2018年11月10日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」69

 ●天皇と憲法(2)
 天皇が憲法上の存在であるかのような言説がまかりとおっている。
 憲法を新しい国体と考えるリベラリストも存在するほどである。
 国体は、そのはじまりを大和朝廷黎明期とみて、2千年になる。
 天皇の歴史は、皇紀でいえば、神武天皇即位以来、2678年にもおよぶ。
 天皇の由来は国体で、国体には、歴史や伝統、文化や習俗がふくまれる。
 したがって、天皇は、憲法において、国体の体現者であらねばならない。
 それが自主憲法の精神で、必要なのは、国体という文化概念である。
 ところが、現行憲法にあるのは、理想主義とアメリカ民主主義だけで、文化概念としての国体が欠落している。
 日本の憲法は、フィリピン憲法に似ているといわれる。
 日本の憲法が占領基本法なら、フィリピン憲法は植民地憲法で、ともに戦争放棄(主権放棄)を謳っている。
 国家主権が憲法の軸になっていないのである。
 憲法は、できてからたかだか70年しかたっていない。
 70年前、日本は、GHQから、民主主義国家へと国家を改造された。
 GHQの民主化政策(財閥・農地・選挙・憲法・教育)がそれである。
 だが、それは、政体や制度の改革で、国体に変更があったわけではない。
 国体は文化概念だからで、文化や伝統、民族の習俗には、歴史的な連続性がそなわっている。
 とりわけ、天皇は、国体の体現者で、文化的・歴史的存在である。
 GHQが天皇の存在をみとめたのは、日本統治に好都合だったからだった。
 戦後すぐにおこなわれた新聞社のアンケート調査で、90パーセント以上の国民が天皇を支持した。
 天皇が政治的存在(権力)ではなく、文化的存在(権威)だったからである。
 日本人は、天皇を戦争指導者ではなく、国体の体現者とみていたのである。
 天皇を処罰すれば、日本人が反米闘争に走って、内乱状態になっていたろう。
 そこで、GHQは、天皇を憲法にとりこみ、日本統治に利用することにした。

 憲法の第1条にこうある。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
「天皇は日本国の象徴である」というところまではわかる。
 摂政や院政、武家政治においても、天皇は、権威であり象徴だった。
 ところが、そのあとの「日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」というところから意味が不明になる。
 国民統合の象徴は、統合されるべき国民の象徴と解釈しておこう。
 問題なのは、主権の存する日本国民の総意に基く、という箇所である。
 そもそも、天皇の地位を謳う第1条に、なぜ、国民主権がでてくるのか。
 憲法に主権ということばは3回しか使われていない。
 前文に2回、第1条で1回である。
 前文では、国民主権と国家主権が使い分けられている。
「主権が国民に存する」と「自国の主権を維持」である。
 これでは、主権が国民をさすのか、国家をさすのかわからない。
 第1条では「主権の存する日本国民」とふたたび国民主権が謳われる。
 日本国憲法が、国民主権を宣しているのは、一条のこの付帯的文章だけである。
 そして、そのあと「日本国民の総意に基く」とつづく。
 多数決が原則である民主主義において、国民の総意などというものはありえない。
 そこに、日本国憲法に隠された革命性がある。
 国民主権も日本国民の総意も、国民総体のもので、個人のものではない。
 国民主権の国民は、国民すべてをひっくるめた総称である。
 そして、国民総体の権利は、そっくり、為政者(=GHQ)に譲渡される。
 それがルソー主義で、近代国家は、すべて、その論法で成立してきた。
 すると、天皇の地位を謳う第1条は、こう解釈できる。
 天皇の地位は、為政者(=主権の存する日本国民の総意)に基く。
「主権の存する日本国民の総意」は、権力に還元されるからである。
 天皇の地位は、国民の代表たる政府によって、改廃できるというのである。
 自主憲法においては、憲法第一条は、削除されなければならない。
 第一条は、こうあるべきである。
「天皇は、日本国の象徴であって、国体の体現者である」
 国体は、歴史から文化全般に亘る総合的概念で、国民もふくまれる。
 国家と国体が並立して、はじめて、文化概念をそなえた天皇になるのである。
 憲法第2条(皇位の継承)も変えなければならない。
「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 世襲には男系女系の区別がない。
 男系が謳われているのは皇室典範である。
「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」(皇室典範第1条)
 皇室典範は、小泉首相の「皇室典範に関する有識者会議」(平成17年)の例でわかるように、国会議決でかんたんにひっくり返る。
 男系継承(万世一系)を憲法に組みこむのが賢明である。
 帝国憲法の第一条にこうある
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
 第二条は、万世一系を宣した帝国憲法の第一条の精神を踏襲すべきだろう。
「皇位は、男系相続たる万世一系のものであって、皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 万世一系を憲法に組みこめば、女系天皇という歴史破壊を免れることができる。
 自主憲法制定の目的は、GHQが仕込んだ国体破壊という仕掛けを打ち破ることにあって、改憲では、それができない。
 自主憲法制定は、文化防衛でもあったのである。
 次回は天皇(権威)と権力の関係をみてゆこう。

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2018年11月04日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」68

 ●天皇と憲法(1)
 自民党の改憲案に天皇元首論がある。
 危険な思想で、文化概念である天皇を政体概念である憲法で規定すれば、ヨーロッパ的な王政(キングダム)になってしまい、歴史の権威としての地位が失われる。
 現在、天皇がエリザベス女王をしのぐ権威を有するのは、皇室が2千年以上の歴史をもっているからである。  
 歴史や伝統、文化が人々の畏敬の対象となるのは、永遠性にもとづいているからである。
 一方、法や権力、政治は、一過性の産物にすぎない。
 一過性の産物に権威がそなわるわけはない。
 ヨーロッパで「王権神授説」がとられたのは、永遠なる神をもちださなければ、王位に権威がそなわらなかったからだった。
 日本の場合、天皇は、神格をもった存在で、法や政治を超越していた。
 天皇が法制上の存在であったら、その地位が、政変によってゆらいだろう。
 日本は、権力者による時代の変遷を幾たびも重ねてきた。
 だが、関が原の合戦で、豊臣方から徳川家康に政権が移っても、天皇の地位は磐石で、正親町天皇から後陽成天皇まで、泰然と、幕府をささえつづけた。
 天皇が法や政治、制度に縛られないところにおられたからである。

 世界における天皇の位置づけは元首である。
 国内においても、天皇は、事実上の元首である。
 天皇の国事行為(内閣総理大臣の任命や法律の公布、国会の召集など)には元首として十分の重みがある。
 だからといって、憲法で、天皇元首を謳うべきかといえば、それは否である。
 憲法で天皇元首を謳うと、天皇の権威が、法の下のものとなってしまうからである。
 世界は、法や政治に下にあるものを、権威とみとめない。
 法や政治に下にあるものは、権威ではなく、権力なのである。
 権力者は、投票によって、一夜にして、誕生するだろう。
 ところが、権威は、千年の年月を必要とする。
 諸外国が、天皇を元首とみるのは、歴史上の権威だからで、歴史は、政体をこえた文化の範疇にある。
 それが国体で、政治や法は、歴史や伝統、民族の習俗や個人の領域に立ち入ることができない。
 その政治や法、政体の頂点にあるのが憲法である。
 政治家は、政体における権力なので、憲法に縛られる。
 一般法も憲法下にある。
 一般法に縛られる国民も、憲法から自由たりえない。
 一般論として、国家も憲法の下にあるという議論がある。
 政体としての国家は、たしかにそのとおりで、国会や政府、行政や公的機関は、憲法の下にある。
 だが、歴史や伝統、文化は、国体という文化概念のなかにあるので、憲法の干渉をうけない。
 その最たる存在が天皇で、国体たる天皇は、歴史的概念にして文化的存在である。
 天皇は、憲法からも権力からも切り離されている。
 政体から切り離されているからこそ、政治にまつわる天皇の国事行為が権威をもつのであって、天皇が政体の一部であったら、権威が権力に正統性をさずける国事行為は成立しない。

 明治憲法下において、天皇は、元首にまつりあげられた。
 明治政府は、国民の敬慕が篤い天皇を元首に立て、強大な権力をつくろうとしたのである。
 明治憲法のモデルはドイツ帝国憲法である。
 ビスマルク首相の強いリーダーシップによってフランスとの戦争(普仏戦争)に勝利したプロイセン王国は、ドイツ帝国の栄光であった。
 国家統一に必要なのは、鉄(兵器)と血(兵士)というビスマルクの鉄血演説に強い感銘を受けたのが、大久保利通や木戸孝允、伊藤博文だった。
 岩倉具視からドイツ帝国憲法の調査を命じられたのがその伊藤博文である。
 大久保が着目したのは、フランスの民権思想でも、イギリスの議会主義でもなく、ドイツの王権主義だった。
 プロイセンの絶対王政とビスマルクの富国強兵を合体させれば、強力な帝国主義国家が誕生する。
 明治政府が、憲法制定後、軍事国家をめざしたのは、ドイツ帝国を範にしていたからだった。
 このとき、日本は、国体と文化を喪った。
 それが帝国主義と近代化(ヨーロッパ化)だった。
 富国強兵と日清・日露戦争の勝利は、日本を世界の4大強国の一つにもちあげたが、1945年の敗戦によって、日本は、一転して、国体の危機に瀕することとなった。
 天皇は、マッカーサーと会見して、みずから戦争責任を宣し、国民の救済をもとめた。
 マッカーサーは感銘をうけた。
 そして、国体がまもられた。
 神風が吹いたのである。
 天皇は、戦後、権力の座から文化の座へお還りになったのである。
 次回以降も天皇と憲法について論をすすめよう。
posted by office YM at 21:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする