●「半導体王国」から「IT後進国」へ転落した日本
「産業のコメ」と呼ばれる半導体の分野で、1990年前後、売上高の世界ランキングで上位を独占したのがNECや東芝、日立製作所などの日本企業だった。
ところが、現在、日本の半導体メーカーは、10位以内に一社も入っていないどころか、シェアにいたっては、昨年の10%からさらに下がった6%で、5年後には、0%になる可能性もあるという。
半導体の世界の売り上げのベスト3は、台湾(TSMC)と韓国(サムスン電子)、インテル(アメリカ)で、日本の半導体は、スマートフォン(スマホ)と同様、世界マーケットの末端にかろうじてひっかかっているだけである。
ちなみにスマホの売り上げ世界ランキングは、韓国のサムスン電子が1位、2位はアメリカのアップル、3位〜6位が中国製で、日本製は、世界シェアの1%にもたっしていない。
韓国は、数年以内に経済で日本を追い越すと宣言したが、デジタル部門ではすでに大きく日本をこえているのである。
半導体やスマホにおける日本の技術は、けっして低くはなく、世界のスマホはすべて日本製といわれるほど日本の部品が多く使用されている。
半導体も、部材や製造装置のほか、自動車は家電製品などにつかわれるパワー型や音響、画像処理センサーなどの汎用型分野では、日本製品は、いまなお高い国際競争力をもっている。
部品や部材、製造装置で一定のシェアをもつ日本の半導体が、製品になると、自動車以外、全滅というのは、いったいどういうわけであろうか。
原因の一つに、半導体などIT文明の足取りがはやすぎることがあげられるだろうが、台湾や韓国も、条件は同じで、日本だけがハンデをかかえているわけではない。
あえていえば、官僚主導の日本の制度および経済体制が、デジタル革命のスピードについていけなかったのである。
●日本の「失われた30年」と世界の「デジタル30年」
コンピュータやネットワークを使うIT(情報技術)や、ロボットや工場の自動化、監視カメラや映像レコーダーにもちいられるAI(人工知能)は「3年たてば中古になる」といわれるほど進歩のスピードがはやく、パソコンのOS(基本ソフト)もウインドウズ95から現在までの30年たらずのあいだに10代も様変わりしている。
スマートフォンの普及と関係が深い「移動通信システム」も1980年代の第一世代(1G)から現在の第五世代(5G)までの40年間で大発展をとげて世の中がガラリと変わった。
日本の「失われた30年」は、世界がデジタル革命≠のりこえてきた「実りある30年」でもあったわけで、日本と世界のあいだに大きな落差が生じたのは事実である。
1990年代のアメリカ・シリコンバレーの「情報スーパーハイウェイ構想」からはじまったデジタル革命は、それまでの価値観や経済観を一変させる文化革命でもあって、このとき、社会構造や企業の仕組みまでが大きく変わった。
トップダウンの「ツリー型(木)」だった従来の企業の仕組みがボトムアップの「リゾーム型(根茎)」になって、経営者と社員、技術者が一線に並ぶようになったのがその一つで、マイクロソフトなどアメリカの一流IT企業は、社長室や出勤簿を廃止して、社長と社員、リーダーがアイデアをメールで直接やりとりするまでになった。
この仕組みを真似たのが韓国や台湾のIT企業で、マイクロソフト社やアップル社と手をむすんで、デジタル革命のレールに乗った。
デジタル文明は、創造的な価値で、高学歴者や経営者が学んでえられるものではない。世界一のハッカーが13歳の少年だったように、デジタルの能力は学歴や年齢と関係がなく、若者の自由な発想からとびだしてくるのである。
●「デジタル革命」と無縁だったアナログな政・官・財界
企業形態がリゾーム型になることによって、若者のアイデアや意見が経営に反映されるようになって、IT企業は特異の発展をとげた。
一方、デジタル革命がおきなかった日本では、霞が関がのりだしてきて、利権と許認可の網をはって、IT分野に管轄下においた。
高級官僚は、東大法卒で、過去の知識は豊富だが、ITやAI、デジタルやネットワークなどの新科学については未体験で、ほとんどないも知らない。
ちなみにアメリカのIT企業成功者は、90%がじぶんでパソコンの本体やネットワークをつくりあげることができるデジタルおたくの高卒である。
日本はアメリカとシリコンバレーでIT戦争をたたかって敗れた。
ITやデジタルの専門家であるアメリカの経営者と大学で古い知識を学んできたインテリ役人や雇われ社長が、ITの土俵で争って、勝負になるわけはなかった。
IT戦争の延長線上にあったのが半導体戦争だった。
日本の経営者が、産業通産省の指導の下、大量生産ができて利益率の高いDRAM(半導体メモリ)の製造にハッパをかけたのは、生産性よりも効率性を重んじたたからで、日本製DRAMはピカ一だった。
ところが、日本の高性能DRAMは、安価な韓国やマイクロン(アメリカ)に惨敗する。パソコン用のDRAMは、日本の4分の1の精度で十分だったからで、性能さえよければ勝てるという日本側の読みは完全に外れた。
そこで、霞が関は、DRAMを捨てて、システムLSI(集積回路半導体)へ転向するように大号令をかけたが、これも大失敗だった。
システムLSIは、企画や設計のほか、コンサルティングやリサーチ、マーケティングや販売を担当するファブレス企業と、生産機能だけをうけもつファウンドリ企業の二本立てになっていなければ成り立たない。
だが、日本の役人(産業通産省)はその大原則に注意をたいして注意をはらわなかった。
集積回路は、機能や目的が異なる回路を組み合わせたチップで、多種少数となるので、ハードウエアであるファウンドリ企業は、顧客を多くもたなければ経営が成り立たない。
一方、企画と設計、販売をうけもつファブレス企業は、ソフトウエアだけに力を注ぎ、ファウンドリ企業から、設計どおりに完成させたシステムLSIを買いとるだけである。
最近、中国が、半導体企業の誘致に、設計と製造のセッティングするように注文をつけてきたのは質の設計≠ニ量の製造≠ェかみあわなければシステムLSI生産を軌道にのせることができないからである。
●半導体で日本が世界ナンバーワンの返り咲く3つの戦略
苦境にある日本の半導体だが、明るい展望が3つある。
1つは、次世代半導体の設計・製造の拠点となる「ラピダス」が設立されたことである。
ラピダス社は、AIやスパコンなどに使われる回路の線幅2ナノメートルの最先端の半導体の開発と製造をめざす。
実現すれば、アメリカや台湾、韓国に先んじて2ナノレベルのチップ量産が可能になって、堂々と世界マーケットに斬りこんでゆける。
「ラピダス」の出資者はキオクシア(旧東芝メモリ)・ソニーグループ・ソフトバンク・デンソー・トヨタ自動車・NTT・NEC・三菱UFJ銀行など8社で政府も700億円の支援をおこなう。
2つ目は、世界一の半導体ファウンドリ企業である台湾のTSMCがソニーセミコンダクタソリューションズとともに、熊本県に新工場を設立することである。
日本政府の熱心な誘致が功を奏したともいえるが、TSMCも、日本からシリコンウエハー(半導体の材料基板)の供給がうけやすいという利点もあった。
半導体の生産にはシリコンウエハーが不可欠だが、現在、この分野で世界のトップシェアに立っているのが日本で、信越化学とSUMCO(新日鐵系列)の2社だけで世界供給量の57%を占める。
シリコンウエハーは、ほぼ100%のケイ素インゴットで、これがなければ半導体をつくれない。シリコンウエハーは、日本の他、台湾と韓国、ドイツが世界シェアを分けあっているが、ファウンドリ(半導体受託製造)で世界市場の5割を生産しているTSMCが必要とするシリコンウエハーは、自国の生産量をはるかにこえる。
熊本工場で生産される半導体は、22〜28ナノメートルと数世代前の技術だが、半導体市場はITやAIから自動車や電化製品、各種機器まで幅が広く、集積度の高い半導体だけに需要があるわけではない。熊本工場の半導体は自動車立国の日本にとって大きな朗報なのである。
3つ目は、キオクシア(旧東芝メモリ)とキヤノン、大日本印刷がすすめている「ナノインプリント」と呼ばれる半導体回路形成の新しい技術である。
ハンコを押すような製造工程で、最小線幅2ナノメートル未満の加工が可能なこの技術が実用化されると、精度の高い半導体を多量に、効率よく生産できるようになって、日本の失地回復の大きな武器になるはずである。
以上3つが明るい展望だが、懸念されるのは、政・官・民の官の癒着問題である。
経済産業省がテコ入れして、日立製作所とNEC、のちに三菱電機が設立に参加した「エルピーダメモリ」が2012年に経営破綻したのは、国の支援や補助金に甘えた放漫経営の結末だった。
DRAM事業を統合した「日の丸半導体メーカー」と呼ばれて思いあがったわけではあるまいが、品質がはるかに劣る韓国製に負けて、当時、戦後最大の約4480億円の赤字を背負い込んだ。
マーケットがコンピュータからパソコンに移って、高品質より低価格がもとめられていることに気づかなかった凡ミスで、アニマルスピリットを欠いた官導型経営の大失態だった。
半導体市場の特徴は、変化とスピード、多様性にあるが、役人や古いタイプの経営者は、この道筋が読めない。
若者や女性を多用するシステムでも導入して新しい風を吹き込まなければ「エルピーダメモリ」の二の舞になる可能性も否定できないのである。
「失われた30年」と半導体の悲劇≠ゥら立ち直る機会がようやくめぐってきた。
このチャンスをつぶすと、日本は「失われた40年」へふみいってしまうことになるのである。
2022年11月21日
2022年11月07日
日本経済は「失われた30年」からどう立ち直るか@
●経済を「新自由主義」型から「信用創造」型へきりかえよ
1955年以降の高度経済成長と池田勇人の所得倍増計画(1960年)によって、日本経済は、大躍進をとげた。
だが、70年代のニクソンショックと石油ショック、85年のプラザ合意が契機となったバブル経済とその崩壊(91年)、新自由主義に立った小泉改革をへて、日本経済は「失われた30年」という長い沈滞期へ突入していった。
1990年、大蔵省は、バブル経済を沈静化させると称して総量規制という禁じ手を使っている。
その結果、地価や株価が暴落して、日本経済は、もののみごとに崩壊した。
あたりまえである。1兆円が10兆円として機能している信用創造に制限をかければ、金融経済全体が縮小して、国家や国民が貧困化しないわけはない。
総量規制は、真珠湾攻撃のようなもので、バブル沈静の特効薬になった。
げんに、真珠湾攻撃に喝采を送るヒトがいるように、あのとき、総量規制が必然だったという経済学者や論者も少なくない。バブルはいつか崩壊するのではやく手を打ったほうが傷も浅いという理屈である。
だが、オランダのチューリップバブルの崩壊は単品投機で、1930年代の世界不況については、いまだ原因がわかっていないが、原因の一つに生産力と購買力の構造的落差があるので、一過性のバブルやバブル崩壊と同列に論じることはできない。
「失われた30年」というダメージを負っておいて、総量規制が深手を避けるためのものだったといっても言い訳にもならない。
1990年代前半に一人当たりGDP世界第一位を記録するなど世界有数の富裕国だった日本は、現在、アメリカ、中国に次ぐ世界第3位だが、実数では、アメリカの20%強、中国の28%にとどまって、4位のドイツとは僅差である。
1人当たりGDPにいたっては世界27位で、ドイツなどヨーロッパ諸国に水をあけられているほか、国連の幸福度ランキングでは世界56位という後進国並みのレベルに転落している。
●日本の商道の「ヒト・モノ・カネ」の哲学
経済は、需要と供給、資産と負債などの二元論で語ることができない。
生きている人間とかかわる多元論で、その象徴が信用創造≠ナある。
信用創造は、貨幣経済のことでもあって、西洋の初期の資本主義にも日本の商道にも、ヒトとモノ、カネにまつわる哲学があったのである。
経済が生産、貨幣と資産の二元論なら、アメリカの好況や、勢いがとまらない中国経済、ウクライナ戦争で一日数兆円の戦費を使っているロシア経済が破産しない理由に説明がつかない。
