皇は一度も主権を行使しなかった。国家にそなわっている主権を天皇陛下という個人の資格で行使できなかったのである。
 第二次大戦後、伝統(全体主義)と革命(民主主義)の思想戦が展開されたが、舞台となったのは、戦闘がおこなわれた中国や朝鮮半島、東欧やベトナムではなく、銃弾が一発もとびかうことがなかった日本だった。
 日本の左翼は、資本主義や自由主義の恩恵をむさぼる一方、ルソーやマルクスを、思想や学問の祖として奉って、反国家と反伝統、国民主権、民主主義を叫んだ。
 その結果、日本は、国をまもる気概をもった国民が10%(世界平均約70%)にみたない情けない国になってしまった。
 じじつ、世界の国々では、政治家になる理由のトップが愛国心だが、日本の場合、国家や国民ではなく、民主主義をまもるために政治家になるという。
 次回以降、第三勢力(AA会議/旧植民地)を視野に入れて、民主主義と全体主義の動向に目をむけていこう。
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2022年12月18日

「全体主義」と「民主主義」の相克と調和1

 ●全体主義と民主主義は敵対関係にある?
 最近、全体主義と民主主義の本質をえぐりだす二冊の書籍に出遭った。
 京都産業大学名誉教授ロマノ・ヴルピッタの『ムッソリーニ/イタリア人の物語』と『民主主義の内なる敵(ツヴェタン・トドロフ)』である。
 精読する根気がないので、ざっと拾い読みしただけだが、大方、エッセンスは読みとれた。
 これまで、全体主義と民主主義は、敵対的な関係にあると思われてきた。
 ところが、この二冊は、そんな認識に変更を迫ってくる。
 ロマノによると、ムッソリーニは、全体主義をとおして国民の利益をえようとしたすぐれた政治家だったという。チャーチルやルーズベルト、レーニンや反全体主義のガンジーまでが、その政治哲学に深く感服したほか、ヒトラーも死ぬまでムッソリーニを尊敬してやまなかった。
 ムッソリーニの全体主義が、いまもなお、イタリアで高い評価をえているのも、かれの全体主義が国家や国民の利益を見すえたすぐれた思想だったからであろう。
 国家と国民は、国家が利益を獲得すれば国民が恩恵をうけ、国民がゆたかになれば国家も富むという相関関係にある。すぐれた指導者の下にあって全体の利益が個に還元される全体主義は、個々が勝手に利をむさぼる民主主義よりもゆたかだった可能性が高い。
 一方、トドロフは、こう警鐘を鳴らした。民主主義が、進歩と自由、人民の暴走によって、悪しき全体主義へ傾いてゆくと、自由が権利、進歩が、たとえ個人のものであっても、大衆迎合化(ポピュリズム)に煽られて、全体主義へつきすすんでゆくはずである。まして、大衆は、マスメディアを味方につけているだけに、その傾向がはなはだ著しい。
全体主義をつきつめると、民主主義的になって、完全な民主主義をもとめると、全体主義に近づいてゆく。
 これは、逆説だが、中国やロシアが民主主義を平然と口にする一方、新自由主義に走ったアメリカが全体主義の色合いを濃くしている現実をみれば、その逆説が、目下、着々とすすんでいるとわかる。

 ●二元論で解消された「個と全体の矛盾」
 政治には「個と全体は矛盾する」という重大なテーゼ(命題)がある。
 国民が民主主義に、国家が全体主義に立つと、国民と国家は、抗争の構図にまきこまれるが、両者の相克には、折り合いのメドが立たない。
 これまで、多くの哲学者や政治家らが「個と全体の矛盾」という難問に取り組んできた。だが、どこからも妙案やよい知恵はでてこなかった。個と全体の矛盾は、だれにも解くことができない難問として、人類につきつけられたままなのである。
 一つだけ例外があった。日本の天皇である。古来、日本の政治体制は権力の外に権威を立てる二元論によって、数千年にわたって安定的にまもられてきた。
 国体と政体、軍事と文化、伝統と進歩など、本来、矛盾するものが二元論によって並び立ち、個と全体の矛盾が解消されたばかりか、相補的作用によって一元論よりも大きな果実を獲得してきた。
 ハンチントン(『文明の衝突』)が、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに古墳時代の独自の国家形成がある。君が臣を任じて、臣が民を治める「君臣共治」や、君が民の立場にたつ「君民一体」が日本に固有の文化文明をはぐくんできたというのである。
 西洋の一元論と、日本の二元論や多元論の背景に、宗教のちがいがあるのはいうまでもない。
 西洋の宗教は、ユダヤ教とキリスト教、イスラム教とも、唯一神ヤハウェの下にある一神教で、異神や異教を立てると、死をもって贖わなければならない重罪である。
 一方、日本の宗教は、万物に精霊が宿るアニミズムや自然崇拝、神話にもとづく多神教で、神仏習合では、天照大神(日輪)が仏教の最高神、大日如来に見立てられた。
 日本で、個と全体の矛盾が表面化しなかったのは、宗教まで諸仏(如来)が太陽(日輪)の下におかれたおおらかな二元論だったからである。

 ●自然は神から人間にあたえられた糧という傲慢
 西洋の一元論に拍車をかけたのがキリスト教の人間中心℃蜍`だった。
 人間主義は、ヒューマニズムで、人文思想である。
 一方、人間中心主義は、宗教観念で、自然や生き物は、神が人間ために用意してくれた糧なので、いくら破壊しても殺してもゆるされるというおそろしい思想である。
 これが西洋人の肉食の思想≠ナ、旧約聖書(「創世記」)には「海の魚、空の鳥、地を這う生き物を奪いつくせ」とある。古代(7世紀の天武天皇)から屠殺と肉食が禁じられていた自然崇拝の日本と西洋では、精神風土が根本的に異なるのである。
 ところが、明治以降、日本にユダヤ・キリスト教文明が入ってくると、肉食とともに、他の動物を殺し、自然を徹底的に支配する人間中心主義がはびこりだした。
 ヨーロッパやアメリカで森林が消滅したのは、人間中心主義のせいだったが、日本でも、明治以降、自然崇拝が忘れられて鎮守の森が消え、工場排水で国中の河川がずたずたになった。
 人間中心主義は、神と信仰契約をむすぶ代償として神から人間に授与された地上の最高支配者の位である。
 ところが、非キリスト教の日本には、絶対神信仰や神との契約という西洋の宗教感覚が存在しない。
 したがって、日本の人間中心主義は、神への信仰なくして、食肉や自然破壊という神の恩恵をうける一方という身勝手なものになった。西洋化が、日本でグロテスクなものになっていったのは、キリスト教文明の恩恵をうけながら、唯一神にたいする畏れ(祈りやタブー)が存在しなかったからである。
 そして、人間中心主義を、憲法で保障された基本的人権や自由のようにうけとめて、人間はこの世の崇高な支配者だ、自由には際限がない(リバタリアニズム)と考えるひとまでがあらわれた。

 ●プロテスタンティズムからうまれた革命思想
 専制政治も民主主義も一元論だが、根底に、一神教のキリスト教がある。
 絶対王権をささえたのは「王権神授説」だったが、その専制政治を破壊した民主主義の土台も、プロテスタンティズムだった。
 全知全能の神という絶対的存在の前では、身分や階級、歴史や伝統にはなんの価値もない。価値があるのは、神と信仰契約をむすぶ個人だけで、その個人が民主主義の精神となった。
 西洋の思想は、すべて、キリスト教の焼き直しだったのである。
 近代民主主義の出発点となったのが英国のピューリタン革命だった。絶対王権をふるう国王チャールズ1世に反発して、内乱がおきると、クロムウェルが率いた独立派が勝利をおさめて、ついに、チャールズ1世を処刑してしまう。
 フランス革命では、ブルボン朝のルイ16世と妃のマリー・アントワネットが共に処刑されたが、ギロチンで首を落された貴族が1万6594人、その他の方法で殺された旧体制の人々は50〜100万人にものぼる。
 絶対王政や専制政治、宗教戦争や革命では、大量殺人がおこなわれる。一元論においては、神と悪魔のたたかいになるからで「十字軍の遠征」から植民地侵略にいたるまで延々と虐殺がくり返されてきたのは、一元論が、神と悪魔が永遠に否定しあう殺戮の論理≠セったからである。
 ところが、日本には、キリスト教的な価値観が存在しない。
 神との契約という個人主義や人権思想、民主主義の土壌も用意されていない。
 したがって、西洋の概念が、内実のない上っ面のことばとして入ってくる。
 西洋の概念は、すべて、啓蒙主義や宗教改革、市民革命の産物である。
 日本の左翼はぺらぺらと言論の自由などをのべたてるが、西洋人の自由への渇望は、血と骨、遺伝子に刻みこまれた苦しみの記憶、牢獄と多くの屍に埋もれた千年の歴史をひきずっている。
 日本人は、革命を知らない。したがって、自由や平等、進歩や人権といった革命の叫びやスローガンが、辞典の文字以上の意味をもって迫ってくることがない。
 全体主義と民主主義、そして、天皇は、それぞれ歴史背景が異なっている。
 この三つの概念が拠って立つ宗教や歴史、文化を体験的に理解しているのでなければ、全体主義も民主主義、そして、天皇も、これを語ることはできない。
 全体主義と民主主義、そして、天皇が調和した国家像をいかに構築するか。
 それが、現在、日本人にとってもっとも大きな問題になっているのである。


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2022年12月04日

 学歴≠ニいう相対主義と天皇の絶対性

 ●知恵と知識の区別がつかない日本人
「人間は考える葦である」といったパスカルは「知恵は知識にまさる」という名言を残してもいる。
「進化論」のダーウィンや発明王のエジソン、相対性理論のアインシュタインは子ども時代、勉強ができなかったが、大発見や大発明、科学の分野で大功績をあげて、歴史に名を残した。
 アインシュタインは「学校は知識をおしつけて、じぶんで考える知恵を害った」といって学校有害論を唱え、小学校を退校させられたエジソンは、無学な母親を家庭教師として、創造力という知恵を鍛え上げた。
 アインシュタインは勉強が役に立たない理由を問われて「答えが用意されているから」と答えたが、多くの日本人は、アインシュタインの真意を理解できない。
 アインシュタインは、答えを知ることも答えを暗記することも、死んでいる知識でしかない。答えのない問いにとりくんでこそ創造的な生きた知恵をえることができるといったのである。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンのことばも曲解されている。小学校をやめさせられたエジソンの家庭教師となった母親のナンシーは、当時、まだ20歳代で、質問魔のエジソンになにも教えることができなかった。「じぶんでお考えなさい」というのがナンシーの口癖で、エジソンはナンシーのもとで、自由に考え、そして、ついに天才となった。
 エジソンの努力は、発汗(パースピレーション)で、机にむかって勉強する努力とはほとんど反対の意味である。

 ●ユーラシア大陸の東端でうまれた独自の日本文明
 日本人が、努力や勉強、知識をありがたがって、いまなお、東大神話を奉るのは、日本が極東の島国で、ユーラシア文化(シルクロード)の終着点だったからである。
 日本人にとって、海をこえて、西からやってきた文物を受容することが文明文化だったのである。
 だが、一万年前の縄文時代から、日本人は、独自の文化圏を形成した独自の民族で、ユーラシア大陸にとりこまれることがなく、移入したユーラシア文化を土台に国風&カ化をあみだしてきた。
 仮名文字や宗派仏教、絵画や建築など、日本文化の原点は、たとえ、中国にあったとしても、それを取捨選択して、日本人は、巧みに独自の文化へつくりかえてきたのである。
 その代表的な人物が聖徳太子で、律令体制や仏教を移入しながら中華思想や冊封制度を拒絶する一方、中国の皇帝に独立宣言を送りつけた。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
 中国に隷属したのが、小中華思想のもとにあった朝鮮で、孔子の儒教を国家理念としたほか、政治制度も中国の制度をとって、科挙(官吏の採用試験)や宦官(官吏の去勢)の悪弊を導入したほか貢女(中国王朝に美女を献上)までおこなってへつらった。
 中国や朝鮮、西洋の悪弊が日本に入ってこなかったのは、天皇がいたからである。
 ハンチントン(『文明の衝突』)は、日本文明を世界八大文明の一つにくわえた理由の一つに、古墳時代の独自の国家形成をあげている。

 ●明治維新のヨーロッパ化と敗戦後のアメリカ化
 日本が、文明の衝突によって、一大転機を迎えるのは、鎖国をやめて、国をひらいたあとである。
 それが、明治維新のヨーロッパ化と第二次大戦敗戦後のアメリカ化である。
 明治維新で、権威の座から権力の座に移された天皇は、昭和軍国主義で神格化されたが、敗戦後、占領軍によって、憲法という人為法(実定法・人定法)の下におかれた。
 日本文明の基礎となる天皇が、有史以来、はじめて、ユーラシア文明である人為法に屈したのである。
 絶対的な権威の下にあった伝統国家が、相対的な権力の下にある民主国家へ変容するのが革命である。
 国連常任理事国の米英仏ロ中のほか、先進国のほとんどが革命国家で、伝統国家は天皇の国日本だけである。
 明治維新の「文明開化」は西洋化で、欧米から学ぶことが大きな文化的価値となったが、第二次大戦敗戦後も同じことがおきた。GHQの神道指令や民主化、軍国主義や皇国史観の廃止、公職追放で勢いをえた左翼が、マルクス主義や民主主義、啓蒙主義などの西洋思想をもちこみ、これを最高の文化的規範としたのである。
 外来思想は、すべて、相対的な価値で、みずからつちかったものではない。
 したがって、学ばなければならないが、学ぶは真似ぶで、コピーすることでしかない。
 大学の世界ランキングで、東大や京大が、トップのオックスフォードやケンブリッジ、ハーバードから大きく引き離されているのは、日本の学問は勉強で、西洋からマネぶことだったからである。
 天皇が絶対というのは、歴史や民族、伝統文化の結晶だからである、
 学歴主義が有害なのは、教師から学ぶ相対主義だからで、官吏登用のための科挙がいかに社会の発展を妨げてきたか、中国や朝鮮をみるまでもない。
 科挙制度が国の発展を妨げたのは、学問が立身出世の手段となって、社会や国に貢献しなかったからである。
 学力主義やテストなどの競争は、究極の個人主義で、個人を超越する天皇の資質として、もっとも不必要で、いまわしいものである。

 ●学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事
 現在、日本は、偏差値やIQ神話、東大ブームで、テレビも、日夜、東大王やインテリ軍団と大騒ぎである。
 テレビの視聴者が受験ママ≠ニかぶさっているからだが、これに週刊誌やネットがのって、学歴主義を材料にした皇室への冒瀆記事が出回っている。
 ▼「悠仁さま」初の「東大天皇」悲願の「紀子さま」が焦燥赤点危機≠ナ赤門赤信号?超進学校の授業に戸惑い 追い詰められ背伸びの*魔フ「学業」懸念(『週刊新潮』)
 ▼悠仁さま 名門・筑附で囁かれる成績不振…紀子さまの「学校選び」が裏目に(『女性自身』)
 週刊誌のほか、匿名の上から目線≠フネットでは【悲報】悠仁、アホすぎて現国で赤点(5ちゃんねる)といった書き込みが沸騰しているが、その原因となったのが、秋篠宮さまが選択された筑波大附属高校への進学で、視野に東大推薦入学があるいわれる。
 だが、学歴社会の象徴たる受験戦争の勝者になって、はたして、天皇の権威がまもられるであろうか。
 悠仁親王のご教育については、皇室問題にとりくんできた小田部雄次・静岡福祉大学名誉教授の指摘が的を射ている。「いまの悠仁さまにもとめられるのは立派な学歴ではなく、立派な人格を身につけ、将来の天皇のご自覚をおもちになることです。悠仁さまが歩まれている学歴のレールは、受験戦争のなかでも最も激しい場所へむかっている。競争社会の只中における受験校での生活においてこれからの時代に相応しい帝王学を学ばれ、将来のお立場についてお考えになるゆとりがあるか、心配でなりません」(週刊新潮)
 次回以降、日本中がうかれている学歴主義が、かつて、日本を危機に陥れた近現代史についてもふれよう。
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2022年11月21日

 日本経済は「失われた30年」からどう立ち直るかA

 ●「半導体王国」から「IT後進国」へ転落した日本
「産業のコメ」と呼ばれる半導体の分野で、1990年前後、売上高の世界ランキングで上位を独占したのがNECや東芝、日立製作所などの日本企業だった。
 ところが、現在、日本の半導体メーカーは、10位以内に一社も入っていないどころか、シェアにいたっては、昨年の10%からさらに下がった6%で、5年後には、0%になる可能性もあるという。
 半導体の世界の売り上げのベスト3は、台湾(TSMC)と韓国(サムスン電子)、インテル(アメリカ)で、日本の半導体は、スマートフォン(スマホ)と同様、世界マーケットの末端にかろうじてひっかかっているだけである。
 ちなみにスマホの売り上げ世界ランキングは、韓国のサムスン電子が1位、2位はアメリカのアップル、3位〜6位が中国製で、日本製は、世界シェアの1%にもたっしていない。
 韓国は、数年以内に経済で日本を追い越すと宣言したが、デジタル部門ではすでに大きく日本をこえているのである。
 半導体やスマホにおける日本の技術は、けっして低くはなく、世界のスマホはすべて日本製といわれるほど日本の部品が多く使用されている。
 半導体も、部材や製造装置のほか、自動車は家電製品などにつかわれるパワー型や音響、画像処理センサーなどの汎用型分野では、日本製品は、いまなお高い国際競争力をもっている。
 部品や部材、製造装置で一定のシェアをもつ日本の半導体が、製品になると、自動車以外、全滅というのは、いったいどういうわけであろうか。
 原因の一つに、半導体などIT文明の足取りがはやすぎることがあげられるだろうが、台湾や韓国も、条件は同じで、日本だけがハンデをかかえているわけではない。
 あえていえば、官僚主導の日本の制度および経済体制が、デジタル革命のスピードについていけなかったのである。

 ●日本の「失われた30年」と世界の「デジタル30年」
 コンピュータやネットワークを使うIT(情報技術)や、ロボットや工場の自動化、監視カメラや映像レコーダーにもちいられるAI(人工知能)は「3年たてば中古になる」といわれるほど進歩のスピードがはやく、パソコンのOS(基本ソフト)もウインドウズ95から現在までの30年たらずのあいだに10代も様変わりしている。
 スマートフォンの普及と関係が深い「移動通信システム」も1980年代の第一世代(1G)から現在の第五世代(5G)までの40年間で大発展をとげて世の中がガラリと変わった。
 日本の「失われた30年」は、世界がデジタル革命≠のりこえてきた「実りある30年」でもあったわけで、日本と世界のあいだに大きな落差が生じたのは事実である。
 1990年代のアメリカ・シリコンバレーの「情報スーパーハイウェイ構想」からはじまったデジタル革命は、それまでの価値観や経済観を一変させる文化革命でもあって、このとき、社会構造や企業の仕組みまでが大きく変わった。
 トップダウンの「ツリー型(木)」だった従来の企業の仕組みがボトムアップの「リゾーム型(根茎)」になって、経営者と社員、技術者が一線に並ぶようになったのがその一つで、マイクロソフトなどアメリカの一流IT企業は、社長室や出勤簿を廃止して、社長と社員、リーダーがアイデアをメールで直接やりとりするまでになった。
 この仕組みを真似たのが韓国や台湾のIT企業で、マイクロソフト社やアップル社と手をむすんで、デジタル革命のレールに乗った。
 デジタル文明は、創造的な価値で、高学歴者や経営者が学んでえられるものではない。世界一のハッカーが13歳の少年だったように、デジタルの能力は学歴や年齢と関係がなく、若者の自由な発想からとびだしてくるのである。

 ●「デジタル革命」と無縁だったアナログな政・官・財界
 企業形態がリゾーム型になることによって、若者のアイデアや意見が経営に反映されるようになって、IT企業は特異の発展をとげた。
 一方、デジタル革命がおきなかった日本では、霞が関がのりだしてきて、利権と許認可の網をはって、IT分野に管轄下においた。
 高級官僚は、東大法卒で、過去の知識は豊富だが、ITやAI、デジタルやネットワークなどの新科学については未体験で、ほとんどないも知らない。
 ちなみにアメリカのIT企業成功者は、90%がじぶんでパソコンの本体やネットワークをつくりあげることができるデジタルおたくの高卒である。
 日本はアメリカとシリコンバレーでIT戦争をたたかって敗れた。
 ITやデジタルの専門家であるアメリカの経営者と大学で古い知識を学んできたインテリ役人や雇われ社長が、ITの土俵で争って、勝負になるわけはなかった。
 IT戦争の延長線上にあったのが半導体戦争だった。
 日本の経営者が、産業通産省の指導の下、大量生産ができて利益率の高いDRAM(半導体メモリ)の製造にハッパをかけたのは、生産性よりも効率性を重んじたたからで、日本製DRAMはピカ一だった。
 ところが、日本の高性能DRAMは、安価な韓国やマイクロン(アメリカ)に惨敗する。パソコン用のDRAMは、日本の4分の1の精度で十分だったからで、性能さえよければ勝てるという日本側の読みは完全に外れた。
 そこで、霞が関は、DRAMを捨てて、システムLSI(集積回路半導体)へ転向するように大号令をかけたが、これも大失敗だった。
 システムLSIは、企画や設計のほか、コンサルティングやリサーチ、マーケティングや販売を担当するファブレス企業と、生産機能だけをうけもつファウンドリ企業の二本立てになっていなければ成り立たない。
 だが、日本の役人(産業通産省)はその大原則に注意をたいして注意をはらわなかった。
 集積回路は、機能や目的が異なる回路を組み合わせたチップで、多種少数となるので、ハードウエアであるファウンドリ企業は、顧客を多くもたなければ経営が成り立たない。
 一方、企画と設計、販売をうけもつファブレス企業は、ソフトウエアだけに力を注ぎ、ファウンドリ企業から、設計どおりに完成させたシステムLSIを買いとるだけである。
 最近、中国が、半導体企業の誘致に、設計と製造のセッティングするように注文をつけてきたのは質の設計≠ニ量の製造≠ェかみあわなければシステムLSI生産を軌道にのせることができないからである。

 ●半導体で日本が世界ナンバーワンの返り咲く3つの戦略
 苦境にある日本の半導体だが、明るい展望が3つある。
 1つは、次世代半導体の設計・製造の拠点となる「ラピダス」が設立されたことである。
 ラピダス社は、AIやスパコンなどに使われる回路の線幅2ナノメートルの最先端の半導体の開発と製造をめざす。
 実現すれば、アメリカや台湾、韓国に先んじて2ナノレベルのチップ量産が可能になって、堂々と世界マーケットに斬りこんでゆける。
「ラピダス」の出資者はキオクシア(旧東芝メモリ)・ソニーグループ・ソフトバンク・デンソー・トヨタ自動車・NTT・NEC・三菱UFJ銀行など8社で政府も700億円の支援をおこなう。
 2つ目は、世界一の半導体ファウンドリ企業である台湾のTSMCがソニーセミコンダクタソリューションズとともに、熊本県に新工場を設立することである。
 日本政府の熱心な誘致が功を奏したともいえるが、TSMCも、日本からシリコンウエハー(半導体の材料基板)の供給がうけやすいという利点もあった。
 半導体の生産にはシリコンウエハーが不可欠だが、現在、この分野で世界のトップシェアに立っているのが日本で、信越化学とSUMCO(新日鐵系列)の2社だけで世界供給量の57%を占める。
 シリコンウエハーは、ほぼ100%のケイ素インゴットで、これがなければ半導体をつくれない。シリコンウエハーは、日本の他、台湾と韓国、ドイツが世界シェアを分けあっているが、ファウンドリ(半導体受託製造)で世界市場の5割を生産しているTSMCが必要とするシリコンウエハーは、自国の生産量をはるかにこえる。
 熊本工場で生産される半導体は、22〜28ナノメートルと数世代前の技術だが、半導体市場はITやAIから自動車や電化製品、各種機器まで幅が広く、集積度の高い半導体だけに需要があるわけではない。熊本工場の半導体は自動車立国の日本にとって大きな朗報なのである。
 3つ目は、キオクシア(旧東芝メモリ)とキヤノン、大日本印刷がすすめている「ナノインプリント」と呼ばれる半導体回路形成の新しい技術である。
 ハンコを押すような製造工程で、最小線幅2ナノメートル未満の加工が可能なこの技術が実用化されると、精度の高い半導体を多量に、効率よく生産できるようになって、日本の失地回復の大きな武器になるはずである。
 以上3つが明るい展望だが、懸念されるのは、政・官・民の官の癒着問題である。
 経済産業省がテコ入れして、日立製作所とNEC、のちに三菱電機が設立に参加した「エルピーダメモリ」が2012年に経営破綻したのは、国の支援や補助金に甘えた放漫経営の結末だった。
 DRAM事業を統合した「日の丸半導体メーカー」と呼ばれて思いあがったわけではあるまいが、品質がはるかに劣る韓国製に負けて、当時、戦後最大の約4480億円の赤字を背負い込んだ。
 マーケットがコンピュータからパソコンに移って、高品質より低価格がもとめられていることに気づかなかった凡ミスで、アニマルスピリットを欠いた官導型経営の大失態だった。
 半導体市場の特徴は、変化とスピード、多様性にあるが、役人や古いタイプの経営者は、この道筋が読めない。
 若者や女性を多用するシステムでも導入して新しい風を吹き込まなければ「エルピーダメモリ」の二の舞になる可能性も否定できないのである。
「失われた30年」と半導体の悲劇≠ゥら立ち直る機会がようやくめぐってきた。
 このチャンスをつぶすと、日本は「失われた40年」へふみいってしまうことになるのである。
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2022年11月07日

日本経済は「失われた30年」からどう立ち直るか@

 ●経済を「新自由主義」型から「信用創造」型へきりかえよ
 1955年以降の高度経済成長と池田勇人の所得倍増計画(1960年)によって、日本経済は、大躍進をとげた。
 だが、70年代のニクソンショックと石油ショック、85年のプラザ合意が契機となったバブル経済とその崩壊(91年)、新自由主義に立った小泉改革をへて、日本経済は「失われた30年」という長い沈滞期へ突入していった。
 1990年、大蔵省は、バブル経済を沈静化させると称して総量規制という禁じ手を使っている。
 その結果、地価や株価が暴落して、日本経済は、もののみごとに崩壊した。
 あたりまえである。1兆円が10兆円として機能している信用創造に制限をかければ、金融経済全体が縮小して、国家や国民が貧困化しないわけはない。
 総量規制は、真珠湾攻撃のようなもので、バブル沈静の特効薬になった。
 げんに、真珠湾攻撃に喝采を送るヒトがいるように、あのとき、総量規制が必然だったという経済学者や論者も少なくない。バブルはいつか崩壊するのではやく手を打ったほうが傷も浅いという理屈である。
 だが、オランダのチューリップバブルの崩壊は単品投機で、1930年代の世界不況については、いまだ原因がわかっていないが、原因の一つに生産力と購買力の構造的落差があるので、一過性のバブルやバブル崩壊と同列に論じることはできない。
「失われた30年」というダメージを負っておいて、総量規制が深手を避けるためのものだったといっても言い訳にもならない。
 1990年代前半に一人当たりGDP世界第一位を記録するなど世界有数の富裕国だった日本は、現在、アメリカ、中国に次ぐ世界第3位だが、実数では、アメリカの20%強、中国の28%にとどまって、4位のドイツとは僅差である。
 1人当たりGDPにいたっては世界27位で、ドイツなどヨーロッパ諸国に水をあけられているほか、国連の幸福度ランキングでは世界56位という後進国並みのレベルに転落している。

 ●日本の商道の「ヒト・モノ・カネ」の哲学
 経済は、需要と供給、資産と負債などの二元論で語ることができない。
 生きている人間とかかわる多元論で、その象徴が信用創造≠ナある。
 信用創造は、貨幣経済のことでもあって、西洋の初期の資本主義にも日本の商道にも、ヒトとモノ、カネにまつわる哲学があったのである。
 経済が生産、貨幣と資産の二元論なら、アメリカの好況や、勢いがとまらない中国経済、ウクライナ戦争で一日数兆円の戦費を使っているロシア経済が破産しない理由に説明がつかない。
 米中ロなどの大国の国家経済がつぶれないのは貨幣発行権という信用創造の能力を行使しているからで、評論家の木村太郎が「夏までにロシアは経済破綻をおこして消滅する」と誤った予言をおこなったのは、信用創造という局面が見えなかったからだった。
 この信用創造をぶち壊したのがバブル崩壊時の日本の総量規制(ハードランディング)だった。
 その一方、現在、中国でおきている行政区単位のバブル崩壊が表面化しないのは、権力がこれをおさえこんでいる(ソフトランディング)からである。
 中国も、日本のように総量規制をかけるとパニックがひろがって中国経済も危機に陥るはずである。1929〜36年のアメリカ発大恐慌は、ウォール街の株式が大暴落(「暗黒の木曜日」)からはじまったが、直接的には株価暴落にともなう取り付け騒ぎで銀行が破綻、融資をとめられた企業も倒産して失業者が町にあふれだしたからだった。
 当時の共和党がなに一つ対策を打ちだせなかったのは経済を知らなかったからで、フーバー大統領以下、政府首脳は、需要と供給が自動的にバランスをとりあうというアダム・スミスの「神の見えざる手」を素朴に信じているだけだった。

 ●所得倍増計画の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」
 経済は、自由放任主義や市場原理、資本の論理にまかせてしまうと創造性やモラル、信用などの価値観を失って、破綻へむかう。
 恐慌や富の独占、戦争へむかうのが資本主義の負の局面で、経済は、政治と同じように、善や法、秩序など、全体の利益をもとめる国家という大きな枠でとらえなければならない。経済も、国民主権のルソー型と、国家主権のホッブズ型の2つのパターンに分けられるのである。
 浜矩子(同志社大学大学院教授)はMTT理論を批判して「国家に永続性はない」とのべた。
 浜らのマルキストがもとめるのは、ホッブズ的な国家ではなく、ルソー的な人民政府で、国家資本主義の発展をめざすホッブズ型経済(ケインズ主義)はかれらの敵なのである。
 池田勇人の所得倍増計画がケインズ主義の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」にもとづくものだったことは、池田のブレーンだった大蔵官僚で経済学者だった下村治がケインジアンだったことからもわかる。
 ケインズ主義の対極にあるのが新自由主義で、市場の原理を「神の見えざる手」にたとえ、自由放任を主張したアダム・スミスの上をゆくリバタリアニズム(超自由主義)である。
 主唱したのは、シカゴ大学のフリードマン教授で、これを日本に移入したのが市場主義や規制緩和、民営化を主軸とする「聖域なき構造改革」をすすめた小泉純一郎と竹中平蔵だった。
「小泉改革」が失敗に終わったのは、経済停滞が構造の問題≠ナはなく、下村が指摘したように人間の問題≠セったからで、小泉・竹中が民営化をすすめた郵政は、アメリカの食い物にされただけだった。
 
 ●「効率化」の自由主義と「生産性」のケインズ主義
 日本は得意の「ものづくり」でも醜態をさらした。IBMの産業スパイ事件(1982年)で日本製パソコンにソフト上の縛りがかかって、IBMの拘束をうけないコンパック(米製)に敗退したほか、市場では自治労などの労組がパソコンの使用が労働強化にあたるとして敵対視したため、学校でのパソコン教育が大幅に遅れて、日本は世界で最悪のIT・パソコン後進国になってしまった。
 社会保険庁が約5000万件もの年金記録(年金番号)を紛失したのはパソコン業務を外注に回したからだった。
 パソコン作業の外注以外、これまで日本企業は「丸投げ」という外注思想によってみずからの首をしめてきた。
 マイクロソフトが開発してインターネット社会の牽引車となったウインドウズ95も、日本メーカーは、経済効率を考えてこれをサムスン電子に製造委託をおこなって、ITやパソコン部門、携帯電話で韓国におくれをとったばかりか、つくるものがなくなった日本の電器メーカーは軒並みに凋落した。
 効率だけを考えると製品リスク≠負わない部品製造のほうが、はるかに安全で、儲かるのである。
 原子力発電所の建設も、価格の安い韓国に依存して、東京電力などは韓国の原子力業界から感謝状をもらったほどだった。そのせいで、日本の原子力業界は衰弱の一途をたどって、東日本大震災のおける福島原発事故では、日本の原子力業界の非力は目に余った。部品がすべて韓国製なので、日本の技術者の手に負えなかったという話もささやかれた。
 日本経済や産業界、製造業がこれほど自信と誇り、能力を失ってしまったのは効率化≠ホかりに目をむけて生産性≠かえりみることがなかったからである。
 効率をいうなら新自由主義がチャンピオンだが、新自由主義が行き着く先は弱肉強食と格差、不平等と不公平のジャングルである。「自然に帰れ」のルソーはこれを自然状態としたが、ホッブズはこれを野蛮と見て、強力な国家を構想した。
 次回から「効率化」と「生産性向上」の比較論をとおして日本経済に将来を展望しよう。
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2022年10月23日

「うたのこころ」と日本人E

 ●自由をもとめた西洋、もともと自由だった日本
 ロシアのウクライナ侵攻を契機に、景気後退とインフレが同時におきるスタグフレーションが世界的に蔓延して、イギリスでは経済政策の失敗をめぐってトラス首相の辞任騒ぎにまで発展した。
 すさまじい物価高に苦しんでいるのはアメリカも同様で、FRBは打開策として、利上げに踏み切ったが、これが、低金利で好況が保たれているアメリカ経済の暗礁となるのではないかと懸念されている。
 日本経済が、コロナやウクライナ戦争、円安という大きな障害にもめげずに小康状態をたもっているのは、多元論的で、相対的な価値観をもっているからである。
 社会に多様性と奥行きがあるため、衝撃が分散、緩和されるのである。
 一方、西洋は、一元論的で、絶対的な価値観に立っているので、ショックが大きいばかりか、それが増幅されて、しばしば、パニックをひきおこす。
 西洋が一元的、絶対的なのは、一神教だからで、かれらが崇める神ヤハウェは絶対神である。
 日本が多元的、相対的なのは、多神教だからで、日本人が信仰しているのは万物に精霊が宿っているとするアニミズムや自然崇拝、神話信仰などのおだやかな神々である。
 正義や真理、唯一の価値を追求して、不正や偽りをきびしく断罪する西洋にたいして、日本人が、あいまいさや中間色、中庸の精神をもって事にあたるのは、絶対神や絶対的な価値が存在しないからである。
 そこに日本と西洋の最大のギャップがあって、このギャップが文化や習俗のみならず政治や経済に分野にまでおよんでいる。
 両者のこのちがいは、詰まるところ、宗教観のちがいにあるが、そのことにどれだけのヒトが気づいているだろう。
 西洋が自由をもとめたのは、一神教や絶対神の世界には自由がなかったからだった。したがって、中世ヨーロッパでは、ルネサンスから啓蒙時代、宗教戦争をへて市民革命にいたるまで、自由をもとめる壮絶なたたかいがくりひろげられたのである。

 ●自由の先進国から後進国へ転落した戦後日本
 日本でも、自由のためのたたかいがなかったわけではない。
 一向一揆や天草・島原の乱がそれにあたるが、西洋のように、それが革命に至らなかったのは、天皇がいたからである。天皇は、赤子である民が権力から虐げられるのを防いで、農本主義や平民文化、庶民による商工経済を背後からささえていた。
 日本の経済は、経済学の父アダム・スミス(1723〜1790年)以前の楽市楽座(1549年)から大坂・堂島の米相場(1730〜年)、江戸時代の商道≠ノいたるまで、自由主義を経済の根幹においてきた。
 世界一ゆたかで文化的だった日本の中世・近世は、権力が民を縛り、民から搾取しなかった恩恵で、教会と権力の両方から搾取されて、貧困に喘いでいたヨーロッパの平民とは大ちがいである。
 戦後の日本人は、なにをするのも勝手というのが自由主義と思っているようだが、自由をえるために、5百年以上にわたって血みどろのたたかいをくり広げてきたヨーロッパでは、事情がまったく異なる。
 西洋の自由は、国家や宗教、他者から個人の自由を奪われないことに自由の根幹があって、戦後の日本のように、他人にいくら心的苦痛や不快感をあたえてもかまわないという「表現の自由」や「言論の自由」とはまったくの別物である。
 かつて日本にあって、近代以降、自由主義とよばれる西洋のリバティ(自由)の根底にあるのが他者との関係である。
 自由は、他者の自由を奪わないことが大前提で、自由主義がモラルの原型となった理由がそこにある。
 日本にも「相身互い」「分相応」「折り合い」などの自由主義に立った格言があるが、戦後のアメリカ民主主義とルソーの国民主権、孤独な個人主義、マルクスの唯物論の前で、この日本的なモラルはすっかり影が薄くなった。
 自由には、ジョン・スチュアート・ミルの「消極的自由=〜からの自由」とアイザイア・バーリンの「積極的自由=〜への自由」があって、西洋人はこれを使い分ける。
 国家や他者から束縛をうけないのが消極的自由である。積極的自由というのは、国家も他者も、じぶんがなりたいじぶんになることを妨害できないというもので、この両者が組み合わさって、自由の概念ができあがっている。
 これが、日本人が大事にしてきた自由、西洋のモラルでもある自由主義で、自由とは、自由の制限と限界を示すものであって、手放しの自由讃歌ではなかったのである。

 ●4本の柱からできている世界の政治と経済
 現代の世界政治も世界経済も、4つの原理に分類することができる。
 政治は「ホッブズの国家主権」と「ルソーの国民主権」である。
 経済は「国家介入型のケインズ」と「放任型のハイエク」である。
 ケインズを純化すればマルクスに、ハイエクを煮詰めるとアダム・スミスをとおりこして新自由主義にゆきつく。
 アメリカが新自由主義なら、中国やロシアは、ルソーからマルクス、スターリン主義へ移行した独裁国家で、ヨーロッパやインド、ブラジル、アジア諸国もこの4パターンの中間型あるいは変形である。
 特異なのは日本で、ホッブズやルソー、ケインズ、ハイエクの4つのパターンにあてはまらない。
 市民革命からうまれた民主主義やリベラルにも日本には馴染まない。
 日本は「天皇の国」で、西洋のどんな歴史パターンや価値観にもあてはまらないのである。
 ところが、戦後日本は、伝統的な価値をかなぐり捨ててアメリカ化に走った。
 明治維新で、江戸文化を捨てて、西洋化に走ったのと同じパターンだった。
 日本国憲法は、市民革命の精神で、日本の伝統的な価値観は盛られていない。
 国民主権と民主主義、人権思想と個人主義によって、戦後の日本人は、歴史や国体、民族や集団性を失って、孤独で心貧しい市民になった。
 経済でも、日本は、国際化、西洋化の大波に呑まれた。
 田中角栄をロッキード事件で葬ったアメリカは、プラザ合意からバブル経済を誘導、バブル崩壊を仕込んで日本の富を奪い、俗にいう「20年の空白」を工作した。
 このとき、日本は、アメリカから「総量規制」を強要されて国家経済を破壊するという愚を犯した。そして「談合」や「護送船団方式」などをアメリカからつよく非難されて、日本的商習慣をすべて破棄したばかりか、法を改悪して、伝統的商習慣をすべて犯罪にしてしまった。
 この流れをひきついだのが小泉純一郎の「聖域なき構造改革」で、ブッシュ大統領にひっかけられて新自由主義という海賊経済にのりかえて、雇用と設備投資、賃上げをベースとする自民党の自由主義経済をことばどおりにぶっつぶした。
 そして、できたのが、格差社会と低賃金経済という情けないすがただった。
 アメリカ経済は、50人のリッチマンが国富の半分を握る狂った資本主義の様相をていして、中国やロシアは、国家があるかぎり、いくら紙幣を刷っても国家はつぶれないというMMT理論にのって、戦争をおこない、軍備を拡張している。
 次回以降、この狂った世界のなかで、日本は、いかに正気をたもっていけるのかについて考えていこう。
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2022年10月11日

「うたのこころ」と日本人D

 ●「人間主義」と「国家主義」へと二分された日本
「個と全体」の矛盾は、古今東西、長年にわたって問われつづけてきた永遠の難問である。
 中世ヨーロッパでは、これが、啓蒙主義とキリスト教のあらそいという形で噴出した。
 啓蒙主義が人間(=個)のめざめなら、キリスト教は国家(=全体)の根幹をなすもので、この二つの異質なるものが衝突しておきたのが宗教革命や政治革命だった。
 革命によって、神権神授説の神が唯物論や合理主義、科学におきかえられて近代的思想や文化文明、共和思想(社会主義・共産主義)がうまれたといってよい。
 3つ目の革命が産業革命で、近代の欧米世界は、宗教と政治、経済の3つの革命をへて完成したのだった。
 国連常任理事国の米・英・仏・ロ・中は、いずれも革命国家で、革命国家が採用したのが、民主主義と個人主義、合理主義と唯物論だった。
 だが、民主主義や合理主義、唯物論は「個と全体」を調整する機能をもっているわけではなかった。
 それどころか、神権神授説の代替えなので、ごりごりの一元論である。
「個と全体」の矛盾を革命という一元論で解消できるわけはなかった。
 そもそも、革命は一元論である。「個と全体」の矛盾を解消できるのは、あいまいさをゆるす多元論や唯心論、その両者の要素をかねそなえている自由主義でなければならなかった。
 西洋で、個人も大事だが、国家も大事というバランス感覚がはたらいているのは、民主主義と並んで、自由主義が尊重されているからである。
 自由主義というのは、日本の「和の精神」のようなもので、個人主義と国家主義、民主主義と伝統主義のバランスをとろうとする。
 ホッブズの「国家主権論」とルソーの「国民主権論」の中間にあるのがミル(ジョン・スチュアート・ミル)の「自由論」で、ヨーロッパが共産主義化をまぬがれたのは、ミルの自由主義が根を張っていたからだったのである。

 ●なぜ日本では「自由主義」が不毛なのか
 個人と国家の関係を語る最大の哲学がホッブズの社会契約説で「自然状態においては万人の万人による戦争がおこる」という警告は、国家の有用性を語ることばとして知らないヒトはいない。
 これにたいして、ホッブズの百年以上あとにうまれたルソーは「国家は人間の自由を奪った」として国家無用論=人民統治論を説いた。
 この人民統治論がフランス革命にとりいれられ、マルクスは、ルソー主義を共産党宣言にリライトして、これが、ロシア革命にむすびついた。
 日本には、マルクス主義やルソー主義者は、履いて捨てるほどいるが、保守主義のホッブズを語る者は少なく、ミルの自由主義にいたっては語る者がほとんど皆無である。
 日本人が、世界でもっとも重要な思想家であるミルを無視するのは、ミルの『自由論』が書かれたのが、明治維新の十年前だったからで、自由主義という考え方は、当時、西洋ですら新しい思潮だった。
 中江兆民は「民約論(社会契約論)」を約して、日本のルソーと呼ばれたものだが、日本にミルがあらわれなかったのは、明治維新に間に合わなかったからで、明治維新のヨーロッパ化をひきずっている日本の西洋主義者は、いまなお自由主義を知らないのである。
 戦後、ルソーの延長線上にあるマルクス学者が、洪水のようにあふれだして大学がその牙城となった。
 日本学術会議らの各種学会、学術団体をみればわかるように、自由主義という柔軟な心を失ったイデオロジストだったからである。
 ちなみに、日本の法曹界(司法・弁護士連合会)が左翼的なのは、法が西洋からの輸入品で、国体や「和の精神」などの日本精神と対立するからである。
 ミルの自由は、国家の有用性と個人の可能性を両立させるため国家と個人の自由を制限するというもので、その聡明さにおいて聖徳太子の「十七条の憲法」との類似点がすくなくない。
 世界は『社会契約説』のホッブズと『自由論』のミルをいまなお重要視しているが、ルソーやマルクスは見向きもされていない。
 いまなおルソーとマルクスを奉っている日本の左翼が思想界の化石≠ニ呼ばれるゆえんである。

 ●国家と国民を分裂させた明治維新の過ち
 かつて、日本が、世界一の国民文化をもっていたのは、民と権力のあいだに天皇という権威が介在したからで、権力から干渉をうけなかった民力はおおいに栄えた。
 天皇は、民の代表にして、権力の正統性を裏づける存在で、権力は、天皇のゆるしがなければ民を統治することができなかった。
 日本で庶民文化がはなひらいたのは、天皇が権力から民をまもっていたからだったのである。
 部屋に絵や書、生け花を飾る文化や百姓でも字が読める民度の高さ、宣教師が驚いた町の美しさや工芸や技術の高さは西洋以上で、ヨーロッパ人は日本の浮世絵や木造建築、刀剣の高度なレベルに最後まで追いつくことができなかった。
 庶民文化が衰退したのは、高税と徴兵制、軍国主義が国民を圧迫しはじめた明治時代からで、幕末以降、日本に新たな庶民文化はうまれなかった。
 日本が、国家主義と、人間(民権)主義に分裂したのも、明治維新からだった。明治維新が、国体を捨てた西洋の模倣だったからで、西洋の二面性(国家と国民)を見抜くことができなかった薩長政府は、列強の国家主義=帝国主義的な側面だけを真似して富国強兵を国家スローガンにした。
 日本は、いくつも大戦争ができたのは、税金の50〜90%が軍事費にむけられたばかりか、軍費の多くを外債に依存したからで、おかげで、国家財政は破産寸前だった。
 元禄振袖に代表される江戸文化の華麗さはすがたを消して、モンペにかすりという質素な衣服をまとった国民は「欲しがりません勝つまでは」という軍国スローガンを唱えさせられた。
 当時、東京の街は、町内のゴミ箱にハエがたかる不潔さで、美しかった江戸時代の面影はなかったが、軍国主義一色の国家が国民生活に目をむけることはなかった。
 これが、国家と国民の極端なアンバランスで、明治の富国強兵は、国家だけがあって国民が不在の時代だったのである。
 だが、第二次大戦後、その反動がきて、こんどは、個人をおもんじて国家を軽視する偏向がトレンドになった。
 国家主義を憎悪して、国民主義に憧れるという極端から極端への思想的ジャンプがおこなわれたのである。
 それが反日左翼・反国家主義で、かれらは、二言目には、国民や生命などと口にするが、それが、戦前の天皇ファシズムの裏返しということに気がついていない。
 国家に尽くした政治家の国葬の黙祷をジャマするため、数千人ものデモ隊が笛や太鼓を打ち鳴らすという蛮行は、個人主義や自由主義ではなく、死者への冒瀆という、人間性とモラル崩壊以外のなにものでもなかった。
 だが、反日左翼は、哀れにも、そんなことにすら気がつかなかったのである。
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2022年09月25日

「うたのこころ」と日本人C

 ●国葬問題からひきおこされた分裂国家≠フ危機
 安倍晋三元首相の国葬問題で、日本の国論がまっぷたつに割れている。
 世論が分裂しているのではない。同じ日本人が右と左、伝統と革新、権威と権力、民族派や国際派などへ二分されて、水と油の関係になっているのである。
 出席拒否をしるした国葬招待状をSNSに投稿して嘲る人々と、国家に尽くした指導者に哀惜の意をもって手を合わせる人々のちがいは、思想や信条ではなく、感性や価値観、人間性のちがいなので、永遠にわかりあうことはできない。
 日本は、単一民族の伝統国家ではあるが、かならずしも、心一つというわけではない。じじつ、戦後、日本は、左右両陣営にわかれて、熾烈な闘争をくりひろげてきた。
 そもそも、日本は、明治維新後、文化的に独立した独自の伝統国家ではなくなっている。明治維新は、国家改造クーデターで、薩長の下級武士がめざしたのは、西洋の専制国家で、大日本帝国憲法のモデルも、君主権が強かったプロイセン憲法だった。
 ヨーロッパ化と帝国主義化によって、日本は、国際連盟体制において、世界五大強国の一つにのしあがった。
 その一方、歴史や伝統にもとづいた日本独自の国体や文化や精神、習俗などが変質、形骸化、あるいは廃止された。
 それが、ヨーロッパを真似た天皇の王制化や華族制度、武士階級廃止などの鹿鳴館文化で、当時、浮世絵の版木や刀剣、美術品などの伝統的な文化をただ同然で外国人に売り払うという自己否定的、自虐的風潮がはびこった。
 第二次世界大戦の敗戦後も、同じことがおきた。日本は、皇国史観や神道をかなぐり捨て、アメリカ民主主義やGHQ憲法、ソ連共産主義を崇めたばかりか、敵性条項を掲げる「国際連合(戦勝国連合)」を政治の中心におこうという流れさえ生じた。

 ●日本の共産化を防いだ多元論的なあいまいさ
 戦後、日本の国家構造は、左翼と中道右派という対立する二つの勢力にささえられてきた。
 左翼は、ルソーやマルクス、ロックらの崇拝者で、かれらがもとめていたのは、革命のイデオロギーと共和制という人工国家だった。
 共和制は、人民が国家を支配する政体で、直接民主主義の体制である。
 ところが、共和制では、人民がつくったその政府が人民の上に君臨する。
 国民主権をあずかった為政者が、国民主権の名目の下で国民を奴隷のようにあつかうからで、プーチンのロシアや習近平の中国を見れば、共和制がどんな体制かわかるだろう。
 右派というのは、君主制の自由保守主義で、中道右派のことである。
 政治手法として間接民主主義を採用する体制で、政党として、自由民主党のほか日本維新の会や国民民主党もふくまれる。
 ちなみに、戦前の右翼が国家を構成する勢力にならなかったのは、GHQや左翼陣営の圧力によって、皇国史観や国家神道とともに潰されてしまったからだった。
 それでも、日本が共産化しなかったのは、国体が護持されたからで、日本の歴史や伝統、政治体制は、天皇によってまもられたといってよい。
 もともと、日本は、多元論の国で、あらゆるものに精霊をみいだすアニミズム的な心根をもっている。自然崇拝や八百万の神々への信仰、多様性と奥深さが日本人の心性で、それが和歌や俳句に反映されている。
 それが日本特有のあいまい≠ウで、これが未定、未確定とうけとめられるのは、西洋の価値観が一神教的、一元論的だからである。
 イデオロギーも、一元論で、元をただせば、一神教のキリスト教である。
 一元論は正しいものが一つしかないので、革命と独裁の構図がうまれる。
 左翼の根本思想は、暴力革命で、一元論である。かつての中核・核マル、赤軍や全共闘のような過激派から日本共産党、立憲民主党や社会民主党まで、憎悪をむきだしにするのは、敵を倒すことしか念頭にない闘争主義だからである。
 じじつ、野党連合を志向する日本共産党は、昭和30年の六全協で武装闘争路線を放棄するまでは、殺人や放火をふくむ武装闘争路線をとっていた。

 ●愛国心というモラルからなりたっている政治
 革命も民主主義も、政治理念ではなく、あくまで、方法論で、それがどんな政治的効果や意味、展望をもつか、一顧だにされない。
 60年安保闘争の際、全メディアが、改正安保条約の内容には一言もふれることなく、連日、民主主義をまもれと叫んだのがその好例だろう。
 中曽根康弘元首相は「政治家は歴史という法廷の被告人である」と明言を吐いたが、マスコミや世論は、その場かぎりの利害やスキャンダルを追うばかりで、政治家の歴史的な真価を問おうとしない。
 安倍元首相の真価を問うならば、戦後、日本を独立国としてリードした最初の首相ということができるだろう。
 その政治姿勢をしめしたことばが「戦後レジュームからの脱却」で、アメリカ依存から独立国日本へのたしかな足取りが「安保法制」「TPP」「自由で開かれたインド太平洋構想」だった。
 安保法制は、独立国家としての体制を整えた独立宣言で、インド太平洋構想にまっ先にとびついたトランプ大統領が「二度とあらわれない指導者」と敬意を表したゆえんである。
 TPPも、アメリカが離脱後、アメリカに右へ倣いの関係を破って、日本が主導権を握ったもので、現在では、中国までがTPPに歩み寄っている。
 最大の功績が安倍元首相が提唱した「インド太平洋構想」で、日本が中心となった世界戦略にアメリカやオセアニア、インドなど13か国が参加したほか、イギリスなどヨーロッパの国々も高い関心を寄せて、日本の国際的地位を劇的に高めた。
 多くの日本人が安倍の首相を不慮の死を悼むのは、日本を対米従属から脱却させ、日本を世界に誇れる国にしてくれた以上に、すぐれた愛国者だったからである。
 国葬に反対している人々の共通点は、日本人としての心情や愛国心をもっていないことである。
 左翼の目的は、国家転覆で、その武器は、国を愛する心ではなく、国家への憎悪である。
 したがって、安倍元首相の愛国心や功績は、そのまま、憎悪の対象となる。
 左翼反日にとって、安倍首相ほど憎悪を掻き立てる存在はないのである。
 国家の指導者に必要なのは、国家や民族、同胞への憎悪ではなく、愛や情であることを、一人でも多くの多くの日本人に知ってもらいたいのである。


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