2006年09月07日

大物右翼や政治家をバックに読売の帝王となった渡辺恒雄

watanabe.jpg 渡辺恒雄が歩いてきたのは、権力とカネにまみれたブラック・ジャーナリズムのみちだった

 ナベツネは、読売新聞が数十年かけて築き上げてきた「中道保守」という編集方針をたった一夜で、朝日新聞と「赤旗」と同列の左寄りへシフトさせた。
 そして、テレビや外国のメディアに「おれは日本を変えてみせる」と豪語した。
 どう変えるのか? 70年前にはじめた戦争をいまもってぺこぺこと謝罪する、そんな国に、だそうだ。
 発行部数一千万の大新聞が左旋回すれば、一新聞社の論調変更だけではすまない。
 これまで中道保守の世論をリードしてきた新聞が偏向すれば、世論もそれにひきずられる。
 国民的コンセンサス、共通の価値観、伝統、和の精神がズタズタになり、日本は、六〇年安保以前の思想的混乱へ逆戻りである。平和憲法万歳と土下座外交、反省という名の伝統破壊がこれ以上すすめば、日本は、お終いである。
 読売新聞には、老人ボケで"アカ返り"したナベツネに物をいえる人間はいないのであろうか。
 これまで、営々と築いてきた読売イズムをまもろうというサムライはいないのか?
 いないという。読売は、ナベツネのワンマン体制をこえて、ナチズムやスターリニズムに体制にあるからである。
 現在、読売で、要職にあるスタッフは、取締役級をふくめ、ほぼ全員が、ナベツネに絶対服従の「誓約書」を提出している。かつて、ヒトラーがやったやり方で、そのとき忠誠度のチェックにあたったのが、かのナチス親衛隊だった。

hitler_speech.jpg ナベツネのやり方はヒトラーによく似ている

 スターリニズムというのは、権力の一本化と組織の純化である。読売にはナベツネに対抗する権力者がいない。スターリンは「粛清」で、党の純化をおこなったが、読売もまた、ナベツネの意向にそわない者を、容赦なく、追放してきた。
 ナベツネ命令一下、編集部が、それまでの方針を捨て、自滅のみちでもつきすすもうというのは、読売がスターリニズム体制に陥っている証拠である。社内に、ナベツネにモノをいえる人間がいないのは、ナチズムの恐怖政治が敷かれているからである。
 くわえて、老害という点では毛沢東であり、狂信性ではポル・ポトである。
 現在、日本に、一千万部の新聞を私物としているナベツネに、ブレーキをかけられる者がいるだろうか。こっちのほうも、皆無である。総理大臣や政治家を罵倒し、皇室を軽んじる一方、検察や警察、司法などの官憲とつるんで恐い物なしのマスコミの雄は、いまや、創価学会の池田大作以上の闇の権力者となった。
 日本でいちばん権力的な反日主義者――渡辺恒雄とは、いったい、どんな男なのか。

 KODAMA.jpg 左翼から一転、ナベツネは、ダーティな権力にのめりこんでいった

 東大時代、日本共産党の"細胞長"だったことは、よく知られている。
 共産党へ接近した動機は「天皇制反対」と軍国主義にたいする嫌悪感からだったという。
 ナベツネは、東大の哲学科以外、中学などではすべて入試に失敗、就職試験も、朝日新聞や中央公論社に落ち、かろうじて、週刊読売にひっかかったという。
 ナベツネが入学した開成中学校は、第4志望だった。第1志望は府立高校尋常科、第2志望は武蔵高校尋常科、第3志望は府立一中。自叙伝によると、このとき、母親に「あんなボロ中学に入って」と親戚一堂の前で泣かれたという。
 ナベツネは、スポーツも遊びも、友情も知らない、母親の監視下で、勉強ばかりしていた"マザコン男"なのである。
 巨人軍の代表取締役になったとき、ファールボールとフォアボールの区別がつかず、ファールで粘る選手を見て、なぜ、あの選手はアウトにならないのか、とたずねている。
 こういうタイプの人間は、男社会に目覚めると、とつぜん、暴走をはじめるものである。
 典型的な共産主義型の人間だったナベツネは、読売にはいると、豹変する。
 共産主義を捨てて、急速に、ダーティな世界にのめりこんでゆくのである。
 週刊読売の記者から、読売新聞に転属したナベツネは、警察官僚出身の社長、正力松太郎に目をかけられ、政治部へ配属される。ここから、ナベツネのダーティな第二の人生がスタートする。

banboku.jpg ナベツネの大転機となった大野伴睦との出会い

 自民党の有力政治家・大野伴睦の番記者になったナベツネは、政界とつよいつながりをもち、右翼の児玉誉士夫とも懇意になった。有力政治家と大物右翼のバック、大新聞社の記者バッジの三つが揃えばこわいものなしである。
 くわえて、元日共党員だったナベツネは、それなりの政治力もそなえていた。
 新聞記者が、取材の範囲をこえて取材対象と特殊な関係にはいることを新聞業界では「社外活動」と呼び、処分の対象とされる。ところが、大野伴睦や児玉誉士夫の子分役をつとめ、九頭竜ダム建設の補償問題や乗っ取り事件などに関与しながら、ナベツネは、処分されることがなかった。
 児玉の威光を着て、クビにできるならやってみろと、居直ったのである。
 ちなみに、特派員としてワシントンに出されたのは、児玉との癒着をおそれた上層部の配慮だったが、ワシントン特派員となったナベツネは、ひそかに、児玉の対米エージェントの役をはたしたといわれる。
 ナベツネの裏人脈をしめすのが、児玉が乗っ取った出版社、弘文堂の共同経営者・株主の顔ぶれであろう。児玉や若き日の中曽根のほか、大橋富重、萩原吉太郎、永田雅一、久保満沙雄ら、戦後の裏面史を飾った政商たちが、ずらりと名をつらねるなかに、読売の現役記者、渡辺恒雄の名がある。
 児玉誉士夫の懐刀だった大橋富重の述懐によると、当時、ナベツネは、当時、経済部にいた氏家とともに、大橋の接待で、しばしば、乱痴気遊びに耽ったという。
 児玉との関係から、ナベツネは、中曽根康弘と契りをむすぶ。
 児玉と中曽根、ナベツネが暗躍したのが、かつて、週刊誌をにぎわせた「九頭竜ダム事件」である。
 一九六五年から国会でも問題になったこの事件は、結局、うやむやのまま、葬られたが、石川達三の『金環蝕』の題材になったほど根の深い政界疑獄で、真相は、いまだに謎である。
 ナベツネは、この事件の当事者である。疑獄史では、児玉が中曽根や読売新聞の渡辺を使って、水没する鉱山の経営者から一千万円(現在価では一億円以上)をうけとって補償問題を解決しようとして失敗、一千万円の返済する話になっているが、ことの真相は、そう単純ではない。
 事件の核心は、中部電力の九頭竜ダムの建設業者指名をめぐって建設業者が、池田や岸に巨額の政治献金をおこなった、ダム工事の「不正入札」である。

nikkan-zyouyaku.jpg 利権の巣窟となった「日韓条約」(右が椎名外務大臣)

 日韓条約のフィクサーといわれた児玉は、有償・無償五億ドルの経済援助をめぐって岸信介、佐藤栄作、福田赳夫、椎名悦三郎らの背後で、キックバックや事業計画に暗躍したとされるが、その周辺でうごきまわっていたのが、ナベツネなのである。
 社外活動で、フィクサーまがいのことをやっていながら、読売から処分されなかった理由が、おわかりだろう。児玉や中曽根、ときの首相などの権力に癒着していたナベツネをだれも切ることができなかったのである。
 そのダーティーな実績や人脈を逆に武器にして、読売新聞のなかに、じわじわと権力をひろげてゆき、ついに、読売新聞を乗っ取ったのが、読売の<ナベツネ帝国>の実態である。
 ナベツネの権力の源流は、児玉なのである。
 そして、いま、日本共産党に回心して、反日記事で読者を欺いている。
 ナベツネが疫病神であることは、読売巨人軍を私物化し、それまでの伝統ややり方をぶち壊してチーム改造をおこない、ジャイアンツをたちまち二流チームにしてしまったド素人ぶりをみれば、よくわかる。
 ナベツネは、児玉や中曽根などの権力をかさに着て、これまで、すき放題やってきたので自信過剰になり、これからもそのやり方が通用すると思っているが、何事につけても、ガリ勉しかできない、ただの素人である。
 それが、突如、反日主義にめざめて「日本を変える」などと咆哮している。
 こういう男をいつまでもマスコミの帝王にしておいてよいものであろうか。
posted by office YM at 14:05 | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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Tracked: 2006-09-07 20:50