2011年10月31日

 国益と経済政策G

 ●馬脚をあらわしたグローバリゼーションと新自由主義
 かつて、日本で、グローバリゼーションの嵐が吹き荒れた。
 グローバルスタンダードが、最高の価値で、日本的なものは、みな、捨てるべきという論調が、当時、マスコミや御用学者の口から一斉にあふれだした。
 だが、グローバリズムの実体は、日米貿易摩擦に懲りたアメリカが、日本の弱体化と金融進出をはかって仕掛けた計略で、それが、いまなお、継続されているのが、年次要望書(日米構造協議)である。
 アメリカが、護送船団方式や談合を悪と断じると、政府は、保護的な政策をすべて放棄し、公正取引委員会や警察は、それまで、業界の慣例だった談合を次々に摘発した。
 だが、当のアメリカでは、政府が、堂々と産業保護にのりだし、談合という文化がないアメリカでは、価格操作という違法行為のチェックがあるだけである。
 中国や北欧の経済が順調なのは、国家と経済が一体化されているからで、ロシアやヨーロッパの主要国も、国家型経済へ舵をきりかえ、成果をあげている。
 ところが、日本では、新自由主義のもとで、民営化とリストラ、規制緩和をおしすすめ、デフレや円高、産業の空洞化、失業、財務の悪化という悪循環に陥っている。
 日本経済を弱体化させたのは、グローバリゼーションの名を借りたアメリカ化で、その最たるものが、新自由主義である。
 ウオール街をはじめ、世界各国で、1%の金持ちが富の大半を独占する格差社会に抗議の声をあげている。
 新自由主義が、いよいよ、世界各地で、馬脚をあらわしているのである。

 ●国家と経済の分離がアメリカの戦略
 新自由主義の弊害は、社会の格差化だけではない。
 貧者となった99%の人々の購買力が低下するため、マクロ経済が停滞するのである。
 1%の金持ちが、いくら贅沢をしても、経済は、活性化しない。
 しかも、かれらの資産の大半は、預金などで死蔵されるか、高い金利をもとめて、海外へ流出する。
 自由主義は、資本主義の黎明期にあらわれた思想で、高度な資本主義においては、害にしかならない。
 大衆の貧困化をともなう自由主義は、1929年の世界大恐慌をあげるまでもなく、国家・国民経済を破壊する。
 市場主義やリストラ、規制緩和、民営化によって、生じたのは、市場収縮とデフレ、失業だけだった。
 先進国が、新自由主義を捨て、国家的スケールで経済再建に取り組んでいるなか、日本だけが、一人、前世紀的な自由主義を掲げ、国家と経済を切り離そうとしているのである。
 日本の経済が悪化したのは、アメリカの日本弱体化計画=グローバリゼーションをおしいただいてきたからで、アメリカから、米証券の進出余地がないと文句をつけられると、山一証券を潰し、日本の銀行を一つよこせと詰め寄られると、瑕疵担保条項をつけ、ただ同然で、日本長期信用銀行を売り渡すというありさまだった。
 アメリカの戦略は、郵政をターゲットにしたように、日本の政府・官庁から金融や民間企業を切り離し、丸腰となった日本企業を米系国際金融にとりこむことにある。
 日本政府が、これに抵抗しなかったのは、アメリカの核の傘の下にあるからだが、日米安保条約は、属国条約ではない。
 日本は、政府や官僚、マスコミ、親米保守が勝手につくりだした対米従属という足かせに喘いでいるのである。

 ●中央銀行の独立性という誤った観念
 グローバリゼーションで、破壊的なダメージとなったのが、政府と中央銀行の分離(日銀の独立性)である。
 中央銀行が、政府から切り離されているのみならず、対立関係にあるなどということは、金融・経済が国家ぐるみとなっている現在の世界情勢から見ても異常きわまる。
 だが、日銀法が改正された1998年当時、マスコミや御用学者は、「中央銀行の独立性は神聖不可侵」という論陣を張った。
 小泉政権下で、突如、リストラが、新時代の企業戦略としてもてはやされたのも、同じ構造で、アメリカからおしつけられた計略が、マスコミや学者にかかると絶対善になってしまうのである。
 戦後、日本の経済が順調にのびてきたのは、企業が、雇用という社会的責任をはたしてきたからだった。
 当時、社会党は、労働組合の賃上げ闘争を支援しており、自民党も、社会党の要請を容れて、労使の政策協定をすすめた。
 国民が豊かになることによって、経済を発展させようというのが、池田勇人の「所得倍増計画」で、経済成長に合わせて、マネーサプライをふやしていけば、インフレにならずに、所得は倍増する。
 リストラ(首切り)を推奨して、国民を貧困化させれば、経済が行き詰まるのは、あたりまえの話である。
 政府から独立した日銀は、これとまったく逆のことをやっている。
 経済成長や通貨価格にあわせたマネーサプライを拒む日銀の政策(古典経済学)によって、日本は、経済縮小とデフレという二重苦を背負って、四苦八苦しているのである。
 ところが、政府は、日銀に政策を指示することができない。
 日銀は、主権をもって、国家から独立しているからである。

 ●日銀法を改正しなければ日本沈没
 ヨーロッパ各国が、政府から中央銀行を引き離したのは、ヨーロッパ23か国の法定通貨ユーロを導入(1999年決済用通貨/2002年現金通貨)するためだった。
 日銀法を改正した1998年は、その前年である。
 といっても、日本は、ユーロ導入前夜のヨーロッパの真似をして、政府と中央銀行を切り離したわけではない。
 日銀の独立性は、アメリカが、日本にもとめた構造改革である。
 そのとき、日本の政治家や官僚は、ヨーロッパを例にあげて、日銀の独立性を、グローバリゼーションの一環と説明したのである。
 アメリカの金利政策をきめる連邦準備制度(連邦準備銀行/FRB)は政府の一部門である。
 独立性をもった中央銀行のモデルとなっているイングランド銀行も、政府の方針にしたがって、金利政策をおこなっている。
 中央銀行が、政府と角突き合わせているのは、世界広しといえども、日本だけである。
 しかも、金利政策の唯一の決定者である中央銀行総裁は、中世の絶対王権のように、だれからも罷免されることがなく、死ぬまでその地位にとどまる。
 日銀の白川総裁は、「千万人といえどもわれ行かん」の心意気だという。
 これでは、日銀総裁は、創価学会の池田大作のような独裁者になる。
 独裁者、白川一人の手に、金利政策が握られているかぎり、日本は、デフレと円高で、数年内に沈没するだろう。
 日銀法の改正が、何をおいても、急務なのである。

posted by office YM at 15:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする