●「政治のカネ」の問題を解決するには「収支報告書」に政治家と会計担当者を連記する連座制を導入するほかない
政治家が「政治のカネ」の問題に本気で取り組んでこなかったのは結果責任≠負うシステムが機能していなかったからである。
政治資金規正法に連座制をとりいれて、政治不信と政治の無責任性に歯止めをかけなければならない。
いま国会で「政治のカネ」の問題が紛糾している。野党はここぞとばかりに攻め立てて、予算の審議はおろか、岸田首相が国民に約束した憲法や皇室典範の改正の議論もストップしたままである。だが、たいした結果をえることはできまい。東京地検特捜部が在宅起訴した政治資金規正法違反(キックバック不記載/安倍派の池田佳隆議員と秘書が逮捕)もそれほど大きな事件にはなりそうにない。
わたしが政治評論家になった昭和50年代には、大きな政治事件があった。ロッキード事件、グラマン事件、俗にいう日商岩井事件などだが、グラマン事件の海部メモ(日商岩井の海部八郎)はわたしが世に出した。日韓疑惑事件では、大蔵省メモが中心になったが、この真相究明も、わたしが社会党の大出俊議員を国会質疑に立たせた。ほかにリクルート事件や東京佐川急便の巨額債務保証(4395億円の)などの大きな事件があったが、これらはすべて刑事事件になった。
94年の政治改革(小選挙区と政党交付金)にもとづく「政治とカネ」の問題は、たいした結論はでてきそうにない。臨時審査会(「政治倫理審査会」「令和臨調」)は証人喚問ではない。出てもいいがでなくてもよい任意の会で、強制性も刑罰もないところで、じぶんの不利益になる発言をする政治家がいるはずはない。
河野洋平は、じぶんが自民党総裁だったときにおこなわれた94年の「政治改革」は失敗だったとみずから白状している。このとき、企業や団体からの献金が禁止されただけではなく、選挙区も中選挙区から小選挙区へとかわった。
二大政党体制のための小選挙区と謳ったこの選挙改革も、政党助成金で台なしになった。
政党助成金は国民の負担金250円の合計300億円が政党に分配される。
最低5人で、政党助成金が支給される仕組みだが、この政党助成金が、二大政党どころか多党化の流れをつくる結果となってしまった。
昔は、同志が5人集まってもカネがないので政党がつくれなかった。
その代わりに派閥という政策団体ができた。派閥に反発したのが小沢一郎で、二大政党制をうったえて小選挙区制つくったが、抱き合わせの政党助成金によって、真反対の多党化を招いて、日本の政治をポピュリズムへと堕落させた。
そのポピュリズムの象徴が「政治とカネ」の問題で、政治や経済、外交の問題そっちのけで、政治家の金銭問題だけがスキャンダラスに扱われるようになった。そしてその一方、マスコミ世論は、政治や経済、外交の問題に目をむけなくなってしまった。
「政治とカネ」の問題に決着をつけるには、収支報告書に政治家と会計責任者を連記させる連座制を採用するしかない。テレビにでてきた政治家が連座制について問われて、秘書との信頼度の問題があると応えていたが、これには異議がある。
昔は、秘書を見れば政治家が有能かどうかわかるといわれた。
有能な政治家には有能な秘書がいる。その信頼が連座制によってゆらぐという理屈はとおらない。じぶんの秘書さえ使えないようでは有能な政治家ということはできない。
いちばんの問題は、政治家がどんな責任をとるのかということ。
いままでのように秘書や会計責任者に責任をかぶせてゆくのか。
それとも、政治家も、ともに責任を負うのか。
会社の決算も、社長が責任者で、決算書をつくった経理部長ではない。
決算報告書は、代表者と会計責任者の連記にして、政治家が責任を負う仕組みにしておけば、秘書にまかせっきりという政治家の言い訳は通用しなくなる。
政治は政治家、カネは秘書や会計責任者というのでは、政治家がカネに無頓着になるのは当然である。
「政治のカネ」の問題は、罰則がないかぎり、なにをやっても解決しない。
最大の問題は、結果責任をどうとるのか、政治資金規正法をどう改正するのかである。
規正法に連座制を明記すべきである。
連座制を設けて、政治家に責任をもたせよ。
これ以外に「政治とカネの問題」を解決する方法はない。