政府は、集団的自衛権について考える有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の第2回会合で、公海上で、米艦船が攻撃をうけた場合、自衛隊がどこまで応戦できるかについて、議論をふかめ、集団的自衛権の行使をみとめていない政府の憲法解釈を見直すべき、とする姿勢をうちだした。
久間章生防衛庁長官(当時)が、昨年10月、衆院「国際テロ防止・イラク支援特別委員会」で、自衛隊法第95条を根拠に「反撃可能」と答弁したとおり、現行の法解釈でも、海自艦船は、公海上(近隣)の米艦船をまもることができる。
だが、これでは、集団的自衛権が、自衛隊法の解釈にすりかわってしまい、本筋の議論から外れる。
そのそも、この集団的自衛権は、政府が、内閣法制局の「あるけど行使できない」という解釈を採用したところから、迷走しはじめた。
内閣法制局は、事務官僚で、政治意思や政策にたいする独自の見解をもたず、もってはならない部署である。
そういうところへ、歴代首相が「どう解釈すればいいのか」と教えを乞うてきたため、先のわけのわからない解釈が、国の政策として、定着することになった。
同懇談会は、その愚をくり返さないためのもので、今回のふみいった解釈は、やっと、内閣法制局から"乳離れ"できた最初の一歩といえるだろう。
集団的自衛権は、基本的には、@国益とAモラルにかかる問題で、憲法や自衛隊法など法解釈のテーマではなく、日米安全保障条約を軸にした同盟関係論の問題である。@の国益は、大前提で、別の機会にふれるのでさておき、今回は、モラルについてのべる。
友軍や同盟軍が攻撃をうけた場合、駆けつけて助けるというのは、同盟関係のモラルで、これを理屈で、うんぬんしても、仕方がない。
それが、結論である。
日本の近隣には、中・ソ・朝という、核武装国家があるが、日本は、アメリカの傘の下にあるので、さほど、脅威をかんじない。日本は、同盟関係において、核武装をすませ、中国やソ連、北朝鮮と丁々発止とやっているわけで、アメリカとの同盟が切れたら、自前で核武装するか、丸腰のまま、中・ソ・朝の前で小さくなっているしかない。
ということは、すでに日本は、アメリカの集団自衛によって、庇護されているのである。
公海上で米艦船が攻撃をうけたとき、「遠すぎる」やら「周辺事態や武力攻撃予測事態などの情勢緊迫時」の要件をみたしていないと、放置するのは、北朝鮮から東京に核ミサイルがとんできても、アメリカが知らぬ顔をするようなもので、同盟関係の崩壊である。
アメリカの核の傘は、すでに、抑止力として発動されている。
そのことを頭にいれておかなければ、現実的な議論にならない。
貴国が攻められたら応援に駆けつけましょう、というのがモラルで、国益にもかなっている。
この集団的自衛権は、与党内の公明党が絶対反対、逆に、野党の民主党に同調者がいるというふうに、ネジレ現象がおきており、憲法改正問題と同様、今後、紆余曲折があるだろう。
いずれ、機会をみて、その問題にも、ふれる。