●自由主義と保守主義は唯心論
政治は「国家と個人」あるいは「政治と経済」という異質なものを調整する能力で、二元論である。
民主主義と自由主義も二元論である。デモクラシーが、民主政という国家の体制なら、リベラルは、自由をもとめる個人の信条で、ここでも、全体と個が対立している。
ところが、日本では、この構図が逆転して、民主主義が個人の信条になっている。
そして、共産と立民、社民をリベラル派と呼ぶように、本来、個人のものであるはずのリベラルが、共産主義・社民主義的体制の代名詞となっている。
自由主義や保守主義は、個人の信条なので唯心論≠ナある。
一方、民主主義や社民主義は、体制の問題なので唯物論≠ナある。
政治とは「唯心論」と「唯物論」の調整でもあったのである。
個人の自由と権利をもとめるのがリベラルである以上、個人よりも、憲法や多数派支配を尊重する立憲民主党や、個人よりも党を重んずる共産党をリベラルと呼ぶことはできない。
二元論に、保守と革新を挙げるひともいるが、これは、論外である。
保守は、古来、政治の王道で、人類は、数千年にわたって、古きにならって政治をおこなってきた。政治は、もともと、保守なのである。
一方、革新は、18世紀の市民革命からうまれた価値で、たかだか数百年の歴史しかない。しかも、革新(革命)は、左翼の一党独裁で、人類の普遍的な価値である自由(リベラル)のかけらさえない。
保守と革新を同列に並べることがすでにナンセンスなのである。
リベラルなのは、むしろ自民党(リベラル・デモクラシー)で、自民党ほど自由裁量がみとめられた政党は、世界でもまれである。
1955年、護憲と反安保を掲げて、左右社会党が統一されると、危機感をもった財界からの要請で、日本民主党と自由党が保守合同して、自由民主党が誕生した。
一応、二大政党の体裁をなしたが、労組(総評など)をバックにする社会党には、財界を後ろ盾にする自民党をひっくり返せる力はなく、労使協和の政策協定をむすぶにとどまって、やがて、労働運動に衰退にともなって、しぼんでゆく。
社会党の左右統一という事情と財界の危機感に応じて、急きょ、つくられた自由民主党に、統一的なビジョンなどあるはずはなかった。
だが、それが、むしろさいわいして、自民党は、リベラル・デモクラシーの名にふさわしい多様性と奥行きのある政党として地歩を固めていくことになる。
自民党は、吉田茂=旧自由党系の経済重視と鳩山一郎=旧民主党系の政治の優先という二本立てで、1955年から1993年、細川内閣が成立するまでの38年間、政権与党の座についてきた。
その土台となったのが、自民党が候補者を二人立てることができた中選挙区制と、派閥の領袖が企業から政治献金を集めて、子分に分配する政治資金制度だったのはいうまでもない。
自民党の単独政権というのは、皮相的な見解で、自民党旧自由党系と旧民主党系のあいだで、事実上の政権交代がおこなわれてきた。
そして、振り子のように、日本の政治を、政治主体と経済主体、自由主義と民主主義へとふりわけて、振幅や奥行きをつくってきた。
ちなみに、日本の野党は、社民主義やマルクス主義の影響下にあって、理想論をのべたてるのは得意だが、現実的な政権担当能力をもちあわせていない。
旧自由党系は、池田勇人の宏池会が、大平正芳や宮沢喜一らから岸田文雄にひきつがれて、現在、政権を担っている。対抗するのが佐藤栄作の木曜研究会で、田中角栄から竹下登へ継承されて、小渕恵三や橋本龍太郎ら宰相をうんできた。佐藤栄作は、沖縄返還や日韓基本条約で知られる外交派だが、旧自由党系の大御所吉田茂が、もともと、経済派で、防衛や憲法改正には不熱心だった。
これにたいして、旧民主党系の鳩山一郎は、憲法改正や防衛に熱心な政治派で、鳩山の路線をひきついだのが、戦前、東條内閣に商工大臣として入閣した経歴をもつ岸信介だった。
岸派をひきついだのが福田赳夫の「清和政策研究会」で、森喜朗や小泉純一郎、安倍晋三ら3人の首相をうみ、現在、自民党最大の派閥となっている。
そこで、あらためて、問題になるのが、自民党の統一的なビジョンである。
自民党は、保守党といわれているが、保守である前に、自由でなくてはならない。歴史や伝統、国を愛するのは、個人の自由という唯心論だからで、保守主義者は、イデオロギーに縛られない自由主義者でもある。
共産や立憲民主、社民らリベラルを名乗る政党にあるのは、イデオロギーと権力志向だけで、自由主義がない。自由主義のない政党がリベラルを名乗るのは異様というほかない。
といっても、自民党も、保守主義や自由主義が根づいているとは言い難い。
吉田茂の旧自由党系宏池会(岸田派)や平成研究会(竹下派)、志公会(麻生派)などは、経済中心の現実路線で政治に疎い。しかも、小沢一郎や羽田孜をはじめ、鳩山由紀夫、岡田克也らの造反者をだしている。
一方の旧民主党系には「60年安保」の岸信介から福田赳夫にひきつがれた清和政策研究会のほか、河野一郎から中曽根康弘、渡辺美智雄をへて亀井静香や二階俊博、石原伸晃へ流れる系統があるが、ここにも、保守主義者や自由主義者はいない。
清和会から「自民党をぶっつぶす」と宣言して三期総理大臣に就任した小泉純一郎は、ブレーンの竹中平蔵とともに新自由主義に走って、雇用や設備投資などの社会貢献を担っていた日本型資本主義を、株主や投資家に奉仕するアメリカ資本主義にかえて、先進諸国のなかで勤労者所得が最低の格差社会をつくりだした。
清和会の大元である岸は、戦前、満州で計画経済を構想して、対立した小林一三(阪急電鉄創始者)から「あれはアカ(共産主義者)だ」と批判されている。岸ですら、保守主義者、自由主義者たりえなかったのである。
まして、小泉の新自由主義は、自由主義どころか、資本の論理への屈服で、マルクス主義と同様、人間疎外以外のなにものでもない。
自民党のビジョンに、保守主義と自由主義が見えてこないのは、この二つは心的な価値で、ビジョンとして明文化できる性格のものではないからである。
保守主義と自由主義は心の問題で、ヨーロッパでは、モラルの範疇にくくられる。日本では、聖徳太子の17条憲法とりわけ「和を以って貴しとなす」がこれをよく表している。
自民党が国民的な政党になるには、高いモラルをみずからしめさなければならないのである。
次回は、岸田新政権が打ち出した「新しい日本型資本主義」に検討をくわえることにしよう。