●ウクライナ戦争は「自由主義」と「帝国主義」の衝突
自由陣営30数か国が熱烈にウクライナを支援して、現在、ロシアが守勢に立たされている。
ウクライナへの自由陣営諸国からの武器支援が、ロシアの自給能力をこえているからである。
自由陣営諸国がウクライナを熱烈に支援しているのは、ウクライナが自由のためにたたかっているからで、西側諸国にとって、自由は、命をかけてまもるべき価値なのである。
プーチンが、民族の独立をもとめるチェチェン内乱を鎮圧するために要した年数は15年で、2万の兵を失った。チェチェンの人口は、現在、80万人だが、内乱で40万人が虐殺される以前、120万人だった。チェチェンの国土も人口も、ウクライナの2・5%の小さな国だが、自由をもとめて、40万もの人命を犠牲にして、15年も戦い抜いた。
アフガニスタン戦争では、旧ソ連は、10年間で1・5万の兵を失って、戦争に負けただけではなく、ソ連邦解体という大きな痛手をうけた。
ウクライナ戦争では、ロシアは、戦争開始後、わずか2か月で、すでに1・5万の兵を失った。損害は、戦車635台、装甲戦闘車342台、自走砲106台、多連装ロケット砲62台、地対空ミサイル58基、戦闘機26機、ヘリコプター41機、艦艇(旗艦モスクワなど10艦)とウクライナの損害をはるかにしのぐ。
戦線も、兵站線がのびきって、停滞あるいは退却の一方で、戦死者の送還すらできずに兵士の死体が野ざらしになっている。
チェチェン内乱では、プーチンの子分、カディロフが残虐の限りを尽くして全土を掌握したが、国土や人口がともチェチェンの60倍以上のウクライナをどうしてロシアが占領支配できるだろう。
●勇敢だった日本人の精神を蝕んだ憲法9条
ミサイル攻撃をうけているさなか、ウクライナ人は、民間人までが「領土を奪われ、奴隷になるよりも戦争で死ぬほうをえらぶ」といって、英米などから支給された武器をもってロシア軍の戦車の前にたちはだかった。
ウクライナ外務省が公式ツイッターで、アメリカ、イギリス、ドイツなど約30の国に国名をあげて謝辞(動画)を公開したが、日本の名はなかった。
自由をもとめて、敵の戦車に立ち向かってゆく自由陣営の勇気と精神の高さを日本は理解できなかったからで、ウクライナ戦争勃発の折、日本では多くの識者が「ロシアを怒らせたウクライナにも責任がある」「国家より人命が大事。さっさと降参すべき」「ロシアに勝てるはずがない」と言いつのった。
かつて、アメリカ、ロシアと死に物狂いで戦った日本の精神性が、戦後、戦勝国に洗脳されて「イノチ以上に大事なものはない、国を捨てて逃げるべきだ(橋本徹)」というレベルにまで劣化していたのである。
「憲法9条」は、ルソーのパロディである。「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところ(国家やルール、経済)で鎖につながれている。自然に帰れ」というルソー主義が「人間は平和なものとしてうまれたが、いたるところで戦争がおこなわれている。武器を捨てよ」の憲法9条になったのである。
ルソー主義が世界でいちばんさかんなのが日本で、ルソー的な平和なお花畑≠生きている。したがって、ホッブズが「自然状態では、万人の万人のための闘争がおきる」といった警句が耳にはいってこない。
ルソーの民主主義は「歴史経験」と「人間感性」のバランスの上に成り立っているとするホッブズの国家を否定するための理屈で、国家そのものを否定する。
日本は、平和が天から与えられた自然状態とする、ノーテンキなルソー主義ずっぽり漬かった、危機的な精神の貧困に瀕しているのである。
●自由主義と「権力の集中」をもとめる民主主義
国連加盟193か国のなかで、自由主義陣営にふくまれる国は、82か国で過半数にみたない。
残りの109国は、自由が制限された全体主義国家で、かつて、社会・共産主義をとった国もすくなくない。
社会・共産主義は、ルソーの民主主義を土台にしている。
そのルソー主義と、ユダヤの経典(タルムード)の合体させたのがマルクス主義で、唯物論ともいわれる。
したがって、中国でさえ、堂々と、民主主義国家を名乗るのである。
中国やロシアなどのイデオロギー国家には、民主があっても、自由はない。
近代は、その自由にたいしる目覚めと渇望からはじまったといえるだろう。
それまで、タミ(民)は、権力の奴隷にして、神のシモベでしかなかった。
14〜16世紀のルネサンス、16世紀の宗教改革、17〜18世紀の啓蒙時代を体験して、自由に目覚めた民が、市民革命と産業革命をおこして近代がはじまったのである。
そして、近現代にいたって、ソ連や中国などの共産主義国家が誕生した。
共産主義がめざしたのは「自由」ではなく「権力の集中」だった。
その手段となったのが、民主主義で、多数決で物事をきめる数の論理≠ェ全体主義や衆愚政治に陥ることは、ソクラテスの紀元前から予言されていた。
共産主義は、自由よりも権力の集中を志向する体制で、多くが帝国主義的な政策をとった。
その帝国主義をいまもなおひきずっているのがロシアと中国で、ウクライナ戦争は自由≠最大の価値とする自由陣営と権力の集中≠もとめる帝国主義国家群の衝突だったともいえるのである。
帝国主義国家群というのは、そのなかに、台湾制圧をもくろむ中国もふくまれる。
そして、国連加盟国の半数以上が、自由より権力や経済を重視する親中派である。
ウクライナ戦争におけるロシアの敗北は、台湾征服を国家目標とする中国にとっても大きなダメージとなった。
今後、世界の安全保障は「核の使用可能性」と「専守防衛の限界」という二点に絞られるはずである。