●NATO地位協定は平時法、日米地位協定は戦時法
日米地位協定とNATO地位協定(ドイツ、イタリア、イギリス、ベルギー)を比べて、日米間の協定が不平等だと煽る記事や書籍が出回っている。
裁判権にかんする規定では、日米地位協定もNATO地位協定も、ともに対米不平等をしいられている。米軍が「加害者は公務中だった」と主張すれば承諾せざるをえず、一次裁判権もアメリカがもっている。
それではなぜ、NATO地位協定にくらべて、日米地位協定が不平等といわれるのか。
NATO地位協定は、平時法で、国内法が優先される。
一方、日米地協定は、戦時法で、しばしば、米軍優先の戦時体制がとられるからである。
有事の際、日本もNATOも米軍に国内法を適用することはできない。
とりわけ、日本では、一般協定ではなく、非常事態や緊急事態のための戦時法(「合意議事録」)法が適用される。
国会で審議されなかったこの「日米地位協定合意議事録」は一般条文よりも重要である。
なぜなら、日米地位協定は、この合意議事録にしたがって運用されているからである。
●治外法権≠認めあっている地位協定
条文に「基地外の事件や事故の刑事裁判権は日本がもつ」とあって、戦時中となれば、一般条文は無視される。
「日米地位協定は不平等条約だ」と主張するひとが条約を読んでいないのは明らかである。
般条文には、具体的なことは、なに一つ記載されていないからである。
NATOの地位協定が、これまで、問題化しなかったのは、ウクライナ戦争を除いて、ヨーロッパは、戦時中ではなかったからである。
ところが、日米地位協定は、現在休戦中の朝鮮戦争をうけたものなので、戦時法の扱いになる。
合意議事録は、国会の審議を経ていない戦時法なので、日米両国の合意があれば廃止できる。
その場合、日本も、大使館や外交使節、元首や駐留軍人らの治外法権の放棄しなければならない。そのデメリットを負ってまで、在日米兵の犯罪人を、アメリカの国法で裁くのを拒む理由はない。したがって、左翼が騒ぐまで、だれも、日米地位協定を不平等条約と思っていなかったのである。
●日米安保、地位協定の背後にある朝鮮危機
日米地位協定や安保条約について語るには、それ以前のアヘン戦争から黒船来訪、日清・日露戦争、中国革命、朝鮮動乱、朝鮮戦争休戦へといたる歴史的文脈、地政学的背景を見なければならない。
とりわけ大きな意味をもつのは、朝鮮民主主義人民共和国(1948年)と中華人民共和国(1949年)の建国である。
第二次大戦後、日本とアメリカは、極東に、ソ連のほか中国と北朝鮮という軍事大国と対峙しなければならなくなった。
それが朝鮮動乱(戦争)だった。1950年6月25日、金日成の北朝鮮軍が38度線をこえて韓国に侵攻してきた。安保理決議(ソ連欠席)の下、トルーマンは、日本駐留の米軍に出動を命じた。ソウル陥落の寸前、マッカーサーは、北朝鮮軍の背後を突いて仁川上陸作戦を決行した。そして、ソウルを奪回したばかりか、勢いをえて38度線を反攻、平壌を陥落させた。
その形勢が逆転したのは、鴨緑江をこえて中国軍が参戦してきたからだった。北朝鮮軍・中国軍は、平壌を放棄したアメリカ軍を追ってソウルを制圧した。米軍は反撃してソウルを奪還した。だが、このとき、米軍は、ベトナム戦争の被害に肉薄する4万人近い戦死者をだしている。マッカーサーは、中国本土への空襲と原爆の投下を主張した。だが、トルーマンは拒否した。それどころか、マッカーサー司令官を解任、2年以上におよぶ休戦交渉に入るのである。
●横田基地にある10か国の朝鮮国連軍後方司令部
1953年、クラーク国連軍総司令官と北朝鮮の金日成、中国人民軍司令の彭徳懐のあいだで休戦協定が調印された。この休戦協定の署名に韓国はくわわっていない。国連軍の指揮下にあったからだが、それが日本の基地問題に大きな影響をあたえている。
現在、座間と横田、横須賀、佐世保、嘉手納、普天間、ホワイト・ビーチ地区の8か所に国連軍司令部後方基地がおかれている。横田基地の朝鮮国連軍後方司令部を構成しているのは、アメリカをはじめイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイ、イタリア、カナダ、トルコの10か国で、それぞれ、駐在武官が朝鮮国連軍連絡将校として、在日大使館に常駐している。
日本は1954年に「国連軍地位協定」をむすんでいる。したがって、事実上、国連軍に一部あるいは同盟国となる。対岸の火事どころか、日本は、現在休戦中の朝鮮戦争の当事国だったのである。
●日本を革命の危機からまもった警察予備隊
革命的な状況は、中国大陸や朝鮮半島だけではなかった。日本は、ロシアと中国、北朝鮮らの外圧に圧迫されるほか、国内では、朝日や毎日、中日・東京などの左翼大新聞の攻勢にさらされていた。
しかも、公職追放令後、官公庁や朝鮮総連などの団体、教育機関やマスコミが左翼の牙城となって、大労組(総評など)は、ゼネストや暴力革命を煽っていた。
コミンテルン(ソ連)の日本支部だった日本共産党や親中・親ソ派でかためられた旧社会党が跋扈するなかで、デモ隊と警察予備隊(1950年創設)が衝突する「血のメーデー事件」がおき、千人近い重軽傷者(死者一名)をだす大騒乱がおきた。
事件は、GHQの占領が解除された3日後の1952年5月1日(第23回メーデー)におきた。重傷者の大半が警察予備隊員だったのは「再軍備反対」を叫ぶデモ隊の標的になったからである。事件は、左翼団体が暴力革命≠フ準備としておこなったもので、警察予備隊ができていなかったら8000人にふくらんだ暴徒は、皇居に侵入して「人民広場(皇居前広場)開放」の決議を実力行使していた可能性もあった。
ちなみに、急きょ、警察予備隊が創設されたのは、在日米軍が朝鮮戦争にかりだされて、日本の防衛や治安維持ができなくなったからだった。
●反日思想と革命を煽るプロパガンダとテロリズム
直接関係がないように思えるが、地位協定と治安維持は、国家主権でむすばれている。国家主権は、他国にまで及ぶ(「属人主義」)が、国家防衛の意思は、法をこえて、国民や民族性にまでおよぶのである。
過激な反(憎)日・反米で著名な宮台真司(東京都立大学教授)がテロリストに襲われて重傷を負った。警察は動機を不明とするが、大嘘である。宮台は安倍元首相銃撃事件の犯人をスター扱いした映画を称えて、監督(足立正生/元日本赤軍幹部)とともに上映イベントの舞台(国葬前日)に上って、こんなセリフを吐いている。
「国辱の恥さらしになっていることがうれしい。まさに落日、しょぼい日本が話題になっている。G7からだれ一人(国葬に)来ませんしね」
事件がテロだったことを警察が伏せているのは、若者やマスコミらに絶大な人気を誇る宮台をおもんばかったからではない。事件が思想的テロだったことふせておきたいからで、警察は、犯人(倉光実)が自殺した理由をひきこもりだったなどと説明する一方、マスコミはいっさい口をつぐんでいる。
事件の二週間後、倉光は、身辺整理をすませて自殺している。テロリズムにおける日本的な美意識で、逃げようとも生き永らえようともしなかったのである。
●国際地位協定と国家反逆罪に通底する国家主権
安保法制をなしとげた安倍元首相の殺害を賛美する映画をつくって、安倍元首相の国葬黙祷を妨害するため、数千人が、カネやタイコを打ち鳴らしてデモ行進する日本人のあさましいすがたをみて、倉光が、扇動者に殺意を抱いたところで、日本人として理解できない感情ではない。
平和ボケの日本で、なにをやっても、なにをいっても罪にならないと思っているひとたちがいる。
おおまちがいで、日本には、外国軍の侵略を誘った場合、有罪になれば死刑(それ以外の罰則がない)となる「外患誘致罪(刑法第81条)」がある。
日本人であるかぎり、外患誘致罪を免れないのは「属人主義」をとっているからである。そうでなければ、国家反逆者が敵国で英雄にまつりあげられるという皮肉な事態が生じる。南京大虐殺や従軍慰安婦で、反日デマを垂れ流した朝日新聞の本多勝一や植村隆らが中国や韓国で良心的日本人≠ニ称えられているのがその好例である。
地位協定も国家反逆罪も、国権は、国境をこえて延長されるとする思想からでてきたものである。
外国兵の個人的犯罪と、国家防衛や国家の主権を引きかえにする左翼の論理に乗るわけにはいかないのである。