2017年07月11日

 万世一系と「女系天皇・女性宮家」D

 ●伝統主義と祭祀国家
 女性・女系天皇問題に「男女平等」をもちだすのは憲法違反でもある。
 現憲法では、第2条で、皇位の世襲が謳われているからである。
 そして、皇位の継承については、皇室典範の定めるところによるとしている。
 皇室典範の第1条には、皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承すると明記されている。
 憲法が男女不平等≠宣しているのである。
 憲法14条(法の前の平等)には「国民は、人種、信条、性別、社会的身分または門地によって差別されない」とある。
 すると、2条と14条は矛盾していることになる。
 近代法である現憲法のなかで、天皇条項だけが、伝統という非合理性の上に立っているのである。
 これは、重大なポイントで、わが国では、伝統が、憲法において担保されている。
 民主主義の使徒、マッカーサーですら、天皇という伝統的存在を合理性から切り離さざるをえなかったのである。
 自民党の二階幹事長が「現代は女性尊重の時代で、天皇陛下だけはそうならないというのはおかしい」というのは、憲法に謳われている二重規範をみない浅はかな考えで、アメリカ人のマッカーサーに及ばない短慮である。
 憲法に伝統が謳われていることに大方の日本人は無関心で、皇統の男系相続には「合理的根拠がない」(山尾志桜里議員)などの愚論がまかりとおっている。
 伝統が不合理なのはあたりまえで、その代表が神話や祭祀である。

 沖ノ島の古代祭祀が世界遺産に登録された。
 沖ノ島で国家的な祭祀が始まったのは大和朝廷の初期の4世紀である。
 その古代祭祀が廃れたのは、宮中祭祀が確立され、伊勢神宮、全国の神社が整備されたからであろう。
 古代祭祀は、その一部が宮中祭祀にひきつがれて、現在に残る。
 世界遺産委員会が沖ノ島(沖津宮)のほか、内地の宗像大社中津宮・宗像大社辺津宮、新原・奴山古墳群など八つの構成資産のすべてを世界遺産にみとめたのは、宮中祭祀にひきつがれた古代祭祀の歴史的連続性を評価したからである。
 沖津宮と中津宮、辺津宮の3女神を生んだのが天照大御神で、皇室の始祖であり、日本人の総氏神である。
 天照大御神が女性神だったことから、古代日本に男尊女卑の思想がなかったことがわかる。
 男女を比較するのは、人間という近代的観念が生じたあとのことである。
 日本の神話にも、人間や人間という考え方はでてこない。
 天地開闢には「造化の三神」やニ柱の「別天津神」が登場するが、すがたをみることはできず、むろん、性別もない。
 そのあとうまれるのが国之常立神と豊雲野神、そして五組の男性神と女性神の「神世七代」である。
 神世七代の最後にあらわれるのが伊邪那岐神(イザナギノカミ)と伊邪那美神(イザナミノカミ)である。
 国産み・神産みでは、イザナギとイザナミとの間に日本本土となる大八洲の島々や山・海・川・石・木・海・水・風・火など森羅万象の神々がうまれる。
 このときイザナミとイザナギは「成り成りて成り合はざる処一処在り」「成り成りて成り余れる処一処在り」といい交わしている。
 天照大御神をうみだした(イザナキからの左目から生まれた)日本開闢の始祖であるイザナギとイザナミが男神と女神だったことは象徴的である。
 日本の神代にいたのは、男神と女神で、人間神ではなかったのである。

 男女差別の土台となっているのがヒューマニズム(人間主義)である。
 人間という考え方は、ルネッサンスの啓蒙思想で、神や教会に対抗できるのが、男と女をひっくるめた人間という存在だった。
 だが、人間主義は、宗教的観念にすぎず、生きているのは、あくまで、男と女である。
 女性は母性でもあって、子を産み、育てる母親と、金銭や組織のために外で働く男は別々の存在で、したがって、男と女を比べるという発想もなかった。
 フランス革命の人権宣言でも、男女平等は謳われておらず、これに抗議したのが、フェミニズム運動のはじまりである。
 男女同権という考え方がでてくるのは、第3回国際連合総会(1948年)の世界人権宣言「基本的人権、人間の尊厳および価値並びに男女の同権」(前文)以降のことで、それも、フェミニズム運動の成果としてとりいれられたにすぎない。
 世界経済フォーラムの報告によると『世界男女格差レポート』で日本は世界145カ国中101位という。
 日本に、女性の政治家や官僚、企業の重役、勤労所得や労働参加人口が少ないのは、短期就業のOLや専業主婦が多いからである。
 一方、国連開発計画 (UNDP) の「人間開発報告書」のデータでは、日本の男女間の不平等格差(平均寿命、1人あたりGDP、就学率など)は187カ国中の17位で、非就業の日本女性が、英米仏の女性よりも恵まれた環境ですごしているのである。
 戦後、伝統を旧弊として退ける風潮がはびこってきた。
 そして、近代合理主義や唯物論を善とする改革主義が猛威をふるってきた。
 だが、真に価値あるものは、歴史的連続性の上に立った普遍性こそにある。
 そのことは、伝統国家である日本が、その伝統をまもることによって、世界の大国たりえていることからも明らかなのである。
posted by office YM at 04:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする