2022年02月27日

 天皇と日本の民主主義7

 ●「民主主義・護憲・国連中心」が平和勢力
 ロシア軍が、2月24日、ウクライナへの攻撃を開始して、くすぶっていたNATO(北大西洋条約機構)危機≠ェ現実のものとなった。
 湾岸戦争やアフガン戦争、イラク戦争は、地域戦争で、世界戦争に発展する可能性はなかった。
 だが、ロシアのウクライナ侵攻は、NATOの「東方拡大」をめぐる戦争とあってロシア対欧米≠フ抗争に発展しかねず、核兵器の使用をほのめかしたプーチン発言に、欧米首脳は、顔色を失った。
 ところが、日本の平和勢力は、沈黙したままで、うんともすんともない。
「コロナ特措法」に反対声明をだしたマスコミ労連(日本マスコミ文化情報労組会議)や日本弁護士連合会も、ロシアのウクライナ侵攻には、われ関せずの涼しい顔で、コメント一つだしていない。
 理由は、日本の平和勢力は、民主一辺倒だからで、個人や自由にはいたって鈍感なのである。民主主義をまもれと叫ぶが、個人の自由をまもれといわないのが、日本の平和主義なのである。
 平和勢力というのは「民主主義派」「護憲派」「国連中心派」の3派である。
 命名者はマスコミで、安保法制(2015年)の際には、安倍晋三元首相を「戦争が大好きな安倍首相」となじり、安保法制を戦争法≠ニ呼んで国民を煽った。マスコミみずから、平和勢力を自認しているからで、民主主義の応援団なのである。
 マスコミやタレント文化人のいう民主主義は、多数決や普通選挙法のことではなく、権力の対極にある一介の庶民、という意味と思われる。
 だが、民主の民は、一人の民ではなく民全体である。国民主権も、国民すべてにあたえられた一個の主権で、権力者が国民総体の権利をあずかろうという。
 民主主義も国民主権も、国民のひとり一人が主権をもっているという意味ではなかったのである。
 民主主義が全体主義とイコールだったのなら、民主主義のリーダーシップを握るのは、当然、日本共産党である。立憲民主党が共産党にすりよっていった理由もそこにあって、民主主義=国民主権をあずかって、政権を奪取するのが六全協(1955年)以降の共産党の最大のテーゼなのである。
 ちなみに、自由民主党は、自由(個人)+民主(全体)で、個人が消えるとたちまち大政翼賛会の全体主義に陥る。
 ●日本の平和主義と憲法革命論
 民主主義は、大衆(デーモス)権力(クラトス)で、政治体制のことである。
 このなかに共和制から共産主義、独裁、ファシズムまでがふくまれる。
 制度である民主主義は、もともと、唯物論の全体主義だったのである。
 一方、思想や価値観である個人主義や自由主義は、唯心論である。
 全体主義が個人の自由をみとめないのは、個人の生活や思想は、国家全体の利害と一致するよう統制されなければならないとするからである。
 アメリカに対抗して、打ち上げた中国式民主主義≠ェそれだった。
 個人主義と自由主義を欠いた中国の民主主義は、かつてにスターリン独裁やヒトラーのファシズム、天皇軍国主義、北一輝の国家社会主義とかわるところがないが、それが、ルソーの「一般化理論」である。
 ひとり一人は、生きている人間でも、一般化すれば、国民全体という一つのモノとなる。
 個人が消えれば、個性も人格も、個人の自由も消えてなくなる。『自由論』のバーリンが「人類の思想のなかでもっとも邪悪でおそろしい敵」と評したのがルソーのこの一般意志≠セった。
 このことから、民主主義が、かぎりなくファシズムや共産主義に近いことがわかる。
 したがって、国家の品格は、民主と非民主ではなく、個人主義や自由主義を採っているか否かで判断されなければならない。
「天皇と日本の民主主義」というテーマには、これに、革命主義と伝統主義がくわわるが、このテーマは次回以降にゆずる。
 欧米の民主主義は、個人主義と自由主義の上に立っているが、中国やロシアの民主主義は、国民主権をあずかった国家という全体主義上に立っている。
 日・米・欧と、中・ロの民主主義は、制度や形態がちがうというより文化や価値観が異なっていたのである。
 そして、日本の民主主義は、憲法をまもっていれば、しぜんに議会内革命が成立するという憲法革命論≠ナある。六全協体制の日本共産党が日本の民主主義をリードしているゆえんで、これに、民主主義派と護憲派、国連中心主義がからみついて、日本的平和主義ができあがっている。
 ●敵対関係にある民主主義と自由主義
 民主主義といっても、全体主義的な中国やロシアの民主主義と、個人主義と自由主義に拠って立つ欧米の民主主義は、別物である。
 日本では、制度としての民主主義が優先される一方、思想としての自由主義や個人主義がないがしろにされる。
 民主主義と個人主義・自由主義は、多数決をみてもわかるように、敵対関係にある。
 多数派支配は、少数派という個人を犠牲にするからだが、談合や調整、ソンタクが非民主的ということになると、多数決しか残らない。
 それでは、次のテーに移って、民主主義派と護憲派は、折り合うのか。
 民主主義の国家は、国家が、国民主権を丸ごとあずかった強権国家である。
 一方、護憲派は「武器を捨てれば平和になる」という楽観主義である。
 そんな夢のような平和主義が、全体主義国家の中国やロシアでつうじるはずはない。下手をすれば、国家反逆罪で死刑になる。
 それでは、次に、護憲派と国連中心主義派は整合するだろうか。
 軍備や交戦権を否定する憲法9条は、個別的・集団的自衛をみとめる国際連合憲章(第51条)とかみあわない。
 それどころか、今回のロシアのウクライナ侵攻にたいする国連の非難決議にロシアが拒否権を行使、中国が棄権したように、武力侵略をとめられないばかりか、非難決議さえとおらない国連で、9条の平和主義(武装放棄)を唱えるのは、たたかう前から白旗を掲げるようなものである。
 最後のテーマは、国連中心主義派と民主主義派は両立するか否かである。
 国連は、第二次大戦の戦勝国連合で、戦勝国のアメリカとイギリス、フランスとロシア、中国の五大国が常任理事国をつとめ、拒否権をもつている。
 国連常任理事国5国の共通点は、革命国家であることと、民主主義を建国の理念としていることである。
 だが、日本は、革命国家ではなく、伝統国家である。
 民主主義は、最大の価値ではなく、方法論の一つにすぎない。
 日本は、国体=権威、政体=権力の二元論の国で、絶対主義ではなかった。
 絶対主義が、権威(天皇)と権力(幕府)に二分されていたからだった。
 そして、天皇と幕府、国民の三位一体≠ェ「君臣一体」や「君民共治」というかたちで機能していた。
 武士階級は儒教と封建主義でがちがちだったが、一般国民は、合理的精神をもって、江戸300年において、世界一の先進国家をつくりあげた。
 次回以降、西洋文明と日本文化を比較しながら、日本の民主主義のあるべきすがたを追ってゆこう。
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2022年02月21日

 天皇と日本の民主主義6

 ●民主より自由をとった西洋のデモクラシー
 日本人は、自由(リバティ)が天からでも降ってきたように思っている。
 なにしろ、憲法条文に自由という文字が33回もでてくるのである。
 自由のバーゲンセール≠セが、西洋では、ルネサンスから啓蒙時代、宗教革命、市民革命など千年におよぶ血みどろの歴史をとおしてようやく手に入れた成果なので、そんな大安売りはしない。
 日本人が、自由や平等、権利を、タダで手に入る空気のように思っているのは、日教組のルソー教育のせいで、ルソー主義は「世界人権宣言」の第一条にもとりいれられている。「すべての人間は生れながらにして自由で、尊厳と権利について平等である」
 そして「人間は、理性と良心とを授けられているので、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と続く。日本国憲法前文とほぼ同じ文章なのは、日本国憲法をつくったのも国際連合憲章をつくったのも、ともに、ニューディーラーというアメリカ左翼のだったからである。
 日本国憲法には、人権という文字が22回でてくるが、ヨーロッパで人権が定着したのは最近のことで、18世紀末のフランス革命「人権宣言」でさえ女性と奴隷が除外されている。
 ヨーロッパは、現在も身分社会で、奴隷制度が禁止されたのは、19世紀の半ばだった。宗教の自由もない。かつて、非キリスト教徒は異端裁判で死刑になったが、現在も、肩身が狭い。女性や低所得者の参政権が確立されたのは近現代になってからで、所有権や経済活動の自由にいたっては、近代民法が定着した20世紀以降である。
 日本人は、民主主義と聞くと血眼になるが、欧米人は、民主のきわめつけが共産主義と知っているので、幻想をもっていない。その逆に、近代まで、手に入らなかった自由にたいしてきわめて敏感である。
 ●自由主義の欧米、民主主義の日本と中国
 したがって、西洋人は、リバティを奪われることに我慢がならない。
 新型コロナウイルスの一日あたりの新規感染者が数十万人をこえたフランスで、2月から、週3日のテレワークの義務ばかりか、マスクの着用義務までが撤廃されて、スペインなどもこれにつづいた。
 欧米人は、コロナ感染より、マスクをしない自由を奪われるほうがイヤなのである。
 コロナ対策で、ロックダウンや封鎖を連発して、国民の人権や自由には目もくれなかった中国とは好対照である。
 米英仏独が、中国政府のウイグル族弾圧に猛烈に反発しているのも、民族の自由を侵害しているからで、欧米人にとって、もっともゆるせないのが自由の侵害なのである。
 民主主義をまもれと叫ぶ日本のマスコミや野党が、ウイグル問題にふれないのは、自由主義に関心がないからで、チベットやウイグル、香港の独立運動も1976年の天安門事件と同様、すべて、民主化運動で片づけられる。
 よほど、民主化ということばがすきなようだが、チベットやウイグル、香港で展開されたのは、自由をもとめる独立運動で、民主化運動ではなかった。
 左翼が民主≠ノ思い入れるのは、個人主義と自由主義、私有財産制を否定するルソーの民主主義が、かぎなく、共産主義に近いからである。
 とりわけ、国民主権は、独裁者への無条件の権力委託で、これを利用したのがレーニンやスターリン、ヒトラーだった。
 国民主権というから、国民に主権があると思いきや、権力者があずかる国民全員の権力のことで、それなら国民から預かった権力の総量≠ニでもいっておくべきだった。
 なにしろ、権力者が国民から権力を預かったその時点で、国民は権力者から一方的に支配されるだけの無力な存在になってしまうのである。
 ●「自由化」を「民主化」と誤訳
 民主政治(デモクラシー)の訳語は、もともと、共和制だった。
 西洋でも、デモクラシーと共和制(リパブリック)はほぼ同義で、19世紀半ば頃まで、デモクラシーに、中国は「民主」、日本は「共和」という異なった漢語訳語を当てていた。
 それが民主主義になったのは、中国から『万国公法』という書物をつうじて民主ということばがはいってきたからで、それに和製漢語の主義という単語をつないで民主主義という四字熟語がうまれた。
 漢字は、もともと、中国のものだが、明治以降、逆に、文化や文明、政治や経済、思想や哲学、宗教や理性など800語以上もの日本の漢字(和製漢語)が中国にでていった。
 多くが西洋の近代概念で、英語でなくても、科学的・抽象的な思考ができるのは、和製漢語のたまものという指摘もある。
 その一方、19世紀以降、中国の西洋化(「西学東漸」)からうまれた主権や特権、民主や野蛮、慣行や例外のような近代的な漢字(華製新漢語)が新たに中国から日本に入ってきた。
 民主主義ということばは、日中漢語圏の交流の産物だったのである。
 民主主義の命名者は、大正デモクラシーに共産主義をもちこんだ東大出身のエリート・マルキスト(麻生久や棚橋小虎)らで、かれらのいう民主が、共和や共産主義にかぎりなく近かったのはいうまでもない。
 民主主義の前身である吉野作造の民本主義は、天皇主権の目的を人民の利福においた一種の君民共治≠ナ、政治上の目的を普通選挙法においたことからも、現在の立憲君主制の土台だったといえよう。
 いうまでもないが、君民共治の民本主義は、共産主義と相容れない。
 欧米の民主主義も、民主(デモクラシー)ではなく、専制政治や独裁からの解放という意味合いの自由(リバティ)だった。
 リバティは、個人主義にして自由主義で、唯心論(ヒト)である。
 一方、デモクラシーは、政治体制なので、唯物論(モノ)である。
 民主化というのは、政治体制の支配者が権力者から民へ移ることをいう。
 だが、この民は、一般意志(=全体)で、特殊意志(=個人)ではない。
 全体は「みんなと一緒」というときの皆のことで、個人が消えている。
 これが『自由論』のバーリンから「人類の思想のなかでもっとも邪悪でおそろしい敵」と非難されたルソーの一般意志である。
「国民主権だからオレにも主権がある」というのは大まちがいで、民主は、個人が抹消されたのちにあらわれるものなのである。
 ●ルソー教に染まった日本の法曹界
 ルソー主義に拠って立っているのが日本の法曹界である。
 国家が一般意志の名目のもとで国民に服従を義務づけたことによって、日本は近代的な「法の支配」にもとづく民主主義的な社会をつくることができたなどと主張する。そして、国民が主権をもち、政府は、国民の一般意志にもとづいて政治をおこなっているので、国民主権の原型をつくったルソー主義は正しいなどという。
 日本人が、個別性や人格、個性をもたない、人権という同一性だけをもった群れ≠ニいうのである。
 日本の法曹界がバカなのは、一般意志や国民主権の国民が、個人か全体かという問題の核心にふれないからである。
 個人のものなら、日本には、主権が一億以上あることになって、収拾がつかなくなるであろうし、全体のものなら、個人の人権は一億分の一ということになるが、それはどんなものなのか。
 日本の法曹界は「八月革命説」の宮沢(宮澤俊義)憲法論という土台に立っている。
 宮沢憲法は、法が個人主義・自由主義ではなく、民主主義の下にあるとするもので、全体主義である。
 天皇は、歴史的・文化的・伝統的存在ではなく、憲法上の存在であるという憲法天皇説も全体(体制)主義派である。
 法は、革命という体制の変更によって変化するというのが、法の根拠を人間におかない、宮沢憲法の骨子である。
 日本の法曹界は、八月革命派の牙城で、左翼の踏み絵といわれる司法試験をパスしてきた検事や弁護士らはこぞって民主派である。弁護士連合会が、いまや、日本共産党に並ぶ左翼集団となったのは、マルキストではなく、フランス革命で恐怖政治を敷いたロベスピエールと同様、熱烈なるルソー主義者だからである。
 次回も、マスコミや法曹界、左翼評論家らの脳ミソを蝕んでいるルソー主義の欠陥についてのべよう。
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2022年02月13日

 天皇と日本の民主主義5

 ●ロシアや中国にないのは自由主義
 昨年、90歳になったゴルバチョフが、書面インタビューにこう応えた。
「ロシアがめざす未来は、ひとつしかない。それが民主主義です」
 民主主義は、中国が自画自賛して、北朝鮮でさえ国名(朝鮮民主主義人民共和国)に謳っている。ソ連解体(1991年)後のロシアも、ペレストロイカ(立て直し)とともに民主主義の看板を大きく掲げた。
 だが、現実は、プーチンが、メドヴェージェフを傀儡にした4年間を挟んで20年以上、大統領に君臨する独裁体制がつづいてきた。
 ロシアでは、過激派と認定されると、指導者や関係者が長期間、被選挙権を失う法案がとおって、選挙の候補者が激減したばかりか、一説によると、選挙権を奪われた国民も数百万人にたっしているという。
 自由陣営で、民主主義といえば、多数決の原理と参政権のことをいう。
 参政権(普通選挙法)には、投票の自由とともに立候補の自由もふくまれる。
 選挙の自由は自由民主主義≠ナあって、ルソーの民主主義ではない。
 ルソーの民主主義は、直接民主主義で、選挙も議会も必要とされない。
 なにしろ、国民すべてを収容できる議事堂がないので、独裁者が国民主権をあずかるというのが、ルソーの民主主義=国民主権の言い分なのである。
 ルソーの民主主義は、ひとり一人の個≠ナはなく、民衆という全体≠主とする思想で、それを為政者があずかって、独裁政治をおこなう。
 ルソーが英国の選挙を「選挙民が自由なのは選挙中だけで、選挙が終わると奴隷になる(『人間不平等起源論/代議士または代表者について』)とけなしているように、ルソーは、普通選挙法や議会制度をみとめていない。
 個人を、一般意志のもとに、国民という分割不可能な一つの共同体に括ってしまうので、選挙も議会もあったものではないのである。
 ちなみに、選挙や議会は、個人を重んじる自由主義の産物で、多数決という民主主義は、ただの方法論にすぎない。
 ●「日本国民の総意」というルソー主義
 日本国憲法(第一条)に「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意にある」とある。
 だが、国民は、ひとり一人、異なった人権や人格、自由をもち、その自由のなかには、表現や投票の自由もふくまれる。
 それが、なぜ国民の総意≠ニ一緒くたになるのか。
 ルソーによると、正しいのは、個人(特殊意志)ではなく、公の利益をもとめる全体(一般意志)だけである。特殊意志から個性を殺ぎ落とすと「相違の総和」としての「一般意志」が残る(『社会契約論』/第二篇第三章)というのが一般意志の要諦である。
 空おそろしい思想である。そのルソー主義が、日本国憲法第一条の天皇条項で、ぬけぬけと、のべられている。
 バーリン(『自由論』)によると、投票も議会も、個人の自由に属する。
 その個人の自由が、一般意志という邪悪なもの(バーリン)に侵されて、ロシアや中国という全体主義国家がつくりあげられた。
 ロシアになかったのは、民主主義ではなく、自由主義だったのである。
 ゴルバチョフにして、そのことに気がついていないのである。
 必要なのは、個人を単位とする自由主義であって、個人の自由を奪って国民主権にひっくるめてしまう民主主義ではなかった。
 個人としての民が主(あるじ)になる民主主義など存在しないのである。
 ●国家の上に共産党がある中国の民主主義
 バイデン米大統領が主催した民主主義サミットにぶつけるかたちで公表した中国政府の白書(「中国の民主」)にこうある。「良い民主とは社会の共通規範をまもって、社会の分裂や衝突を避けるものでなくてはならない」
 そして、中国の民主が、西側の民主主義よりすぐれていると自画自賛する。
 共産主義と民主主義は、全体主義と地続きで、ロシアも中国も、民主主義をもっていても、自由主義と個人主義をもっていない。
 中国の民主は、中国共産党の指導下にあって、共産主義のテーゼの下にある人民独裁には、個人の自由どころか、個の存在さえみとめられていない。
 中国では、共産党が立候補者を選別して、共産党や国家に従順な国民でなければ出馬がゆるされない。
 昨年(2021年)の香港立法会選挙では、立候補者は愛国者であるかどうかのチェックをうけて、市民60%が支持をえて、40%の議席をもっていた民主派の候補が資格を失って、民主派の当選者はゼロ、議会は、親中派一色となった。
 20%台という投票率の低さと無効票率の高さは、市民の怒りのあらわれというべきだが、中国当局は、選挙結果に大満足で、民主主義の勝利を高らかに宣言した。
 民の上に国家が、国家の上に共産党がある三段重ねの体制は、個を圧殺した上に成立した権力機構で、計画経済ならぬ計画国家である。
 計画経済が破綻したのは、人間の心は、合理では測れないからだった。
 計画国家も、ほころびが見えるのは、イデオロギーで人間の心を縛ることができないからである。まして、14億の人民をひっくるめて「国家の主人」というのは、唯物論という妄想以外のなにものでもない。
 ●「唯物論」「一般化」という革命思想
 唯物論は、生産や消費、貨幣という物的なものに目をむけることで、これが革命理論になったのは、そこから「階級闘争」がはじまったという唯物史観に立つからである。
 だが、世界をうごかしているのは、物質という唯物論ではなく、文化という唯心論である。
 天皇は、唯心的な文化、幕府(政府)が唯物的な権力である。
 この二元論は、文化としての自由主義と制度としての民主主義におきかえることができるが、そのテーマについては、後述しよう。
 いずれにしても、革命が忌みきらわれるは、自由が抹殺されるからである。
 ルソーの一般化(一般意志)とマルクスの唯物論が二大革命理論≠ニいわれるのは、両者とも、人間をモノ(物質)としか見ないからである。
 個人(特殊意志)は、個性を殺ぎ落とされて国民(一般意志)となる。
 この国民は、一つの総意(憲法第一条)しかもちえないモノとしての国民である。
 異議を唱えると国民ではなくなる。これを真似たのが階級闘争で、すべての労働者は、企業や主人に仕える誠実な勤労者ではなく、団結して資本家に牙をむく労働者である。
 このとき、国民や労働者は、人格をもった自由な個人から、モノにすぎない集団や階級となる。
 一般意志が、歴史上、たびたび、独裁者に利用されてきたのは、国民主権の名目で、魔王的な権力をふるえるからだった。国民から託された、国民のもとめに応じたという口実で、なんでもできてしまう一方、これに抗弁することがゆるされない。
 ルソーの直接民主主義には、選挙も議会もないからである。
 反抗すれば、国民の名の下で、ギロチン台へ送られてしまう。
 フランス革命を指導したジャコバン派の首領、ロベスピエールは「ルソーの血塗られた手」と呼ばれた。ルソーの狂信者だったロベスピエールはみずから「一般意志」の受託者を名乗って独裁体制(恐怖政治)を敷き、わずか数か月で3万人余の反対者をギロチン台に送ったからである。
 スターリン「大粛清」の犠牲者数は、フルシチョフの調査(1962年)もゴルバチョフの再調査(1988年)も200万人前後だが、ソルジェニーツィン(『収容所群島』)は、数千万人が犠牲になったと書き残している。
 国民の命を虫けらのようにあつかうのが唯物論と一般化理論なのである。
 次回は、ルソー主義にのめりこんでいった戦後日本人のすがたに迫ろう。
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2022年02月07日

 天皇と日本の民主主義4

 ●「一般意志」というルソーの悪魔の思想
 マスコミも野党も「民主主義をまもれ」と叫ぶが「自由主義をまもれ」とはいわない。
 理由は、明らかで、マスコミや野党は、欧米の自由主義よりも、中ロの全体主義に親近感をもっているからである。
 中国が、じぶんたちこそ民主主義だというのは、そのとおりで、民主主義は全体主義でもある。
 多数決と多数派独裁がデモクラシーの根幹で、ロシア革命のレーニンが率いた政党の名称も「ボリシェヴィキ(多数派)」だった。
 民主主義は、古代ギリシャの大昔から多数決のことだったが、これを国民主権におきかえたのがルソーだった。
 西洋で、民主主義=国民主権が最大級の評価をうけるのは、中世ヨーロッパの絶対王権を打倒したからで、そこから、民主主義は、革命の輝けるイデオロギーとなった。
 事実、民主主義を標榜する米、中、英、仏、ロシアの五か国(国連常任理事国)は、いずれも、革命国家で、先進国のなかで、純然たる伝統国家といえるのは、日本だけである。
 民主主義と国民主権を融合させたのが「社会契約論」のなかでルソーがしめした「一般意志」である。
 ひとり一人の人間は、個性や人格、個人史が異なっているので、特殊意志である。
 そこで、ルソーは、とんでもない考えをもちだす。
 個人差をすべて削ぎ落してしまえば、人間は、人民という無個性で均一的な一般意志にすぎないものになって、権力で、自由に御すことができるというのである。
 ●「国民主権」というルソーの詐欺的造語
 ここから、ルソーという天才的詐話師の巧妙な屁理屈が展開される。
 国民ひとり一人が、直接、政治を執るべきだが、国民全員を収容できる議事堂は存在しない。
 そこで、一億人の国民を民≠ニひとくくりにして、これに主権をあたえて主≠ニ称する。
 これで、ルソー流の民主主義が完成する。
 これを為政者があずかって、政治をおこなうのが、国民主権である。
 これが「一般化理論」だが、この屁理屈が、マルクス・レーニンや毛沢東の共産主義革命の口実(=人民独裁)にされたのは、保守派陣営のなかでは常識である。
 ルソーの民主主義は「国民主権」というキャッチフレーズになって、フランス革命の精神となった。
 国民主権は、共産主義の文脈からいえば、人民独裁である。
 人民も国民も、個人ではなく、人民や国民全員をさしている。
 これほど嘘っ八のことばもないもので、国民も主権も、実体がどこにもないのである。
 他者と異なる身体と精神、個性や人格、名前や個人史をもつ個人をひっくるめて、国民と呼ぶのは、桜や梅、椿を植物≠ニ総称するようなもので、こんなデタラメなことばづかいはゆるされない。
 もう一つデタラメなのは、主権ということばである。
 主権は、絶対的な権利で、原語は、君主権(ソブリンティ)である。のちに国家に冠せられるようになったが、ソブリンティはなにものも侵されることがない最高権力で、交戦権さえゆるされている。
 国民主権は、国民が、その絶対主権をもっているというデタラメな話で、ルソーという男は、虚言に虚言をかさねる希代のイカサマ師というほかない。
 近代自由主義の旗手たるバーリンがルソーの「一般意志」を「人類の思想のなかでもっとも邪悪でおそろしい敵の一つ」と評したのもむべなるかなである。
 ●「議会主義と現代の大衆民主主義と対立」
 ルソーの国民主権は、直接民主主義のことで、民が、直接、政権を掌握する体制だという。
 直接民主主義が代議員を選出しないのは、投票者=個人が不在だからである。
 個人がいないので、普通選挙法も議会も、成り立たないのである。
 民主主義では、集合名詞の民≠ヘいるが、普通名詞の個人≠ヘいない。
 にもかかわらず、国民主権がうまれるのは、国民意志の一般化という作用がはたらくからで、その主権をあずかって、独裁がうまれる。
 なぜ、ひとり一人、自由に生き、人格や個性が異なる個人が、全体のなかに消えてしまったのか?
 そもそも、人民が一つなら、ひとり一人の人権や人格、自由はどこへいってしまったのか?
 ルソーの『社会契約論』によると「国家には、私有財産をふくめて、人々を分裂させる党派や宗教、思想、個人的な差異まど存在してはならない」(「議会主義と現代の大衆民主主義と対立」/シュミット)という。
 これが自由主義の欠落、全体主義でなくてなんなのかとシュミットは憤る。
 あまりにアホらしいので、ルソー主義は、ルソー主義を下敷きにしたマルクス主義とともに捨て去られた。
 ルソー主義を大事にしているのは、世界広しといえども、中国と日本のマスコミ、法曹界、野党ら左翼だけである。
 ●根本原理が異なる自由主義と民主主義
 欧米がおもんじているのは、民主ではなく自由(リバティ)である。
 リバティとフリーダムでは、同じ自由でも、意味合いが異なる。
 リバティは、たたかいとった自由で、積極的自由と呼ばれる。
 一方、フリーダムは自然発生的な自由で、消極的自由である。
 自由主義は、個人のちがいと個人の自由を原理としている。
 民主主義は、治者と被治者が同一の原理にもとづいている。
 主権をもつとされる国民が、その主権を為政者にあずけるので、治者と被治者が同一となるのである。
 そこからうまれたのがフランス革命のロベスピエールの独裁だった。
 フランス革命で実権を握ったロベスピエールは、俗に「ルソーの血塗られた手」と呼ばれる。国民の「一般意志」をあずかった正統なる権力者を自称したロベスピエールが独裁をおこない、恐怖政治によって反対者を大量に処刑したからである。
 民主主義や国民主権は、かくも、ごまかしと詭弁にみちた危険な代物だったわけだが、マスコミや法曹界ら左翼陣営は、いまなお、民主主義をまもれとこぶしをふりあげている。
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