2018年11月25日

なぜ日本は2島返還≠ノ呪縛されてきたのか@

 【緊急問題提起/北方領土】
 ●旧ソ連の不法占領から河野密約説まで(1)
 安倍首相が北方領土返還「2島+α」へ舵を切ったようだ。
 1956年の「日ソ共同宣言」へもどって、歯舞と色丹の2島返還を条件に平和条約をむすぼうというのである。
 従来の4島一括返済からの後退で、これでは、この60年余つみあげてきた努力が水の泡である
 これまで政府は「4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」ことを基本方針に掲げてきた。
 したがって、4島返還に応じる気がないロシアとの協議に進展がなかった。
 日ソ共同宣言にもとづいた交渉もすすんでこなかった。
 4島返還と平和条約が見合いになって、身動きならなかったのである。
 そこで、安倍首相は、方針を転換した。
 2島返還を「基礎」として、平和条約を急ごうというのである。
 今年の9月、プーチン大統領が、ロシア極東ウラジオストクで開かれていた東方経済フォーラムで、突如、「前提条件なしの平和条約締結」を提案した。
 前提条件なしとは、ふざけた話である。
 領土問題抜きで、平和条約を締結できるはずはない。
 ところが、安倍首相は、プーチンの発言に反発するどころか、これを前向きに受け止めた。
 そして、日ロ交渉を一気に進展させる大きなチャンスととらえ、首脳会談に臨んだ。
 安倍首相は、外遊先のシンガポールで、ロシアのプーチン大統領と会談したあと次のようにのべた。
「領土問題を解決して平和条約を締結する。1956年共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることでプーチン大統領と合意した」
 拙速もいいとこで、平和条約が先走って、肝心な領土問題が大きく後退している。
 そもそも、北方領土は、旧ソ連の不法占領で、法的にも、歴史的にも根拠はない。
 戦利品というが、樺太南部と千島列島をソ連に引き渡すとされたヤルタ協定に、歯舞・色丹・国後・択捉ははいっていない。
 アメリカもみとめていない。
 それが「ダレスの恫喝」で、ダレス国務長官は、日ソ交渉に臨んでいる重光葵外相に「二島返還(歯舞・色丹)で、日ソ交渉をむすんだ場合、アメリカは沖縄を返還しない」という圧力をかけている。
 ソ連が4島を奪ったのは、どさくさまぎれで、当時、4島に米軍が進駐していなかったからだった。

 安倍首相は、1956年共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させるとのべた。
 なぜ、62年も遡って、北方領土問題の振り出しにもどるのか。
 1956年の日ソ共同宣言には、平和条約締結後、歯舞と色丹を引き渡すとあるだけである。
 国後・択捉には一言もふれていない。
 なぜ、そんなことになってしまったのか。
 日本が漁業交渉とのかけひきで、国後・択捉を放棄したからである。
 むろんこれは、裏取引で、表立って、あらわれたものではない。
 だが、これがネックとなって、日本は、日ソ交渉において、つねに、不利な立場に追い込まれてきた。
 日ソ交渉に臨んだ全権重光葵は、日本政府へこんな請訓電を発している。
「涙をのんで国家百年のため、妥結すべきと思う。この期を逸すれば、将来、歯舞・色丹さえ失うことあるべし…」
 秘書官・吉岡羽一によると、松葉杖で身体を支えてクレムリンの長い廊下を歩いてきた重光は、このとき、腹の底から絞り出すような声でこういったという。
「畜生め、やはりそうだったか」
 河野一郎の日ソ漁業交渉は、1956年5月である。
 日ソ共同宣言の重光全権団のモスクワ入りが1956年7月だった。
 わずかに先行した河野一郎は、重光の知らぬまま、ソ連側と密約をむすんでいたのである。
 ソ連が、領土問題は解決済みで、平和条約締結後、2島(歯舞・色丹)だけを引き渡すとする根拠もそこにある。
 このあたりの細部については、次回以降、のべよう。
 2島返還を現実的とみるムキもある。
 色丹、歯舞は四島の面積のうち7%でも、えられる200カイリの排他的経済水域は大きいというのである。
 だが、ロシアは、歯舞・色丹の主権を返すとまではいっていない。
 日本の主権を認める返還ではなく、2島を利用できるだけの引き渡しなのであれば、日本が期待している歯舞・色丹の排他的経済水域は望むべくもない。
 日本は、あくまで、4島返還をもとめるべきである。
 根拠は、ロシアの不法占拠で、北方四島は、戦利品ではなく、カイロ宣言で禁じた領土拡大に該当する略奪にあたる。
 当時、日本は、ポツダム宣言を受諾して、連合国と戦争状態にはなかった。
 戦争状態になかったのに、なぜ、領土略奪が戦利品なのか。
 次回以降、北方4島の概略や日ソ交渉の経緯をみていこう。
 そうすれば、2島返還論が河野・ブルガーニン密約説≠ふくめて、いかにでたらめな経緯をたどったかがわかるのである。
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2018年11月17日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」70

 ●天皇と憲法(3)
 権力は性悪説に立っている。
 法も同様で、憲法は、集団や組織、国家の悪までを監視している。
 一方、権威=天皇は善でである
 だからこそ国民は天皇を慕うのである。
 日本人の善良さや正直、親切が、現在、世界から称えられている。
 日本人は性善説なのである。
 性善説の根源をたどれば、天皇の善にゆきつく。
 天皇は、被災地におもむき、被災者の前でひざまずき、心から同情される。
 国民は、そのおすがたを見て、心にあたたかいものをおぼえる。
 天皇の善が、日本人の善の根源といってよい。
 悪と善が天下を分け合って、いわば、棲み分けている。
 日本では、権力や法、政治の性悪説と、天皇の善の二元論なのである。
 権力や法、政治という悪の概念(=性悪説)についてはよく知られる。
 権力は暴力、法は拘束力、政治は支配をともなうので、悪なのである。
 その極限が戦争で、戦争ほど罪深い権力悪はない。
 一方、天皇の善については、これといった定説も学説もない。
 天皇の善が、日本人のなかで、無意識化されているのである。
 それが国体というもので、歴史や伝統、民族性、文化などは、血肉化されていて、意識できないのである。。
 日本が、世界最古の伝統国家で、2千年以上にわたって、国体が維持されてきた最大の理由は、天皇の善性にあったといえよう。
 仁徳天皇(第16代)は、人家の竈から炊煙が立ち上っていないことに気がつき、租税を3年間免除し、その間、宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったという。
 天皇が善なのは、権力者ではないからである。
 その地位は世襲(万世一系)で、神話につながっている。
 民族は、共通の神話をもつことで、善を共有する同胞となるのである。
 一方、ヨーロッパの王は覇者で、権力の系譜にある。
 権力は悪なので、奪い、殺し、破壊する。
 それが、ヨーロッパの戦争で、第一次世界大戦では、戦死者が第二次大戦をこえる1600万人、戦傷者2000万人にたっした。
 第一次世界大戦には、とりたてて、これといった原因がなかった。
 ハンガリーの青年がオーストリアの皇太子を暗殺した事件によって、各国間の同盟網が一気に発動され、数週間のあいだで、主要列強すべてが世界大戦に参戦する体制が整った。
 権力は性悪説なので、殺し合いの連鎖にブレーキがきかないのである。
 かくして、20世紀の初旬、世界中の国家が、不毛な戦争へ突入していった。
 日本でも同じようなことがあった。
 15世紀の戦国時代である。
 応仁の乱から織田信長が天下統一に乗り出すまでの100年間、戦国武将が群雄割拠して、いつはてるとも知れない戦いに明け暮れた。
 終止符を打ったのが天皇だった。
 第106代正親町天皇が信長を立て、第107代後陽成天皇が秀吉を太閤に叙し、家康を征夷大将軍に任じて、戦国時代に終止符がうたれた。
 これが、権威と権力の二元論である。
 日本では、摂関政治から院政、武家政治にいたるまで、天皇の権威と政権の権力がバランスをとりあってきた。
 これを善と悪の二元論といいかえてもよい。
 天皇の権威が善で、政体の権力が悪である。
 政体というのは、国体の対義語で、政治や制度、法つまり権力である。
 権力は、権力抗争の覇者ではあるが、民を治める能力をそなえていない。
 いくさに勝ったというだけの武力集団に、民は、したがわないのである。
 一揆がそうで、信長は、長島や越前の一向一揆で、根切りという大量虐殺をおこなっている。
 それが権力の本質で、善などはかけらほどもないのである。
 その権力が幕府として、民を統治できるのは、天皇の認可をえるからである。
 権力は、天皇から官位(征夷大将軍)をさずかって、統治者(幕府)としての正統性をえる。
 悪である権力が、善である天皇の親任をえて、幕府になるのである。
 民が幕府にしたがい、徴税に応じるのは、背後に天皇がいるからである。
 権威(天皇)と権力(幕府)の二元論によって、国家は安定する。
 権威と権力の二元論が崩れたのが「承久の乱」や「建武の中興」だった。
 近代では「明治維新」があげられる。
 天皇が権力をもとめると、善が消滅して、悪になる。
 それが乱の構造≠ナ、権力悪が暴れだすのである。
「承久の乱」によって武士が台頭してきた百余年後、「建武の新政」がおこる。
 建武の新政の失敗後、南北朝の動乱や応仁の乱、戦国時代など乱の時代≠ェ数百年にわたってくりひろげられた。
 天皇の善が不在だったからである。
 次回は、権力が天皇を担いだ明治以降から昭和の軍国主義をみていこう。
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2018年11月10日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」69

 ●天皇と憲法(2)
 天皇が憲法上の存在であるかのような言説がまかりとおっている。
 憲法を新しい国体と考えるリベラリストも存在するほどである。
 国体は、そのはじまりを大和朝廷黎明期とみて、2千年になる。
 天皇の歴史は、皇紀でいえば、神武天皇即位以来、2678年にもおよぶ。
 天皇の由来は国体で、国体には、歴史や伝統、文化や習俗がふくまれる。
 したがって、天皇は、憲法において、国体の体現者であらねばならない。
 それが自主憲法の精神で、必要なのは、国体という文化概念である。
 ところが、現行憲法にあるのは、理想主義とアメリカ民主主義だけで、文化概念としての国体が欠落している。
 日本の憲法は、フィリピン憲法に似ているといわれる。
 日本の憲法が占領基本法なら、フィリピン憲法は植民地憲法で、ともに戦争放棄(主権放棄)を謳っている。
 国家主権が憲法の軸になっていないのである。
 憲法は、できてからたかだか70年しかたっていない。
 70年前、日本は、GHQから、民主主義国家へと国家を改造された。
 GHQの民主化政策(財閥・農地・選挙・憲法・教育)がそれである。
 だが、それは、政体や制度の改革で、国体に変更があったわけではない。
 国体は文化概念だからで、文化や伝統、民族の習俗には、歴史的な連続性がそなわっている。
 とりわけ、天皇は、国体の体現者で、文化的・歴史的存在である。
 GHQが天皇の存在をみとめたのは、日本統治に好都合だったからだった。
 戦後すぐにおこなわれた新聞社のアンケート調査で、90パーセント以上の国民が天皇を支持した。
 天皇が政治的存在(権力)ではなく、文化的存在(権威)だったからである。
 日本人は、天皇を戦争指導者ではなく、国体の体現者とみていたのである。
 天皇を処罰すれば、日本人が反米闘争に走って、内乱状態になっていたろう。
 そこで、GHQは、天皇を憲法にとりこみ、日本統治に利用することにした。

 憲法の第1条にこうある。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」
「天皇は日本国の象徴である」というところまではわかる。
 摂政や院政、武家政治においても、天皇は、権威であり象徴だった。
 ところが、そのあとの「日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」というところから意味が不明になる。
 国民統合の象徴は、統合されるべき国民の象徴と解釈しておこう。
 問題なのは、主権の存する日本国民の総意に基く、という箇所である。
 そもそも、天皇の地位を謳う第1条に、なぜ、国民主権がでてくるのか。
 憲法に主権ということばは3回しか使われていない。
 前文に2回、第1条で1回である。
 前文では、国民主権と国家主権が使い分けられている。
「主権が国民に存する」と「自国の主権を維持」である。
 これでは、主権が国民をさすのか、国家をさすのかわからない。
 第1条では「主権の存する日本国民」とふたたび国民主権が謳われる。
 日本国憲法が、国民主権を宣しているのは、一条のこの付帯的文章だけである。
 そして、そのあと「日本国民の総意に基く」とつづく。
 多数決が原則である民主主義において、国民の総意などというものはありえない。
 そこに、日本国憲法に隠された革命性がある。
 国民主権も日本国民の総意も、国民総体のもので、個人のものではない。
 国民主権の国民は、国民すべてをひっくるめた総称である。
 そして、国民総体の権利は、そっくり、為政者(=GHQ)に譲渡される。
 それがルソー主義で、近代国家は、すべて、その論法で成立してきた。
 すると、天皇の地位を謳う第1条は、こう解釈できる。
 天皇の地位は、為政者(=主権の存する日本国民の総意)に基く。
「主権の存する日本国民の総意」は、権力に還元されるからである。
 天皇の地位は、国民の代表たる政府によって、改廃できるというのである。
 自主憲法においては、憲法第一条は、削除されなければならない。
 第一条は、こうあるべきである。
「天皇は、日本国の象徴であって、国体の体現者である」
 国体は、歴史から文化全般に亘る総合的概念で、国民もふくまれる。
 国家と国体が並立して、はじめて、文化概念をそなえた天皇になるのである。
 憲法第2条(皇位の継承)も変えなければならない。
「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 世襲には男系女系の区別がない。
 男系が謳われているのは皇室典範である。
「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」(皇室典範第1条)
 皇室典範は、小泉首相の「皇室典範に関する有識者会議」(平成17年)の例でわかるように、国会議決でかんたんにひっくり返る。
 男系継承(万世一系)を憲法に組みこむのが賢明である。
 帝国憲法の第一条にこうある
「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
 第二条は、万世一系を宣した帝国憲法の第一条の精神を踏襲すべきだろう。
「皇位は、男系相続たる万世一系のものであって、皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
 万世一系を憲法に組みこめば、女系天皇という歴史破壊を免れることができる。
 自主憲法制定の目的は、GHQが仕込んだ国体破壊という仕掛けを打ち破ることにあって、改憲では、それができない。
 自主憲法制定は、文化防衛でもあったのである。
 次回は天皇(権威)と権力の関係をみてゆこう。

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2018年11月04日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」68

 ●天皇と憲法(1)
 自民党の改憲案に天皇元首論がある。
 危険な思想で、文化概念である天皇を政体概念である憲法で規定すれば、ヨーロッパ的な王政(キングダム)になってしまい、歴史の権威としての地位が失われる。
 現在、天皇がエリザベス女王をしのぐ権威を有するのは、皇室が2千年以上の歴史をもっているからである。  
 歴史や伝統、文化が人々の畏敬の対象となるのは、永遠性にもとづいているからである。
 一方、法や権力、政治は、一過性の産物にすぎない。
 一過性の産物に権威がそなわるわけはない。
 ヨーロッパで「王権神授説」がとられたのは、永遠なる神をもちださなければ、王位に権威がそなわらなかったからだった。
 日本の場合、天皇は、神格をもった存在で、法や政治を超越していた。
 天皇が法制上の存在であったら、その地位が、政変によってゆらいだろう。
 日本は、権力者による時代の変遷を幾たびも重ねてきた。
 だが、関が原の合戦で、豊臣方から徳川家康に政権が移っても、天皇の地位は磐石で、正親町天皇から後陽成天皇まで、泰然と、幕府をささえつづけた。
 天皇が法や政治、制度に縛られないところにおられたからである。

 世界における天皇の位置づけは元首である。
 国内においても、天皇は、事実上の元首である。
 天皇の国事行為(内閣総理大臣の任命や法律の公布、国会の召集など)には元首として十分の重みがある。
 だからといって、憲法で、天皇元首を謳うべきかといえば、それは否である。
 憲法で天皇元首を謳うと、天皇の権威が、法の下のものとなってしまうからである。
 世界は、法や政治に下にあるものを、権威とみとめない。
 法や政治に下にあるものは、権威ではなく、権力なのである。
 権力者は、投票によって、一夜にして、誕生するだろう。
 ところが、権威は、千年の年月を必要とする。
 諸外国が、天皇を元首とみるのは、歴史上の権威だからで、歴史は、政体をこえた文化の範疇にある。
 それが国体で、政治や法は、歴史や伝統、民族の習俗や個人の領域に立ち入ることができない。
 その政治や法、政体の頂点にあるのが憲法である。
 政治家は、政体における権力なので、憲法に縛られる。
 一般法も憲法下にある。
 一般法に縛られる国民も、憲法から自由たりえない。
 一般論として、国家も憲法の下にあるという議論がある。
 政体としての国家は、たしかにそのとおりで、国会や政府、行政や公的機関は、憲法の下にある。
 だが、歴史や伝統、文化は、国体という文化概念のなかにあるので、憲法の干渉をうけない。
 その最たる存在が天皇で、国体たる天皇は、歴史的概念にして文化的存在である。
 天皇は、憲法からも権力からも切り離されている。
 政体から切り離されているからこそ、政治にまつわる天皇の国事行為が権威をもつのであって、天皇が政体の一部であったら、権威が権力に正統性をさずける国事行為は成立しない。

 明治憲法下において、天皇は、元首にまつりあげられた。
 明治政府は、国民の敬慕が篤い天皇を元首に立て、強大な権力をつくろうとしたのである。
 明治憲法のモデルはドイツ帝国憲法である。
 ビスマルク首相の強いリーダーシップによってフランスとの戦争(普仏戦争)に勝利したプロイセン王国は、ドイツ帝国の栄光であった。
 国家統一に必要なのは、鉄(兵器)と血(兵士)というビスマルクの鉄血演説に強い感銘を受けたのが、大久保利通や木戸孝允、伊藤博文だった。
 岩倉具視からドイツ帝国憲法の調査を命じられたのがその伊藤博文である。
 大久保が着目したのは、フランスの民権思想でも、イギリスの議会主義でもなく、ドイツの王権主義だった。
 プロイセンの絶対王政とビスマルクの富国強兵を合体させれば、強力な帝国主義国家が誕生する。
 明治政府が、憲法制定後、軍事国家をめざしたのは、ドイツ帝国を範にしていたからだった。
 このとき、日本は、国体と文化を喪った。
 それが帝国主義と近代化(ヨーロッパ化)だった。
 富国強兵と日清・日露戦争の勝利は、日本を世界の4大強国の一つにもちあげたが、1945年の敗戦によって、日本は、一転して、国体の危機に瀕することとなった。
 天皇は、マッカーサーと会見して、みずから戦争責任を宣し、国民の救済をもとめた。
 マッカーサーは感銘をうけた。
 そして、国体がまもられた。
 神風が吹いたのである。
 天皇は、戦後、権力の座から文化の座へお還りになったのである。
 次回以降も天皇と憲法について論をすすめよう。
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