2017年02月24日

謀略国家アメリカの正体@

 ●民主主義を文化概念でとらえる誤り
 アメリカ建国200年の歴史うち戦争をしていなかった期間は20年にみたない。
 各州がそれぞれ主権をもつ合衆(州)国アメリカは、戦争をしていなければ連邦制を維持できない特殊な条件のもとでできあがった国家といえる。
 数十もの州が連邦政府と主権を共有するメリットは力(軍事力)である。
 世界最強のアメリカの軍事力が、腰に拳銃をぶら下げていた時代からアメリカ人のアイデンティティーで、USAが力で他国をねじ伏せるパワーをもっているかぎり、かれらは、ヨーロッパからの移民でも州の住民でもなく、誇りと愛国心をたずさえた生粋のアメリカ人なのである。
 テキサスの併合を拒絶したメキシコを米墨戦争へひきずりこみ、その勝利で領土を大きく広げた第11代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ポークは就任式でこう謳い上げた。
「わたしは領土を拡張しようとするアメリカ国民の熱情を支援してゆくことを約束する」
 そして、米墨戦争に勝ち、合衆国が広大な西部の領地を獲得したとき、アメリカ国民は狂喜し、ポーク大統領を熱烈に支持した。
 アメリカにとって、力が正義で、その正義をうみだすのが民主主義だったのである。
「力=正義=民主主義」の単純な公式がアメリカの国是で、歴史も伝統的な社会規範ももたない文化果つる地においては、拳銃と多数決の正義しかなかったのである。

 アメリカは戦争によって、大きくなった国である。
 独立戦争やインディアン戦争、南北戦争のほか、メキシコ国土の三分の一を奪った米墨戦争、キューバを支配下におき、フィリピン・プエルトリコ・グアムを領有した米西戦争、そして、二つの大戦に勝利して、アメリカは世界一の強国となった。
 アメリカが、建国以来、戦争ばかりしてきたのは、紛争を解決するためではなく、紛争をおこして、利益をえるためだった。
 そのときにもちいられる論理が民主主義である。
 アメリカの民主主義は、政治(権力)のカテゴリーにあって、かつての武力戦が多数決におきかえられたものにすぎない。
 大統領の権力の正統性も民主主義(=国民主権)におかれる。
 国民主権は、立法や司法の上位にある大統領の権力が、国民の支持を基盤にしているところからでてきたもので、スターリンもヒトラーも、人民の代表として、独裁的権力をふるった。
 その意味で、民主的な手続きで全権を掌握したヒトラーとトランプはかわるところがない。
 ところが、戦後日本では、国民主権が、国民中心の理想的な政治であるかのような曲解が広がり、官直人元首相はこれを理想の政治としたほどだった。
 国民主権は、多数派の独裁ということであって、政治の技能をもたず、権力操作ができない民衆に代わって、為政者が権力を掌握するだけの話である。
 したがって、民主主義は、かならず衆愚政治と独裁に陥る。

 アメリカの戦争は、権力を一手に握る大統領の指導力と国民の熱狂的支持の下でおこなわれてきた。
 国家の形態も臨戦型で、アメリカ合衆国大統領行政府(ホワイトハウス)と中央情報局(CIA)、国防総省(ペンタゴン)の三者が<軍産複合体制(MIC)>を形成している。
 軍産複合体制には、アメリカを代表する数千の企業と数万の下請け、金融機関、大学、研究施設からマスコミまでがふくまれる。
 原爆を製造・投下したのもMICで、現在でも、最新兵器にはアメリカ中の科学の粋が結集される。
 タテマエとして、憲政主義と三権分立を謳っているが、三権分立の二権(立法府・司法府)は、強くなりすぎた大統領の権力をチェックするための機関にすぎない。
 最近、左翼(護憲)学者らが「憲法は国政や国家権力の暴走を防ぐための最高法規」と主張しているのは、アメリカのケースを誤解しているのである。
 伝統的規範をもたない革命国家アメリカでは、憲法というガードを設けなければ、大統領の権力や多数決の独裁に歯止めがきかなくなるのである。

 国務大臣から裁判官、天皇にまで尊重擁護義務を負わせた「憲法の最高法性(98条・99条)」はアメリカの模倣である。
 アメリカの権力構造は、突出した大統領の権力を抑えるため三権≠フ上に憲法を置き、立法や司法が憲法をタテにホワイトハウス(行政)の暴走を阻止できる仕組みになっている。
 イギリスの議会民主主義は、民主主義が議会に属しており、憲法をもたないのは、伝統(コモンロー)が機能しているからである。
 日本は天皇民主主義で、伝統的価値観や国民的良識、習俗や慣習などが不文律(コモンロー)で、民主主義は、普通選挙法と多数決以上の意味をもつものではない。
 憲法こそが暴走する民主主義で、これをチェックするのは、文化でなくてはならない。
 ところが、戦後の日本人は、アメリカ民主主義を最高道徳(=憲法)としてとらえ、これを国体の上位においてきた。
 それを端的にあらわしたのが二階発言である。
 自民党の二階幹事長はテレビ番組で「女性尊重の時代に天皇陛下だけ例外というのは時代遅れだ」「トップが女性の国もいくつかある」などとのべている。
 二階幹事長のいう女性尊重や女性進出は、男女同権にもとづくものと思われるが、男女平等は法の下≠ノおける平等であって、民主主義と同様、政治のカテゴリーにある。
 一方、皇位は伝統であって、文化と同様、法や政治、権力の支配をうけない。
 次回以降、文化と政治を峻別して、民主主義の正体を明らかにしていこう。
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2017年02月09日

伝統と西洋合理主義C

 ●伝統と保守主義を明確に識別せよ
 伝統は文化概念で、一方、保守主義は政治の用語である。
 文化である以上、伝統に国体や天皇がふくまれるが、保守主義にはこれらがふくまれない。
 日本の保守派論客は、保守思想家として、ホッブスやエドモンド・バークをもちあげるが、かれらは国体=天皇という伝統を知らないのである。
 政治である以上、保守に民主主義がふくまれるが、伝統にはこれらがふくまれない。
 歴史の叡智は、数の論理や大衆迎合よりはるかにまさっているからである。
 伝統と保守のちがいは、民主主義の有無といってよい。
 紀元前、ギリシャで流行った民主主義がルソーによってよみがえった。
 これに大昔の原始共産制をくっつけたのがマルクス主義である。
 マルクス主義に専制政治をくっつけたのがスターリン主義で、毛沢東主義も同じようなものである。
 政治は、三大宗教と同じように、古代から一歩も前進していない。
 そして現在、アメリカでは、国益第一のトランプが大統領になり、フランスでは極右政党(国民戦線=FN)のルペンが大統領候補に取沙汰されている。
 ロシアのプーチンも中国の習近平も独裁的で、世界のリーダーは、だれもが民主的な手続きでえらばれた小粒なアレキサンダー大王なのである。

 西洋の近代化は、三つの革命によって実現された。
 宗教革命と市民革命、そして産業革命である。
 メイフラワー号でアメリカにやってきた人々はピューリタンで、英国から独立をかちとったアメリカ革命は、宗教革命でもあった。
 三つ目の産業革命は、伝統が残るヨーロッパよりも、新興国アメリカのほうで大きく開花した。
 摩天楼や車社会、オートメーションに象徴されるアメリカ文明は、過去なき地に打ち立てられ、かつてなかった形態とスケールで巨大化していった。
 歴史なき地で社会規範になりうるのは、宗教的戒律と民主主義だけである。
 相続すべき歴史的遺産がないからで、あるのは、プロティスタンティズムの自由と革命のエネルギーとなった民主主義だけだった。
 そして、アメリカは、そのアメリカイズムを普遍的な価値として、世界中におしつけてきた。
 アメリカの戦争は、すべて、民主主義を大義に掲げたもので、キリスト教を立て、侵略と虐殺をおこなったかつての列強の論理とかわるところがない。
 アメリカがすすめてきたグローバリズムはアメリカ化にほかならず、伝統を民主主義におきかえる文化破壊だった。
 イスラム過激派との戦争は、そこから生じたもので、アメリカという重爆撃機に抵抗する戦法としてえらばれたのがテロリズムだった。

 伝統は、議論の余地のない絶対的価値で、歴史に根ざしている。
 国家や政治についてはおおいに論じるべきだろう。
 だが、国体や天皇などの歴史的存在を論じることはできない。
 できるのは、歴史に反する俗論を正論をもって排除することだけである。
 この場合、言説以外の手段も許容される。
 なぜなら、民主主義において、すでに数の暴力(多数派による専制)≠ェ容認されているからである。
 民主主義も「力による支配」で、内部に「力による反逆」という対立軸をかかえこんでいる。
 対抗できるのは予備拘束だけだが、それでは、民主主義の自己否定になる。
 したがって、多数決による民主的決定は、永遠に、普遍性をもった絶対的価値とはならない。
 民主主義の生みの親は革命で、歴史を破壊しつくし、多くの血を流してきた。
 いまさら、民主主義は平和的で、暴力を否定するなどといってもとおらない。
 それなら、民主主義に、歴史にたいする不可侵を約束させなければならない。

 伝統は民主主義を排除しない。
 それが歴史主義で、歴史は、すべてこれを受容する。
 秀吉の検地・刀狩りやキリシタン禁止令、江戸幕府の鎖国令は、歴史上の出来事にとどまらず、現在の日本を成り立たせている根源的な要因になっている。
 伝統国家は、歴史という絶対的な土台の上に建っているのである。
 日本がキリスト教化されず、人身売買や奴隷制度がなく、士農工商の身分秩序の下で礼儀や道徳がおもんじられてきたのも、歴史と伝統の成果で、歴史は現在も生きている。
 その最高点に国体があり、天皇がおられる。
 この歴史を薄っぺらな民主主義でひっくり返そうとしたのが小泉政権下の「皇室典範に関する有識者会議」だった。
 民主主義は、伝統に牙をむく。
 国の内外から迫ってくる牙と対抗するのが「文化防衛」で、伝統をまもるには、よほどの情熱と胆力がもとめられるのである。
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2017年02月02日

 伝統と西洋合理主義B

 ●革命の西洋と伝統の日本
 トランプ大統領は、就任早々、イスラム7か国(イラン、イラク、シリア、リビア、イエメン、スーダン、ソマリア)国民のアメリカ入国を禁じる大統領令に署名、異議を唱えたイェーツ司法長官代理を罷免するなど、はやくも独裁者ぶりを発揮している。
 大統領令には、メキシコ国境の壁(グレートウォール)建設やTPP脱退がふくまれているほか、未署名の公約にはNAFTA(北米自由貿易協定)やNATO(北大西洋条約機構)の抜本的な見直し、中国にたいする45%の関税導入やロシアとの協力体制(ISIS関連)が謳われている。
 直接、日本に関連したものはないが、在日米軍の撤退(駐留コストの全額負担)や関税・為替問題を口にしているところから、いずれ、対日攻勢に打って出てくるのはまちがいない。
 常軌を逸脱したトランプのアメリカ・ファースト≠ノ世界中が戸惑っているが、これが、開拓史の西部劇からスタートしたアメリカの荒っぽい本質である。

 アメリカは戦争からうまれた国である。
 イギリスの13植民地(アメリカ東部沿岸)の叛乱(独立戦争)にはじまるアメリカ建国は、先住民族を全滅させたインディアン戦争、メキシコから領土(カリフォルニア・ニューメキシコ・テキサス)を奪った米墨戦争、アメリカ戦争史最大の62万人(第一次世界大戦11万人/第二次世界大戦32万人)の戦死者をだした内乱(南北戦争)、そして、二つの世界大戦を経て、独立後、わずか170年にして、世界の最強国になった。
 政体的には、連邦制(合衆国)をとっているが、基本にあるのは、13州が主権をもっていた当時の独立自治体制で、一般法も州によって異なる。
 大統領公選制と厳密な権力分立、民主主義をとっているのは、伝統的支配の体験がないからで、戦争(革命)国家であるアメリカは、国家そのものが権力構造なのである。

 アメリカの権力構造はペンタゴン(アメリカ国防総省)と大統領の監督下にあるCIA(中央情報局)の両輪で、その下にFBI(連邦捜査局)と州警察がつらなっている。
 権力構造が民主的な政治機構(議会)とは別のところにあって、その象徴がペンタゴンとCIAの管轄下にある軍産複合体(MIC)である。
 アメリカ大統領が絶大な力をもつのは、ペンタゴンやCIAと直接つながっているからで、徹底した対日敵対政策をとって日米戦争をまねいたルーズベルト大統領は、ホワイトハウス独裁をつらぬき、のちに帝王的大統領≠ニ呼ばれることになる。
 トランプは、日系人強制収用(大統領令9066号)をおこなったルーズベルトを評価していることから、理想としている大統領像は帝王型と思われる。
 アメリカが正義を旗印にした民主主義国家というのは大まちがいで、アメリカにあるのは、トランプ大統領が「アメリカが軍事力ナンバー1の地位をゆずることはない」と力説したように、力の論理だけである。

 アメリカ特有の治安制度に保安官(シェリフ)の存在がある。
 各州によって法が異なり、州や準州(ルイジアナなど)が入り混じっていた上、銃の所持に制限がなかった西部開拓当時、アメリカは全土にわたって無法地帯で、ワイアット・アープのような腕の立つ保安官がいなければ治安をまもることができなかった。
 保安官は、ワイアット・アープがそうだったように、腕の立つ粗暴なガンマンで、治安維持には、ほぼ公認の銃殺とリンチをもっぱらとした。
 トランプは公約に「銃規制緩和および撤廃・銃購入の権利」「拷問の認可」をあげている。
 リベラル派は眉をひそめるが、ほぼ同数の保守派は支持している。
 アメリカの良心など木っ端みじんだが、そこに、インディアンの殲滅を娯楽作品(西部劇)に仕立ててきたアメリカの本質がある。
 大半のアメリカ人がジョン・ウェインやジョン・フォード監督を愛しているように、トランプは、西部劇のスター、ワイアット・アープ気取りなのである。
 ルーズベルトもトルーマンも、騎兵隊長や保安官のような大統領で、イラク戦争を仕掛けたブッシュJも同様だろう。
 かれらは、保守派や軍産複合体の支持がえられるならためらうことなく拳銃のひきがねを引くならず者で、究極の迎合政治家である。

 日本がトランプとやりあうには、議会とつうじておくことである。
 トランプは、粗暴さと無知、誤認をもとに、これからも大統領令にサインをしまくるだろう。
 議会は、大統領令の正当性を質し、世論に訴え、反対法案をつくって対抗することができる。
 かつて、日本の真珠湾攻撃に激怒して、ラジオをつうじ、それまで反対してルーズベルト支持を全米に訴えたハミルトン・フィッシュ(下院議員)は議会に隠されていた「ハル・ノート」の存在を知り、深い後悔をもって、ルーズベルト支持の演説を撤回する。
 日本が「ハル・ノート」をアメリカの議会にもちこみ、その正統性を質していたら日米開戦はありえなかったのである。
 トランプと付き合うには、議員レベルで、アメリカ議会と交流を深めておくべきだろう。
posted by office YM at 07:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする