2017年12月15日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」25

 ●稲作文化と天皇
 日本は稲作文化の国である。
 稲作文化は、むろん、米食文化だけをさすのではない。
 狩猟文化が西洋文明の根幹になっているように、稲作文化が日本文明の土台になっているのである。
 稲作文化と狩猟文化とでは、自然観や宗教観、生命観に大きなちがいがある。
 自然を生活資材や糧とする狩猟文化は、自然を征服し、利用しつくし、ときには、殺してしまう。
 一方、稲作文化は、大自然と共にあって、互いにその恩恵にさずかっている。
 自然破壊の西洋において自然はモノだが、自然崇拝の日本では自然はカミなのである。
 コメづくりは、太陽や大地、水の調和で、自然神と生命を宿す精霊、八百万の神々との協業である。
 自然の神々が力を合わせて、コメという霊性の高い(穀霊)食べ物をつくったのである。
 稲作文化は、神と自然、ヒトが一体となった神話的な世界で、日本人の生活全般、宗教や歴史、習俗に稲作文化の影響がおよんでいる理由がそこにある。
 日本人の精神世界が神話的だからで、だから「日本は神の国」といわれるのである。

 稲作よって最初に生じた大変動が弥生初期の人口爆発だった。
 縄文時代晩期には十五万人程度で、絶滅の危険さえあった日本人の数が、稲作の普及によって急増して、やがて、弥生の小国家群の形成につながってゆく。
 米には高い生産性と備蓄性があるからで、1粒の種もみから80粒の米がつく苗ができ、この苗を田んぼに植えると10本ほどにふえるので、収穫は800粒にもなる。
 土地当たりの収穫性も高く、農地1ヘクタールで何人扶養できるかという試算では、日本を10とするとヨーロッパ諸国が2〜4、アメリカが1、オーストラリアが0・1という。
 コメは主食として完全食品であるところから、経済活動の中心で、生活技術や信仰儀礼、社会様式へも大きな影響力をもった。
 人類は稲作を知って、高度な集団生活を営めるようになったのである。
 日本の衣食住から、習俗、制度にいたるまで、稲作文化にかかわらないものはないが、律令・封建体制をささえたのも、役人や武士への録として米であって、貨幣経済も米本位制だった。

 稲作文化から生じたのが祭祀と祭祀王=天皇である。
 生産性の高いコメの伝来によって、人口の急増と集団化がすすみ、日本は、農耕(稲作)国家として歩みはじめるが、農耕国家ということは、とりもなおさず、祭祀国家ということでもあった。
 近代においてすら、冷害や日照り、自然災害などによって村落が全滅するというケースが、歴史上まれではなかったことから、古代社会において、天災による不作の恐怖はいかばかりであったろう。
 コメへの依存度が高まるほど、不作の恐怖も大きくなるが、人々は、ゆたかな実りを神に祈るしかなかった。
 イネの豊凶が村落存続の保障で、しかも、原始的農耕は、自然の脅威の前では無力に近かった。
 豊作の祈念や実りを感謝する収穫祭が、人々の最大の行事で、また、作物の出来がかれらの最大の関心事だったのである。
 そこから、共同体あげての挙げての儀礼中心の宗教(民族宗教/自然宗教)が営まれた。
 日本の土着的宗教=神道が集団宗教なのはそのためである。
 収穫祭が地域連合となって、それが政治連合へ発展していったのは、ヤマト連合政権が、覇権争いではなく、宗教的なむすびつきとして形成されていった経緯からもうかがえる。
 その宗教的むすびつきの中心におられたのが、収穫祭のちの新嘗祭の祭祀主としての天皇であった。
 天皇は、絶対者としての資質をみずからつちかったのではなく、祭祀国家という構造が、天皇=祭祀王という絶対者を必要としたのである。
 天皇は新嘗祭をとおして、世俗を超越して、神となったのである。
 のちの古墳時代において、朝廷の高官や豪族、有力者が、こぞって、大和朝廷の勢力圏であることを示す「前方後円墳」をつくっている。
 大和朝廷・連合政権の結束が、利害ではなく、つよい宗教的権威にもとづいていたとみるほかない。
 エジプトのピラミッドに匹敵する大型の前方後円墳の建造技術は、最低でも数百年の知的蓄積が必要で、祭祀の国家的統一も一朝一夕でできるわざではない。
 その歳月をのりこえて、国全体が大和朝廷へ同一化をはかったのは、祭祀主である天皇への絶対的信仰があったからである。
 時系列的にみると、稲作を身につけた弥生人が小国家群をつくったのが弥生初期(紀元前10世紀頃)であるとするなら、紀元前660年の初代神武天皇、天皇が祭祀主としてふるまった欠史八代、そして、九州北部だけでも100をこえる小国家がうまれ、10代崇神天皇が大和朝廷の国家運動にのりだした紀元前100年までが、大和朝廷の黎明期ということができるだろう。
 そして、その3世紀のちに古墳時代をむかえ、大和朝廷と天皇の権威が確立してゆく。
 次回は、日本というクニの国家形成に大きな役割をはたしたコメ、そのコメづくりを伝来した人々がどこからやってきたのかについて考えよう。

posted by office YM at 13:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする