2017年07月31日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」B

 ●世界四大文明をしのぐ日本の縄文文明
 子ども時代、教科書などで、毛皮を身につけた原始人がマンモスを追い回す絵柄を見たことがあるはずである。
 それが戦後日本人の抱く原始時代のイメージで、紀元前7世紀もその延長線上におかれている。
 戦前の歴史教科書には、金の鵄(とび)を従えた神武天皇の画像(月岡芳年)が載り、そこに「日向高千穂から出立し瀬戸内海を経て大和に入り、橿原宮で即位した初代神武天皇」というキャプションが付いていた。
 画像の神武天皇は、紅白の衣類をまとい、左手に弓、右手に指揮棒を掲げて丘陵の上に立っている。
 7世紀といえば、ギリシャでスパルタが覇権を握ってイスタンブールが建設され、エジプトでも王朝の栄枯盛衰がくりひろげられていた時代である。
 ところが、日本では、当時の様子をうかがえる研究が何一つなされていない。
 縄文人が毛皮を身につけて森で動物を追っていたとするだけである
 縄文末期の衣服にかんしてすぐれた研究(尾関清子)があって、当時、手のこんだ衣服が着用されていたことは、土器の縄文模様や土偶などからわかっているが、歴史学会は「縄文人は毛皮を着用していたことになっている」としてこれを退け、布や衣服の縄文文化を国際学会にも発表できない始末である。
 毛皮を着て、獣を追い回していたのは、肉食で植物が乏しかったヨーロッパの古代観で、アジアとりわけ日本に通用する話ではない。
 ところが、ヨーロッパの歴史(考古学)を学んだ学者たちは、記紀の記述や学会に属さない人々の研究にはまったく目をむけようとしない。
 共同体や生活形態などの社会分野についても同じで、当時の日本人がどんな制度や宗教、習慣をもっていたかなどには無関心で、知ろうともしない。
 日本の古代は、したがって、深い闇につつまれたままなのである。

 日本文明を世界八代文明の一つに数えたハンチントンでさえ、2〜5世紀に中華文明から派生した文明圏とするなど、日本文明を、西洋史観からながめている。
 日本の歴史学会はもっと劣悪で、日本文明を中華文明や半島(朝鮮)文明の亜流とみなし、日本を、父である中華、兄である朝鮮を侵略した粗暴で野蛮な国家ときめつける。
「日本軍が慰安婦の強制連行に深く関与し、実行したことは揺るぎない事実」(2014年)という声明を出した歴史学研究会の綱領に「国家的、民族的な古い偏見をうち破り、民主主義的、世界史的な立場を主張する」とある。
 かれらがマルキスト集団で、反皇国史観の輩であることが明らかだが、新聞論調や歴史教科書などに大きな影響力をもつ歴史の専門家集団が歴史破壊者であることが日本の悲劇でなくてなんだろう。

 日本文明の根幹は縄文文化(紀元前130〜4世紀頃)にある。
 世界的に見ると中〜新石器時代にあたるが、土器のほうは、かつては農業の起源地とされていた中近東や北アフリカをはじめヨーロッパには、一万年前をしめす遺跡が存在しない。
 中国南部(湖南省玉蟾岩遺跡)から世界最古とされる約1万8000年前の土器が発見されたというが、信憑性はともかく、場所が限られている。
 世界最古の土器の一つに青森県大平山元遺跡から出土した1万6500年前のものがあるが、1万4500年前ごろにはほぼ同型の土器が全国に広がっている。
 これが縄文文化圏で、土器は、火と石器とともに、人類の文明化に多大なる恩恵をもたらした。
 土器によって、貯水や煮炊きが可能になって、米食文化がうまれた。
 稲作は、弥生時代に大陸から朝鮮半島を経由して日本にもたらされたとされてきたが、炭素14年代測定法によって、稲作開始が朝鮮半島より日本の方がかなり早かったことが判明している。
 日本の稲作開始は、陸稲栽培で6700年前、水稲栽培で3200年前まで遡ることができるが、朝鮮半島の水稲栽培(無去洞玉?遺跡)はせいぜい2800年程度前までしか遡ることができず、遺伝子学的にも日本の古代米と満州米の交雑種なので、水稲は日本から朝鮮半島へ、陸稲は満州経由で朝鮮半島へつたわったとわかる。

 縄文文明は土器のみならず、稲作や共同体の形成など衣食住≠ノかかわる文化のすべてにおよんでいる。
 縄文文化と世界四大文明を比較するとおもしろいことに気づく。
 メソポタミア文明:紀元前3500年頃〜
 エジプト文明  :紀元前3000年頃〜
 インダス文明  :紀元前7000年頃〜
 黄河文明    :紀元前7000年頃〜5000年頃
 縄文文明    :紀元前14000年頃〜4000年頃
 日本の縄文文化は、四大文明をはるかにしのぐ古さとスケールをもっていたのである。
 中華文明には、黄河文明のほか長江文明がある。
 長江文明    :紀元前14000年〜1000年頃
 日本の縄文文明と長江文明はほぼ同時期に興っており、日本の米種(ジャポニカ)は長江から移入されたこともわかっている。
 長江文明と日本の縄文文化には接点があったのである。
 黄河文明との闘争に敗れて、中国史から抹殺された長江文明は、縄文文化と合流することによって、日本で生きのびたといってよい。
 日本への移入ルートは海路で、動力のない筏でも、長江(揚子江)河口から黒潮(対馬海流)にのれば、3日から10日ほどで九州に至る(840km)。
 長江流域・北部沿岸には、紀元前三世紀以前、筏を改良した沙船という大型の船があったことから、移民目的で、はるか昔から長江の人々が日本に渡って来た可能性はおおいにある。
 縄文文明と長江文明が合流すれば四大文明を超える大文明がうまれてなんの不思議もない。
 縄文人と長江人の共通点に「海洋民族」をあげることができる。
 次回以降、海洋民族だった縄文人が日本人の祖先という検証をすすめていこう。

posted by office YM at 12:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする