2016年09月23日

 右翼と左翼@

 ●民族派・愛国者を右翼と呼ぶ誤り
 保守と右翼、革新と左翼、民族主義とナショナリズムが混同されている。
 好例が安倍政権は右翼≠ニいうレッテルである。
 安保法制をとおした安倍首相を野党が「戦争が好きな首相」と呼び、右翼と呼ぶような雑な物言いがまかりとおって、まっとうな政治議論が成り立つはずがない。
 この手の用語の誤用が、マスコミでも堂々と横行している。
 とりわけ乱用されているのが右翼ということばで、左翼陣営やリベラル派には、右翼が悪の代名詞になっている。
 かつて左翼は右翼反動≠ニいうことばを好んで使った。
 もともと、右翼や左翼ということばは、フランス革命当時、王党派が議会の右側、革命派(ジロンド派)が左側に座ったことに由来している。
 その後、穏健なジロンド派が急進的なジャコバン党に追い落とされ、さらにジャコバン党がモンターニュ派、社会主義的なバブーフ派によって次々に議席を奪われるに至って、フランス革命は、次第に血なまぐさいものになっていった。
 右翼を悪とする戦後の風潮に、左翼や改革、革命や急進派を善とする気風が潜んでいる。
 日本は、朝毎系列メディアを中心に、戦後の左翼風をまだひきずっているのである。

 左翼は、フランス革命議会を進歩的として、これに反対する勢力を反動的と批判して右翼反動≠ニいうことばをつくりだした。
 右翼は、革命議会における議席の位置にすぎず、反動は革命用語である。
 したがって、革命を経験していない日本では、右翼も反動も、なんら具体的な内容をもちえない。
 保守主義も、進歩主義や革新派の反義語で、ヨーロッパでも、フランス革命以前には、存在しなかった。
 右翼や左翼、保守や革新という用語は、革命にまつわる観念なので、革命を経験していない日本では、意味をなさない。
 西洋から政治を学んだ人々がいくら声高に保守主義をいっても、説得力がないのは、日本と西洋では、国の成り立ちが異なるからである。
 西洋の国々は、国連安保常任理事国(米・英・仏・ロ・中)を筆頭に革命を経験している。
 したがって、保守と革新、右派と左派(リベラル)のあいだで争点がうまれる。
 だが、わが国は、革命を経験していない伝統国家なので、革命国家のような政治的争点がうまれにくい。
 戦前の大政翼賛会は、戦争という国難の前に右も左もなかったからである。

 伝統国家は、国体という歴史の連続性を国家の柱とする。
 保守主義などと言い立てずとも、国体が保守の大黒柱で、伝統国家では、保守思想が国是なのである。
 戦後、左右の対立が激化したのは、左翼が国体転覆をはかったからで、敗戦とGHQの対日民主化政策によって、日本は、国体を失った革命前夜の国家となったのである。
 60年安保の前年、日本中の民族主義80団体が全愛会議(全日本愛国者団体会議)を結成したのは、その危機感からで、1964年の第6回大会までに加入団体が440にもふえた。
 全愛会議の綱領は「国体護持」「反共協同戦線」で、みずから右翼を名乗ったわけではない。
 民族主義者や愛国者が右翼とよばれたのは、革命勢力=左翼と敵対したからで、左翼の敵ならば右翼という短絡からである。
 そこから右翼暴力団≠ニいう造語がうまれた。
 60年安保闘争には、自民党の要請をうけて、多くの任侠団体が動員された。
 だが、安保闘争が終わると、政治結社を名乗って革命勢力と対抗した任侠団体は、警察の大弾圧をうけて、政治の世界からすがたを消す。
 左翼も六全協(日本共産党第六回全国協議会/1955年)以降、共産党を離れた極左軍事冒険主義の残党や全学連が分裂と内ゲバをくり返し、ついに連合赤軍があさま山荘事件をひきおこして壊滅状態に陥る。

 極左に対抗するのが極右で、ともにテロリズムという狂気をはらんでいる。
 両者のテロは本質が異なる。
 左翼テロは政治目的で、数千万人が犠牲になったスターリンの粛清や毛沢東の文化大革命は権力闘争だったが、右翼テロに政治目的はない。
 右翼の実力行使は、国体防衛で、三島由紀夫は「文化防衛論」で、民族文化=国体の喪失の危機を訴えた。
 5・15事件や2・26事件の青年将校に政権構想がなかったのも、権力をもとめなかったからで、かれらがまもろうとしたのは、法や権力からなる政体ではなく、歴史や文化、風土や民族の魂をのみこんだ祖国=国体だった。
 次回以降、新島闘争から全愛会議の設立、60年安保闘争などにかかわってきた体験をもとに、戦後70年におよぶ左翼と民族派、保守と革新、ナショナリズムとグローバリズムの対決をふり返ってみたい。
posted by office YM at 13:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月14日

伝統国家と国体B

 ●民主主義と伝統精神の衝突
 アメリカ人にとって、日本の皇室は、羨望の対象だという。
 新興国家のアメリカにとって、民主主義は、空気のようなものだが、歴史や伝統は、もとめても永遠にえられない文化的価値なのである。
 民主主義は、文化でも文明すらでもない。
 ただの多数決で、チャーチルがいったように、絶対専制や独裁、暗黒政治に苦しんだ人民がたどりついた窮余の策で、絶対専制や独裁よりマシという代物にすぎない。
 しかも、民主主義は、衆愚化という致命的な欠陥を抱えている。
 多数派が最大権力となる民主主義では、大衆とマスコミ、迎合政治家の三者が世論を支配して、政治をかぎりなく劣化させるのである。
 大衆の欲望とマスコミの商業主義、権力欲は、目先の利益追求という点で一致する。
 このとき、伝統や徳性、習慣、民族の叡智という歴史的価値が捨てられる。
 歴史を断ち切った革命国家では、権力の実効性や正統性が、民主主義一本に絞られる。
 自由主義も共産主義も、革命国家であるかぎり唯物主義で、げんにアメリカは、スターリンのソ連と手をむすんで日本とたたかった。
 戦後、イデオロギーが、自由主義と共産主義の対立という図式で語られてきた。
 しかし、実際は、伝統と革新の対立であって、軍事的に対立しながら微妙なところで米中が折り合っているのは、ともに革命国家だからである。

 大東亜・太平洋戦争は、伝統国家と革命国家の衝突で、日本は、国家防衛と国体護持、大東亜共栄圏建設のため、アメリカは、国益と民主主義の理想のためにたたかった。
 日本が戦争に負け、このとき、国体に危機が生じたのは、連合国の戦争目的の一つにファシズムの打倒があったからで、アメリカの目には、天皇が独裁者と映っていた。
 先の大戦は、民主主義とファシズムの戦争でもあったのである。
 民主主義が、議会制と人民独裁、大統領制へと分化して、冷戦構造が生じるのは、その後のことである。
 連合国がマッカーサーに、天皇の廃絶ばかりか、戦争犯罪人としてきびしい処罰をもとめた。
 民主主義がファシズムを倒したあかしをえるためだった。
 GHQによる占領直後から、日本の伝統的精神や文化構造にたいする破壊が開始された。
 共産党はGHQを救世軍と呼び、マスコミや官僚、親米派政治家はGHQの下僕となり、国民は、WGI(ウオー・ギルト・インフォメーション)と3S(スポーツ・スクリーン・セックス)作戦の虜になって、アメリカ民主主義にとりこまれていった。

 GHQは、民主主義の最高法規化(憲法)から左翼活動の促進(労働組合・日教組結成)、国民道徳の排除(教育勅語の排除)、伝統文化の抹殺(古典の焚書)、言語改造(漢字のローマ字化)や宗教改革(神道指令やキリスト教教化活動)など日本を西洋的な革命国家に改造する計画を着々とすすめた。
 GHQの政策が、突如、転換されるのは、米ソ冷戦と中国革命、朝鮮戦争によって、日本を反共の防波堤にしなければならない必要が生じたからだった。
 しかし、ときすでに遅しで、新憲法が発布され、公職追放令によって、日本の中枢が左翼に独占されたあとだった。
 以後、日本は、伝統国家と革命国家の中間をゆれうごくクラゲのような国になるのである。
 サンフランシスコ講和条約後、GHQの日本改造計画は、日本の左翼とインテリ層にひきつがれた。
 日本の中枢部門を独占したインテリ左翼が憲法と民主主義を武器に、国体へ攻勢をかけるのである。
 国体は、非政治の文化で、非権力の権威である。
 日本の左翼は、マッカーサーが区別した国体と政体を混同させ、政治目的をもって、反天皇を国家改革のスローガンとする。
 日教組の教師は生徒の前で「天皇は未開人の酋長のようなもの」「皇室は税金のムダ遣い」と言い放ち、民主主義を人類が最後にたどりついた最高の英知のようにもちあげる。
 民主主義を神のお告げのように思い込むのが、伝統国家の自覚と誇りを捨てさせられた戦後インテリの卑しさで、戦争に負けた国では、こうした自虐精神がはびこるのである。
 かれらのもとめるのは、民主主義を最大の価値とする革命国家もしくは共和制国家で、戦後、70年を経過した現在も、いまなお一大勢力を形成している。

 戦後の日本人は、伝統国家であることを否定するGHQ憲法と日教組の学校教育、左翼マスコミにどっぷり浸ってきた。
 そして、戦後生まれの日本人が8割以上を占め、日本が伝統国家であることの自覚と誇りをもつ日本人も急速に減少すると、首相や大臣までが自虐史観をふりまわす風潮となり、皇国史観を口にするだけで右翼やネットウヨと罵声を浴びせかけられる時勢となった。
 民主主義を絶対化する世論をリードしてきたのがマスコミである。
 朝毎系の大メディアが、左翼・反日のテキストとなってきたのは、戦後民主主義を絶対善≠ニしたからで、教条的民主主義の前では、戦前の日本も靖国神社も絶対悪≠ニなる。
 そして、人民や民主主義、共和国を冠した国を祖国のようにもちあげ、中・韓の日本叩きをけしかけ、加担してきた。

 独立国なら、国家反逆罪に問われるべき大メディアが、日本で一、二を争う発行部数や視聴率をえているのは、日本人の多くが民主主義を神聖視しているからである。
 それでも、日本がひっくり返らないのは、天皇がおられるからである。
 大メディアが反天皇を打ち出さないのは、天皇にたいする国民の支持が圧倒的だからで、共産党さえ、容認のポーズをとっている。
 一方、国民のあいだでは、天皇と民主主義が違和感なく共立している。
 理由は、民主主義は、思想でも普遍的な価値でもなく、多数決という方法論と普通選挙法をさしているにすぎないものだからである。
 野党や左翼は「民主主義をまもれ」と叫ぶが、多数決に反対する者などどこにもいない。
 伝統的価値は、多数決などと比べようもないもので、まして、どちらをとるかなどいう設問は、ばからしくて、国民も耳を貸さない。
 日本が伝統国家であることは、否定できない歴史そのもので、それを「いまは男女平等の時代」などと否定してかかるのは、アメリカ民主主義への迎合や進歩主義からの請け売りにほかならない。
 心ある国民は、道具として民主主義を利用しながら、伝統主義の誇りをまだ失わずにいるのである。

posted by office YM at 15:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月12日

 伝統国家と国体A

 ●皇室の自然消滅をはかったGHQ
 敗戦とGHQによる日本占領によって、国体の存続がGHQの手にゆだねられた。
 明治政府によって種がまかれた国体の危機が現実のものになったのである。
 薩長の明治政府が国体の象徴である天皇を元首に据えたのは、権威と権力を一体化させ、列強に対抗できる帝国主義国家をつくるためだった。
 国体の危機は、このとき仕込まれたといっていい。
 国体の象徴である天皇を政体のトップにすえたため、権威と権力の二元論が崩れて、政変や戦争という政体の危機が、文化構造である国体におよぶ構造になったのである。
 かつて、権力者と祭祀王を兼ねた天皇は、のちに、摂政や院政、武家政治に政体をゆだね、祭祀のみをおこなう国体の象徴となられた。
 天皇が権威となられたのは、国体という歴史的存在の象徴だからで、一方の政体は、一過性の権力機構にすぎない。
 日本が世界最長の伝統国家たりえたのは、権力が権威の下にあって、みずからを規制したからだった。
 だが、天皇で権力にとりこまれるとその二重構造が毀れる。
 日米開戦を回避できなかったばかりか、敗戦によって、二千六百年におよぶ国体が消滅の危機に瀕したのは、天皇が明治政府および陸海軍にとりこまれたからで、敗戦による国体の危機は、日本がみずから招いたものだったのである。

 戦後、戦勝国が皇室廃絶をもとめるなか、GHQは、皇室の財産没収、11宮家の臣籍降下、旧皇室典範の改廃など皇室の自然消滅を視野に入れた政策を着々とすすめた。
 最大の難問が天皇の処遇だった。
 天皇が国家元首なら、敗戦国の戦争指導者として、戦勝国から裁かれなければならない。
 天皇もそのおつもりで、みずからマッカーサー元帥を訪問されて、全責任をとるお覚悟をのべられた。
 天皇が権力であったら、国民の支持や敬愛どころか、国民的な糾弾を浴びていたろう。先の大戦では、数百万人の同胞が、戦場や空襲、原爆で命を失っているのである。
 だが、天皇が権力者=国家元首ではなく、国体という文化構造の象徴だったのなら話は別である。
 天皇の全国行幸には、一億日本人が日の丸の小旗を振って、熱狂的にお迎えした。
 マッカーサーは、天皇が権力者ではなく、西欧には存在しない国体の象徴であるという確信をもった。
 きめてになったのが、大新聞(朝日・読売・毎日)や調査機関による「天皇制存廃世論調査」だった。
 結果は驚くべきもので、どの調査も廃止が1パーセント前後、不明をふくめても10パーセント前後で、国民の9割が天皇を支持していたのである。
 総司令部(GHQ)のスポークスマンは、驚愕してこのとき「天皇制があるからといって民主主義的ではないということはできない」とコメントしている。

 マッカーサーの決断は、天皇を軍部や政権(政府)から切り離して、国民と一体化した象徴(日本国と日本国民統合の象徴/憲法一条)とすることだった。
 マッカーサーは、はからずも、明治政府が権力者に仕立てた天皇の位をほぼ原型にもどして、国体護持を憲法に明文化したのである。
 だが、このとき、マッカーサーは、大きな誤りを犯した。
 天皇の地位を伝統ではなく、法制上のものとしたのである。
 マッカーサーは、天皇と国体をまもったと同時に、天皇を憲法にくみいれることによって、明治政府と同様、国体と伝統国家の真のすがたをゆがめたのである。
 天皇が憲法へとりこまれて、天皇は、憲法上の存在となられて、明治憲法と同格だった旧皇室典範が国会や憲法の下位におかれた。
 憲法に記されている権能は国事行為のみで、内閣の助言と承認が必要とあるので、考えようでは、憲法が天皇の政治利用を規定していることになる。
 権威が権力の上位におかれてきた二重構造が、明治維新につづいてふたたび破られたのである。

 革命国家であるアメリカには伝統という無形の歴史的継承がない。
 法と権力、多数決ですべてを片付けようというのが革命国家のルールだからで、民主主義のもとでは、万世一系や宮中祭祀、神話や伝説という伝統国家の無形の遺産が捨てられる。
 戦後、伝統的価値をもたないアメリカ民主主義が日本を覆いつくした。
 天皇や皇室をめぐる混乱は、すべてここを起点としている。
 左翼や反日派、国際派(従米・媚中・親韓)の多くが、反天皇の立場に立つのは、伝統国家の自覚がないからで、小泉元首相は、アメリカ民主主義とりわけ新自由主義の信奉者だった。
 次回は、戦後、伝統と民主主義がどう折り合ってきたかふり返ってみよう。
posted by office YM at 15:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月09日

 伝統国家と国体@

 ●伝統国家の自覚がない日本人
 日本が伝統国家であることを自覚している日本人は多くないだろう。
 戦後、革命国家の民主主義がゆきわたって、国体という民族の伝統的精神が失われたためである。
 国体は、民族の神話や宗教、習俗や言語、生活形態などをのみこんだ歴史の産物で、文化構造である。
伝統国家は、この国体の上に一過性の政体が乗った二重構造になっている。
 政体は、政治や法、制度などの権力構造で、時代によって変化する。
 日本が、数千年にわたって、同一国家を維持することができたのは、政体が代わっても、土台となる国体が不変だったからである。
 先進国のなかで、国体をもつ伝統国家は日本だけで、英・米・仏・ロ・中の国連常任理事国は、政体だけの革命国家である。
 前体制(=国体)を倒した権力構造(=政体)がそのまま国家となったのである。
 暴力革命や独立戦争からうまれた革命国家は、国体という土台のない建物のようなもので、倒壊を防ぐ補強材が、近世の思想やイデオロギー、法や権力といった人為的な価値である。
 それが民主主義と共産主義で、議会主義と人民独裁は、直接か間接かのちがいだけである。
 政体が人為による文明なら、国体は、歴史が培った文化で、戦後、日本人が伝統国家の自覚や誇りを失ったのは、アメリカ文明や左翼唯物論にとりこまれてしまったためである。

 現在、生前譲位や女性天皇など、天皇をめぐる議論が混乱している。
 国体の象徴である天皇が、政体の次元で語られているからである。
 それが典型的な形であらわれたのが、天皇の生前退位をめぐる自民党の二階幹事長の発言(BS朝日)である。
 幹事長は記者団に「女性尊重の時代で、天皇陛下だけはそうならないというのはおかしい。時代遅れだ」「諸外国でもトップが女性である国がいくつかある。日本にもそういうことがあったらよい」と女性天皇論を展開、さらに、政府が天皇陛下の生前退位をめぐって有識者会議設置を検討していることにかんして「女性天皇の検討もこの機会(有識者会議設置)に一緒にやれればよい」と語った。
 この発言は小泉内閣の皇室典範改悪の流れを汲むくみもので、当時、座長の吉川弘之(元東京大学総長)は「あえて伝統を無視した」と堂々とのべたものである。
 伝統的価値をみとめないどころか、これを否定するのが革新的なインテリの基本的スタンスで、これが学会から教育界、官界から法曹界、マスコミの主流である。

 現在、天皇は、憲法上の存在で、伝統=国体から切り離されている。
 そもそも、戦後、国体という観念が消失したので、天皇を伝統的存在として位置づけることができないのである。
 戦後、国体の象徴である天皇が、政体の一部である憲法や議会に拘束されるという大矛盾が生じた。
 そこから、皇位継承問題に大きな支障がもたらされることになった。
 11宮家がGHQによって臣籍降下させられたため、現宮家だけでは、神武以来の男系男子=万世一系を維持するのが困難になったのである。
 憲法の枠内におかれた皇室典範では、天皇家の世襲以外、皇位継承のみちがない。
 二階幹事長が「女性天皇の検討」を口にしたように、内閣の決定によって、万世一系という伝統がかんたんに覆されかねず、また、女系女性天皇以外、皇室を維持する方法がないのである。
 改憲案は、この事実をふまえ、国体護持という大所高所に立った大胆な考え方がもとめられる。
 一つは、皇室典範を憲法と同格の国体法として、独立させること。
 二つ目は、臣籍降下した11宮家の男系男子に皇位継承権を設けること。
 皇室の自然消滅をはかったGHQの当時の対日政策を撤廃しておかねければ、当時のGHQの目論見どおり、日本は、将来、皇室消滅という事態を迎えなければならなくなる。
 自民党の改憲案では、天皇を元首に据えられているが、国体の象徴を政体の長に立てることは、明治憲法やGHQ憲法と同様、国体を政体の下におくことであって、本筋を外れている。
 諸外国が天皇を元首と見るのは、法より強固な慣例であって、それが伝統の力である。
 天皇を憲法で元首と規定すれば、天皇が法的な存在になって、伝統の力が薄れてしまう。
 憲法改正案は、まっ先に、旧皇族をふくめた皇族の家法として、皇室典範を独立させることである。
 11宮家にたいする皇位継承権は、憲法や内閣の拘束をうけない皇室典範できめればよいことで、伝統国家には、法や多数決、政治がおよばない領域があってよいのである。

posted by office YM at 11:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

グローバリズムの崩壊と全方位外交B

 ●失敗に終わったグローバリズム
 米・ロ・中の三大強国に匹敵する国力をもちながら、日本がアメリカと属国的な関係にあるのはきわめて異常である。
 とりわけ外交について、日本は、アメリカの意向を無視して、独自のロ・中外交をすすめることすらできなかった。
 例外が田中角栄の全方位外交だが、角栄は、アメリカが仕掛けたロッキード事件に陰謀にかかって失脚した。
 以後、日本は、これを警告とうけとめて、アメリカ一本の単方位外交をすすめてきた。
 それが従米で、親米とのちがいは、自主外交が放棄されていることである。
 外務省にはチャイナスクールも根強いが、対米従属派と同様、ただの媚中派であって、自主外交とはほど遠い。
 日本外交の貧しさは、戦後、再建された外務省が、GHQの出先機関だったことに原因があって、当時、日本には、国家主権も主となるべき国家の主人もいなかった。
 戦後、日本の外交を仕切ってきたのは、英語が話せず、外交オンチな政治家ではなく、外務官僚で、その悪弊はいまもつづいている。
 官僚が、前例主義や事勿れ主義、保身主義に陥るのは、国家としての意志をもたないからである。
 その官僚に国家主権や国家理性をまかせるのがいかに危ういものか、子どもにもわかる。
 日米戦争にふみきったのも軍部官僚で、当時、海軍には、日米開戦にかかる将来的な国家的展望がなく、あったのは、偏狭な軍国的観念だけだった。

 日本が、米・ロ・中の3方位外交を展開してゆくには、外交を官僚から政治家の手にとりもどさなければならない。
 全方位外交は、国益のために全知全能を絞る政治のゲームだからである。
 政治と戦争は、国家主権や国家理性と同じ線上にある。
 その中間にある外交は国益合戦で、きわめつきの現実主義である。
 したがって、戦略と政治的判断がなによりも優先される。
 外務省が仕切ってきた日本外交にあったのは、相手国の機嫌を損ねない配慮と謝罪だけで、政治的意図も戦略もなかった。
 もっとも安易な外交は迎合と服従で、日米貿易摩擦の際、外務官僚の口癖が「日米関係がもたない」だったのは、仕事がやりにくくなるからだった。
 そんなザマで、国益を背負って、強国を相手に丁々発止と立ち回れるわけがない。
 大国のなかで、官僚に外交に主導権を握られているのは日本だけで、ロシアや中国が大きな政治力をもちえているのは、政治や外交が官僚の支配をうけていないからである。
 ところが事務方外交の日本では、政治家が実務にあたって官僚のレクチャーをうけているありさまである。
 なんのためかといえば、相手国に粗相がないようにというわけで、日本外交は、憲法と同様、たたかう前から負けているのである。

 米・ロ・中の外交は、半ば謀略戦で、背後についているのは、官僚ではなく軍隊である。
 尖閣列島周辺海域に中国船舶が侵入しているが、中国の意図は、極東米軍の動きを探ることである。
 米軍が動かないという確証がえられたら、中国軍は尖閣を占領する腹積もりで、尖閣有事の際、自衛隊が独自の判断でうごかないことは読みきっている。
 統帥権は日本政府がもつが、交戦権の根拠は日米安保にあるので、アメリカとの共同作戦もしくは共闘の同意がなければ動けない。
 憲法上、日本は、単独で国家主権を行使できないのである。
 日ロ関係も、冷戦時代から、日米は対ソ同盟関係にあって、単独で軍事面をふくめた平和条約をむすぶことはできない。
 だが、交易関係にはなんら障害は存在しない。
 日ロ間には、北方領土返還という未解決の問題があり、一方、シベリア開発や天ガスパイプライン施設、金融・技術支援という多くの懸案事項がある。
 ロシアには日本にあるものがなく、一方、日本にはロシアにあるものがない。
 利害の対立は、互恵関係にあるということでもあって、日ロ経済協力にはメリットが大きい。
 北方領土返還について、ロシアは、北海道の一部である歯舞(はぼまい)群島・色丹(しこたん)島の返還に応じるといっているので、千島列島の国後(くなしり)島と択捉(えとろふ)島を後回しにして、2島返還をもって、日ロ平和条約をむすぶべきだろう。
 北方領土返還には、緒論があって、2島返還と原則論は相容れないが、国家主権の行使や国家理性の発動たる政治と戦争には、原則論を立てる必要がない。
 政治家が官僚の顔色をうかがっているようでは、三大政治大国にはいつまでたっても太刀打ちできないのである。
posted by office YM at 13:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする