2010年07月08日

 靖国神社と「七士慰霊碑」@

 ●まもられていた七士の遺骨
 村上正邦先生と静岡県熱海市伊豆山にある興亜観音を訪ねた。
 ここには、大東亜戦争戦没戦士菩提(昭和19年建立)があり、前大戦の戦没将兵者を祀る施設として、靖国神社に準ずる格式があるといわれる。
 この興亜観音に、東条英機ら戦争最高責任者いわゆるA級戦犯七名の遺骨も埋葬されている。
 七人の遺骨は、米軍によって、東京湾に廃棄されたというのが通説である。
 ところが、実際は、遺骨一部が、火葬場から回収されていた。
 昭和二十三年十二月二十三日、巣鴨拘置所内で処刑された戦争最高責任者七名の遺体は、横浜の久保山火葬場で荼毘に付された。
 米軍は、遺骨を黒塗りの箱に詰めて、東京湾に捨てたという。
 だが、このとき、火葬場長と小磯国昭元首相(A級戦犯として終身刑)の弁護人、三文字正平らによって回収された遺骨の一部が、のちに、松井岩根大将(A級戦犯として死刑)が建立した興亜観音へもちこまれていた。
 支那事変(昭和12年)当時、上海派遣軍司令官だった松井大将が、日中両軍の戦没将兵を平等に祀るため、ここ伊豆山に聖観音を建立したのは、退役後の昭和15年で、終戦の五年前のことだった。
 三文字正平らが遺骨灰を埋葬した興亜観音に、吉田茂の筆による「七士之碑」が建てられたのは、終戦から14年が経過した昭和34年である。
 だが、マスコミがこれを報じることはなかった。
 同碑が世間の注目を集めたのは、それからさらに十二年後の昭和46年、左翼過激派(東アジア反日武装戦線)による七士之碑、大東亜戦争殉国刑死一〇六八柱供養碑、興亜観音像の爆破事件によってである(柱供養碑と興亜観音像は、爆弾不発によって被災を免れたが、七士之碑は、大きな損傷をうけ、のちに修復された)。
 その四年後、戦後、初めて現職総理(三木武夫)が靖国を参拝した昭和50年、昭和天皇は、突如、靖国参拝を中止された。
 原因は、首相参拝をめぐっておきた「公人・私人論争」(三木総理は「私人として参拝」と答えている)が天皇参拝の公私論争に発展したためか、あるいは、当時、自民党から「靖国神社法案」が国会に提出されていたことから、天皇の靖国参拝が「政争の具」となるのを避けたのか、そのうちのいずれかと思われていた。

 ●昭和天皇はなぜ靖国参拝を中止されたのか
 ところが、2006年5月、日本経済新聞が、天皇の靖国参拝中止をめぐる議論に一石を投じる大スクープを報じた。
 昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀につよい不快感をおもちになっていたという内容の「富田メモ」である。
 富田朝彦は宮内庁次長(1974年〜1978年)と宮内庁長官(1978年〜1988年)をつとめた天皇の側近で「だから私はあれ(A級戦犯合祀)以来、参拝していない、それが私の心だ」とある「富田メモ」が事実なら、天皇の靖国神社参拝中止は、A級戦犯合祀だったことになる。
 もっとも、これには、保守陣営が反論をくりだして、再反論する朝日新聞など左翼陣営と激しい論戦となった。
 保守陣営の論拠は@富田メモの信憑性が疑わしいAA級戦犯合祀は昭和53年で、天皇が参拝を中止されたのは昭和50年B天皇は東条英機ら14人のA級戦犯を「忠実な臣僚」としてその死を悼んでいる(例外は松岡洋右)――などである。
 戦後、8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇が参拝を中止して、ふたたび靖国に足を運ばなくなったのは、合祀問題にくわえて、三木の元首相の「公私問題発言」と中国の圧力による中曽根元首相の参拝中止(昭和60年)などの複雑な問題がからんでいるだろう。
 いえることは、その理由の一つになっていると思われるA級戦犯合祀が、靖国神社の慣例にそったものではなかった、ということだけである。
 靖国神社に祀られるのは、戦場で亡くなった武人・軍人、軍務中に死亡した軍人に準ずる人々にかぎられる。
 したがって、大久保利通は軍人ではないという理由から、東郷平八郎や乃木希典らは、戦場での死亡ではなかったという理由から、靖国神社に祀られていない。
 A級戦犯には、松岡や広田弘毅、白鳥敏夫ら文官がふくまれており、刑死(法務死)が戦死といえるかどうかにも、疑問がある。
 事実、A級戦犯合祀には、宮内庁や歴代宮司も、つよい懸念をしめしていた。
 合祀を強行したのは、天皇が名指しで批判している(富田メモ)松平永芳宮司である。
 天皇の靖国参拝は、勝者が敗者を一方的に裁いた東京裁判、および、中国・韓国の干渉から切り離して考えなければならない。
 問題の核心は、あくまで、A級戦犯合祀が、靖国神社のルールから外れたものだったところにある。
 そのために、祭祀国家の祭祀主である天皇陛下が、英霊の眠る靖国神社に未だにお参りすることができない。
 政府は、靖国に代わる無宗教の国立慰霊施設をつくる計画を立てているが、これは、神道という国家の価値観の否定につながる。
 東郷神社や乃木神社のような慰霊施設をつくって、七士の霊を移すというが、いちばん自然ではないだろうか。
 靖国に眠る霊の還るべきところは、遺灰骨の安置されている興亜観音と思われる。
 靖国神社が、戦場で斃れた人々を慰霊する、本来のすがたにもどることによって、天皇の参拝が実現する――靖国神社にとっても、それが、最善ではなかろうか。
 祭祀王としての天皇が、日本最大の戦没者慰霊施設を参拝なさらないことは、祭祀国家としての国体にかかる重大な問題なのである。
posted by office YM at 16:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする