2024年03月31日

 山本峯章チャンネル 苦言直言第19回

 米議会で、日本のアメリカサポートをアッピールする岸田首相は第二の安倍首相になれるか
 岸田首相は、経済派の政治家というのが定説で、わたしは、あまり評価していなかった。
 LGBT法などというばかな法案をとおした衆愚論者とも見えた。
 だが、これまでの実績をみて、見直すべきところがなきにしもあらずの観を抱かざるをえない。
 岸田がやってきた政策には、どこか、安倍元首相につうじるものがある。
 安倍さんは、TPPやインド太平洋構想など日本の首相の発想にはなかったことを堂々とやってきた。
 TPPも アメリカが抜けたあと 日本がひきついで 11か国をまとめあげて 成功をおさめた。
 日本の歴代首相にはそんな気力も胆力もなかった。
 安倍はそれをやった。アメリカも安倍さんに一目おいた。安倍さんは日米の関係に新しい流れをつくったのである。
 日本の指導者にこれまでそんな逸材はいなかった。
 岸田がとおした防衛3文書(国家安全保障戦略/国家防衛戦略/防衛力整備計画)を、安倍さんがやったらどうだったろうか。
 朝日や毎日、東京の3紙や共同通信など左翼メディアは、安倍叩きに走ったはずである。
 ところが、岸田は叩かれなかった。
 岸田は 日本はアメリカをサポートする時代に入ったと発言した。
 吉田茂以来、対米従属だった日本の首相がそんな思い切ったことをいう時代になったのか!
 岸田は 本気で政治を考えているのかもしれない。
 憲法改正と皇室典範の改正をじぶんの任期内にやるといっている。
 任期は9月までなので 時間的にムリだろう。
 だが、岸田のやる気はじゅうぶんにうかがえる。
 これまで、岸田を過小に評価してきたのは、宏池会は、そんなことができる派閥ではなかったからだ。
 河野洋平、宮沢喜一、鈴木善幸らをみてもわかるとおり、かれらの政治的な決断にかんして見るべきところがなかった。
 岸田首相は、4月の訪米の折りに議会で演説をするという。
 岸田演説に期待するところおおいに大である。
 わたしは、岸田を過小評価していたかもしれない。
「カネと政治」の問題で、率先して派閥を解消して、他の派閥が岸田に倣った経緯もある。
 岸田は、自民党の派閥政治をくぐり抜けてきた。
 左と右が共存してきたのが自民党政治だった。
 右派が失敗すれば左派へ、左派が失敗すれば右派へ、疑似政権交代で危機を
のりこえてきたのである。
 派閥を解消して、自民党は、どうやって、政権を安定させるのか。
 これからが岸田の手腕のみせどころである。

 岸田は日本がアメリカをサポートする時代に入ったという。
 それなら、それこそ、対米従属から脱却する好機である。
 日米地位協定も変えるべきときにきている。
 ドイツもイタリアも基地の管理権は自国がもっている。
 アメリカ兵の犯罪を、じぶんの国で裁くことができるが、日本はそうなっていない。
 日米地位協定にはじまる対米従属を岸田は打ち切れるか。
 岸田に対米脱却まで望むのは、期待が大きすぎるとしても、やるべきことが他にもある。
 岸田は、九月までに、憲法改正と皇室典範の改正をやりたいといっている。
 憲法改正は、時間的にムリでも、皇室典範の改正はできる。
 公明党は、女性宮家をつくることに賛成の意を表した。
 女性宮家は一代限りで、夫や子どもは皇族になれない。
 自民・公明の岸田政権は、皇室典範の改正をやる気で、公明にはたらきかけたのか。
 岸田は 皇室典範の改正をやってくれるのかなという期待がわたしのなかにうまれている。

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2024年03月24日

 山本峯章チャンネル 苦言直言第18回

 日本に「戦犯」は存在しない。衆議院決議をとおして 戦争犯罪人を意味する「戦犯」という用語は、正式に撤廃されたからである
 

 そして、連合国側のいうA級戦犯7人の死刑は「法務死」となって靖国神社へ合祀された。
 ところが、マスコミはいまだに戦犯という連合国側の用語を使っている。
 戦犯は東京裁判史観にもとづく用語で、戦犯ということばが使われてきたのは、日本が戦争に負けたからである。
 戦争犯罪は事後法で、戦争に負ければ戦犯になるが、戦争に勝てば戦犯にはならない。
 戦犯というのは、戦争犯罪をさすのではなく、戦争に負けたというあかしであって、日本は戦争に負けたので、戦犯の国になったのである。
 昭和28年、衆院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が採択された。
 7人のA級戦犯ほか海外でも大勢の軍人が処刑されている。
 かれらには家族がいる。かれらにも遺族年金を払いたいという国の切実なる配慮から「刑死」は「法務死・公務死」へと呼称がかわって、年金の支払いがおこなわれるようになった
 日本には戦犯はいない、ということを、国家が国会で決めたのである。
 ところが、諸外国やマスコミが戦犯ということばを平気で使うので、戦犯があたりまえの呼称になってしまった。
 日本に戦争犯罪人ではないとして、国会で赦免決議をしているではないか。
 日本人は国会決議をどう思っているのか。
 国会の決議によって、遺族は年金をもらっている。
 戦犯が戦争犯罪人だったのなら、遺族年金の支給もやめなければならない。
 だれもそんなことはいえない。
 それなら戦犯ということばも使ってはならない。
 みずからを戦犯と呼ぶ戦後日本の卑屈な風潮は、アメリカの指導によるもので、日本は悪い国という宣伝が日本という国のすみずみまでゆきわたった。
 輪をかけたのが、戦後、吉田茂がとってきた対米従属という偏った外交政策だった。
 ここから抜け出さなければ日本の自主路線はむずかしい。
 
 石原慎太郎元東京都知事が横田空域について注文をつけたことがあった。
 意外なことに、外務省は、横田空域の撤廃に反対の立場をとっている。
 外国が横田空域にミサイルを撃ち込んできた場合、アメリカに戦争をしかけたことになるので、結果として、安全保障上の効果が期待される。
 だから 横田基地が日本の安全保障に役立っている? というのである。
 それこそ 対米従属のそのもので、日本は、国家の主権についてもっと真剣に考えるべきだ。
 横田基地については、日米地位協定と切り離して考えることはできない。
 米軍基地の使用に関しては、日米地位協定で規定されているからである。
 日米地位協定を変えようといううごきもある。
 横田基地は、事実上、主権がおよばないという問題があるからである。
 アメリカから横田に飛んできて、横田基地から日本に入国する。
 日本では、そんな治外法権のようなことがまかりとおっている。
 ドイツやイタリアは独自の管理権をもっている。
 駐在米軍がなんらかの罪を犯した場合、ドイツやイタリア側に裁判の権利があるのである。
 ところが、日本ではそうなっていない。
 横田に逃げこまれてしまうと、裁判権も米側にいってしまう。
 日米関係も多くを変えなければならない時代にきている。
 日米地位協定を改定しようというのは、対米従属は、地位協定からきているからである。
 日米安保条約はかんたんには変えられない。
 日米安保はほうっておけば十年ごとに自動延長になる。
 変えるべきは日米地位協定のほうである。
 マスコミや左翼・反日勢力が戦犯ということばを使いつづけるのには理由がある。
 左翼や護憲派などは、あの戦争は侵略戦争で、まちがいだったということにしておきたいからである。
 そして、悪い戦争をおこなった軍人たちは戦争犯罪人だったと。
 左翼や反日勢力は、今後も、その見解を捨てることはないだろう。
 だから戦犯のいうことばを平気で使うのである。
 ところが昭和28年の国会決議で 戦犯ということばは死語になった。
 国会決議はそんな軽いものではないはずである。

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2024年03月17日

 山本峯章チャンネル 苦言直言第17回

 陸上自衛官幹部の靖国神社への集団参拝をマスコミが批判報道! 昭和30年代の反自衛隊感情をひきずったままの左翼マスコミ
  陸上自衛隊幹部22人が靖国神社に参拝したとして 新聞各社やTBSなどのマスコミがこれを批判的に報道した。自衛隊員の靖国参拝は プライベートで 公用車を使ったことに、多少、非があるとしても、自衛隊員の靖国参拝になんの問題もない。
 新聞各社は「(自衛隊員は)「神祠、仏堂、その他宗教上の礼拝所に部隊参拝することは厳に慎むべきである」とあるとした1974年の事務次官通達を問題にしたが、こんなばかな通達は、即刻、取り消されるべきである。
 靖国神社にはすくなくとも明治維新以降、250万人もの英霊が眠っておられる。
 一般のひとは祀られていない。この国のためにたたかった兵士、この国をまもるために犠牲になった兵士、この国の防人となった兵士が眠っておられる。
 その靖国神社に自衛隊員が参拝して、左翼マスコミが大騒ぎしてこれ叩く。異常というしかない事態だが、これこそ、日本のマスコミが、まだ、まだ昭和30年代の精神構造にある証拠である。
 30年代は自衛隊と機動隊は批判のマトだった。当時、闘争の多い時代で、機動隊がデモ隊などの機制に入ると、税金ドロボーと怒声を浴びせかけられた。
 自衛隊も国をまもる存在として認知されていなかった。
 自衛隊の練馬駐屯地に詰めていた自衛隊員は、近所に四畳半のアパートを借りて、そこで制服から私服に着かえて町へでかけたほどだった
 当時、敵が攻めてきたら戦いますかという自衛隊員へのアンケートも、自衛隊をやめて田舎に帰りますという答えも少なくなかった。
 われわれが学生時代のころの話だが、愛国心がなければ、自衛隊は、国立職業訓練所とかわらない。
 そんな憎まれ口をたたいたものだった。
 自衛隊にかんしてよかったと思うのは、赤城宗徳の決断である。
 60年の安保闘争のとき、岸首相は、赤城宗徳防衛庁長官に自衛隊の出動を要請した。
 この要請を赤城長官は敢然と拒否した。
 連日、20万、30万の全学連や労働組合員、左翼が国会をとりかこんでいた。
 このとき「ハガチー事件」がおきた。
 安保条約が成立したらアイゼンハワー大統領が来日して挨拶する予定だった。
 その段取りのために来日した大統領秘書の車をデモ隊がとりかこんだ。
 横田基地から米軍のヘリコプターが飛んできて、ハガチーを救出した。
 こんなことでは日本へ行けないとなってアイゼンハワー大統領の訪日も中止となった。
 岸首相が赤城長官に自衛隊の出動を要請したのはそういう流れのなかだった。
 赤城長官は「できません。自衛隊が国民に銃をむけることはできない。どうしてもというならわたしのクビを切ってからにしてください」とカミついた。
 それで岸はアキらめた。赤城先生は正しかったといまさらながら思う。
 あの段階で自衛隊を出動させていたら現在の自衛隊はなかったかもしれない。
 現在は、大勢が自衛隊をみとめている。だが、当時は、自衛隊員に税金ドロボーと罵声を浴びせる風潮が残っていた。
 わたしは新島闘争や安保闘争をやってきた(右派の)学生運動家だったので自衛隊の問題には敏感になる。
 そのわたしが安保闘争で自衛隊を動員させなくてよかったと思っている。
 出動させていたら自衛隊のイメージがちがっていたはずである。
 最近、テレビでは、毎日、自衛隊出身の論者が安全保障や外交、防衛や戦争について積極的に発言している。
 30年代にはそんなこと考えられもしなかった。
 税金ドロボーといわれていた時代で、自衛隊も防衛庁も肩身が狭かった。
 いまでは、国民も、自衛隊の存在をみとめるようになった。
 だが、90%の憲法学者は 依然として 自衛隊は憲法だと叫んでいる。
 今回の自衛隊幹部22人の靖国神社参拝にマスコミがあれほど騒ぐのをみてマスコミは30年代からなにもかわっていないのだなとかんじる。
 自衛隊員の靖国参拝は、防人として、模範的な態度である。
 万が一、外国が攻めてきて、自衛隊員が国をまもるためにたたかって、不幸にして戦死した場合、日本は、その自衛隊員をどう祀るのか。
 日本には、そのための施設も名誉を称える思想もない。
 亡くなった自衛隊員はじぶんの田舎で弔えばよいというのであろうか。
 それでは防人としてのかれらの名誉をまもることはできない。
 自衛隊員がこの国をまもるために亡くなったのであれば それは名誉の戦死でなければならない。
 いまの日本には そのための体制がない。
 現在の自衛隊は刑事法でなりたっている。 
 敵が攻めてきて、戦闘がおきて、そこで自衛隊員が戦死した場合、国はどう対応するのか。
 戦闘中、予期せぬ事態が生じた場合、現在では刑事法が適用される。
 適用されるべきは、戦時法(軍法)でなければならない。
 一般の刑事法で戦争を裁くことはできない。
 一般法規で 軍人の名誉は まもれない。
 国家のために戦う兵士に 刑法をもちいるような体制ではダメなのである。
 靖国に眠る英霊、なかには 学徒動員で動員された多くの青年もいる。 
 国家をまもる自衛隊員がその英霊にお参りするのは美しい行為だ。
 マスコミが集団参拝は通達違反だとして騒ぐのはまちがっている。
 本当に勇気ある政治家がいるなら、50年前だされた次官通達などさっさととっぱらうべきである。
 あの時代の自衛隊の認知度と現在の認識はまったくちがう。
 マスコミがそのことに気がついていないことを残念に思う。

