●国家なくして国民がありうるか
過日、馬毛島問題(米軍機の訓練移転と自衛隊基地整備)の取材に来られた朝日新聞のF記者が「国家主義」ということばをもちいたので、多少、違和感をおぼえた。
10年ほど前、わたしは、馬毛島へ基地整備をすすめる政府・防衛省側と土地所有者の接触に多少かかわりをもったことがあった。
F記者の目的は、その取材だったのだが、馬毛島の整備に積極的な姿勢が国家主義、その文脈で、反対運動をくりひろげる一部住民の姿勢が国民主義的というニュアンスであった。
そうなら、あまりに戯画的な図式で、短絡的にすぎる。
戦後、日本は「天皇主権と国民主権」「国家主義と国民主義」「民主主義と自由主義」「個人主義と全体主義」「平等主義と封建主義」などの二項対立を一元論的、対立的にとらえてきた。
左翼は、戦前の日本は、天皇主権で、天皇制ファシズムの時代だったという。
当時の日本は、軍国主義で、軍部が天皇を利用したのは事実である。
しかし、天皇が主権を行使したことも、帝国憲法に天皇独裁を謳った文言もなく、政体は、立憲君主制であった。
日本の軍国主義は、天皇の権威を政治利用した軍部独裁であった。
その巧妙な仕組みは、学問的にも研究の余地が十分にあるように思える。
だが、日本の学者は、天皇主権としかいわない。そして、戦後、国民主権になって、日本はよい国になったとくり返すだけだった。
国民主権の国民も、個人をさすのか日本人全体なのかについても、口を濁してはっきりいったことがない。
●戦後日本は、民主主義とマルクス主義の混血児
国民主権も、コケおどしの論理で、東大を中心とする日本の学者は、日本共産党綱領(ドグマ)にそって、イデオロギーの宣伝をやってきただけだった。
その代表が憲法学の最高権威、東大の宮澤俊義で、宮沢の「八月革命説」によって、戦後、日本も革命国家の仲間入りをはたしたとした。
戦後日本の学界は、マルクス学者一色で、大内兵衛や向坂逸郎、羽仁五郎、都留重人、鶴見俊輔、丸山真男らが席巻して、竹山道雄や田中美知太郎、猪木正道、福田恆存、会田雄次ら日本主義者の影は薄かった。
朝日や毎日、岩波ら新聞・出版ジャーナリズムや大学、教育界、日教組らがマルクス主義なので、日本主義=保守主義の思想が大衆へなかなか届かないのである。
戦後日本を席巻したのはマルクス主義だけではなかった。
アメリカ民主主義というマルクス主義の兄弟分のような思想がアメリカから入ってきて、日本の思想界は、マルクス主義とアメリカ民主主義に分断されてしまうのである。
マルクス主義は、革命を実現させた独裁者が国民主権をあずかる一党独裁である。
そして、アメリカ民主主義は、民主選挙で選出された大統領が多数派国民の支持の下で強権を行使する多数派独裁である。
第二次大戦で、日本は、民主主義にアメリカとマルクス主義の旧ソ連の両国とたたかった。旧ソ連もアメリカも、伝統国家日本が敵とする革命国家だったからだった。
そして、終戦後、敗戦国の日本へ、戦勝国の米・ソのイデオロギーが怒濤のように流れこんできた。
その結晶が日本国憲法である。起草にあたったGHQ民政局のホイットニー局長以下25人は、ニューディーラと呼ばれる共産主義のシンパだったからである。
●一元論の「革命国家」と二元論の「伝統国家」
マルクス主義もアメリカ民主主義も、根本にあるのはルソー主義である。
ルソー主義の中心概念は、国家主権の国家を国民へとスゲかえた国民主権で、ルソーの造語である。
アメリカの民主主義も旧ソ連のマルクス主義も、一元論である。一つの価値しかみとめないのが一元論で、アメリカは民主主義を、旧ソ連は人民(一党)独裁以外の政体をみとめない。
戦後、日本では、天皇主権や国家主義、全体主義や封建主義などが徹底的に批判される一方で、国民主権や国民主義、民主主義や個人主義、自由や平等が絶対善としてもちあげられた。
それも一元論で、宮沢の「八月革命説」によると、敗戦革命がおきて、日本の二元論や多元論が、西洋の一元論へ転換された。
国民主権や民主主義、個人主義や人権思想、自由や平等からはずれた保守的な言動がマスコミ世論から袋叩きにされるのは、日本は、西洋的な一元論の国になったからだったのである。
日本の伝統的な価値観や日本主義、およびイギリスの保守主義は、二元論である。
事物を成り立たせているのは、唯一の真実ではなく、表と裏、陰と陽、受動と能動などの二元性であって、異質な二者が組み合わさって、二者を足したもの以上のものができあがる。
「君民共治」や「君臣一体」は、天皇という権威、幕府という権力、民という実体の三位一体のことで、それが国体、伝統国家日本の背骨である。
チャーチルが「民主主義は独裁よりマシなだけ」といったのも、保守主義の父といわれるバークが「制限のない自由は最悪」といったのも、王政復古したイギリスが、王権と議会の二元論へ立ち返ったからで、国王が議会へ出席する際、議会の重鎮を人質にさしだす習慣はいまも残っている。
●ルソーの狂気をいまにひきずる日本の左翼
日本人が西洋から輸入した崇高で有り難い思想と思いこんでいる民主主義や個人主義、自由主義は、世界のどこにもない珍奇な思想で、戦後、左翼がつくりだしたものである。
国民主権は、国家主権からのパクリだった。ルソーの民主主義は、その国民主権のことで、紀元前に捨てられた民主主義が18世紀になってよみがえったのは、主権を国家から国民≠ノスゲかえたルソーの悪知恵にあった。
自由主義は、バークがいったように、自由にたいする制限のことにほかならないが、ルソーは、人間はうまれながらにして自由で平等だと叫んだ。
ルソーは個人もみとめなかった。人間は、すべて一般化された抽象的な存在というのだが、だからこそ、国民は、国家と対等にわたりあえたともいえるだろう。
放浪と放蕩、虚言と裏切りのルソーの人生の末路は哀れなもので、精神異常と被害妄想の狂気の果て、他人の援助でほそぼそと余命をたもったが、尿毒症で死去する。スランス革命後、栄誉の殿堂パンテオンに合祀されたのがせめてもの救いだった。
フランス革命の「人権宣言(自由・平等・博愛)」の原形はルソーの「人間は生まれながらにして自由かつ平等である」だが、この人間は、むろん、個人ではなく、人間一般である。
ところが日本の左翼は、これを個人だとする。
わたし個人が国家権力にひとしい主権をもち、なにするのも勝手な万能的な自由権をもち、神的なパワーによって、基本的人権がまもられていると考えるのである。
クレージーというほかないが、左翼は本気で、日本人は、主権を行使せよと主張する。
次回以降も、日本人を愚かにしてきた左翼の罪を暴いていこう。