2023年07月30日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和14

 ●左翼とマスコミ、法曹界はLGBTの大応援団
 ロシアで「性別変更」を禁止する法案が成立して、今後、性別を変えた人の婚姻が禁止される。主に性別適合手術を受けた人や性別変更の医薬品を使っている人が対象だが、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)らの婚姻申請もはねつけられる。
 ロシアメディアによると、アメリカで性別適合手術が10年間で50倍にもふえていることにたいして同法案を提出した下院議会のボロジン議長は「同性結婚が国家の退化とモラルの崩壊を招く」ときびしい警告を発している。
 同法律によると、今後、ロシアでは、パスポートの性別欄の変更が不可能になるほか、性別を変えた場合、婚姻が取り消されて、養親、後見人、親権者になることもできなくなる。
 一方、日本のマスコミは、同性愛者の告白を「勇気ある発言」とほめちぎる一方、日本は、同性結婚の法制化に消極的とけなしまくる。
 そんな日本のマスコミ論調に慣れてしまうと、ロシアの法律が世界の趨勢に逆行しているように思えるが、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の世界において、同性愛はタブーで、アフリカでは、最悪の場合、死刑になる。
 世界がLGBTに寛容で、理解があるように思えるのは、個人の性の問題は一般論で処理できないからで、性癖には、LGBTの他に、マゾヒズムやサディズムなどの刑事罰に抵触しかねないものまである。
 個人の性癖にはつきあっておられないというのが先進国の態度だが、例外がアメリカである。伝統という文化のないアメリカには、うまれついた性までをじぶんできめられるという人工国家の特有の特殊なメンタリティをもっている。
 終戦後、日本を占領したGHQが、日本人がダーウインの進化論を知らないのは、文盲だからと思いこんだようなもので、危ういところで、日本は、漢字廃止とローマ字導入というとんでもない国語変更をさせられるところだった。
 当時、日本には、GHQの追従者が多く、国語変更に賛成した学者や識者がすくなくなかったからである。
 国語変更が中止になったのは、アメリカの学者が日本人の識字率が世界一であることをつたえて、GHQの過ちを正したからだった。

 ●日本文化を知らないエマニュエル大使の妄想
 アメリカのエマニュエル駐日大使が、日本は、先進7か国で唯一、LGBT差別禁止を定めた法律がなく、同性婚をみとめていないことに注文をつけたのは内政干渉だが、それ以前に、この男の日本文化にたいする無知さかげんにはあきれるほかない。
 日本は、伝統芸能の歌舞伎の女形や男衆をあげるまでもなく、LGBT大国で、これがこれまでなんら問題にならなかったのは、陰陽における陰の文化として、まもられてきたからである。
 レズビアンやゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなどの少数派が日本で差別されることはなかったのは、性の問題には立ち入らないのが日本流だからである。
 織田信長の愛人、森蘭丸は、本能寺の変で、信長をまもろうとして槍を握ったまま討たれたが、その凛々しい美少年のすがたは、戦前、小学校の教科書にまでのった。
 エマニュエルは、森蘭丸の変態者としての人権をまもれと言っているようなものだが、これこそ、アメリカ人の無知のきわみで、エマニュエルは「政界のランボー」の異名をもつ無教養な人物である。
 ところが、現在、日本の文化人や左翼、マスコミは、一斉にエマニュエルの尻にくっついて、日本がLGBT後進国で、世界に恥ずべき国家であることをふれまわっている。
「LGBT理解増進法」は、超党派議連が提案した内容に、自民党内の保守派や日本維新の会、国民民主党との修正協議を経て、成立したが、この折、超党派議連でおこなわれた自民党・岩屋毅会長のスピーチはまったく意味不明だった。
「大事なことは、この多様性を包摂しうるダイバーシファイドされた、インクルーシブな、そういう社会を日本につくっていくということです」
「LGBT理解増進法」の正式な法律名が「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(令和5年法律第68号)とあるが、日本の法律に横文字をつかうべきではない。
 ジェンダーアイデンティティには、性自認や性差自覚という日本語がある。
 超党派議連には、自民・公明・日本維新の会・国民民主の議員がつめていたはずだが、ダイバーシファイド(多様化)やインクルーシブ(包摂的)などという英語が理解できた政治家が何人いたろう。
 エマニュエルに煽られて、日本がLGBTの人々を虐待しているかのような錯覚に陥っているので、ダイバーシファイド、インクルーシブなどという英語を使えば、世界からみとめられるだろうという愚かな鹿鳴館的な錯覚に陥ってしまったのであろう。

 ●LGBTを好機到来と狂喜する法曹界
 LGBT問題は、元首相秘書官の荒井勝喜が、同性愛者を「見るのもイヤ」と発言して、これをマスコミが猛批判して、議論が社会的にひろがった。
 そして、一般人と同じように税金を払って社会生活を営んでいる同性カップルが、犯罪者でもないのに結婚という法的保護を得られない現状は、法の下の平等に反し、個人の尊厳を毀損しているという議論になって、5地裁の判決においてこれがすべて「違憲」「違憲状態」となった。
 日本弁護士連合会にとって、LGBTは、離婚や浮気、相続問題に次ぐドル箱で、これほど稼ぎになるフィールドはない。
 日本弁護士連合会は、2019年7月18日「同性婚姻に関する意見書」を取りまとめて、内閣総理大臣や法務大臣らに提出している。
 同性婚をみとめないのは、婚姻の自由を侵害するもので、法の下の平等にも反するという理屈で、憲法13条(個人の尊重)と14条(法の前の平等)に照らして、国は、すみやかな同性婚の法制化をおこなうべきというのである。
 だが、憲法24条1項に「婚姻は両性の合意のみにもとづいて成立し夫婦が同等の権利を有する」とあるように、両性は男女(夫婦)であって、同性のペアではない。
 2項に家族とあるのは夫婦にさずかった子どものことで、同性婚に子どもはさずからない。
 日本弁護士連合会は、両性の合意とは、婚姻が当事者の自由かつ平等な意思決定に委ねられているという意味で、同性婚法制化を禁止するものではないと強弁するが、詭弁というよりウソである。
 婚姻は、子をさずかることが前提で、出生した子には新たな戸籍があたえられる。子ができる可能性がないのであれば、婚姻は成立せず、同棲というほかないものになる。
 外国では「シビルオニオン」や「ドメスティック・パートナー」、「PACS(連帯市民契約/フランス)」などの呼び名があるが、婚姻とはなく、同棲という意味である。
 弁護士連合会(小林元治会長)が、国にたいして強腰なのは、弁護士稼業にとって、LGBT差別撤廃と同性婚法制化が、離婚や相続、殺人や強盗、詐欺罪と同様、たいせつなメシのタネになるからである。
 次回は、なぜ、左翼がLGBTにとびついたかについてふれる。

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2023年07月18日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和13

 ●フランクフルト学派に汚染された戦後の思想
 フランクフルト学派は、個の欲望を最大限に拡大して、それがうけいれられない場合、社会がわるいからだとして、これを革命のエネルギーに転化させるマルクス主義の戦略的思考である。
 原点にあるのは自然に帰れ≠フルソーで、国家を必要悪とするホッブズにたいして、ルソーは、国家を悪とした。
 ルソーやマルクス、フランクフルト学派が個の利益のみを見て全体の利益を見ないのは、個の利益が社会にうけいれられない場合、暴力でその社会を変えてしまおうという立場に立つからで、全体の利益をみとめると、革命のエネルギーそのものがしぼんでしまう。
 左翼が個人の自由や権利、個人の民主主義ばかりをもとめ、全体的な秩序や多様性、差異などの文化に目をむけないのは、全体性の価値をみとめるところに革命のエネルギーはないからである。
 個の領域を狭めて、全体の利益を重んじるのが保守主義だが、左翼はこれに反対する。個の領域を拡大させて、不満をつのらせなければ、革命のエネルギーはわいてこないからである。
 そこで、大衆の不満をかきたてて、社会不安を煽るのが左翼の仕事になって、福島瑞穂や辻元清美、蓮舫らが、連日、保守党攻撃をして、マスコミがこれを追うというパターンが定着している。
 テレ朝・玉川徹が「羽鳥慎一モーニングショー」で「将来に希望がもたない絶望感がテロにむかうのは仕方がない」とテロを擁護すれば、高千穂大学教授の五野井郁夫も「テロは絶望の果ての犯行で、政治への怨嗟を放置しておけばテロがくり返される。テロをおこした責任は権力の側にある」といってテロリストの片をもった。
 これがマルクス・レーニン主義における「二段階革命(永続革命)」の要諦である。
 個(個人)をもちあげて、全体(体制)を否定したのち、個人を国民主権におきかえて、人民政府(一党独裁)をつくろうという理論である。
 ところが、その個人は、革命が成立すると、一顧だにされない。
 国民主権は、国民全体が一つの単位で、個人は、計算外だからである。
 革命をおこす前まで革命の道具だった個人の意志(特殊意志)も人民革命が成立した後では全体意志(一般意志)となって、個人は虫けら同然となる。
 価値があるのは全体だけで、共産主義は、個には目もくれないのである。

 ●GHQ民政局を仕切っていたフランクフルト学派
 マッカーシーの赤狩り≠ノよって、アメリカ政府の深くもぐりこんでいたフランクフルト学派の実態が暴かれた。
 それと同時にSS戦略情報局(CIA)の指令を受けていたGHQ民政局もフランクフルト学派に汚染されていたことが露見した。
 事実、GHQにもぐりこんだ隠れ共産主義者=ニューディーラーは、多くがフランクフルト学派の影響をうけたマルクス主義者だった。
 GHQ民政局がつくったのが日本国憲法で、権利という文字が条文に28回もでてくるが、義務は3つ(教育・勤労・納税)しかない。
 このことからも、GHQニューディーラーが、フランクフルト学派の影響をうけていたことは明らかで、OSS戦略情報局(CIA)でマルクーゼ、ホルクハイマー、E・フロムというフランクフルト学派が幅をきかせていた。
 元来、憲法は、習慣法で十分なのだが、それを契約法にして、国家と歴史を切断しようとしたのは、社会主義革命のための布石で、フランクフルト学派はやり方が周到なのである。
 フランクフルト学派が、戦後、日本中に蔓延したのは、日本の民主化をすすめたGHQ民政局がフランクフルト学派の巣窟だったOSSの支配下にあったからで、GHQ民政局の公職追放によって、日本の教育界や学会、マスコミ界は、そっくりマルキストにいれかわった。
 日本人的な教師12万人が教壇を追われて、それまで、刑務所いるか地下にもぐっていたマルキストが小中高の教師なって、大学や学会、マスコミもマルキスト一色となった。
 日本は、大戦で、すでに、230万人の甲種合格の日本人を失っている。
 そして、公職追放で20数万の要人が職場や地位を追われて、日本人の魂をもった教員約12万人が公立学校から追放された。
 戦後の教育界やマスコミはもはや日本ではなかったのである。
 戦後、日本の主人となったマルキストは旧体制の指導者にこう言い放った。
「革命がおきたらおまえらはみなギロチンだ」
 朝日新聞は、東条英機ら日本の戦争指導者7人に死刑が執行された日、紙面にこう書いてGHQをねぎらった。
「お役目ご苦労さまでした」
 共産主義者から教育関係、官僚や法曹、学術、マスコミは、すべてGHQに媚びて延命をはかった前歴があって、渡部昇一は、かれらを「敗戦利得者」と呼んだ。

 ●文化革命の紅衛兵≠ニなった日本のインテリ階級
 GHQ民政局次長ケーディスの右腕として活動、戦後、スパイ容疑をかけられて自殺したハーバート・ノーマンの周りには一ツ橋大学名誉教授だった都留重人ら日本人のマルキスト学者が群れていた。
 憲法の権威、東大法学部憲法学者の宮沢俊義もフランクフルト学派に一人で宮沢の「八月革命説」は、フランクフルト学派がいう「二段階革命説」の前期革命(ブルジョワ革命)にあたる。
 ちなみに後期革命は共産主義革命である。
 フランクフルト学派のハーバーマスのことばに「憲法愛国主義」がある。
「民主主義国家において、国民は、祖国愛や愛国心ではなく、憲法の規範価値のもとに統合されるべき」という考え方で、これが、日本弁護士連合会のスローガンになった。
 ドイツ統一の際、ドイツ民族が前面に出てきたが、これを完全否定したのが「憲法愛国主義」で、そのため、統一ドイツからドイツ色が一掃されることになった。
 改憲論議でも、自民一部や公明党は「日本人(民族)にふさわしい憲法」という観点を欠いた法治主義に陥っているが、聖徳太子の「十七条憲法」をみてわかるように、憲法は文化で、条約や法律、命令や処分は、ただの法文である。
 GHQのニューディーラーは、日本の国家体制を、西洋諸国が400年前に捨てた封建社会にあると思いこんでいた。
 フランクフルト学派からの入れ知恵で、GHQは、日本を、ブルジョワ社会にたっしていない中世的社会と認識していた。
 そして、天皇を、未開社会の酋長のような存在とうけとめていた。
 フランクフルト学派は、二段階革命論にもとづいて、封建体制の文化構造を破壊して、日本を共産主義へ導くために、神道から神社、家族制度、権威、性的節度、伝統、愛国心、国家、民族、尊敬心などの徳や価値を封建体制の悪弊として否定してかかった。
 このとき、フランクフルト学派が標的にしたのは、インテリ層で、とりわけ、教育界やメディア関係がターゲットになった。
 フランクフルト学派がもとめたのは文化革命だったからで、文化を担うのはインテリと若者である。文化革命→政体革命が二段階革命の要諦で、それには精神を破壊して、人間をぶっ壊す文化大革命が先行されなくてはならなかった。
 日本に共産主義革命をおこそうとしたのは、OSS戦略情報局(CIA)にもぐりこんだフランクフルト学派で、日本共産党以下、日本のマルクス主義者や反体制派は、外国勢力に追従して、革命を実現させようとする敗戦革命主義者でしかなかった。
 だが、GHQが逆コース≠とったため、日本の左翼は、梯子を外された形になった。
 ところが、日本の原型は、GHQが破壊してくれていたので、日本は、すでに左翼の国になっていた。
 次回以降、日本が、いかにして、フランクフルト学派型の左翼国家になっていったかふり返ってみよう。
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2023年07月03日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和12

 ●フランクフルト学派に呪われた戦後の日本
 全学連や全共闘、赤軍派が荒れ狂った1960〜70年代にかけて、フランクフルト学派という過激な思想が日本ばかりか世界中を暴れ回った。
 フランクフルト学派は、1923年、ドイツでうまれたマルクス主義の亜流で、階級闘争=暴力革命が実現しないのは、人間の精神が資本主義に毒されているからというのが主たる主張だった。
 フランクフルト学派の第一世代に属するルカーチは、こう宣言した。
「資本主義下でつくられた精神を破壊しなければ革命は実現できない。人間を破壊せよ。文明や文化を破壊せよ。体制の破壊者であるならどんな犯罪者でもあってもりっぱな革命の兵士である」
 この思想の核心は、人間を、資本主義に毒された、あるいは、資本主義から疎外された被害者ととらえるところにある。
 したがって、革命をおこすには、その毒された精神を破壊しなければならない。
 人間の精神をつくりあげてきたのは歴史である。
 革命をおこすには、最初に歴史を破壊しなければならないというのがフランクフルト学派の理屈である。
 造反有理というのは、謀反や反乱に正義があるという原理で、謀反や反乱は資本主義から疎外された犠牲者、あるいは、体制から虐げられた被害者意識のあらわれである。
 毛沢東の文化大革命からポルポトのカンボジア大虐殺、アメリカの9・11同時多発テロもこの悪魔の思想の影響をうけているが、テロリズムを容認する造反有理の根本にあるのが、ロックの革命権やルソーの国民主権である。
 神があたえた自由や平等、天賦の権利および生命の安全や幸福追求の欲望を実現するための政府がその目的を達成できない場合、旧体制を倒して、新たな政府を設立できるというのがロックの革命権である。
 一方、国家の主権を、国民がもつという迷妄がルソー主義で、ルソー主義がフランス革命にスローガンになったように、ロック主義がアメリカ革命(独立戦争)のイデオロギーになった。

 ●平和な家庭や正常な男女関係は革命の大敵
 ナチに追われてアメリカに移ったルカーチの共産主義運動が、戦後、世界に爆発的に広がっていったのは、権力に虐げられた弱者=人民の抵抗というマルクス主義の戦略が広くうけいれられたからだった。
 このときもちいられたのが疎外≠ニいう概念だった。
 人間が不幸なのは、文化や文明、家庭や社会、共同体や国家から疎外されているからだとする論理で、これが『批判理論』として、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマスらによって、左翼理論の中軸にすえられてきた。
 権威や家族、道徳や伝統、性的節度、忠誠心、愛国心、国家主義、民族中心主義、習慣など人間社会を形成している徳目をすべて批判して、改革をすすめようとするのが批判理論である。一方、野蛮からの解放だったはずの啓蒙の理念が次第に道具化して人間を疎外してゆくとしたのが『啓蒙の弁証法』で、この書は、日本のインテリ左翼から熱烈に歓迎された。
 この論理にアクセルをかけたのが反ナチス運動と反戦平和思想で、フランクフルト学派は、ナチスや軍国主義、侵略戦争をゆるしたのは、近代人の最大の欠陥だったとして、反ナチス運動をまきこんで、歴史や体制、文化を否定する論理をくりだして、体制の内部崩壊をひきだそうとする。
 有名なことばがアドルノの《アウシュビィッツのあとで詩を書くのは野蛮である》で、このことばによって、ナチやファシズムを生んだ中産階級はみな悪に仕立てあげられた。
 エンゲルスは『家族、私有財産及び国家の起源』で、女性差別の根源は家父長制にあると論じたが、フランクフルト学派も、性差(ジェンダー)やフェミニズムは西洋文化からうまれたとして、アドルノは、家父長制はファシズムのゆりかごであるとのべた。
 共産主義=暴力革命にとって、平和な家庭や男女の円満な関係は大敵だったのである。

 ●女性解放を謳うマルクス主義フェミニズムの魔性
 アドルノは、母親と父親の役割を交換することを提唱して女性の社会進出と父親の権威否定に実行に移したが、その結果、ソ連では、人口の停滞や家庭の崩壊という現象を招いた。
 フランクフルト学派が人口の大半を占める中産階級をターゲットにするのは革命の担い手が労働者からプチ・ブルに移ったからで、かれらを革命の戦士に仕立てるには、マスコミなどで、不満を煽りに煽って、不満分子にしなくてはならない。
 このとき、もちだされるのがテロリズムの思想である。
 他人の自由を侵害する自由や規制のない民主主義、個人化された主権などが横行すれば、社会は崩壊するが、その崩壊を見越して、それでも自由や民主を叫ぶのはテロリズムで、破壊衝動である。
 アメリカ9・11テロにひそかに喝采を送って、各地で頻繁におこるテロに共感するインテリ左翼の思想をささえているのがこの破壊衝動で、反戦運動やフェミニズム、ジェンダーなどの反差別も、すべて、この学派からうまれた破壊衝動である。
 フランクフルト学派の中心的存在だったルカーチは、ハンガリー革命を指導して、失敗してソ連に亡命した。
 なぜ革命に失敗したのかとルカーチは考え、一つの結論をえた。
 革命の妨害になっていたのは、父権や母権の社会的分担や役割、家族という価値観、男女の性のモラルで、人間社会の保守性をささえていたのは、ジェンダー(性差)だった。このジェンダーの垣根さえとりはらってしまえば、革命は、はるかに、実現しやすくなる。
 マルクス主義フェミニズムは、性差を社会的役割や人間の根源的なありようとはみとめない。女性は、家事や育児に縛られた抑圧された労働者で、母親や男性の恋人、夫に尽くす妻という女性の社会的役割は、封建体制や資本主義の悪しき因習というのである。

 ●1%のジェンダー障害者を黙認してきた日本
「LGBT理解増進」が自民・公明両党と日本維新の会、国民民主党の4党による与党案の修正案が成立した。
 LGBTは、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字からとったことばである。レズビアンが女性の同性愛で、ゲイが男性の同性愛、バイセクシュアルは両刀使い、トランスジェンダーは性の同一性障害だが、いずれにしても、一種の性癖である。
 統合失調症も100人に1人の割合で発症する(厚生労働省)が、すべてのひとが治療をうけているわけではない。
 LGBTも、100人に1人の割合ででてくるが、日本では、これを法的に取り締まったり、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教などのように宗教的異端としてみたりすることはない。
 アフリカでは大半の国(38か国)が同性愛は違法で、モーリタニア、ナイジェリアでは死刑、ウガンダ、スーダン、タンザニアでは終身刑が課せられる。
 日本は、個人の性癖にはじつにおおらかなのだが、それでも、ジェンダーに不寛容だとマスコミが煽る。
 その好例が「ジェンダーギャップ報告書」で、日本は男女平等の達成度合いが146か国のうち125位で、マスコミは、世界にたいして恥ずかしいという。
 内訳は、政治と経済、教育と健康の4部門で、日本は、教育と健康については世界のトップだが、政治と経済はふるわない。
 日本の女性は、家庭や家族を大事にするからで、政治や経済などは男にやらせておけばよいと考えるのはきわめてまっとうな態度でいえよう。
 フランクフルト学派の革命戦術に被害者意識を煽るという方法がある。
 LGBTの法制化をもとめるヒトがテレビカメラにむかってこういった。
「わたしたちをどこまで追い詰めると気がすむのですか!」
 だれも追い詰めてなどいない。ただ、日陰に存在するものを、表にひっぱりだして騒ぐのはよくないといっているだけである。
 100万人の統合失調症の人々を、法律をつくってまもるより、陰において適切な治療をおこなうほうがよほど賢明なのである。
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