2019年11月11日

米・中の新時代と日本の役割C

 ●日本はアジアで指導的立場に立て@
 ソ連邦崩壊(1991年)から、10年以上もつづいてきたアメリカの一極支配体制が、2001年の同時多発テロ事件以後、ゆらぎはじめ、現在、五極体制のもとで、世界版図の再編がすすんでいる。
 五極といっても、アメリカの軍事予算は、中国とロシアを合わせた3倍近く(6028億ドル)あって、アメリカ海軍が、地球を6つに区割りした海域に最新鋭の大艦隊を送りこんでいる。
 五極の他の四つは、日本と中国、欧州とロシアである。
 これに、カナダやオセアニア、ブラジル、インド、アフリカ、中東をくわえると多極体制となるが、いずれも、一強プラスαの構造である。
 アメリカの一極支配体制がゆらいできたのは、中国の躍進と、中国式の国家資本主義が台頭してきたからで、国家が経済・社会に干渉して、強力に政策をすすめる中国モデルが、アジアやアフリカから中南米にまでおよんでいる。
 国家資本主義と「AI(人工知能)監視システム」を組み合わせたのが中国モデルで、コストのかかる民主主義や摩擦の大きい人権を避けて、全体主義で資本主義のゆたかさを手に入れようというのである。
 フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で、民主主義と自由経済の勝利を宣言した1989年からわずか20年後、共産主義国家の中国が日本を抜いてGDP世界第2位に踊りでて、さらに、その20年後(2030年)にはアメリカを追い抜こうというのである。
 そうはさせまいというのがアメリカで、現在の五極体制は、米中二極の覇権争いの下で展開されているのである。
 ロシアも、ソ連崩壊後の混迷を脱して、軍事と資源を両輪に国家資本主義の路線をつきすすんでいる。
 2014年のウクライナ派兵(クリミア危機)の制裁で、ロシアは、G7の招待を取り消されたが、習近平は、その1か月後にひらかれた新興国首脳会議(BRICS/ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)にプーチンを招待している。
 このBRICSが国家資本主義を志向している国家群だが、イデオロギーや国家体制はそれぞれ異なっている。
 イデオロギーよりも安全保障や経済を重視したブロック化に安倍晋三首相が提案した「インド太平洋構想」がある。
 日本とアメリカ、オーストラリア、インドの4つの海洋国家が、インド洋と太平洋におけるシーラインをまもろうというのだが、中国の東シナ海、南シナ海への進出を抑止する狙いもある。
 尖閣の防衛や中東シーレーンの安全確保、さらに、「自由と繁栄の弧」という国家戦略の起点として、インド洋と太平洋は、日本にとっても、きわめて重要である。
 トランプ大統領も、2017年の東アジア訪問で、中国の一方的な海洋進出や「一帯一路」念頭に、安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋」が新たなアジア太平洋戦略となったという認識をしめした。

 アメリカのペンス副大統領が、中国の途上国にたいする「債務漬け外交」をきびしく批判したのは、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」構想と、国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」にたいする警戒感からだった。
 習近平が「人類運命共同体」と称する一帯一路は、実利をとおして途上国をとりこむ戦略で、巨額融資の代償が開発物権の譲渡(永久貸与)という、高利貸しさながらのやり方だった。
 スリランカのハンバントタ港は、2010年、中国から約13億ドル(約1421億円)の融資をうけて、建設がはじまったが、年6・3%という金利の返済ができず、株式の80%を中国国営企業に譲渡(99年間貸与)せざるをえなかった。
 中国のグワーダル港(パキスタン)開発や「中パ経済回廊」の建設に脅威をかんじていたインドにとって、日米の「インド太平洋構想」は歓迎すべきことで、モディ首相は、これを外交戦略トップ(「アクト・イースト」)に掲げた。
 AIIBがうごきだす以前、世銀や日・米が主導権をもつアジア開発銀行がアジア諸国へ融資をおこなっていたが、そのポリシーに、人道・道義的考慮のほか、相互依存、環境の保全、自助努力の四つの理念(「ODA大綱」)が立てられた。
 安倍首相も、習主席から「一帯一路」とAIIBへの協力をもとめられた際、条件として、この四つの理念を挙げている。
 戦後賠償からはじまった日本のODAは、60〜70年代に拡大、80〜90年代には、供与額世界1位となった。
 日本政府は、ODAを国際貢献の柱の1つとして、タイドローンのほとんどをアンタイドローンにきりかえて、アジア経済に貢献してきた。
 アジアの日本にたいする信頼の根拠は、そこにあって、中国の侵略的援助とはまったく異質である。
 相互発展をめざす日本経済は、マレーシアのマハテヒール首相が「ルック・イースト」といったように、アジア経済のモデルで、近くに日本がいたらわれわれも、中国や韓国のように経済成長できたはずとのべる指導者もいる。
 中国の所得倍増計画(2012年/胡錦濤)は、池田勇人首相の所得倍増論の焼き直しで、高度経済成長もバブル処理(失敗例)も日本から学んだものである。
 習近平は、「旧ソ連の崩壊後、中国崩壊論が絶えたことはない。だが、中国は崩壊しないどころか、人民の生活水準は高まるばかりではないか」と豪語する。
 中国経済がバブルをのりこえてのびてきたのは、単純な話で、債務を国家が買い取ってしまうからで、これは、最近、話題になっている現代貨幣理論(MMT)につうじる。
 次回は、日本経済の共栄という本質、MMTと実体経済の関連についてのべよう。

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2019年11月05日

米・中の新時代と日本の役割B

 ●日本主義にもとづくグランドプラン
 米・中の新時代――といっても、米・中が手を取り合って新しい時代を切り拓いてゆくという話ではない。
 世界覇権の話で、近い将来、中国がアメリカを超えて世界一ゆたかでつよい国になるか、それとも、アメリカが、中国をおさえて、超大国の地位をまもることができるか、という未来展望である。
 米中の貿易戦争は、その一つのあらわれである。
 アメリカにとって、貿易の不均衡も、はねかえしておかねばならない中国の圧力なのである。
 といっても、中国の現在の経済発展をささえてきたのはアメリカと日本だった。
 とりわけ、アメリカは、ニクソン・キッシンジャーが訪中して、中国を資本主義の国際舞台へ迎えいれている。
 日本も「日中平和友好条約」(1978年)をむすんで、改革解放をすすめるケ小平を日本へ招いて、経済・貿易・技術における官民一体の協力を惜しんでいない。
 ニクソン・ショックには2つあって、一つは、ニクソン・キッシンジャーによる米中の接近(1971年7月発表/1972年2月訪中)である。
 そして、もう一つは、ドル・ショック(1771年8月)だった。
 ドル・ショックは、金とドルの交換停止で、これによって戦後の世界経済を支えてきたブレトンウッズ体制が崩壊した。
 ブレトンウッズ体制は、ドルを金とならぶ国際通貨とする金・ドル本位制のことで、国際通貨基金(IMF)や世界銀行、WTO(世界貿易機関)やGATT(「関税と貿易に関する一般協定」)がこの体制の下にあった。
 ブレトンウッズ体制が崩壊して、変動相場制へ移るが、以後も、ドルが基軸通貨の地位をたもってきたのは、アメリカの国力が、それだけ、つよかったからである。
 中国は、強国アメリカの後押しによって、自由主義経済の世界舞台へデビューしたわけで、ニクソン・キッシンジャーがはたした歴史的役割はじつに大きなものだった。
 それにしても、ニクソンは、中国が、半世紀後、アメリカをおびやかすほどの経済大国になっているとは想像もしなかったろう。
 ニクソンは、晩年、「われわれは(中国という)フランケンシュタインをつくってしまったかもしれない」と漏らしたが、中国を熱愛する95歳のキッシンジャーは、かくしゃくとしたもので、今年また、習近平と会って、米中摩擦の解消にとりくんでいる。
 キッシンジャーが日本を嫌ったのは、ナチスと組んでアメリカに歯向かったからで、かれは、大戦中、アメリカに帰化したドイツ系ユダヤ人だった。
 キッシンジャーは、1971年の周恩来首相との会談で、有名な「瓶の蓋」論を展開している。
「アメリカが日本から撤退すれば、日本は、核装備をすすめるでしょう。日本が軍事大国になったとき、中国とアメリカの伝統的な関係(第二次大戦時の同盟関係)が復活します」
 2008年、NHK出身の外交評論家日高義樹の「ワシントン・レポート」(テレビ東京)に登場したキッシンジャーは「日本はどういう進路をえらぶべきでしょう?」ともみ手でたずねた日高に「そんなことはじぶんで考えろ」と突き放している。
 日米関係にかぎらず、外交は、友情や運命共同体意識などの感情論にのっているわけではない。
 だが、日本では、親米や反米、親中や反中、親韓と嫌韓と、外交を感情論で論じる風潮で、冷静な外交議論がなりたたない。

 本稿のタイトルは、米・中の新時代と日本の役割と銘打ったが、外国の要人に、国家の外交について教えを請うような情けないことでは、日本は、外交上のどんな使命も責務もはたせそうにない。
 イデオロギーの時代が終わって、現代は、国家と国家が資本主義のありようをめぐって摩擦をひきおこし、対立し、争う時代となった。
 資本主義の構造や価値観、成熟度が問われているのである、
 日本では、15世紀半ばの楽市・楽座の時代から、商道のほか、技術立国の礎となる職人文化や衣食住の大衆化がゆきわたって、17世紀には「米相場(米の先物相場)」がはじまっている。
 ある意味で、日本は、資本主義発祥の国といえるのである。
 ヨーロッパには、産業革命がおこった18世紀後半まで、資本主義といえるような経済形態は存在せず、9歳以下の労働の禁止と16歳以下の労働時間を12時間に制限した工場法ができたのが1819年である。
 アメリカ経済が発展したのは、第一次世界大戦後、疲憊したヨーロッパから資金や技術、人材が流入してきた以後で、1920年代のアメリカは、軍需にもとづく重工業や自動車産業の振興、輸出増加などによって「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況のなかにあった。
 そして、おきたのが、株式市場の大暴落を契機としておこった1929年の大恐慌だった。
 オートメーションによる大量生産と労働者の大量解雇が、生産と消費の両面からなりたっている資本主義の構造を破壊したのである。
 これは、株主の利益だけを追求した新自由主義が、経済を縮小させて、格差社会をつくりだしたのと同じメカニズムである。
 ブッシュ大統領から新自由主義を吹きこまれた小泉純一郎は、格差社会への批判に「人生いろいろ」といってのけたものだが、日本の資本主義を破壊したのは、かつて、その小泉の右腕だった竹中平蔵である。
 竹中は、郵政民営化にからめて、資本主義の本質は、企業が利益をだすことと応えている。
 士農工商が支えた江戸の資本主義は、生産と消費、雇用や文化が一体となった社会制度で、金主(資本家)だけが儲かればよいという薄っぺらなものではなかった。
 日本が、米・中の新時代のなかで、プレゼンスを発揮してゆくには、江戸の資本主義から、明治のアジア主義(玄洋社・黒龍会)、大正の民族平等(パリ講和会議)、昭和の共存共栄(大東亜会議)に至る日本固有の思想を立てなければならない。
 ところが、日本では、明治維新の近代化と戦後のアメリカ化によって、国際派がハバを利かせるようになって、マスコミや論壇などから日本固有の思想や価値観が否定され、排除されてきた。
 国際派の筆頭がマルキストで、つぎが、前回、列挙した左翼インテリ女性に代表される反日グループである。
 反日は、自国を足蹴にして、西洋に憧れる性癖の持ち主で、反日派が世論をリードすると、国際社会で、指導的な役割をはたすどころか、自虐史観や日本悪玉論の前に沈没してしまいかねない。
 次回は、反日を排除して、日本主義にもとづくグランドプランをどう立てるか考えていこう。
posted by office YM at 02:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする