●国力がチェチェンの60倍以上のウクライナに勝てるか
ロシアには勝てっこないので、ウクライナ4500万人国民は、降参するか祖国を捨てるべきだ。そして、10年経ったら帰ってきて、祖国を再建すればよいではないかなどいうノーテンキなことをいってのけたのが橋下徹(弁護士/元大阪市長)だった。
寺島実郎(多摩大学学長)は『サンデーモーニング(TBS)』で、ロシアのウクライナ侵攻について「ウクライナは一方的な被害者ではない」とロシアに理解をしめしたばかりか「ゼレンスキー大統領はコメディアンだったヒトですよ」と売りにしているインテリ風をふかせた。
杉山太蔵にいたっては「ロシアだけを悪者にして民主主義といえるか」などとわけのわからないことを口走っていたが、ウクライナ戦争の本質は、中国がロシア側に立ったように、最終的には、中国の台湾侵攻につうじる帝国主義の暴力性(=力の論理/軍事力・政治力・資金力)にある。
中国のチベット、ウイグル、内モンゴルの征服や弾圧、香港の中国化あるいは「一帯一路」における経済支配(インフラ回廊)がその力の論理で、中心にあるのが、ロシアの大ロシア主義と同様、大中華思想である。
橋下や寺島、杉山らの理屈では、敵が攻めてきたら白旗を掲げるべしということになるが現状変更≠ヘ、革命でもある。したがって、前体制の支配者は死刑台へ送られるばかりか、歴史や伝統、文化が根こそぎ破壊される。
チェチェンの国土も人口も、ウクライナの2・5%の小さな国だが、民族の自由と誇りのために、40万もの人命を犠牲にして、15年も戦い抜いた。
チェチェンの人口は、現在、80万人だが、内乱で、40万人が虐殺されている。殺されたのは、すべて独立派のチェチェン人だった。現在、プーチンの子分、カディロフが全土を掌握しているが、チェチェン人は、中国支配下のチベット人、ウイグル人以下の扱いをうけている。
ロシアがアフガニスタン戦争で負けたのは、チェチェンの60倍以上の国土を掌握できなかったからだった。アフガニスタンを軍事支配するなら、戦争に勝って、武装解除したのち、なお、100万の常備兵が必要となる。
そんなことができるわけはなく、旧ソ連は、10年間のアフガン戦争で国力を使いはたして、ついに、ソ連邦解体という墓穴を掘ったのだった。
日本のマスコミ論者たちは、なぜ、ロシアが、アフガニスタン以上の国土や人口、経済力をもったウクライナを、数日間で、降参させられると思ったのであろうか。
●敵が攻めてきたら白旗を掲げるのが「9条」の精神
チェチェン人がたたかったのは、あるいは、ウクライナ人がたたかっているのは、民族自決や自由、歴史や文化をまもるため、いわば反革命≠フためである。
ところが「多数決(民主主義)は絶対に正しい」や「武器を捨てると平和になる(憲法9条)」なるという教育をうけて育った平和ボケの日本人は、民族の独立や自由のためにたたかうという意味も価値もわからない。
「イノチがいちばん大事、戦争反対の声をあげましょう」というのが日本人の戦争にたいする感性で「戦争がおこったら国のためにたたかうか」というアンケート(「世界価値観調査」)にたいして、日本は、世界79か国中、最下位の13・2%だった。
ちなみに、台湾は、韓国の67・4%を上回る76・9%だった。
台湾の防衛意識が高いのは、中国本土とは異なるアイデンティティをもっているからで、対中接近をはかった馬英九(中国国民党総裁)が学生や若者らの「ひまわり学生運動」によって倒されると、2016年、民主進歩党の蔡英文総統が台湾主義を打ち出して政権を握った。
現在も、蔡英文女史の民主進歩党が、若者中心に高い支持率を維持しているが、キーワードは、台湾アイデンティティで、北京語の廃止と台湾語の普及も急速にすすんでいる。
対中警戒感を決定的にしたのが、2019年の「香港の大規模抗議行動」を鎮圧した中国政府の「香港国家安全維持法」だった。自由都市香港が、一夜にして、中国共産党の強権主義にのみこまれたのを見て、それまで、台湾独立を言いだせなかった蔡英文が堂々と「台湾の香港化を避ける」と公言するようになった。
●永遠につづく「攻める戦争」と「守る戦争」
これにたいして習近平政権は、馬英九時代の「平和的統一」路線を放棄して「軍事的統一」に切り替えた。台湾海峡や台湾東部沖の太平洋で、中国海軍の空母「遼寧」を中心に戦艦や戦闘機の軍事演習をおこない、ミサイル攻撃まで予告するという強硬ぶりだった。
これにたいして、台湾海軍は、地上および艦艇、戦闘機による対艦ミサイル(「雄風2」)の発射訓練を実施して、命中率が98%だったことを公表した。
そこにとびだしたのが、バイデン米大統領の電撃的発言だった。
日米首脳会談後、岸田首相との共同記者会見で、台湾有事の際にはアメリカが軍事介入すると明言したのである。女性記者から「台湾防衛のために軍事的に関与するのか?」と質問されて「イエスそれが、われわれのコミットメント(約束)だ」応えたのである。
台湾外交部(外務省)は、同日、歓迎と感謝の意を表明するとともに、日米と協力して「インド太平洋地域の平和と安定をまもっていく」とした。
インド太平洋地域というのは「日米豪印4か国戦略対話(クアッド)」のことである。自由陣営には、現在、クアッドのほかファイブ・アイズ(英米加豪ニュージーランド)とオーカス(英米豪)という3つの枠組みがあるが、有力なのが、クアッドで、安倍政権がすすめた「自由で開かれたインド太平洋」構想がいつのまにか中国包囲網の中心になっていた。
中国がいちばんおそれているのが、クアッドのNATO化である。
5月24日、総理官邸で開かれた「クアッド」首脳会合における共同声明が発表された。戦争による現状の変更をみとめず、地域の緊張を高める軍事的な行動につよく反対するとしたほか、4か国の首脳が自由で開かれたインド太平洋の安全と繁栄をもとめたこの声明は、中国を念頭においたもので、バイデンの電撃的な発言も、日米首脳会議という舞台でなければでてこなかったろう。
アメリカは、ゼレンスキー大統領が熱望してやまなかった「長距離・多連装ロケットシステム(MLRS)」や「高機動ロケット砲システム(HIMARS)の提供を決定したという。
この高性能ミサイルによって、膠着状態にあるウクライナの戦況は一変するとみられているが、アメリカは「台湾関係法」にもとづいて台湾にたいしても武器を提供できる。
ウクライナ戦争によって、習近平は、戦争が目的遂行の有効な手段ではないと知ったはずで、中台戦争は、常識的にも、理論的におこりえない。
おこるのは、軍拡競争と高性能武器の供与あるいは売買だけである。
帝国主義が戦争にゆきつくのは、戦争が最大の消費と生産≠もたらす経済活動だったからなのである。
2022年05月29日
2022年05月16日
よみがえってきた「帝国主義」の亡霊C
●ウクライナ戦争は「自由主義」と「帝国主義」の衝突
自由陣営30数か国が熱烈にウクライナを支援して、現在、ロシアが守勢に立たされている。
ウクライナへの自由陣営諸国からの武器支援が、ロシアの自給能力をこえているからである。
自由陣営諸国がウクライナを熱烈に支援しているのは、ウクライナが自由のためにたたかっているからで、西側諸国にとって、自由は、命をかけてまもるべき価値なのである。
プーチンが、民族の独立をもとめるチェチェン内乱を鎮圧するために要した年数は15年で、2万の兵を失った。チェチェンの人口は、現在、80万人だが、内乱で40万人が虐殺される以前、120万人だった。チェチェンの国土も人口も、ウクライナの2・5%の小さな国だが、自由をもとめて、40万もの人命を犠牲にして、15年も戦い抜いた。
アフガニスタン戦争では、旧ソ連は、10年間で1・5万の兵を失って、戦争に負けただけではなく、ソ連邦解体という大きな痛手をうけた。
ウクライナ戦争では、ロシアは、戦争開始後、わずか2か月で、すでに1・5万の兵を失った。損害は、戦車635台、装甲戦闘車342台、自走砲106台、多連装ロケット砲62台、地対空ミサイル58基、戦闘機26機、ヘリコプター41機、艦艇(旗艦モスクワなど10艦)とウクライナの損害をはるかにしのぐ。
戦線も、兵站線がのびきって、停滞あるいは退却の一方で、戦死者の送還すらできずに兵士の死体が野ざらしになっている。
チェチェン内乱では、プーチンの子分、カディロフが残虐の限りを尽くして全土を掌握したが、国土や人口がともチェチェンの60倍以上のウクライナをどうしてロシアが占領支配できるだろう。
●勇敢だった日本人の精神を蝕んだ憲法9条
ミサイル攻撃をうけているさなか、ウクライナ人は、民間人までが「領土を奪われ、奴隷になるよりも戦争で死ぬほうをえらぶ」といって、英米などから支給された武器をもってロシア軍の戦車の前にたちはだかった。
ウクライナ外務省が公式ツイッターで、アメリカ、イギリス、ドイツなど約30の国に国名をあげて謝辞(動画)を公開したが、日本の名はなかった。
自由をもとめて、敵の戦車に立ち向かってゆく自由陣営の勇気と精神の高さを日本は理解できなかったからで、ウクライナ戦争勃発の折、日本では多くの識者が「ロシアを怒らせたウクライナにも責任がある」「国家より人命が大事。さっさと降参すべき」「ロシアに勝てるはずがない」と言いつのった。
かつて、アメリカ、ロシアと死に物狂いで戦った日本の精神性が、戦後、戦勝国に洗脳されて「イノチ以上に大事なものはない、国を捨てて逃げるべきだ(橋本徹)」というレベルにまで劣化していたのである。
「憲法9条」は、ルソーのパロディである。「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところ(国家やルール、経済)で鎖につながれている。自然に帰れ」というルソー主義が「人間は平和なものとしてうまれたが、いたるところで戦争がおこなわれている。武器を捨てよ」の憲法9条になったのである。
ルソー主義が世界でいちばんさかんなのが日本で、ルソー的な平和なお花畑≠生きている。したがって、ホッブズが「自然状態では、万人の万人のための闘争がおきる」といった警句が耳にはいってこない。
ルソーの民主主義は「歴史経験」と「人間感性」のバランスの上に成り立っているとするホッブズの国家を否定するための理屈で、国家そのものを否定する。
日本は、平和が天から与えられた自然状態とする、ノーテンキなルソー主義ずっぽり漬かった、危機的な精神の貧困に瀕しているのである。
●自由主義と「権力の集中」をもとめる民主主義
国連加盟193か国のなかで、自由主義陣営にふくまれる国は、82か国で過半数にみたない。
残りの109国は、自由が制限された全体主義国家で、かつて、社会・共産主義をとった国もすくなくない。
社会・共産主義は、ルソーの民主主義を土台にしている。
そのルソー主義と、ユダヤの経典(タルムード)の合体させたのがマルクス主義で、唯物論ともいわれる。
したがって、中国でさえ、堂々と、民主主義国家を名乗るのである。
中国やロシアなどのイデオロギー国家には、民主があっても、自由はない。
近代は、その自由にたいしる目覚めと渇望からはじまったといえるだろう。
それまで、タミ(民)は、権力の奴隷にして、神のシモベでしかなかった。
14〜16世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革、17〜18世紀の啓蒙時代を体験して、自由に目覚めた民が、市民革命と産業革命をおこして近代がはじまったのである。
そして、近現代にいたって、ソ連や中国などの共産主義国家が誕生した。
共産主義がめざしたのは「自由」ではなく「権力の集中」だった。
その手段となったのが、民主主義で、多数決で物事をきめる数の論理≠ェ全体主義や衆愚政治に陥ることは、ソクラテスの紀元前から予言されていた。
共産主義は、自由よりも権力の集中を志向する体制で、多くが帝国主義的な政策をとった。
その帝国主義をいまもなおひきずっているのがロシアと中国で、ウクライナ戦争は自由≠最大の価値とする自由陣営と権力の集中≠もとめる帝国主義国家群の衝突だったともいえるのである。
帝国主義国家群というのは、そのなかに、台湾制圧をもくろむ中国もふくまれる。
そして、国連加盟国の半数以上が、自由より権力や経済を重視する親中派である。
ウクライナ戦争におけるロシアの敗北は、台湾征服を国家目標とする中国にとっても大きなダメージとなった。
今後、世界の安全保障は「核の使用可能性」と「専守防衛の限界」という二点に絞られるはずである。
自由陣営30数か国が熱烈にウクライナを支援して、現在、ロシアが守勢に立たされている。
ウクライナへの自由陣営諸国からの武器支援が、ロシアの自給能力をこえているからである。
自由陣営諸国がウクライナを熱烈に支援しているのは、ウクライナが自由のためにたたかっているからで、西側諸国にとって、自由は、命をかけてまもるべき価値なのである。
プーチンが、民族の独立をもとめるチェチェン内乱を鎮圧するために要した年数は15年で、2万の兵を失った。チェチェンの人口は、現在、80万人だが、内乱で40万人が虐殺される以前、120万人だった。チェチェンの国土も人口も、ウクライナの2・5%の小さな国だが、自由をもとめて、40万もの人命を犠牲にして、15年も戦い抜いた。
アフガニスタン戦争では、旧ソ連は、10年間で1・5万の兵を失って、戦争に負けただけではなく、ソ連邦解体という大きな痛手をうけた。
ウクライナ戦争では、ロシアは、戦争開始後、わずか2か月で、すでに1・5万の兵を失った。損害は、戦車635台、装甲戦闘車342台、自走砲106台、多連装ロケット砲62台、地対空ミサイル58基、戦闘機26機、ヘリコプター41機、艦艇(旗艦モスクワなど10艦)とウクライナの損害をはるかにしのぐ。
戦線も、兵站線がのびきって、停滞あるいは退却の一方で、戦死者の送還すらできずに兵士の死体が野ざらしになっている。
チェチェン内乱では、プーチンの子分、カディロフが残虐の限りを尽くして全土を掌握したが、国土や人口がともチェチェンの60倍以上のウクライナをどうしてロシアが占領支配できるだろう。
●勇敢だった日本人の精神を蝕んだ憲法9条
ミサイル攻撃をうけているさなか、ウクライナ人は、民間人までが「領土を奪われ、奴隷になるよりも戦争で死ぬほうをえらぶ」といって、英米などから支給された武器をもってロシア軍の戦車の前にたちはだかった。
ウクライナ外務省が公式ツイッターで、アメリカ、イギリス、ドイツなど約30の国に国名をあげて謝辞(動画)を公開したが、日本の名はなかった。
自由をもとめて、敵の戦車に立ち向かってゆく自由陣営の勇気と精神の高さを日本は理解できなかったからで、ウクライナ戦争勃発の折、日本では多くの識者が「ロシアを怒らせたウクライナにも責任がある」「国家より人命が大事。さっさと降参すべき」「ロシアに勝てるはずがない」と言いつのった。
かつて、アメリカ、ロシアと死に物狂いで戦った日本の精神性が、戦後、戦勝国に洗脳されて「イノチ以上に大事なものはない、国を捨てて逃げるべきだ(橋本徹)」というレベルにまで劣化していたのである。
「憲法9条」は、ルソーのパロディである。「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところ(国家やルール、経済)で鎖につながれている。自然に帰れ」というルソー主義が「人間は平和なものとしてうまれたが、いたるところで戦争がおこなわれている。武器を捨てよ」の憲法9条になったのである。
ルソー主義が世界でいちばんさかんなのが日本で、ルソー的な平和なお花畑≠生きている。したがって、ホッブズが「自然状態では、万人の万人のための闘争がおきる」といった警句が耳にはいってこない。
ルソーの民主主義は「歴史経験」と「人間感性」のバランスの上に成り立っているとするホッブズの国家を否定するための理屈で、国家そのものを否定する。
日本は、平和が天から与えられた自然状態とする、ノーテンキなルソー主義ずっぽり漬かった、危機的な精神の貧困に瀕しているのである。
●自由主義と「権力の集中」をもとめる民主主義
国連加盟193か国のなかで、自由主義陣営にふくまれる国は、82か国で過半数にみたない。
残りの109国は、自由が制限された全体主義国家で、かつて、社会・共産主義をとった国もすくなくない。
社会・共産主義は、ルソーの民主主義を土台にしている。
そのルソー主義と、ユダヤの経典(タルムード)の合体させたのがマルクス主義で、唯物論ともいわれる。
したがって、中国でさえ、堂々と、民主主義国家を名乗るのである。
中国やロシアなどのイデオロギー国家には、民主があっても、自由はない。
近代は、その自由にたいしる目覚めと渇望からはじまったといえるだろう。
それまで、タミ(民)は、権力の奴隷にして、神のシモベでしかなかった。
14〜16世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革、17〜18世紀の啓蒙時代を体験して、自由に目覚めた民が、市民革命と産業革命をおこして近代がはじまったのである。
そして、近現代にいたって、ソ連や中国などの共産主義国家が誕生した。
共産主義がめざしたのは「自由」ではなく「権力の集中」だった。
その手段となったのが、民主主義で、多数決で物事をきめる数の論理≠ェ全体主義や衆愚政治に陥ることは、ソクラテスの紀元前から予言されていた。
共産主義は、自由よりも権力の集中を志向する体制で、多くが帝国主義的な政策をとった。
その帝国主義をいまもなおひきずっているのがロシアと中国で、ウクライナ戦争は自由≠最大の価値とする自由陣営と権力の集中≠もとめる帝国主義国家群の衝突だったともいえるのである。
帝国主義国家群というのは、そのなかに、台湾制圧をもくろむ中国もふくまれる。
そして、国連加盟国の半数以上が、自由より権力や経済を重視する親中派である。
ウクライナ戦争におけるロシアの敗北は、台湾征服を国家目標とする中国にとっても大きなダメージとなった。
今後、世界の安全保障は「核の使用可能性」と「専守防衛の限界」という二点に絞られるはずである。
2022年05月01日
よみがえってきた「帝国主義」の亡霊B
●国をまもる気がない憲法9条の日本
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった。
ちなみに、下から2番目の78位は、独ソ不可侵条約(1939年)による西方侵攻であっけなくソ連の属国となったリトアニア(32・8%)で、このとき徹底抗戦して属国を免れたフィンランドでは大多数(74・8%)がたたかうと答えている。
アンケート対象国の平均は、約75%、先進国では65%だった。先進国のなかでトップは5位の中国(88.6%)で、対象国全体の1位(96・4)はアメリカに戦争(ベトナム戦争)で勝ったベトナムだった。
アメリカの属国となった日本(最下位)と、ソ連の属国となったリトアニア(下から二番目)が国のためにたたかわないと答えたのは、事大意識がつよいからで、リトアニアが独立まで50年(1939年〜1990年)かかったが、日本は、戦後から現在まで75年間、対米従属のままである。
それが「戦争がおきてもたたかわない」「ウクライナはさっさと降伏しろ」という国民の意識で、戦後の平和教育、9条教育がいかに日本人の性根を腐らせてきたかがよくわかる。
「国民(4500万人)が国外脱出して、プーチンが死んだ10年後に帰ってくればいいだけの話じゃないですか」という橋本徹にウクライナ人の国際政治学者で本居宣長の研究者として知られるアンドリー・グレンコはこう反論する。
「家族を愛し、ウクライナの同胞を愛し、国を愛しているからそれらをまもるためにロシアとたたかっている。あたりまえのことです。アメリカやロシアとあれほど勇敢にたたかった日本人がなぜそんなあたりまえのことがわからなくなったのですか」
●日米戦争で殺された百万人以上の非戦闘員
日本が戦後、国連中心と対米従属、憲法9条路線を歩んできたのは、敗戦によって、主権国家としての誇りと自信を失ったからである。
その後遺症によって、日本は、いまだ自主憲法をつくれずにいる。
「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」と戦勝国にへつらった前文と「武装解除命令(9条)」)からできた属国憲法を原爆を落としたアメリカからあたえられて、それを平和憲法などとふれまわっている。
今回のロシアのウクライナ侵略に、橋下徹らが「勝ち目がない戦争で国民の生命を犠牲にしてはならない」とプーチンの代弁をくりだすかと思えば「ウクライナはとっとと降伏しろ」と発信するユーチューバ(呂布カルマ)が若者の人気を博している。
戦後の日本人が、国家をまもることを悪と思っているのは「武器を捨てると平和になる」という憲法9条教育をうけてきたからで、武器を捨てて皆殺しになった世界の歴史には目をむけない。
ウクライナでは、スターリンの圧政下で数百万人が餓死に追いやられた(ホロドモール)が、日本も、武器を捨てた57万5千人の日本兵がソ連によって厳冬のシベリアへ送られて、5万8千人が死亡している。
東京裁判では被告28人のうち7人が死刑になったが、外地では5700人が裁かれて、確認されただけでも、934人が現地で処刑されている。
サイパンや硫黄島など21の戦場で日本兵が玉砕、沖縄をふくめて死亡した日本兵は百万人をこえる。
民間人では、広島・長崎の二発の原爆で50万人、都市大空襲で60万人がジェノサイドの犠牲になった。
日本では合戦(いくさ)だが、西洋では、第一次世界大戦の死傷者3600万人と、戦争は、皆殺しの論理なのである。
●無条件降伏なら4分割統治で日本消滅
「独ソ不可侵条約」後のロシアの西方侵略≠ノたいして、リトアニアは戦うことなく50年の属国となったが、フィンランドは、二度にわたって徹底的に戦ってロシア軍を追い返した。
それは、かつての日本の選択でもあって、日本は、上陸占領をはかる連合軍にたいして、徹底抗戦の構えをとった。
多くの日本人は日本が連合国に無条件降伏したと思っている。
無条件降伏しても、国が亡びるわけではない。命をたいせつにした方がいいという橋本徹らは、抵抗をやめて、白旗を掲げると、敵が、頭をなでてほめてくれると思っているからである。
1795年、ポーランドは、隣接していたロシア、プロシア、オーストリアの3国に国土を分割されて、第一次世界大戦が終了する1918年に独立するまでの123年間、世界地図からすがたを消した。
日本も、無条件降伏していたらペンタゴンの「統合戦争計画委員会(JWPC)」による4分割統治によって、世界地図から消えるところだった。
分割統治案の内容は、アメリカが本州中央、イギリスが西日本と九州、中華民国が四国、ソ連が北海道と東北地方を分有するという案で、最近、ロシアが「北海道はロシアの領地」といいだした根拠がこれである。
ちなみに、北海道まで自国領といいだしたロシアが北方4島を返還するわけはない。
トルーマン大統領が無条件降伏を撤廃して「国体護持」の条件付き降伏まで譲歩したのは、サイパンや硫黄島、沖縄などにおける日本軍の死をおそれぬ戦い方を見て、条件付きでなければ日本は降伏しないと判断したからだった。
●徹底抗戦派がかちとった「条件付き降伏」
本土上陸作戦を決行した場合、アメリカ将兵の30%以上が死傷するという試算があった。げんに、硫黄島の戦闘では、日本の死傷者が2万1000人だったのにたいしてアメリカの死傷者は2万8686人と日本軍を上回った。
日本国内には、戦車や飛行機、弾薬大砲が大量に残されている。20万人のアメリカ兵が上陸を強行すれば、徹底抗戦派の反撃をうけて、10万人規模の死傷者がでる可能性があった。
トルーマンが条件付き降伏案をとったもう一つの理由は、ソ連の参戦だった。
スターリンとトルーマンは、ソ連の参戦日を1945年8月15日と約束していた。だが、ソ連は、原爆投下をみて、8月9日に参戦、満洲と樺太、千島列島にむけて総兵力147万人、戦車・自走砲5250輌、航空機5170機という総攻撃をかけてきた。
トルーマンが極東委員会(FEC)をうごかして、JWPCの4分割統治案を白紙撤回させたのは、共同統治では日本に「国体護持」を約束した「ポツダム宣言」が消滅して、日本本土で、日本の徹底抗戦派とアメリカ、ソ連の三つ巴の大規模な内乱が生じる可能性が高かったからだった。
トルーマンもマッカーサーも、北海道の東半分をよこせというスターリンの欲求をはねつけたが、ロシアは、不法に占拠した北方領土4島をふくめた千島列島を実効支配したままである。
ウクライナはロシアに歯が立つわけはない、さっさと降参していのちをまもれという一部の日本人の見解に反して、ウクライナは善戦して、戦艦モスクワの撃沈など、ロシア側に大きな被害をあたえている。
無条件降伏していたら、ウクライナは、国民の多くが殺されて、半数がシベリアへ送られていたろう。
日本も、4分割統治が実現していたら、世界地図から消え、日本人の半分は、シベリアへ送られていたことだろう。
忘れてならないのは、日本兵の死に物狂いの戦いが、現在の日本を、現在の日本たらしめたということである。
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった。
ちなみに、下から2番目の78位は、独ソ不可侵条約(1939年)による西方侵攻であっけなくソ連の属国となったリトアニア(32・8%)で、このとき徹底抗戦して属国を免れたフィンランドでは大多数(74・8%)がたたかうと答えている。
アンケート対象国の平均は、約75%、先進国では65%だった。先進国のなかでトップは5位の中国(88.6%)で、対象国全体の1位(96・4)はアメリカに戦争(ベトナム戦争)で勝ったベトナムだった。
アメリカの属国となった日本(最下位)と、ソ連の属国となったリトアニア(下から二番目)が国のためにたたかわないと答えたのは、事大意識がつよいからで、リトアニアが独立まで50年(1939年〜1990年)かかったが、日本は、戦後から現在まで75年間、対米従属のままである。
それが「戦争がおきてもたたかわない」「ウクライナはさっさと降伏しろ」という国民の意識で、戦後の平和教育、9条教育がいかに日本人の性根を腐らせてきたかがよくわかる。
「国民(4500万人)が国外脱出して、プーチンが死んだ10年後に帰ってくればいいだけの話じゃないですか」という橋本徹にウクライナ人の国際政治学者で本居宣長の研究者として知られるアンドリー・グレンコはこう反論する。
「家族を愛し、ウクライナの同胞を愛し、国を愛しているからそれらをまもるためにロシアとたたかっている。あたりまえのことです。アメリカやロシアとあれほど勇敢にたたかった日本人がなぜそんなあたりまえのことがわからなくなったのですか」
●日米戦争で殺された百万人以上の非戦闘員
日本が戦後、国連中心と対米従属、憲法9条路線を歩んできたのは、敗戦によって、主権国家としての誇りと自信を失ったからである。
その後遺症によって、日本は、いまだ自主憲法をつくれずにいる。
「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」と戦勝国にへつらった前文と「武装解除命令(9条)」)からできた属国憲法を原爆を落としたアメリカからあたえられて、それを平和憲法などとふれまわっている。
今回のロシアのウクライナ侵略に、橋下徹らが「勝ち目がない戦争で国民の生命を犠牲にしてはならない」とプーチンの代弁をくりだすかと思えば「ウクライナはとっとと降伏しろ」と発信するユーチューバ(呂布カルマ)が若者の人気を博している。
戦後の日本人が、国家をまもることを悪と思っているのは「武器を捨てると平和になる」という憲法9条教育をうけてきたからで、武器を捨てて皆殺しになった世界の歴史には目をむけない。
ウクライナでは、スターリンの圧政下で数百万人が餓死に追いやられた(ホロドモール)が、日本も、武器を捨てた57万5千人の日本兵がソ連によって厳冬のシベリアへ送られて、5万8千人が死亡している。
東京裁判では被告28人のうち7人が死刑になったが、外地では5700人が裁かれて、確認されただけでも、934人が現地で処刑されている。
サイパンや硫黄島など21の戦場で日本兵が玉砕、沖縄をふくめて死亡した日本兵は百万人をこえる。
民間人では、広島・長崎の二発の原爆で50万人、都市大空襲で60万人がジェノサイドの犠牲になった。
日本では合戦(いくさ)だが、西洋では、第一次世界大戦の死傷者3600万人と、戦争は、皆殺しの論理なのである。
●無条件降伏なら4分割統治で日本消滅
「独ソ不可侵条約」後のロシアの西方侵略≠ノたいして、リトアニアは戦うことなく50年の属国となったが、フィンランドは、二度にわたって徹底的に戦ってロシア軍を追い返した。
それは、かつての日本の選択でもあって、日本は、上陸占領をはかる連合軍にたいして、徹底抗戦の構えをとった。
多くの日本人は日本が連合国に無条件降伏したと思っている。
無条件降伏しても、国が亡びるわけではない。命をたいせつにした方がいいという橋本徹らは、抵抗をやめて、白旗を掲げると、敵が、頭をなでてほめてくれると思っているからである。
1795年、ポーランドは、隣接していたロシア、プロシア、オーストリアの3国に国土を分割されて、第一次世界大戦が終了する1918年に独立するまでの123年間、世界地図からすがたを消した。
日本も、無条件降伏していたらペンタゴンの「統合戦争計画委員会(JWPC)」による4分割統治によって、世界地図から消えるところだった。
分割統治案の内容は、アメリカが本州中央、イギリスが西日本と九州、中華民国が四国、ソ連が北海道と東北地方を分有するという案で、最近、ロシアが「北海道はロシアの領地」といいだした根拠がこれである。
ちなみに、北海道まで自国領といいだしたロシアが北方4島を返還するわけはない。
トルーマン大統領が無条件降伏を撤廃して「国体護持」の条件付き降伏まで譲歩したのは、サイパンや硫黄島、沖縄などにおける日本軍の死をおそれぬ戦い方を見て、条件付きでなければ日本は降伏しないと判断したからだった。
●徹底抗戦派がかちとった「条件付き降伏」
本土上陸作戦を決行した場合、アメリカ将兵の30%以上が死傷するという試算があった。げんに、硫黄島の戦闘では、日本の死傷者が2万1000人だったのにたいしてアメリカの死傷者は2万8686人と日本軍を上回った。
日本国内には、戦車や飛行機、弾薬大砲が大量に残されている。20万人のアメリカ兵が上陸を強行すれば、徹底抗戦派の反撃をうけて、10万人規模の死傷者がでる可能性があった。
トルーマンが条件付き降伏案をとったもう一つの理由は、ソ連の参戦だった。
スターリンとトルーマンは、ソ連の参戦日を1945年8月15日と約束していた。だが、ソ連は、原爆投下をみて、8月9日に参戦、満洲と樺太、千島列島にむけて総兵力147万人、戦車・自走砲5250輌、航空機5170機という総攻撃をかけてきた。
トルーマンが極東委員会(FEC)をうごかして、JWPCの4分割統治案を白紙撤回させたのは、共同統治では日本に「国体護持」を約束した「ポツダム宣言」が消滅して、日本本土で、日本の徹底抗戦派とアメリカ、ソ連の三つ巴の大規模な内乱が生じる可能性が高かったからだった。
トルーマンもマッカーサーも、北海道の東半分をよこせというスターリンの欲求をはねつけたが、ロシアは、不法に占拠した北方領土4島をふくめた千島列島を実効支配したままである。
ウクライナはロシアに歯が立つわけはない、さっさと降参していのちをまもれという一部の日本人の見解に反して、ウクライナは善戦して、戦艦モスクワの撃沈など、ロシア側に大きな被害をあたえている。
無条件降伏していたら、ウクライナは、国民の多くが殺されて、半数がシベリアへ送られていたろう。
日本も、4分割統治が実現していたら、世界地図から消え、日本人の半分は、シベリアへ送られていたことだろう。
忘れてならないのは、日本兵の死に物狂いの戦いが、現在の日本を、現在の日本たらしめたということである。