2019年02月21日

「天皇の地位」H

 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」H
 象徴天皇が、憲法に規定された存在と思っている日本人が少なくない。
 かつての天皇主権は、明治憲法の産物で、戦前、天皇は、現人神だった。
 戦後、国民主権になって、天皇主権の圧制や現人神の神話から解放されたというのが護憲派やリベラル派の言い分である。
 それが象徴天皇で、政治権力を有さない。
 だが、天皇は、摂関政治や武家政治の時代から象徴的な存在で、天皇が政治権力をにぎったのは、皇親政治をとった第40代天武天皇のわずかな期間だけである。
 天皇主権は、明治政府による天皇の政治利用で、天皇の名の下で、三権(立法権、行政権、司法権)をほしいままにした。
 立法権は、帝国議会ではなく、天皇がもち(5条)、行政権は、内閣ではなく国務各大臣に輔弼される天皇のもの(55条1項)で、司法権も、天皇の名において、裁判所がおこなう(57条1項)とされた。
 だが、これは、政治家が、三権をあやつるための道具立てで、天皇は、その目的のために利用されたにすぎない。
 現人神も、軍部による天皇の政治利用で、現人神の威名の下で、軍国主義が吹き荒れた。
 軍部が、天皇の統帥権(11条)や「宣戦講和の権(13条)」をわがものとして、参謀総長(陸軍)や軍令部総長(海軍)が、議会や内閣、行政にとって代わって、軍国・臨戦体制をつくりあげ、勝手に戦争をはじめたのである。

 多くの日本人は、憲法によって、天皇が象徴という平和的な存在になったと思っている。
 ところが、実際は、その逆で、天皇軍国主義をつくったのが明治憲法だったように、憲法は、国体や天皇を政体へとりこみ、危険きわまりないものにしてしまいかねない。
 憲法は、歴史や伝統、文化にもとづく国体ではなく、権力にもとづく政体だからである。
 政体を支配するのは、力で、そのなかには、軍事力や政治力、多数決までがふくまれる。
 憲法が君主制をとれば、元首となるが、共和制をとれば廃帝となる。
 それが、憲法に規定された天皇の地位で、数千年の歴史が風前の灯となる。
 だが、2千年の歴史と伝統が、政体や憲法という一過性のものの手に負えるわけはない。
 天皇は、国体と一体化した歴史の遺産で、そのなかに、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズム、自然崇拝や神話、神道という宗教性・精神性をかかえこんでいる。
 天皇の神格性をささえているのが、祭祀と大御心、万世一系の3つである。
 祭祀は、高天原との霊的な交流で、大御心は、皇祖皇宗との一体化である。
 そして、万世一系は、皇統という血筋と歴史に用意された皇位という玉座である。
 その3つが揃うのが、天皇の即位にともなう一世一代の大嘗祭である。
 年祭である新嘗祭は、起源が収穫祭や穀霊祭で、弥生時代にまで遡る。
 国体や天皇の歴史を政体という薄っぺらな次元から遡ることはできないのである。

 戦前の「国体」が天皇制なら、戦後の「国体」は対米従属である――。
 そんな内容の『国体論/菊と星条旗』(白井聡)が話題となっているという。
 かつて「天皇なきナショナリズム」や「憲法は国体」という議論が流行したが、同じようなもので、国体と政体の区別がついていない。
 白井は、戦後の国体は「菊と星条旗の結合」という。
 天皇制から軍国主義を抜き取って「平和と民主主義」が注入された。
 その結果、天皇の権威の下で、対米追随構造がうまれたという理屈である。
 かつて、天皇は、家族国家の家長で、支配と被支配の関係にはなかった。
 現在の対米従属も、その関係に似て、日本国民はアメリカに愛されているという錯覚にとらわれているという。
 そんな事実はない。
 アメリカ従属は、政治や外交、貿易の話で、政体の問題だからである。
 かつての天皇主権も、政体の問題だったので、白井が錯覚したのも無理からぬところだが、天皇と国民の親和性には、神話や神社、八百万の神々など神道が介在している。
 それが国体で、国体は、民族の精神=信仰なのである。
 それが、どうして、アメリカにとって代わるのか。
 憲法がつくりあげた現人神を国民は信用していなかった。
 そして、人間宣言された天皇の全国行幸を熱狂的に歓迎した。
 天皇の祖も日本人の源流も、天照大神で、同一の神話を共有している。
 天皇の地位は、神道という日本人の信仰や精神にささえられているのである。
 次回は、天皇と神道の関係について、ふみこんで考えてみよう。
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2019年02月18日

「天皇の地位」G


 国体・神道・祭祀
「天皇の地位」G
 天皇は、なぜ、数千年にもわたって、続いてきたのであろうか。
 権威だったからである。
 権力だったら、かならず、政敵があらわれて、そのたび、政変の危機にさらされていたはずである。
 権威と権力のちがいに、政敵の有無を挙げることができる。
 闘争の原理にもとづく権力には、当然、政敵がついてまわる。
 ところが、権威には、政敵がいない。
 勝者と敗者、敵と味方、多数派と少数派の両方を呑みこむからである。
 そこに、自然崇拝=神道という日本固有の精神文化がはたらいている。
 生きとし生けるものが、大自然という同一地平上で、争うことなく共存しているのである。
 ここでいう神道は、儒教や仏教などの宗教が入ってくるはるか以前の古道のことで、惟神道(かんながらのみち)である。
 神話や八百万の神々、祖霊や自然現象などにもとづく多神教で、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズムの影響もうけている。
 宗教というより、日本人の古来の自然観や世界観、モノの考え方、価値観を反映した精神性で、これが国体である。
 歴史や伝統、文化を国体の身体とするなら、神道は、国体の心で、古事記や日本書紀の神話から、万世一系、皇祖皇宗の大御心にまでつうじる。

 敵と味方の論理が権力なら、権威は、万物が混交する神道的な世界観の上に成立している。
 全体をつつみとるという意味で、権威は、象徴でもある。
 国民統合の象徴というとき、民主主義において、本来、統合できない国民を丸ごと呑みこんでしまう。
 民主主義や個人主義では、個の差異や利害得失、各々の立場によって、対立関係が生じる。
 そんな場面で、重んじられるのは、多数決である。
 かつて、安倍首相が、みずからを立法府の長と呼称したが、内閣総理大臣は行政府の長で、立法府の長は、議長である。
 議長は、議会の多数決をうけて、これを議決する。
 このとき、多数意見が採られて、少数意見が捨てられる。
 二つに分裂している意見を、議長の裁量で、一つとするのである。
 それが可能なのは、議長の椅子に権威がそなわっているからである。
 議長が権力の側にあれば、議場が紛糾して、収拾がつかなくなる。
 権威は、もともと、政治力や権力の乏しいところに宿るのである。
 議長の権威には、年功や経験、人徳とさまざまあるが、議決が政治的決定であるかぎりにおいて、その権威には、おのずと、限界がある。
 政治的決定には、かならず、反対派という政敵があらわれるからである。
 反対派や政敵があらわれると、権威は、もはや、権威たりえない。
 権威は、敵や反対者、対立者を超越して、はじめて、権威なのである。
 権威が非政治的であらねばならない理由がそこにある。
 政治は「敵と味方の峻別」といわれるように、政治的にふるまえば、かならず、敵や対立者、反対意見があらわれる。
 承久の乱の後鳥羽上皇も、建武の新政の後醍醐天皇も、権威を捨てて権力をとって、武士の反撃を招き、墓穴を掘った。
 権威をもって武を制することはできず、武をもって権威をえることはかなわない。
 だからこそ、権威(国体)と権力(政体)の二元論が成立する。
 権威をえるには、政治や権力に近づかないことで、それが、帝王学の基本である。
 秋篠宮殿下の大嘗祭「異例発言」が問題だったのは、発言内容ではない。
 政治的な発言をおこなって、異論や反対意見を呼び起こしたことである。
 この発言によって、秋篠宮殿下の権威は失墜した。
 私見をのべたことによって、権威という超越的な場から政治という世俗的な場へ滑落したからである。
 国家は、国体という文化構造の外側に、政体という殻をつけた構造になっている。
 国体が、歴史や伝統、文化なら、政体は、法や権力、政治である。
 政体は、一過性で移ろいやすく、わが国は、古来、政体の変遷をくり返して今日に至っている。
 だが、核となる国体は、非政治の精神文化で、永遠に変わることがない。
 天皇の地位が、数千年にわたって、安泰だったのは、それが、国体のなかに用意された玉座だったからである。
 万世一系の血を継がれた皇胤がその玉座に就かれて、天皇とおなりになる。
 天皇の権威と永遠性は、国体のなかに根を下ろしていたのである。
 次回も、天の地位と国体についてのべよう。
posted by office YM at 09:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする