●日本はデジタル部門の敗退者だったのか?
1989年度の「世界時価総額ランキング」のトップ50で、日本の企業は32社がランクインしたが、2018年では、わずか1社(トヨタ自動車)にとどまった。
ランクインしたのはIT企業やAI関連のほか、インターネット物流などの電子・デジタル部門ばかりで、製造業は、ITやAIにおされてほとんどがランク外にすがたを消してしまった。
日本が、ITやAIで後れをとった理由は、日本語の壁だった。
日本はパソコンなどのOS(オペレーション・システム)を独自で開発してアップル(時価総額世界1位)やマイクロソフト(2位)と競り合った。日本はスーパーコンピュータやゲーム機、工場ロボットの技術が世界一で、OSについても国産OS(トロン)はマイクロソフトよりも先進的だった。
ところが、OSのマーケットは世界なので、キーから用具の名称、プログラミングにいたるまですべて英語でなければならない。日本人が日本人のためにつくった和製OSが敗退したのは、日本語が国際語ではなかったからだったのである。
ところが、中国や韓国、台湾は、自国でなにも開発せず、アップルやマイクロソフトから技術をそっくり移入、あるいはコピーして、大量生産した。アジアのデジタル企業が大成功したのは、独創性を捨てて、コピーと組み立てという拡大再生産にむかったからだったのである。
部品を提供したのは日本で、世界中のスマホで日本の部品が使われていないものは一つもないといわれるほどだが、日本製のパソコンやスマホの世界シェアは驚くほど低い。
日本は、半導体で敗退したといわれているが、半導体の集積回路(IC)の基板(シリコンウエハー)の分野で、日本の世界シェアは、60%(信越化学工業/SUMCO)で断トツの一位である。
●いつまでも続かないデジタルという架空経済
世界GDPランキング3位の日本と12位の韓国ではやや差があるが、1人当たりGDPでは日本が28位、韓国30位と僅差である。韓国のマスコミは「韓国経済が日本に勝った」と嬉々として報じているが、あながち虚言というわけでもない。
国連経済社会局の調査によると、韓国は、デジタル技術力で8位(日本27位)、政府の電子化ランキングでは2位(日本14位)と、いまや日本をこえるデジタル先進国で、スマホの世界シェアでもトップはアップル(米)ではなく韓国のサムソンである。
ちなみに、日本の1人当たりGDPが世界28位(韓国30位)と低いのは物価や税金、医療費などが安いからで、アメリカの昼食代は日本の3倍以上も高く、低所得者は医者にもかかれない。
ITやAI、インターネットは、ソフト型の経済で、工業製品や資源などはハード型経済である。ハードというのは、地下資源や食品全般、工業製品などの実物経済のことで、これはGDP(国民総生産/付加価値)とかならずしも一致しない。
ウクライナ戦争で1日に2兆円の戦費がかかってもロシア経済が破産しないのは、ロシアは、ITやAI、インターネット分野には後進的でも、世界有数の資源国家にして穀物の大生産国、輸出国だからである。
ITやAI、インターネットが、国家経済を支えることはできないのは、情報や手段、道具でしかない架空経済だからで、みずから財をうむことがない。
いうまでもないが、国家や実物経済を支えるのは、無形の情報や通信、知識ではなく、有形のエネルギー資源や食糧、生産(工業)力などである。
ITやAI、インターネットなどの無形の経済は、一定のレベルにたっして一巡すると徐々に価値を失ってゆく。変わって台頭してくるのが、有形の実物経済、とりわけ、現在、注目されているのがエネルギー資源である。
●そこまで来ている「資源国家日本」の夜明け
日本の排他的経済水域は、中国よりもはるかに広く、韓国の約10倍である。この海域に、将来、採掘が可能な地下資源の質と量は、世界有数で、石油と天然ガスだけでも中東以上といわれている。
中国が尖閣列島を自国領と主張する一方、竹島を不法占拠する韓国が国連に九州南方沖まで自国領海(第7鉱区)と提訴したのは、海底に眠る地下資源を狙ってのことである。
中国が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは、1969年、国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)が石油埋蔵の可能性があるという沿岸鉱物資源調査報告を提出した以降で、それ以前、中国は、尖閣の領有を主張したことはいちどもない。
1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は、台湾と澎湖諸島の領有権を放棄したが、尖閣諸島は日本領として残された。このとき、中国は異議を唱えていない。1972年の日中国交正常化や1978年の日中平和友好条約の交渉でも尖閣は議題にのぼらなかった。
中国が尖閣の占有を主張するのは、台湾を侵略する際、尖閣が日本領だったら不都合だからで、日本が尖閣にミサイル基地をつくれば台湾周辺の制空権と制海権が日本の手に落ちる。
資源と軍事両面の必要性から、中国は、日本から尖閣諸島を奪おうというのである。
韓国の竹島不法占拠や大陸棚宣言も、資源と軍事両面の目的をもっている。
日本海の表記を東海とすべきとする韓国は、日本海にうかぶ島根県の竹島を不法占拠して領有権を主張しているが、2012年、東シナ海の九州南沖から沖縄にいたる広大な海域(第七鉱区)の大陸棚主権を宣言して、堂々と国連に申し入れている。
韓国のいう第7鉱区は、尖閣諸島から九州にむかう沖縄トラフ(海底盆地)の東部海域で、日本の排他的経済水域どころか、九州・沖縄の近海である。
中国も韓国も、日本海と東シナ海を日本と雌雄をあらそう決戦場ととらえて海軍・空軍の増強を強化している。核戦争と全面戦争が不可能な以上、区域を限定した制海権・制空権の確保が領地・領海の事実上の領有宣言となるからである。
●資源防衛≠ワでがふくまれる国家防衛
2022年現在、中国海軍は「遼寧」「山東」の2隻の空母を所有(三隻目を建造中)して、黄海と東シナ海の大半を配下におき、南シナ海の制海・制空権をつよめている。
日本とほぼ同額の軍事費をもつ韓国も、竹島防衛を口実に日本海の制海権を確立すべく、空母や原子力潜水艦の建造をすすめている。
これにたいして日本は、空母4隻体制と最新鋭のF35(104機)による機動部隊で対抗した。安倍晋三元首相の決断によるもので、機動部隊というのは空母中心の艦隊のことである。日本は、複数の機動部隊を設立して、日本海と東シナ海、南シナ海(オイルロード)の制海権・制空権を確立、日本の安全保障を万全としたのである。
核戦争以外の戦争において、攻めるよりまもるほうが有利なのは、地の利がはたらくからで、ベトナムでアメリカが、アフガニスタンで旧ソ連が負けたのも、そして、ウクライナ戦争でロシア圧勝の下馬評がひっくり返ったのはその原理がはたらいたからである。
ちなみに、ナチスに攻められて2000万人の戦死者をだしながら旧ソ連が負けなかったのは、戦地となったレニングラード、スターリングラードが自国領だったからである。
中国や韓国は、日本から制海権や制空権を奪わなければ、尖閣諸島あるいは韓国のいう「第6鉱区」「第7鉱区」に手をだすことができない。
攻めるのは困難でもまもるのはかんたんで、日本が排他的経済水域に艦隊(機動部隊)を送りだすだけで竹島は帰ってくる。竹島は日本の排他的経済水域にあるからである。韓国の海軍が日本艦隊を同海域(第6鉱区)から追いだしたら、その時点で韓国が竹島を実効支配したことになるが、現在の韓国海軍にその力はない。
日本が艦隊を竹島周辺へ配備しないのは、韓国の反発をおそれてのことである。
その論法で、ずるずる後退すれば、日本は韓国に第7鉱区までも奪われる。
第6鉱区(竹島海域)には、韓国の年間ガス使用量30年分のハイドレートガスが埋蔵されているといわれる。
韓国では、第6鉱区どころか、第7鉱区も韓国のものという「なんでもかんでもオレのもの」という例の論調か高まっているという。
次回以降、日本と中国、韓国がシノギをけずる地下資源の宝庫、東シナ海の動向についてのべよう。
2023年02月23日
2023年02月14日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和6
●巨星墜つ≠フ感が深い森田実氏の訃報
政治評論家の森田実氏が亡くなられた。お会いするたびに笑顔で話しかけてこられた穏やかなお人柄で、講演にもなんどか足を運ばせてもらった。
小泉改革反対の急先鋒で、とりわけ、2005年の郵政解散には違憲論までもちだして異を唱えられた。参院で法案が否決された以上、憲法41条の精神に立って廃案にすべきで、7条を濫用して国会を解散させるのは、越権にして違憲、首相の権限を越えていると演壇で熱弁をふるわれた。
郵政選挙で自民党は296議席を獲得して大勝したが、当選者の多くはテレビでもてはやされた「小泉チルドレン」で、古参の自民党議員は涙を呑んだ。このときも、森田氏は、議論を捨てて、多数決にたのむのは民主主義ではないと断言して、衆愚論の口火を切った。
小沢一郎が、当時の細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁のあいだに立って実現させた小選挙区制についても、森田氏は、多元的価値観と奥行きをもった自民党の持ち味を台なしにすると警告を発しつづけた。
まったく同感で、森田氏からは学ぶところがすくなくなかった。
保守論客として名指しで推薦していただいたこともあったが、自民党のリベラル派や宏池会に近く、公明党とも太いパイプをもつ平和主義者だった森田氏と天皇・国体論のわたしでは、あとでのべるように、根本的な部分で相違点が小さくなかった。
森田氏は、日本共産党の東大細胞の大ボスで、6全協(1955年)の武闘路線放棄の3年後、共産党員を殴って除名されたのち、島成郎(国立精神神経医療研究センター医師)を書記長に立てて全学連を結成、森田実氏は委員長をつとめた。
全学連委員長選挙で革共同に負けると、島は、北海道へ行って唐牛健太郎を説得、香山健一(元学習院大学教授)に次いで唐牛が委員長になって全学連はそのまま60年安保に突入する。
●激動の60年安保とマボロシだった全学連
そのときの全学連副委員長が西部邁氏だった。当時、全学連と対決していた民族系学生運動の活動家だったわたしは、20年ほど前、酒席で、西部氏からフィクサーとして知られていた西山幸喜氏の紹介をたのまれて一席設けた。
中曽根康弘批判などで意気投合しているように見えたが、のちに、中曽根元首相が西部氏の出版記念パーティの主催者になっていることに西山氏が不快感をいだき、仲立ちしたわたしと西部氏とのあいだにも距離間がうまれた。
森田氏と西部氏は、島成郎から香山健一、唐牛健太郎へとつづくブント全学連の師弟関係で、唐牛の面倒を見た田中清玄と同様、転向者だった。香山健一は保守の名著といわれる「日本の自殺(文春新書)」を著し、1990年には、天皇陛下御即位奉祝中央式典で祝辞(学界代表)を読んでいる。
唐牛健太郎はガンで亡くなる(1984年/享年47歳)まで徳洲会病院の徳田虎雄や日本精工の今里広記の支援をうけて、事業に情熱を傾けた。生きていれば大実業家になっていたかもしれなかった。
日本における右翼と左翼は、マルクス主義をめぐる経済論争で、封建制度や絶対主義の打破などの切実な政治目的にもとづくものではなかった。
多くの学生運動家が転向したのは、かれらの闘争が虐げられた人民の苦しみからうまれたものではなかったからで、かれらは、マルクスやルソー、毛沢東などの理論や合理的思考、イデオロギーに、一時期、心酔しただけだった。
社会に、一歩、出てみれば、世界や現実、人間は、不合理や不条理、矛盾にみちた不純なもので、学生時代に夢みた唯物論的にして一元論的な真実はどこにもなかった。
歴史や文化、国家や習俗などは、唯心論的な多元論で、合理主義では説明がつかないものが釣り合いをとりながら存在している。そのあいまいさが中庸の精神で、聖徳太子の十七条の憲法にも「和をもって貴し、さか(忤)うることなしを宗とせよ」とある。
さかうるというのは、異質なものがいがみ合うことで、たとえ、異質なものでも、互いに尊重しあって、いがみあってはならないと太子はいったのである。
●「国家」と「国民」を融合させる二元論
個と全体、主観と客観、中心と周辺、意識と直観、体験と知識などの矛盾は永久に解消できない。
聖徳太子は、この矛盾を二元論や多元論で解決しようとした。
神道は国家、仏教は個人、儒教は道徳と分けるのが多元論で、聖徳太子が一神教や一元論を立てていたら、日本は、西洋のように宗教戦争がおきて国家が分裂していたかもしれない。
日本という国が、世界で唯一、革命がおきなかった伝統国家たりえているのも「朝廷と幕府」「政体と国体」「権力と権威」という二元論に立っていたからで、大久保利通は、憲法の制定にあたって、君民共治を唱えている。
天皇を中心とした立憲政治は、君主政治でも民主政治でもなく、君民共治という日本古来の政治形態にあると大久保はみたのである。
森田氏も西部氏も、熱烈な反米主義だが、アメリカが孤立主義を選択して、日本から引き揚げたとき、日本は、じぶんの国をどうまもるかという明確な展望を掲げたことはなかった。
西部氏は、核保持をいうが、核の「相互確証破壊」は観念論で、核の使用も全面戦争もありえない。ありうるなら核シェルターの使用法以外、いっさいの防衛理論が不要となる。
なぜなら、世界が滅びつつあるなかで、戦争と平和について語っても、なんの意味がないからである。
国家防衛は、現実的には、地域が限定された制海権と制空権に依存している。
極東アジアは、アメリカ軍と中国軍、韓国軍と台湾軍、自衛隊とロシア軍の軍事バランスの上に立っていて、日本がアメリカを日本列島から追いだせば、前回、のべたように、南シナ海が中国の要塞と化したフィリピンの失敗の二の舞になる。
森田氏や西部氏、そして、わたしたち保守主義者も、これまで、国家と国民の二元論を問題にしてきた。
森田氏の平和主義は、国民に重きをおいて、国家が希薄だった。
西部氏の保守主義は、大衆蔑視で、国体や国家が見えなかった。
国体は、歴史や文化、権威の体系で、大元に天皇がいる。
政体は、国益や軍備、権力の体系で、国家の根本である。
近代の国家主権は、民の代表たる天皇を中心とした日本伝統の国家観だったのである。
森田氏や西部氏と十分に天皇論を語ることがなかったことがいまも心残りなのである。
政治評論家の森田実氏が亡くなられた。お会いするたびに笑顔で話しかけてこられた穏やかなお人柄で、講演にもなんどか足を運ばせてもらった。
小泉改革反対の急先鋒で、とりわけ、2005年の郵政解散には違憲論までもちだして異を唱えられた。参院で法案が否決された以上、憲法41条の精神に立って廃案にすべきで、7条を濫用して国会を解散させるのは、越権にして違憲、首相の権限を越えていると演壇で熱弁をふるわれた。
郵政選挙で自民党は296議席を獲得して大勝したが、当選者の多くはテレビでもてはやされた「小泉チルドレン」で、古参の自民党議員は涙を呑んだ。このときも、森田氏は、議論を捨てて、多数決にたのむのは民主主義ではないと断言して、衆愚論の口火を切った。
小沢一郎が、当時の細川護煕首相と自民党の河野洋平総裁のあいだに立って実現させた小選挙区制についても、森田氏は、多元的価値観と奥行きをもった自民党の持ち味を台なしにすると警告を発しつづけた。
まったく同感で、森田氏からは学ぶところがすくなくなかった。
保守論客として名指しで推薦していただいたこともあったが、自民党のリベラル派や宏池会に近く、公明党とも太いパイプをもつ平和主義者だった森田氏と天皇・国体論のわたしでは、あとでのべるように、根本的な部分で相違点が小さくなかった。
森田氏は、日本共産党の東大細胞の大ボスで、6全協(1955年)の武闘路線放棄の3年後、共産党員を殴って除名されたのち、島成郎(国立精神神経医療研究センター医師)を書記長に立てて全学連を結成、森田実氏は委員長をつとめた。
全学連委員長選挙で革共同に負けると、島は、北海道へ行って唐牛健太郎を説得、香山健一(元学習院大学教授)に次いで唐牛が委員長になって全学連はそのまま60年安保に突入する。
●激動の60年安保とマボロシだった全学連
そのときの全学連副委員長が西部邁氏だった。当時、全学連と対決していた民族系学生運動の活動家だったわたしは、20年ほど前、酒席で、西部氏からフィクサーとして知られていた西山幸喜氏の紹介をたのまれて一席設けた。
中曽根康弘批判などで意気投合しているように見えたが、のちに、中曽根元首相が西部氏の出版記念パーティの主催者になっていることに西山氏が不快感をいだき、仲立ちしたわたしと西部氏とのあいだにも距離間がうまれた。
森田氏と西部氏は、島成郎から香山健一、唐牛健太郎へとつづくブント全学連の師弟関係で、唐牛の面倒を見た田中清玄と同様、転向者だった。香山健一は保守の名著といわれる「日本の自殺(文春新書)」を著し、1990年には、天皇陛下御即位奉祝中央式典で祝辞(学界代表)を読んでいる。
唐牛健太郎はガンで亡くなる(1984年/享年47歳)まで徳洲会病院の徳田虎雄や日本精工の今里広記の支援をうけて、事業に情熱を傾けた。生きていれば大実業家になっていたかもしれなかった。
日本における右翼と左翼は、マルクス主義をめぐる経済論争で、封建制度や絶対主義の打破などの切実な政治目的にもとづくものではなかった。
多くの学生運動家が転向したのは、かれらの闘争が虐げられた人民の苦しみからうまれたものではなかったからで、かれらは、マルクスやルソー、毛沢東などの理論や合理的思考、イデオロギーに、一時期、心酔しただけだった。
社会に、一歩、出てみれば、世界や現実、人間は、不合理や不条理、矛盾にみちた不純なもので、学生時代に夢みた唯物論的にして一元論的な真実はどこにもなかった。
歴史や文化、国家や習俗などは、唯心論的な多元論で、合理主義では説明がつかないものが釣り合いをとりながら存在している。そのあいまいさが中庸の精神で、聖徳太子の十七条の憲法にも「和をもって貴し、さか(忤)うることなしを宗とせよ」とある。
さかうるというのは、異質なものがいがみ合うことで、たとえ、異質なものでも、互いに尊重しあって、いがみあってはならないと太子はいったのである。
●「国家」と「国民」を融合させる二元論
個と全体、主観と客観、中心と周辺、意識と直観、体験と知識などの矛盾は永久に解消できない。
聖徳太子は、この矛盾を二元論や多元論で解決しようとした。
神道は国家、仏教は個人、儒教は道徳と分けるのが多元論で、聖徳太子が一神教や一元論を立てていたら、日本は、西洋のように宗教戦争がおきて国家が分裂していたかもしれない。
日本という国が、世界で唯一、革命がおきなかった伝統国家たりえているのも「朝廷と幕府」「政体と国体」「権力と権威」という二元論に立っていたからで、大久保利通は、憲法の制定にあたって、君民共治を唱えている。
天皇を中心とした立憲政治は、君主政治でも民主政治でもなく、君民共治という日本古来の政治形態にあると大久保はみたのである。
森田氏も西部氏も、熱烈な反米主義だが、アメリカが孤立主義を選択して、日本から引き揚げたとき、日本は、じぶんの国をどうまもるかという明確な展望を掲げたことはなかった。
西部氏は、核保持をいうが、核の「相互確証破壊」は観念論で、核の使用も全面戦争もありえない。ありうるなら核シェルターの使用法以外、いっさいの防衛理論が不要となる。
なぜなら、世界が滅びつつあるなかで、戦争と平和について語っても、なんの意味がないからである。
国家防衛は、現実的には、地域が限定された制海権と制空権に依存している。
極東アジアは、アメリカ軍と中国軍、韓国軍と台湾軍、自衛隊とロシア軍の軍事バランスの上に立っていて、日本がアメリカを日本列島から追いだせば、前回、のべたように、南シナ海が中国の要塞と化したフィリピンの失敗の二の舞になる。
森田氏や西部氏、そして、わたしたち保守主義者も、これまで、国家と国民の二元論を問題にしてきた。
森田氏の平和主義は、国民に重きをおいて、国家が希薄だった。
西部氏の保守主義は、大衆蔑視で、国体や国家が見えなかった。
国体は、歴史や文化、権威の体系で、大元に天皇がいる。
政体は、国益や軍備、権力の体系で、国家の根本である。
近代の国家主権は、民の代表たる天皇を中心とした日本伝統の国家観だったのである。
森田氏や西部氏と十分に天皇論を語ることがなかったことがいまも心残りなのである。
2023年02月06日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和5
●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
日米地位協定とNATO地位協定(ドイツ、イタリア、イギリス、ベルギー)を比べて、日米間の協定が不平等だと煽る記事や書籍が出回っている。
裁判権にかんする規定では、日米地位協定もNATO地位協定も、ともに対米不平等をしいられている。米軍が「加害者は公務中だった」と主張すれば承諾せざるをえず、一次裁判権もアメリカがもっている。
それではなぜ、NATO地位協定にくらべて、日米地位協定が不平等といわれるのか。
NATO地位協定は、平時法で、国内法が優先される。
一方、日米地協定は、戦時法で、しばしば、米軍優先の戦時体制がとられるからである。
有事の際、日本もNATOも米軍に国内法を適用することはできない。
とりわけ、日本では、一般協定ではなく、非常事態や緊急事態のための戦時法(「合意議事録」)法が適用される。
国会で審議されなかったこの「日米地位協定合意議事録」は一般条文よりも重要である。
なぜなら、日米地位協定は、この合意議事録にしたがって運用されているからである。
●治外法権≠認めあっている地位協定
条文に「基地外の事件や事故の刑事裁判権は日本がもつ」とあって、戦時中となれば、一般条文は無視される。
「日米地位協定は不平等条約だ」と主張するひとが条約を読んでいないのは明らかである。
般条文には、具体的なことは、なに一つ記載されていないからである。
NATOの地位協定が、これまで、問題化しなかったのは、ウクライナ戦争を除いて、ヨーロッパは、戦時中ではなかったからである。
ところが、日米地位協定は、現在休戦中の朝鮮戦争をうけたものなので、戦時法の扱いになる。
合意議事録は、国会の審議を経ていない戦時法なので、日米両国の合意があれば廃止できる。
その場合、日本も、大使館や外交使節、元首や駐留軍人らの治外法権の放棄しなければならない。そのデメリットを負ってまで、在日米兵の犯罪人を、アメリカの国法で裁くのを拒む理由はない。したがって、左翼が騒ぐまで、だれも、日米地位協定を不平等条約と思っていなかったのである。
●日米安保、地位協定の背後にある朝鮮危機
日米地位協定や安保条約について語るには、それ以前のアヘン戦争から黒船来訪、日清・日露戦争、中国革命、朝鮮動乱、朝鮮戦争休戦へといたる歴史的文脈、地政学的背景を見なければならない。
とりわけ大きな意味をもつのは、朝鮮民主主義人民共和国(1948年)と中華人民共和国(1949年)の建国である。
第二次大戦後、日本とアメリカは、極東に、ソ連のほか中国と北朝鮮という軍事大国と対峙しなければならなくなった。
それが朝鮮動乱(戦争)だった。1950年6月25日、金日成の北朝鮮軍が38度線をこえて韓国に侵攻してきた。安保理決議(ソ連欠席)の下、トルーマンは、日本駐留の米軍に出動を命じた。ソウル陥落の寸前、マッカーサーは、北朝鮮軍の背後を突いて仁川上陸作戦を決行した。そして、ソウルを奪回したばかりか、勢いをえて38度線を反攻、平壌を陥落させた。
その形勢が逆転したのは、鴨緑江をこえて中国軍が参戦してきたからだった。北朝鮮軍・中国軍は、平壌を放棄したアメリカ軍を追ってソウルを制圧した。米軍は反撃してソウルを奪還した。だが、このとき、米軍は、ベトナム戦争の被害に肉薄する4万人近い戦死者をだしている。マッカーサーは、中国本土への空襲と原爆の投下を主張した。だが、トルーマンは拒否した。それどころか、マッカーサー司令官を解任、2年以上におよぶ休戦交渉に入るのである。
●横田基地にある10か国の朝鮮国連軍後方司令部
1953年、クラーク国連軍総司令官と北朝鮮の金日成、中国人民軍司令の彭徳懐のあいだで休戦協定が調印された。この休戦協定の署名に韓国はくわわっていない。国連軍の指揮下にあったからだが、それが日本の基地問題に大きな影響をあたえている。
現在、座間と横田、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイト・ビーチ地区の8か所に国連軍司令部後方基地がおかれている。横田基地の朝鮮国連軍後方司令部を構成しているのは、アメリカをはじめイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコの10か国で、それぞれ、駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として、在日大使館に常駐している。
日本は1954年に「国連軍地位協定」をむすんでいる。したがって、事実上、国連軍に一部あるいは同盟国となる。対岸の火事どころか、日本は、現在休戦中の朝鮮戦争の当事国だったのである。
●日本を革命の危機からまもった警察予備隊
革命的な状況は、中国大陸や朝鮮半島だけではなかった。日本は、ロシアと中国、北朝鮮らの外圧に圧迫されるほか、国内では、朝日や毎日、中日・東京などの左翼大新聞の攻勢にさらされていた。
しかも、公職追放令後、官公庁や朝鮮総連などの団体、教育機関やマスコミが左翼の牙城となって、大労組(総評など)は、ゼネストや暴力革命を煽っていた。
コミンテルン(ソ連)の日本支部だった日本共産党や親中・親ソ派でかためられた旧社会党が跋扈するなかで、デモ隊と警察予備隊(1950年創設)が衝突する「血のメーデー事件」がおき、千人近い重軽傷者(死者一名)をだす大騒乱がおきた。
事件は、GHQの占領が解除された3日後の1952年5月1日(第23回メーデー)におきた。重傷者の大半が警察予備隊員だったのは「再軍備反対」を叫ぶデモ隊の標的になったからである。事件は、左翼団体が暴力革命≠フ準備としておこなったもので、警察予備隊ができていなかったら8000人にふくらんだ暴徒は、皇居に侵入して「人民広場(皇居前広場)開放」の決議を実力行使していた可能性もあった。
ちなみに、急きょ、警察予備隊が創設されたのは、在日米軍が朝鮮戦争にかりだされて、日本の防衛や治安維持ができなくなったからだった。
●反日思想と革命を煽るプロパガンダとテロリズム
直接関係がないように思えるが、地位協定と治安維持は、国家主権でむすばれている。国家主権は、他国にまで及ぶ(「属人主義」)が、国家防衛の意思は、法をこえて、国民や民族性にまでおよぶのである。
過激な反(憎)日・反米で著名な宮台真司(東京都立大学教授)がテロリストに襲われて重傷を負った。警察は動機を不明とするが、大嘘である。宮台は安倍元首相銃撃事件の犯人をスター扱いした映画を称えて、監督(足立正生/元日本赤軍幹部)とともに上映イベントの舞台(国葬前日)に上って、こんなセリフを吐いている。
「国辱の恥さらしになっていることがうれしい。まさに落日、しょぼい日本が話題になっている。G7からだれ一人(国葬に)来ませんしね」
事件がテロだったことを警察が伏せているのは、若者やマスコミらに絶大な人気を誇る宮台をおもんばかったからではない。事件が思想的テロだったことふせておきたいからで、警察は、犯人(倉光実)が自殺した理由をひきこもりだったなどと説明する一方、マスコミはいっさい口をつぐんでいる。
事件の二週間後、倉光は、身辺整理をすませて自殺している。テロリズムにおける日本的な美意識で、逃げようとも生き永らえようともしなかったのである。
●国際地位協定と国家反逆罪に通底する国家主権
安保法制をなしとげた安倍元首相の殺害を賛美する映画をつくって、安倍元首相の国葬黙祷を妨害するため、数千人が、カネやタイコを打ち鳴らしてデモ行進する日本人のあさましいすがたをみて、倉光が、扇動者に殺意を抱いたところで、日本人として理解できない感情ではない。
平和ボケの日本で、なにをやっても、なにをいっても罪にならないと思っているひとたちがいる。
おおまちがいで、日本には、外国軍の侵略を誘った場合、有罪になれば死刑(それ以外の罰則がない)となる「外患誘致罪(刑法第81条)」がある。
日本人であるかぎり、外患誘致罪を免れないのは「属人主義」をとっているからである。そうでなければ、国家反逆者が敵国で英雄にまつりあげられるという皮肉な事態が生じる。南京大虐殺や従軍慰安婦で、反日デマを垂れ流した朝日新聞の本多勝一や植村隆らが中国や韓国で良心的日本人≠ニ称えられているのがその好例である。
地位協定も国家反逆罪も、国権は、国境をこえて延長されるとする思想からでてきたものである。
外国兵の個人的犯罪と、国家防衛や国家の主権を引きかえにする左翼の論理に乗るわけにはいかないのである。
日米地位協定とNATO地位協定(ドイツ、イタリア、イギリス、ベルギー)を比べて、日米間の協定が不平等だと煽る記事や書籍が出回っている。
裁判権にかんする規定では、日米地位協定もNATO地位協定も、ともに対米不平等をしいられている。米軍が「加害者は公務中だった」と主張すれば承諾せざるをえず、一次裁判権もアメリカがもっている。
それではなぜ、NATO地位協定にくらべて、日米地位協定が不平等といわれるのか。
NATO地位協定は、平時法で、国内法が優先される。
一方、日米地協定は、戦時法で、しばしば、米軍優先の戦時体制がとられるからである。
有事の際、日本もNATOも米軍に国内法を適用することはできない。
とりわけ、日本では、一般協定ではなく、非常事態や緊急事態のための戦時法(「合意議事録」)法が適用される。
国会で審議されなかったこの「日米地位協定合意議事録」は一般条文よりも重要である。
なぜなら、日米地位協定は、この合意議事録にしたがって運用されているからである。
●治外法権≠認めあっている地位協定
条文に「基地外の事件や事故の刑事裁判権は日本がもつ」とあって、戦時中となれば、一般条文は無視される。
「日米地位協定は不平等条約だ」と主張するひとが条約を読んでいないのは明らかである。
般条文には、具体的なことは、なに一つ記載されていないからである。
NATOの地位協定が、これまで、問題化しなかったのは、ウクライナ戦争を除いて、ヨーロッパは、戦時中ではなかったからである。
ところが、日米地位協定は、現在休戦中の朝鮮戦争をうけたものなので、戦時法の扱いになる。
合意議事録は、国会の審議を経ていない戦時法なので、日米両国の合意があれば廃止できる。
その場合、日本も、大使館や外交使節、元首や駐留軍人らの治外法権の放棄しなければならない。そのデメリットを負ってまで、在日米兵の犯罪人を、アメリカの国法で裁くのを拒む理由はない。したがって、左翼が騒ぐまで、だれも、日米地位協定を不平等条約と思っていなかったのである。
●日米安保、地位協定の背後にある朝鮮危機
日米地位協定や安保条約について語るには、それ以前のアヘン戦争から黒船来訪、日清・日露戦争、中国革命、朝鮮動乱、朝鮮戦争休戦へといたる歴史的文脈、地政学的背景を見なければならない。
とりわけ大きな意味をもつのは、朝鮮民主主義人民共和国(1948年)と中華人民共和国(1949年)の建国である。
第二次大戦後、日本とアメリカは、極東に、ソ連のほか中国と北朝鮮という軍事大国と対峙しなければならなくなった。
それが朝鮮動乱(戦争)だった。1950年6月25日、金日成の北朝鮮軍が38度線をこえて韓国に侵攻してきた。安保理決議(ソ連欠席)の下、トルーマンは、日本駐留の米軍に出動を命じた。ソウル陥落の寸前、マッカーサーは、北朝鮮軍の背後を突いて仁川上陸作戦を決行した。そして、ソウルを奪回したばかりか、勢いをえて38度線を反攻、平壌を陥落させた。
その形勢が逆転したのは、鴨緑江をこえて中国軍が参戦してきたからだった。北朝鮮軍・中国軍は、平壌を放棄したアメリカ軍を追ってソウルを制圧した。米軍は反撃してソウルを奪還した。だが、このとき、米軍は、ベトナム戦争の被害に肉薄する4万人近い戦死者をだしている。マッカーサーは、中国本土への空襲と原爆の投下を主張した。だが、トルーマンは拒否した。それどころか、マッカーサー司令官を解任、2年以上におよぶ休戦交渉に入るのである。
●横田基地にある10か国の朝鮮国連軍後方司令部
1953年、クラーク国連軍総司令官と北朝鮮の金日成、中国人民軍司令の彭徳懐のあいだで休戦協定が調印された。この休戦協定の署名に韓国はくわわっていない。国連軍の指揮下にあったからだが、それが日本の基地問題に大きな影響をあたえている。
現在、座間と横田、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイト・ビーチ地区の8か所に国連軍司令部後方基地がおかれている。横田基地の朝鮮国連軍後方司令部を構成しているのは、アメリカをはじめイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコの10か国で、それぞれ、駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として、在日大使館に常駐している。
日本は1954年に「国連軍地位協定」をむすんでいる。したがって、事実上、国連軍に一部あるいは同盟国となる。対岸の火事どころか、日本は、現在休戦中の朝鮮戦争の当事国だったのである。
●日本を革命の危機からまもった警察予備隊
革命的な状況は、中国大陸や朝鮮半島だけではなかった。日本は、ロシアと中国、北朝鮮らの外圧に圧迫されるほか、国内では、朝日や毎日、中日・東京などの左翼大新聞の攻勢にさらされていた。
しかも、公職追放令後、官公庁や朝鮮総連などの団体、教育機関やマスコミが左翼の牙城となって、大労組(総評など)は、ゼネストや暴力革命を煽っていた。
コミンテルン(ソ連)の日本支部だった日本共産党や親中・親ソ派でかためられた旧社会党が跋扈するなかで、デモ隊と警察予備隊(1950年創設)が衝突する「血のメーデー事件」がおき、千人近い重軽傷者(死者一名)をだす大騒乱がおきた。
事件は、GHQの占領が解除された3日後の1952年5月1日(第23回メーデー)におきた。重傷者の大半が警察予備隊員だったのは「再軍備反対」を叫ぶデモ隊の標的になったからである。事件は、左翼団体が暴力革命≠フ準備としておこなったもので、警察予備隊ができていなかったら8000人にふくらんだ暴徒は、皇居に侵入して「人民広場(皇居前広場)開放」の決議を実力行使していた可能性もあった。
ちなみに、急きょ、警察予備隊が創設されたのは、在日米軍が朝鮮戦争にかりだされて、日本の防衛や治安維持ができなくなったからだった。
●反日思想と革命を煽るプロパガンダとテロリズム
直接関係がないように思えるが、地位協定と治安維持は、国家主権でむすばれている。国家主権は、他国にまで及ぶ(「属人主義」)が、国家防衛の意思は、法をこえて、国民や民族性にまでおよぶのである。
過激な反(憎)日・反米で著名な宮台真司(東京都立大学教授)がテロリストに襲われて重傷を負った。警察は動機を不明とするが、大嘘である。宮台は安倍元首相銃撃事件の犯人をスター扱いした映画を称えて、監督(足立正生/元日本赤軍幹部)とともに上映イベントの舞台(国葬前日)に上って、こんなセリフを吐いている。
「国辱の恥さらしになっていることがうれしい。まさに落日、しょぼい日本が話題になっている。G7からだれ一人(国葬に)来ませんしね」
事件がテロだったことを警察が伏せているのは、若者やマスコミらに絶大な人気を誇る宮台をおもんばかったからではない。事件が思想的テロだったことふせておきたいからで、警察は、犯人(倉光実)が自殺した理由をひきこもりだったなどと説明する一方、マスコミはいっさい口をつぐんでいる。
事件の二週間後、倉光は、身辺整理をすませて自殺している。テロリズムにおける日本的な美意識で、逃げようとも生き永らえようともしなかったのである。
●国際地位協定と国家反逆罪に通底する国家主権
安保法制をなしとげた安倍元首相の殺害を賛美する映画をつくって、安倍元首相の国葬黙祷を妨害するため、数千人が、カネやタイコを打ち鳴らしてデモ行進する日本人のあさましいすがたをみて、倉光が、扇動者に殺意を抱いたところで、日本人として理解できない感情ではない。
平和ボケの日本で、なにをやっても、なにをいっても罪にならないと思っているひとたちがいる。
おおまちがいで、日本には、外国軍の侵略を誘った場合、有罪になれば死刑(それ以外の罰則がない)となる「外患誘致罪(刑法第81条)」がある。
日本人であるかぎり、外患誘致罪を免れないのは「属人主義」をとっているからである。そうでなければ、国家反逆者が敵国で英雄にまつりあげられるという皮肉な事態が生じる。南京大虐殺や従軍慰安婦で、反日デマを垂れ流した朝日新聞の本多勝一や植村隆らが中国や韓国で良心的日本人≠ニ称えられているのがその好例である。
地位協定も国家反逆罪も、国権は、国境をこえて延長されるとする思想からでてきたものである。
外国兵の個人的犯罪と、国家防衛や国家の主権を引きかえにする左翼の論理に乗るわけにはいかないのである。