2020年04月27日

憲法の不備と「40万人死亡説」の恐怖A

 ●点≠フ攻撃(クラスター殲滅)と面≠フ防御(ステイホーム)
「新型コロナウイルスの感染拡大に収束の兆しが見えない」「安倍首相の対策は後手に回ってばかり」「韓国や台湾の成功に学ぶべき」という意見がマスコミにあふれ返っている。
 タレント岡江久美子のコロナ死はPCR検査をサボってきた政府の責任(舛添要一や坂上忍ら)という無知なのか悪意なのか見当がつきかねる文言も目にとびこんでくる。
 今回のコロナ禍ほど、マスコミぐるみの誤認や曲解、デマや策動が氾濫した事件は、戦後、例がない。
 インフルエンザは、人類が被った最大のウイルス災害で、20世紀に入ってからも、死者4000万人のスペイン風邪(1918年)や死者200万人のアジア風邪(1957年)、死者100万人の香港風邪(1968年)と三度にわたって、パンデミック(伝染病の世界的な大流行)に見舞われた。
 インフルエンザで亡くなったひとは、昨年(2019年)だけで3000人(合併症死1万人/感染者数1千万人)をこえ、全世界では、毎年20〜50万人(合併症死100万人/感染者数14億〜21億人)が亡くなっている。
 インフルエンザウイルスの撲滅が不可能なのは、人間以外の鳥や獣を宿主にしているときは、無害だからで、宿主とはなんのトラブルもおこさず共存している。
 ところが、人間に感染するときは、悪魔のウイルスへ突然変異して、今度はヒトからヒトへ、猛烈なスペードで伝染してゆく。
 そして、人類の抗体などとの兼ね合いによって、沈静化、潜伏化する。
 それが、A型やB型、C型、トリ、ウマ、ブタ、SARS型などのインフルエンザである。
 新型コロナウイルスは、その新手だが、日本人は、新型コロナウイルス病という別の伝染病であるかのようにカン違いしている。
 新型コロナウイルスが並みのインフルエンザウイルスとちがうのは、致死率が5倍〜10倍も高く、とりわけ、抵抗力の弱い罹患者にたいして、致命的なダメージをあたえるところにある。
 ところが、日本のコロナ死亡率は、前回のブログでのべたように、欧米とは比較にならないほど低い。
 マスコミは「感染拡大に収束の兆しが見えない」と煽りたてるが、アメリカでは死者数が5万人(4月25日)をこえ、1日に数千人が亡くなる地獄図である。

 罹患者数は、世界合計277万人(4月25日)で、アメリカの90万人を筆頭に欧米諸国が軒並み20万人前後というすさまじさである。
 日本の罹患者数は、一万3千人で、イギリス(15・5万人)の10分の1以下である。
 かつて、イギリスと日本は、罹患者数や死者数とも、大きなちがいはなかった。
 ところが、現在、イギリスの罹患者数が桁違いにふえて、死者数にいたっては、日本(335人)の60倍の2万人に到達しようとしている。
 日本は、世界のなかでも、コロナ封じに信じ難いほどの成功を収めてきたのである。
 それでも、マスコミは、「安倍首相の対策は後手に回ってばかり」と詰る。
 日本の戦略は、二段構えで、「クラスター(患者の小規模集団)」を殲滅する点≠フ攻撃と、国民が一人ひとり自己防衛する面≠フ防御が組み合わされている。
 クラスターという点を集中的に攻撃したのちに、拡散したウイルスの伝染を「三密(密集・密閉・密接)回避」と「ステイホーム(外出自粛)」で防ごうというのである。
 マスコミは、この戦略を国民に周知徹底させるどころか、牙をむいた。
 感染経路不明が多いのは、日本政府が、無為無策だからというのである。
 インフルエンザの感染経路は、99%わからないのが世界的常識で、日本がこれをある程度、把握していたのは、クラスター潰しという戦略をとってきたからである。
 いずれ、感染経路が不明になるのは、織り込み済みで、それが、点から面へ戦略を転換するタイミングだった。
 だが、マスコミや識者は「ブレる安倍政権」とけちをつけ、爆笑問題の太田などは「『3密』が『ステイホーム』になった根拠が薄い」と政府や西浦教授らの対策班の懇願を愚弄する。
 太田のいうとおりと、大勢の日本人が外出規制を無視して、コロナ死がでた場合、太田は、どんな責任のとりかたができるというのか。

 日本人の誤解の最たるものが、PCR検査である。
 日本人は、PCR検査を、コロナウイルスの有無を調べるリトマス試験紙のように考えているが、実際は、細菌のDNAを増幅させる高度な技術で、電子顕微鏡でも見ることのできないクラミジアやウイルスなどの有無を調べる。
 コロナウイルスを高い確率で発見できるが、PCR検査でコロナウイルスを発見したところで、パンデミック防衛にはむすびつかない。
 コロナウイルスの陽性者のうち、発症するのは2割、重症化するのは、さらにその2割、酸素吸入機や人工肺(ECMO)が必要になるのは、さらにその二割で、その段階になれば、コロナウイルスの有無を調べても意味がない。
 コロナウイルスによる死亡例の多くは肺炎で、肺炎には、胸部CTで肺炎を確認後、アビガン(富士フイルム富山化学)などの有効薬で肺炎の進行を止める方法など、さまざまな治療法や新薬が開発中だが、必要なのは、検査ではなく、治療である。
 コロナウイルスには特効薬もワクチンもないので、無差別的にPCR検査をおこなえば、医療機関に陽性者が殺到して、パンデミックと医療崩壊が同時に発生することになる。
 それが、実際におきたのが、イタリアやアメリカ、イギリス、スペインなどで、クラスター潰しという点の戦略≠立てられなかった国は、無差別的なPCR検査という面の戦略≠とらざるをえなかったのである。
 ちなみに、PCR検査国は、3月段階で韓国がトップだったが、4月からはアメリカが断トツの1位で、韓国は5位におちて、欧州勢と並んでいる。
 韓国や台湾がコロナ封じに成功したのは、PCR検査をおこなったからではなく、徴兵令(台湾2019年から志願制)と国民背番号制(韓国「住民登録番号」/台湾「国民識別番号」)を土台にIT(情報技術)やAI(人工頭脳)を使って、短時間で、挙国体制を構築したからである。
 コロナ禍という国難に際して、政府を攻撃して点数を稼ごうという輩が続々とでてきたのは日本とは大違いなのである。
 パソコンを使ったことがないITの素人(桜田義孝五輪担当大臣)がサイバーセキュリティ戦略を担当する日本と、中国と並ぶAI先進国の韓国や「天才プログラマー」として知られるITの専門家の唐鳳が行政院のデジタル部門を仕切る台湾では、とうてい、勝負にならないのである。
 なぜ、日本は、こうも愚かな国になってしまったのか。
 次回は、新型コロナ対策特別措置法や「緊急事態宣言」に反対声明をだした「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」を俎上にのせよう。

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2020年04月19日

憲法の不備と「40万人死亡説」の恐怖@

 ●マスコミ労組(MIC)の策動にのってパンデミックへ
 緊急事態宣言で要請した「外出自粛」がまもられなかった場合、重篤なコロナ患者80万人の半数40万人が死亡すると警告したのは、厚生労働省のクラスター(感染者の集団)対策班である。
 その一方、同対策班の西浦博(北大教授)は、緊急事態宣言期間(5月6日まで)対人接触を「最低7割、極力8割減らす」ことができれば、約1か月で新型コロナウイルスの流行を抑えこめるとも指摘した。
 厚生労働省の対策班を率いているのは、押谷仁東北大学教授や西浦博教授らWHOのSARS封じ込め作戦の最前線で陣頭指揮を執った第1人者で、世界的に知られた免疫学(「数理モデルを利用した感染症データの分析」)の権威である。
 日本がメガクラスター(大規模クラスター)の発生を食い止めることにおおむね成功して、疾病者・死者とも、欧米の1パーセント以下におさえることができているのは、厚労省クラスター対策班の功績といえる。
 それだけに、先の西浦教授の警告には、千鈞の重みがある。
 新型コロナウイルスの被害状況(4/15現在)
 世界の感染者=2百万人超/死者=12万人超(死亡率6パーセント)
 日本の感染者=8640人/死者=176人(死亡率2パーセント)
 感染者は世界比で、0、42パーセント、死者は0、15パーセントである。
 人口10万人当たりの死亡者数(4/2日現在)
 イタリア22人/スペイン23人/米国1・5人/韓国0・4人
 これにたいして、日本は、わずか0・05人である。
 日本の数字が低いのは「PCR検査の数が制限されているから」「公表の百倍の感染者が野放しになっている」(前川喜平元文部科学事務次官)」という説も根強いが、それなら、死者数がもっとふえるはずである。
 自宅で死亡した数に紛れていると主張するひともいるが、検死制度が万全で自宅の病死についても十分なチェックがおこなわれている日本では、不審死が刑事事件の対象になるばかりか、火葬許可もおりない。
 コロナ死が隠れているのは、葬儀場がパンクして、死体をフォークリフトで冷凍倉庫へ運びこんでいる欧米で、伝染をおそれて十分な検死もおこなわれていない。

 新型コロナウイルス禍は、第二次大戦に匹敵する大災難で、欧米には、人類存亡の危機をいいだす学者までいる。
 西浦教授が「自粛すれば、切り抜けられる可能性が高いので、皆さんの力が必要です。お願いします。助けてください」と悲痛に訴えたは、この危機感を欧米と共有しているからである。
 安倍首相の「緊急事態宣言」も対策班の意向によるもので、緊急会見(4月17日)で、「どうか外出を控えてください」と切々とうったえた。
 映像を流すネットのコメント欄には「涙が滲んできた。いままで、頑張ってきてよかった。大変な国難をのりこえる舵取りがかんたんではないことは存じておりますが、なお正しい方向へわれわれを導いてください!」など好意的な書き込みが延々とつづいた。
 一般ユーザーが書き込むコメント欄には、左翼反日の以外、テレビで爆発する安倍批判≠ェほとんどみられない。
 それが、組合や政党などの影響をうけないネット世論の一大特長である。
 インテリ左翼がネットウヨ≠ニ罵る一般庶民はかくも健全なのである。
 一方、テレビは、タレントぐるみで、アンチ安倍のオンパレードである。
 コロナ禍に乗じて、東国原英夫(元宮崎県知事)や舛添要一(元東京都知事)が点数稼ぎに安倍政権を叩けば、布マスク配布に立川談四楼が安倍首相を「ブン殴ってやりたい」と息巻き、女装タレントのマツコは「だれが考えているの」とせせらわらう。
 そして、マスコミは、マスクは小さすぎて不良品と一斉に騒ぎたてる。
 一律10万円の給付にたいしても、フジテレビ・バイキングMCの坂上忍が政治不信の講釈を垂れると人気タレントの土田晃之は「遅ぇーよ!」と粗暴に安倍批判である。
 コメント欄には「野党やテレビ、マスコミの安倍憎しの感情論にはほとほと疲れる」「いらないのなら医療現場に寄付して下さい。私の周りに文句を言っている人はいません」「庶民の何百倍の収入をえている人気タレントにはハシタ金でも、庶民にはありがたい10万円です」などの反発が数百から数千の単位で書きこまれている。

 マスコミが反安倍一色なのは、安倍が改憲論者だからである。
 日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)は、護憲(「集会の自由」「報道の自由」「表現の自由」「国民・市民の知る権利」)の牙城である。
 今回の「緊急事態宣言」の法的根拠となった新型コロナ対策特別措置法にも堂々と反対の声明を掲げている。
 安倍首相が憲法を改正して、憲法停止や基本的人権の留保を可能にする「国家緊急権」が設けられると、MICにとって、死刑宣告にひとしい。
 タレントもそのあたりの空気を読んで、反安倍・護憲の発言をくりだす。
 マスコミはMIC(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)という左翼組合の影響下におかれているのである。
 韓国が新型コロナウイルスの制圧にほぼ成功したのは、大統領権限が「国家緊急権」に匹敵する強力なものだったからである。
 PCR検査のローラー作戦や隔離病棟の確保、日本のマイナンバーカードにあたる住民登録番号をAI(人工知能)で管理する全体主義的手法が奏功したのである。
 日本で、小池東京都知事が「ロックダウン(都市封鎖)」を口にして、すぐにひっこめたのは、憲法に国家緊急権が規定されていないからで、違憲どころか無憲になるので、国も都も、ひたすら、国民におねがいするしかない。
 そこで、マスコミが打ちだしたのが、自粛してやるから補償しろという休業補償の論理である。
 休業補償などをおこなっている国などどこにもないが、マスコミは、人命を軽んじて、経済を大事にする安倍政権、ケチな安倍首相というキャンペーンを張って、モリカケサクラ(「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」)問題で検察が安倍首相をマークしているかのような印象操作をおこなっている。
 その結果、安倍政権の支持率が急落した。
 コロナ禍に見舞われている世界で、政権支持率が下がったのは、「どうせいつかは死ぬ」「コロナはちょっとした風邪」とコロナ対策を拒否しているボルソラノ大統領のブラジルと、目下、奇跡的な成功をおさめつつある安倍首相の日本の両国だけである。
 支持率を上げている国を上昇率順に示すと――
 @デンマークのフレデリクセン首相(上昇率40%/支持率79%)
 Aオランダのルッテ首相 (上昇率30%/支持率75%)
 Bイタリアのコンテ首相(上昇率27%/支持率71%)
 Cイギリスのジョンソン首相(上昇率22%/支持率55%)
 Dオーストラリアのモリソン首相(上昇率18%/支持率59%)
 E韓国の文在寅大統領(上昇率17%/支持率56%)
 Fフランスのマクロン大統領(上昇率15%/支持率51%)
 Gドイツのメルケル首相(上昇率11%/支持率79%)
 Hアメリカのトランプ大統領(上昇率5%/支持率49%)
 ✔ブラジルのボルソナル大統領(下降率2%/支持率33%)
 ✔日本の安倍晋三首相(下降率4%/支持率39%)
 コロナ防衛に失敗したイタリア、フランス、イギリス、アメリカの指導者の支持率が上がっているのは、危機に際して、国民は、国旗の下に団結する心理がはたらくからである。
 一方、日本では、オフィス街の人出は、5〜6割減と目標の8割減を大きく割って、欧米がたどったパンデミック(感染爆発)の危険が高まってきた。
 世界中の国家と国民が結束するなか、日本だけが、国家的な求心力を失って漂流しはじめた。
 ビートたけしと橋下徹が、政府のコロナ対策を批判して「国会議員の歳費を減らせ。腹が立つ」と怒りぶちまけて、多くの視聴者の共感をえたが、政府の外出自粛要請はまもられず、パンデミックの恐怖はひたひたと迫っている。
 世界が命をまもるたたかいに血眼になっているなか、日本だけが、コロナそっちのけで、政府批判に夢中になっている。
 危機意識は、いったい、どこへいってしまったのか。
 日本は、マスコミの策動にのって、こうして、国家解体にむかうのである。
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2020年04月12日

右翼とはなにか、左翼とはなにかC

 ●一元論の罠に落ちた日本人
 個と全体は矛盾する。
 国権と人権、国家理性と国民感情、国家と国民の利害も、一致しない。
 そもそも、共同体の国と単体の個人は、折り合いがよくないのである。
 ゴミ処理場をつくれといいながら、近隣につくるのは絶対反対という。
 政治問題とは、結局、社会全体に噴き出した個と全体の矛盾だったのである。
 したがって、政治は、二元論に立って、個と全体、国民と国家双方の利害を調整する手法や哲学でなければならない。
 大昔から、個と全体の矛盾を解消しようと、人類は、苦労を重ねてきた。
 だが、絶対王政も共和制も、独裁も共産主義もうまくいかなかった。
 アナーキズム(無政府主義)もユートピア思想も実現しなかった。
 自由や平等、人権は、国家が請け負うもので、ジャングルで、一人、自由や平等、人権を叫んでも、飢えて死ぬか、獣に食われるだけである。
 だが、日本国憲法には、自由や平等、人権が、天からあたえられたかのように書いてある。
 護憲派は夢でもみているようなユートピアン(平和バカ)だったのである。
 大戦後、大統領制(米)と共産主義(ソ)、議会民主主義(英・仏)が正義となった。
 しかし、冷戦後、ソ連邦と東欧共産圏が体制崩壊をおこした。
 そして、現在、奇跡的にも、伝統国家の日本が復活して、民主主義国家と肩を並べている。
 日本の君民一体が、民主主義以上にすぐれた体制だったからである。
 第二次世界大戦は、全体主義と民主主義の戦争だったといわれる。
 けれども、戦争になれば、民主主義国家も全体主義へと変貌する。
 個人主義に立った自由や平等、人権は、民主主義といわれる。
 その一方、全体主義の人民独裁や共産主義も、民主主義である。
 独裁者が、民主主義(国民主権)をあずかるのが人民独裁で、中国は中華人民共和国、北朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国を名乗っている。
 民主主義というのは、個と全体、全体主義と個人主義、弱者と強者を二股にかけたヌエのような存在なのである。

 国民主権を謳った憲法の第1条に「天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意にもとづく」とあって、憲法の民主主義の精神が、一転して、全体主義になっている。
 それが、民主主義の正体で、ヒトラーもスターリンも、多数派原理を最大限に利用した。
 日本人は、民主主義が人類最高の英知であるかのようにいうが、文化も哲学もないただの多数決で、いつ全体主義に変容するか、わかったものではない。
 大事なのは、民主主義ではなく、個と全体を調整する二元論のほうである。
 民主主義が最終的に勝利した(フランシス・フクヤマ「 歴史の終わり」)のは、まがりなりにも、民主主義が個(国民)と全体(国家)の両方へ目配りができていたからである。
 だが、日本の民主主義崇拝者は、個と全体のうち個のほうだけしか見ない。
 そして、全体である国家や政府を否定、攻撃して、民主主義の擁護者のような顔をしている。
 民主主義が、個と全体の両方を見据えていることを忘れているのである。
 民主主義が「個と全体の二元論」と喝破したのが政治学の藤原弘達だった。
 ちなみに、藤原先生には、わたしが主催した国民討論会などをとおしてご指導をいただき、それがのちに自著(「池田創価学会の政権掠奪を斬る」(日新報道)に反映された。
(ブログ/悲天/わが青春譜Fに詳細)

 わが国の政治、とりわけ野党政治がいつまでも成熟しないのは、民主主義の幻想にとりつかれているからで、60年安保は「民主主義をまもれ」「岸を倒せ」そして、今世紀最大の国難「新型コロナウイルス禍」でも、挙国一致体制どころか、野党からマスコミ、論者まで、政府批判に血眼になっている。
 安倍政権は、108兆円の緊急経済対策予算と1世帯あたり30万円の現金給付などを盛り込んだ緊急国民救済策を打ち出した。
 それが、国家の仕事で、全体を見据えて、マクロ的な政策をうちだす。
 これにたいして舛添要一(元東京都知事)や東国原英夫(元宮崎県知事)らTVタレント化している元政治家や論客顔のキャスターや芸能人が口を極めて政府を罵倒する。
「庶民の気持ちが分かっていない」というのだが、これみよがしに政府攻撃をくりひろげ、庶民の不安を煽って、じぶんの人気を上げようという魂胆がみえみえである。
 コロナ禍を心配するなら、医療崩壊が一番の懸念材料だが、TV出演者らは「PCR検査をサボっている日本は世界の恥」などと言い募り、調査と称して官費で「出会い系バー」に入り浸っていた前川喜平前文科次官(加計学園問題を巡る「総理のご意向文書」)などは「実際は公表の100倍」といいふらしている。
 PCR検査をむやみにおこなうと、8割以上が自然治癒するコロナウイルスの患者が病院に殺到して、重症患者を選別的に治療している現在の医療体制が崩壊して、イタリアの二の舞になる。
 だが、かれらは、個を見て全体をみないので、そんなこと意に介さない。
 個や国民の側から全体や国家の側を見れば、不条理の塊のようにみえる。
 それが、一元論で、万人が完全な自由や平等をもとめると、アナーキズム(無政府主義)となって、社会は、崩壊する。
 日本人は、民主主義だから公正というが、民主主義も、勝者が一つで、他はすべて切り捨てられる一元論である。
 左翼やマスコミ人は、いざしらず、大方の日本人は、個と全体、国民と国家の両方へ目配りができる善良な二元論、多元論者である。
 それが、歴史や伝統、文化や良識をたずさえた伝統国家の民族性である。
 一方的な立場から、不平や不満、怒りを煽って、点数稼ぎをするマスコミ文化人の尻馬にのって、日本を滅ぼしてはならない。
 次回から「新型コロナウイルス禍」にどうたちむかってゆくか論じよう。


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2020年04月04日

右翼とはなにか、左翼とはなにかB

 ●「君民一体」は大御心と大御宝
 保守系とりわけ右翼は、天皇制ということばをきらう。
 日本共産党がいいだしたことばだからというより、天皇は、制度ではないからである。
 天安門広場に肖像が掲げられている毛沢東を、だれも、制度と思わない。
 毛沢東は、カリスマ的偶像で、国家は、法を超えた神話や精神性、統治者と民をむすびつけるおとぎ話を必要とするのである。
 国家も、物心(心身)二元論で、身体と精神からできている。
 身体が、領土や経済力、軍事力なら、精神が歴史や言語、文化である。
 前者が権力にもとづく政体で、後者が権威にもとづく国体である。
 これが権力と権威の二元論で、伝統国家は、政体と国体の両方をもっている。
 日本共産党が天皇制ということばを使うのは、革命国家には、文化としての国体がなく、あるのは、制度としての政体だけだからである。
 制度は、法や習俗、規範などにもとづいてつくられた仕組みで、政体である。
 具体的には、律令制度や封建制度などをさすが、そのなかに民主主義や議会制度もふくまれる。
 民主主義も議会主義も、政体の一部で、政治機能にすぎなかったのである。
 日本人は、民主主義に文化的価値をみようとするが、民主主義も議会主義も多数決の原理でしかない。
 ちなみに、共産主義も多数派独裁で、多数派の代表が独裁者となる。
 共産主義と議会主義の中間が大統領制で、トランプも独裁者である。
 政体は、相対的で、日本でも、律令制度から摂政、院政、幕府、そして政府へと移りかわってきた。
 だが、国体は、絶対的で、歴史や伝統や文化、民族は永遠である。
 国家は、永遠でなければならないがゆえに、国体=天皇を必要とするのである。
 天皇は、国体の象徴で、政体を掌握する権力に正統性をさずける権威である。
 ここでいう天皇は、個人ではなく、皇祖皇宗の大御心で、この地位は、神武以来、万世一系のもとで、2000年以上、延々とひきつがれてきた。
 国民は大御心を敬い、天皇は、国民を大御宝として大事にした。
 大御心と大御宝の組み合わせが「君民一体」である。
 民主主義は、多数決以外のなにものでもないが、君民一体は、ルソーが社会契約論で、望むべくもない最高の政治形態(君民共治)とのべたとおり、歴史の叡智をそなえている。

 明治政府は、天皇を国家元首に仕立てて、権力の側にひきこんだ。
 そして、現人神と吹聴して、軍部独裁政権をうちたてた。
 だが、日本人は、天皇が現人神などと思っていなかった。
 したがって、戦後、天皇が人間宣言≠ウれても、すこしも驚かなかった。
 日本人が信じたのは、現人神ではなく、国体神話であって、天皇は、国体という文化構造が擬人化された、歴史と国体の存在なのである。
 戦後、天皇は、憲法上の存在となって、上皇や今上天皇、秋篠宮殿下もそのようにお考えのようだが、憲法は、政体上の法規で、刑法や民法、交通法などの上位法にすぎない。
 明治憲法は131年前。皇室の存続が念頭になかったGHQ憲法にいたっては、わずか74年前につくられたもので、これらの法規が、皇紀2680年の天皇を規定すると思うほうがどうかしている。
 現行憲法第99条(天皇・摂政・公務員の憲法尊重擁護義務)では、天皇も憲法に従うべしとあるが、これは、GHQの支配体制を恒久化するための置き土産で、憲法が占領政策の道具に使われているのである。
 国連の常任理事国の米・英・ロ・仏・中の5か国など、市民革命を体験した先進諸国は、国家が丸ごと制度で、それが、国体を否定して、民主主義や共産主義を立てた近代国家である。
 近代国家といっても、近代的な国家という意味ではない。
 啓蒙主義・近代主義にもとづいて、伝統的秩序や価値観を捨てて、人工的につくった国家で、民主主義国家も共産主義国家も、大統領制国家も共和制国家も同じ穴のムジナである。
 自由や平等、民主主義などの啓蒙主義・近代主義は、一神教にもとづく一元論である。
 正しいのは自分だけという一元論は、共存も自他共栄もなく、永遠に闘争をくり返して、最後には、自分さえも滅びてゆく。
 革命からうまれた民主主義は、絶対的なものをすべて否定するからである。
 小泉純一郎内閣の「皇室典範に関する有識者会議」が万世一系を否定したのは、メンバーが民主主義の信奉者だったからである。
 ヨーロッパの右翼は、権力内の存在で、選挙に出て、当選する者もいる。
 日本の右翼がヨーロッパの右翼のように権力の側にあったら、天皇が憲法に規定される地位に貶められても、異議を立てることはできない。
 右翼が異義を立てることができるのは、権力の外側にいるからである。
 権力の外側にあるのは、権威=国体で、歴史や伝統、文化である。
 日本の右翼が、権力=政体に反逆するのは、天皇が権威たることをもとめる国体の防人だからである。
 三島由紀夫は、自衛隊市ヶ谷のバルコニーで、自衛隊員にこう叫んだ。
「自衛隊は、国軍を否定する憲法をまもる軍隊になり下がったのだ。どうしてその誤りに気がつかないのだ」
 そして、天皇陛下万歳を三唱して、割腹自決した。
 三島がまもろうとしたのは、制度(政体)ではなく、文化(国体)だった。
 日本がいかに伝統をまもってきたか、次回は、その歴史を振り返ってみよう。

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