●LGBTブームに冷や水を浴びせた猟奇殺人事件
札幌・すすきのホテルで首なしの死体がみつかった事件は、近年まれにみる猟奇殺人事件としてテレビで大騒ぎになったが、被害者が女装趣味のLGBTの男性と分かって、以後、テレビはピタリと報道をやめてしまった。
これまでテレビは、LGBTに同情的、共感的だったが、LGBTがらみの殺人事件となれば、そうともいかなくなる。LGBTの醜い部分や反社会的な要素にもふれなければならなくなるが、マスコミにそんな覚悟はなかったのである。
もう一つ不都合なことは、一部識者が危惧して、マスコミがデマとしてきた女性トイレのLGBTへの解放が、事件に小さからぬ影響をもっていたことがわかったからで、これも、マスコミが事件の黙殺する理由の一つとなっているだろう。
会員制バーなどの常連だった被害者が、女子トイレへ居座ったのは、悪酔いした女性を介抱して、そのままラブホテルつつれこむためだった。女子トイレでの居座りを従業員から注意されると『ここはジェンダーを差別する店なのか!』と食ってかかる始末で、従業員は、女装して来店するジェンダー客への配慮もあって、対応に苦慮したという。
マスコミは右翼や保守論客が「トイレで女性が襲われる」などの差別デマを吹聴しているとして批判してきたが、今回の事件によって、その保守論客が心配していたとおりのことがおきていたことがわかったわけで、マスコミはぐうの音もでない。
トランスジェンダーの経産省職員が、女性用トイレの使用を制限されていた件で、最高裁が「トイレの使用制限をみとめた国の対応は違法」という判決を下して、これを、八木秀次や百田尚樹、門田隆将らが批判したのは、日本人の常識をふまえれば当然のことである。
これにくってかかったのが元SM嬢にして作家の泉美木蘭で、小林よしのりライジングというメルマガで、八木秀次や百田尚樹、門田隆将らに罵声を浴びせかけて、多くのメディアやSNSがこれにやんやの喝采を送った。
現在の風潮は、差別される被害者のLGBTに同情的、共感的であることが善で、毛嫌いする者は、時代遅れの悪となっている。したがって、多くの日本人は先を争うようにLGBTびいきになって、百田尚樹にような古いタイプの日本人を化石扱いにして得意になっている。
●アメリカ民主党の気候危機説とLGBT革命
世界的なLGBTブームをひきおこしたのは、地球温暖化対策や脱炭素をうったえてきたアメリカ民主党で、一方、共和党はLGBTなどにはまったく関心がない。
アメリカは、共和党と民主党で、国論が真っ二つに割れていて、とても一つの国など思えない。バイデン率いる民主党は「気候危機説」を唱え、脱炭素に熱心だが、共和党は「人類が絶滅する」という調子の民主党の気候危機説などぜんぜん信じていない。
経済や安全保障を犠牲にする極端な脱炭素政策にも反対している。
「気候危機説」は、北極・南極の氷河の半分が解けて海面が上昇、多くの国や地域が水没するとうったえるが、淡水は、地球上の水の3%で、半分が氷河である。1・5%の氷河が半分解けてもわずか0・7%増で、海面にほとんど変化があらわれない。
気候危機説をめぐって、欧米で過激な自然保護団体がテロ活動をおこなっているが、かれらの主張は、大半が極端な誇張で、虚偽や誤認も少なくない。
典型がゴア元副大統領の「地球温暖化問題(ノーベル平和賞)」だが、トランプは「地球温暖化は嘘っぱち」と叫んで、大統領に当選した。
ところで、なぜ、民主党は、共和党が同調できない争点を次々ともちだしてくるのであろうか。
民主党が共和党に比べて、立脚基盤がぜい弱なのにくわえ、支持者が革命的でセンセーショナルな訴求に敏感なリベラル派だからで、今回のLGBTでも騒いでいるのは一部の民主党支持者だけである。
一方、共和党を支持しているのは「保守派」と呼ばれる人たちで、アメリカ西部の農業地帯や南部の州に支持者が多く、奴隷解放の初代大統領リンカーンがシンボル的な存在である。
共和党の支持者は、白人や敬虔なキリスト教徒をはじめ、石油産業、自動車産業、軍事産業などの軍産複合体や大企業、全米ライフル協会、ウォール街の金融業などに多く、いわば、アメリカ魂につらぬかれた政党といえる。
決定的な支持基盤をもたない民主党は、共和党の失政に乗じて政権をとってきた経緯があって、その代表が、1929年の大恐慌のあとに登場したルーズベルトだった。
民主党を支持しているのは、ニューヨークやロサンゼルス、サンフランシスコなど海岸部や都市部在住の「リベラル派」と呼ばれる人々で、IT企業従事者やインテリ層、女性などのほか、性的マイノリティや労働者階級、環境保護団体、公民権運動団体、有色人種などが多い。
民主党支持者に「リベラルな風潮を好む」「多様性を尊重する」などの共通点があって、これが限りなく社会主義に接近して、保守主義との溝を深めているのは、ルーズベルト以来の伝統である。
●日本を敵対視してきたアメリカ民主党
アメリカ民主党が日本を敵視あるいは蔑視してきたことを日本人は知らない。
議会をとおさない対日最後通牒(「ハルノート」)をつきつけ、12万人もの日系人を強制収容所に拘束したルーズベルトは「ポツダム宣言」を日本につきつける前にすでに原爆投下の書類にサインしていた。
そして、後任のトルーマンは原爆投下を命じるのにまったく躊躇がなかったという。
2人とも中国びいきのばりばりの民主党員で、朝鮮戦争の折、原爆の使用を提案したGHQ(連合国軍総司令部)最高司令官マッカーサーを解任している。
日本人の大量虐殺はよいが、中国人の大量虐殺はノーという論理である。
パリ講和会議(1919年)で、日本は「国際連盟規約」に人種差別撤廃を明記するべきと発議して、多数決で日本案がとおったが、議長をつとめていたアメリカ大統領のウィルソンは「全員一致が条件」と難癖をつけて、日本案を否決した。
ウィルソンも民主党で、国際連盟の創設に尽力してノーベル平和賞をうけた国際派とあって、日本には冷淡そのものだった。
民主党のクリントンも「日米包括経済協議」「ジャパン・パッシング」(日本無視政策)で知られる反日的な政治家で、2016年のアメリカ大統領選挙で夫人のヒラリー・クリントンがトランプに勝っていたら、日本は、窮地に追いこまれていたはずである。
大統領就任後の初のアジア訪問は、中国と韓国で、日本は入っていなかったからで、両クリントンにとって、日本は、中韓に次ぐ第三の国で「東アジアの緊張を高める存在であってはならない」くらいの認識しかもっていなかった。
民主党が反日的なのは、革命政党にとって、伝統国家は嫌悪と侮蔑の対象でしかなかったからだった。
●民主党のリベラル・デモクラシーとLGBT革命
反日的な民主党にたいして、共和党は、ペリー提督を日本に派遣したフィルモア大統領から、日露戦争の講和を日本に有利に斡旋して、ノーベル平和賞をもらったセオドア・ルーズベルトまで親日的で、マッカーサーも共和党寄りでなかったら占領政策はもっと過酷なものになっていたはずである。
日本のメディアが、ニューヨークタイムズと提携関係にある朝日新聞を筆頭にして、こぞって民主党寄りなのは、日本に冷淡で批判的だからで、じぶんの国をわるく書くことが身上の大新聞にとって、引用しやすい情報源なのである。
日本のメディアがCNNやニューヨークタイムズばかりとりあげるのは左翼的だからで、大方の日本人は、フォックスニュース、ブライトバートなど共和党寄りのメディアの名前すら知らない。
日本の大手メディアは、民主党寄りのメディアの情報を垂れ流しているだけなので、日本人が知ることができるのは、つねに、アメリカという国の半分に限られる。
アメリカ民主党が「現在のままでは人類が絶滅する」として、気候危機説を唱え、脱炭素に熱心なのは、民主党の考え方に現状を変える≠ニいう過激な革命思想があるからで、これに、LGBTがくっついて、LGBT革命というべき風潮がつくりだされた。
性の自己同一性を、じぶんの意志で変更することは、生物にとって、究極の革命で、出産や育児、教育が放棄された世界は、希望なき暗黒社会というほかない。
だが、性差や性役割をうけいれらない人々にとって、天国である。
民主党は、性の自己決定ができない社会は、革命をおこして、変えるべきだというが、アメリカ民主党の目的は、性の解放ではなく、あくまで革命にある。
革命政党である民主党は、伝統的な価値観をみとめることができないばかりか、これを悪として断罪しようとする。
日本のLGBT騒ぎを煽ったエマニュエル駐日大使もシカゴ市長からオバマ大統領の首席補佐官などを歴任した民主党員で、バイデン大統領の肝いりで駐日アメリカ大使に就任した。
そして、リベラル・デモクラシーやLGBT革命を叫ぶが、アメリカよりも文化的な日本で、アメリカ民主党の言辞にダマされるのは、アメリカに洗脳されているおばかさんたちだけである。
2023年08月27日
2023年08月20日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和16
●シルクロード文明の終着駅だった日本
日本が、伝統や習俗、習慣や常識をかなぐり捨てて、海のむこうから入ってくる新奇なものにとびつく習性は、昨日や今日、はじまったことではない。
日本人の多くは、明治維新の廃藩置県や秩禄処分(武士階級の廃止)あるいは鹿鳴館文明(西洋かぶれ)を、案外、平気でうけいれて散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする≠ネどとのんきに都々逸をうなっていたのである。
日本人が海のむこうのものをやたらに有難がるのは、日本がシルクロードの終着点だったからで、アジア東端の島国だった日本にとって、海のむこうのものはすべてが物珍しく、有益なものだった。
日本は、ユーラシア文明を移入、あるいはこれを国風文化に変えて、独自の文化をつくりだしてきた(ハンチントン『文明の衝突』)が、その一方で、しばしば、鹿鳴館文明のようなかぶれ現象≠ひきおこしてきた。
近代になってそれがおきたのが、明治維新の文明開化や大正デモクラシーのリベラル・デモクラシー、敗戦後のコミュニズム・デモクラシーで、かぶれるのは、もともと、土着にはなかった異文明が移入される際に生じる過反応である。
明治維新以降、日本は、わずか20数年で、鉄道や電話、郵便などのインフラを整備して、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を開始している。
日本が短期間で産業革命を実現できたのは、江戸時代に高度な技術力を培っていたからだった。
アメリカのペリー提督は、日米和親条約を結んだ際、日本にアメリカの武器や電信機、蒸気機関車の模型を贈ったが、その数年後、佐賀藩や伊予宇和島藩は、独力で蒸気機関車を建造している。
そのうえ、佐賀藩は、イギリスが試作に成功したものの実戦化にてまどっていたアームストロング砲をさっさと建造してイギリスの度肝を抜いたが、これはさして驚くほどのことではなかった。
●戦国末期、日本は、世界一の火器保有国だった
日本に鉄砲が伝来したのは、1543年だが、関が原の戦い(1600年)で使用された鉄砲は、約二万五千丁で、当時、日本には、五、六万丁の鉄砲があったといわれる。
ちなみに、当時、全ヨーロッパにあった鉄砲は、約三万丁で、火砲が中心となる西洋との戦争で、日本は、襲ってくる敵を集中砲火でつぶす火力をもっていたのである。
これがハンチントンのいう日本文明のユニークさで、アヘン戦争では中国が英海軍の火砲に歯が立たなかったが、日本では、薩英戦争で、イギリス艦隊を徹底的にやっつけている。
イギリス艦隊の損害は、大破1隻・中破2隻の他、死傷者は63人(旗艦の艦長と副長を含む死者20人)におよんだが、日本の被害は流れ弾に当たった戦死一人のほか艦砲射撃で市街地の一部失っただけだった。
日本は、シルクロード文明を吸収して、国風文化を磨き、世界大国になっていったが、一方、日本には、西洋コンプレックスがつよい連中が権力をにぎる傾向があって、明治維新以降、日本を西洋の下位に置いて、西洋崇拝者であるじぶんを売り出すやからが幅をきかせてきた。
卑屈に西洋にはいつくばって、その西洋と気脈がつうじていることを武器にじぶんを売りだそうというわけだが、そういう連中がもちいるのが反日侮日と西洋崇拝の宣伝(プロパガンダ)だった。
日本には、数万の格言やことわざがあって、そのどれも、自由や平等、権利などの啓蒙思想と人間社会のルール、生活感情をあわせた生きた人生教訓で、これにくらべると、杓子定規な西洋の思想など幼稚すぎて、お話にならない。
ことわざには「情けは人の為ならず」や「武士は相身互い」など民主主義の本質をつくものが数限りなくあるが、西洋にあるのは、デモクラシーとリベラル、コミュニズムだけで、その土台に自由と平等、権利などの啓蒙主義があるだけである。
せいぜい10個ほどの観念をふりまわしているのが西洋だが、日本の学者連中はこれを延々とこねくりまわして、西洋通の知識人としてふんぞり返っている。
●「日本弁護士連合会」は日本で最悪の反日集団
インテリバカがふんぞり返っているなかでとりわけ悪質な害毒を垂れ流しているのが日本弁護士連合会で、犯罪者の片棒を担ぐのが身上の弁護士が、反国家の先兵となって、言論テロをくりひろげている。
その代表が小林節という狂信的なアジテーターで、弁護士というより特殊なイデオロギーをもった極左扇動家である。
左翼はマルクス主義者だが、法律家は法理主義者で、マルクス主義者は革命をとおして、一方、法理主義者はその法理をとおして、国家を倒そうとする。
国家は、歴史や習俗、文化や権力などの多様性からできている複合的にして壮大な生きものということができるが、法律屋は、国家を法理という一局面からしかみることができない。
弁護士で、大阪府知事、大阪市長をつとめた橋本徹は『実行力』『交渉力』『決断力』などのベストセラーを連発しているが、そのどれも、法理を土台にした机上論で、人間の心が宿っていない。
橋本は、ロシアのウクライナ侵攻にかんして、4000万のウクライナ人は、生命をまもるために祖国を捨てて難民になるべきとのべて、世界から呆れられたが、それでも、日本では、橋下イズムが圧倒的な支持をえている。
そこで、気がつくのが、日本では、すでに、人間の心や正気が失われているという事実である。
西洋バカに学者バカ、偏差値バカ、法律バカ、さらにここにLGBTバカがくわわって、日本では、一般的な社会通念や常識、人情などの歴史的価値観が崩壊した知的ゾンビの国になっている。
●じぶんの頭でモノを考えられない現代の日本人
それが文化革命の恐怖で、昨日まで善だったものを一夜で悪にかえて、その価値の逆転をもって、大勢の罪なき無垢の人々をみな殺しにする。
貴族4万人の首をハネたフランス革命、ロマノフ王朝の残党125万を酷寒のバイカル湖に沈めたロシア革命、犠牲者数が6500万人にものぼる毛沢東の文化大革命(ステファン・クルトワ『共産主義黒書』)、200万人の父母を殺したポルポトのカンボジア革命と、革命は血も凍るふるまいだが、日本でも、12人の仲間をリンチ殺人した連合赤軍や死者が100人をこえる中核・核マルの内ゲバ事件などがある。
テロ事件では、オウム真理教がサリンをつかって14人を殺害(負傷者6300人)したが、日本では「民主主義と国民の人権を侵害する(「日本弁護士連合会」)という理由からオウム真理教への破防法適用が見送られて、オウム真理教の後継3団体(アフレなど)の約2000人の信者が息をひそめて次のテロ機会をうかがっている。
このことからも、弁護士会は国民の敵≠ニわかるはずだが、高学歴者が社会の中枢を握っている日本では、医者や弁護士、高級官僚、大学教授らが上級国民のセンセー様で、テレビでも、視聴者である一般国民がかれらの高説をうかがうという構成になっている。
デヴィ夫人は、昨今のジャニー喜多川£@きに辟易して「ジャニーズ系のタレントが恩人であるジャニー喜多川を批判することはジャニー氏の慰霊への冒瀆」「ジャン・コクトーがジャン・マレーを愛したような特別な世界、関係性というものはある」とツイッターに投稿したところLGBT賛歌でわき返っているネット・マスコミからすさまじい反発があった。
「権力者男性に媚び売る恥知らず」といったものが大半だが、なかでも、英国BBCや国連、アメリカ大使が問題にしていることをとりあげて、世界に恥ずかしいとおそれいる声も多かったという。
魔女裁判で200万人の無垢な女性を火刑にした悪魔のような国に、生類憐みの令の情け深い国がなぜ恥じなければならないのか。
西洋や西洋人に媚びるのもいい加減にすべきである。
長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』(ABCテレビ)に男性カップル(フランス人と日本人)が登場して、視聴者から「おめでとう」の声が殺到して、ひげ面同士の抱擁に眉をひそめるふつうの日本人が時代遅れと罵倒された。
その一方、レバノンやウエートなど中東では、世界的に大ヒットしている映画「バービー」が「同性愛を助長する内容がふくまれている」として上映禁止になった。
ジェンダーフリーとはなんだったのか、日本人は、じぶんの頭でもういちど考えてみるべきだろう。
じぶんの頭でモノを考えることができるようになったとき、日本人は、ようやく、正気をとりもどすことができるのである。
日本が、伝統や習俗、習慣や常識をかなぐり捨てて、海のむこうから入ってくる新奇なものにとびつく習性は、昨日や今日、はじまったことではない。
日本人の多くは、明治維新の廃藩置県や秩禄処分(武士階級の廃止)あるいは鹿鳴館文明(西洋かぶれ)を、案外、平気でうけいれて散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする≠ネどとのんきに都々逸をうなっていたのである。
日本人が海のむこうのものをやたらに有難がるのは、日本がシルクロードの終着点だったからで、アジア東端の島国だった日本にとって、海のむこうのものはすべてが物珍しく、有益なものだった。
日本は、ユーラシア文明を移入、あるいはこれを国風文化に変えて、独自の文化をつくりだしてきた(ハンチントン『文明の衝突』)が、その一方で、しばしば、鹿鳴館文明のようなかぶれ現象≠ひきおこしてきた。
近代になってそれがおきたのが、明治維新の文明開化や大正デモクラシーのリベラル・デモクラシー、敗戦後のコミュニズム・デモクラシーで、かぶれるのは、もともと、土着にはなかった異文明が移入される際に生じる過反応である。
明治維新以降、日本は、わずか20数年で、鉄道や電話、郵便などのインフラを整備して、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を開始している。
日本が短期間で産業革命を実現できたのは、江戸時代に高度な技術力を培っていたからだった。
アメリカのペリー提督は、日米和親条約を結んだ際、日本にアメリカの武器や電信機、蒸気機関車の模型を贈ったが、その数年後、佐賀藩や伊予宇和島藩は、独力で蒸気機関車を建造している。
そのうえ、佐賀藩は、イギリスが試作に成功したものの実戦化にてまどっていたアームストロング砲をさっさと建造してイギリスの度肝を抜いたが、これはさして驚くほどのことではなかった。
●戦国末期、日本は、世界一の火器保有国だった
日本に鉄砲が伝来したのは、1543年だが、関が原の戦い(1600年)で使用された鉄砲は、約二万五千丁で、当時、日本には、五、六万丁の鉄砲があったといわれる。
ちなみに、当時、全ヨーロッパにあった鉄砲は、約三万丁で、火砲が中心となる西洋との戦争で、日本は、襲ってくる敵を集中砲火でつぶす火力をもっていたのである。
これがハンチントンのいう日本文明のユニークさで、アヘン戦争では中国が英海軍の火砲に歯が立たなかったが、日本では、薩英戦争で、イギリス艦隊を徹底的にやっつけている。
イギリス艦隊の損害は、大破1隻・中破2隻の他、死傷者は63人(旗艦の艦長と副長を含む死者20人)におよんだが、日本の被害は流れ弾に当たった戦死一人のほか艦砲射撃で市街地の一部失っただけだった。
日本は、シルクロード文明を吸収して、国風文化を磨き、世界大国になっていったが、一方、日本には、西洋コンプレックスがつよい連中が権力をにぎる傾向があって、明治維新以降、日本を西洋の下位に置いて、西洋崇拝者であるじぶんを売り出すやからが幅をきかせてきた。
卑屈に西洋にはいつくばって、その西洋と気脈がつうじていることを武器にじぶんを売りだそうというわけだが、そういう連中がもちいるのが反日侮日と西洋崇拝の宣伝(プロパガンダ)だった。
日本には、数万の格言やことわざがあって、そのどれも、自由や平等、権利などの啓蒙思想と人間社会のルール、生活感情をあわせた生きた人生教訓で、これにくらべると、杓子定規な西洋の思想など幼稚すぎて、お話にならない。
ことわざには「情けは人の為ならず」や「武士は相身互い」など民主主義の本質をつくものが数限りなくあるが、西洋にあるのは、デモクラシーとリベラル、コミュニズムだけで、その土台に自由と平等、権利などの啓蒙主義があるだけである。
せいぜい10個ほどの観念をふりまわしているのが西洋だが、日本の学者連中はこれを延々とこねくりまわして、西洋通の知識人としてふんぞり返っている。
●「日本弁護士連合会」は日本で最悪の反日集団
インテリバカがふんぞり返っているなかでとりわけ悪質な害毒を垂れ流しているのが日本弁護士連合会で、犯罪者の片棒を担ぐのが身上の弁護士が、反国家の先兵となって、言論テロをくりひろげている。
その代表が小林節という狂信的なアジテーターで、弁護士というより特殊なイデオロギーをもった極左扇動家である。
左翼はマルクス主義者だが、法律家は法理主義者で、マルクス主義者は革命をとおして、一方、法理主義者はその法理をとおして、国家を倒そうとする。
国家は、歴史や習俗、文化や権力などの多様性からできている複合的にして壮大な生きものということができるが、法律屋は、国家を法理という一局面からしかみることができない。
弁護士で、大阪府知事、大阪市長をつとめた橋本徹は『実行力』『交渉力』『決断力』などのベストセラーを連発しているが、そのどれも、法理を土台にした机上論で、人間の心が宿っていない。
橋本は、ロシアのウクライナ侵攻にかんして、4000万のウクライナ人は、生命をまもるために祖国を捨てて難民になるべきとのべて、世界から呆れられたが、それでも、日本では、橋下イズムが圧倒的な支持をえている。
そこで、気がつくのが、日本では、すでに、人間の心や正気が失われているという事実である。
西洋バカに学者バカ、偏差値バカ、法律バカ、さらにここにLGBTバカがくわわって、日本では、一般的な社会通念や常識、人情などの歴史的価値観が崩壊した知的ゾンビの国になっている。
●じぶんの頭でモノを考えられない現代の日本人
それが文化革命の恐怖で、昨日まで善だったものを一夜で悪にかえて、その価値の逆転をもって、大勢の罪なき無垢の人々をみな殺しにする。
貴族4万人の首をハネたフランス革命、ロマノフ王朝の残党125万を酷寒のバイカル湖に沈めたロシア革命、犠牲者数が6500万人にものぼる毛沢東の文化大革命(ステファン・クルトワ『共産主義黒書』)、200万人の父母を殺したポルポトのカンボジア革命と、革命は血も凍るふるまいだが、日本でも、12人の仲間をリンチ殺人した連合赤軍や死者が100人をこえる中核・核マルの内ゲバ事件などがある。
テロ事件では、オウム真理教がサリンをつかって14人を殺害(負傷者6300人)したが、日本では「民主主義と国民の人権を侵害する(「日本弁護士連合会」)という理由からオウム真理教への破防法適用が見送られて、オウム真理教の後継3団体(アフレなど)の約2000人の信者が息をひそめて次のテロ機会をうかがっている。
このことからも、弁護士会は国民の敵≠ニわかるはずだが、高学歴者が社会の中枢を握っている日本では、医者や弁護士、高級官僚、大学教授らが上級国民のセンセー様で、テレビでも、視聴者である一般国民がかれらの高説をうかがうという構成になっている。
デヴィ夫人は、昨今のジャニー喜多川£@きに辟易して「ジャニーズ系のタレントが恩人であるジャニー喜多川を批判することはジャニー氏の慰霊への冒瀆」「ジャン・コクトーがジャン・マレーを愛したような特別な世界、関係性というものはある」とツイッターに投稿したところLGBT賛歌でわき返っているネット・マスコミからすさまじい反発があった。
「権力者男性に媚び売る恥知らず」といったものが大半だが、なかでも、英国BBCや国連、アメリカ大使が問題にしていることをとりあげて、世界に恥ずかしいとおそれいる声も多かったという。
魔女裁判で200万人の無垢な女性を火刑にした悪魔のような国に、生類憐みの令の情け深い国がなぜ恥じなければならないのか。
西洋や西洋人に媚びるのもいい加減にすべきである。
長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』(ABCテレビ)に男性カップル(フランス人と日本人)が登場して、視聴者から「おめでとう」の声が殺到して、ひげ面同士の抱擁に眉をひそめるふつうの日本人が時代遅れと罵倒された。
その一方、レバノンやウエートなど中東では、世界的に大ヒットしている映画「バービー」が「同性愛を助長する内容がふくまれている」として上映禁止になった。
ジェンダーフリーとはなんだったのか、日本人は、じぶんの頭でもういちど考えてみるべきだろう。
じぶんの頭でモノを考えることができるようになったとき、日本人は、ようやく、正気をとりもどすことができるのである。
2023年08月06日
「自由主義」と「民主主義」の相克と調和15
●毛沢東とフランクフルト学派に染まった日本の左翼
1958年からはじまった中国の大躍進政策の一つにスズメ撲滅運動≠ニいうのがあって、このとき、一億羽以上のスズメが駆除されて、中国全土からスズメが姿を消した。
その結果、バッタが大繁殖して、農村の穀物を食い尽したのは自然の摂理というべきで、頭で考えた小知恵で大躍進ができると思ったほうが愚かだったのである。
そのバッタ飢饉によって、数千万人が餓死して、毛沢東は失脚した。
文化大革命は失脚した毛沢東の巻き返しで、このとき紅衛兵が手にしていた毛沢東語録≠ヘ30カ国で10億冊も印刷された聖書並みのベストセラーとなって、いまなお、共産主義思想の原典とされている。
毛沢東語録の根幹は清朝儒教の「実事求是」ということばにあって、これは「真実は事実のなかにある」という観念論である。
毛沢東語録は、その実事求是のオンパレードで、スズメを撲滅すれば農業が大躍進するといった妄想的にして短絡的な因果論が並べられている。
これと似ているのが、1923年、ドイツでうまれたフランクフルト学派という戦闘的なマルクス主義で、階級闘争=暴力革命が実現しないのは、人間の精神が資本主義に毒されているからという。
フランクフルト学派の第一世代に属するルカーチは、こう宣言した。
「資本主義下でつくられた精神を破壊しなければ革命は実現できない。人間を破壊せよ。文明や文化を破壊せよ」
全学連や全共闘、赤軍派が荒れ狂った1960〜70年代にかけて、世界を席巻したのがフランクフルト学派と毛沢東語録で、当時、東大の立て看板には毛沢東の肖像が掲げられて「造反有理」の文字がおどった。
●啓蒙主義のデタラメな論理にシビレタ日本人
フランクフルト学派は、個人の欲望を最大限に拡大して、それがうけいれられない場合、その責任を負うべきは社会だとして、これを革命のエネルギーに転化させようという戦略的マルクス主義で、原点にあるのは自然に帰れ≠フルソーである。
国家を必要悪とするホッブズにたいして、ルソーは、国家を悪とした。
ルソーは、人間は生まれながらに自由だが、いたるところで鉄鎖に繋がれているといったが、ジョン・ロックも、すべての人間は平等で、独立していると主張した。
だが、人間は、うまれながらにして自由かつ平等、諸権利がそなわっているとする啓蒙主義は、真っ赤なウソで、裸でうまれてくる人間は、不平等にして不自由な存在で、なんの権利ももたず、なんの恩恵もあたえられていない。
それでも、人間として生きてゆけるのは、ホッブズがいうように、国家から庇護されているからで、ルソーのいうように自然に還れば、人間は、3日たりとも生きてゆけない。
人間はうまれながらにして、基本的人権や生命の尊厳、自由や平等、権利をあたえられていると日本人が思いこむのは、戦後の憲法教育の大弊害で、天は人間に特権などなに一つあたえてはいない。
国民の義務と権利は、国家と交わした約束事で、国民は、国家と関係がなくしては存在できない。
だが、戦後、日本では、憲法をとおして、個人が国家を監視するというリベラルでアナーキーな政治風土が広がって、国体や歴史、民族や文化の一体感が失われた。
そのあらわれがLGBT法や選択的夫婦別姓案で、家族から個人、個人から同性愛や同性婚という究極の個人に絞りこまれて、国体や国家観という集団の哲学が消失した。
●文化防衛に敗退を重ねて特殊な国なった
現在、日本は、文化防衛の思想戦において、反日左翼や法曹界、マスコミなどからの攻勢にされされて、敗退を余儀なくされている。
標的になっているのが日本人の一般常識や歴史の叡智、習慣や良識である。
社会に不満や摩擦、矛盾をみつけて、それを造反有理≠フネタに仕立てて社会変革をもとめるのが啓蒙主義や毛沢東主義あるいはフランクフルト学派のやり方で、これは、マスコミ主導型の文化革命である。
階級闘争も暴力革命も、ゼネストもテロリズムも社会変革の原動力にはならない。
社会を変革できるのは、文化革命だけで、性差や家族、集団のモラルなどの歴史的価値観を破壊してしまえば、国家は内部から崩れ落ちる。
日本で常識破壊がおきているのは、それが革命の近道だからで、その契機となったのが男女共同参画社会や選択的夫婦別姓案などで、これにLGBT法がくわわって、国家をささえる骨格がさらにぜい弱になった。
事実やことばのなかに真実がある(「実事求是」)のではない。
一般常識や歴史の叡智、習慣や良識のなかに真実がある。
それが保守主義で、日本では、スズメ撲滅ではなく、案山子を立てて、秋の豊作をまつ。
これがズタズタになったのは、文化防衛に敗れたからで、その負けっぷりがハッキリしたのが憲法だった。
憲法9条によって、国家をまもる意識が消えて「戦争がおきたら国のために戦うか」というアンケートで、日本は世界79カ国中、ダントツ最下位(79位/13%/「世界価値観調査(2021年)」となって、日本はいまや、国家国民の定義から外れた世界に例がない特殊な国になった。
●最終局面にさしかかっている思想戦
毛沢東思想が、マルクス・レーニンをこえて、日本の左翼につよい影響力をもったのは、実事求是が象徴する言語中心主義が歓迎されたからだった。
それがことばのなかに真実がある「実事求是」ということの意味で、天皇の肖像を燃やして足で踏みつけることが表現の自由だというあいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展」の妄想と通底する。
それがことばのゆきつくところで、名古屋高裁(松村徹裁判長)が「表現の不自由展」に未払いの補助金を命じたのも、ことばをあつかう司法が、常識の彼方の存在だったからである。
人間の心を忘れてことばにしがみつくのは、毛沢東のスズメ撲滅運動のようなもので、ことばは、一元論なので、かならず、滅びの論理となる。オウム真理教の殺人者たちも、人間の心を捨てて、麻原教祖を信じた以上、悪魔になるほかなかった。
ポルポトが200万人の虐殺(親殺し)を指導したのも、古い伝統や因習にとらわれているオトナをすべて殺さなければ新しい時代はやってこないという妄想にとらわれてのことだが、この思考は、人間の心を失っているという意味において、名古屋高裁の判断となんらかわるところがない。
連合赤軍のリンチ殺人や中核・核マルの内ゲバも、テロや衝動殺人も同じ構造で、ことばというものをつきつめてゆけば、結局、相手を殺すしかない狂気へゆきつく。
日本は、今後、常識や良識、一般通念を捨てて、集団を忘れた個人という、異常と狂気、破滅へのみちつきすすんでゆくことになるであろうが、これを糾すには、敵にたちむかい、敵をたたかいの場にひきだす勇気や覚悟が必要となるだろう。
日本の文化防衛は、心ある日本人、国民が立ち上がらなければならないほどの事態にまで切迫しているのである。
1958年からはじまった中国の大躍進政策の一つにスズメ撲滅運動≠ニいうのがあって、このとき、一億羽以上のスズメが駆除されて、中国全土からスズメが姿を消した。
その結果、バッタが大繁殖して、農村の穀物を食い尽したのは自然の摂理というべきで、頭で考えた小知恵で大躍進ができると思ったほうが愚かだったのである。
そのバッタ飢饉によって、数千万人が餓死して、毛沢東は失脚した。
文化大革命は失脚した毛沢東の巻き返しで、このとき紅衛兵が手にしていた毛沢東語録≠ヘ30カ国で10億冊も印刷された聖書並みのベストセラーとなって、いまなお、共産主義思想の原典とされている。
毛沢東語録の根幹は清朝儒教の「実事求是」ということばにあって、これは「真実は事実のなかにある」という観念論である。
毛沢東語録は、その実事求是のオンパレードで、スズメを撲滅すれば農業が大躍進するといった妄想的にして短絡的な因果論が並べられている。
これと似ているのが、1923年、ドイツでうまれたフランクフルト学派という戦闘的なマルクス主義で、階級闘争=暴力革命が実現しないのは、人間の精神が資本主義に毒されているからという。
フランクフルト学派の第一世代に属するルカーチは、こう宣言した。
「資本主義下でつくられた精神を破壊しなければ革命は実現できない。人間を破壊せよ。文明や文化を破壊せよ」
全学連や全共闘、赤軍派が荒れ狂った1960〜70年代にかけて、世界を席巻したのがフランクフルト学派と毛沢東語録で、当時、東大の立て看板には毛沢東の肖像が掲げられて「造反有理」の文字がおどった。
●啓蒙主義のデタラメな論理にシビレタ日本人
フランクフルト学派は、個人の欲望を最大限に拡大して、それがうけいれられない場合、その責任を負うべきは社会だとして、これを革命のエネルギーに転化させようという戦略的マルクス主義で、原点にあるのは自然に帰れ≠フルソーである。
国家を必要悪とするホッブズにたいして、ルソーは、国家を悪とした。
ルソーは、人間は生まれながらに自由だが、いたるところで鉄鎖に繋がれているといったが、ジョン・ロックも、すべての人間は平等で、独立していると主張した。
だが、人間は、うまれながらにして自由かつ平等、諸権利がそなわっているとする啓蒙主義は、真っ赤なウソで、裸でうまれてくる人間は、不平等にして不自由な存在で、なんの権利ももたず、なんの恩恵もあたえられていない。
それでも、人間として生きてゆけるのは、ホッブズがいうように、国家から庇護されているからで、ルソーのいうように自然に還れば、人間は、3日たりとも生きてゆけない。
人間はうまれながらにして、基本的人権や生命の尊厳、自由や平等、権利をあたえられていると日本人が思いこむのは、戦後の憲法教育の大弊害で、天は人間に特権などなに一つあたえてはいない。
国民の義務と権利は、国家と交わした約束事で、国民は、国家と関係がなくしては存在できない。
だが、戦後、日本では、憲法をとおして、個人が国家を監視するというリベラルでアナーキーな政治風土が広がって、国体や歴史、民族や文化の一体感が失われた。
そのあらわれがLGBT法や選択的夫婦別姓案で、家族から個人、個人から同性愛や同性婚という究極の個人に絞りこまれて、国体や国家観という集団の哲学が消失した。
●文化防衛に敗退を重ねて特殊な国なった
現在、日本は、文化防衛の思想戦において、反日左翼や法曹界、マスコミなどからの攻勢にされされて、敗退を余儀なくされている。
標的になっているのが日本人の一般常識や歴史の叡智、習慣や良識である。
社会に不満や摩擦、矛盾をみつけて、それを造反有理≠フネタに仕立てて社会変革をもとめるのが啓蒙主義や毛沢東主義あるいはフランクフルト学派のやり方で、これは、マスコミ主導型の文化革命である。
階級闘争も暴力革命も、ゼネストもテロリズムも社会変革の原動力にはならない。
社会を変革できるのは、文化革命だけで、性差や家族、集団のモラルなどの歴史的価値観を破壊してしまえば、国家は内部から崩れ落ちる。
日本で常識破壊がおきているのは、それが革命の近道だからで、その契機となったのが男女共同参画社会や選択的夫婦別姓案などで、これにLGBT法がくわわって、国家をささえる骨格がさらにぜい弱になった。
事実やことばのなかに真実がある(「実事求是」)のではない。
一般常識や歴史の叡智、習慣や良識のなかに真実がある。
それが保守主義で、日本では、スズメ撲滅ではなく、案山子を立てて、秋の豊作をまつ。
これがズタズタになったのは、文化防衛に敗れたからで、その負けっぷりがハッキリしたのが憲法だった。
憲法9条によって、国家をまもる意識が消えて「戦争がおきたら国のために戦うか」というアンケートで、日本は世界79カ国中、ダントツ最下位(79位/13%/「世界価値観調査(2021年)」となって、日本はいまや、国家国民の定義から外れた世界に例がない特殊な国になった。
●最終局面にさしかかっている思想戦
毛沢東思想が、マルクス・レーニンをこえて、日本の左翼につよい影響力をもったのは、実事求是が象徴する言語中心主義が歓迎されたからだった。
それがことばのなかに真実がある「実事求是」ということの意味で、天皇の肖像を燃やして足で踏みつけることが表現の自由だというあいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展」の妄想と通底する。
それがことばのゆきつくところで、名古屋高裁(松村徹裁判長)が「表現の不自由展」に未払いの補助金を命じたのも、ことばをあつかう司法が、常識の彼方の存在だったからである。
人間の心を忘れてことばにしがみつくのは、毛沢東のスズメ撲滅運動のようなもので、ことばは、一元論なので、かならず、滅びの論理となる。オウム真理教の殺人者たちも、人間の心を捨てて、麻原教祖を信じた以上、悪魔になるほかなかった。
ポルポトが200万人の虐殺(親殺し)を指導したのも、古い伝統や因習にとらわれているオトナをすべて殺さなければ新しい時代はやってこないという妄想にとらわれてのことだが、この思考は、人間の心を失っているという意味において、名古屋高裁の判断となんらかわるところがない。
連合赤軍のリンチ殺人や中核・核マルの内ゲバも、テロや衝動殺人も同じ構造で、ことばというものをつきつめてゆけば、結局、相手を殺すしかない狂気へゆきつく。
日本は、今後、常識や良識、一般通念を捨てて、集団を忘れた個人という、異常と狂気、破滅へのみちつきすすんでゆくことになるであろうが、これを糾すには、敵にたちむかい、敵をたたかいの場にひきだす勇気や覚悟が必要となるだろう。
日本の文化防衛は、心ある日本人、国民が立ち上がらなければならないほどの事態にまで切迫しているのである。