2019年03月29日

天皇と神道D

 日本の原光景
 天皇と神道D
 人類は、紀元前10世紀頃まで、意識をもっていなかったという。
 古代人は、神人合一の境地で、神の声を聞きながら、無意識に生きていたのである。
 自我や個人主義など、あろうはずもなく、信仰心も、現代人が思うものとはずいぶんちがっていたろう。
 ヨーロッパでヒューマニズムがうまれるのは、15世紀頃のルネサンス以降である。
 それまで、人間には、自由や平等、個性すらなく、神(教会)や絶対王政の奴隷だった。
 ところが、歴史家は、現代人の目で、古代をながめて、古代人が、現代人のように、合理的精神や理性をもっていたかのようにいう。
 そして、古代人が、聞いていた「神の声」や「野生の呼び声」を無視する。
 人類が意識やことばをもったのは、人類史的いえば、最近のことである。
『神々の沈黙』のジュリアン・ジェインズによれば、直立歩行をはじめた人類は、脳の右半分で「神々からの声」を聞き、その声にしたがって生きていたという。
 神々が支配する自然現象や自然法則のなかで、無意識に生きていた古代人にとって、神々がすべてで、意識やことばは、あくまで、二義的なものだった。
 意識や言語が未発達だった5000年前、古代文明やピラミッド、三内円山縄文文化がさかえたのは、神々からの声を聞いていたからであろう。
 神々からの声は、今流にいえば、インスピレーションや直観である。
 アインシュタインは、発明や発見の99パーセントはインスピレーションといったが、神の声は、意識やことばをこえるスーパーパワーをもっていたのである。
 2000年、当時の森喜朗首相が「日本は神の国」と発言して日本共産党ら野党や朝日・毎日新聞などのマスコミから「国民主権や政教分離に反する」と袋叩きにされた。
 左翼系市民団体も、「日本は神の国ではない、民の国だ」と気勢を挙げた。
 日本にかぎらず、古代は、神人未分離の混沌たる世界で、そこへ、現代人の価値観をあてはめて、国民主権や政教分離、民の国などといいだしたところで仕方がない。

 神の国といえば、一神教で、現人神を連想させる。
 神々の国といっておけば、問題にならなかったはずである。
 日本は、八百万の神々の国だからで、それが、神道である。
 神道が日本文明の本質といわれるのは、自然崇拝と多神教という一神教とは異なる文化的要素をもっているからで、これが、天皇および国体につながっている。
 神道は、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズムをひきついだ土着信仰で、日本は、古代からかわることなく、同一の宗教観の下で、国体と天皇をまもってきたのである。
 神道に教義や経典がないのは、意識やことばがなかった悠久の太古に生じた信仰だからで、人々は、自然の営みのなかに神々の声を聞く神人合一の世界を生きていた。
 したがって、信仰の中心となるのが、神々との交流である祭祀だった。
 一神教の祈りと神道の祭祀は、まったく異なるので、ふれておこう。
 神道の祭祀は、みずからを浄めて無になることで、個や私、自我が滅却されている。
 それが、神道の世界観で、神話から祖霊につらなる悠久の時間軸と八百万の神々があそぶ宇宙的な空間軸のなかで、われの存在はかぎりなく小さく、つつましいものだった。
 そして、人々は、祈りをとおして、自然や高天原の声に耳を傾けた。
 一方、一神教の祈りは、モーゼの十戒に「汝はわれのほかを神としてはならない」とあるように、神との契約である。
 多神教を滅ぼした一神教は、自我が強烈で、排他的、権力的にできている。
 それを反映したのが、ヨーロッパの王政で、王権神授説をもとに絶対王政を敷いた。
 仏教やキリスト教、イスラム教は、比較的、新しい宗教で、仏教がキリストの500年前、マホメットがキリストの500年後である。
 この3大宗教は、創唱者がいるので、創唱宗教といわれる。
 そのどれも、個人主義で、魂の救済や成仏、天国往生をもとめる。
 一方、神道は、集団主義で、民族や氏族、共同体の繁栄をねがう。
 そこに、天皇の権威の根拠がある。
 個の利益をもとめるのが権力で、集団の利益をもとめるのが権威である。
 個の利益をもとめるとき、抗争が生じて、あたたかい感情はわかない。
 敵意や恐怖、憎悪が渦巻き、暴力や強権も横行するだろう。
 ところが、集団の利益をもとめるとき、そこに、権威がうまれる。
 尊敬や敬意、慈愛というあたたかい感情がはたらくからである。
 権力には、しぶしぶ従うが、権威には、よろこんでしたがう。
 そこに、歴代の権力者が権威をもとめた理由がある。
 権力は、権威から正統性をあたえられて、はじめて、施政権を手にできる。
 天皇を倒せば、権力も、一夜にして、崩壊するのである。
 次回以降、歴史上、天皇の権威がどうまもられてきたかをふり返ろう。

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2019年03月21日

天皇と神道C

 日本の原光景」
 天皇と神道C
 天皇は、心情や血縁、地縁でつながった共同体における権威である。
 この心的共同体が国体で、歴史的・文化的な基盤の上に立っている。
 一方、ヨーロッパの王は、力にもとづく共同体の権力者である。
 この共同体が政体で、拠って立つところが、武力や権力である。
 そこが、日本の天皇とヨーロッパの王政が決定的に異なるところである。
 天皇の権威にたいして、ヨーロッパの王制は、あくまで、権力なのである。
 歴史的に見て、国家は、国体と政体の二面から成り立ってきたといえる。
 国体が文化、政体が力で、国家のゆたかさは、軍事力によってまもられる。
 それが、18世紀までの国家観で、歴史や伝統的な価値が継承されてきた。
 ところが、18世紀以降、革命の嵐が吹き荒れて、そんな国家観がふきとんだ。
 米・英・仏・ロ・中の常任理事国が国体をもたないのは、革命国家だからである。
 歴史を断ち切って、民主主義と自由主義を最大の価値としたのである。
 先進国のなかで、国体をもつ伝統国家は、日本だけである。
 その日本が、百年近くも昔、米・英・仏・ロらの革命国家とたたかったのが第二次世界大戦だった。
 日本は、負けて、民主主義をうけいれたが、もともと、日本は、君民一体の民主主義国家だったので、さしたる抵抗はなかった。
 米・英・仏・ロ・中の五大強国は、革命後、政体がそのまま国家となった。
 したがって、民主主義一辺倒である。
 ところが、日本は、国体が残っているので、伝統の力がはたらく。
 革命国家とは、国柄が異なるのである。
 革命国家では、民主主義の下で、なんでもがゆるされる。
 国家体制や国法の変更も、戦争をするかしないかも、多数決できめられる。
 ところが、伝統国家では、民主主義万能ではない。
 形式的といえども、天皇が裁可して、論理的には、不裁可もありうる。
 天皇は、憲法四条によって、国政への関与が禁じられている。
 だが、憲法など法律の公布や国会の召集、衆議院の解散、国務大臣の任免の認証、栄典の授与など、内閣の助言と承認をともなう国事行為に天皇の裁可が必要である。
 しかも、不裁可の場合の対処法が、法的に想定されていない。
 いくら、民主主義が優先されるといっても、天皇の裁可がなければ、国政がマヒ状態に陥る仕組みに、日本は、なっているのである。

 天皇の権威は、血統や伝統、歴史などの超越性にもとづいている。
 万世一系という皇統、太古からの神道祭祀という伝統、天皇という歴史上の玉座は、世俗を超越している。
 この超越性があって、はじめて、権威は、権威たりうる。
 何人といえども、権威に手を触れることがゆるされない。
 権威が、手の届かないところにあるので、権威は、権威たりえるのである。
 権威がその威力を失えば、権力も、また、不安定になる。
 権力は、権威から権力の正統性を授かって、はじめて、安定する。
 政体という権力構造は、国体=天皇という文化構造にささえられていたのである。
 ヨーロッパの王制は、まったく、事情が異なる。
 日本の共同体は権威にささえられているが、ヨーロッパの共同体をささえているのは、権力である。
 力による共同体は、個人主義で、キリスト教は、個人と神の契約といわれる。
 ヨーロッパの王権神授説も、一種の契約で、王と神が取り引きしたのである。
 キリスト教以降、ヨーロッパの王制が、覇者の系譜となった。
 力による共同体の支配原理は、恐怖や強制、暴力である。
 そこからうまれたのが絶対王政だった。
 ヨーロッパで革命の嵐が吹き荒れたのは、絶対王政を倒すためだった。
 その絶対王政が、革命後、無力化されて、象徴となった。
 象徴という概念は、英連邦のウェストミンスター憲章へひきつがれた。
 第二次大戦後、GHQが、英連邦のウェストミンスター憲章から借りてきた象徴という概念を憲法にとってつけた。
 天皇を象徴というのは、GHQの傑作で、日本は、昔から、天皇は象徴的な存在だった。
 天皇は、豪族の連合政権だった大和朝廷から律令体制、摂政や院政、武家政治にいたるまで、象徴的な存在で、皇親政治をとった天武朝以外、権力をもたなかった。
 権威が、宗教性にもとづいているのは、世界史的な事実といってよい。
 天皇の地位も、神道的な価値のなかにもとめられる。
 天皇の権威をささえてきたのは、歴史や伝統、神道という精神文化だった。
 日本人にとってもっとも普遍的なのが、神道的な価値観で、自然にたいする畏怖や八百万の神々への信仰が、天皇への敬愛心につながっている。
 次回は、天皇の権威を歴史からふり返ってみよう。

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2019年03月15日

天皇と神道B

日本の原光景」
 天皇と神道B
 一神教では、創造主がこの世をつくって、唯一神がこれを支配する。
 それが、西洋文明の本質で、根っこにあるのは、一元論である。
 一元論は、すべてを一つの原理で説明しようという考え方である。
 キリスト教から唯物論、科学や合理主義にいたるまで、一元論が西洋をつらぬく精神、価値観である。
 一元論は、一元論以外の価値や存在をみとめない。
 キリスト教は、十字軍遠征で、奪い、殺し、インカやマヤ、アステカ文明を滅ぼした。
 同様に、ヨーロッパの多神教を徹底的に壊滅させた。
 ローマ帝国も、4世紀には、キリスト教を帝国の国教として、以後、ヨーロッパ王制は、王権神授説など、キリスト教の影響下におかれる。
 キリスト教によって、ヨーロッパは、多神教の牧歌的世界から、一神教の宗教世界へ暗転した。
 キリスト教は、民に死や地獄をつきつけて、神の奴隷にしたのである。
 そして、権力者は、創造主や唯一神の代理人を名乗って、民を支配した。
 それが、ヨーロッパの暗黒の中世で、教会の権力と絶対王政をささえていたのは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教に共通する唯一神ヤハウェへの絶対信仰だった。
 西洋は、一神教世界で、多神教の日本とは根本的に相容れない。
 とはいえ、キリスト教以前、ヨーロッパは、多神教社会だった。
 創造主も唯一神もいない多神教のもとでは、神話的世界がつくりだされる。
 その象徴がギリシャ神話で、オリュンポス十二神の王座にあった全知全能の神ゼウスといえども、創造主で はなかった。
 神話的世界で、王権をささえたのは、権威と世襲、祭祀権の三つだった。
 日本の天皇と似ている。
 多神教の神道には、経典も教義もないが、神話がある。
 その神話からうまれたのが天皇で、天皇を中心に、豪族たちがつくりあげたのが、のちに大和朝廷となる古代連合国家だった。

 多神教の時代、なぜ、権力をもたない天皇や王が、国を治める力をもちえたのか。
 民は、権力にしぶしぶ従うが、権威にはみずからすすんで従おうとする。
 権威には、集団を引率して、一つにまとめあげる能力がそなわっている。
 親子や家族や村落など、地縁や血縁、精神的な連帯などによって、共同体がつくられる。
 それが、心でつながった共同体である。
 心的な共同社会において、民をうごかすのは、権力ではなく、権威である。
 権威は、尊敬や敬愛の対象で、情緒である。
 天皇と臣民、王と領民が、情緒によってむすばれた社会では、権威が一つの支配原理となるのである。
 心的共同体の核となっているのが、日本の場合、神道である。
 神道は、集団の宗教といわれる。
 神道が、天皇や国体をささえるのは、個や私を超越した集団の精神だからである。
 そこに、天皇が、祭政一致にもとづいて、祭祀権をあずかった根拠がある。
 日本人は、皇祖神にして日本国民の総氏神である天照大神を敬っている。
 神話を共有することによって、日本人は、同胞となった。
 自然崇拝からアニミズム、シャーマニズム、神話をへて、神道は、民族の精神となったのである。
 日本では、縄文時代と弥生時代の端境期となる紀元前10世紀頃には、農耕儀礼を中心とする原始神道がめばえていたと思われる。
 原始農耕社会において、天皇は、氏族の長を従えた神道の最高神官だった。
 神道の元型は「イネの祭り(予祝際・収穫祭)」のような集団祭祀だった。
 生産を支配する大地や水、太陽や風、月の神格化と穀霊崇拝が、皇室神道にいたって、五穀豊穣や国民安寧を祈る宮中祭祀となった。
 天皇の宗教的権威は、イネの祭り(新嘗祭など)にもとめられる。
 新嘗祭は、古代から現在にいたるまで、天皇の祭祀の中心で、天皇の即位にさいしては、新嘗祭の大祭である大嘗祭が、一代一度の祭典として挙行される。
 それが、天皇の権威の源泉で、神道は、集団の指導原理にもとづいている。
 権威をまもるのは血統で、皇位は、世襲でなければならない。
 世俗の権力は、武力や政治、多数派工作などで手に入れることができる。
 ところが、権威は、血筋と伝統によって、おのずとそなわるもので、人為的にえようとすれば、却って、地に落ちる。
 世襲ほど安全に権威を相続する方法はないのである。
 天皇におなりになることは、万世一系の血筋を継がれる皇族が、祭祀をとおして、歴史に用意された皇祖皇宗につらなる玉座にお就きになることである。
 権威は、その祭祀をとおして生じるもので、皇族個人にそなわったものではない。
 それが、象徴性で、天皇は、伝統という歴史的権威の象徴なのである。
 権威とは、象徴であって、それが、君臨すれども統治せずということである。
 次回は、天皇の象徴性について、ふみこんで、考えてみよう。


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2019年03月07日

天皇と神道A

「日本の原光景」
 天皇と神道A
 天皇の権威はどこから生じたのか。
 なぜ、数千年にわたって、権力者が天皇の権威を立ててきたのか。
 その謎は解明されていない。
 天皇の権威の根拠が明治維新以降の現人神信仰ではなかったことは、すでに歴史がしめすところである。
 天皇の権威は、大型の前方後円墳がつくられた3世紀から6世紀末頃までの古墳時代には、すでに、確立されていた。
 天皇の下で、大臣・大連が政治を執ったヤマト王権は、その後、摂関政治や院政、武家政治へとひきつがれる。
 その間、天皇の権威を奪おうという権力者はあらわれなかった。
 権威と権力は支えあう二元論なので、権威を倒すと権力のほうも危うくなる。
 日本では、古代から、為政者が、権威から権力の正統性(レジテマシー)をさずかるという特異なシステムができあがっていたのである。
 そして、それが、驚くべきことに、現在にまでひきつがれている。
 内閣総理大臣の任命から国会の召集や解散、法令の公布、外交文書の認証にいたる国事行為は、権威による権力行為の承認で、形式的には、古来、かわるところがない。
 天皇の権威の歴史的由来ははっきりしない。
 農神や穀霊を祀る祭祀王が、豪族に擁立されて大王となって、国を拓いた。
 それが大和朝廷で、その歴史を綴ったのが、8世紀初頭に完成した古事記や日本書紀だった。
 記紀によると、のちに神武天皇となる「かむやまといわれびこのすめらみこと」は、45歳のとき、兄らと東征を開始。日向国から約6年をかける苦難をへて、ようやく、大和国に到った。
 そして、橿原の地に都をひらき、翌年に初代天皇として即位した。
 戦前まで、それを紀元前660年としてきたが、戦後、歴史家が皇国史観を徹底的に排除して、そのせいで、天皇史・古代史は、闇に鎖された。
 皇国史観に、科学的・実証的な根拠がないというのだが、神話にそんなものがあるわけはない。
 どの国でも、建国神話はあるもので、ないのは、革命によって、否定されたからである。
 中国は、1949年、毛沢東によって建国が宣言されたが、中国には3千年の歴史があって、それ以前は、神話の世界だったはずである。

 歴史に考古学をもちこむことも、その逆も、タブーであろう。
 歴史は唯心論である。
 権力や権威、伝統や文化を語るからである。
 一方、発掘や史料、科学や実証性を土台にする考古学は、唯物論である。
 歴史が、ヒトや神々の物語なら、考古学は、史料をもちいて実証的に歴史を解明する科学で、両者を同列に語ることはできない。
 われわれがテーマにしているのは、ヒト・モノ・コトがどううごき、権威や権力、文化がどう形成されていったのかを問う生きた歴史・文化論で、歴史を科学的に解明しようというのではない。
 考古学にあるのは、遺跡や古跡、科学的根拠、縄文や弥生、古墳時代などの時代区分などで、文化や宗教、人文学や社会学などと絶縁している。
 欠史八代の天皇は実在したか否か、邪馬台国がどこにあって、卑弥呼はだれかというのも、考古学で、見解は、諸説あって、それが歴史である。
 歴史は、かつての日本人が、なにを信じ、なにを大事にしてきたかを物語る民族の遺産で、精神文化というべきものである。
 精神文化の根本にあるのが神話で、自然崇拝の神道は、神道から派生した。
 歴史が、神話から実史へつながってゆくのは、歴史が物語だからである。
 神話について、ものの本には、実在が証明されているわけではない、という但し書きがあるものがある。
 あたりまえの話である。
 天照大神や神武天皇が実在したかどうかを問うのは、考古学である。
 神話は、空想で、日本人は、その空想を民族の「共同幻想」として、わかちあったのである。
 神話も歴史も、人間が過去をふり返ってつくったフィクションである。
 フィクションは、共有されることによって、歴史となる。
 それが、歴史精神というもので、日本では、その中心に天皇がおられる。
 天皇をささえているのは、神道的な精神性である。
 その頂点にあるのが、高天原を統べ、皇祖神にして日本国民の総氏神、太陽神でもある天照大神である。
 神道においては、すべてが、わけへだてなく、平等に、太陽の恵みをうける。
 日本は、天皇も民も、天照大神を崇める究極の民主主義国家だったのである。
 次回も、天皇と神道のかかわりについてのべよう。
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2019年03月01日

 天皇と神道@

「日本の原光景」
 天皇と神道@
 神道は、歴史や風土、民族などの土着性が育んできた日本の心である。
 自然崇拝に、縄文の遺伝子というべきアニミズムやシャーマニズム、祖霊や氏神、鎮守や産土神信仰、神話などがくわわって、日本固有の独自の世界観がうまれた。
 このシントーが、現在、世界で注目されているのは「自然との共存」という思想が、地球温暖化など、自然破壊がすすんだ現代に、うけいれられはじめたからであろう。
 西洋文明は、自然と対決して、これに勝利して、獲得されたものだった。
 自然は、人間が生きてゆくための糧や材料にすぎず、神から与えられる。
 それが一神教の考え方で、世界は、創造主によって、つくりだされたとする。
 したがって、神の思し召しに叶うなら、煮て食おうと焼いて食おうと勝手ということになる。
 それが、科学や合理主義、進歩主義につながった。
 絶対主義も一神教の産物で、神の御心に沿わぬ者は、異端裁判にかけられて火刑に処される。
 暗黒の中世を経て、神が科学や合理にいれかわって、近代が誕生した。
 近代主義は、革命をうみ、歴史をまるごとひっくり返した。
 自然を支配した人間は、こんどは、歴史の支配者になった。
 人間が、かくも、傲慢な存在になってしまったのは、一神教が、人間を神の代理人に仕立てたからだった。
 一神教ということは一元論である。
 日本と西洋のちがいは、日本が多元論で、西洋が一元論というところにある。
 そのちがいが、端的にあらわれたのが、のべてきたように、自然観だった。
 日本人にとって、自然は、八百万の神々が宿る崇拝の対象である。
 ところが、西洋人にとっては、破壊と征服の対象でしかなかった。
 かつて、ヨーロッパ全土を包みこんでいた森林が、開墾の名目で、徹底的に破壊された。
 自然が征服されるべきものだったからで、古代から農業を営んできたヨーロッパでは、森林を伐採して、耕地を拓いた。
 ヨーロッパ人にとって、自然は、征服されるべきもので、森を耕地や広場に変えて、それが、自然に勝利した人類の英知だった。
 日本の神社は、鎮守の森と一体化しているが、ヨーロッパの大聖堂は広場の中央にあって、周囲にはなにもない。
 日本の稲作は、河川沿いの沖積平野でおこなわれるので、森林がまもられる。
 日本列島を飛行機で俯瞰すると、国土の70パーセントが森林で、森林占有率は、フィンランドとスウェーデンに次いで世界第3位である。
 農地や都市は、30パーセントの平野部にあって、列島が丸ごと鎮守の森にまもられている。

 西洋の一神教や一元論においては、、正しいとされる唯一のもの以外は、徹底的に排除される。
 かつて、キリスト教文明は、インカやマヤ、アステカなどの多神教文明を滅ぼして、一神教の優位を叫んだ。
 多神教は、古代の野蛮な風習で、一神教こそが理性を宿した目覚めた宗教というのである。
 現代の日本でも、神道を古代の伝説や迷信と一蹴する論者が少なくない。
 国家神道の成立に大きな影響力をふるった大国隆正(平田篤胤門下)はこういった。
「神道はたしかならぬ高天原よりはじめて国を生みしなど、わけのわからぬ事をのみいふ。(略)ただ日本の道というばかりにて」
 神道が、日本固有という以外に取り柄がない、わけのわからぬ事という妄想というのである。
 平田篤胤らが唱えたのが、復古神道と廃仏毀釈で、これらが、尊皇攘夷運動のイデオロギーとなったのは、多神教の神道が、一神教・一元論へ改造されていたからだった。
 平田は、復古神道に最後の審判や天国の思想などをもちこみ、造化三神の一柱である天之御中主神を創造主とみなした。
 神道は、国学から復古神道をへて、国家神道になるに到って、ついに、現人神をささえる一神教の教条となった。
 西洋の絶対王権をささえたのは王権神授説で、宗教が権力の後ろ盾になっている。
 日本も、明治維新で、西洋の真似をした。
 それが、現人神で、祭祀王の権威と西洋の王権が合体して、天皇軍国主義というべきものがつくりだされた。
 現人神をうんだのは、ヨーロッパから移入した明治憲法で、第3条に「天皇は神聖にして侵すへからす」とある。
 日本が移入したのは、王権が強いプロイセン憲法で、のちに、「鉄血宰相」の異名を取るビスマルクがプロイセン王国を統一して、強大なドイツ帝国をうちたてる。
 それが、伊藤博文がプロイセン憲法にとびついた最大の理由だった。
 伊藤は、日本をドイツ帝国のような強い国にしたかったのである。
 そのことから、明治憲法は、多分に、王権神授説の影響をうけていたとわかる。
 日本は、神道を背景に軍国主義化したのではない。
 その逆で、神道という日本の心を裏切ることによって、戦争の道をつきすすんだのだった。
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