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2024年03月10日

 山本峯章チャンネル 苦言直言第16回

 政治資金規正法改正で、会計責任者に違反があった場合、政治家にも責任を負わせる連座性≠とちるべき
 政治維新(政治資金改正法)では、結局、なにもでてこなかった。
 強制性がなく、罰則もない審議会では、新しいなにかがうまれるはずもない。
 政治家が国会でじぶんに不利なことをいうはずがないからである。
 わたしはこれまで連座制をとりなさいといってきた。
 連座制なくして、政治資金改正法の審議会で、新しい結論がでるはずがない。
 野党の狙いは、自民党を脱税で叩くことにある。
 事実、検察は、刑事事件にしようとして、安倍派や二階派、宏池会の捜査をすすめてきた。
 だが、脱税では事件にできなかった
 あったのは政治資金報告書の誤記、不記載だけだった。
 だが、野党にとって、今回のパーティ問題が自民党叩きの大チャンスだった
 四月には衆院の補選(東京15区、島根、長崎)が3つある。
 選挙戦で自民党の政治資金法の違反をとりあげるには、不記載よりも脱税にした方がインパクトがつよい。
 野党はそこに追いこみたかったのだろうがムリがあった。
 現在、自民党は党則を変えようとやっきになっている。
 どういう責任のとりかたがあるか、頭を悩ませているのである。
 金額の多寡なども対象になっているが、これといったきめてがない。
 今回の政治資金法の改正の原点は94年の「政治改革四法」にある。
 国民から300億円も集めて政党助成金としてもらうからには企業団体からの献金や寄付はうけないと国民に約束した。
 そうでなければ国と企業団体からの両取りになる。
 だが、献金も、政治家個人にたいしてはダメだが、政党支部ならいいというあいまいな仕組みのまま30年がたって現在の「カネと政治」の問題が生じた。
 会計担当者や秘書だけに責任を負わせるやり方はもう通用しない。
 それでは、議員もなんらかの責任を負うのか?
 いま国家でいわれているのが監督責任である。
 議員立法では、議員を縛る法律を議員がつくる。
 したがって、法律や罰則が甘くなる。
 これではふたたび同じことがおきる。
 連座制という大ナタをふるって、議員の免責というなれ合いをやめるべきだ。
 会計担当の秘書が逮捕されるような事態になったら、政治家もひとしく罰をうけるという連座制をとらなければ、現状を変えることはできない。
 国民も、監督責任などというあいまいな決着のつけかたでは納得しない。
 政治資金収支報告書は、政治家の政治活動そのもので、秘書の収支決算書ではない。
 最終的には、政治家が責任をとるべきで、政治家が逃げたら国民が声をあげなければならない。
 そのきめてとなるのが連座制で、秘書だけが罪を負って、刑に服するのではなく、政治家もひとしく刑に服するとすれば、言い逃れやゴマカシができない。
 連座制を定着させるには、提出する報告書に氏名を連記することである。
 野党は脱税で自民党を追いこむことにやっきである。
 それが野党の党利党略で、国益とはなんのかかわりもない。
 つぎの選挙で、有利な材料をつくろうという思惑だけで、野党の自民党叩きは政治の本筋から外れている。
 自民党がこれからの政治をどうするのかといえば、政治に責任をもつことにつきる。
 それには、自民党がみずから連座制をとって、野党から叩かれるようなごまかしをやめることである。

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2024年03月02日

 山本峯章チャンネル 苦言直言第15回

 アメリカの核の傘≠ニいう幻想を捨てなければ、日本は世界の防衛戦略のレベルから大きく立ち後れる
 加瀬英明はトルーマンの原爆投下の決定に参画したジョン・マックロイに「日本が核兵器をもっていたら日本に原爆を投下したか」とたずねた。マックロイの返事はNOだった。「日本が原爆を持っていたらアメリカは原爆の使用をあきらめた」
 加瀬さんから直接うかがった話である。
 核の抑止力は「相互確証破壊」にある。
核の傘≠ノ相互確証破壊は通用しない。
 したがって核の傘≠ヘ破れ傘なのである。、
 戦後日本は日米安保条約のなかでずっと核の傘ということばをつかってきた。冷戦構造が解けて、東西対立の時代が終わった。日米新時代になって、日米安保条約のかねあいからアメリカの核の傘≠ニいうことばが日常的に使われるようになった。
 宏池会は外交や政治面の期待はできない。そのなかで小野寺五典は宮沢派にいながら防衛問題とよく勉強している。その小野寺さんがテレビでわが国はアメリカの核の傘の下にあるというような話をしていた。
 ちょっとちがうぞ。核の傘などというものはない。
 中国と日本が戦争になって、中国が日本に核を使った場合、同盟国のアメリカが中国に核で報復してくれるかといえばそれはありえない。
 アメリカが核を北京に撃ち込んだら、北京はワシントンに核を撃ちこむ。
 アメリカが同盟国日本のために何百万人の自国民を犠牲にするだろうか?
 米中とも核保有国なので相互確証破壊≠ニいう論理がはたらく。
 ということは、米中間で核戦争はおこらないということである。
 日本をまもる「核の傘」の論理はすでに破綻していたのである。
 日本のためどころから、世界戦争になっても、アメリカは核を使わない。
 核の傘という幻想をふりまいているのは日本の政治家だけである。イギリスの外相は「同盟国は最後まで運命をともにしない」とのべたというが、それが同盟の本質で、政治は、あくまで、国民と国家をまもるためのものである。
 他国のために核を使って、自国や自国民が多大な犠牲をこうむるというありえない話がすでに政治の原則から外れているのである。
 フランスのドゴールは、フランスの核保有にアメリカが反対したとき、ロシア(当時はソ連)がフランスに核を撃ち込んできたときアメリカは報復としてロシアに核を撃ってくれるのかとたずねている。アメリカは黙ってしまった。そのやりとりのあとフランスは核武装したのである。
 小野寺さんは運命共同体ということばを使ったが、認識が甘すぎる。
 トランプはコストの問題からアメリカはNATOから抜けるなどの発言をしている。アメリカの経済的負担を軽減させようというハラで日本にも同じ姿勢をむけてくるだろう。
 それが政治で、政治とはエゴイズムのかたまりのようなものである。
 日本は、運命共同体と称する対米従属の姿勢で、核の傘に頼りきっていいものだろうか?
 アメリカが日本のために核を使用することなどありえない。
 ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコがニュークリア・シェアリングして、アメリカの核兵器を受け入れている。
 ロシアが核を使ったら撃ち返すぞというわけだが、実際に使用できるわけではない。
 持っているだけで抑止力になる〜それが核抑止力である。
 対米従属の根本にあるのが1951年の日米安全保障条約である。
 吉田茂がサンフランシスコ条約と同時に署名した旧安保条約では、日本のどこにでも米軍基地をつくれるばかりか、アメリカは、日本を防衛する義務すら負っていなかった。
 岸の60年安保によって、対米従属から相互防衛と日本の主権尊重の現在の日米安保条約へ更新された。
 日本が対米従属から脱皮するには「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を緩和すべきだろう。
 具体的には、持ち込ませずをゆるめて、核兵器を搭載したアメリカの原潜がつねに日本近海にいて、核装備した空母がいつでも日本の港に立ち寄れるような軍事的環境をつくることである。

 戦略としても戦術としても、アメリカが同盟国のために原爆をつかうことはありえない。
 核の傘の下で安全を保っているという日本の政治家はウソをやめるがよい。
 核は二国間の抑止力としてはたらくが核の傘≠ニいう集団安保には機能しない。
 アメリカは、世界のどの国にも核を使わせないというポリシーをもっている。
 ウクライナ戦争でも核は使われなかったが、今後、使われる可能性もない。
 ウクライナ戦争は、ウクライナのなかの戦争で、ウクライナはロシア本土を攻撃できない。
 アメリカが止めているからで、世界戦争に歯止めをかけるためである。
 ウクライナ人が、ウクライナをまもるためにウクライナ国内で死んでゆくのがウクライナ戦争で、ロシアの国内ではいかなる戦闘もおこなわれていない。
 ウクライナの戦争は専守防衛の戦争だったのである。
 ウクライナが敵基地攻撃能力をもっていれば様相はかわっていた?
 専守防衛を叫ぶ日本が戦争をすればウクライナの二の舞になるのである。

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