●「日米地位協定」をめぐる反日デマゴギー
「主権なき平和国家(集英社/伊勢崎賢治・布施祐仁)」という書籍が保守層にまで広くうけいれられて、文庫本化されている。
キャッチフレーズに「地位協定の国際比較からみる日本の姿」とあるので、本格的な読み物と思いきや「オスプレイ墜落や米兵婦女暴行事件にたいして日本はなぜなにもできないのか!」という煽り本だった。
デマゴギーと感情論のごった煮で、こういう宣伝文書を読まされて、日本の若者は反日戦士に仕立て上げられてゆくのかと、妙に納得させられた。
同書にこうある。「1960年の締結以来、日米地位協定を一度も改定しなかった日本の主権放棄≠ヤりは、アメリカと地位協定をむすんでいる他の国々と比較しても際立っている」
こうとものべる。「国内の一部領空には日本の航空機が通過できない空域(横田)があるなど、戦後から現在までアメリカの占領状態がつづいている。日本国憲法の上に日米地位協定が、国会の上に日米合同委員会があるような、アメリカに依存しきった主権なき平和を本当に平和と呼べるのか?」
ウソとゴマカシも、理屈をつらねてゆくと、真実に思えてくるのがことばのこわさで、この手のアジ演説≠ェ左翼メディアに乗ってひろがって世論が形成されてゆく。
その左翼メディアのスターの一人、寺島実郎はこうのべる。「日本はアメリカの属国で、アメリカも日本を保護領と見ている」(『問いかけとしての戦後日本と日米同盟』/岩波書店)。こうとものべる。「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」「アメリカは占領を終えたら出ていく約束だった」「米軍基地の縮小、撤退が主権回復へのみち」「中国との対立は危険」「地位協定を改定せずに主権をとりもどすことはできない」
寺島の意見が正論に聞こえてくるのは、日本のマスコミ世論が、右(自由陣営=アメリカやイギリス)ではなく、左(共産陣営=中国やロシア、北朝鮮)に属しているからである。
右にとって、国家をまもる安保が、左には、中・ロ・韓・朝にたいする好戦性としか映らない。そこで、安保法制を固めた日本を、アメリカの番犬(ポチ)」と呼んで憎悪をあからさまにする。それが反保守と反米を軸とする現在のマスコミ世論のすがたである。
●横田空域は主権放棄と息巻く寺島らの虚言
寺島実郎は「自国の空に他国の空域(横田)があるなど国際社会の常識ではありえない」というが、北朝鮮と国連(韓国と米国)軍および米軍を駐在させている日本は、現在、戦争状態(現在は休戦)にあって、事実、北朝鮮は日本海にさかんにミサイルを撃ちこんでいる。
朝鮮半島が、歴史上、日本の安全保障の要衝だったことは、白村江の戦から蒙古襲来、日露戦争までの歴史が教えるとおりで、朝鮮半島の動乱は、つねに、日本の危機だった。
横田基地は、日本防衛の要で、横田基地から朝鮮半島や中国大陸にむかう戦闘機の航路を開けておくのは、日本防衛のためであって、アメリカが日本の空域を侵しているわけではない。
アメリカが横田空域を放棄すれば、日本の制空権は中国空軍におびやかされる。中国軍の尖閣列島や台湾への侵攻の最大のネックが制空権だが、アメリカが横田や岩国、那覇の空軍基地を失ったら、中国は空母打撃群(空母+戦闘機)を編成して、堂々と日本海や尖閣・沖縄周辺へのりだしてくるだろう。
それが、寺島のいう「中国との対立は危険」ということで、かれらは中国を友好国と見て、日本の同盟国であるアメリカを敵視する。
横田基地は、日本空域を侵す空の壁≠ナはない。旅客機の巡航高度は10000〜12500mだが、横田基地の空域高度は7000mまでなので障害にならない。横田空域をとばないのは、必要がないからで、千歳〜羽田航路は横田空域をとおらず、千歳〜那覇航路にいたっては海上ルートである。
羽田発の旅客機が房総沖の海上で旋回して高度を稼ぐ航法をとる理由は二つあって、一つは、富士山の乱気流を避けるためで、二つめは、市街地の上空を旋回すると騒音問題が生じるからで、安全性にも問題がある。
横田空域を使用する場合、米当局へ申し入れが必要だが、有視界の飛行なら自由に航行できる。事実、横田空域の調布飛行場から、連日、八丈島などへの定期便(有視界飛行)が飛んでいる。事前に申し入れれば、ジェット旅客機も横田空域を使用できるが、高度7000m以内を運行する大型旅客機など日本には存在しない。
●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
アメリカとNATOの地位協定には、平時法と戦時法の区別があって、日本の報道が引用してきたのは平時法である。ところが、日本の地位協定は、戦時法なのでNATOよりも米軍優先になる。
国家が自国内に他国の軍隊を受け入れる場合、NATOや日米、米韓も同様、一定のルールのもとでとりきめがおこなわれる。したがって、各国間で差異が生じることも不平等になることもありえない。日米地位協定も他国の条約を例にふまえて作成されているので、国際的慣行からみても均衡がとれている。
軍隊を派遣する国とうけいれる国の主権がぶつかる場合は、うけいれる国が譲歩するのが慣例で、うけいれる国が、駐留する国の主権をみとめないということになれば、そもそも、駐留の根拠自体が失われる。
アメリカ軍は、アメリカの国家主権を背負って日本に駐留している。日本の主権のもとで、軍事行動にあたっているわけではない。逮捕権や裁判権は、主権の問題なので、日本国内であっても、アメリカは、アメリカの法律をもって処分する。
アメリカ兵が罪を犯して、アメリカ軍施設のなかに逃げこんで罪を免れたという話はつくり話で、アメリカは、アメリカの法のもとで、罪を犯したアメリカ兵を罰する。
自衛隊が駐留しているジブチやクウェートでも、事情は同じで、自衛隊員は殺人を犯してもジブチやクウェートの法では裁かれない。逮捕して裁くのは、日本の警察や司法で、軍人には、現地の法がおよばないのである。
逮捕や裁判、刑罰は国家主権で、有罪になると死刑(刑法第81条)になる外患誘致罪(外国と通謀して日本国に武力を行使させる)では、身柄が外国にあっても免罪にはならない。
●日本に有利なジブチとクウェートの対日地位協定
ソマリア沖の海賊退治のために日本の自衛隊をうけいれているジブチで調印された日本ジブチ地位協定(2009年)は、自衛隊の過失犯が無罪になるほか、自衛隊基地が、事実上、ジブチ政府の治外法権とされるなど日本に圧倒的な有利な協定だが、これを問題にしているのは、一部の日本人だけで、ジブリでは問題になっていない。
イラク戦争後、日本は、イラクの国家復興支援活動として、イラクに陸上自衛隊を、クウェートに航空自衛隊を派遣している。その際にむすばれた「日本クウェート地位協定」は、自衛隊の公務中の犯罪がクウェートの刑法から免除されるという不平等条約だったが、ジブチ地位協定と同様、問題になることはなかった。
外国から派遣された兵士は、じぶんの国の法に縛られているので、駐留地の法で裁くことはできない。銃をもってたたかう兵士は、自国の主権を背負っているからで、これを「属人主義」と呼ぶ。一方、民間人は、生活している国の法令に保護されているので、罪を犯せば、その国の法によって裁かれる。これが「属地主義」で、軍人と民間では、画然たるちがいがあるのである。
罪を犯した公務中の米兵、あるいは米当局が身柄をおさえた被疑者を日本の法律で裁けというのは「属地主義」だが、ほとんどの先進国は「属人主義」をとっている。他国の「属人主義」をさして、主権を侵されたと騒ぐのは、国際常識を知らない錯誤か被害妄想である。全国で相次いだ強盗事件で、フィリピン当局は、主犯と見られる人物を入国管理局の収容施設に拘束して、日本当局に引き渡した。それが「属人主義」というもので、フィリピンが「属地主義」をとって、この犯人を野放しにしたら日本と「犯罪人引渡条約」をむすんでいないフィリピンは、日本人犯罪者の巣窟になってしまいかねない。
次回は安保条約と地位協定の関連をもうすこしつっこんで考えよう。