2020年05月27日

国益は正義である――という大原則A

 ●日本スタンダードをもたない悲劇
 欧米で、新型コロナウイルスの感染者、死亡者が爆発的にふえはじめた3月以降、マスコミは、テレビのキャスターやタレント、評論家や医事関係者らを総動員して、日本がコロナ防衛に失敗したのは「PCR検査」をサボってきた安倍首相の責任というキャンペーンを張った。
 新聞社や放送局、出版社を傘下におく日本マスコミ労組(MIC)の意向がはたらいたのはいうまでもない。
 MICは、「緊急事態宣言」の法的根拠となった新型コロナ対策特別措置法に反対声明をだした団体で、政府のコロナ対策に、真っ向から反対している。
 そればかりか、改憲論者である安倍首相を最大の天敵としている。
 マスコミ人が、一斉にPCR神話と反安倍に走ったのは、この空気を読んでのことであろう。
 わたしは、このブログで、3月段階から、押谷仁東北大学教授や西浦博北大教授らの「二段構え」戦略を評価、国民的な理解をもとめてきた。
 二段構えというのは、クラスター(患者の小規模集団)という点≠攻撃したのちに、拡散したコロナウイルスを「三密(密集・密閉・密接)回避」と「ステイホーム(外出自粛)」という面≠ゥら防ごうという挟み撃ちの作戦である。
 日本がコロナ防衛に成功した理由は、CTスキャンとマスクである。
 日本のCT普及率は2位グループの欧米を引き離して第1位である。
 新型コロナウイルスの死因は肺炎で、日本は、初期段階でCTによる肺炎を診断、治療をおこない、コロナウイルスによる肺炎の死亡率を最小限におさえこむことに成功した。
 PCR検査は、あくまで、副次的な手段で、厚労省は、はじめから、すべてのひとにPCR検査をすることは不可能で、有効ではないと宣言している。
 ところが、CTの普及率が日本の数分の1の欧米では、PCR検査を優先させて、CT所見による感染者・重症者の発見を見逃してきた。
 PCR検査による感染者の発見は数百人に一人で、しかも、感染がわかっても治療法や特効薬がなかった。
 PCR検査は、感染者を強制隔離するための手段でしかない。
 その反面、感染能力のある30%の偽陰性が放置されるので、これがパンディミックをひきおこす原因の一つとなった。
 しかも、PCR検査の実施率は、人口比1〜数%とあって、これが、パンディミック防衛に役に立つはずなどなかった。
 もう一つの理由はマスクで、欧米人と日本人では、マスクにたいする感覚が異なる。
 欧米人にとって、マスクは防衛用で、ウイルスから身をまもるためである。
 そこから、布製の繊維では、微小なウイルスの侵入を防ぐことはできないというマスク無効論がでてくる。
 一方、日本人にとってマスクは、飛沫を他人にかけないという他人のためのもので、それが、めぐりめぐって、ウイルス感染者の飛沫からじぶんをまもる自己防衛につながる。
 それが日本のマスク文化で、マスクをしていれば、ソーシャルディスタンスなど必要がない。
 WHOテドロス事務局長をはじめ、欧米諸国も、日本の成功をみとめざるをえなくなったが、分析的な見解をいっさいしめさず「奇妙な成功」で片付けている。
 諸外国が日本にたいして、好意的でないのは、あたりまえの話である。
 競争心や嫉妬心、敵愾心がはたらくというよりも、もともと、自国のことに精一杯で、どこの国も、他国に関心などないのである。
 したがって、外国の基準や評価を自国にあてはめることは、危険きわまりないばかりか、卑屈な売国思想、愚かな属国根性につながる。
 他国の顔色をうかがうのは、朝鮮半島の事大主義と同様、恥ずべきふるまいなのである。
 ところが、今回のコロナ騒動では、日本人は、マスコミ論調にのって、わが国独自の方針や政策を頭ごなしに否定、CT保有率やマスクの習慣など、日本固有の事情、文化的な特殊性にふれることなく、他国がわが国をどう評価しているかという視点のみに立って、自国に批判を浴びせてきた。
 それが、欧米に比較して、PCR検査数が少ないので、コロナ対策が遅れているとやら、感染者数や死者数をごまかしているなどという邪推だった。
 おかげで、安倍内閣の支持率は、コロナ対策を拒否して、死者数が急増しているブラジルのボルソナロ大統領以下となった。

 情報の出所は、外国のメディアや通信社だが、発言者は、ハーバード大学やコロンビア大学などの日本人研究者や日本在住の有識者で、国際派といわれる連中である。
 国際派のきわめつきがマルクス主義で、これに準じるのが啓蒙主義である。
 自由や平等、権利や民主主義は、市民革命の産物で、そこに、表現の自由や言論の自由がくわわって、革命前夜の様相がかもしだされる。
 フランクフルト学派は、別名「批判理論」の呼称があって、体制を批判することによって新しい体制がうまれるという造反有理の理論である。
 今回のコロナ騒ぎで、明らかになったのは、日本人および日本政府の冷静さと、その日本イズムを否定するマスコミ労組(MIC)や外国崇拝の国際派との対立だった。
 この対立の構図から、コロナ騒動をこえて、日本に、さらなる大きな亀裂がつくりだされた。
 女子プロの木村花さんがSNS上の誹謗中傷に耐えられず自殺した。
 一方、自民党の甘利明衆院議員が、女系天皇をみとめる発言をした。
「言論の自由」がひとの命を奪い、「男女平等」が国体を崩壊させる。
 日本という国家が、左翼や啓蒙主義に侵食されて、崩壊寸前なのである。
 次回も、この2つのテーマをふまえながら、新型コロナウイルスとたたかう日本人のすがたをみていこう。
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2020年05月20日

国益は正義である@

 ●日本を蝕むアナキズムという猛毒ウイルス
 新型コロナウイルス感染症にともなう緊急事態宣言が5月14日、39県で解除された。
 東京など8都道府県はまだだが、新規感染者が減少に転じて、終息も徐々に見えてきた。
 14日の記者会見で、安倍首相は「わが国の感染者数や死亡者数は、G7や主要先進国と比較して圧倒的に少なくすんでいるとのべたが、これを好意的に報じたメディアは皆無だった。
 コロナ防衛に失敗したのは「PCR検査」をサボってきた安倍首相の責任と叫んできたメディア、テレビのキャスター、医療関係者、タレントらは標的を失って、こんどは、安倍首相がすすめてきた「検察庁法改正案反対」へ矛先を振ってきた。
 国難といって大騒ぎしたコロナのことはすっかり忘れたようで、安堵の声も医療関係者への感謝のメッセージも聞こえてこない。
 そして、こんどは、検察庁法改正案反対へ一斉に声をあげはじめた。
 コロナのどさくさにまぎれて悪法をとおそうとする安倍をゆるすなという大合唱である。
 爆笑問題の大田光は「タレントも税金払っているのだから政治に口出ししたっていいじゃねえか」とうそぶく。
 だが、ツイッターが900万件を超えてブーム現象となった検察庁法改正案反対は、検察庁への応援歌で、とうてい、政治参加などと呼べる代物ではない。
 検察庁は、行政で、これを管轄下におくのが国政である。
 明治の司法省以来、日本の検察は、起訴有罪率99・9%、アメリカの意向をうけて田中角栄を逮捕、有罪にするなど、これまで、司法を抱き込んでファッショ的な特権をふるってきた。
 検察庁を奉って、別格官幣社にしてしまっては、政治の放棄だろう。
 タレントらが検察を応援するのは、検察が、日本の最高権力だからである。
 立憲民主党も共産党も、首相を逮捕できる検察権力を風化させてならないと力説するが、検察は、偏差値エリートの特権階級で、民主主義や国民主権から切り離された権力の牙城である。
 一方、野党やマスコミ、タレントが目の敵にしている政治家は、われわれが選挙でえらんだわれわれの代表である。
 じぶんたちの代表を足蹴にして、官僚を崇拝するのは、共産党官僚の中国と青瓦台エリートの韓国、霞ヶ関行政の日本だけである。
 この3国には、科挙制度や律令体制の歴史があって、いまなお、学歴偏重の階級意識をひきずっている。
 テレビは、東大生というだけでスター扱いするが、その一方、日本の大学生は、不勉強で、IT(通信技術)やAI(人工頭脳)分野では、中・韓・台のはるか下位、香港やインドネシアにも負けて、パソコンにさわったこともない老人がIT担当大臣をつとめている。

 これらは、みな、根っこは同じで、国家観や歴史観、国益や独立性、発展をもとめる愛国心など、独立国家としての自尊心や気概、行動原理を欠いている。
 国家や国民が眼中にないという意味で、アナキズム(無政府主義)である。
 そして、歴史や伝統、文化の一切を否定する批判主義(フランクフルト学派)に立っている。
 かられは、建設すべき国家も否定すべき歴史ももたないので、左翼ですらない。
 なにも信じるものがなくなったとき、人間は、学歴や特権、外国の権威などにしがみつくものである。
 それが、学歴主義や官僚体制、マスコミ権力、国際主義で、国家への信頼や愛着、信念や自信がつゆほどもない。
 そして、その結果、くらげのような衆愚社会がつくりだされる。
 その一つが「外国は日本をどう思うか」という西洋コンプレックスである。
 韓国が支那に媚びる事大主義なら、日本は、西洋に媚びる属国根性である。
 西洋を模倣して、西洋の顔色をうかがい、西洋の価値観をもちこむ西洋崇拝は、うわべだけをてらう虚栄でしかない。
 虚栄の裏側には、かならず、嫉妬という対立概念がひそむ。
 嫉妬は、権力にたいするねたみやそねみで、西洋に媚びる売国奴が反政府にはしるのは、自国の権力者にやきもちをやいているのである。
 聖徳太子の17条憲法の14条に「群臣百寮、嫉妬有ること無かれ」とある。
 6世紀の大昔から、日本は、虚栄と嫉妬に悩まされていたのである。
 自国を否定して、西洋を崇拝する精神構造は、岩倉具視の西洋使節団からはじまって、大正デモクラシー、GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、自虐史観や反日主義にいたるまで、近代日本の一つの骨格になってきた。
 そして、それが「宮沢談話(近隣諸国条項)」や「河野談話(従軍慰安婦日本軍関与説)、「村山談話(大東亜戦争日本侵略説」)、南京大虐殺実在説、日韓併合侵略説にひきつがれた。
 騒いだのが、左翼と反日、国際派だった。
 今回のコロナ騒動も、土台にあったのは、自虐史観と日本悪玉論だった。
 次回は、このテーマを、さらに、掘り下げてゆこう。
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2020年05月08日

憲法の不備と「40万人死亡説」の恐怖C

 ●官僚・学者・マスコミはアナキストの群れ
 かつて、社会党は、労働者の政党で、賃上げ闘争では、しばしば、自民党が経営側と社会党の仲介に立った。
 ところが、社会党は、イデオロギー政党へ変貌して、やがて、消滅した。
 労働組合も、賃上げ闘争を放棄、労働団体から反権力のイデオロギー集団となって、一人当たりGDPが世界比26位に転落する一方、企業の内部留保が460兆円にまでふくれあがるという皮肉な現象を招いた。
 マスコミ労連(MIC)も、生活闘争から思想闘争へ転換した労組である。
 国民が新型コロナウイルスに苦しんでいるなか、人権や報道の自由をタテに「新型コロナ対策特別措置法」や「緊急事態宣言」に反対して、反政府キャンペーンを仕掛けるなど、労組の枠をこえた反国家運動を展開している。
 マスコミ労連という反国家集団が、情報・報道機関を仕切っているところに日本の危機の構造があるといってよい。
 マスコミは、口が腐っても、天敵の安倍政権がコロナ退治に成果をあげたといいたくない。
 それを象徴するのがTBS系「サンデー・ジャポン」(4月26日)における杉村・岸論争である。
「亡くなった方はアメリカ5万人、イタリア、スペイン、イギリス、フランスは2万人を超えている。医療従事者の献身のおかげで、日本は、300人台におさえられている。その意味で、日本は(欧米に)勝っている」
とのべたのは、衆議院議員を1期務めたタレントの杉村太蔵である。
 これにたいして、元経産官僚で、慶応大学院教授、テレビのコメンテーターとして人気者の岸博幸が真っ赤になって反駁した。
 杉村は、現在、慶応大学院の学生で、岸の教え子にあたる。
「全体を考える場合は、死亡者数だけじゃなくて、感染者数、増加数がおさえられているかを考える必要がある。死亡者数が少ない本当の理由がわからないなかで、日本が勝っているというのは正直いってわけがわからない」
 いくら、読み返しても、岸がいっている主旨が理解できない。
 感染者数や患者の増加数、死者数はWHO(世界保健機関)が公表している。
 日本の死者数が際立って少ないのは、客観的な事実で、理由がわからないといっても、清潔好きでボディタッチがすくない日本の風習、GCG(結核予防ワクチン)の効果、CTの普及率の高さ、クラスター殲滅という点≠フ攻撃と三密回避やステイホームという面≠フ防御の成功と、考えられる可能性はいくらでもある。
 死亡者数が少ない理由がわからないから評価を下せないといってしまっては議論にならない。
 岸が、杉村発言を頭から否定したのは、反安倍の論客だったからで、安倍の点数稼ぎになる杉村の発言がゆるせなかったのである。
 総理のご意向文書を本物と主張した前川喜平・前文科省事務次官も反安倍の急先鋒で、「コロナ感染者数は公表の100倍」「PCR検査不足は安倍政権の責任」と告発しつづけている。
 貧困調査と称して、官費を使って売春目的の「出会い系バー」に入り浸って女性と値段交渉をしていた人物が、ネット上で「日本の右傾化を深く憂慮する一市民」「自由と平等と友愛を原理とする社会の実現をもとめて」「日本と世界の未来を危うくするアベ政権の退陣をもとめる」と発言しても、片腹痛いだけだが、岸と同様、支持者が多い。
 その理由は、日本に、アナキズムが深く浸透しているからである。
 アナキズムは、歴史的権威や政治的権力、法的秩序をみとめない。
 その一方、学歴やIQ、身分や知名度、資産などの個人の資質や属性を重視する。
 中国や韓国で、科挙制度がなんども国を滅ぼしたが、なんども復活した。
 権威が不在になると、学歴以外に社会的評価の基準がなくなるのである。
 恩賜の軍刀、銀時計組(陸軍)、ハンモック・ナンバー(海軍)の日本の軍国主義も極端な学歴社会で、連合艦隊参謀長の宇垣纏は、海軍兵学校や海軍大学校の卒業順次がじぶんより下の者へ敬礼も返さなかったという。
 軍部が、天皇よりも学歴の権威を重んじたのは、天皇崇拝は擬態で、天皇を政治利用していたからである。
 日本軍国主義は、数々の失敗を重ねて、滅びた。
 だが、アナキズムというかたちで、戦後、復活した。
 天皇の官僚からGHQの官僚へ豹変した霞ヶ関とGHQによって解放されたのち、要人追放令でがら空きになった大学教授の職にありついたマルクス主義者、そして、労働組合ある。

 左翼は革命を志向するが、アナキストは、体制内に巣食ってゆたかな生活を享受する。
 そして、その一方、体制を批判して、個としての存在のみを主張する。
 いわば、国家の寄生虫で、官僚や大学教授、マスコミ人、弁護士ら生産性のないものたちは、大半が、天皇や国家、 国体が眼中にないアナキストといってよい。
 アナキストが、唯一、信じるのが、学歴やIQである。
 舛添要一(元東大教授)や堀江貴文(東大卒)らが、じぶんのIQの高さをひけらかして、緊急事態法を発令した安倍首相のIQを疑うという論法をくりだす。
 ネットに、岸博幸が杉村太蔵を完全論破したという書き込みがあふれるのもIQ神話で、日本人の多くがアナキズムの信者なのである。
 アナキズムは、学歴偏向で、テレビが、東大軍団、インテリ軍団ともちあげるのは、番組制作者も視聴者も、アナキストだからである。
 ちなみに、IT(情報技術)やAI(人工頭脳)の分野で、日本がアジアで最下位に近いのは、大学生がコンピューターを学ばないからで、ITやAIが国家的な課題になっている中国や韓国どころか、香港やシンガポール、インドネシアからも水をあけられている。

 ベルリンの壁崩壊とソ連邦解体によって、共産主義への幻想はついえた。
 共産主義が人類の理想ではなくなったとき、左翼や反体制派は、アナキズム(無政府主義)とフランクフルト学派(批判理論)へ流れていった。
 無政府主義というのは、革命前夜の不安定な状態のことで、批判理論というのは、体制を批判することは正しいというイデオロギーである。
 両者とも、革命は捨てるが体制破壊は継続するという思想上のテロリズムである。
 それが反映されたのが、反日主義や自虐史観、フェミニズム(男女雇用機会均等法)だった。
 2009年、マスコミ労連支援の下で、ついに、社会主義政権が誕生した。
 当時、メディアにあふれた鳩山由紀夫と民主党への賛辞は、文字が読めない麻生首相へのネガティブ・キャンペーンに対比して、マスコミ史に残るほどの熱狂ぶりだった。
 ところが、政権をとった民主党は、ただひたすら、自民党政治と反対のことをやる愚策をくり返して、自滅していった。
 共産主義という理想を捨て、一方、伝統を足蹴にする宙ぶらりんの政治家の系譜が、村山富市から小泉純一郎、鳩山由紀夫、菅直人らで、それが、日本を被っているアナキズムの正体といってよい。
 民主党は、社会主義的な政党ではなく、アナキズムの政党だったのである。
 国家をみとめない無政府主義と体制を否定する批判理論が合体した亡国の思想≠ヘいまにはじまったことではない。
 反ナチスのフランクフルト学派と、伝統破壊のアナキズムは、日本国憲法をつくったニューディーラーにひきつがれて、憲法に反映されている。
 天皇も伝統も、国家も国体も眼中にないアナキストが、唯一、信奉するのが憲法である。
 国家主権にかかる国家防衛や国家緊急法、国家反逆罪やスパイ罪などの治安条項がそっくり抜けて、国民主権と国民の権利を謳った憲法は、アナキズムのテキストである。
 憲法制定当時、日本の主権者だったGHQの最大の謀略は、天皇を憲法上の存在にして、憲法改正で、廃位を可能にしたことだった。
 そして、自由や平等、人権は、天賦のものというオカルティズムを謳った。
 新型コロナ対策特別措置法や緊急事態宣言に反対するマスコミ労連が憲法をタテにとるのは、アナキストだからである。
 かれらには、新型コロナウイルスよりも、国家の自衛権や治安権、国家緊急法のほうが大敵なのである。
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2020年05月07日

憲法の不備と「40万人死亡説」の恐怖B

 ●コロナ防衛に反対するマスコミ労連
 新聞労連や民放労連、出版労連などをかかえる「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」が、市民の自由や集会・報道の自由を脅かすとして、2020年3月10日、「新型コロナ対策特別措置法に反対する」という声明をだした。
 声明文にこうある。
「報道機関は、自らの判断にもとづき、必要な報道をおこなうもので、政府や自治体が、適切に権限を行使し、正確に情報を発信しているかなどを監視する社会的使命があります。その報道機関に法律上の責務を負わせることは、権力監視機能を損なわせる恐れがあります」
「『集会の自由』や『報道の自由』、国民・市民の『知る権利』を脅かし、憲法で保障された基本的人権の侵害につながりかねない法案であり、メディア関連労組として容認することはできません」
 なんという思い上がった言い草であろうか。
 報道機関(メディア)は、コマーシャルや国民からの視聴料でメシを食っている情報会社で、言論・報道の自由を逆手にとって、有名人のスキャンダルや大衆受けのする政府や与党批判、あるいはエロ・グロで部数や視聴率を稼いでいる水商売である。
 立脚する基盤は、コマーシャリズムで、マスコミが、資本(スポンサー)や消費者に媚び、視聴率や発行部数、広告収入に一喜一憂するのは、生産性のない浮き草稼業だからである。
 マスコミ労組は、その情報会社に雇われている勤労者の集団である。
 そのサラリーマン集団が、どうして、権力の監視機能や社会的使命を担っているなどといえるだろう!
 マスコミ労連の思い上がりは、常識をこえているが、経営者や管理職もかれらに手も足もでない。
 マスコミを仕切っているのは「市民の自由や集会・報道の自由」を謳うマスコミ労連だからで、経営側の意向が反映されないのは、NHKが2008年以降、経営陣を財界から招いても反日報道がいっこうにやまないことからもわかろうというものである。

 マスコミ労連(MIC)は、今回の緊急事態宣言には、大反対だが、国民の大多数が支持しているとあって、表立って、反対運動を展開できない。
 そこで、巧みに世論操作をして、3つの争点を立てた。
 @日本はコロナ防衛に失敗したというデマゴギーを流す
 Aその責任は改憲をめざす安倍政権にあるという論調をつくる
 B休業補償をしない緊急事態宣言を暴挙として、これに反対する
 日本がコロナ防衛に失敗したというキャンペーンに使われたのがPCR検査である。
 OECD加盟国36カ国中、日本がPCR検査数でほぼ最下位の35位なのは、SARSでも国内の大流行がなく、疫病を大量に検査する仕組みをもっていなかったからである。
 一方、コンピューター断層撮影(CT)の保有数は世界一で、アメリカなど2位グループの2倍、ヨーロッパの4〜10倍にたっし、解析技術もで欧米を大きくリードしている。
 CTが威力を発揮したのが、新型コロナウイルスの感染者が大量に発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」における自衛隊の対応である。
 DP号では、乗客・乗員3711人のうち、712人が感染して、そのうち14人が亡くなっている(4月18日)。
 自衛隊対策班は、感染者を隔離して、船内感染を防ぎ、200人を超える患者を自衛隊中央病院(東京都世田谷)に収容して治療をおこない、院内感染をおこさなかったばかりか、DP号から日本国内への感染拡大を完全に防衛した。
 このときモノをいったんのがCTで、PCR検査でもでてこない3割ほどの「偽陰性」を発見して、しらみつぶしにした。
 ちなみに、PCR検査をおこなってきた欧米でパンデミックがおきた原因の一つが、無自覚で、感染力だけもつ3割の「偽陰性」が放置されたからである。
 入院患者200人の約4割は、無症状や軽症であったが、胸部CT検査では約半数に異常陰影がみとめられて、そのうち、約3分の1は悪化して、肺炎へ移行した。
 PCR検査(遺伝子検査)は、科学的・機械的作業ではなく、人為的な作業なので、臨床性がわるく、7割程度の確率で陰性、陽性が判明しても、それを治療の基準にすることはできない。
 PCR検査で陽性でも、発症するのは2割、重症化するのがさらにその2割で、ほとんどが自然治癒してしまう。
 それなら、重症化するケースに絞って、治療にあたったほうが効率よいのはいうまでもない。
 胸部CT検査は、発症以前に病変を予見できるので、早期治療が可能になる。
 PCR検査は、不安なひとの気休めで、コロナ防衛の役に立たないのである。
 ところが、日本のメディアは、PCR検査を徹底的にやって、コロナ封じに成功した韓国に学べという記事があふれた。
 ところが、韓国のPCR検査は、OECD加盟国36か国中26位で、平均値にもたっしていない。
 のぞんだ国民全員がPCR検査をうけて、陽性者が整然と隔離されたという神話もうそだった。
 PCR検査数が、無作為的な1・17%、欧米の3分の1、トップのアイスランドの10分の1にすぎない韓国が、コロナを制圧できたのは、徴兵制と国民皆背番号(「住民登録番号」)制をIT(情報技術)やAI(人工知能)とむすんだ管理化社会のたまものだったのである。
 マスコミがこれにふれないのは、マスコミ労連にとって、徴兵制も国民皆背番号も天敵のようなものだからである。
 一方、舛添要一や小沢一郎、菅直人、東国原英夫、ビートたけしやヒロミらが「日本はPCR検査をサボってコロナ防衛に失敗した。安倍は引退すべき」「緊急事態宣言の延長で日本経済は壊滅して、死骸の山」(舛添)という発言をくり返す。
 そして、舛添と堀江貴文は、安倍首相のIQ(知能指数)を疑うという論法をくりだし、TVタレントの安倍叩きが加熱する。
 これは安全パイで、かれらが、安倍批判、国家批判をしているあいだはマスコミからご愛顧いただいて、メディアの露出がふえ、スポットライトを浴びることができる。
 マスコミ労連と歩調をあわせるメディアとタレント、視聴者の奇妙な一体感が、日本の危機の構造をつくりだしているのである。
 かつて、西部邁は、酒席で、東大の後輩にあたる舛添要一を評して、ただのアナーキー(無政府主義者)と断じた。
 次回は、アナキズム集団である「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」を解剖しよう。

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