2016年10月28日

 自主憲法制定と憲法改正A

 自主憲法制定と憲法改正A
 ●対日謀略の最終点だったGHQ憲法
 自主憲法制定に消極的だった自由党の吉田茂にたいして、日本民主党の鳩山一郎、岸信介、重光葵、石橋湛山らは積極派で、吉田退陣後の55年、両党が合同して以来、自主憲法制定が自由民主党の党是となった。
 55年体制は、左右に分裂していた日本社会党が統一して、護憲勢力の三分の一議席を確保したことに危機感を抱いた自由党と日本民主党が、憲法改正に必要な三分の二議席をめざした勢力版図で、自民党は、自主憲法制定のためにうまれた政党なのである。
 憲法改正とは、憲法96条のよる法手続きのことで、憲法の内容を改正するという意味ではない。
 かつて自民党が掲げたのは自主憲法制定で、それには憲法96条の手続きをふまねばならないので、便宜上、改憲という用語がもちいられた。
 ところが、現在、政界からマスコミにいたるまで、憲法の内容を変更するという意味合いで、憲法改正や改憲派ということばをもちいている。
 改憲論者は、数十回も憲法改正をおこなっているドイツに倣うべきという。
 だが、ドイツ基本法と日本国憲法では成り立ちや性格がまったく異なる。
 ドイツの基本法は自前だが、日本国憲法は、占領中のGHQがつくったもので、事実上の占領基本法である。
 したがって、憲法を改正するだけなら、占領基本法をひきつぐことになって、自前の憲法をつくったことにはならない。
 憲法改正(96条)の前にあるべきは敗戦処理としての憲法破棄で、日本は戦勝国による占領支配が終わった段階で、憲法と皇室典範および11宮家の臣籍降下を原状に復すべきだったのである。
 戦後70年も経て、戦勝国が敗戦国の無力化をはかった占領法規に縛られていて、主権をもつ独立国家としてふるまい、未来を拓く国家戦略を描けるわけはない。

 憲法にかかる論点はいくつかあるだろう。
 一つは正義性と正当性である。
 戦勝国が敗戦国に法の変更を強制するのは「ハーグ陸戦条約」違反で、連合国の対日降伏条件である「ポツダム宣言」にも反している。
 同宣言には、陸海軍の即時無条件降伏(1〜5項、13項)と武装解除(9項)、日本本土の占領(7項)、「世界征服の挙に出つるの過誤」の受け入れ(6項)、基本的人権の確立(10項)、領土縮小(本州、北海道、九州、四国以外の領地主権の放棄/8項)など全13項から成るが、新憲法制定について一言もふれていない。
 日本がマッカーサーの憲法草案をうけいれた理由は、日本に主権がなかったことにくわえて、戦後処理に奔走した幣原喜重郎首相がマッカーサー司令官に全面的に屈服したからだった。
 マッカーサーは、民主憲法の早期制定をすすめなければ、天皇の戦犯指名をもとめる連合国の圧力をはね返すことができないと幣原を説得している。
 女性参政権や労働組合の結成、教育や経済、農地などへの国家不干渉の原則は、マッカーサーと幣原の合意で大筋がきまったが、これらの民主化政策がすべて憲法にもりこまれることになった。
 日本に国家主権がなかった敗戦直後、戦勝国によって、大規模な国家改造がおこなわれ、それがすべて憲法に収斂されている。
 現行憲法が占領基本法である証左は、天皇のほか国務大臣、国会議員、裁判官らに憲法の尊重と擁護の義務を負わせている憲法99条である。
 99条は国家主権の否定で、主権をもっていたのは、憲法草案をつくったGHQでありマッカーサーだった。
 天皇にさえ服従を命じる99条は、GHQ(連合国最高司令官総司令部)が日本国を支配下においたという宣言で、戦後日本は、この屈辱的な条文を最高法規(第十章)としてきた。
 アングロサクソンと大和民族の決戦となった前大戦では、人種差別観にもとづいた原爆投下や都市空襲で非戦闘員の大量殺戮をおこなったアメリカに一片の正義もみとめられない。
 GHQの日本占領は、その延長線上にあって、国体の破壊と共和制化という国家改造計画が戦後日本の礎になったという左翼の言は妄想にすぎない。
 
 二つ目は謀略性である。
 日米戦争は、アングロサクソンと大和民族の決戦だが、仕掛けたのは米英であって、日本ではなかった。
 日本側は、天皇以下、政府が日米開戦を避けるべく努力をかさねたが、これを退けて、経済封鎖と内政干渉で日本を追い込んだのはアメリカだった。
 日米戦争は、日本海軍によるパールハーバー攻撃以前から、アメリカの手によって計画的にすすめられていた。
 米英は2つの援蒋ルート(南部仏印とビルマ経由)を使って、中国軍に大量の戦闘機・戦闘車両・重火器だけではなく、空軍兵士(フライング・タイガース)を送り込み、日本軍と交戦状態(日本側の損失記録/被撃墜115機、戦死者300名)にはいっていた。
 アメリカが狙っていたのは、支那の植民地化と日本が支配していた満州国の利権で、その軍事行動は、中国大陸ですでに火蓋が切られていたのである。
 フライング・タイガースは、中国軍を装って、従爆撃機で日本の都市を空襲する計画を立てていた。
 フライング・タイガースによる日本本土空襲が実際におこなわれなかったのは、支那戦線で日本の戦闘機が優勢だったからだが、それでも、加藤隼戦隊との死闘は後世まで語り伝えられている。
 フライング・タイガースによる挑発に失敗したアメリカは、新たな謀略を仕組む。
 日米戦争開戦直前の日米交渉において、1941年、アメリカ側から日本側に提示されたハル・ノートである。
 次回以降、ハル・ノートからポツダム宣言にいたる謀略の経緯をみていこう。



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2016年10月21日

 自主憲法制定と憲法改正@

 ●現憲法破棄が前提となる憲法議論
 自主憲法制定もしくは憲法改正は、戦後70年にわたって日本を縛ってきた最大の政治課題である。
 独立国家が、戦勝国からおしつけられた武装解除条項(9条)や国体と相容れない条文をもりこんだ憲法を70年間もひきずってきて、混乱や摩擦をひきおこさないわけはない。
 事実、これまで憲法訴訟は、国家の名誉や利益、伝統を破壊しようとする反体制派の道具になってきた。
 99条は、国務大臣から国会議員、裁判官どころか天皇にまで憲法への尊重擁護義務を命じている。
 GHQの戦後処理としての日本国憲法は、国家主権と国体の歴史的神性を根こそぎ否定しているのである。
 自主憲法制定が実現しなかった理由は二つあるだろう。
 一つは「3分の2(各議院の総議員)」条項で、GHQは、憲法改正を困難にするため、民主主義の原則たる過半数の原則を破って、3分の2という高い壁を設けたのである。
 もう一つは、3分の1議席を確保した旧社会党ら護憲勢力の存在だった。
 非戦平和主義や非武装中立論、反米や反安保、親ソ・親中は、護憲派からうまれた政治勢力で、日本では、GHQの日本弱体化計画≠ひきついだ左翼や反日主義者が堂々と憲法の庇護をうけ、政界においても、護憲派の衣を着た反日派が、野党として、議会の一角を占めている。

 これまで、憲法議論が深まらなかったもう一つの理由は、改憲・護憲が政争の具に供されてきたからである。
 改憲派と護憲派の多数派工作に紛れて、アングロサクソンの対日敵対政策や戦争挑発、ハルノートとポツダム宣言の謀略性、ハーグ陸戦条約違反の法改正など現行憲法がうまれた経緯や事情、時代背景にふれることなく、憲法議論を保革のイデオロギー論争へとすりかえてきたのである。
 この議論が愚劣の極みだったのは、現実や歴史的事実をみることなく、憲法を「平和と戦争」という空想論にしてしまったことだ。
 護憲派が平和主義の原典とする九条は、戦勝国による敗戦国にたいする将来にわたる武装解除命令で、当時、日本の主権者だったGHQにとって、当然の措置だった。
 そのどこが平和のシンボル≠ナあろうか。
 このヘーワボケは、戦勝国の占領基本法を国家基本法として有り難がっているところだけにあるのではない。
 国家主権(交戦権)が放棄された憲法を放置してきた戦後70年は、国家の本質を歪めるのに十分すぎる歳月で、現在、日本は、世界有数の軍事力の法的根拠を外国との軍事同盟(日米安保条約)に依拠している。
 憲法上、日本は国軍をもてないからである。
 法的効力をもたない憲法9条を立てた子どもだましのような平和主義運動に東大教授や大新聞、野党らが血道をあげている。
 憲法議論を不毛なものにしているのはこの幼児性なのである。

 憲法は、GHQの謀略であって、対日政策の偶発的な産物ではない。
 アングロサクソンと大和民族の宿命的な対決が、原爆投下を経て、決着したのが憲法で、発端をたどれば、第一次大戦後のパリ講和会議(1919年)にゆきつくだろう。
 日本全権団は、パリ講和会議の席上で、新設される国際連盟に「人種平等の原則」をもりこむよう主張した。
 猛反対したのが、アメリカとイギリス、オーストラリア、カナダのアングロサクソンだった。
 日本の提案にフランスやイタリア、ギリシャ、ポルトガル、中華民国などが賛成して、日本の提案は多数決(11対5)でうけいれられるかにみえた。
 ところが、議長のウィルソン大統領が、突如、全会一致の原則をもちだして日本の提案を退ける。
 黒人奴隷に手を染めてきた英米、アボリジニを狩りで全滅させた白豪主義のオーストラリア人らにとって、人種差別撤廃という日本の提案は、有色人種の反逆以外の何ものでもなかったのである。
 日本封じ込めという暗黙の戦略≠ェできあがったのは、それ以来のことで、その決着となったが、チャーチルとルーズベルトの「ハイドパーク協定」(1944年)だった。
 このとき、英米首脳は、日本への原爆投下と工業施設の全破壊、武装解除を約している。
 憲法9条は原爆投下と対になっていたのである。
 護憲派は、9条は平和のシンボルというが、それなら原爆投下は、平和の白鳩ということになる。
 次回以降、憲法をとおして、原爆投下で決着がつけられたアングロサクソンと大和民族の闘争をふり返ってみよう。
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2016年10月13日

右翼と左翼C

 ●右翼の本質は防衛にあり
 右翼の本質は、防衛にあって、攻撃にはない。
 歴史や文化、風土、習俗などの民族的価値をまもるのが右翼で、みずからをまもることができない伝統の守護者としてふるまう。
 伝統をまもることが困難なのは、無防備だからで、千年の蓄積も、タリバンに破壊されたバーミヤン大仏のように、一発の大砲で粉々になる。
 防衛は、攻撃よりもはるかに戦略的意味が重い。
 攻撃は、失敗しても撤退するだけだが、まもりに失敗すればすべてを失う。
 神風に破れた蒙古軍は遠征船団を失っただけだが、日本軍が負けていたら国家を失っていたろう。
 神風特攻隊が散華したのは、本土防衛軍だったからで、防衛は、攻撃よりも壮絶なたたかいになる。
 右翼がまもるべきは、物質的な価値や権力ではなく、精神性や無形の文化である国体である。
 伝統をまもるのがむずかしいのは、攻撃をうけるのが、目に見ることができない精神文化だからである。
 それが三島由紀夫のいった文化防衛で、三島は、命を捨てて国体や日本精神という無形の文化をまもろうとした。

 文化という内面を侵蝕されるとつぎは文明という外面の崩壊がはじまる。
 アメリカ民主主義とGHQ憲法が、かつての誇り高き道徳国家をアメリカに追従する二流国にしてしまったのは、権力がはたらいたからではなく、国体という内面を侵蝕されたからだった。
 国体は空気のようなもので、だれも意識することがない。
 その無意識が国体の真のすがたで、国民は無言でこれをささえている。
 日の丸を振って愛国心を訴え、政治スローガンを叫ぶのが国体護持ではない。
 無自覚なほどにクニに同化して、日本人であることに誇りをもって、国体はまもられる。
 特攻隊員の遺書をみてわかるように、かれらは、祖国愛と高い教養、強靭な精神力をもっていた。
 それが右翼=防人の本質で、国家をまもるには、まもるべき国家に惚れきる純粋性や熱情、歴史や文化につうじる聡明さがもとめられる。

 かつて、右翼が反共と同義だったのは、共産主義革命から国体をまもるためだった。
 共産主義は、国体という歴史の連続性と文化の蓄積を根こそぎ否定した権力構造で、いわば国家自体が、共産主義が管理する監獄となる。
 中国でおきた共産主義革命が、戦後、日本でおきなかったのは、容共政策をとったGHQが反共へ転じたためで、朝鮮戦争がおきなかったら、日本も共産化されていた可能性が多分にあった。
 国体が失われる危機となるのが、敗戦と国家分裂、そして革命である。
 前後、日本にその三つの危機がいちどきに襲ってきた。
 敗戦と連合国による分割統治、そして左翼の大躍進によって、日本は、革命前夜の情況になった。
 連合国による四島分割統治と天皇の戦犯指名を免れて、一応、危機を脱したものの、深い傷跡が残った。
 日本の支配階級が、右翼からそっくり左翼に入れ代わったからである。

 戦前の一般的な日本人は、現在の感覚でいうならすべてウヨクで、民族主義者であることが徳の一つに数えられていた。
 ところが、戦後日本は、霞ヶ関をはじめ教育界や大学、法学や歴史学などの学会、大新聞などのエリート階級が、戦前戦中、アカや非国民と呼ばれて社会の中枢から外れている人々に占領された。
 戦後日本では、敗戦直後の革命の危機は脱したものの、公職追放とGHQの容共主義によって、左翼革命に準備が着々とすすんでいたのである。
 それを阻止したのは、天皇と皇室を敬愛する一般国民だった。
 左翼は国体とともにある国民の前で身動きがとれなかったのである。
 だが、現在、日本を危機に陥れているのは、日本共産党が議会で一定の議席を占める共産主義ではない。
 危険なのは左翼よりも反日で、左翼が政権を狙うのにたいして、反日は、国体の破壊を目的とする。
 国体が崩壊すれば、国家主権(交戦権)をもたない日本は、革命をおこさずとも、国家としての機能と体裁を失って、アメリカか中国の属国にならざるをえない。
 反日主義は、国家の主権を他国にゆだねようという売国イデオロギーなのである。
 左翼には政権を争う保守が対抗する。
 だが、反日は、メディアや教育などをつうじて、じわじわと国民生活に浸透する。
 反日攻撃の防波堤となるのが、国体の防人たるウヨク=民族派である。
 現在、ウヨクと呼ばれているのは、戦前の日本人の精神を継承している人々で、ふだん市井に埋没しているが、国体がおびやかされたときは立ち上がる。
 右翼の本質が防衛にあるというのはその意味合いなのである。
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2016年10月11日

 右翼と左翼B

 ●国体を破壊したのはGHQではなく戦後左翼
 戦後、国体意識が失われたのは、GHQの情報工作のせいだけではない。
 GHQは、三大紙による「天皇制存廃世論調査」で天皇支持が9割をこえた事実をふまえて「天皇制があるからといって民主主義的ではないとはいえない」と正式にコメントしている。
 国体破壊の意図がなかったというより、GHQには、国体にたいする認識がほとんどなかったのである。
 国体意識を破壊したのは、日本共産党や日教組、労組などの革命勢力とこれに同調したマスコミや学会、言論界、GHQによって再編された官界だった。
 GHQの公職追放令によって20万人以上の要人が公職から追われ、日本の中枢機構が左翼に占領された。
 日本の左翼は、GHQによって息を吹き込まれ、GHQの日本弱体化戦略をひきついだ反日勢力で、そのスローガンとなったのが、平和憲法だった。
 憲法は改正が可能で、神道指令や言論統制のような占領政策は、講和が成立すれば解除される。
 だが、日本の中枢機構を左翼一色にした公職追放令は、解除不能なので、百年の禍根となって日本を呪いつづける。
 日本人である戦後左翼・反日は、革命の妨害となっているのが、右翼や保守ではなく、日本人の精神に根ざした国体であることを知っていたのである。

 かれらが目の敵にしたのが皇国史観で、天皇から君が代、日の丸に至るまでが、反皇国史観の名目で攻撃目標となった。
 祝日(旗日)に玄関に日の丸を掲げる風習がなくなったのは、GHQが日本から引き揚げたあとのことで、日教組や労組、大新聞が、日の丸=軍国主義という教育や宣伝をおこなったためだった。
 軍国主義の元凶とされた皇国史観や神話も排除されて、国史ならぬ天皇不在の日本史がつくりあげられた。
 日教組と歴史学会、教科書出版社、文部省は、国史が皇国史観を連想させるという理由から自国の歴史書を外国の歴史書のように日本史としたのである。
 国体という日本精神は、左翼革命運動のターゲットなって、抹殺されたといってよい。

 サンフランシスコ講和条約がむすばれてGHQが撤退した4年後、日本では憲法改正をめぐって大きな政治的変動が生じた。
 左右両派に分裂していた日本社会党が統一されて、憲法改正の阻止に必要な3分の1議席を獲得すると、憲法改正を目指す保守勢力も、自由党と日本民主党が合同して自由民主党を結成、議席の3分の2弱を確保する。
 これが「55年体制」で、このとき日本共産党も大きな変貌をとげた。
 それまでの武装闘争路線を捨て、議会内革命路線をとるのである。
 日本共産党にとって、国体が抜き去られている憲法は革命運動の障壁にならないどころか、国民主権は、むしろ追い風となる。
 革命は、暴力であれ選挙であれ、国民(人民)主権の名目の下で独裁政権を樹立することだからである。
 妨害になるのは歴史と文化の実体たる国体だけだった。
 だからこそ革命は殺戮と破壊によって過去を消滅しようとする。
 だが、戦後日本では、左翼の手で国体がほぼ完全に否定されていた。
 日本共産党にとって、GHQによって改造された戦後は、革命前夜の情況だったのである。

 危機感を抱いた保守陣営のなかでまっ先に行動をおこしたのが、検事総長や法務大臣、防衛庁長官などを歴任し、政界引退後、自由民主党の院外団「自由民主党同志会」を率いた木村篤太郎だった。
 木村は、法務総裁だった当時、国粋会など全国の任侠団体を結集した「反共抜刀隊」計画を立てている。
 右翼の大同団結は吉田茂の反対で実現しなかったが、これが任侠右翼として60年安保闘争以後までも引き継がれる。
 これが、極右と呼ばれるグループで、いまは多くが民族派を名乗っている。
 極右は、極左の反対勢力という意味合いなので、共産主義革命が過去のものになった現在、反共としての存在理由もなくなった。
 極左は、日本共産党が武装闘争方針の放棄を決議した「六全協」(1955年)以降、同党を離脱した武闘(極左冒険主義)派らが結成した共産主義者同盟や共産同・ブント、革共同中核派、革共同革マル派、革労協、社労党などの過激派のことである。
 だが、あさま山荘事件で連合赤軍(赤軍派・京浜安保共闘)が壊滅したのち内ゲバをくり返すだけの殺人集団へ転落していった。
 極左が全滅したのは、かれらがもとめたのが政治権力だったからである。
 武装蜂起による世界同時革命が荒唐無稽だったというより、共産主義自体が崩壊して革命という政治目的が消失した。
 一方、権力と政治から切り離されている極右には、依然として、国体の護持という目的が残された。
 右翼が担っているのは文化防衛であって、政治権力の奪取を目的としない。
 右翼が左翼と敵対したのは、革命が国体破壊をともなうからで、社会主義に反対したわけではない。
 戦前の右翼の多くが、北一輝や大川周明のように天皇の下の社会主義思想を構想していた。
 右翼は国体の防人で、本来、政治や経済、法や制度には関与しない。
 次回は右翼と左翼、国体と政体についてさらに論をすすめよう。
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2016年10月04日

 右翼と左翼A

 ●権力(政体)と民族の魂(国体)
 右翼と左翼、保守と革新ということばは、思想でも文化的な概念でもない。
 自由や平等が普遍的な意味や内容をもつのにたいして、革命に同調するか否かという区分けでしかなく、レッテルのようなものにすぎない。
 中世的な国家を近代的国家へ脱皮させたのが市民革命で、このときはじめて右翼や左翼、保守と革新という概念がうまれた。
 革命派が革新なら反革命が保守で、この両陣営が議会で、右翼(反革命)と左翼(革命派)を占めたことからイデオロギーの対立が政治の中心となった。
 ヨーロッパにおいて、権力が政治へ、政治からイデオロギーへ移っていったのには2つの段階があった。
 一つは王権神授説で、もう一つが市民(共産)革命である。
 暴力を土台にする権力が、施政権・徴税権をもつ政治権力へ発展していくには、王権が神から授かったという神話が必要で、中世ヨーロッパでキリスト教が絶大な力をもったのは、王権と教会が二人三脚を組んでいたからだった。
 王権神授という正統性をえた権力は、領主から国王へ登っていって、ついに国家をつくりあげる。
 国家主権のソブリンティは絶対君主権の意で、ヨーロッパでは、国家が王権神授説からうまれたのである。

 西洋においては、政治は、施政から徴税、戦争に至るまですべて権力の操作で、近代の民主主義や国家概念、法なども権力のカテゴリーにくくられる。
 革命は、それまで王権のもとにあった権力を人民もしくは人民の名を騙った反王権派が奪うことで、左右や保革は、革命イデオロギーをめぐる権力闘争の構図にほかならない。
 革命によって権威を失った権力構造は、延々と権力抗争をくり返して、最終勝者が焦土と化した国土の上に新しい国家を建設する。
 したがって、新国家はただの権力機構で、軍事力以外なんら権力の正統性をもたない。
 先進国が民主主義を唯一の国家規範とするのは、革命国家だからで、歴史を否定した国家は、伝統ではなく新規を、文化ではなく権力を国家の背骨にせざるをえないのである。

 暴力革命による全体主義を回避した穏健派が立てたのが議会主義と民主主義で、のちにこれらの国々が、かつてのソ連や東欧、中国の共産陣営にたいして自由陣営と呼ばれることになる。
 自由陣営にふくまれる米英仏も革命国家で、共産主義国家と民主主義を共有する。
 自由陣営が間接民主主義(議会・普通選挙)なら、共産陣営は直接民主主義(人民政府・一党独裁)で、革命国家は、民主主義以外のいかなる国家原理ももたないのである。

 伝統(権威)と武力(権力)が一体化していた古代国家(王国)が消滅したのは、権威と権力が一元化されていたからで、両者が摩擦をおこすと、権威はひとたまりもない。
 権力は、歴史や宗教、民族や土着文化ではなく、暴力に根ざすので、国土や歴史ととともにある民と対立関係に陥らざるをえない。
 そこから専制政治や恐怖政治、さらに革命の火種が生じるのは、力で奪った権力は、力に脅かされるからである。
 そのとき登場してくるのが、右翼と左翼、保守と革新の概念とイデオロギーである。
 伝統を破壊した権力が、革命をめぐって、二つに分裂して衝突するのである。
 それが近代政党の歴史だが、日本の場合、その原則があてはまらない。
 日本には、西洋で消滅した国体が残っているからである。
 革命をめぐって生じた右翼左翼、保守革新というフレームでは、国体という歴史的な文化構造をとらえることはできない。
 日本の保守党=自民党には、国体の防人として、政策政党の枠組みを超えた使命が課せられている。

 かつてクニは、神話や素朴な宗教心、習俗などの文化概念によってみずからを統一した祭祀共同体で、邪馬台国(大和朝廷)の女王卑弥呼は、軍事力ではなく祈祷でクニを治めた巫女だった。
 現在の日本は、大和朝廷と歴史的連続性を有しており、天皇は、大和朝廷を建てた神武天皇の男系子孫(万世一系)である。
 日本が伝統国家として、世界から尊敬をうけているのは、権力と合理性だけからできている革命国家にとって、歴史的遺産や価値が現体制をささえているという事実が驚異と羨望の的だからである。
 自民党にもとめられているのは、革命国家の保守主義(カンサバティブ)ではなく、伝統国家の国体思想であって、その象徴がまさしく天皇なのである。

 わが国は、革命を経験していない伝統国家である。
 したがって、革命国家とは歴史の構造が根本的に異なる。
 革命国家が歴史を否定した国家なのにたいして、伝統国家は歴史の積み重ねの上に成立した国家だからで、王権神授説の神話を創作する必要もなく、伝統的価値観にとって代わる民主主義を立てる必要もなかった。
 日本の右翼も、政治や権力ではなく、天皇の歴史と国体という文化をまもる勢力であって、拠って立つところは、祖国愛という精神性である。
 右翼が特異な存在となるのは、祖国防衛の熱情が、イデオロギーや論理ではなく、民族の魂から発せられるところにあるのである。
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