2022年03月27日

 ウクライナに核があったらロシアは攻めたか?B

 ●民主主義を叫ぶ日本人が理解できない祖国愛
 ゼレンスキー大統領の国会演説のあと、橋下徹はこう吼えた。
「ウクライナ国民が生命をかけてたたかうこの戦争に合理性はあるのか」
 どこかで聞いたセリフである。
「男系男子のみが皇位を継承できる皇室典範に合理性(論理必然)があるのか」
 山尾志桜里元衆議院議員(民進党政調会長)が放った一言だった。
 テレビ(「サンデー・ジャポン」)は杉村太蔵に「片方の国(ウクライナ)に加担するのは日本の外交として正しいのか」といわせたが、この男は、母子を死なせた池袋の交通事故で、被告飯塚幸三(旧通産省幹部)に同調して「無罪を主張するのは民主主義のイロハ」といってのけている。
 かと思えば、身障者を国会に送りこむことが民主主義と思いこんでいる衆議院議員の山本太郎は、ゼレンスキー大統領の国会演説に「違和感がある」とのべた。幼児性のつよいかれらには、愛国心や祖国愛、同胞愛、命をかけて国をまもろうとするウクライナ人の合理性をこえた精神や文化を理解できないのである。
 多くの識者が、10倍の軍事力と核弾頭を六千発もつロシアにウクライナが勝てるわけはないと語った。首都キエフの陥落も3日もあれば十分と断言した軍事専門家もいた。
 ところが、ウクライナは、数千人の民間人を虐殺されながら、死に物狂いに闘って、開戦の一か月後、ロシア軍を首都キエフの東35キロの地点まで押し返すなど、各戦線で、ロシア軍を撃破しつつある。
 ウクライナ人もウクライナ兵も「われわれはいくら同胞が殺されても、町を破壊されても負けない」と決意をのべ、キエフのクリチコ市長は「(ロシア兵を)キエフには入れさせない。服従して奴隷になるなら死をえらぶ」と宣言した。
 ウクライナは、合理性や論理必然をこえて、ロシアの侵略から祖国をまもるために命がけでたたかっているのである。
 
 ●ウクライナ人の士気に敗北したロシア軍
 一方、ロシア兵の士気の低下がいちじるしい。ぬかるみにハマった数百台の戦車を捨てて逃亡したのは、動けなくった戦車にイギリスから補給された対戦車砲が浴びせかけられるからである。
 5000人の住民がロシアに連行されたマリウポリでは、ロシアの攻勢がつたえられるが、キエフやマカリフ、イルピンでは、ウクライナ軍が、ほぼ全域を取り返したほか、ロシア海軍がおさえたベルジャンシク港ではウクライナ軍がロシアの揚陸艦を完全破壊して、他のロシア軍艦を敗走させた。
 ロシア軍の戦死者は、1万2千人をこえ、戦車損失400台以上、航空機も100機以上、撃墜されている。ウクライナのスティンガー地対空ミサイルの命中率は抜群で、ウクライナは、同ミサイルをまだ1000基ももっている。
 ロシアの全将校20人余のうち7人が戦死したのは、米英の特殊部隊による作戦で、10回をこえる「ゼレンスキー暗殺隊」の襲撃を予知して撃退したのもこのチームだった。
 
 ●ウクライナとNATO、ロシアと中国という構図
 ウクライナが優勢に立ったといっても、世界で2番目の軍事大国、ロシアがかんたんに敗退すると見るのも早計である。ベラルーシ軍(2万)が参戦してくるとキエフがふたたび危機に陥る。
 NATOは、2014年のロシアによるクリミア併合を機に、バルト三国やポーランドに多国籍部隊を常設している。これにくわえ、今回、新たに、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、スロバキアの4か国にNATO戦闘部隊を配置した。
 ウクライナに隣接する8か国の兵力の合計は、ポーランドの12万を筆頭にルーマニア7万などの合計30万余で、兵力数ではNATOがロシアの優位に立った。
 だが、第三次世界大戦への懸念から、ポーランドがもとめているウクライナ派兵までは踏み切れていない。
 したがって、経済制裁に重点を置かざるをえないが、ここで問題になるのがロシアを支援する中国のスタンスである。
 ロシアの国家予算は35兆円で、ウクライナ戦争で、1日2兆円以上という巨額の戦費がかかっている。このペースで戦争をすすめてゆくと一か月後にはロシアがなくなっている(木村太郎)計算だが、そうならないのは、バックに中国がついているからである。
 中国国務院の朱鳳蓮報道官が「台湾は、自国に利益のために対ロシア制裁にくわわっている」と批判したのは、台湾がロシアへの電子部品の輸出をとめているからである。朱がこのとき民主進歩党(台湾の与党)を名指しして批判した。そこから、おのずと中国のハラが読める。
 中国がロシアを支援しているのは、台湾侵攻の際、ロシアを後ろ盾とするためで、中国は、ウクライナ戦争の和平仲介に入る気などさらさらないのである。
 
 ●勝敗の決め手となる精密誘導などの電子機器
 ちなみに、ロシアは、GPSや精密誘導などの電子部品を中国と台湾からの輸入に頼っている。台湾が精密機器の輸出を拒否したことで、ロシアは、精密機器の輸入を中国一本に絞らざるをえなくなったが、これは、中国への屈服を意味する。
 精密誘導は、レーザーや全地球測位システム(GPS)を利用してミサイルを目標まで正確に誘導する電子部品で、これがなければ、北朝鮮が発射実験に成功した極超音速ミサイル≠熕サ造できない。
 精密誘導型ミサイルはきわめて高価で、ロシアの戦費が一日2兆円かかるのは、これを一日何百発も撃つからで、ウクライナへの侵攻が停滞しはじめたのは、精密誘導ミサイルの在庫が減ってきたからである。
 精密誘導の電子機器がなければ、敵の射程外から発射できる誘導ミサイルが製造できない。誘導ミサイルを使用しない市街戦では、ウクライナ兵の士気が高く、戦車ばかりか、機関砲付きの軍用車両が1500台以上、破壊されている。

 ●核の傘は存在しない〜「安定と不安定の逆説」
 ロシアに残された手段は、生物・化学兵器と核だけである。
 だが、これらの兵器を使うと、人類は、これまで体験したことがない新しい戦争へひきこまれる。
 エドワード・ルトワック(『ルトワックの日本改造論』)が「核は使われない限り有効」といったように、核は使われると、抑止力を失って、核を保有する本来の意味を失ってしまう。
「使われない核は最大の抑止力となる」という「安定・不安定の逆説」は、アメリカとロシア、インドとパキスタンのような二国間のあいだに通用する論理で、多国間や同盟関係ではではまったく機能しない。
 それどころか、二国間以外の国が核攻撃をうけても、二国間の核抑止力がはたらくため、これを報復できないというジレンマがうみだされる。
 日本が、中国や北朝鮮から核ミサイルを撃ちこまれても、アメリカが反撃しないのは、日本のために、ニューヨークやロスアンゼルスに住んでいるアメリカ人の生命を犠牲にできないからである。
 しかも、それが国家のリーダーの正しい判断ということになれば、同盟は、せいぜい、共同作戦ほどの意味しかなくなってしまう。
 核を保有する二国間同士の同士の核抑止力は、核の非保有国の犠牲によって、却って、強力になる。
 この事実から、原理的にも現象的にも「核の傘は存在しない」ということになる。
 したがって、ロシアは、ウクライナ戦争で、核を使用する可能性があるのである。
 次回は、ウクライナ戦争から日本の核武装、第三次世界大戦の可能性についてのべよう
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2022年03月20日

 ウクライナに核があったらロシアは攻めたか?A

 ●日本人が忘れている都市大空襲と硫黄島玉砕
 ロシアのウクライナ侵攻について「ロシアに譲歩して市民の犠牲を最小限にすべき」とのべるマスコミ人、有名人が少なくない。
 橋下徹やテレビ朝日の玉川徹、テリー伊藤、ロシア・リーグでプレーしていたサッカーの本田圭佑らである。テリー伊藤などは「イノチがいちばん大事と思うんです、ね、ね、そーでしょ、みなさん」と軽口を叩く調子である。
 だが、当のウクライナやバルト三国などの隣接国、ウクライナ支援に136億ドル(1兆6千億円)の緊急予算を組んだアメリカや防空システム『スカイセイバー』をポーランドに配備したイギリスらNATO、ウクライナへの武器輸出にふみきったEUから、そんなふやけた声は聞こえてこない。
 ロシアに主権を奪われた国がどんな運命をたどったか、フィンランドやリトアニア、ハンガリーの歴史をみればわかるが、チェチェンやクリミアでは住民の大虐殺がおこなわれ、現在、ウクライナでその悪夢が再現されている。
 フィンランドとスウェーデンがNATOに参加できないのは、ロシアがゆるさないからで、英米が軍事的に無力だったら、フィンランドとスウェーデンが第二のウクライナ、否、第4、第5のチェチェンになっていたかもしれなかった。
 鈴木宗男は、ロシアのウクライナ侵略に「ウクライナ側にも手落ちがあった」とのべた。鈴木は、北方2島返還にからめて「ロシアにも民主主義がある」とも発言した前歴もある。
 共産党時代のソ連とはちがうといいたかったのであれば、現在のプーチン体制はそれ以下である。

 ●KGBと新財閥、武闘派がプーチン三大人脈
 プーチンのとりまきは、KGB人脈と大財閥、私兵集団をもつ武闘派の三つに分けられるが、合わせても50人にもならない。
 だが、このとりまきを使って集めた私財が12兆ルーブル(17兆円)にものぼって、住んでいる「プーチン宮殿」には、1000億ルーブル(1400億円)の巨費が投じられた。
 国防関係をになっているのがKGB人脈である。ショイグ国防相やパトルシェフ安保会議書記、ナルイシキン対外情報局長官、ボルトニコフ連邦保安局長官ら国防関係者らは、KGB時代の同僚や部下で、プーチンに盾つく者は一人もいない。
 財閥は、ロシア資本主義化の過程でうまれた新興財閥(オリガルヒ)にくわえ、献金と利権のバーターで育成した新財閥の合体で、アメリカの資産の半分が数十人の大金持ちに握られているように、ロシアの富と利権もかれらに独占されている。
 三つ目の武闘集団にあたるのが、チェチェン共和国の独裁者カディロフ首長らプーチンを崇拝する有力者で、クリミア半島やウクライナ東部のドネツクとルガンスクの二州をおさえる親ロシア派武装勢力のリーダーらも、プーチンの子分である。
 ソ連時代は、腐敗していたとはいえ、ソ連共産党というイデオロギー的規範のもとにあって、一応、理想を掲げていた。だが、現在のロシアは、プーチンというギャングの親玉が牛耳る暗黒街のようなもので、50人余のとりまきが軍部と政治機構、経済を一手に掌握して、プーチン親分に忠誠を誓っている。
 ロシア通の鈴木宗男やロシア圧勝を期待する佐藤優らは、この事情を知っていながらプーチンにテコ入れしているのだから、プーチンファミリーの一員というほかない。

 ●連合国からチェチェン以下の扱いをうけた日本
 かつて、日本は「ABCD(アメリカ・イギリス・中国・オランダ)包囲網」と呼ばれた経済封鎖(石油禁輸など)に苦しみ、インドネシアのパレンバン油田からわが国に石油を輸送するオイルロードをまもるべく、ハワイの海軍基地に奇襲攻撃をかけた。
 日米戦争はこうしてはじまったが、アメリカは、徹底した民間人殺戮に勝機をもとめた。その結果、日本全国の都市が米軍機(B29)の空爆によって焦土と化して、民間人の死者が41万人におよんだ。
 原爆投下による広島(14万人以上)と長崎(7万人以上)だけで、死者が20万人をこえる。そして、東京大空襲で10万人、その他の都市で10万人が犠牲になった。
 悲劇はそれだけでは終わらなかった。戦勝4か国(米英中ソ)による4分割統治である。4分割は、アメリカが関東、信越、東海、北陸、近畿を、イギリスが中国と九州を、ソ連が北海道と東北地方を、中華民国が四国を領有するというもので、東京は四か国共同占領で話し合いがついた。
 もっとも、占領には組織的抵抗が予想されるため、占領開始時はアメリカが23個師団(85万)を投入して全土を一年間で掌握してのち、3か月後から各国軍に占領させるというとりきめだった。

 ●なぜ連合国は日本に条件つき″~伏をもとめたか
 だが、この約束を破ったのが、広島へ原爆が投下された直後、参戦してきたソ連だった。ソ連は、ポツダム会議には参加しているが、戦争当事国ではなかったため、ポツダム宣言にはくわわっていない。
 だが、スターリンは、この時点ではすでに死んでいたルーズベルトと密約を交わしていた。対日参戦した段階で、ソ連に満州と千島列島(北方四島以北)をゆずりわたすというものだった。この謀略を察知したイギリスは、当時、世界各国に「わが国はクリミア会談(ヤルタ密約)に関与していない」という緊急公電を打っている。
 1956年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の密約であり、米政府の公式文書でなく無効」とする国務省声明を発表、ソ連の領土占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にした。
 ルーズベルトの後任、トルーマンは「連合国軍が日本領土内に諸地点≠占領する」とあるポツダム宣言7条に国名を挙げなかったことから、戦勝4か国(米英中ソ)の分割統治とアメリカ軍による一年間の支配を撤回して、マッカーサーにその旨をつたえた。「ポツダム宣言にそって、帝王にようにふるまいたまえ」
 ポツダム宣言は、13条から成る条件つきの降伏布告(ディクラレイション)で、第5条に「これは条項(条件)である」とはっきり明記している。
 無条件降伏という文字があるのは13条で「われわれは日本政府に日本軍隊の無条件降伏≠フ宣言を要求する」とある一個所だけである。日本が無条件降伏したのなら、連合国軍が、どうして、日本政府に要求をつきつけることができたろう。

 ●チェチェン以上に徹底抗戦した旧日本軍
「日本はアメリカに無条件降伏した」と枉げてつたわったのは、吉田茂の国会答弁(昭和24年11月26日/衆議院予算委員会)および最高裁判所の判断(昭和28年4月8日/最高裁判所大法廷大法廷)にもとづく。
 吉田は「日本国は無条件降伏をしたのである」とのべ、最高裁判決にはこうある。「わが国はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合国に対して無条件降伏をした」
 これに左翼は「降伏条件を無条件に受諾して降伏したので無条件降伏だ」と屁理屈をつけて、日本に革命がおきた「八月革命(宮沢俊義)」といって騒いだ。
 だが、トルーマンもマッカーサーも、無条件降伏とは思っていない。
 したがって、降伏13条をまもって、天皇を裁判にもかけなかった。
 トルーマンはおそれていた。サイパン島、硫黄島、沖縄で日本軍は死をおそれぬ戦いで米軍に大損害をあたえた。本土決戦になれば、兵力ばかりか航空機や戦車、大砲などの数が圧倒的優位にあった日本に勝てるはずはなかった。
 ポツダム宣言が国体護持という条件つき降伏≠ニなったのは、日本にたいする譲歩であった。
 日本を破滅から救ったのは、日本人の不屈の敢闘精神だったのである。
 千島列島のソ連軍は、日本軍に圧倒(占守島の戦い)されて、中国大陸では、日本が負けている戦線は一つもなかった。
 アメリカやソ連、中国には天皇の命令≠ノよって、日本軍を武装解除する以外、戦争を終わらせる手段をもっていなかったのである。
 原爆を落とされてなお、日本人は、民間人の殺戮に狂奔するアメリカと戦おうとしていた。
 チェチェンの人々は、日本人から国をまもる勇敢さを学んで、ロシアに立ちむかったのである。
「イノチがいちばん大事と思うんです、そーでしょ、みなさん」というようなふぬけたやからは一人もいなかった。
 次回以降、日本人がいかに国家をまもってきたか、これから、どうまもってゆくべきかについてのべよう。

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2022年03月13日

 ウクライナに核があったらロシアは攻めたか?@

 ●かつて世界第3位の核大国だったウクライナ
 ウクライナが核弾頭およびモスクワに届くミサイルをもっていたら、今回のウクライナ侵攻はあったろうか?
 なかったろう。核保有国への武力攻撃は、ありえないからで、核保有国への攻撃は、みずから核の報復をうける立場へまわる愚行で、一片の合理性もない。
 かつて、ウクライナは、世界第3位の核保有国(核弾頭1240発/ICBM176発)だったが、1991のソビエト連邦の崩壊によって、アメリカと中国の手によって、核の撤去がなされた。このとき、安全保障の問題について中国と、そして、財政支援についてアメリカと合意がなされた。
 現在、ウクライナの軍事力は、カナダの一つ上の世界22位だが、ロシアと10対1の差があって、核も長距離ミサイルももっていない。一気にふみつぶして、ゼレンスキー大統領以下、閣僚と軍人を処罰したのち、武装解除をおこなって、ウクライナをロシアとヨーロッパの緩衝地帯することなどプーチンには朝飯前に思えたろう。
 ウクライナは、かつて、ソ連の一部だったが、ソ連崩壊後、西側に寝返ってNATO(北大西洋条約機構)やEC(欧州共同体)にくわわろうとした。ウクライナは、地政学的には、ロシアと欧州の中間にあって、NATOにとっては願ってもない攻撃的な前衛地帯となる。
 プーチンがウクライナを踏みつぶしたくなる気持ちもわからないではない。
 事実、アメリカは、日本に、二発の原爆を落としてのちそれをおこなった。
 日本は、中国の利権を一人占めしたばかりか、アメリカの勢力圏だった太平洋に南洋諸島(マリアナ諸島、カロリング諸島、パラオ諸島、マーシャル諸島など)をもって、ハワイの真珠湾に奇襲をかけて大損害をあたえた。
 アメリカが日本に原爆を投下して、武装解除したのは、二度と白人に歯向かわせないためだった。
 戦勝国がおこなった武装解除をヘーワケンポー≠ニ崇めているのが日本の護憲派で、原爆を落とされて、腰が抜けてしまったのである。

 ●アメリカと同じことをやっているだけだ
 ロシアがウクライナでやったことは、イラクの核保有を主張して、フセインおよび十万人のイラク兵を殺した(イラク戦争)とどこがちがうのか。
 プーチンが「ウクライナは核兵器を取得して核保有国の地位を得ようとしている。見過ごすわけにはいかない」といいだしたのは、アメリカと同じことをやっているのだというアッピールで、案の定、アメリカは一言もない。
 アメリカとちがうのは、核攻撃をしていないことだが、プーチンは、核兵器のオペレーションチームにスタンバイを命じている。
 プーチンが核のボタンを押すことはないだろいうというのは楽観論である。
 プーチンは政治家ではなく、KGB出身の軍人で、ソ連崩壊後、2次にわたるチェチェン紛争の指揮をとったが、その残虐非道な指揮ぶりが20年経った現在でも語り草になっている。
 プーチンは「グロズヌイ総攻撃」で、市民20万人の全員を殺戮したばかりか、チェチェン共和国人口120万人のうち4分の1を殺害して、親露政権ができた後も、チェチェンにたいする弾圧、虐殺をやめようとしなかった。
 プーチンを後任に指名したエリツィン大統領が見込んだのもその冷血漢ぶりで、大ロシアを背負って西側陣営に立ちむかえるのは、血も涙もないプーチンしかいないと思ったのである。
 そのプーチンにとって、ウクライナは第二のチェチェンで、原爆で落としたところで良心の呵責などない。

 ●ウクライナと中国がむすんでいる「核の防衛協定」
 ウクライナは、10世紀以前、ドニェプル川沿いに南下して建国したキエフ公国が原点である。ロシア(モスクワ公国)は、そのキエフから分離した国である。キエフ公国は、13世紀にモンゴルに滅ぼされたのち、数奇な運命をたどってソ連にのみこまれたが、その後も、スターリンの棄民政策で1000万人が餓死、第二次大戦では、ナチスとソ連軍の両方から攻撃をうけて国民の5人に1人、1000万が戦死するという悲惨な体験をもっている。
 そのウクライナが、キエフが陥落したくらいで、かんたんに白旗をかかげるはずはない。
 チェチェンは、人口約120万人で、日本の四国ほどの小さな国だったが、停戦まで15年も抵抗しつづけた。
 ウクライナは、面積が日本の1・6倍、人口4300万人余りで、1991年から完全に独立して、総兵力は20万人、世界22位の軍事力をもち、戦闘可能な予備役兵も90万人いる。兵力数では、侵攻したロシア軍(15万人)の7倍以上になる。
 ロシアが、中東諸国やシリア出身の外国人志願兵16000人を受けいれたのは、6000人が死亡(CNN)したロシア軍歩兵を補給するためで、チェチェンやアフガンを見ても、この戦争が、1週間や10日で終わる短期決戦ではないことは明らかだろう。
 仲介者が必要となるが、停戦調停をおこなっているトルコがNATOのメンバーでは、おのずと、限界がある。
 なんの貢献もできない西側に代わって、中国がのりだすことが大事で、中国とウクライナのあいだには、核の防衛協定である「ヤヌコビッチ大統領(ウクライナ)と習近平国家主席の合意書(「ウクライナへの安全保証の提供に関する声明」)」が存在する。
 中央アジアから東アジアにいたる習近平の「一帯一路」と、プーチンの大ロシア主義は利害が対立する。
 まして、ロシアがウクライナに核攻撃をおこなえば、中国との蜜月が破れて、中ソ対立が決定的になる。
 次回は、ウクライナ戦争における中国と日本のはたすべき役割にふれよう。
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2022年03月06日

 天皇と日本の民主主義8

 ●敵対関係にある「民主主義」と「自由主義」
 バイデン大統領がロシア軍のウクライナ侵攻と防衛戦を「民主主義と独裁の戦い」と位置づけた上で、独裁者に侵略の代償を払わせると宣言した。
 連想されるのが、昨年のゴルバチョフのインタビューである。30年前、15の共和国で構成されたソ連の解体を宣言した最初にして最後の大統領だったゴルバチョフは、インタビューにこう応えた。「ロシアの将来をひらくみちは民主主義しかない」
 バイデンもゴルバチョフも、反独裁という意味で、民主主義ということばをもちいたと思われる。だが、中国も堂々と民主主義を名乗って、鈴木宗男も北方領土の2島返還にからめて「ロシアも民主主義国家」と発言したことがある。
 民主主義は、国民主権の権力者への委託なので、選挙という民主的手続きをふめば、ファシズムも共産党の一党独裁も民主主義になる。
 げんにルソーの民主主義は、古代ローマの「民会」をモデルにした直接民主主義で「国民すべてを収容する議事堂は存在しない」として、議会や選挙すらも否定している。
 私有財産制を諸悪の根源とするルソーの『社会契約論』は、マルクスの『共産党宣言』と並ぶ共産主義思想の入門書で、ルソーを偉人扱いしているのは、世界広しといえども、日本の教職員組合(日教組)や法曹界、マルクス系論壇や文壇、左翼マスコミなどの偏向グループだけである。
 ●制度≠フ民主主義と文化≠フ自由主義
 欧米や中ロが、口を揃えて、民主主義を謳っているのは、民主主義が制度だからで、多数決の原理も、国民主権も、全体主義にくくられた政治の一部にほかならない。
 政治からかぎりなく遠いのが、唯心論の個人主義や自由主義で、それが文化である。
「個と全体の矛盾」が永遠に解消できないのと同様、唯心論と唯物論、文化と政治、自由主義と民主主義、個人主義と全体主義も、互いに否定しあう。
 原理が異なるので、一元論では、衝突してしまうのである。
 したがって、二元論をとって、衝突を回避しなければならない。
 日本は、古来、神話や自然神の多元論の国で、一神教=一元論とは無縁だった。
 信仰も、荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)の二元論で、それが日本人の昔からの考え方、価値観だった。
 その二元論が、権威と権力、天皇と幕府、国体と政体、文化と文明などへとすそ野を広げて、日本という国柄ができあがった。
 日本では、浮世絵や錦絵、琴や三味線、和歌や文芸など、西洋では貴族だけのものだった文化が、庶民のあいだに広がった。
 その文化性をつちかったのが、歴史や伝統を重く見る保守思想で、それが、唯物論の政体にたいする唯心論の国体である。
 政体が、非文化の唯物論というのは、政治は、物理的な力を行使するからである。
 国体が唯心論なのは、個人主義や自由主義、保守思想などは、個人の心情に根ざした文化だからである。
 したがって、バイデンもゴルバチョフも、民主主義の本質を理解していなかったといわざるをえない。
 独裁や全体主義とたたかっているのは、同じ穴のムジナの民主主義ではなく、自由主義や保守思想、保守思想だったからである。
 ●伝統的な「国体」と近代的な「政体」
 日本が、伝統国家にして、同時に、先進的な国家システムをもっているのは、国家が、伝統的な国体と近代的な政体の二元構造≠ノなっているからである。
 葦津珍彦は著作(『日本の君主制』)でGHQにこう問うた。
 諸君は「天皇はヒトであって神(ゴッド)ではない」という啓蒙運動をはじめた。無知軽薄な日本人は追従したが、大方の日本人は諸君のプロパガンダを冷笑したのみである。日本人は、はじめから、裕仁命を生理的人間と知っていたからである。問題は、天皇という民族の伝統的な地位が神聖であるという思想にある。大御心(天皇の意志)が神聖なものであるという日本人の思想にある。大御心というのは、裕仁命の後天的思慮や教養から生じてくる意思ではない。天皇の地位が世襲的なものである以上、天皇の意思も世襲的なものでなければならない。それはアメリカ人が解している裕仁命個人の意思よりもはるかに高い所にある。それは、わかりやすくいえば、日本民族の一般意思とでもいうべきものである
 それは万世不易の民族の一般意思である。日本人は、この民族の一般意思を神聖不可侵と信じているのである。
 ここでいう一般意思という表現を、わたしはルッソーの社会契約論から借りてきた。
 イギリスにもアメリカにも国家の一般意思があるはずである。日本人は、超歴史的な民族の一般意思、大御心を篤く尊重する。ここに、皇祖皇宗の遺訓たる大御心を、神意と解し、天皇を現津御神と申し上げる根源があるのである。
 葦津が引用したルソーの『社会契約論』のなかには「一般意思」ということばのほかに「特殊意思」と「全体意思」ということばがある。

 ▼一般意思=集団に共通する意思。国民主権や民主主義。法や制度。唯物論
 ▼特殊意思=個人それぞれがもっている意思。個人主義や自由主義。唯心論
 ▼全体意思=特殊意志の総和。世論や多数決(選挙)をとおして一般意思へ


 葦津のことばを補足すれば、皇祖皇宗の大御心が一般意思で、今上天皇の御心は、特殊意思である。天皇は、歴史上の存在なので、現津御神であらせられるが、一般参賀で、皇居宮殿のベランダにお立ちになるのは、国家の象徴たる存在なので、天皇陛下とお呼びするのである。
 ●「国家主権」というルソーのインチキ論法
 自然状態において、個人の利害は対立する。この対立関係を国家が調停するとしたのがホッブズの『社会契約説』だった。個人は身勝手なので、国家をつくって法で規制しなければ「万人による万人の戦争がおきる」というのである。
 これにたいして、ルソーは「人間は生まれながらにして自由だったが、至る所で鉄鎖に繋がれている」「自然は人間を善良、自由、幸福なものとしてつくったが、社会が人間を堕落させ、奴隷とし、悲惨にした」「自然に帰れ」とホッブズの国家論をひっくり返した。
 そして、一般意思(=民主主義)を立てて、特殊意思(=自由主義/個人主義)を排除したしたのである。
 バーリン(『自由論』)はルソーの一般意思を「歴史上もっとも邪悪な思想」といったが、シュミット(『友・敵理論』)も「国民主権(治者と被治者が同一)という名目で国民から自由を奪った」とルソーの民主主義を頭から否定した。
 民主主義は、個人たる国民を国民全体へ一般化して、個人を消した上に成立する全体主義といえる。
 一方、選挙や議会、思想や言論の自由は、民主主義ではなく、体系が異なる個人主義と自由主義である。
 したがって、自由民主主義は、唯心論の個人の自由と、唯物論の民主主義が合体した二元論で、それが、現在、考えうる最善の国家形態なのである。
 ●二元論に収斂された民主主義と自由主義
 バーリンは、自由を「消極的自由」と「積極的自由」に分けて、制限なき自由(リバタリアニズム)から区別した。
 天皇の肖像画を燃やして踏みつけるなどの内容が不穏当として国民から批判をうけた愛知県の「表現の不自由展」について、主宰者の大村秀章知事は「表現の自由は民主主義の根幹」とのべたが、表現の自由と民主主義はなんの関係もない。
「表現の不自由展」はただのリバタリアニズムでバーリンの自由≠ゥら逸脱したファシズム思想である。
 根本原理が異なる民主主義と、自由主義を峻別して考えなければ、近代政治を理解することはできない。
 民主主義(国民主権)を批判したシュミットは、民主主義を排除すべしといったわけではない。
 民主主義の多数決と国家が国民の主権をあずかる国民主権は、得がたい政治手法だからである。
 かといって、民主主義と自由主義を組み合わせるべしといったのでもない。
 無理にむすびつけるのではなく、切離して考えるべきといっただけである。
 シュミットもバーリンも、民主主義と自由主義をどう組み合わせるべきか、妙案をもっていなかった。
 ところが、日本は「権威と権力」「国体と政体」などの二元論を同時にはたらかせる歴史をもっている。
 自由主義が、国体という文化の領域に、そして一方、民主主義は、政体という権力の領域に該当する。
 日本は、自由主義と民主主義を二元論化することによって、二つの西洋思想を国風化できるのである。
 それが「天皇と日本の民主主義」の要諦で、民主主義バンザイではなく、バーリン流の節度ある自由とバランスをとることによって、日本の国風にあった「自由民主主義」ができあがるのである。

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