米中ロなどの大国の国家経済がつぶれないのは貨幣発行権という信用創造の能力を行使しているからで、評論家の木村太郎が「夏までにロシアは経済破綻をおこして消滅する」と誤った予言をおこなったのは、信用創造という局面が見えなかったからだった。
この信用創造をぶち壊したのがバブル崩壊時の日本の総量規制(ハードランディング)だった。
その一方、現在、中国でおきている行政区単位のバブル崩壊が表面化しないのは、権力がこれをおさえこんでいる(ソフトランディング)からである。
中国も、日本のように総量規制をかけるとパニックがひろがって中国経済も危機に陥るはずである。1929〜36年のアメリカ発大恐慌は、ウォール街の株式が大暴落(「暗黒の木曜日」)からはじまったが、直接的には株価暴落にともなう取り付け騒ぎで銀行が破綻、融資をとめられた企業も倒産して失業者が町にあふれだしたからだった。
当時の共和党がなに一つ対策を打ちだせなかったのは経済を知らなかったからで、フーバー大統領以下、政府首脳は、需要と供給が自動的にバランスをとりあうというアダム・スミスの「神の見えざる手」を素朴に信じているだけだった。
●所得倍増計画の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」
経済は、自由放任主義や市場原理、資本の論理にまかせてしまうと創造性やモラル、信用などの価値観を失って、破綻へむかう。
恐慌や富の独占、戦争へむかうのが資本主義の負の局面で、経済は、政治と同じように、善や法、秩序など、全体の利益をもとめる国家という大きな枠でとらえなければならない。経済も、国民主権のルソー型と、国家主権のホッブズ型の2つのパターンに分けられるのである。
浜矩子(同志社大学大学院教授)はMTT理論を批判して「国家に永続性はない」とのべた。
浜らのマルキストがもとめるのは、ホッブズ的な国家ではなく、ルソー的な人民政府で、国家資本主義の発展をめざすホッブズ型経済(ケインズ主義)はかれらの敵なのである。
池田勇人の所得倍増計画がケインズ主義の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」にもとづくものだったことは、池田のブレーンだった大蔵官僚で経済学者だった下村治がケインジアンだったことからもわかる。
ケインズ主義の対極にあるのが新自由主義で、市場の原理を「神の見えざる手」にたとえ、自由放任を主張したアダム・スミスの上をゆくリバタリアニズム(超自由主義)である。
主唱したのは、シカゴ大学のフリードマン教授で、これを日本に移入したのが市場主義や規制緩和、民営化を主軸とする「聖域なき構造改革」をすすめた小泉純一郎と竹中平蔵だった。
「小泉改革」が失敗に終わったのは、経済停滞が構造の問題≠ナはなく、下村が指摘したように人間の問題≠セったからで、小泉・竹中が民営化をすすめた郵政は、アメリカの食い物にされただけだった。
●「効率化」の自由主義と「生産性」のケインズ主義
日本は得意の「ものづくり」でも醜態をさらした。IBMの産業スパイ事件(1982年)で日本製パソコンにソフト上の縛りがかかって、IBMの拘束をうけないコンパック(米製)に敗退したほか、市場では自治労などの労組がパソコンの使用が労働強化にあたるとして敵対視したため、学校でのパソコン教育が大幅に遅れて、日本は世界で最悪のIT・パソコン後進国になってしまった。
社会保険庁が約5000万件もの年金記録(年金番号)を紛失したのはパソコン業務を外注に回したからだった。
パソコン作業の外注以外、これまで日本企業は「丸投げ」という外注思想によってみずからの首をしめてきた。
マイクロソフトが開発してインターネット社会の牽引車となったウインドウズ95も、日本メーカーは、経済効率を考えてこれをサムスン電子に製造委託をおこなって、ITやパソコン部門、携帯電話で韓国におくれをとったばかりか、つくるものがなくなった日本の電器メーカーは軒並みに凋落した。
効率だけを考えると製品リスク≠負わない部品製造のほうが、はるかに安全で、儲かるのである。
原子力発電所の建設も、価格の安い韓国に依存して、東京電力などは韓国の原子力業界から感謝状をもらったほどだった。そのせいで、日本の原子力業界は衰弱の一途をたどって、東日本大震災のおける福島原発事故では、日本の原子力業界の非力は目に余った。部品がすべて韓国製なので、日本の技術者の手に負えなかったという話もささやかれた。
日本経済や産業界、製造業がこれほど自信と誇り、能力を失ってしまったのは効率化≠ホかりに目をむけて生産性≠かえりみることがなかったからである。
効率をいうなら新自由主義がチャンピオンだが、新自由主義が行き着く先は弱肉強食と格差、不平等と不公平のジャングルである。「自然に帰れ」のルソーはこれを自然状態としたが、ホッブズはこれを野蛮と見て、強力な国家を構想した。
次回から「効率化」と「生産性向上」の比較論をとおして日本経済に将来を展望しよう。
1955年以降の高度経済成長と池田勇人の所得倍増計画(1960年)によって、日本経済は、大躍進をとげた。
だが、70年代のニクソンショックと石油ショック、85年のプラザ合意が契機となったバブル経済とその崩壊(91年)、新自由主義に立った小泉改革をへて、日本経済は「失われた30年」という長い沈滞期へ突入していった。
1990年、大蔵省は、バブル経済を沈静化させると称して総量規制という禁じ手を使っている。
その結果、地価や株価が暴落して、日本経済は、もののみごとに崩壊した。
あたりまえである。1兆円が10兆円として機能している信用創造に制限をかければ、金融経済全体が縮小して、国家や国民が貧困化しないわけはない。
総量規制は、真珠湾攻撃のようなもので、バブル沈静の特効薬になった。
げんに、真珠湾攻撃に喝采を送るヒトがいるように、あのとき、総量規制が必然だったという経済学者や論者も少なくない。バブルはいつか崩壊するのではやく手を打ったほうが傷も浅いという理屈である。
だが、オランダのチューリップバブルの崩壊は単品投機で、1930年代の世界不況については、いまだ原因がわかっていないが、原因の一つに生産力と購買力の構造的落差があるので、一過性のバブルやバブル崩壊と同列に論じることはできない。
「失われた30年」というダメージを負っておいて、総量規制が深手を避けるためのものだったといっても言い訳にもならない。
1990年代前半に一人当たりGDP世界第一位を記録するなど世界有数の富裕国だった日本は、現在、アメリカ、中国に次ぐ世界第3位だが、実数では、アメリカの20%強、中国の28%にとどまって、4位のドイツとは僅差である。
1人当たりGDPにいたっては世界27位で、ドイツなどヨーロッパ諸国に水をあけられているほか、国連の幸福度ランキングでは世界56位という後進国並みのレベルに転落している。
●日本の商道の「ヒト・モノ・カネ」の哲学
経済は、需要と供給、資産と負債などの二元論で語ることができない。
生きている人間とかかわる多元論で、その象徴が信用創造≠ナある。
信用創造は、貨幣経済のことでもあって、西洋の初期の資本主義にも日本の商道にも、ヒトとモノ、カネにまつわる哲学があったのである。
経済が生産、貨幣と資産の二元論なら、アメリカの好況や、勢いがとまらない中国経済、ウクライナ戦争で一日数兆円の戦費を使っているロシア経済が破産しない理由に説明がつかない。
米中ロなどの大国の国家経済がつぶれないのは貨幣発行権という信用創造の能力を行使しているからで、評論家の木村太郎が「夏までにロシアは経済破綻をおこして消滅する」と誤った予言をおこなったのは、信用創造という局面が見えなかったからだった。
この信用創造をぶち壊したのがバブル崩壊時の日本の総量規制(ハードランディング)だった。
その一方、現在、中国でおきている行政区単位のバブル崩壊が表面化しないのは、権力がこれをおさえこんでいる(ソフトランディング)からである。
中国も、日本のように総量規制をかけるとパニックがひろがって中国経済も危機に陥るはずである。1929〜36年のアメリカ発大恐慌は、ウォール街の株式が大暴落(「暗黒の木曜日」)からはじまったが、直接的には株価暴落にともなう取り付け騒ぎで銀行が破綻、融資をとめられた企業も倒産して失業者が町にあふれだしたからだった。
当時の共和党がなに一つ対策を打ちだせなかったのは経済を知らなかったからで、フーバー大統領以下、政府首脳は、需要と供給が自動的にバランスをとりあうというアダム・スミスの「神の見えざる手」を素朴に信じているだけだった。
●所得倍増計画の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」
経済は、自由放任主義や市場原理、資本の論理にまかせてしまうと創造性やモラル、信用などの価値観を失って、破綻へむかう。
恐慌や富の独占、戦争へむかうのが資本主義の負の局面で、経済は、政治と同じように、善や法、秩序など、全体の利益をもとめる国家という大きな枠でとらえなければならない。経済も、国民主権のルソー型と、国家主権のホッブズ型の2つのパターンに分けられるのである。
浜矩子(同志社大学大学院教授)はMTT理論を批判して「国家に永続性はない」とのべた。
浜らのマルキストがもとめるのは、ホッブズ的な国家ではなく、ルソー的な人民政府で、国家資本主義の発展をめざすホッブズ型経済(ケインズ主義)はかれらの敵なのである。
池田勇人の所得倍増計画がケインズ主義の「アニマルスピリット(生命力と創造力)」にもとづくものだったことは、池田のブレーンだった大蔵官僚で経済学者だった下村治がケインジアンだったことからもわかる。
ケインズ主義の対極にあるのが新自由主義で、市場の原理を「神の見えざる手」にたとえ、自由放任を主張したアダム・スミスの上をゆくリバタリアニズム(超自由主義)である。
主唱したのは、シカゴ大学のフリードマン教授で、これを日本に移入したのが市場主義や規制緩和、民営化を主軸とする「聖域なき構造改革」をすすめた小泉純一郎と竹中平蔵だった。
「小泉改革」が失敗に終わったのは、経済停滞が構造の問題≠ナはなく、下村が指摘したように人間の問題≠セったからで、小泉・竹中が民営化をすすめた郵政は、アメリカの食い物にされただけだった。
●「効率化」の自由主義と「生産性」のケインズ主義
日本は得意の「ものづくり」でも醜態をさらした。IBMの産業スパイ事件(1982年)で日本製パソコンにソフト上の縛りがかかって、IBMの拘束をうけないコンパック(米製)に敗退したほか、市場では自治労などの労組がパソコンの使用が労働強化にあたるとして敵対視したため、学校でのパソコン教育が大幅に遅れて、日本は世界で最悪のIT・パソコン後進国になってしまった。
社会保険庁が約5000万件もの年金記録(年金番号)を紛失したのはパソコン業務を外注に回したからだった。
パソコン作業の外注以外、これまで日本企業は「丸投げ」という外注思想によってみずからの首をしめてきた。
マイクロソフトが開発してインターネット社会の牽引車となったウインドウズ95も、日本メーカーは、経済効率を考えてこれをサムスン電子に製造委託をおこなって、ITやパソコン部門、携帯電話で韓国におくれをとったばかりか、つくるものがなくなった日本の電器メーカーは軒並みに凋落した。
効率だけを考えると製品リスク≠負わない部品製造のほうが、はるかに安全で、儲かるのである。
原子力発電所の建設も、価格の安い韓国に依存して、東京電力などは韓国の原子力業界から感謝状をもらったほどだった。そのせいで、日本の原子力業界は衰弱の一途をたどって、東日本大震災のおける福島原発事故では、日本の原子力業界の非力は目に余った。部品がすべて韓国製なので、日本の技術者の手に負えなかったという話もささやかれた。
日本経済や産業界、製造業がこれほど自信と誇り、能力を失ってしまったのは効率化≠ホかりに目をむけて生産性≠かえりみることがなかったからである。
効率をいうなら新自由主義がチャンピオンだが、新自由主義が行き着く先は弱肉強食と格差、不平等と不公平のジャングルである。「自然に帰れ」のルソーはこれを自然状態としたが、ホッブズはこれを野蛮と見て、強力な国家を構想した。
次回から「効率化」と「生産性向上」の比較論をとおして日本経済に将来を展望しよう。