●自由主義と保守主義は唯心論
政治は「国家と個人」あるいは「政治と経済」という異質なものを調整する能力で、二元論である。
民主主義と自由主義も二元論である。デモクラシーが、民主政という国家の体制なら、リベラルは、自由をもとめる個人の信条で、ここでも、全体と個が対立している。
ところが、日本では、この構図が逆転して、民主主義が個人の信条になっている。
そして、共産と立民、社民をリベラル派と呼ぶように、本来、個人のものであるはずのリベラルが、共産主義・社民主義的体制の代名詞となっている。
自由主義や保守主義は、個人の信条なので唯心論≠ナある。
一方、民主主義や社民主義は、体制の問題なので唯物論≠ナある。
政治とは「唯心論」と「唯物論」の調整でもあったのである。
個人の自由と権利をもとめるのがリベラルである以上、個人よりも、憲法や多数派支配を尊重する立憲民主党や、個人よりも党を重んずる共産党をリベラルと呼ぶことはできない。
二元論に、保守と革新を挙げるひともいるが、これは、論外である。
保守は、古来、政治の王道で、人類は、数千年にわたって、古きにならって政治をおこなってきた。政治は、もともと、保守なのである。
一方、革新は、18世紀の市民革命からうまれた価値で、たかだか数百年の歴史しかない。しかも、革新(革命)は、左翼の一党独裁で、人類の普遍的な価値である自由(リベラル)のかけらさえない。
保守と革新を同列に並べることがすでにナンセンスなのである。
リベラルなのは、むしろ自民党(リベラル・デモクラシー)で、自民党ほど自由裁量がみとめられた政党は、世界でもまれである。
1955年、護憲と反安保を掲げて、左右社会党が統一されると、危機感をもった財界からの要請で、日本民主党と自由党が保守合同して、自由民主党が誕生した。
一応、二大政党の体裁をなしたが、労組(総評など)をバックにする社会党には、財界を後ろ盾にする自民党をひっくり返せる力はなく、労使協和の政策協定をむすぶにとどまって、やがて、労働運動に衰退にともなって、しぼんでゆく。
社会党の左右統一という事情と財界の危機感に応じて、急きょ、つくられた自由民主党に、統一的なビジョンなどあるはずはなかった。
だが、それが、むしろさいわいして、自民党は、リベラル・デモクラシーの名にふさわしい多様性と奥行きのある政党として地歩を固めていくことになる。
自民党は、吉田茂=旧自由党系の経済重視と鳩山一郎=旧民主党系の政治の優先という二本立てで、1955年から1993年、細川内閣が成立するまでの38年間、政権与党の座についてきた。
その土台となったのが、自民党が候補者を二人立てることができた中選挙区制と、派閥の領袖が企業から政治献金を集めて、子分に分配する政治資金制度だったのはいうまでもない。
自民党の単独政権というのは、皮相的な見解で、自民党旧自由党系と旧民主党系のあいだで、事実上の政権交代がおこなわれてきた。
そして、振り子のように、日本の政治を、政治主体と経済主体、自由主義と民主主義へとふりわけて、振幅や奥行きをつくってきた。
ちなみに、日本の野党は、社民主義やマルクス主義の影響下にあって、理想論をのべたてるのは得意だが、現実的な政権担当能力をもちあわせていない。
旧自由党系は、池田勇人の宏池会が、大平正芳や宮沢喜一らから岸田文雄にひきつがれて、現在、政権を担っている。対抗するのが佐藤栄作の木曜研究会で、田中角栄から竹下登へ継承されて、小渕恵三や橋本龍太郎ら宰相をうんできた。佐藤栄作は、沖縄返還や日韓基本条約で知られる外交派だが、旧自由党系の大御所吉田茂が、もともと、経済派で、防衛や憲法改正には不熱心だった。
これにたいして、旧民主党系の鳩山一郎は、憲法改正や防衛に熱心な政治派で、鳩山の路線をひきついだのが、戦前、東條内閣に商工大臣として入閣した経歴をもつ岸信介だった。
岸派をひきついだのが福田赳夫の「清和政策研究会」で、森喜朗や小泉純一郎、安倍晋三ら3人の首相をうみ、現在、自民党最大の派閥となっている。
そこで、あらためて、問題になるのが、自民党の統一的なビジョンである。
自民党は、保守党といわれているが、保守である前に、自由でなくてはならない。歴史や伝統、国を愛するのは、個人の自由という唯心論だからで、保守主義者は、イデオロギーに縛られない自由主義者でもある。
共産や立憲民主、社民らリベラルを名乗る政党にあるのは、イデオロギーと権力志向だけで、自由主義がない。自由主義のない政党がリベラルを名乗るのは異様というほかない。
といっても、自民党も、保守主義や自由主義が根づいているとは言い難い。
吉田茂の旧自由党系宏池会(岸田派)や平成研究会(竹下派)、志公会(麻生派)などは、経済中心の現実路線で政治に疎い。しかも、小沢一郎や羽田孜をはじめ、鳩山由紀夫、岡田克也らの造反者をだしている。
一方の旧民主党系には「60年安保」の岸信介から福田赳夫にひきつがれた清和政策研究会のほか、河野一郎から中曽根康弘、渡辺美智雄をへて亀井静香や二階俊博、石原伸晃へ流れる系統があるが、ここにも、保守主義者や自由主義者はいない。
清和会から「自民党をぶっつぶす」と宣言して三期総理大臣に就任した小泉純一郎は、ブレーンの竹中平蔵とともに新自由主義に走って、雇用や設備投資などの社会貢献を担っていた日本型資本主義を、株主や投資家に奉仕するアメリカ資本主義にかえて、先進諸国のなかで勤労者所得が最低の格差社会をつくりだした。
清和会の大元である岸は、戦前、満州で計画経済を構想して、対立した小林一三(阪急電鉄創始者)から「あれはアカ(共産主義者)だ」と批判されている。岸ですら、保守主義者、自由主義者たりえなかったのである。
まして、小泉の新自由主義は、自由主義どころか、資本の論理への屈服で、マルクス主義と同様、人間疎外以外のなにものでもない。
自民党のビジョンに、保守主義と自由主義が見えてこないのは、この二つは心的な価値で、ビジョンとして明文化できる性格のものではないからである。
保守主義と自由主義は心の問題で、ヨーロッパでは、モラルの範疇にくくられる。日本では、聖徳太子の17条憲法とりわけ「和を以って貴しとなす」がこれをよく表している。
自民党が国民的な政党になるには、高いモラルをみずからしめさなければならないのである。
次回は、岸田新政権が打ち出した「新しい日本型資本主義」に検討をくわえることにしよう。
2021年10月24日
2021年10月12日
天皇と保守主義8
●改革≠ヘ不毛な相対主義
立憲民主党の枝野幸男が自民党の総裁選にからんで「自民党は変わらない。変われない。新総裁(岸田文雄)になって、安倍、菅内閣となにが変わったのか説明いただく」と息巻き、これがネットでも増幅された。
マスコミも、自民党は変わらない、日本の政治は変わらないと言い立てた。
保守を諸悪の根源のようにいうのは、変化や進歩、革命を善≠ニとらえる強迫観念にとらわれているからである。
じじつ、体制の変化を望まない自民党は悪≠フ根源とされている。
ヨーロッパでは、最大の美徳が保守で、革新は軽薄の代名詞である。
ところが、日本では、保守が頑迷な守旧派で、革新は先進的な進歩派となる。
知識人の95%が啓蒙主義者やマルキストの日本では、インテリが、西洋の思想家や西洋の用語を借りてきて、文化文明論をくり広げる。
かれらが、日本論の根幹である国体や天皇にふれないのは、海外の文献には国体も天皇もないからである。
歴史的な文化蓄積が大きく、すぐれた土着文化をもつ一方、平安後期のかな文字などの国風文化を培ってきた日本が、西洋の感化をうけるようになったのは、明治維新がヨーロッパ化で、多分に、自己否定のおもむきをもっていたからである。
明治政府に招聘されたドイツ人医師ベルツは、政府の若い役人が「われわれに歴史はありません。われわれの歴史はこれからはじまるのです」と口を揃えたことに深く失望した(『ベルツの日記』)という。
薩長の明治政府は、武士という誇り高き文化階級を捨てて、一神教的な神権国家や帝国主義に走った末に、鹿鳴館や貴族制度など西洋の物マネにうつつを抜かした。
江戸幕府によって近代化がおこなわれていれば、日本は、現在とはちがった国になっていたはずである。
「自民党をぶっつぶす」と叫んで政権をとったのが、改革主義者の小泉純一郎(「清話会」)だった。ブッシュにそそのかされ、竹中平蔵の口車にのった郵政民営化が天下の失政、愚策だったことは、だれの目にも明らかだが、政界引退後は、12兆円の国富を節約できるうえ、CO2を排出しない準国産のエネルギー資源である原発の撤廃運動に血眼になっている。
竹中とともに新自由主義という経済リバタリアニズム(無差別的自由主義)に走って、雇用や設備投資、規制や制限によってまもられていた日本型の資本主義を、株主や資本家、投資家が富を独占するアメリカ型の資本主義に変えてしまった。
それが改革の正体で、変えることに目的があって、変えた後のことなどどうでもよいのである。
旧日本海軍は、御前会議で「数か月は暴れてみせます」といって真珠湾攻撃を強行したが、真珠湾攻撃後の世界戦略がなかったため、国家を存亡の危機に追いやって、原爆投下という人類最大の悲劇までまねいた。
ところが、戦後、海軍の人気は上々で、山本五十六は、いまなお、国民的なヒーローである。
日本人は、ヴィジョンがなくても、その場かぎりのスタンドプレーに喝采を送る国民性をもっている。
野党やマスコミは、変われというが、かれらは、代わった後のヴィジョンをもっているのだろうか?
改革や進歩、変化をもとめるかれらの目的は、伝統や文化、体制を破壊して革命前夜の混沌とした状況をつくることにある。
国体維持や国家建設プランなどちゃんちゃらおかしいのである。
これは「二段階革命論」である。すべてに反対して、現体制を破壊したのちに、共産主義革命をめざすというもので、これが、六全協以降の日本共産党の基本戦略である。
第一段階が啓蒙思想にもとづくブルジョア革命で、イギリス革命(清教徒革命/名誉革命)やアメリカ独立革命、フランス革命がこれにあたる。
第二段階がマルクス・レーニン主義のプロレタリア革命ということになるが、この二段階革命論は、民主主義を共産主義へと移行させることができず、結局、失敗に終わった。
二段階革命論に対立するのが一般革命論(永続革命論/トロッキズム)である。五全協までの日本共産党やかつての新左翼、過激派は、暴力革命をおこして権力を奪取せよと叫んだものである。
二段階革命論に立っているのが、現在の日本の日本の左翼である。
西洋が民主主義の実現をもって革命の終了≠ニしたのにたいして、日本の左翼は、現体制を革命の経過≠ニしか見ない。
したがって、自民党政権を倒せ、政治を変えようというだけで、民主主義が実現されている現体制をまもろうとは、口が裂けてもいわない。
民主主義に価値があるのは、多数決と普通選挙法という普遍性をもっているからである。
それがモラル≠ナ、議会では、多数決というモラルにしたがって、粛々と議事がすすめられる。
日本が、聖徳太子の昔から、戦争以外の方法で、意志決定をすすめてきたのは、委任や談合、調整やなどのモラル(基準)がはたらいたからで「和の心」もその一つである。
ところが、左翼は、歴史や伝統、文化を破壊することが民主主義と思いこんでいる。民主主義を、共産主義や社会主義へ至る革命の手段と考えているのである。
共産党と共闘しようという立憲民主党が、リベラル・デモクラシーの政党に変われ≠ニ迫って、マスコミがこれをバックアップするという異様な事態にさらされているのが日本の民主主義なのである。
世界のマネをして、日本は変わるべきという強迫観念から抜けでたのが、安倍外交で、それを踏襲したのが高市早苗だった。
自民党の総裁選で、高市(議員票114票)が下馬評をくつがえして、河野太郎(議員票86票)をおさえたのは、具体的な政策を掲げて、相対論から抜けでたからである。
安倍首相が、憲法改正からインド太平洋構想、アメリカ抜きのTPPなどにむかったのは、国益にそって、レジームを再構築するためだった。
安倍路線を踏んで、高市は、抑止力のあるミサイル配備から原発容認、靖国参拝、経済成長投資などをうったえ、リベラル派の「女系天皇容認論」「夫婦別姓」「脱炭素」「日中友好」を退けた。
改革という相対論を卒業して、国家指針という絶対論を掲げたのである。
マスコミは、岸田内閣でなにが変わったのか、麻生・安倍内閣のコピーではないか気勢を上げた。
岸田内閣のどこが、麻生・安倍内閣のコピーなのか。
岸田文雄が政治の師と仰ぐのが宮沢喜一である。宏池会を率いて、91年に首相に就任したが「近隣諸国条項(1982年/内閣官房長官談話)」で、中韓への土下座外交の端緒をひらいて、保守派から批判された。
岸田首相も、徴用工訴訟に応じる気はないとするものの、徴用工の強制性については、安倍首相の「なかった」とはニュアンスの異なった論をのべたこともある。
初の記者会見で、韓国への言及はなかったが、中韓への不要なへりくだりが「宏池会」の伝統で、経済にはつよいが、政治的には熟練度が高くない。それが池田勇人から宮沢、岸田へつながる旧自由党系の体質で、創始者の吉田茂は憲法改正にまったく不熱心だった。
宏池会は、絶対的な価値観をもたない相対主義で、これまで日本は、改革に最大の価値があるという不毛な相対論に惑わされてきた。
相対主義を捨てわが道を行く≠ニいう絶対主義に立たないかぎり、岸田自民党も日本の未来も、ひられてこないのである。
立憲民主党の枝野幸男が自民党の総裁選にからんで「自民党は変わらない。変われない。新総裁(岸田文雄)になって、安倍、菅内閣となにが変わったのか説明いただく」と息巻き、これがネットでも増幅された。
マスコミも、自民党は変わらない、日本の政治は変わらないと言い立てた。
保守を諸悪の根源のようにいうのは、変化や進歩、革命を善≠ニとらえる強迫観念にとらわれているからである。
じじつ、体制の変化を望まない自民党は悪≠フ根源とされている。
ヨーロッパでは、最大の美徳が保守で、革新は軽薄の代名詞である。
ところが、日本では、保守が頑迷な守旧派で、革新は先進的な進歩派となる。
知識人の95%が啓蒙主義者やマルキストの日本では、インテリが、西洋の思想家や西洋の用語を借りてきて、文化文明論をくり広げる。
かれらが、日本論の根幹である国体や天皇にふれないのは、海外の文献には国体も天皇もないからである。
歴史的な文化蓄積が大きく、すぐれた土着文化をもつ一方、平安後期のかな文字などの国風文化を培ってきた日本が、西洋の感化をうけるようになったのは、明治維新がヨーロッパ化で、多分に、自己否定のおもむきをもっていたからである。
明治政府に招聘されたドイツ人医師ベルツは、政府の若い役人が「われわれに歴史はありません。われわれの歴史はこれからはじまるのです」と口を揃えたことに深く失望した(『ベルツの日記』)という。
薩長の明治政府は、武士という誇り高き文化階級を捨てて、一神教的な神権国家や帝国主義に走った末に、鹿鳴館や貴族制度など西洋の物マネにうつつを抜かした。
江戸幕府によって近代化がおこなわれていれば、日本は、現在とはちがった国になっていたはずである。
「自民党をぶっつぶす」と叫んで政権をとったのが、改革主義者の小泉純一郎(「清話会」)だった。ブッシュにそそのかされ、竹中平蔵の口車にのった郵政民営化が天下の失政、愚策だったことは、だれの目にも明らかだが、政界引退後は、12兆円の国富を節約できるうえ、CO2を排出しない準国産のエネルギー資源である原発の撤廃運動に血眼になっている。
竹中とともに新自由主義という経済リバタリアニズム(無差別的自由主義)に走って、雇用や設備投資、規制や制限によってまもられていた日本型の資本主義を、株主や資本家、投資家が富を独占するアメリカ型の資本主義に変えてしまった。
それが改革の正体で、変えることに目的があって、変えた後のことなどどうでもよいのである。
旧日本海軍は、御前会議で「数か月は暴れてみせます」といって真珠湾攻撃を強行したが、真珠湾攻撃後の世界戦略がなかったため、国家を存亡の危機に追いやって、原爆投下という人類最大の悲劇までまねいた。
ところが、戦後、海軍の人気は上々で、山本五十六は、いまなお、国民的なヒーローである。
日本人は、ヴィジョンがなくても、その場かぎりのスタンドプレーに喝采を送る国民性をもっている。
野党やマスコミは、変われというが、かれらは、代わった後のヴィジョンをもっているのだろうか?
改革や進歩、変化をもとめるかれらの目的は、伝統や文化、体制を破壊して革命前夜の混沌とした状況をつくることにある。
国体維持や国家建設プランなどちゃんちゃらおかしいのである。
これは「二段階革命論」である。すべてに反対して、現体制を破壊したのちに、共産主義革命をめざすというもので、これが、六全協以降の日本共産党の基本戦略である。
第一段階が啓蒙思想にもとづくブルジョア革命で、イギリス革命(清教徒革命/名誉革命)やアメリカ独立革命、フランス革命がこれにあたる。
第二段階がマルクス・レーニン主義のプロレタリア革命ということになるが、この二段階革命論は、民主主義を共産主義へと移行させることができず、結局、失敗に終わった。
二段階革命論に対立するのが一般革命論(永続革命論/トロッキズム)である。五全協までの日本共産党やかつての新左翼、過激派は、暴力革命をおこして権力を奪取せよと叫んだものである。
二段階革命論に立っているのが、現在の日本の日本の左翼である。
西洋が民主主義の実現をもって革命の終了≠ニしたのにたいして、日本の左翼は、現体制を革命の経過≠ニしか見ない。
したがって、自民党政権を倒せ、政治を変えようというだけで、民主主義が実現されている現体制をまもろうとは、口が裂けてもいわない。
民主主義に価値があるのは、多数決と普通選挙法という普遍性をもっているからである。
それがモラル≠ナ、議会では、多数決というモラルにしたがって、粛々と議事がすすめられる。
日本が、聖徳太子の昔から、戦争以外の方法で、意志決定をすすめてきたのは、委任や談合、調整やなどのモラル(基準)がはたらいたからで「和の心」もその一つである。
ところが、左翼は、歴史や伝統、文化を破壊することが民主主義と思いこんでいる。民主主義を、共産主義や社会主義へ至る革命の手段と考えているのである。
共産党と共闘しようという立憲民主党が、リベラル・デモクラシーの政党に変われ≠ニ迫って、マスコミがこれをバックアップするという異様な事態にさらされているのが日本の民主主義なのである。
世界のマネをして、日本は変わるべきという強迫観念から抜けでたのが、安倍外交で、それを踏襲したのが高市早苗だった。
自民党の総裁選で、高市(議員票114票)が下馬評をくつがえして、河野太郎(議員票86票)をおさえたのは、具体的な政策を掲げて、相対論から抜けでたからである。
安倍首相が、憲法改正からインド太平洋構想、アメリカ抜きのTPPなどにむかったのは、国益にそって、レジームを再構築するためだった。
安倍路線を踏んで、高市は、抑止力のあるミサイル配備から原発容認、靖国参拝、経済成長投資などをうったえ、リベラル派の「女系天皇容認論」「夫婦別姓」「脱炭素」「日中友好」を退けた。
改革という相対論を卒業して、国家指針という絶対論を掲げたのである。
マスコミは、岸田内閣でなにが変わったのか、麻生・安倍内閣のコピーではないか気勢を上げた。
岸田内閣のどこが、麻生・安倍内閣のコピーなのか。
岸田文雄が政治の師と仰ぐのが宮沢喜一である。宏池会を率いて、91年に首相に就任したが「近隣諸国条項(1982年/内閣官房長官談話)」で、中韓への土下座外交の端緒をひらいて、保守派から批判された。
岸田首相も、徴用工訴訟に応じる気はないとするものの、徴用工の強制性については、安倍首相の「なかった」とはニュアンスの異なった論をのべたこともある。
初の記者会見で、韓国への言及はなかったが、中韓への不要なへりくだりが「宏池会」の伝統で、経済にはつよいが、政治的には熟練度が高くない。それが池田勇人から宮沢、岸田へつながる旧自由党系の体質で、創始者の吉田茂は憲法改正にまったく不熱心だった。
宏池会は、絶対的な価値観をもたない相対主義で、これまで日本は、改革に最大の価値があるという不毛な相対論に惑わされてきた。
相対主義を捨てわが道を行く≠ニいう絶対主義に立たないかぎり、岸田自民党も日本の未来も、ひられてこないのである。
2021年10月04日
天皇と保守主義7
●政治は相対≠ニ絶対≠フ兼ね合い
かつて、左翼は「革命がおきたらハンドーは、みな、ギロチンだ」と叫んだものである。
ハンドーは保守反動のことで、保守は、革命という先進的な流れに逆行しているというのである。
だが、日本で、革命はおきなかった。革命は、進歩ではなかったのである。
革命がおきなかった日本では、アンシャン・レジームが維持されて、いまもなお、天皇は、国家と国民の象徴でありつづけている。
アンシャン・レジームは、フランス革命における旧体制のことである。
革命の成功後、封建的体制が崩壊して、自由と平等、博愛と「人権宣言」を謳った新たな体制が発足した。
だが、その新体制は、ロベスピエールの恐怖政治をへて、ナポレオンの軍事独裁政権に移り変わっただけで、基本的なレジームにかわりはなかった。
レジームとは、政体のことで、一方、破壊された歴史と伝統、文化にあたるのが国体である。
フランス革命は、歴史と伝統、文化を破壊して、自由と平等、博愛と人権という18世紀の啓蒙思想を借用した文化革命だった。革命は、政体たるレジームを転覆させる一方、国体たる文化構造までを破壊する歴史的蛮行だったのである。
米・ロ・仏・英・中の常任理事国5か国を筆頭に革命国家が国体をもたないのは、伝統的価値を、すべて、自由や平等、民主主義などの啓蒙思想的価値ととりかえてしまったからである。
日本にも、GHQ憲法やアメリカ民主主義、対米従属構造、日米安保体制を新たな国体≠ニ見立てる短絡的な思考がある。
国体と政体の区別がつかない愚論で「八月革命論」の亜流である。
国体と政体の区別がつかないのであれば、歴史や文化、伝統という絶対的な価値と、進歩と保守、革新と守旧、先進と反動などの相対的な価値との区別もつくはずはない。
相対論は、右や左、上や下、新旧や強弱のように、変化や程度、状態などを比較することで、それ自体はなにも語っていない。右である、上であるといわれても、実体がないので、なんのことやら見当もつかない。
だが、わたしのうまれた国、富士山、東京タワー、わたしのパスポートなどという具体的なモノやコトなら、明瞭にイメージできる。
これが絶対論で、歴史や文化、伝統、天皇は、絶対的で、疑うべくもない。
疑うことも、相対化することもできないのが国体で、国家は、絶対的国体と相対的政体の両方から成っている。
国体と政体は、二元論で、デカルトの「心身二元論」のようなものである。
別々にはたらくが、人間も国家も、その両面をもって、一人前になる。
民主主義という制度と、歴史や文化、伝統という文化や価値があって、はじめて、ヒトは安心して生きていける。
もっとも、民主主義は、多数決と普通選挙法のことで、制度である。
ところが、多くの日本人は、民主主義を、思想や文化と思っている。
国民主権と同義にとらえているからで、憲法にも民主主義の文字はない。
国民主権の国民は、国民全体の総称で、個人をさしているわけではない。
主権も、国家主権のサブリンティで、個人にあたえられるものではない。
サブリンティは、自然や神がもつ絶大にして超越的、絶対的な能力である。
ひとり一人がそんな魔王的な権力をもっていたら収拾がつかないことになる。
これを国家にあてはめたのは、国家には、戦争権があって、武力で相手国を滅ぼす権利さえ有するからである。
前述したように、国民ひとり一人がこの主権をもっていると主張する論者がいる。白井聡(国体論/永続敗戦論/主権者のいない国)とそのシンパである。
かれらの頭のなかで、国体と政体、文化と制度、現実と空想、絶対的なモノと相対的なモノが、区別なく、ごちゃ混ぜになっている。
政治には、これまで、先人が挑んできて、不可能だったものが二つある。
一つは「個と全体」の矛盾を克服、あるいは、調整である。
もう一つは、一神教、一元論の宗教戦争に終止符を打つことである。
個と全体の利害の調整は、デモクラシーとリベラルの兼ね合いで、多数決に従いつつ、個人の価値をもとめるのが、現段階で、個と全体の矛盾を解消する唯一の方法である。
それには、民主主義の規則性と、自由主義の柔軟性を両立させなければならない。
全体の秩序をまもりながら、個人の自由をもとめることが、人類に残された最後の手段で、それが、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)である。
ところが日本では、他人の自由を奪う好き勝手な自由、リバタリアニズムが大手をふっている。
リバタリアニズムの先にあるのが、アナキズムや反日・反国家、そして、言論テロや破壊行為、犯罪である。
民主主義と自由主義、絶対主義と相対主義は、互いに、歩み寄って、中庸の精神がえられる。
日本が、革命を体験することなく、君民共治の事実上の自由民主主義を実現できたのは、国体と政体、権威と権力、天皇と幕府の二元論体制ができていたからである。
一神教=一元論は、他の存在をゆるさないので、永遠の抗争がうまれる。
だが、二元論では、共存の原理がはたらく。二元論は、同一性のあるものがなれ合うのではなく、異質なものが和することで、それが「和の精神」である。
個と全体、民主と自由、絶対と相対は、二元論をもって、融合するのである。
次回は。現実政治を見ながら、民主主義と自由主義の二元論をについてのべよう。
かつて、左翼は「革命がおきたらハンドーは、みな、ギロチンだ」と叫んだものである。
ハンドーは保守反動のことで、保守は、革命という先進的な流れに逆行しているというのである。
だが、日本で、革命はおきなかった。革命は、進歩ではなかったのである。
革命がおきなかった日本では、アンシャン・レジームが維持されて、いまもなお、天皇は、国家と国民の象徴でありつづけている。
アンシャン・レジームは、フランス革命における旧体制のことである。
革命の成功後、封建的体制が崩壊して、自由と平等、博愛と「人権宣言」を謳った新たな体制が発足した。
だが、その新体制は、ロベスピエールの恐怖政治をへて、ナポレオンの軍事独裁政権に移り変わっただけで、基本的なレジームにかわりはなかった。
レジームとは、政体のことで、一方、破壊された歴史と伝統、文化にあたるのが国体である。
フランス革命は、歴史と伝統、文化を破壊して、自由と平等、博愛と人権という18世紀の啓蒙思想を借用した文化革命だった。革命は、政体たるレジームを転覆させる一方、国体たる文化構造までを破壊する歴史的蛮行だったのである。
米・ロ・仏・英・中の常任理事国5か国を筆頭に革命国家が国体をもたないのは、伝統的価値を、すべて、自由や平等、民主主義などの啓蒙思想的価値ととりかえてしまったからである。
日本にも、GHQ憲法やアメリカ民主主義、対米従属構造、日米安保体制を新たな国体≠ニ見立てる短絡的な思考がある。
国体と政体の区別がつかない愚論で「八月革命論」の亜流である。
国体と政体の区別がつかないのであれば、歴史や文化、伝統という絶対的な価値と、進歩と保守、革新と守旧、先進と反動などの相対的な価値との区別もつくはずはない。
相対論は、右や左、上や下、新旧や強弱のように、変化や程度、状態などを比較することで、それ自体はなにも語っていない。右である、上であるといわれても、実体がないので、なんのことやら見当もつかない。
だが、わたしのうまれた国、富士山、東京タワー、わたしのパスポートなどという具体的なモノやコトなら、明瞭にイメージできる。
これが絶対論で、歴史や文化、伝統、天皇は、絶対的で、疑うべくもない。
疑うことも、相対化することもできないのが国体で、国家は、絶対的国体と相対的政体の両方から成っている。
国体と政体は、二元論で、デカルトの「心身二元論」のようなものである。
別々にはたらくが、人間も国家も、その両面をもって、一人前になる。
民主主義という制度と、歴史や文化、伝統という文化や価値があって、はじめて、ヒトは安心して生きていける。
もっとも、民主主義は、多数決と普通選挙法のことで、制度である。
ところが、多くの日本人は、民主主義を、思想や文化と思っている。
国民主権と同義にとらえているからで、憲法にも民主主義の文字はない。
国民主権の国民は、国民全体の総称で、個人をさしているわけではない。
主権も、国家主権のサブリンティで、個人にあたえられるものではない。
サブリンティは、自然や神がもつ絶大にして超越的、絶対的な能力である。
ひとり一人がそんな魔王的な権力をもっていたら収拾がつかないことになる。
これを国家にあてはめたのは、国家には、戦争権があって、武力で相手国を滅ぼす権利さえ有するからである。
前述したように、国民ひとり一人がこの主権をもっていると主張する論者がいる。白井聡(国体論/永続敗戦論/主権者のいない国)とそのシンパである。
かれらの頭のなかで、国体と政体、文化と制度、現実と空想、絶対的なモノと相対的なモノが、区別なく、ごちゃ混ぜになっている。
政治には、これまで、先人が挑んできて、不可能だったものが二つある。
一つは「個と全体」の矛盾を克服、あるいは、調整である。
もう一つは、一神教、一元論の宗教戦争に終止符を打つことである。
個と全体の利害の調整は、デモクラシーとリベラルの兼ね合いで、多数決に従いつつ、個人の価値をもとめるのが、現段階で、個と全体の矛盾を解消する唯一の方法である。
それには、民主主義の規則性と、自由主義の柔軟性を両立させなければならない。
全体の秩序をまもりながら、個人の自由をもとめることが、人類に残された最後の手段で、それが、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)である。
ところが日本では、他人の自由を奪う好き勝手な自由、リバタリアニズムが大手をふっている。
リバタリアニズムの先にあるのが、アナキズムや反日・反国家、そして、言論テロや破壊行為、犯罪である。
民主主義と自由主義、絶対主義と相対主義は、互いに、歩み寄って、中庸の精神がえられる。
日本が、革命を体験することなく、君民共治の事実上の自由民主主義を実現できたのは、国体と政体、権威と権力、天皇と幕府の二元論体制ができていたからである。
一神教=一元論は、他の存在をゆるさないので、永遠の抗争がうまれる。
だが、二元論では、共存の原理がはたらく。二元論は、同一性のあるものがなれ合うのではなく、異質なものが和することで、それが「和の精神」である。
個と全体、民主と自由、絶対と相対は、二元論をもって、融合するのである。
次回は。現実政治を見ながら、民主主義と自由主義の二元論をについてのべよう。