2017年08月02日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」C

 ●日本文明の土台は縄文文化
 縄文文化を代表する遺跡が三内丸山遺跡(青森県青森市)である。
 全国に縄文遺跡は数多くあるが、三内丸山ほど大規模で、人々の生活形態が浮き彫りになっている遺跡は他に例がない(2000年特別史跡に指定)。
 大規模な竪穴住居や掘立柱建物の建設には、労働力や団結力、指導力のほか高い技術力が必要となる。
 縄文人は、ことばのほか、抽象的な観念ももっていたのである。
 縄文時代前期から中期(約5,500年〜4,000年前)にかけて、これほどハイレベルな文明があったことに、縄文人=原始人と思いこんでいた考古学・歴史学会は大きな衝撃をうけたはずである。
 計画的な集落設計、舗装(アスファルト)道路と墓列などの大規模な造成のほか、高床式倉庫跡や貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場などもみつかっていることから、三内丸山遺跡にいまや「縄文都市」という冠辞がつけられている。
 縄文土器(鉢類や皿)、石器(やじり、槍、磨製斧)、木器(掘棒や朱漆)のほか袋状編み物(ポシェット)、編布、土偶、石や木製の装身具、骨角牙貝製器(針、釣り針、刺突具)などが次々に出土して、当時の人々の暮らしが徐々に明らかになりつつあるが、驚くべきは、堅果類(クリ・クルミ・トチなど)のほか、一年草のエゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメまでを栽培していたことである。
 縄文人は、毛皮を身につけて森で獣を追っていたとする日本の考古学会との乖離は甚だしいものがあるが、文化審議会などの学者グループは、三内円山遺跡の世界遺産への推薦を頑強に拒みつづけている。
 西洋の古代観を裏切る日本の高度な縄文文化を意地でもみとめたくないのである。

 縄文人が方向・計数感覚にすぐれた海洋民族だったこともわかってきた。
 三内丸山遺跡のシンボルである3層の掘立柱建物は、6本の巨大木柱を組み合わせた三階建ての建造物で、柱穴の間隔が4.2mに統一されている。
 4.2mは35p(縄文尺)の12倍で、4.2mを3尺、4尺、5尺で折り返せば直角三角形(ピタゴラス三角形)ができ、直角(90度)がえられる。
 三内丸山遺跡の6本の木柱は正長方形に配置されていることから、かれらがピタゴラス三角形を知っていたと考えるほかない。
 かれらが数学力をもっていたのは、海洋民族だったからで、航海には星座を読む幾何学のほか、方位や暦の知識ももとめられる。
 3層の掘立柱建物の使用目的はわかっていないが、これが灯台か、漁業用の物見やぐらだったことは、立地条件から明らかだろう。
 当時、三内丸山は海岸線に隣接しており、体長1mのマダイやマグロ、ブリなどの骨のほか、釣り針やモリ(骨器)、1mのオールも出土していることから沖合で大型魚を捕獲していたことがうかがわれる。
 船は、丸太の双胴船かアウトリガー(舷外浮材)付きの丸太船で、それなら波の荒い外洋航海に耐えられる。
 太平洋諸島の先住民は、アジア南部からアウトリガー付き丸太船を使って移動してきたと考えられているが、南太平洋では、現在もアウトリガーの付きカヌーを見ることができる。
 縄文人が外洋航海を得意としていたことは、糸魚川でしか産出されない翡翠や産地(長野・静岡・神奈川・伊豆七島)が限定されている黒曜石が出土していることから明らかである。

 縄文人は海洋民族でもあって、文化の伝播も、陸路ではなく、海路だった。
 世界最古の日本の縄文土器は、朝鮮半島をはじめ日本列島から6000Kmも離れた南太平洋のバヌアツ共和国(エファテ島/1996年/太平洋考古学の篠籐喜彦博士)、中米エクアドル(1965年/バルディビア遺跡/クリフォード・エヴァンス、ベティー・メガーズ博士夫妻博士夫妻)にまでひろがっていたという。
 篠籐博士が発見したバヌアツ共和国の縄文土器は、成分分析の結果、5000年前に青森県で焼かれた円筒下層式土器である事が証明された。
 縄文土器はおよそ1万4000年前にうまれ、簡単なものから徐々に複雑な模様に変化していったが、エクアドルで出土した土器は、発展過程がなく、とつぜん複雑な縄文式土器が出現している。
 このことから、エヴァンスとメガーズ博士夫妻は、縄文人が土器文化を携えて太平洋を渡って移住してきた可能性が高いと発表している。
 縄文人の太平洋横断を可能にしたのは海流である。
 日本付近から黒潮にのると約2か月でアメリカ西海岸に到達する。
 サンフランシスコ沖からカリフォルニア海流にのって南下、赤道反流に乗り移ると、次にぶつかるのが、バルディビア土器が発見されたエクアドルあたりである。
 海流速度や風力、手漕ぎのスピードを計算すると、アウトリガー式の丸木舟で、日本からエクアドルまで約6か月で到着できるという。
 食糧は船陰に集まってくる魚で、水は10日に1度の割合で降る雨を貯める土器が役に立ったはずである。
 寒冷化による飢饉、噴火や大地震による縄文人の難民となって、命からがら外洋に出て、その一部が南米や南太平洋へたどりついた可能性を否定することはできない。
 縄文人は、海を生活圏とする海洋民族で、すぐれた航海技術をもち、太平洋を股にかけて海洋交易をおこない、地球の反対側にまで文明をつたえていたのである。
 日本人は、日本文明の土台が縄文文化にあったことに一日も早く気づくべきだろう。

posted by office YM at 23:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする