2020年09月28日

 反官僚の菅政権に期待するA

 ●デジタル化の障害になっていたハンコ行政
 日本の政治がわかりにくいのは、政策と政権のちがいがはっきりしないからである。
 中村喜四郎とむすんだ立憲民主党の小沢一郎が「1年以内に政権を取る」と怪気炎をあげると、同党新代表の枝野幸男も、日本共産党や社民党との連携を視野に入れた政権奪取に意欲をしめした。
 ところが、国民民主党と合流した新立憲民主党の支持率は、逆にダウンしてわずか4%(読売新聞)というていたらくである。
 小沢や枝野がやろうとしているのは、政権争奪で、国家や国民のための政策政治ではないと見抜かれていたのである。
 マスコミが小沢・中村のタイアップをもちあげるのは、反自民を旗印にするマスコミ労連(MIC)が背後にいるからで、MICに忖度したテレビ芸人や評論家が、自民党を罵って、さかんに、野党連合へ声援を送る。
 MICがめざすのは、左翼政権の樹立で、それには、自民党を倒さなければならない。
 これは、日本や日本人のための政策政治ではなく、ただの政権抗争である。
 森友学園や加計学園、桜を見る会の国会議論も、倒閣運動で、国家や国民のためのものではなかった。
 自民党を倒せという権力運動と、日本の国益や安全、発展や繁栄をもとめる政策政治は、まったくの別物である。
 ところが、野党やマスコミ、多くの国民は、この区別がつかない。
 政治は二元論で、国家と人間、政治と選挙、政策と権力、理想と現実などが互いに背をむけあっている。
 そのなかに、具体性と抽象性という対立軸がある。
 具体性というのは、国益や領土、防衛や条約など実体をともなう政策である。
 抽象性というのは、平和や民主主義、自由や平等、人権などの観念論である。
 日本人は、観念論がすきで、野党や護憲派、左翼・反日派らが唱えるきれいごとのスローガンに踊ってきた。

 ところが、菅政権の登場によって、すこしばかり、風向きが変わってきた。
 政治が理想論や空想、抽象論ではなく、具体的な現実論であることに国民が気づきはじめたのである。
 菅首相が憲法改正をいわないのは賢明で、解釈改憲で、日本は世界第6位の軍事力をもって、アメリカと同盟をむすび、中・ロ・韓と対抗している。
 これを下手にいじって、9条に3項(「自衛隊の明文化」)をくわえるような失策を犯して、自衛隊違憲の論議を呼んでは、元も子もない。
 河野太郎行革大臣は、女系天皇をみとめる発言をしているが、国体は政治や憲法の問題ではなく、歴史や文化、国体の問題であって、伝統は、粛々と継承するほかないものである。
 余計なことはいわず、菅政権の下で、ゲバラのような革命家として、豪腕をふるい、一仕事を終えて、退場してもらいたい。
 菅政権の使命は官僚政治の打破で、これができるのは、河野以外にいない。
 河野は、デジタル化にむけて、全府省庁にたいして、ハンコやファックスを使用しないよう要請したが、お役人国家日本は、これまで、こんなことにすら手をつけることができなかったのである。

 世界経済は、この30年で、10倍以上のスケールとなった。
 その原動力がIT(情報技術)だが、日本は、アメリカからはじまったデジタル革命に乗り遅れて、世界比で、唯一、経済規模を縮小させるという深刻な事態に陥っている。
 かつて、日本の半導体は、世界シェアの半数を占め、世界のトップ企業10社のうち6社を占めていたが、現在は、後発の台湾TSMCや韓国メーカーの足元にもおよばない。
 日本の官僚が、モバイル端末向け半導体などの新たなトレンド分野に関心がなく、自治労とともに省庁へのパソコン導入に抵抗するなど、お話にならないほど後進的だったからである。
 その結果、日本のデジタル産業は、一挙に、原始時代へ逆戻りしてしまった。
 逆にいえば、日本は、立遅れたデジタル部門で失地回復すれば、経済成長が望めるという理屈になる。
 官僚のシバリを打ち破って、TSMCの国内誘致をふくめて、政治的支援をおこなえば、日本の半導体産業は、かならず、復活するのである。
 官僚が、新しい時代に不適応、もしくは、抵抗するのは、既得権が侵されるからである。
 その既得権をまもるのが、ハンコ文化で、その典型が「稟議制」である。
 稟議制は、一人でも反対者がいれば、提案が廃棄される仕組みで、たとえばデジタルに無知な上司が一人いれば、それだけで、デジタル化は不可能になる。
 ハンコ文化には、稟議制のほか、年功序列や権限の万能化、秘密主義 前例主義、保身主義、省益主義、縦割り主義、事なかれ主義、学歴主義、新規性や部外者の排除、決定の遅滞など、多くのデメリットがあって、河野のハンコの廃止が日本の行政におよぼすであろう功績ははかり知れない。
 次回は、菅内閣の規制緩和と地方創成、サプライチェーンの構築とジャパンファーストが、日本の経済におよぼす好影響についてのべよう。
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2020年09月23日

 反官僚の菅政権に期待する@

 ●常識と現実主義に立ったしたたかさ
 長期政権の記録をつくった安倍晋三前首相が、病気で引退した後をうけて、菅義偉(すがよしひで)前官房長官が内閣総理大臣(第99代)に就任した。
 自民党総裁選挙で、岸田文雄政務調査会長と石破茂元幹事長を大差で破ってのことで、世論調査の支持率も74%(日経新聞)と史上3番目の高さだった。
 菅内閣が、国民から高い支持をえた理由は、政治がわかりよいからである。
 菅首相は、就任後の初会見で、役所の縦割りや既得権益、悪しき前例主義の打破を表明したが、これこそ、国民が望んできたことで、しかも、官僚国家の弊害が深刻な日本にとって、現在、直面している最大の政治課題といえる。
一内閣一仕事≠フ観点からいえば、各省庁の政策一元化や、規制改革だけで十分な成果だが、そのほか、菅首相は、デジタル庁新設や「地方創生」などの新機軸を掲げている。
 これらが、すべて、コロナ対策と関連しているのはいうまでもない。
 マイナンバーを利用した給付金の支給が混乱したのは、官庁のデジタル化がすすんでいなかったからである。
 平成19年、社会保険庁と自治労が、パソコンの使用が労働強化にあたるとして、年金名簿入力をアルバイトにまかせっきりにして、5000万件の年金記録を消失させ、この失政で、自民党は、政権からすべり落ちている。
 だが、その後も、官庁のデジタル化はすすまず、コロナ対策では、厚労省や保健所が、ファックスで、情報をやりとりして、世界の笑いものになった。

 デジタル庁は、住民票から納税、健康保険などを、省庁横断的に一本化するマイナンバー(カード)の所轄部門である。
 担当大臣となる平井卓也は、スマートフォン向けゲーム(「あべぴょん」)を開発したデジタルやITの専門家である。
 これを期に、現在、世界の最下位にあるデジタルやITの競争力を増強してもらいたいものである。
 地方創生には「大阪都構想」から首都機能の地方分散、地方の雇用増大まで多々あるが、注目されたのが、コロナ対策である。
 大阪府の吉村洋文知事や東京都の小池百合子知事、北海道の鈴木直道知事らが、地方行政で、国政をこえた強力な指導力を発揮してきたのは、多くの国民の知るところである。
 住民投票で「大阪都構想」が可決されれば、ふるさと納税の主唱者で、松井一郎大阪市長と親しい菅首相が応援するはずである。
 菅政権から、地方の時代がはじまる可能性が高いのである。

 菅政権の目玉に、首相の指示の下で「行政改革目安箱(縦割り110番)」を設置した行政改革・規制改革相の河野太郎と、中国の神経を逆撫でする親台湾派で、安倍前首相の実弟にあたる防衛相の岸信夫らがあげられる。
 とりわけ、外務大臣や防衛大臣、国家公安委員会委員長をつとめてきた河野太郎は、これまで、歯に衣着せない物言いで、なんどか、物議をかもしてきた。
 豪腕で鳴る河野大臣が、硬直した日本の官僚体制にかける強引なゆさぶりに大いに期待したい。
 さて、河野太郎ら大臣については、次回、ふれるとして、菅首相の言動に目をむけてみよう。
 菅首相は、常識派で、抽象的な議論を好まない反面、ストレートな物言いでこれまで論敵をつぎつぎ片付けてきた。
 加計学園問題で、安倍前首相に噛みついた前川喜平前事務次官の内部文書を怪文書≠ニした菅官房長官(当時)は前川をこう切って捨てた。
「前川氏は、女性の貧困問題の調査のために、いわゆる出会い系バーに出入りして、女性に小遣いを渡している。これにはつよい違和感を覚える。杉田和博官房副長官からも厳しく注意をうけている」
 以後、東大出の前川をスター扱いしていたマスコミはぴたりと沈黙した。
 前川喜平をもちあげるなど、権力とたたかうと称して、記者会見で、愚問を連発させてきた左翼記者(東京新聞/望月衣塑子)にたいしても、菅官房長官(当時)は「あなたに答える必要はありません」と一蹴している。
 日本の政治は、政策と政権、空想と現実、保守と革新が入り混じって、国民にわかりにくいものになっていた。
 菅政権が、一定の支持率の下で、政策と現実、保守を一本の糸につなげると、日本の政治はかならず変わるのである。
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2020年09月10日

 とりもどせ! 国家の主体性C

 ●経済をとって支配原理を捨てた日本
 戦後、吉田茂は、経済をとって、防衛を捨てた。
 アメリカがタダでまもってくれるのだから、日本は経済だけに精力をむけていればよいというひとりよがりの理屈だった。
 ところが、日本が捨てたのは、防衛だけではなかった。
 外交権・防衛権をGHQに奪われた日本は、国家の支配原理≠サのものを放棄してしまうのである。
 支配原理というのは政治力のことである。
 そして、その下で働くのが、官僚である。
 明治以降、富国強兵と世界の強国をめざしてきた日本が、第二次世界大戦に負けたとたん、国家の支配原理を投げ捨てて、経済だけが頼りという情けない国になってしまったのである。
 支配原理に代わって、台頭してきたのが、官僚制だった。
 だが、官僚は、とうてい、国家の支配原理になりえない。
 官僚には国家がないからで、あるのは、自己利益の原則と知識だけである。
 天皇の官僚が、一夜明けたら、GHQの官僚になってしまったのは、官僚にとって、ご主人は、給料さえくれれば、だれでもよいからである。
 ソ連の共産党官僚は腐敗して崩壊したが、中国の共産党官僚は、支配原理を共産主義から資本の論理へモデルチェンジして、逆に、大きな発展を遂げた。
 朝鮮の官僚階級(ヤンパン)は、日本が廃止させ、韓国は、35年にわたる日本化を支配原理として、現在の繁栄をえた。
 吉田ドクトリンも、バブル景気にわいた1980年代までで、1990年代になると世界2位の経済力も下降線を描きはじめ、2010年には中国に追い抜かれ、現在は、独・英・仏やブラジル、インドや韓国に肉薄されている。
 国家原理がないので、国家間競争にめっぽう弱いのである。
 1989年の世界時価総額ランキングでは、NTT以下、日本企業がTOP5を独占、50位までに日本企業32社がランクインした。
 ところが、2019年の世界時価総額ランキングでは、アメリカのマイクロソフトやアップル、アマゾン、中国のアリババやテンセントなど、米中のIT企業が上位を占め、50位以内に入った日本企業はトヨタ1社(42位)だけとなった。
 半導体産業も、1980年代は、NECや東芝などの日本の製造業が世界のトップシェアを握ったが、現在は、台湾のTSMCが4割、アメリカのインテルが3割、韓国勢が2割で、日本は世界市場から完全に放逐されている。
 日本企業が、これほど弱体化してしまった理由は、日本が官僚国家だからである。
 官僚国家に欠けるのが、支配原理で、役人は、じぶんの生活原理にしか興味がない。

 2019年の世界時価総額は 1989年当時の10倍以上となった。
 その原動力がIT(情報技術)で、アメリカからはじまったデジタル革命によって、世界の経済構造は10倍にもスケールアップされた。
 5G(第5世代移動通信システム)がその代表だが、日本では、5GやAI(人工知能)どころか、パソコンを使ったことがない大臣(桜田義孝)が国家のサイバーセキュリティを担当するという愚かなことが堂々とまかりとおってきた。
 なぜ、そんなばかげたことがことがおきたのか。
 日本では、高学歴の官僚が、許認可権や行政指導をとおして民間を指導するという制度が、明治時代から現在まで、百年以上にわたって、延々とつづいてきたからである。
 したがって、デジタル革命によって、産業構造が変わっても、対応できない。
 経済・生産活動をおこなわない官僚は、ITやデジタルには、なんの関心ももたないからである。
 日本では、そんなお役人さまが、経済から行政、法律のすべてを仕切っている。
 これでは、ヤンパンという特権エリートがすべてを牛耳って、世界で最低の非効率社会となった朝鮮李王朝とすこしもかわるところがない。
 次期首相に最有力の菅義偉は、新内閣の切り札として、縦割り行政の打破や「デジタル庁」の創設を明言したが、産業構造のデジタル化という地殻変動にたいして、思い切った手を打っていかなければ、役人国家、日本は、沈没するほかない。
 現在、日本は、半導体で世界最大のシェアをもつ台湾のTSMCを誘致する計画をすすめているという。
 実現すれば、半導体産業ばかりか、官僚指導型で沈滞している日本の経済が活気づくはずである。
 半導体にかぎらず、日本の経済がダメになったのは、日本が学歴社会だからである。
 官庁ばかりか、大企業も、役人の採用と同様、学力を優先して、偏差値人間ばかりを集める。
 したがって、古い知識をもっていても、創造的なことはなにもできないエリートが経済の前線に立つことになる。
 それが失敗の原因で、過去の知識がいくらゆたかでも、現在をゆたかにする知恵がなければ、競争には勝てない。
 アメリカIT企業の御三家、アップル社のスティーブ・ジョブス、マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグをはじめとして、ITやデジタル分野の成功者で、高学歴者はほとんどいない。
 学歴エリート主義(科挙)と官僚の特権思想(ヤンパン)という儒教観念をぶち壊さなければ、日本に未来はないのである。
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2020年09月06日

 とりもどせ! 国家の主体性B

 ●防衛と外交で大きく立遅れた日本
 領土と国民、主権の3つが「国家の3要素」といわれる。
 もっとも、これは、王権神授説にもとづくもので、唱えたのは、16世紀のボーダン(「国家論」)である。
 17世紀のホッブズやロック、18世紀のルソーの「社会契約説」によって、王権神授説が否定されて、国家主権の根拠が、神から国民へと移った。
 ルソーは、国民一般に主権があるとして、それが、フランス革命の理論的な根拠となったが、アメリカ革命(独立戦争)やロシア革命も、背骨にあるのは「社会契約説」である。
 社会契約説がいう国民は、ピープル(国民すべて・大衆・民族)で、個人を意味するパーソンではない。
 その国民主権を丸ごとあずかって、ヒトラーやスターリンのような独裁者が出現したが、原爆投下を独断したアメリカの大統領も、民主主義からうまれた独裁者である。
 国民主権と民主主義は、表裏一体の関係というより、ほぼ、同じ意味である。
 国民主権は、多数派のことで、多数派は、多数決によってつくられる。
 多数派も衆愚政治も、独裁すらも、民主主義によって、かんたんにできあがってしまう。
 民主主義も国民主権も、結局、王権神授説の安手の代用品にすぎなかったのである。

 フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」で、民主主義と自由経済の勝利を宣言したのは、1992年のことだが、その仮説が、いまや、あやしくなってきている。
 共産党独裁の中国の大躍進のショックと、民主主義や自由への幻滅が、世界中にひろがっているのである。
 一国主義の台頭は、民主主義と自由の後退で、いまや、世界は、一帯一路の中国経済圏と、米・欧・日の自由主義経済圏に分かれて、するどく、対峙している。
 国家の3要素も変化して、領土と国民、主権だけでは、国家の説明がつかなくなっている。
 新しい国家の3要素は、経済と外交、防衛で、米中摩擦をみれば、そのことがよくわかる。

 戦後、日本は、経済をとって、外交と防衛を捨てた。
 その結果、憲法9条(不戦条項)が日本の平和をまもっているという愚かな思想が蔓延して、日本は、一国主義や自主防衛、積極外交という世界的趨勢に乗り遅れた。
 日本の安全をまもっているのは、世界第6位の軍事力と日米安保条約、国連憲章51条「個別的自衛権」で、憲法9条における交戦権放棄は、自国防衛を義務づける国際慣例法にたいする重大なルール違反なのである。
 日本は、経済力において、たしかに、一応の成功をおさめた。
 だが、防衛と外交政策において、世界から、大きく立ち遅れている。
 国家は、権力の政体(ネーション)と文化の国体(ステート)の両面をもつ。
 中国のステートは、共産主義で、アメリカのステートは、民主主義である。
 伝統国家の日本は、国体としての天皇や歴史、文化をもっている。
 足りないのは、政体の残りの2つ、防衛と外交だけである。
 安倍首相は、辞任の前に決着をつけておくべき懸案として、安全保障政策の新たな方針をあげたが、これは、具体的に、敵基地攻撃能力の保有をさす。
 くわえて、中国の影響力を排除、中国依存度を軽減するため、オーストラリアやインド、ASEAN間のサプライチェーン強化を明確に打ち出した。
 次回は、ポスト安倍における日本の防衛と外交の青写真を描いてみよう。

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