2016年06月22日

 日米関係の重大な曲がり角@

 ●トランプが暴露したアメリカの本質
 粗野と無教養、野蛮がアメリカの本質で、それが、汚点として、現近代史に深く刻まれているのがトルーマンの原爆投下だろう。
 トルーマンが二週間以上、ポツダム会議の開催を遅らせたのは、原爆完成を待ってのことで、ポツダム宣言が公表された7月26日の前日、同月25日に広島・長崎への原爆投下命令をだしている。
 そして、日本がポツダム宣言受諾を渋ったため原爆が投下された、原爆投下によって米兵20万人の生命が救われたというデマを世界中にふりまいた。
 アメリカは、カウボーイと大農場主、奴隷の国で、先住民のインディアンや数億頭のバッファローを全滅させ、森林だったアメリカ中央部を砂漠化させたのは、新大陸アメリカが文化果つる地で、メイフラワー号に乗ってやってきたアメリカ人が空恐ろしいほどのバカで貪欲だったからである。
 2016年米大統領選挙(11月8日一般投票/12月中旬選挙人投票)の共和党大統領候補ドナルド・トランプは、その伝統をうけついだ典型的なアメリカ人で、トランプの頭にあるのは、インディアン・ジェノサイド(殲滅)を指導したジャクソン大統領や原爆投下によってアメリカの英雄となったトルーマン大統領で、トランプが主張する「不法移民を強制送還(1100万人)」やテロ容疑者の家族などにたいする拷問法案は、アメリカ人の悪魔的本性のあらわれといっていい。
 トルーマンが若い頃、KKK(白人至上主義団体)に属していたことはつとに有名な話だが、トランプの父親(フレッド)もKKKの隊員で、トランプもKKKが公表した支持声明を拒否していない。
 アメリカが発展できたのは、広大な土地と豊かな地下資源、両岸に大西洋と太平洋をあわせもった国土的・地政学的メリットのたまもので、アメリカ人の素質によるものではなかったことを肝に銘じておくべきだろう。

 アメリカの伝統というべき孤立主義(モンロー主義)は、他国に依存せずに自国の繁栄をはかれるという自惚れからうまれたものだが、それが可能だったのは、鎖国しても、独自の文明圏を形成して、自立的な経済や文化を維持できた日本だけだった。
 西洋にあったのは、民が不在の掠奪経済・王族文化なので、とうてい、孤立主義をとることができない。
 掠奪経済は貧民をつくりだし、王族文化は金持ちに独占されるだけだからである。
「暗黒の木曜日」(1929年10月24日)にはじまる大恐慌は、掠奪経済の破綻で、原因は、オートメーション化や農業の機械化によって資本家や大農場主が巨利をえる一方、工場や農場から締め出された国民が貧困化して、資本主義経済が立ち行かなくなったからだった。
 代わって立案された社会主義的な計画経済(ニューディール政策)も失敗に終わり、アメリカは、掠奪経済のツケを戦争で解消せざるをえなくなった。
 標的となったのがドイツと日本だった。
 だが、ドイツは、自国の商船を撃沈されるという挑発をうけてものらなかった。
 アメリカは、仮想的を日本に絞って、移民法や経済封鎖でしめつけた。
 日本海軍は、挑発にのって真珠湾を攻撃したが、アメリカには、これが起死回生のターニングポイントとなった。
 日米開戦後、アメリカ経済は、欧州から逃れてきたユダヤ資本をテコに軍需産業をフル操業させ、みるみる立ち直り、終戦後、ついに世界覇権を握る。

 カジノ経営で財を築いたトランプの経済観は、新自由主義をはるかに超える掠奪型で、親イスラエル派なのは、国際金融資本=ユダヤ資本をパートナーとするからである。
 現在、元安にたいしてきびしいが、世界で最大の中国工商銀行の米国本部がトランプ・タワー内にあることが自慢で、中国の出方次第によって、いつ親中派に寝返るかわかったものではない。
 アメリカが、伝統的に親中なのは、両方ともバカだからで、日本にたいして敵対的なのは、日本文明や日本文化の高さを理解できないからである。
 日本経済の強さは、外来の資本主義や金融経済ではなく、「三方佳し(売り手よし、買い手よし、世間よし)」という伝統的な商道≠フ上に打ち立てられたもので、戦後の経済復興や高度経済成長は、消費者を重視した日本独自の経済政策の成功といえる。
 ところが、アメリカは、過当競争による無秩序化や落伍を避けるため談合や護送船団方式を悪ときめつけ、日本市場に米資本を導入させるべく、日本の経済を、資本家と利益の重視、競争と淘汰の原理導入、大型化・効率化の掠奪型にきりかえさせた。

 さらに、日本の親米派と組んで、アメリカに抵抗する田中角栄をロッキード事件という罠にかけ、竹下登・宮澤喜一のプラザ合意からバブル経済、バブル崩壊という究極の掠奪経済を仕掛けて、日本の富をすべてかっさらった。
 プラザ合意(円高ドル安)からうまれたバブル経済は、実体をともなわない金融現象にすぎないので、あるタイミングで巨額の空売りがかかると、一夜にして市場が崩壊する。
 ソロモンブラザース証券ら米資本の奇襲攻撃をうけ、日本の富がアメリカに移ると、米経済は一転して好況となり、それが、リーマン・ショック(2008年)まで20年近くつづく。
 日本経済がいまだに立ち直れないのは、小泉純一郎・竹中平蔵がアメリカの新自由主義をもちこんだからで、アベノミクスが不調なのも、資本重視という欧米型経済から脱却できないからである。
 勝者と敗者、富者と貧者を分かつ掠奪経済は、戦争や侵略、植民地支配などの大規模な消費構造を必要とする一方、国内経済を空洞化させる。
 富裕層に集まった資金が国際金融へ流れる一方で、国内につくらざる経済と買わざる経済が蔓延するのである。

 アメリカや中国の経済が危ういのは「三方佳し」の構造をもっていないからで、需要と供給をのみこむ文化的で豊かな社会が用意されていないアメリカや中国の経済は、外にハケ口をもとめざるをえない貧しき帝国主義≠ニなるのである。
「東京にシボレーは走ってない」というトランプの発言は、かつての日米貿易摩擦を思わせるが、TPP反対のトランプが大統領になったら、ブロック経済に逆走して、日本に関税攻勢をかけてくる可能性が高い。
 プーチンや中国共産党の指導力を高く評価し、韓国に友好的なポーズをとるトランプが目の敵にするのが日本である。
 親中や中国重視がルーズベルト以来、キッシンジャーやビル・クリントンらアメリカ左派の伝統で、学生時代、共産主義を賛美する論文を書き、中国から政治献金をうけているヒラリー・クリントンも懲罰的富裕税やウォール街への規制強化を主張するトランプも親中反日≠フ左翼的体質をひきずっている。

 次期大統領がヒラリー・クリントンであろうとトランプであろうと、日本が対米追随的な経済政策をとっていくと、かならず、煮え湯を?まされることになる。
 プラザ合意からバブル崩壊、日米構造協議における総額430兆円(10年間で)にのぼる公共投資要請、金融自由化、年次改革要望書、新自由主義にそった小泉・竹中改革(郵政民営化・道路関係四公団の民営化など)にいたるまで、日本は、これまで延々とアメリカの命令に服してきた。
 アメリカが中国に接近すると、新大統領の下、こんどは、日本経済が米中の共同利益になるようにコントロールされかねない。
 安全保障について、次回以降にのべるが、日本は、その前に、経済の自立をはからなければ、帝国主義という毒牙をもった米中経済の餌食になってしまうのである。
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2016年06月10日

 天皇問題 Q&A特集C

 天皇問題 Q&A
Q 皇統の正統性をあらわすとされる「三種の神器」のうち、八咫鏡は伊勢の神宮内宮、草薙剣は名古屋の熱田神宮に奉安されているといわれます。
 したがって、皇居賢所に奉安されている八咫鏡や「剣璽の間」に奉安されている草薙剣はレプリカということになります。
 レプリカの神器で皇統の正統性を証明できるのでしょうか。
A 皇位をうけつぐ践祚に際して、神器(草薙剣=天叢雲剣と八尺瓊勾玉)の継承がおこなわれます。
 今上天皇も、昭和六十四年、先帝の崩御にともなって、「剣璽等承継の儀」で神器をうけつがれて践祚なさいました。
 三種の神器のうち、八咫鏡が継承されないのは、賢所の御神体だからで、この儀式がおこなわれる同時刻、賢所で皇祖神天照大神に践祚の旨(「賢所の儀」)が告げられます。
 三種の神器は、「剣璽等承継の儀」や「賢所の儀」、即位の礼、大嘗祭などの践祚の儀に必要な宝物であって、古事記や日本書紀にも、皇位の証とする旨の記述や神器の文字はありません。
 八尺瓊の曲玉、八咫鏡・草薙剣の三種の宝物(日本書紀)が践祚の儀にもちいられるようになったのは、天孫降臨の際、天照大御神が瓊瓊杵尊に「勾瓊と鏡、草薙剣を神代として授けた」とする古事記の記述に由来するものと思われます。
 三種の神器が皇位の証明とされたのは、南北朝時代以後のことです。
 吉野に南朝を開いた後醍醐天皇が、北朝に譲渡した神器は贋物であるとして大覚寺統=南朝の正統性を主張したのは、三種の宝物がなければ、践祚の儀が成立しないという意味であって、宝物が皇位の証という意味ではありません。
 明治時代の「南北朝正閏論」では、明治天皇の裁断によって、三種の神器の保有を根拠に南朝が正統とされたため、三種の神器が皇位の証であるかのような誤解がうまれました。
 南朝北朝ともに万世一系の血統で、すでに、皇位の正統性がそなわっていたことから、三種の神器は、皇位継承の証ではなく、南朝と北朝の優位性を内外に示すための践祚の儀具だったとわかります。
 もともと、三種の宝物は神話なので、実物は存在せず、御神体や「形代」としてつたえられ、壇ノ浦の戦い失われた草薙剣は、別の形代が伊勢神宮の神庫からえらびだされています。
 天皇の歴史において、多くの紆余曲折がありましたが、唯一、不動だったのは万世一系だけで、神話を根拠と天皇の正統性は、御物体ではなく、祭祀こそにあるといってよいでしょう。

Q 神社は全国に8万8千社以上あるといわれています。神社も皇室も、神道を信仰の対象にしています。神社と皇室にどんなつながりがあるのでしょうか。
A 宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)と神宮、全国の神社は、ともに、神道の祭祀場ですが、祀っている神の系譜にちがいがあります。
 高天原から天降った神が天津神(天神)で、宮中三殿や神宮の祭神です。
 一方、天孫降臨以前からの土着の神が国津神(地祇)で、全国神社の祭神とされています。
 天神と地祇の神の一体化をはかったのが、天武天皇(在位673年〜686年)の和合の精神≠ナした。
 当時、白村江での敗戦(663年)の痛手が大きく、同盟国の百済を失った日本は、単独で大国の唐と対抗しなければなりませんでした。
 天武天皇は、百済からの亡命者を受け入れて技術振興に力を注ぎ、大陸伝来の仏教をもって民心の安定をはかり、唐の律令制度を導入して中央集権国家を完成させる一方、日本書紀や古事記、大宝律令の編纂を命じ、宮中祭祀の制定や伊勢神宮の昇格、全国神社の整備をはかりました。
 このとき、皇親政治を敷いて権力をふるった天武天皇は、神祇官に太政官と同等以上の権限(二官八省制)をあたえ、神前への供物である幣帛を班給するなど地方の神社をつよく支援、管轄しました。
 唐と対抗できる統一国家と伝統や土着文化に根ざした国づくりを両立させたのが和合の精神で、記紀の日本神話において、国津神と天津神の対立も、国譲りの物語で解消されています。
 日本書紀と古事記を同時に編纂させたのも偏向を避けるためで、聖徳太子の和を以て貴し(十七条憲法の第一条/604年)の精神が天武天皇によってみごとに結実したというべきでしょう。

Q 憲法の「信教の自由」は、GHQが、国教である神道を標的にしたものと思われます。信教の自由を謳う国家で、国教への政治的関与が禁止されているケースがあるでしょうか。
A 憲法の「信教の自由」がGHQが国教である神道を標的にしたものであるという指摘はそのとおりで、人権条項である信教の自由に「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法第20条3項)「(宗教活動にたいする)公の財産の支出や利用の制限」(第89条)とあるのは、人権条項を超えた国政権への干渉です。
 皇室の財産を取り上げ、重税をかけ、国庫や政治的な補助を断とうとしたのは、旧皇室典範の破棄や11宮家の臣籍降下と同様、皇室の自然消滅を目的とした計略で、憲法改正案には、当然、第20条3項と第89条の撤回、宮家の皇籍復帰が盛り込まれていなければなりません。
 アメリカでも、信教の自由は憲法で保障されていますが、あくまで、人権の範囲内で、公的には、大統領就任式の演説や宣誓、非キリスト者が公職につけなかった過去のしきたり、キリスト教団体の政治的関与や影響力をみるまでもなく、キリスト教と政治は切り離せない関係にあります。
 もともと、アメリカの政教分離原則は、内輪もめが絶えないキリスト教会派の法的平等を約束したもので、キリスト教は見えない国教≠ニして、国民的良心や道徳の土台になっています。
 これは、信教の自由を保障していた明治憲法下で、神道が仏教やキリスト教などと異なる国民道徳や民族文化とされてきたことと同じ構造です。
 現在、信教の自由は、仏教やキリスト教信者、反日主義者による見えない国教=神道と国体≠ヨの攻撃に利用されているだけです。
 アメリカで、国民性の拠り所となっているゴッドや聖書を憲法違反としたら暴動がおきるでしょう。

Q 神話や神道が日本特有の宗教感情に根ざした文化ということは理解できるのですが、神道がどういうものか、神話とどのようなつながりをもっているのかをうまく説明できません。
A 宗教といえば、キリスト教や仏教のような啓示宗教や救済宗教を考えてしまいがちです。
 弱い人間を悪の世界から救済するのが絶対神や神が啓示する真理で、人々は来世の平安や現世利益をうけるため、帰依という宗教的境地に身を投じなければなりません。
 ところが、日本古来の信仰は、そんな悲観的な宗教観とは無縁で、八百万の神々が人々の素朴な生活と隣り合わせになっています。
 啓示宗教は、唯一神が真理を開示して、孤独な個人を救済する宗教です。
 一方、自然や神々と共にある神道には、経典も戒律も、孤独や個人という考え方すらありません。
 八百万の神々と共にある中今(神代を継承している現在)は、すでに恵みをうけているので、人々は、神々とともに無心に生きることがゆるされます。
 民族の素朴な信仰心が宗教(神道)へ発展した契機は記紀に残っている神話でした。
 神道には、他の宗教にはみられない神勅≠ニいう原理を宿しています。
 この世を高天原のごとく幸多くあれかしという神々の約束事が「天壌無窮の神勅」で、その神勅が物語化されているのが神話です。
 日本の神話は、高天原の神々が中つ国(高天原と黄泉の中間)へ降り立って国づくりをはじめる物語ですが、そこに神勅がはたらいているとかんじるのが日本民族の感受性で、それが、世界でいちばん親切で善良といわれる国民性につながっていると考えるべきでしょう。
 凄惨な戦争をくりひろげた絶対神の世界と、祭祀で国をつくりあげた日本のちがいは、民族的宗教観のちがいでもあったのです。

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2016年06月03日

 天皇問題 Q&A特集B

 天皇問題 Q&A
Q 世界で、王国が滅び、君主国家が革命で倒されるなか、なぜ、日本だけが天皇中心の伝統国家を2千年以上、維持することができたのでしょう。
A ユーラシア大陸の極東に位置する島国日本には、独自の文化を育み、外来文化を受容しながら、独立した伝統国家を維持することができる諸々の条件が揃っていました。
 島国だったことから、外敵の侵略をうけにくく、事実、二度にわたる蒙古の襲来(元寇)を撃退しています。
 一方、日本列島は、ユーラシア文化の終着点で、海のシルクロード(東シナ海)を経由してきた外来文明が土着文明と合流して、特有の日本文明をつくりあげました。
 日本が、古代より独立国家として存続できた理由の一つに、地政学的利点のほかに、国家を運営できる自前の経済力をもっていた事実をあげることができるでしょう。
 森林や河川、肥沃な耕作地に恵まれた温暖多雨地帯で、親潮と黒潮、対馬の三大海流に洗われる日本列島は、農業や漁業、林業がさかんで、衣食住の自給が可能でした。
 経済力と文化を統合して、国力にまで高めたのが神道という土着宗教でした。
 砂漠からうまれた排他的なキリスト教やイスラム教も、森からうまれた唯我論的な仏教も、救済や成仏をもとめる個人の宗教です。
 一方、自然そのものを信仰の対象とする神道は、万物に神が宿る共存共栄の宗教で、個の対立や個と全体の矛盾をそっくりのみこんでいます。
 他者や国家を視野に入れたこの宗教観が、国家をつくりあげる土台となったのは、大和朝廷から現在まで、万世一系という権力の正統性=神話的秩序が連綿とつづいてきたことからも明らかでしょう。
 権力ではなく、権威という文化の系譜だったところに天皇の本質があります。
 権力は移ろいますが、国の成り立ちや民族の素朴な信仰心、文化は永遠なのです。

Q 邪馬台国論争には「畿内説」と「九州説」があり、大和朝廷との関係も明らかになっていません。邪馬台国王統が大和朝廷よって滅ぼされたのなら、古代の日本で易姓革命がおきたことになります。
A 邪馬台国も大和国もともに「ヤマトクニ」と読みます。
 記紀に「邪馬台国」の文字がなく、邪馬台の邪は、卑弥呼の卑や倭国の倭と同様、華夷秩序における蔑称なので、邪馬台国という別の国があったというのは、アメリカ人がいうジャップという人種が、日本人とは別に、どこかにいると考えるほどばかげた話です。
 邪馬台国説は、もともと、本居宣長の強弁からうまれたもので、大和朝廷が魏に朝貢した(魏志倭人伝)とあるのは、熊襲の酋長(卑弥呼)が大和の名を騙って、邪馬台国女王を名乗ったにちがいないとした仮定が原因です。
 これに、晩年、畿内説から九州説に転じた新井白石が、邪馬台国を筑後国の山門郡と比定したため、畿内の大和朝廷とは別に、九州に邪馬台国王統が存在したのではないかという邪馬台国論争がはじまったのです。
 近年、年輪年代法によって、卑弥呼が死亡した時期(3世紀中ごろ)と古墳時代の開始時期が重なることがわかってきました。
 邪馬台国の年代と重なる古墳時代前期につくられた日本で最初の前方後円墳箸墓(箸中山古墳/奈良県纏向遺跡)が、魏志倭人伝がつたえる卑弥呼の墓の大きさ(径百余歩=150m前後)と一致することからも、卑弥呼の墓という説が定説になりつつあります。
『日本書紀』に倭迹迹日百襲姫の墓と記された箸墓は、宮内庁の正式名称では「倭迹迹日百襲姫命の大市墓」で、向遺跡から大市とかかれた墨書も出土しています。
 百襲姫は、大和朝廷の初代崇神天皇のそばに仕える巫女のような存在だったと思われますが、これは「魏志倭人伝」の「倭の女王に男弟有り、佐けて国を治む」という記述と一致します。
 卑弥呼が倭迹迹日百襲媛命(神功皇后説もあり)で、男弟が崇神天皇だったと考えられることから、邪馬台国は畿内にあって、大和朝廷と同一だったのは疑いえません。
 邪馬台国論争に背後には、万世一系を否定するマルクス学者の易姓革命説が隠れていたのです。

Q 天皇の尊称がもちいられたのは、天武天皇からで、それ以前は、大王という権力者だったと思われます。大王は、武力で国を平定した独裁者だったのでしょうか。
 古代には、武力で国内を統一するという考え方も方法もなかったでしょう。
 中世においてすら、応仁の乱は、10年間をついやし、都を焼け野原にしただけで、勝敗なき内乱は、国土を荒廃させ、戦国時代という新たな混乱を招いただけでした。
 武力による国内統一という仮定は、マルクス主義の闘争史観で、武器が未発達だった古代に、そんなことが可能だったはずはありません。
 武力による国家統一は、きわめて困難で、中国の戦国時代は、終結まで550年、日本の戦国時代も100年以上かかっています。
 ところが、大和朝廷統一の過程で、大きないきさがあった形跡はありません。
 覇権戦争がドロ沼化するのは、武力だけでは、権力に正統性がそなわらないからで、織田信長は、正親町天皇を奉じて上洛し、ようやく、天下統一をはたしました。
 古代が、現代人の想像をこえる神話的世界だったことは、中国の律令体制を導入した天武・持統朝の二官八省制において、神祇官が太政官の上位にあったことからも明らかです。
 天皇は、大王から祭祀王に移ったのではなく、二官を従える大王と祭祀王を兼任していた天皇が、大王の権力を太政官や摂政へ親任し、それが武家政権になって、征夷大将軍に代わったのです。
 重要なのは、権力の正統性が天皇からあたえられることで、国内のいくさは権力の正統性をめぐる戦いだったのです。
 大王が権力闘争に勝って、国内を統一したという説は、神話的秩序のなかにあった日本の古代史を見ない愚論といってよいでしょう。

Q 宮中祭祀は、戦後、国事行為から外されて、天皇家の私的行為にされてしまいました。国家の伝統的な行事が、憲法によって否定されていることに違和感を覚えます。
A 当初、連合国最高司令官総司令部(GHQ) やアメリカ国務省は、占領政策を施行するにあたって、天皇廃位の方針で臨んだと思われます。
 それを防いだのが昭和天皇のマッカーサー訪問と、日本国民の90%が天皇を支持したアンケート結果で、これを機に、アメリカは、天皇を日本統治に利用する方向へ舵を切ったのです。
 アメリカが反共国家に転じるのは、1949年の中華人民共和国成立と翌年の朝鮮戦争勃発後のことで、1950年代前半にはマッカーシー旋風(赤狩り)が吹き荒れました。
 それ以前のアメリカは、反ファシズムの容共国家で、ルーズベルト大統領のニューディール政策は、スターリンの計画経済の模倣した社会主義的な傾きをもっていました。
 日本改造計画をすすめたGHQが、左翼的なニューディーラーに占められていたところに戦後日本の悲劇があったといえるでしょう。
 GHQの民主化計画は、すべての分野の指導者を愛国者から左翼にとりかえた上で、革命憲法をおしつけ、天皇を廃止することに主眼がありました。
 それが、天皇主権の否定と旧皇室典範の破棄(憲法への繰り込み)、皇室の自然消滅を図った11宮家の臣籍降下でした。
 宮中祭祀が国事行為から外されたのは、その流れで、祭祀が私的な宗教行事にされてしまいました。
 中国革命後、アメリカが対日政策の誤りに気づいたところで、時すでに遅しで、左翼の躍進と革命憲法が戦後日本の新体制となったあとでした。
 祭祀は、自然とともにあった民族感情のあらわれで、キリスト教やマルクス主義などのような啓示宗教やイデオロギーではありません。
 国家以前に国体があって、国体をつくりあげたのが祭祀です。
 神話や言語、習俗や文化を共有する共同体の象徴が祭祀で、古来より、日本人は、祭祀をとおして、クニという観念を育み、まもってきました。
 天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈る宮中祭祀は、神社で豊作や無事息災を祈る民の祈願とつうじあって、国体という祭祀共同体に背骨になりました。
 英米仏ロ、中国は、国体を否定した革命国家で、国家をつくりあげているのは、人工的なイデオロギーや法で、民主主義も、銃を多数決に変えただけの力の論理にすぎません。
 政教分離や信教の自由などの革命概念で祭祀を否定する浅智恵が、GHQが目論んだ伝統破壊だったことに一刻もはやく気づくべきです。
 憲法7条10号(国事行為/儀式を行ふこと)に宮中祭祀を謳って、日本が祭祀国家であることを内外に宣する必要があるでしょう。
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