2023年11月27日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和31

 ●文化大革命のこわさを知らない日本人
 革命と聞くと、だれもが「市民(ブルジョア)革命」や「共産主義革命」を思いうかべる。
 レーニンは、ブルジョア革命がプロレタリアート(労働者階級)革命へ発展する二段階革命論≠唱えたが、実際には、革命軍と反革命軍(保守派)による権力闘争であって、歴史上、労働者階級の蜂起による革命(階級闘争)がおきたためしはいちどもない。
 政治や経済は、制度や社会現象で、これだけを変更しても、人生まで左右されることはない。
 人生は、社会活動であって、そこに精神性や人間性の文化が深くかかわっているからである。
 政治や経済は、社会活動の一部であって、人生は、歴史や習俗、真善美などの価値観、ことばやコミュニケーションなど政治や経済以外のものにささえられている。
 これらの精神性を総じて文化といい、その意味で、人間は、文化的な動物ということができる。
 市民革命も共産主義革命も、政治と経済における革命で、フランス革命では王政が、ロシア革命では王政と経済の仕組みが、アメリカ革命では、宗主国と従属国の権威的なつながりが否定された。
 フランス革命やロシア革命、アメリカ革命とまったく異なるのが、毛沢東の文化大革命とポルポトのクメール・ルージュ(赤いクメール)革命である。
 毛沢東とポルポトが標的にしたのは、政治や経済ではなく、精神や価値観という文化で、そのために、革命者は、文化の担い手である精神性の高い人間を抹殺するというとんでもない悪魔的なふるまいにでた。
 文化大革命では2000万人以上、ポルポト革命では、人口の四分の一にもたっする200万人が虐殺された(キリングフィールド)が、文化大革命ではそのほかに数千万人もの餓死者がでている。
 歴史や伝統、習俗を否定すれば、人間が死に、社会が滅びるのは、共同体が文化に依存しているからで、だからこそ、未来にとって有益なのは、改革でもなく革命でもなく、歴史や文化をまもる保守主義なのである。

 ●一神教=一元論の世界がなぜ地獄になるのか
 田島洋子(元法政大学教授・参院議員)は「変えようよ!この国を」といいつづけて、リベラル派や改革を訴える保守政治家から「日本維新の会」までがこれを真似するようになったが、改革主義の原点が毛沢東やポルポトにあったことをだれも知らない。
 いうまでもないが、国家や共同体、歴史やモラル、よき習慣や人間の品性をまもっているのは保守主義である。
 ヨーロッパの保守主義は、フランス革命への反省から生まれたといってよい。
 バークは「最大の悪徳は智恵や美徳を欠いた自由だ」といい、エリオットは「伝統を相続する努力を払わぬ者が革命をもとめる」といったが、ホッブズは「自然状態において、人間は利己的で、自己利益のために互いに闘争する」ととっくの昔に喝破していた。
 毛沢東は、人間の本性のなかに、悪なる非合理的なものがあるとした。その根拠としたのが歴史と伝統だった。歴史や伝統、習俗に培われた悪弊が革命の進行を妨げているというのである。
 毛沢東主義を極端化したのがポルポト主義で、社会的、歴史的存在としての人間そのものを否定した。
 ポルポトは、通貨や教育制度、文化的習俗や家族までを廃止して、親と子が一緒に住むことすら禁止した。医者や教師、学歴者を皆殺しにしたのは過去の有害なものをひきずっている「資本主義の手先」という理由からだった。
 すべての国民を農村部に追いやって農業に従事させ、ポルポト革命に従順でないものは即刻逮捕されて、その日の内につるし首か拷問による刑死となった。
 毛沢東とポルポトのスローガンが「変えよう!この国を」だった。
 中世ヨーロッパで「異端審問」で数百万人もの異教徒や悪魔(魔女)狩りがおこなわれたのも、純正たるキリスト教国家へ「変えようよこの国を」という運動で、マルクス主義(毛沢東やポルポト)やキリスト教がこのような極端なふるまいにでるのは一神教=一元論の世界観に立っているからである。

 ●正統と異端≠フ一元論がうんだ革命思想
 一神教世界では、並立や共立、共存という考え方はなりたたない。
 神が唯一の存在の一元論だからで、正統は神だけで、異端は悪魔である。
 異端裁判で有罪になれば、悪魔の判定をうけたことになって火刑である。
 一神教の国では、唯一神、絶対神に収斂されて、一元化されるので、すべてが正統と異端に分別される。
 中世ヨーロッパを支配していたのは、古典復興のルネサンスからキリスト教の呪縛を解いた宗教革命、人間解放の啓蒙思想や合理主義の近代まで一神教を土台とした一元論で、モダニズム(近代主義)も、キリスト教が唯物論や科学主義にきりかわっただけの一元論である。
 その一元論の頂点が革命思想で、正統と異端の思想がゆきついたヨーロッパ精神の終着点である。
 したがって、すべて、YESとNOで決着がつける二進法で、中間色やあいまいの価値や文化がない。
 一方、日本のような多神教世界では、正しいものはいくつもあるので共存共栄≠フ論理がはたらく。
 人間の社会は、一元論や二進法、正統と異端の論理で片がつくほど単純でも割り切りやすくもないからで、むしろ、複雑に錯綜していて、とうてい、一筋縄ではいかない。
 日本は、多神教、アニミズムの国なので正統と異端≠ニいう一元論の論理は通用しない。
 多くのものがそれぞれの持ち味を生かして、バランスをとって共存しているのが多元論の文化で、千差万別、すべてがばらばらになっているように見えても、それが多神教世界の多様性と多次元性、奥行きというものある。

 ●政治や経済ではなく、文化を破壊して、国家の解体をはかる
 現在、日本が直面しているのが日本的な文化構造の危機で、西洋の一元論の毒された人々が、日本の伝統的な価値観の破壊をもくろんで、文化革命をおしすすめている。
 この文化革命の争点は、西洋の一元論と日本の多元論で、それが端的にあらわれているのが、人間観で、西洋の個人主義にたいして、日本は、集団主義である。
 個人主義が誕生したのは、啓蒙時代以降、近代になってからで、その歴史は浅く、アメリカ民主主義が定着する20世紀まで、個人主義は、身勝手という悪い意味しかなかった。
 個人主義がアメリカに根をおろしたのは、聖書をとおして神と信仰契約するプロテスタンティズムにとって、個人が基礎単位となるからで、親子や家族の関係、集団主義や地縁は、没個性として、排除される。
 日本で、輪廻転生の小乗仏教がうけいれられず、すべてのひとびとの救済をめざす大乗仏教が定着したのは、一人で輪廻転生をくり返して、解脱する個人主義が日本人の性に合わなかったからで、日本人は、アメリカ人とは異なった人間観をもっているのである。
 その人間観や歴史観、価値観を破壊しようというのが、現在すすめられている文化革命で、男と女からできている人間の世界の最大の関心事であるセックスの価値観を転換させて、伝統的な世界を転覆させようというのである。
 かつて、革命運動は、労使紛争や政治問題にかぎられていた。
 だが、現在は、男女雇用機会均等法から夫婦別姓、LGBT(性的少数者)問題や性同一性障害特例法、同性婚など個人の領域が革命の道具立てにされている。
 日本では、個人は、単独で存在するものではなく、社会的存在で、共同体や親子、家族の一員である。
 したがって、その集団的人格が、性差すら否定された個体になってしまえば社会がばらばらに分解してしまうことになる。
 それが文化革命の真の狙いで、性という文化の破壊が政治や経済にあたえるダメージよりもはるかに大きい。
 革命者の狙いが最終的に男系相続の皇位継承にあるのは疑いえない。
 次回は、このセックス革命のさらなる恐怖についてのべよう。
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2023年11月19日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和30

  ●原爆投下は本土決戦のためのものだった
 敗戦によって、日本でも革命がおきたという学説があって、その代表が丸山眞男や宮沢俊義の「八月革命論」である。
 レーニンの敗戦革命論を下敷きにしたもので、具体的には、ポツダム宣言の受諾によって、天皇主権から国民主権に移って、それが革命だったというのである。
 GHQの神道指令や公職追放、容共主義、軍国主義や封建的制度破棄、労働組合強化などによって、たしかに、革命的事態が進行していたが、レーニンの敗戦革命論と決定的にちがうのは、政府が転覆していなかったことである。
 マスコミ左翼や学会、知識階級が無条件降伏≠主張するのは、敗戦革命論の前提が国家転覆だったからで、日本が無条件降伏していなければ、革命がおきたことにはならない。
 とはいえ、当時、日本は、革命前夜というべき政治的状況で、天皇の廃位や立法・行政・司法の停止が実行に移されていれば、革命がおきていた可能性はきわめて高かった。
 大戦末期、日本政府はポツダム宣言を受諾するに際して、天皇大権を害する項目がふくまれるか否かについて連合国にたいして回答をもとめている。
 この照会にたいして、連合国側は、明確な返答しなかった。
 天皇を処罰しないと返答して、日本が降伏すれば、日本を軍事支配するために必要だった原爆投下の機会が永久に失われてしまうからだった。
 バーンズ(国務長官)回答には「日本の最終的な政治形態は日本国民の自由意思によって確立される」となっていた。
 日本政府は、日本国民の自由意思に天皇の大権維持がふくまれると解釈して1945年8月14日、ポツダム宣言の受諾を通告した。
 ポツダム宣言の受諾が、8月6日(広島)、8月9日(長崎)のあとになったのは、原爆投下は本土決戦のためのものだったからで、トルーマンはポツダム宣言の前のすでに原爆投下の命令書に署名していた。
 日本が本土決戦という選択肢をもっているかぎり、無条件降伏は、論理的に成り立たない。進駐軍30万人の生命は、本土守備隊(陸軍315万人、海軍150万人)と十隻の軍艦、5000機の戦闘機、1000両以上の戦車車隊(5個機甲師団)の前ではひとたまりもなかったからで、しかも、本土守備隊にはカミカゼ攻撃≠フ訓示が下されていた。
 硫黄島と沖縄の戦闘で、2万人の兵士を失ったアメリカは、進駐米軍の全滅を防ぐため、日本本土に原爆を投下して、日本人のタマシイを骨抜きにしなければならなかったのである。

 ●平和主義と命乞い≠フ区別がつかなくなった
 原爆によって50万人の非戦闘員を虐殺されるという世界史上、最悪のジェノサイドによって、日本人は完全に肝っ玉を抜かれた。
 広島の原爆慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちはくり返しませぬから」とあるのを読んでインドのパール判事は激怒したが、敗戦トラーマと戦争恐怖症に陥っていた日本人は、平和と命乞いの区別がつかなくなっていたのである。
 かつて野坂昭如は「戦争がおきたら白旗をあげるべき」といったが、これをひきついだのが瀬戸内寂聴や橋下徹らの生命唯物論≠ナ、日本の平和主義は命乞い主義といってよい。
「世界価値観調査(WVS/電通総研)」がおこなった「もし戦争が起こったら国のために戦うか」というアンケートで「たたかう」と答えたのは、日本ではわずか13・2%で、調査対象国79か国中ダントツの最下位だった。
 ちなみに、下から2番目の78位は、独ソ不可侵条約(1939年)による西方侵攻でソ連の属国となったリトアニア(32・8%)だが、それでも国をまもろうとする若者の数は日本の倍以上である。
 日本人のタマシイが抜かれた証しは憲法で、国のかたちを定める国家軌範が日本人の生命保証書≠ノなって、日教組は、日本人の生命をまもるために憲法がつくられたと生徒に教えている。
 日本の憲法は、占領中につくられたので、国家主権がうたわれていない。
 したがって、世界の国々がもっている緊急事態条項が日本国憲法にはない。
 緊急事態条項とは、政府の通常の運用では対処することがむずかしい事態が発生した場合、権力分立や人権を制限できるとした国家法で、国権は、私権にすぎない人権の上位にあるとした国家主権の宣言である。
 GHQ憲法で、緊急事態条項が謳われなかったのは、日本という国家の主権者がGHQだったからで、このGUQ体制のなかで、戦後、最初に宰相になったのが、英米派の吉田茂だった。
 国家として、緊急事態条項をもたないのは異常だが、吉田は平気だった。
「アメリカがまもってくれるならこれにこしたことはない」といって、吉田は憲法改正や国家防衛にはまったく無関心で、ひそかに、護憲派の旧社会党を応援した。

 ●なぜ日本の政治はかくも貧しくなったのか
 そこに戦後日本の保守政治の貧しさの根源がひそんでいる。
 生命が大事というのは、宗教であって、政治ではない。
 カネや物質的ゆたかさ、個人の欲望ばかりをもとめて、国家や国体、全体的な視野を失って、どうして、国家の政治が成熟するだろう。
 日本の戦後政治の貧しさは、安倍晋三以外、政治的なポリシーをもった政治家が登場してこなかったことで、保守政治では、池田勇人(「宏池会」)や佐藤栄作(「周山会」)ら吉田学校と呼ばれた官僚出身者が多数を占めてきた。
 官僚から首相になった政治家は、外務省の吉田茂を筆頭に岸信介(商工省)や池田勇人(大蔵省)、佐藤栄作(鉄道省)、福田赳夫(大蔵省)、大平正芳(大蔵省)、宮澤喜一(大蔵省)、中曽根康弘(内務省)らがいるが、政治家としての気骨をもっていたのは岸信介だけだった。
 宏池会は、創立者の池田勇人以来、大平正芳と鈴木善幸、宮澤喜一、現在の岸田文雄と5人の総理大臣を輩出したほか河野洋平と谷垣禎一の2人の総裁をだしているが、政治的には見るべきものはなかった。
 岸田首相は「核兵器ない世界へ機運を高めたい」などと語っているが、平和主義とリベラリズム(市民革命思想)が宏池会の唯一最大の主張で、それでは宗教・思想団体となにもかわらない。
 岸田の最大の失敗は、支持率低下の原因ともなった「オカマ法案(「LGBT平等法」)をとおしたことで、LGBTは、政治からもっとも遠くにある究極の個人主義だった。
 日本は昔から国家が性の問題≠ノふれない社会風潮だったが、これに火をつけたのがリベラリズム(市民革命志向)で、政治や経済ではなく、性という究極の個人主義をもって、国家(全体)や国体(天皇)を否定、転覆させようというのである。

 ●政治の矛盾に目をつむって夢想的平和を語る宏池会
 最高裁が、性別変更にかんして、生殖能力をなくす手術を必要とした現行の「性同一性障害特例法」は差別的とする弁論をおこない、いよいよ、特例法を違憲と判断する可能性が濃厚となってきた。
 よろこんだのが朝日や毎日、中日や日経で、第81条にしたがって特例法の改正を急ぐようもとめた。
 すでに、LGBT理解増進法が成立しているが、女性を自称する男性が女性専用のスペースに立ち入るなどの女性にたいする加害行為がふえていることには知らぬ存ぜぬである。表現の自由が被害者への配慮を欠いているのと同じ話で、LGBT理解法も表現の自由も、しょせん片手落ちなのである。
 憲法81条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する終審審である』とあるのは、三権分立の否定にほかならない。
 国会で成立させた法律を、15人の裁判官が否定して、無効にできるという制度は民主主義や国家主権を否定する司法ファッショで、この司法改正にとりくんでいたのが安倍晋三元首相だった。
 だが、安倍さんは、マザコンの元海上自衛隊員の銃撃に斃れた。
 日本の保守政治にとってこれ以上の悲劇は考えられもしないが、岸田はその間隙をぬってLGBT理解法とおして、一方、核兵器ない世界へなどの空語を発している。
 この政治的な不毛が原爆を落とされた国の精神的外傷で、日本は、いつまでたっても、政治の現実を直視できず、空想の世界をさまよっているのである。
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2023年11月12日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和29

 ●人類の歴史を転換させた18世紀の啓蒙思想
 かつて人類は伝統的な社会を生きていた。
 伝統というのは、習慣や習俗、風習やならわし、常識や不文律である。
 それが知恵で、知恵は、歴史という死者が残してくれた文化や文明の集積であって、現在を生きる者は、すべて、死者の恩恵をうけているといえる。
 この伝統を破壊したのが17世紀後半から18世紀にかけて生じた啓蒙思想で、代表的な人物が、ジョン・ロックとジャン=ジャック・ルソーである。
 人民は政府に自然権を託していると考えたトマス・ホッブズにたいしてその50年後、ロックは、主権者である人民に抵抗権や革命権があると唱え、さらにその80年後、ルソーは、人民の集合体である一般意志(人民主権)が国家に代わって共同体をつくるとした。
 ホッブズが伝統主義で、ロックやルソー、そのルソーを継承したマルクスが啓蒙主義だが、現在は、革新や左翼、リベラルなどとも呼ばれる。
 ロックはアメリカ革命(独立戦争)、ルソーはフランス革命、マルクスはロシア革命の思想的な母体となって、革命の嵐が吹き荒れた近代を経て、世界には伝統国家がほとんど残っていない。
 伝統国家が、知恵の国家だったとすれば、啓蒙国家(=革命国家)は知識の国家で、歴史の叡智と比べて、人間が頭で考えた知識は、すべて、浅知恵にすぎない。
 自由や平等、権利や主権などは、頭で考えた理屈で、自然界や生命の世界にそんなものはない。だが、18世紀の啓蒙時代以降、自由や平等、権利や主権などの人工物が産まれながらにそなわっている天賦のものという話になった。
 白井聡(『主権者のいない国』講談社)は「日本人が自由や平等、権利を行使しないのは主権意識が低いからだ」などとバカなことをいっているが、人類が自由や平等、権利を発明したのは、わずか250年前のことで、それが普遍的な価値とされたのは、第二次大戦後で、それからたかだか80年ほどしかたっていない。

 ●西部邁が喝破した「知識人革命」という文化革命
 かつて、権力は、軍属や政治家、財閥や地主、事業家のものだった。
 ところが、戦後、民主主義の世の中になって、権力は、知識人のものになった。
 30年近くも昔になるが、銀座などでご一緒したとき西部邁さんはなんどか「知識人革命」ということばを口にされた。『知識人の生態(PHP研究所)』を世に問う頃のことで、西部さんは、世界を変えるのは、政治や経済、法律や制度ではなく、それらの根幹にある知識そのものだというのである。
 文化概念としての天皇を論じた三島由紀夫の『文化防衛論』は文化大革命のさなかの著作だが、毛沢東の革命が、政治革命ではなく、文化革命だったことの根拠が西部さんのことばからもうかがえた。
 西部さんが副委員長をつとめた全学連の「60年安保」が終わると、時代は政治から経済へと地殻変動をおこして、70年代には、3C(クーラー・カー・カラーテレビ)の高度経済成長が実現して、労働者が団結して革命をおこすという政治風土がなくなった。
『文化防衛論』はそのころ書かれたもので「6全協」以前に軍事方針をとってきた日本共産党や全学連、過激派や赤軍が勢力を失ったとき、革命勢力が標的にしたのが文化だったことは、毛沢東の文化大革命をみるまでもなかった。
 戦後のアメリカ化と民主主義一辺倒、マルクス主義や唯物論などが蔓延するなかで、日本文化の根源を天皇にもとめた『文化防衛論』は秀逸で、左翼一色だった当時の論壇に旋風をまきおこした。
 三島のいう文化の根源は、男女のちがいで、モラルや道徳観念は、すべて、性差から生じたといっても過言ではない。
「LGBT理解増進法」をとりまとめた稲田朋美は、政調会長や防衛相などの大任をまかせた「安倍さんを裏切った」といわれるが、そんななまやさしいものではない。
 稲田は、夫婦別姓主義者どころか、伝統的家族思想の反対者で、いま流行りの自称保守主義≠フ左翼、アナーキスト、反天皇主義者である。

 ●国家の原型である『伝統的家族』を否定する稲田
 左翼評論家の青木理との対談で、稲田はこういっている。
 青木「夫婦別姓が導入されれば家制度や家父長制の破綻につながり、究極的には男系男子によって継承される天皇制をもゆるがしかねない」
 稲田「わたしは皇室について男系を維持すべきだと思いますが、家制度には全くこだわりがありません。家制度は憲法でも否定されていますし、民放でも否定されています。家督相続もなくなりました。『伝統的家族』というのもことばの魔力であって、つきつめていくと具体的に何を意味するかよくわかりません。むしろ、家族が多様化するなかで『伝統的家族』という形式をまもることが、それに合わない人々を排除する、たとえば、LGBTや未婚のひとり親が切り捨てられるなら、それに賛同することはできません」
 稲田の発言は、完全に左翼のもので、左翼が大事にするのが、イデオロギーと法だけである。
 かれらには、国家や国体、歴史も伝統などの文化のカテゴリーにあるものが目にはいらない。
 それが文化革命の要諦で、文化をすべて否定すると、残るのはイデオロギーと法だけになって、たちまち、暗黒社会が出現する。
 左翼や革新は、リベラル派を名乗るようになったが、最近、このリベラルの訳語を自由主義から平和主義や正義≠ヨ変えようという意見が出てきた。
 リベラルが伝統主義や守旧派の対義語として、マスコミなどで好意的にもちいられるようになったからで、野党ばかりか、自民党の一部までが、われこそはリベラルと世論にうったえている。
 愚の骨頂で、リベラルは、政治ではなく、反政治にあたる革命勢力である。
 本来、政治は伝統主義で、その伝統を破壊しようとするのが、左翼だった。
 右翼と左翼の由来は、議長席の右側に立憲君主派、左側にロベスピエールのジャコバン派が陣取ったフランス革命期の国民議会である。
 以来、革命勢力や革新派、マルクス主義者をさして左翼と呼ぶようになったが、日本では、社会主義や共産主義の聞こえがよくないので、個人の自由から社会的弱者の救済、戦争反対や平和主義、護憲から反核、LGBT保護法までをふくめて、リベラルと呼ぶようになった。

 ●男女格差指数が最悪の日本こそ世界一の女性尊重国家
 日米で共に進行しているのが「ポリコレ(政治的妥当性)」というリベラルな風潮で、これは人種や性別、国籍、宗教、肌の色や容貌、身体的な特徴などを根拠とした差別的な表現を正すという考え方である。
 日本では女性差別にあたるという理由から「看護婦」「保母」「スチュワーデス」などのことばが消えたが、このことば狩り≠フ延長線上にあるのがジェンダー(女らしさや男らしさという文化的・社会的につくられた意識)平等の思想である。
 ジェンダー平等は、女性蔑視の西洋の思想の裏返しで、中世ヨーロッパでは数百万人の女性(未亡人)が魔女狩りの犠牲になって、啓蒙思想家は、女性を人間としてみとめなかった。フランス革命の『人権宣言』から女性が除外されているのは、女性が奴隷と同じ身分だったからである。
 その負い目があって、西洋では、ことさらに女性をもちあげるが、日本では女性は女神(山の神/古事記や日本書紀のイザナミノミコトが原像)である。
 一神教の西洋の唯一神(ヤハウェ)は男性だが、多神教の日本では、八百万の神々を統べる天照大神は女性で、天皇の祖神である。
 日本には、女性を蔑視する思想や価値観はなく、女性をさす名称が女性蔑視にあたる(看護婦)というのは西洋流の解釈で、日本では、看護婦は「白衣の天使」だった。
 世界各国の男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数(世界経済フォーラム)で、日本は、146か国中の116位だったと左翼マスコミは大騒ぎしているが、調査対象は「政治参加」「経済参加」「教育」「健康」だけで「文化」という項目がない。
 日本は「教育」「健康」とも世界一だが「経済参加」と「政治参加」が極端に低い。総合でアジアでも下位の116位になった理由は、日本では、世界的に認知されていない(辞書にすら載っていない)専業主婦が圧倒的に多いからである。
 日本の既婚女性は、家事や育児、手芸や趣味に専念して、経済や政治などの世俗には関与しない。
 そんな下らないものは男どもに任せて、家庭中心に生きるのが日本の女性(山の神)なのである。
 日本の女性の地位は、低いのではなく、圧倒的な高いのだが、西洋人や西洋かぶれの日本人にはそれがわからず、稲田のようなバカがジェンダーフリーの言説に惑わされて、LGBT法案などをつくって、ようやく西洋に追いついたなどといっている。
 次回は、日本の文化革命の契機となった「八月革命」から戦後の思想がどう変遷していったかみていこう。
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2023年11月05日

「自由主義」と「民主主義」の相克と調和28

 ●「ポツダム宣言」がもとめたのは条件つき降伏
 1945年8月14日、日本が「ポツダム宣言」をうけいれて、第二次世界大戦は終結した。ポツダム宣言は、イギリス、アメリカ、中華民国(蒋介石)の3国が日本にたいして武装解除を迫った全13か条の宣言で、正式な名称は「対日降伏要求の最終宣言」あるいは「米英支三国宣言」だが、のちにこれにソビエトがくわわって、事実上の「4国宣言」となった。
 ポツダム宣言は、アメリカとイギリス、中華民国ら連合国が、ドイツを完全に壊滅したように、日本にたいしても最後の一撃をくわえる体制が整っているという脅し文句からはじまる。そして、以下、縷々と甘言と脅迫的言辞を並び立てて、条件からの逸脱や代替、遅延はいっさいみとめないとする。
 内容の概要はこうである。
 日本の戦争遂行能力が壊滅するまで、連合国軍が日本本土を占領する。
 捕虜虐待をふくめてすべての戦争犯罪人にたいして厳重なる処罰をおこなう。
 日本の主権は本州、北海道、九州、四国および周辺小諸島に限定される。
 日本の軍隊は、武装解除されてのちに帰還して、平和で生産的な生活を営む機会があたえられる。
 言論、宗教、思想の自由および基本的人権の尊重は保証される。
 産業工業の維持を許される。そして、経済を持続してこれを戦争賠償の取り立てに充当する。
 産業目的の原材料の入手など、世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許容する。
 連合国占領軍は、平和的で責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退する。
 そして、最後(13条)にいたってようやく「日本政府にたいして日本軍の無条件降伏の宣言を要求する」という文面がでてくる。そこでふたたび脅しがくりかえされる「もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される」
 戦後、日本は、ポツダム宣言を受諾して、アメリカに無条件降伏したという話がまかりとおってきた。
 だが、この13条の宣言を読むかぎり、完全なる条件つき降伏要求で、無条件降伏ということばは陸海軍にたいして使用されているだけである。

 ●本土決戦≠ナ勝ち目がなかった連合軍
 ポツダム宣言がもとめていたのは、日本政府が陸海軍の解体を命じることであって、陸海軍は無条件降伏したが、日本という国は、政府も国会も、役所も機能していた。
 日本政府が無条件に降伏していたら、政府は、陸海軍に解体を命じることはできない。
 GHQに日本の陸海軍を解体させる力などはなかった。
 米軍は、硫黄島で7000人もの戦死者をだしているが、沖縄戦にいたっては戦死者が1万2500人にもたっした。史上最大の作戦といわれるノルマンディー上陸作戦で、米軍が失った兵力は2000人前後だったことを考えると日本上陸作戦がいかに危険な作戦だったかアメリカは十分にわかっていた。
 終戦時、日本には、400万兵士と十分な弾薬、5000機の航空機、1000台の戦車、数千台の装甲車が残っており、沖縄戦とは比較にならないほど日本軍は優勢に立っていた。
 当時、アメリカは、宮崎海岸と鹿児島の志布志湾と吹上浜の3地点から上陸して、南九州に航空機の基地を確保するオリンピック作戦と千葉九十九里浜と神奈川相模湾から関東平野に上陸して、東京の制圧をめざすコロネット作戦の二本立てを考えていた。
 だが、それには大きな障害があることがわかった。南九州の港湾にも東京湾の外側地域にも接岸する艦船から積み荷を移し替える大型の港湾設備がすべて破壊されていることだった。
 おびただしい輸送船やタンカーは、港湾に接岸できなければただ洋上にうかんでいるだけでなんの役にも立たない。
 兵士の上陸も、輸送船ではなく、上陸用舟艇になるが、これは迎え撃つ方に圧倒的有利で、日本軍の陸兵がまちかまえて、上陸してくる米兵を狙撃すれば死体の山ができあがる。
 アメリカの航空戦力にも限界があった。日本のレーダーは万全で、高射砲の数量も十分だった。零戦や飛燕、疾風、屠龍らが撃墜したB‐29は485機にのぼって戦死者がゆうに3000人をこえて(USSBS/米国戦略爆撃調査団)いて、B‐29には空飛ぶ棺桶≠フ異名がつけられていた。
 5000機にのぼる日本の戦闘機はほぼ半数が、偵察機や練習機で戦闘力は低かったが、爆弾を積んで体当たり(カミカゼ)をすれば洋上の輸送船も上陸用舟艇も一網打尽にでき、たとえ、一部が上陸できても、本土防衛用に温存されていた5個機甲師団の1000両以上の戦車車隊が迎え撃つ。
 硫黄島や沖縄は離島だったので勝てたが、本土となれば、アメリカが勝てる確立はゼロに近いばかりか、米兵の死者が30万人にたっするおそれがあった。

 ●原爆投下とGHQの日本改造計画
 トルーマンとチャーチルが密議をかさねて二つの結論をえた。
 一つは、原爆を投下して、日本人のおよび日本軍人の士気を挫くこと。
 もう一つは、天皇を戦犯対象から外して、敗戦宣言(武装解除)させることであった。
 かかる理由から、ポツダム宣言をだす前に、トルーマンが原爆投下のサインに署名したのである。
 戦後、アメリカに洗脳された人々は、日本の武器は竹ヤリしかなかったとやら高射砲の高度がB29まで届かなかったとやら、アメリカは、足腰が立たなくなった日本に原爆を落としたとやら、ポツダムの返事が遅れたから原爆を落とされたとやらといいちらしてきたが、すべて、デタラメだった。
 そのデタラメの最大級が「日本はアメリカに無条件降伏した」というものでアメリカにとってこれほど都合のよいデマゴギーはなかったろう。
 アメリカには、本土決戦で、日本に勝つ自信も勝算もなかった。原爆投下と天皇の玉音放送(「大東亜戦争終結ノ詔書」)をもって、マッカーサーはやっと厚木飛行場に降り立つことができたのである。
 原爆投下の約20日後、玉音放送の15日後のことで、本土決戦の中心人物だった阿南惟幾陸軍大将が割腹して果てたのが、天皇から本土決戦を断念するようのさとされた翌未明、玉音放送の当日だった。
 陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言を受諾して、大戦を終戦へ導いたのが鈴木貫太郎首相で、GHQ指令は、その後の東久邇宮稔彦や幣原喜重郎、吉田茂、片山哲内閣がうけた。
 陸海軍解体指令や公職追放令、戦犯容疑者逮捕、財閥解体、農地解放、教育基本法改正(教育勅語廃棄)、神道指令(皇国史観廃棄)のほか、治安法や特高廃止、政治犯釈放、労働組合結成奨励、共産党合法化は、GHQの指令にもとづいて日本国内閣がおこなったもので、GHQは、日本の立法司法行政および天皇の権威を利用して、戦後日本を治めたのである。
 これが、ポツダム宣言にもとづく条件つき降伏で、アメリカは、日本を直接支配したのではなかった。
 
 ●天皇の存在が日本の共産主義化を防いだ
 日本が無条件降伏して、ドイツのように国家が解体していたら、日本国憲法をつくったGHQケーディスがのちにのべたように、GHQは日本を統治することができなかったろう。
 無条件降伏したドイツは国家が解体して、アメリカとソ連に分割統治されたが、日本は、ポツダム宣言受諾後も、役所や郵便、病院、交通機関は機能していて、新聞や放送も活動していた。
 左翼は、ポツダム宣言を無条件に受諾したので、無条件降伏だという詭弁を弄するが、アメリカは、ポツダム宣言で約束したとおりに、日本から撤退したのち、日本を支援する友邦国家となった。
 左翼が無条件降伏と言い張るのは、レーニンの「敗戦革命論」にのっかっているからである。
 たしかに、敗戦は、革命の絶好の機会で、アメリカやソ連は革命国家だった。
 戦後、革命の機運がさかんになったのは、戦勝国アメリカの支配下にあったのみならず、ソ連が新時代の希望の星として、左翼の目には燦然と輝いていたからだった。
 事実として、戦後のGHQ改革で、革命は、実際におきており、日本は、すでにかつての日本ではなくなっていた。
 革命が現実のものとして、表面にあらわれなかったのは、天皇がおられたからで、万が一、天皇が廃位になっていれば、日本は、まちがいなく共産主義国家になっていた。
 アメリカが日本の憲法に植えつけた共産化(属国化)の仕掛けは3つある。
 一、天皇の地位を憲法で規定する(憲法改正で廃位が可能)
 二、占領基本法の武装解除条項を憲法に継承させる(九条)
 三、憲法で国家主権を謳わない(日本の主権はアメリカが代行)
 これにのったのが「無条件降伏論」と東大憲法の権威丸山眞男や宮沢俊義らの「八月革命説」で、土台にあるのがレーニンの「敗戦革命論」である。
「八月革命説」では、主権が天皇から国民に移ったことが根拠というが、それ以前に、GHQ憲法がすでに革命だった。英文の憲法原案で、国民(ナショナルやネーション)ではなく、人民(ピープル)ということばが使われていたのがその証左であろう。
 次回は戦後、日本はいかの共産化の危機を免れたかについてのべよう。

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