●「上の句」だけで「下の句」がない日本の政治
政治は、結果論の世界である。結果がすべてで、結果責任だけを問われる。
思うのは勝手で、なにを思っても構わないが、行動に移すと責任が生じる。
その一方、結果論では、理由や根拠、経緯について、なにも問われない。
問うたところで、仕方ないからで、現実は、すべて、結果論の世界である。
インカ・アステカを滅ぼしたスペインや黒人狩りをおこなったポルトガルやイギリスなどの奴隷商人、先住民族のインディアンやアボロジニを全滅させた欧米やオーストラリアらが、これまで謝罪してこなかったのは、歴史の結果を否定できないからである。
いかなる経緯があろうとも、あるのは、結果だけで、その結果の上に人類が生存している。現在こそが、結果論で、だれもがこの結果論をうけいれざるをえないのである。
西洋の蛮行に比較して、大韓帝国の皇帝(純宗)と内閣(李完用)、議会からの依頼にもとづいておこなわれた日韓併合条約(「韓国併合ニ関スル条約」)はりっぱなもので、文句をいわれる筋合いはどこにもない。巨額の外債に苦しむ世界最貧国の朝鮮が日本にすがったのは、それまで頼ってきた清国やロシアが戦争で日本に負けたからで、日韓併合は、韓国がもとめてやまないものだった。
韓国も台湾も、日本に占領されていた時代に、経済政策や国家運営の技術を学んで、戦後、独立して世界的な大国へ発展した。とりわけ、韓国や北朝鮮の経済インフラの中心となったのは、日本が半島に残してきた世界一の水豊ダムなど産業・工業施設だった。さらに日本は、戦後、韓国にたいして3億ドルの無償提供や25年もわたる円借款をおこなって「漢江の奇跡」と呼ばれる韓国経済の発展をささえてきた。
それでも、韓国は、日本にたいして、侵略の反省が足りないとつっかかってくる。
それが結果論というもので、いくら恩恵をうけても、手柄はぜんぶじぶんのもので、援助や善意については、そっちが勝手にやったことだろうという話にされる。
したがって、韓国から感謝されようと謝罪をもとめられようと、応じるべきではない。結果論では、動機や原因、理由や経緯には三文の値打ちもないからである。
現在の韓国が、日本統治35年を土台にしているのは、歴史的事実で、いうまでもないが、それをいわないのが大人の態度なのである。
1986年、中曽根康弘首相が「日韓併合には朝鮮側にも責任があった」と発言した藤尾正行文部大臣を解任したのは、大きな誤りで、大臣の罷免という結果が新たな政治情勢をつくりだした。日韓併合を肯定的に評価する政治家は責任をとらされるという前例をつくってしまったのである
1982年、宮沢喜一官房長官が「近隣諸国条項(中国・韓国などに日本の歴史観をあてはめない)という主権放棄を宣言して土下座外交≠フ下敷きをつくった。
中曽根、宮沢とも、中・韓との当座の外交をうまくやりたいという動機論にもとづくものだったが、それがどれほど大きなダメージなって、ふりかかってくるかという結果論については、まったく、配慮がなかった。
結果論で回転するのが現実で、動機を問われないのが歴史の真実である。
動機論が上の句なら、結果論が下の句で、世界は下の句から成っている。
旧日本海軍の永野修身(軍令部総長)は御前会議で天皇に「座して死ぬよりも断じて打ってでるべし。屈しても亡国、たたかっても亡国、どっちみち国が滅びるなら最後の一兵までたたかって負けるべし、日本精神さえ残れば、子孫は、再起、三起するであろうと」と奏上している。
それが上の句の動機論で、一方、海軍には「真珠湾攻撃後の世界戦略」という下の句の結果論がなかった。
海軍は、一か八かの博打のような真珠湾攻撃の後、連戦連敗で、日本を存亡の危機に追いやって、大都市空襲と原爆投下という人類最大の悲劇までまねいた。
日米戦争の開戦責任と第二次世界大戦の敗戦責任は、結果論をもたなかった旧日本海軍にあったといってよい。
ところが、戦後、海軍の人気は上々で、山本五十六は、いまなお、国民的なヒーローである。動機よければすべてよしという「上の句」論が日本人の気質で、四十七士が切腹させられただけの仇討ち劇(忠臣蔵)がいまでも大人気である。
戦後、アメリカは、対日臨戦態勢(=軍産複合体)とナチスから逃避してきたヨーロッパ資本(=ユダヤ系7財閥)によって、戦勝国連合(国連)を礎石とする超大国になったが、アメリカ以上に得をしたのが中国共産党だった。
旧日本軍が置いてきた武器を使って革命を成功させ、蒋介石を台湾へ追放して満州利権をひきつぐと、拒否権をもつ国連の常任理事国となって、いまや、アメリカに次ぐ世界ナンバー2の大国である。
世界の強国は、すべて、結果よければすべてよしという「下の句」論に立っているのである。
小泉純一郎の「自民党をぶっつぶす」が大うけにうけて、自民党は、本当にぶっつぶれてしまった。反改革派への刺客″戦で派閥が崩壊して、国会は小泉チルドレンがバッコするところとなったが、小泉には、ぶっつぶした自民党の代わりにどんな政党をつくるか、どんな政治をおこなうかというプランがなかった。
ブッシュと竹中平蔵にのせられた郵政民営化が天下の失政、愚策だったことは、だれの目にも明らかだが、政界引退後、こんどは「原発をぶっつぶす」といいだした。原発は12兆円以上の国富を節約できる上、CO2を排出しない準国産のエネルギー源である。原油価格高騰が恒常化しつつあるなか、原発を撤廃すれば、日本経済も国民生活もたちゆかない。
小泉改革の「皇室をぶっつぶす(女系天皇容認)」は、悠仁親王の誕生で沙汰やみになったが「日本資本主義をぶっつぶす」のほうは実現して、雇用や設備投資、規制や秩序によってまもられていた日本型の資本主義を、株主や投資家が富を独占するアメリカ型の資本主義(新自由主義=格差社会)へと変えてしまった。
小泉の「ぶっつぶす」も、マスコミも「政治を変えよう」も、受け皿がない上の句の論理で、破壊してなにをつくるか、政治をどのように変えるかという下の句のグランドプランがない。
日本は1945年以降の左右対決(55年体制)と60年の政治動乱(安保とテロ)以降、池田勇人の「所得倍増計画」に代表される経済中心の宏池会が、保守本流を自任してきた。
宏池会系の岸田文雄新首相が「新自由主義的政策が持てる者と持たざる者の格差と分断を生んだ」として、所得再分配を経済政策の中核にすえる考え方をしめしたのは、当然であろう。
宏池会を創設した池田勇人や岸田が政治の師と仰ぐ宮沢喜一は、大蔵省出身の官僚経済で、もともと、新自由主義経済とは反対の方向をむいている。
岸田首相+河野太郎(広報本部長)のコンビが、今後、経済におけるグランドプランをつくりあげる可能性は十分にある。
そこで、楽天グループの三木谷浩史会長から、岸田経済は社会主義的という批判をうけたが、所得再分配がイコール社会主義的ということにもなるまい。
次回は、岸田首相の経済政策を世界経済と比較しながら検討してみよう。