●公共事業の“民営化”で日本経済は立ち直る
日本経済が、ジリジリと、後退している。
経済評論家ではないので、政治の視点からしか物をいえないが、現在の不況は、明らかに、政治の欠陥がもたらしたものだ。
政治が無力なために、経済が、活力を失っているのである。
この流れをつくったのが、小泉元首相の「聖域なき構造改革」だったのは、いうまでもない。
小泉の経済改革は、日本の伝統的な需要サイド重視型の経済を、供給サイド中心型の経済へ変更する、経済のアメリカ化だった。
前者が「公共投資」型経済で、後者が「市場中心」型経済である。
日本は“年次要望書”をテキストに、アメリカの「技術革新」「合理化」「効率化」「民営化」「グローバリゼーション」を主軸とする新自由主義をとりいれて、これまで、日本経済をささえてきたケインズ主義を捨てた。
その小泉は、道路公団・郵政という、旧橋本派の利権をぶっつぶしただけで、緊縮財政と国民の負担増、リストラ(効率化)、格差拡大、民営化、自由化と外資の優遇などの新自由主義の負の部分だけを先行させ、供給サイドによる経済の活性化のほうは、何の成果もだせないまま、降板した。
新自由主義といっても、古典派経済学(アダム・スミス=「神の見えざる手」)の焼き直しにすぎない。
技術革新や企業の合理化、経営の効率化によって、経済が発展・拡大するというのだが、日本では、携帯電話マーケットに、多少、貢献したにすぎない。
供給サイド(企業)が、いくら、精鋭化したところで、需要サイド(消費者)がやせ細って、経済が、発展するわけはない。
日本経済を発展させるには、需要サイドを活性化させるケインズ型経済へもどるしかない。
ところが、小泉改革をささえてきた経済学者、アナリストらが「財政赤字で日本経済は破滅する」「公共事業は税金の無駄づかい」「小さい政府」「道州制による中央集権からの離脱」などと新自由主義的な主張をくり返し、これに、マスコミが追従している。
日本経済が、新自由主義でジリ貧になる一方、公共投資型の経済にもどることもできず、両者の中間点で、宙ぶらりんになっているのは、そのせいである。
政治の無力が経済に反映されているというのは、そういう意味で、このまま、政治が手をこまねいていると、日本経済は、身動きがとれないまま、立ち枯れしてしまいかねない。
戦後、日本経済は、大規模な公共投資をおこなって、生活・経済両面のインフラを充実させてきた。そのため、巨額の財政赤字がつみあげられたが、その恩恵をうけているのは、国民や企業である。
国家は、国民や企業からカネを借りて、国民や企業のために、高度な文明インフラを整備した。だが、国民は、その代価を国に払っていない、というのが、財政赤字の構造である。
AさんがBさんからカネを借りて、Bさんのために家を建ててやり、Bさんは快適に暮らしている。AさんにはBさんにたいする借金だけが残ったが、Aさんの、Bさんにたいする借金は、海外へ流出したわけではない。
AさんとBさんの共有資産として残っている。新自由主義の経済学者がいうような、Aさんが破産して、Bさんが借金をとりそこなうという、単純な話ではないのだ。
といっても、ムダな公共事業がなかったわけではない。
だが、それは、計画を立てた霞ヶ関の失策で、もともと、公共投資は「乗数効果」によって、何倍もの有効需要をうみだすメカニズムをもっている。正しく運用すれば、財政赤字を消しこんでゆく積極策になりうる。
むろん、ただたんに、公共事業を丸投げすると、小渕内閣のときの「竹中(平蔵)十兆円プラン」にように、特定企業の食い物になるだけである。
だが、やりかた次第で、打ち出の小槌になる。
公共事業を<民営化>するのである。
公共事業は、本来、政治的な局面や国家的な課題とリンクしていなければならない。
現在、日本は、少子化・老齢化、食糧自給、エネルギー、環境、地域格差、百万人ニートなど、多くの政治・社会問題をかかえている。
東京湾奥空港(ハブ)建設計画、首都圏機能分散計画(関東全県の首都機能化)、全土環境浄化計画などの大型プロジェクトも、もっと、真剣に議論されてよいだろう。
公共事業は、重要政策とつなげることで、平成の“富国強兵”になりうる。
公共事業は、役人ではなく、経団連・日本商工会議所・経済同友会などの経済諸団体とチームを組み、民間投資を視野にいれた、国と企業のジョイント・ベンチャーとしなければならない。
それが、公共事業の<民営化>構想である。
公共事業といえども、需要創造・乗数効果を核とした「営利行為」である。
にもかかわらず、すべて、役人まかせにしてきた結果、予算の分捕りと消化しか頭にない、経営センス・ゼロの役人の手で、計画がすすめられ、多くの公共事業が、税金の無駄づかいにひとしいものになった。
今後の公共事業は、政府委員会と経済界代表、ケインズ派アナリストにまかせ、役人の権限を事務処理に限定する。
それだけで、日本は、ふたたび、経済の隆盛期を迎えることができる。
もっとも、道州制の法案化をすすめているような現在の自民党に、そんなセンスや能力をもった人材は、いない。左傾化と新自由主義に毒されている政党に、そんなことをもとめるのが、土台、むりな話だろう。
元経済企画庁長官・平沼赳夫の新党結成をまつしかない。逆にいうと、新公共事業計画を軸にした経済再建構想をとおして、経済界と手をむすぶことで、はじめて、平沼新党発足→保守政党再編→平沼首相誕生という道筋がみえてくるともいえる。
いずれにしても、経済再建に手をこまねいているだけの自民党には、退場してもらうしかない。
2008年07月10日
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