2017年09月19日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」O

 ●神話に隠された歴史の真実
 スサノオは、天照大神や月読命とともに、イザナギの禊からうまれた3神のうちの一柱である。
 天照大神は高天原を、月読命は夜の食国(オスクニ)を、そしてスサノオは海原を治めるようイザナギに命じられるが、スサノオは、イザナミのいる根之堅洲国に行きたいと泣き叫び、中つ国から追放されてしまう。
 スサノオは、天照大神に別れ告げるため高天原へ上るが、天照大神はスサノオが攻めて来たと思い、武装して待ち構える。
 二神は互いの疑いを解くために誓約(うけい)をおこなう。
 誓約は結果が宣言どおりか否かによって、邪心のあるなしを判断する卜占である。
 天照大神がスサノオの持っている十拳剣を噛み砕き、吹き出した息から三柱の女神(宗像三女神)が産まれた。
 この三女神を祀るのが、2017年に世界遺産登録された沖の島宗像大社の沖津宮、中津宮、辺津宮である。
 次に、スサノオが、アマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を噛み砕くと、宣言どおり、吹き出した息から五柱の男神が生まれた。
 スサノオの潔白は証明されたが、高天原に滞在することになったスサノオが乱暴をはたらいたため、天照大神は嘆いて、天の岩屋に隠れてしまう。
 これが天の岩戸隠れで、太陽神=天照大神が身を隠したため世界が真っ暗になってしまう。
 高天原を追放されて、出雲の鳥髪山へ降ったスサノオは、その地を荒らしていた八岐大蛇の生贄になりかけていた美しい少女櫛名田比売(くしなだひめ)と出会う。
 スサノオは、櫛名田比売を櫛に変えて髪に挿し、八俣遠呂智を退治する。
 そして八俣遠呂智の尾から出てきた草那芸之大刀(くさなぎのたち)を天照御大神に献上し、それが三種の神器の一つとなった(熱田神宮の御神体)。
 こうして、スサノオは櫛名田比売を妻として、出雲の根之堅洲国に留まる。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまごみ)に 八重垣つくる その八重垣を」
 スサノオは、日本で最初の和歌を詠った歌人でもあったのである。

 スサノオは、天つ神ではなく、国つ神である。
 国つ神の代表であるオオクニヌシ(大国主命)はスサノオの子孫である。
 この設定は多くの示唆をふくんでいる。
 一つ目は、天孫族(天つ神)と地祇(国つ神)が対立関係にあったこと。
 二つ目は、天つ神と国つ神は、全面戦争を避けて、棲み分けしたこと。
 三つ目は、世界を現象界(=顕界)と観念界(=幽界)に分け、前者を天つ神、後者を国つ神が支配するとしたこと。
 肉体の目に見える顕界と、魂の目に見える幽界の二元論である。
 幽界が設計図なら、設計図どおりにつくられたのこの世が顕界で、両者は表裏の関係にある。
 神道では、高天原と葦原中国、天つ神と国つ神、天照大神(伊勢神宮内宮祭神)と豊受大神(伊勢神宮外宮祭神)というふうに二項対立(二元論)が基本原理になっている。
 これが、権威と権力の二元論にひきつがれて、天皇に地位が確定する。

 天皇中心の政治というのは、天皇と摂政、天皇と幕府の二元体制で、天皇は祭祀、為政者は権力をあずかった。
 祭祀と権力もまた二元論で、祭祀は国家の安泰と民の幸を祈念し、権力者は政体をコントロールする。
 政体は、法や権力を操作する一過性の形や状態である。
 したがって、政体(権力)が変わっても国体(権威)に変化は生じない。
 その二元構造が日本を世界一の伝統国家たらしめてきたといってよい。
 中世以降、二元構造が崩壊に瀕する危機が二度あった。
「建武の新政」と明治維新から第二次大戦敗戦までの80年余である。
 後醍醐天皇の新政が失敗すると「応仁の乱」から戦国時代へ日本は「暗黒の中世」へ突入してゆく。
 権力をもとめた権威が空洞化したため、権力が手綱を失った暴れ馬のように暴走したのである。
 後醍醐天皇や北畠親房、楠木正成らが傾倒していたのが儒教で、親房の『神皇正統記』は徳治と名分論を謳った易姓革命のテキストだった。
 建武の新政は、神道が後退した時期の政変だったのである。
 もう一つは、天皇を国家元首に担いだ明治憲法体制で、国体と政体の合一によってつくりあげられた帝国主義は、ヨーロッパの政治システム真似た軍部による天皇の政治利用でもあった。
 その結末が1945年の国体の危機で、朝鮮戦争がなかったら、日本は共産主義革命にのみこまれていたろう。

 戦後の平和と繁栄は、国体護持の賜物で、象徴天皇の存続によって、国体と政体の二元論が復活して、日本再生が曲がりなりにも実現した。
 戦後、日本は、民主主義の国になったが、民主主義は、課税や法律、行政と同様、政体の範疇にあるもので、国家の安全や発展、民の幸という国体概念を超えるものではない。
 国会の開会式に天皇陛下がご臨席されるのは、日本が、国体(権威)と政体(権力)が二元論に立っているあかしで、天皇が憲法上の存在であるというのは、左翼反日の妄想にすぎない。
 憲法が最高法規で、民主主義が最高の意志決定手段というのは、政体=国家の革命国家のルールであって、国体を有するわが国には通用しない。
 伝統国家では、法規や多数決など政体の一過性のルールだけではなく、習慣や伝統、しきたりが重んじられる。
 国体は歴史の一部なので、過去が現在に反映されるのである。
 政治の目的は、国家・国民の繁栄の継続であって、国家は、現在を生きるにすぎない人々の占有物ではない。
 国民投票でEUから脱退したイギリスや大統領公選制のアメリカにあるのはのは、多数決(民主主義)だけであって、国体という政治の理想がない。
 神道の伝統にもとづき、権威と権力の二元論を立てた日本の国の形は、世界でもっとも洗練された政治体制といっていいであろう。
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2017年09月15日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」N

 ●神話と実史の融合点と断絶点
 神武天皇の祖先にあたるのが、神代のイザナギ・イザナミである。
 そこに神話と実史の接点がある。
 イザナギ・イザナミが国土や多くの神々を生み、黄泉国から帰ったイザナギが禊払いしたときに天照大神・月読尊・須佐之男命が生まれている。
 ここまでが神話である。
 天照大神の孫で、天孫降臨したニニギノミコトの曾孫が神武天皇である。
 ニニギノミコトが地上に降り立ったあとが人代(実史)にあたる。
 イザナギ→天照大神→アメノオシホミミ→ニニギ→山幸彦→ウガヤフキアエズ→神武天皇。
 したがって、皇室の祖は、イザナギでもイザナギからうまれた天照大神でもなく、天照大神から2代下った人代のニニギノミコトということになる。
 女系天皇論者が、天照大神を皇室の祖というのは、神話と実史の混同で、天照大神は、皇祖ではなく、皇祖神である。
 ちなみに天皇以外の氏族もすべて、イザナギ・イザナミからはじまっている。
 大伴氏はアメノオシヒノミコト、物部氏はニギハヤヒミコト、中臣氏(藤原氏)はアメノコヤネが祖先で、神を祖先にしていない大豪族は百済出身といわれる蘇我氏だけである。
 有力豪族が天皇に忠実だったのは、かれらの祖先がニニギの降臨に従った神々(五伴緒/イツトモノオ)だったからで、神話秩序の下にあった支配層の手によって、天皇中心の体制をつくりあげられてゆく。
 日本史で、唯一、天皇に刃をむけたのは、第32代崇峻天皇を弑逆した蘇我馬子だけだが、大化の改新で、蘇我稲目・馬子・蝦夷・入鹿の直系4代による独裁体制が破られて、天皇中心の体制が復活する。
 ちなみに、蘇我氏が大きな力をもったのは、天皇の外戚(女系)だったからで、天皇の妃は蘇我一族がほぼ独占していた。

 天皇が尊いのは、神の子孫だからではなく、神武以来の血統(万世一系)がまもられてきたからである。
 その伝統こそが天皇の正統性である。
 天皇の地位は、歴史に用意された血統(男系相続)という玉座≠ノあって、そこに座られるのが天皇陛下である。
 皇位は、歴史上の地位であって、皇室の家系にとどまるものではない。
 女系天皇容認論は、歴史をつらぬいてきた真実を裏切る伝統破壊にほかならず、女性天皇という事態になれば、天皇の正統性が根こそぎ失われる。
 皇室断絶の危機を回避する唯一の方策は、旧皇族の皇籍復帰か、旧皇族への皇統承継権の付与しかなく、GHQが図った皇室断絶政策(11宮家の臣籍降下)をいつまでもひきずるほど愚かな歴史的選択肢はない。
 まもらなければならないのは、天皇の正統性で、天皇陛下も皇室も、皇位という歴史に刻まれた玉座をまもることによってまもられる。
 世界遺産に登録された沖ノ島(宗像神社)が神の島とされているのは、神性をおびているからではなく、4世紀から現在まで厳しく伝統がまもられてきたからである。
 沖ノ島にはきびしい入島制限と女人禁制がある。
 それが伝統で、世界遺産委員会は、女人禁制をふくめて歴史遺産としたのである。
「いまは男女平等の時代」などといって、女性宮家・女系天皇をみとめようというのは、伝統を毀損、破壊する亡国の徒のたわごとにすぎない。

 神話へ話をもどそう。
 天皇にかかわる神話は国譲り≠ナあろう。
 これは、ニニギノミコトの降臨(天孫降臨)に先だち、高天原から国土委譲をもとめる使者が派遣され、大国主命がこれを承認して、出雲(出雲大社)に祀られる話である。
 この神話から、大国主命は「国譲りの神」とも呼ばれる。
 国譲りの第一の使者、天穂日神(アメノホヒノカミ)は大国主命に媚びて命をつたえず、第二の使者、天若日子(アメノワカヒコ)は問責使の雉を射たために神意によって矢に当たって死ぬ。
 最後の使者、建御雷神(タケミカヅチノカミ)には、大国主命の二人の子のうち、事代主神は委譲すべきと答え、もう一人の建御名方神は、力くらべを挑むが、敗れて諏訪湖に逃げて、国譲りが決定する。
 大国主命で有名なのが「因幡の白兎」である。
 心やさしい大国主命が兄たちと争ったヤマガミヒメを娶ったあと、次に恋したのが大国主命から六代遡った祖先スサノオの娘スセリビメである。
 スサノオは幾多の試練に耐えた大国主命を婿としてみとめ、中つ国を治める大任を授ける。
 このあたりのストーリーは粗雑で、スサノオと大国主命、スセリビメの関係や時系列が不自然である。
 ヘビやムカデのいる部屋で寝かされ、野原で火をかけられる試練、寝ているスサノオの髪を柱に縛って刀と弓を奪って遁走するストーリーは奇想天外だが、それが神話で、かつて日本人は、神話と実史を重ね合わせて、日本を神の国としたのである。
 次回はスサノオの神話へ目を転じてみよう。
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2017年09月11日

神道と世界最古の文明「縄文文化」M

 ●理≠ニ非理≠併せ呑む日本精神
 自我が誕生したのは紀元前3000年頃という説がある。
 それまで、ヒトは、動植物と同じように、自然の一部だったのである。
 じぶんと世界が切り離されたとき、人類は、自我という個人領域を獲得した。
 人類にとって、これは革命的なことで、世界がじぶんの外部のものとなったのみならず、他者が他者として、じぶんとは別の存在となった。
 自我のめざめは、人類を自由に、そして孤独な存在にしたが、さらに大きな衝撃は、死の発見だった。
 全体の一部から個となった人類にとって、死は最大の不条理で、死によって、じぶんのみならず、世界が消失する不安と恐怖にさらされた。
 自我にめざめた人々は、超自然的な存在に救済をもとめずにいなかった。
 そこから、祈りや信仰がうまれ、やがて、宗教が誕生する。
 宗教といっても、あったのは、仏教やヒンズー教、儒教などの人為宗教ではなく、自然崇拝や万物に精霊が宿っているとするアニミズムなどの原始宗教である。
 農業がはじまると農業神、家族的なつながりから祖霊、神概念から神と世界を一体とみるパンセイズム(汎神論)、超越的な力を信仰するマナイズム、神と交流するシャーマニズムが派生して、素朴な土着宗教が形成される。
 そこへやがて、仏教がつたわってきた。

 日本に仏教が伝来したのは538年、百済の聖王一六年のこととされている。
 欽明天皇(29代)は臣たちに仏教を受け入れるべきか否かをたずねている。
 蘇我稲目は受け入れに賛成し、物部尾輿(物部守屋の父)や中臣鎌子(のちの藤原鎌足)は反対した。
 当初、仏教は、蘇我一族(蘇我稲目・馬子)だけのものだった。
 その状況を一変させたのが聖徳太子だった。
 聖徳太子は、馬子が物部守屋を討った丁未の乱に参戦して、蘇我氏のクーデターが成功すると、翌年、20歳で皇太子となり、摂政の位(33代推古天皇)についた。
 その後、数十年、聖徳太子は、新羅討伐軍を送り、遣随使をつかわすなどの積極的な外交をすすめ、国内にあっては、十二階の冠位、十七条憲法などを定めた。
 日本の土着的な信仰が神道という形態を整えたのは、曽我一族や聖徳太子が仏教擁護に走ったこの頃だったと思われる。
 推古天皇に「勝鬘経」や「法華経」を講じ、三経義疏を完成させた聖徳太子に対抗して、神道も体系化をすすめ、35代皇極天皇に時代には、皇室神道にもとづいた新嘗祭がとりおこなわれている。
 蘇我一族が仏教の国教化をはかったのにたいして、朝廷は、あくまで神道をまもったのである。

 仏教と神道が共存できたのは、仏教が個人の死生観にもとづき、神道が共同体や国家の安泰に眼目をおいたという理由だけではなかった。
 教義をもたない(「言挙げせず」)神道と経典仏教には対立点がなかったからで、神仏習合は、神道の心と仏教のことばの合体といってよいだろう。
 仏教と神道の棲み分け≠ェ成立したわけだが、実際は、仏教が土着信仰である神道の影響をうけ、日本化してゆく。
 理としての仏教にたいして、神道は非理で、世界は非理に満ち、理で説明がつくものはわずかしかない。
 それが日本精神で、奇異や不思議をそのままうけとめ、一方、理については徹底的に合理性をもとめる。
 現代の文明社会において、ビルの地鎮祭や初詣、七五三のお参りが廃れないのは、日本人が奇異や不思議と合理主義を両立させる二元論的な心根をもっているからである。
 古くは隋・唐文化の国風化から、戦後のアメリカナイゼーションの日本化にいたるまで、日本は、外来文化に吞みこまれることなく、そこから、独創的な文化をあみだしていった。
 その能力の高さは、神仏習合の伝統で、そこに、言挙げしない神道のふところの深さがあるといってよいだろう。
 非理(あいまい)の精神は、どっちつかずということではない。
 両方をうけいれる寛容さで、したがって、西洋の宗教戦争のような「抗争の構図」がうまれない。

 大和朝廷の成立過程で武力闘争がおこなわれた形跡がないのは、無神論的な唯物論者ではなかったからで、日本人は、太古の昔から、非理という唯心的な世界観をもっていたのである。
 それが、神道のベースとなる自然崇拝で、自然界に理のみで説明できるものはほとんどない。
 この原始神道が、自我がうまれたとされる紀元前3000年頃から、延々とつづいてきて、仏教がはいってきた6世紀になって、様式化された。
 神道は、6世紀になってできたのではなく、縄文時代からつづいてきた精神世界が、用明(31代)・皇極(33代)、聖徳太子の時代に、仏教に対抗する形で様式化(新嘗祭)されたのである。
 日本人の精神や民族性に神道という非理の精神が深く根を下ろしている。
 キリスト教や明治維新の西洋文明、戦後のアメリカ文明、そして民主主義にいたるまで、すべて、理の宗教であり、合理の文明である。
 日本精神は、これを否定も肯定もせず、よいところを利用するだけである。
 したがって、根本にある神道的な価値観はいささかもゆるがない。
 皇統の男子継承に「合理性がない」とのべて、女系天皇論者から絶賛された民進党のホープ山尾志桜里議員は不倫スキャンダルで失脚した。
 山尾は、みずからが否定した非理の世界に足をとられたのである。
 山尾を支持してきた小林よしのり(山尾宰相論)や女系天皇論者、高森明勅や田中卓(皇學館大学元学長)、所功らには、日本精神というべき原始神道(縄文文化)にたいする認識がゼロである。
「男系継承は支那の男系主義の影響にすぎない」というのは、日本文化のなんでもかんでも「大陸や半島からの影響」で片をつけるコンプレックスで、こういうやからは、いつか、非理の世界に足をとられて馬脚をあらわすのである。
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2017年09月05日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」L

 ●ニニギノミコトを天皇霊と定めている大嘗祭
 皇室の祖が天照大神であるとして、これを女系天皇の肯定根拠にする暴論がまかりとおっている。
 天照大神は皇室の皇祖神であって、日本人の総氏神とする神話にもとづいた空想上の神である。
 記紀によれば、天照大神は太陽が神格化された天照坐皇大御神で、伊勢神宮(内宮)の祭神でもある。
 皇室の始祖は、天照大神の命によって、高天原から地上に降り立ったニニギノミコト(天孫降臨)で、天皇の血統は、ニニギノミコトから三代下った神倭伊波礼毘古命(神武天皇)からはじまる。
 ニニギノミコト以前は神代で、以後は人代である。
 世系第一/天照大神(禊によって、イザナギの左目から生まれる)
 世系第二/アメノオシホミミ(アマテラスとスサノオの誓約から生まれる)
 誓約(ウケヒ)は吉凶や正邪を占う神事(卜占)で、天照大神とスサノオの誓約では、天照大神がスサノオの十拳剣を噛み砕き、吐き出した息から三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
 次に、スサノオがアマテラスの「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を噛み砕き、吐き出した息から五柱の男神が生まれた。
 その内の一柱が天之忍穂耳命(アメノオシホミミ)で、勾玉の持ち主が天照大神だったところから天照大神の子という俗説がうまれた。
 アメノオシホミミとヨロヅハタトヨアキツシヒメ(萬幡豊秋津師比売命)とのあいだにうまれたのがニニギノミコトである。
 豊秋津師比売命は造化三神の一柱、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の子で、性別のない独神(ひとりがみ)である高御産巣日神の娘、豊秋津師比売命と、誓約からうまれた天之忍穂耳命からニニギノミコトがうまれたのである。
 ここが神話と実史の分かれ道で、ニニギノミコト以前は神話、以後は、この世(葦原中国)の物語となる。
 世系第三/ニニギノミコト(妻は木花佐久夜姫)
 世系第四/山幸彦(妻は豊玉姫)
 世系第五/ウガヤフキアエズ(妻は玉依姫)
 世系第六=皇統第一/神武天皇(妻は阿比良姫)
 天照大神は女神とされるが、独身で、世俗的な意味での夫や子はいない。
 そもそも、女神は性別ではなく、性格であって、スサノオを夫とする俗説には、神である天照大神を人的系統である皇統へ組み入れようとする意図が隠されている。

 神話と実史のつながりを理解するには、世界を3次元でとらえる必要があるだろう。
「造化三神(別天津神をふくめて五柱)」と、最後にイザナギ(男神)イザナミ(女神)が登場する「神世七代」までが第1次元の天(宇宙)である。
 イザナギの禊ぎからうまれた天照大神から、天照大神とスサノオの誓約からうまれたアメノオシホミミまでが第2次元の高天原である。
 高天原は、第1次元の天と第3次元の葦原中国をつなぐイデア(理想郷)であって、神代と人代の橋渡しの役割を担っている。
 神であるイザナギとイザナミが地上で夫婦神になるのも、造化三神が、葦原中国に干渉し、あるいは、天照大神に助言をあたえるのは、のちに天照大神が主になる第2次元の高天原というイデアをとおしてである。
 そして、葦原中国は、高天原という理想をめざして、国づくりをはじめる。
 イデアである高天原と葦原中国は、存在次元が異なっており、神話と実史という大きな段差がある。
 禊ぎや誓約から子がうまれるのが神代で、夫婦神から子が生まれるが人代である。
 天照大神が皇室の祖という主張は、神話と、神話に脚色された人代の区別がつかないオカルティズムにほかない。

 天皇がニニギノミコトの子孫であるという証が大嘗祭(だいじょうさい)の儀式において明快に示されている。
 大嘗祭は、天皇が即位の礼の後、初めてとりおこなわれる新嘗祭(にいなめさい)である。
 新嘗祭は毎年11月に天皇がおこなう収穫祭で、その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇みずからも食す祭儀である。
 大嘗祭において天皇は、ニニギノミコトという名に象徴されるにぎにぎしく実った稲穂の姿をみずから体現される。
 その稲穂は皇祖神=天照大神から皇祖=ニニギノミコトに授けられた「斎庭の稲」(天壌無窮の神勅)である。
 天皇が、皇祖(ニニギノミコト)が葦原中国にもってこられた稲を食されることは、天皇みずからが皇祖の霊威を体現し、皇祖とご一体になられるということである。
 それが大嘗祭の本義で、ニニギノミコトの神霊と新穂の実り、天皇の再生が一体となったのが、民族学の泰斗、折口信夫のいう「天皇霊」である。
 大嘗祭の当夜、天皇は廻立殿に渡御し、小忌御湯で潔斎して斎服を着け、深夜、悠紀殿に入る。悠紀殿には、南枕に布団(衾)が敷いてあり、沓(くつ)と沓を載せる台も布団の北隣に置いてある。
 この寝具類がマドコオフスマ(真床襲衾)で、折口は講演「大嘗祭の本義」でマドコオフスマを、天孫降臨の際、ニニギノミコトが身に着けて地上に降り立った御衾と見立てた。
 御衾に包まれたニニギの姿が象徴するのは、穂に包まれた稲で、マドコオフスマは、稲魂の誕生、「天皇霊」は稲の霊そのものだったである。
 悠紀殿で神饌(お供え)を神に供し、告文を奏して、天皇みずからも神饌を食される(直会/なおらい)。
 次いで廻立殿にもどられ、その後、主基殿にはいられて、悠紀殿と同じことをおこなう。
 大嘗祭は「皇室の行事」とされるが、これは「皇室の私的な行事」ではなく「皇室の公的な行事」である。
 大嘗祭の予算は、通常の内廷費以外の臨時費で賄われており、「国事行為」といってよい。
 政府発表によれば、大嘗祭が「国事行為」とされなかった理由は、憲法上の天皇の「国事行為」が「内閣の助言と承認」を必要とするのにたいして、皇室の伝統祭祀である大嘗祭は、それを必要としなかったからである。
 女神である天照大神が皇室の祖なので、女系天皇に正統性があると主張する者たちは、大嘗祭という準「国事行為」において、ニニギノミコトを天皇霊と定めていることを知らないのである。
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