2019年07月31日

タテマエ政治から脱却せよB

 ●韓国は近くてもっとも遠い国
 和田春樹東京大学名誉教授ら、日本の知識人77人が、韓国にたいする輸出規制措置の中止をうったえて、署名運動を開始した。
 左翼反日の知識人グループが、安倍政権を攻撃するためにとびついたものであろうが、レベルが低くて、話にならない。
 声明に「韓国は敵なのか」とあって、みずからを「昨今の日韓関係の悪化を憂慮する有志」と名乗っている。
 そして、「日本の市民(国民ではない)に賛同をもとめる」とうったえている。
「韓国は敵なのか」という呼びかけについては、敵と断言するほかない。
 この期におよんでも、まだ、韓国を敵とみなすことができないのが、愚かな日本の平和ボケ、左翼反日インテリなのである。
 韓国の防衛費は、この十数年で急伸して43、2兆ウォン(約4兆1840億円)にたっした。
 3倍ほどあった日韓の軍事支出差は、いまや1・2倍で、GDPで比較すると、韓国2・6%、日本0・9%と逆に日本を圧倒している。
 韓国人の30%が原爆保有支持で、南北統一後、統一朝鮮が9番目の核保有国になることをかれらは心待ちにしているのである。
 南北の融和がすすみ、北朝鮮と韓国が戦火を交える可能性はなくなった。
 米軍が駐留している以上、韓国が軍事費を加速度的にふやす理由はない。
 にもかかわらず、韓国がハイペースで軍事予算をふやしているのは、唯一つ日本に対抗するためである。
 韓国海軍レーダー照射問題は、韓国の対日敵視政策を反映したもので、友好国であれば、日本EEZ(排他的経済水域)内で、射撃予告とうけとめられるレーザーの照射などするはずはない。
 和田春樹ら韓国を善意の隣国のようにいう知識人77人は、この署名運動でも、得意の論法をもちだす。
「日本と韓国の場合は、慎重な配慮が必要になります。かつて日本がこの国を侵略し、植民地支配をした歴史があるからです」というのである。
 ばかも休み休みいうもので、知識人を自称しながら、和田らは「乙巳五賊(いっしごぞく)」や「庚戌国賊(こうじゅつこくぞく)」という韓国の歴史用語を勉強していないのか。
 乙巳五賊は、日本による韓国の保護国化を定めた第二次日韓協約(1905年)に賛同した大韓帝国5名の閣僚で、庚戌国賊は、日韓併合条約締結(1910年)をすすめた8人の閣僚のことである。
 李完用(大韓帝国内閣総理大臣)ら12人の愛国的な政治家は、韓国の人名事典に李朝末期の売国奴としか書かれていないが、すぐれた政治家だったことは、日韓併合が、世界の最貧国だった朝鮮を、現在の韓国に発展させる原動力になったことからも明らかだろう。
 日韓併合が侵略だったのなら、韓国は被害者で、したがって、五賊も国賊も存在するはずはない。
 日韓併合が、国会議決をもって、韓国の閣僚が申請したものだったからこそ五賊だの国賊だのといって、騒ぐのではないか。
 日韓併合が日本の侵略だったというなら、まっさきに、五賊・国賊の名誉が回復されるべきだろう。
 そして、民族一体となって、わるいのは、侵略してきた日本で、われわれは被害者だったのだと主張すればよいのである。

 テレビで、しばしば、日韓併合の違法論や無効論が取りざたされる。
 村山談話や菅談話をひっぱりだしてきて、謝罪や賠償までいいだす輩もいる。
「乙巳五賊」「庚戌国賊」に並ぶ用語に「丁未七賊(ていびしちぞく)」という用語がある。
 ハーグ密使事件(1907年)の後、高宗(李氏朝鮮第26代国王)の退位に関与した七人の閣僚のことで、かれらが親日派・知日派(チニルパ)だったことから、韓国では、いまだに憎悪の対象となっている。
 ハーグ密使事件は、1907年、高宗がオランダのハーグで開催されていた万国平和会議に3人の密使を送って、大日本帝国に奪われていた外交権回復をうったえようとした事件である。
 だが、会議に出席していた列強は、大韓帝国の外交権が大日本帝国にあるとして、3人の密使の会議出席を拒絶した。
 当時は、帝国主義の時代で、世界の秩序は、国力によって定められていた。
 列強は、韓国が自主外交の能力を有していない負け犬の国と見限られていたのである。
 日本の軍艦が朝鮮半島の江華島で砲撃されて応戦した江華島事件(1875年)を契機にむすんだ江華島条約において、朝鮮が、清朝の冊封から独立した独立国であることが宣言された。
 日清戦争(1895年)の勝利による下関条約においても、第一条で、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることと明記された。
 日本にとって、朝鮮国の独立が、悲願だったのである。
 ところが、朝鮮国は、独立国家をつくる気などなどなかった。
 清国になびき、日清戦争後はロシアに接近して、ロシアは朝鮮半島に食指をうごかす始末だった。
 朝鮮国の独立をあきらめた日本は、日露戦争に勝利したのち、ソウルに統監府置き、李完用らの請願にもとづいて、韓国を併合した。
 植民地化する以外、韓国を再建して、極東の安全をまもる方法がなかったのである。
 これをみて、アメリカは、日本にフィリピン支配の許諾をもとめてきた。
 日本の韓国支配を容認する代わりに、アメリカのフィリピン支配をみとめろというもので、これが「桂・タフト協定」である。
 ロシアも日露戦争後のポーツマス条約によって、日本による韓国保護国化をみとめざるをえなかった。
 そもそも、1907年の万国平和会議では、主要47か国が韓国のうったえを退けている。
 当時、世界を支配していたのは、日英同盟・日露協約・英露協商・日仏協約など帝国主義列強による世界分割協定で、アフリカもアジアも、列強の支配にのみこまれていた。
 帝国主義という大局観・歴史観に立たなければ、当時の世界秩序を理解することはできないのである。
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2019年07月26日

タテマエ政治から脱却せよA

 ●危険水域に近づきつつある日韓外交
 日本は、中国には一目置くが、朝鮮にたいしては、対等もしくは弟分とみるところがある。
 中国は、漢字文明やシルクロードの要衝で、隋や唐との交流もあった。
 一方、朝鮮は、中国の属国で、中国ほどの存在感はない。
 百済や高句麗、新羅ら古代朝鮮との連続性も明らかではなく、近代の開国にあたって、朝鮮は、日本にたいして、かならずしも、友好的ではなかった。
 朝鮮問題が、最終的に、日清・日露戦争および日韓併合という歴史的事件に発展したのは、日本列島に近すぎるという地政学的な事情にあって、かならずしも、朝鮮という国家の存在感にあったわけではなかった。
 二度にわたる元寇では、元(中国)と元の属国だった高麗(朝鮮)が対馬の住人を虐殺、日本本土に上陸して、肥前や松浦、鷹島などで鎌倉武士と壮絶にたたかった。
 神風によって、元と高麗の5千艘の船が沈没して、日本は侵略を免れた。
 だが、元寇は、歴史上、明治維新や敗戦と並ぶ大事件で、7世紀の白村江の戦い以後、朝鮮半島は、日本の鬼門として、たちはだかっている。
 朝鮮半島も中国と同様、大陸国家で、海洋国家たる日本とは、元々、反りがあわない。
 近代化以降、日本の悲願が朝鮮半島の安定にあったのは、朝鮮半島が中国やロシアの手に落ちたら、日本の安全保障は、風前の灯となるからだった。
 西郷隆盛の征韓論は、朝鮮半島と日本の共同安全保障で、近代化に後れをとった弟分の朝鮮を援けて、東アジアの安定を図ろうというものだった。
 もっとも、これは、日本の一人相撲で、日本を下位にみている朝鮮にそんな気はなかった。
 根拠は、中華思想だが、これは、日本人にぜんぜん馴染みがない。
 だが、中華思想を理解しておかなければ、韓国人や朝鮮人が永遠にわからない。
 中華思想は、世界の中心は中国、という思想である。
 朝鮮半島は中国でも中国の一部でもないが、韓国人や朝鮮人は、じぶんたちこそ本物の中華という自負をもっている。
 中国は、歴史上、四度、征服王朝(遼・金・元・清)に支配されている。
 ところが、朝鮮半島は、四夷と呼ばれる異民族の支配に入ったことがない。
 四夷というのは――
 東夷(とうい/日本などの東方諸国)
 西戎(せいじゅう/西域諸国)
 北狄(ほくてき/契丹・韃靼・蒙古などの北方諸国)
 南蛮(なんばん/ベトナムなど東南アジア諸国や西洋人)
 のことで、中華世界において、四夷は、野蛮な劣等民族なのである。
 朝鮮半島が小中華といわれるのは、本家の中国より、四夷や夷狄を侮蔑する意識がつよいからである。
 夷狄から支配をうけたことがなく、人種差別の意識がつよい朝鮮民族は、いまもなお、四夷や夷狄を劣等民族とみなして優越感に浸っている。
 それが、韓国人や朝鮮人の世界観で、かれらの傲慢さの根拠である。
 ちなみに、日本は、東夷で、朝鮮よりはるかに地位が低い。
 韓国が日本に激高するのは、東夷のくせになまいきというわけである。
 これに、両班意識、事大主義、儒教の三つがからみあって、「恨(ハン)」という異様きわまりない気質がつくりあげられた。
 韓国には、高麗王朝の忠臣たちがモンゴルの李成柱(朝鮮王朝始祖)を恨む「恨五百年」という民謡があって、朴槿恵前大統領も、日韓併合をあてつけて「加害者と被害者の歴史的な立場は1000年たってもかわらない」とのべたものである。
 これが恨(ハン)文化だが、これまで、恨文化の実体が明らかにされたことはなかった。
 恨の思想に、両班意識と事大主義、勤労を害悪視するエリート意識があったことを見逃すことはできない。
 高麗や李氏朝鮮の官僚階級だった両班(ヤンパン)は、特権階級で、給料がない代わりに、民からの略奪や搾取をゆるされて、それで懐を潤した。
 朝鮮半島で、民が働かないのは、いくら働いても、すべて、両班に奪われるからだった。
 一方、国は、さらってきた美女や奪った地方の産物を中国に朝貢して褒美をもらい、宮廷を維持した。
 こうして、朝鮮半島に、極端に生産性の低い国家ができあがった。
 儒教的観念論や迷信、風水の一つが四夷思想で、東夷・西戎・北狄・南蛮をばかにして、人々は、地べたに座り込んで、一日、無為に過ごす。
 経済原理や合理的精神が死に、朝鮮半島は退廃のきわみにたっして、打つ手がなくなった。
 それが、日韓併合直前の朝鮮半島で、世界一の最貧国家だったのは、生産や繁殖、創造が停止したからだった。
 朝鮮半島の恨は、痛恨や悲哀、無常観で、なんの見返りもないまま呪うだけだった。
恨≠フ対義語が恩≠ナある。
 朝鮮半島と同じように日本の支配をうけた台湾が、恨ではなく、日本に恩をかんじた理由は、台湾には、生産や繁殖、創造の手段があったからである。
 ところが、朝鮮半島にあったのは、両班意識と事大主義、儒教と四夷意識の観念だけだった。
 生産や繁殖、創造性が決定的に欠けて、それが、朝鮮半島に危機を致命的なもたらした。
 これが象徴的と思われるのは、現在、日韓のあいだで、問題になっているのが、半導体製造に欠かせないフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の3品目だったからである。
 半導体の世界的トップメーカーである韓国が、この3品目を製造する能力をもっていなかった。
 であれば、日本と友好的な関係をつくって、日本からの補給が絶えないように配慮すべきだろう。
 ところが、韓国は、それができない。
 なぜなら、日本は、仮想敵国だからである。
 自国産業の血液というべき資本財の輸入元の国を仮想敵国にして、牙を剥く。
 それが韓国のわけのわからないところだが、以上、縷々述べてきた事情から深層構造にすこし察しがついたはずである。
 次回以降、歴史的経緯や貿易摩擦を視野にいれながら、さらに、日韓関係を検証していこう。

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2019年07月18日

タテマエ政治から脱却せよ@

 ●丸山議員問題と日韓外交危機
 北方領土返還で「戦争」に言及した丸山穂高衆院議員をめぐって、ドタバタ劇がくりひろげられた。
 日本維新の会の除名から国会の「糾弾決議」、自民・公明の「譴責決議案」、野党6党派の「辞職勧告決議案」に至るまで、丸山議員叩きは、すべてタテマエ論で、ホンネの現実感覚ゼロという空虚さであった。
 テレビ朝日コメンテーターの玉川徹は「羽鳥慎一モーニングショー」でこう叫んだ。
「戦争しないっていうのは国是なんです。日本は戦争をしないと決めた国なんですよ。『戦争という手段しかないんじゃないですか』というような発言をする人間には国会議員の資格はないと思います」
 日本が戦争をしないと決めた国なら、他国が日本の領土を奪おうと、日本人をいくら殺そうと、遠慮はいらないということになる。
 国家には自衛権があって、それはゆるさないというのなら、二枚舌で、そうなら、日本は戦争をしない国などというタテマエはいわぬがよい。
 丸山議員は「北方領土を不法占拠しているロシアに糾弾決議を出すなら分かるが、わたしに出すというのは遺憾だ。任期をまっとうしていきたい」とのべた。
 除名、糾弾、譴責、辞職勧告でつるし上げられた丸山のホンネのほうがよほど正気ではないか。
 丸山発言は、ロシアの「北方領土は戦争でとった」にたいする売りことばの買いことばで、丸山が悪いというのなら、ロシアの言い分、ロシアの言い分を垂れ流してきたメディアに落ち度はないのか。
 ロシア外務省のザハロワ情報局長が丸山議員をさして「言語道断だ。一人の政治家の極端な意見なのか、日本のエリート(丸山は東大卒)の感覚を反映したものかどうか調べる」と恫喝した。
 この脅しを耳にしたのかどうか、維新の会がソ連大使館へのこのこと謝罪にでかけた。
 百田尚樹は怒り心頭に発してこうのべる。
「旧ソ連が(北方領土を)強盗したのだ。被害者が強盗に『すいませんでした』って言うのはおかしいだろ」
 ネットはもっと過激で、「言語道断は、お前らロシアだ! お前らが、大東亜戦争終結後、日ソ中立条約を一方的に破って、火事場泥棒で日本の北方領土を占領、略奪、強姦、殺人のかぎりをつくし、極寒のシベリアに60万人の日本人を抑留して殺した。ふざけるな! 」という調子である。
 ネットウヨが悪評紛々なのは、タテマエを忘れて、このようにホンネを吐くからである。
 ちなみに、「丸山穂高議員の議員辞職は必要ですか?」という質問には90パーセント近くがノーと答えている。
 投票総数6053票/議員辞職の必要ない88%/議員辞職するべき12%
 頭に血がのぼった日本の政界・マスコミ・TVタレントの対応にたいして、ウクライナ気鋭の政治学者アンドリー・グレンコの観察は冷静なもので、日本の「二島返還」に反対論を展開しただけのことはある。
「丸山議員の発言は、戦争が不可能なら返還も不可能、というロシアにとって有利な論理をひきだした。失敗だ。ロシア経済には好材料がない。日ロ交渉のタイミングは、将来、日本とロシアの立場が逆転して、ロシアが日本に援助をもとめてきたときだ」
 これまで日本には、現実的なスタンスに立って、ストレートにホンネを吐くグレンコのような識者は皆無だった。
 もって回った口ぶりで、きれいごとのタテマエを並び立て、ホンネを隠すのがこれまでの日本人のやりかただった。
 その悪癖によって、日本は、いままで、どれほど、損をしてきたことか。
 大義名分やタテマエを立て、前大戦では、世界を敵に回して、原爆まで落とされた。
 日本人は、タテマエとホンネの両方を使い分けているつもりでも、外国人にとっては、ただの嘘か二枚舌でしかない。
 タテマエには、世界から理解をえる真実も普遍性もないのである。
 アメリカは、韓国抜きで北朝鮮と交渉でき、中国とは四つに組んで、貿易摩擦という相撲をとっている。
 韓国も日韓同盟も、いまや無用というわけで、これが、アメリカのホンネである。
 ちなみに、ロシアの「北方領土は戦利品」というのもホンネである。
 日本人は嘘つきといった外国人外交官がいたというが、タテマエは、ウソよりも罪が深い。
 ウソは個人の出来心だが、タテマエは、全体主義で、中国や北朝鮮は、タテマエだけでできている国である。
 ファシズムも民主主義も、全体主義も官僚主義も、儒教とりわけ朱子学の大義名分論も国家スローガンも、赤信号みなで渡ればこわくないジョークも戦争放棄も、すべて、タテマエである。
 日本が、外交で失策をかさねてきた原因が、このタテマエ主義だった。
 タテマエを捨てて、ホンネをずけずけいう政治家が丸山議員である。
 レーザー照射問題では岩屋防衛相にこう注文をつけている。
「うそでも百回言っていったらこれが正しいみたいなことになりかねませんので、しっかりこれは主張していただきたい」
 北方領土問題では、河野太郎外相への質問をこうしめくくっている。
「領土が戦争や武力以外で返ってきたというのは稀なケースと思います。その稀なケースに挑戦しなければなりません。外相や総理の手腕にも期待しております」
 そのほか、国会議員の「国籍条項」や生活保護法の「国民条項」など、これまで、馴れ合いですまされてきた問題についても鋭いつっこみをいれている。
 一連の丸山バッシングにのっかったタレントにもホンネをぶつけた。
「上西小百合氏の末期症状に酷似」と丸山議員を批判した東国原英夫にたいしては、「『おまゆう(おまえがいうか)』に思わず大爆笑」「暴行容疑の現行犯で逮捕、傷害容疑で書類送検、淫行関係で事情聴取されたことのある芸人にえらそーに言われてもねぇ」と一蹴。
 フジTVバイキングへの出演を誘った坂上忍には「飲酒運転で器物破損逃亡劇の件をやるなら検討しますけど、残念」とこばかにした風情。
 顔も見たくないと丸山を批判した和田アキ子にたいしても「わたしも和田さんが出たらチャンネル変えます。一緒で光栄です。最近はテレビで姿を見ません。紅白すら出てないようですね」と揶揄している。
 それだけではない。フジテレビには、人気番組「志村けんのバカ殿様」を「肉布団番組(水着の女性たちが布団代わり)」と批判した上で、「そのほか、持ち株会社の税金無駄遣いクールジャパン機構出資とか放送法上の問題にからめて言うべきことが数多くある」とフジテレビ上層部にゆさぶりをかけた。
 日本人は、頭でっかちに、意味や価値、原理などの抽象論ばかりいって、現実的なモノやコト、具体的な事象には目をむけてこなかった。
 それがタテマエ主義で、タテマエが横行すると、現実機能や現実にたいする適応力が害われる。
 観念論的なタテマエ主義から脱するには、丸山議員のような実在論的個人主義者の登場が必要なのである。
 次回以降、タテマエ外交で、泥沼化した日韓関係をふりかえってみよう。

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2019年07月05日

マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つF

 マスコミ世論&タレント識者の俗論を撃つF
 ●愛子さまが天皇になられない理由C
 女性天皇論者は、愛子さまが天皇になられないのはおかわいそうという。
 皇位の男系相続にたいして、女性差別や男尊女卑、悪しき因習という反発が国民レベルにまで高まっているのである。
 日本は、かつて、8人10代の女性天皇をいただいた。
 それが、男女平等で、因習に縛られない美風だったというつもりであろうか。
 8人の女帝には、すべて、未亡人か、生涯独身だった。
 子をもうけて、その子が天皇になると、皇統が絶えてしまうからである。
 皇統とは、神武天皇の男系の血統で、それが、2700年つづいてきた神武王朝である。
 女性天皇が結婚して、子をもうけると、権力とともに皇室の血統が夫側へ移ってしまう。
 天命ではなく、血統による易姓革命がおきてしまうのである。
 それを避けるために、8人の女帝は一代限りの皇位をまもって、その皇位を神武天皇の血をひく男系天皇にひき継いできた。
 女帝は、権力抗争の渦にまきこまれて、女性として、きびしく、不幸な生き方をしいられてきたといってよい。
 天皇になれない愛子さまがおかわいそう、という感情論で語ってよい話ではないのである。
 未亡人で、再婚されなかった女帝は、推古、皇極(後の斉明天皇)、持統、元明の四方である。
 そして、生涯、独身をとおされたのが、元正、孝謙(後の称徳天皇)、明正、後桜町の四方である。
 最初の女帝・推古天皇は、欽明天皇の皇女で、敏達天皇の皇后だった。
 推古天皇が天皇に即位した経緯には、悲劇的な要素が大きい。
 夫の敏達天皇とその弟の用明天皇が相次いで崩御すると、その後に即位した末弟の崇峻天皇も、蘇我馬子が放った刺客(東漢直駒)に暗殺される。
 用明天皇の皇子で、推古天皇の摂政だった聖徳太子も、没後、子の山背大兄王が、蝦夷入鹿の襲撃を受けて、斑鳩宮で一族もろとも自害、上宮王家が断絶するという悲劇に見舞われる。
 山背大兄王が、田村皇子(舒明天皇)との皇位争いに敗れた末のことだったが、山背大兄王を倒したその入鹿にも、悲劇がまちうけていると、入鹿は知る由もない。
 推古天皇を介して、欽明から敏達、用明、舒明へとつながれた男系も、そののち、けっして、安泰ではなかった。
 舒明天皇とのあいだに天智天皇、天武天皇らをもうけた2番目の女帝、皇極天皇が49歳で即位したのは、継嗣となる皇子が定まらなかったからだった。
 その皇極天皇の目の前で、中大兄皇子と中臣の鎌足が、蘇我入鹿を暗殺するという前代未聞のクーデターを起こす。
 この乙巳の変(大化の改新)の翌日、皇極天皇は同母弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲った。
 政治の実権は皇太子の中大兄皇子がもっていたが、皇位にはつかなかった。
 中大兄皇子が天智天皇として即位して、同母弟の大海人皇子(のちの天武天皇)を皇太弟とするのが、それから20数年後のことである。
 のちに、第1皇子・大友皇子(のちの弘文天皇)を太政大臣とし、辞退した大海人皇子の代わりに大友皇子を皇太子とするのだが、それが、古代史上、最大となる乱の前触れだった。
 天智天皇の没後に、大友皇子と大海人皇子とのあいだで争い(壬申の乱)がおき、敗れた大友皇子は自害する。
 勝った大海人皇子は、即位して、天武天皇となった。
 三番目の女帝となった持統天皇は、天武天皇の妻だが、事情が前例とはやや異なる。
 天武天皇の政治をひきついで、飛鳥浄御原令の施行など、律令政治の基礎を固める一方、子の草壁皇子を即位させるため腹ちがいの子大津皇子を処刑するなど、持統天皇は、鬼子母神的な女帝でもあった。
 草壁皇子が若くして亡くなると、持統天皇が即位して、皇子の子の珂瑠皇子(文武天皇)の成長を待つ。
 四番目の女帝、元明天皇(草壁皇子の妃)も事情は似ている。
 即位したのは、子の文武天皇が25歳の若さで崩御し、遺児・首皇子(聖武天皇)がわずか7歳だったからである。
 持統天皇同様、皇位をあずかって、孫の成長をまったのである。
 五番目の女帝、元正天皇は、草壁皇子と元明天皇の皇女で、母の元明天皇の遺志をうけついだ聖武天皇へのつなぎ役であった。
 六番目の女帝、孝謙・称徳天皇は、女性天皇・女系天皇を考えるのに示唆的な特異な天皇だった。
 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で、史上初めて、人臣から皇后となった光明皇后(光明子)である。
 第46代孝謙天皇は、第47代淳仁天皇に譲位するまでは、つなぎ役の女性天皇にすぎなかった。
 ところが、孝謙上皇となって、道鏡を寵愛して淳仁天皇と不和となり、淳仁天皇を廃して、皇統に危機が襲ってくる。
 重祚して第48代称徳天皇となって、太政大臣禅師、法王へとのぼり詰めた道鏡は、ついに、皇位を望む。
「道鏡を天皇にせよ」という宇佐八幡神からのお告げは、和気清麻呂によって退けられるが、道鏡の怒りを買った清麻呂も大隅に流罪になる。
 称徳天皇が没して、道鏡の失脚後、天智天皇の孫である第49代光仁天皇が即位、このとき、皇位は、天武系から天智の系統へと移っている。
 道鏡を下野に流して、綱紀や政教を立てなおした光仁天皇は、和気清麻呂を召還するが、皇統の危機を救った和気清麻呂は、桓武天皇からも厚く迎えられ、平安遷都に尽力する。
 七番目の女帝・明正天皇は、幕府と対立した後水尾天皇の対抗策で、7歳の内親王を即位させて幕府をケムにまき、本人は、もっぱら、院政を敷いた。
 最後の女帝となった八番目の後桜町天皇は、若くして崩じた弟の桃園天皇の皇子(後桃園)の成長を待ったもので、そのために、一生を捧げた。
 女性天皇が、はたして、天皇になれない愛子さまがおかわいそうという甘い地位だったろうか。
 女性天皇論者は、愛子天皇を望むが、愛子さまが天皇になる可能性は、万に一つもない。
 愛子さまが、皇祖皇宗が2700年間まもってきた皇統の男系継承の伝統を破って、称徳天皇と道鏡ができなかった万世一系を否定するだろうか。
 あえて、神武天皇に反逆して、みずから、歴史の永遠の汚名を着るだろうか。
 明仁上皇、上皇后美智子も、女性天皇をお望みではなかった。
 百二十五代にわたって男系継承であったものが、ご自身の御代においてその原理が変更されては、皇祖皇宗に申し訳が立たないからである。
 ェ仁親王の長女、彬子女王も「男系継承の伝統を大事にするべき」とのべておられるとおり、皇室内には、宮内庁を別にして、女性天皇をみとめる空気はない。
 皇統は神武天皇以来、男系で継承されてきた血筋のことで、直系に該当者がおられない場合は、つねに、傍系から皇胤を得てきた。
 今日、この傍系に当たるのは、戦後まもなく皇籍を離脱された旧十一宮家で、そこには、かなりの人数の男系男子がおられる。
 その方々のなかから、何人かが皇籍に復帰できる方法を考え、男系の宮家の数を増やす。
 皇室をまもるには、それが、だれが考えても、いちばんあたりまえの方法だろう。
 必要なのは、歴史上、前例のない女性宮家ではなく、前例のある男性宮家なのである。
 旧皇族が「皇統に属する皇族」にもどることができず、二千年間、けっして「皇統に属する皇族」になれなかった一般男性の子どもが皇統に属することができるという女系天皇論者の理屈はいったいどこからくるのだろう。

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