2019年01月31日

「天皇の地位」F

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」F
 天皇の地位あるいは象徴天皇が、憲法上の存在であるかのような言説がまかりとおっている。
 憲法が担保しているのは、政治(=政体)上の立場であって、天皇の地位をささえているのは、法や政治をこえた文化概念(=国体)である。
 国体について、見解が、幾筋にも分かれている。
 一つは、天皇主権で、源流が大日本帝国憲法だったのはいうまでもない。
 明治憲法がドイツ(プロイセン)憲法を手本にしたのは、君主権が強かったからで、伊藤博文は、ヨーロッパの絶対王政を導入して、天皇中心の中央集権国家をつくろうとした。
 明治維新は、文明開化や帝国主義というヨーロッパ化と、天皇を中心とする皇国・神国思想という相反する両面をもち、現人神という日本特有の国体観をつくりだした。
 現人神は、ヨーロッパの王政と神格化された祭祀王の合体とみることができる。
 天皇を神と崇めて、畏れ多くも天皇陛下のお言葉なら、必ず謹んで聴かねばならないとする承詔必謹(「17条憲法」)の精神は、日本古来の伝統的なものではなく、明治憲法の産物だったのである。
 もう一つは、万世一系の天皇によって統治された君主政体は、大東亜戦争の敗北によって、崩壊したとする国体喪失論である。
 1945年8月のポツダム宣言の受諾によって、大日本帝国憲法から日本国憲法へ、天皇主権から国民主権へ移行したとする宮沢俊義の『八月革命説』がその代表である。
 そこに、天皇なきナショナリズムや憲法を新しい国体とする戦後思潮がくわわって、アメリカ製憲法が、紀元前からの国体にとって代わった。

 国体の土台が神道なのはいうまでもない。
 皇室は万世一系の天照大神の子孫で、神勅によって、永遠の統治権が与えられている。
 神勅というのは、天孫降臨において、天照大神が与えたことばである。
 国体は、日本を神々の国とする神国思想と皇位の血統性を記した皇国思想の合体で、神話と万世一系が語られた『古事記』や『日本書紀』が日本の正史とされる所以である。
 国体には、君主が主権をもつ「君主国体説(穂積八束・上杉慎吉)」と天皇による統治は国民のためにおこなわれるべきとする「民主国体説(美濃部達吉・吉野作造)」があって、これがのち(昭和10年)に大きな問題をひきおこす。
 国会議員や軍部・右翼らが国体に反するとして、美濃部達吉の天皇機関説を攻撃、テロ事件までひきおこして、政府は、2度にわたって、国体明徴声明を発せざるをえなかった。
 この事件を契機に日本は一挙に軍国主義へつきすすむ。
 かつて、国体は、国家の上位にあった。
 歴史や伝統、文化に根ざす国体の下で、政治権力、法という機能を行使するのが政体で、その二つを合わせたものが国家である。
 国体と政体は、二元論をなすが、これは、日本だけの国家形態である。
 諸外国の国家は、政体という機能だけがあって、国体という精神性を欠く。
 英語に該当することばがないので、コクタイとローマ字で記される。
 明治憲法下、日本は、国体を有する大家族国家で、そこから、忠孝を至高の徳目とする道徳観念が生じた。
 天皇の善性や国民の正直も、神道にもとづいた大家族国家の恩恵で、国体という文化的・精神的な基盤からうまれたものである。
 政治の様式からみたクニが国家で、精神的観念からみたクニが国体である。
 憲法学の大御所、佐々木惣一は、太平洋戦争の敗北によって、国体も運命をともにしたと考えた。
 君主政体が民主政体へ変わって、国体も、君主国体とともに消滅したとしたのである。
 ところが、哲学者の和辻哲郎は、そうは考えなかった。
 明治以前において、天皇は、統治権の総攬者ではなかった。
 戦後、政治的権力を返上して、天皇は、かつての天皇にもどった。
 したがって、君主国体になんら変更はなかった、としたのである。
 和辻哲郎や美濃部達吉のほか皇国史観や『古事記』『日本書紀』の文献批判で知られる津田左右吉らまでが、戦後、天皇擁護に走ったのは、天皇が、国体の柱だったからだった。
 津田はこういっている。
 国民的統合の中心であり、国民精神の生きた象徴であられるところに皇室の存在の意義がある。
 津田のこの表現は、憲法第一条の天皇条項とほぼ同じで、国民主権についても津田は、国民みずから国家のすべてを主宰するとのべている。
 戦後、憲法の枠内で、象徴天皇が語られるようになった。
 天皇が、国体という文化ではなく、法や制度などの構造に拠って立っているかのように思っているのである。
 そこから、国体が、憲法やアメリカにのっとられたという論法がでてくる。
 次回は、これら言説を批判的にのべよう。
posted by office YM at 22:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする