2018年03月12日

神道と世界最古の文明「縄文文化」36

 ●天皇と国家「勅と法」(7)
 国家が、本来、歴史(国体)と権力(政体)の二重構造と知っているひとは多くない。
 理由は、国連安保理常任理事国(米・英・仏・ロ・中)をはじめ、200をこえる世界の国々の多くが、国体をもたない革命国家だからである。
 革命国家や共和制国家が、権力(政体)だけの一元構造になったのは、歴史(国体)が否定されて、伝統的秩序が民主主義へきりかえられたからで、近代以降、80か国以上が、革命や政変、独立などをとおして、君主制などの伝統国家から民主主義にもとづく共和制国家に移行した。
 民主主義は、現在における政治決定で、対象になるのは、現在、生きている人々だけである。
 民主主義が、歴史を否定した上になりたっているのからで、かつて生存した歴史的国民や歴史の英知、伝統文化も、現在、生きている人々の利害や都合の前ではひとたまりもない。
 それが革命国家の正体で、民主主義以外のものがなに一つ通用しない。
 民主主義は多数決にすぎないが、国民全体の多数決を採ることは不可能なので、革命軍のリーダーがこれをあずかる。
 その口実が国民主権で、国民の主権をあずかったということにすれば、国民の名の下で、独裁や弾圧、逮捕や強制収容所送り、死刑などのテロルがまかりとおって、暗黒国家ができあがる。
 民主主義と国民主権は、革命派による支配イデオロギーだったのである。
 それをそっくり真似たのが日本国憲法=占領基本法である。
 国体を否定するGHQという革命軍が、民主主義と国民主権もちいて、日本国民を支配したのである。
 日本国憲法の主宰者は、日本国家でも日本国民でもなく、GHQなのである。
 民主主義を立て、国家主権を破壊したのち、国民主権をあずかったGHQが敗戦国日本の絶対支配者になったわけで、その裏付けとなったのが日本国憲法だった。
 日本国憲法が担保しているのは、日本や日本国民の利益ではなく、GHQの権力だったのである。
 憲法99条にこうある。
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法(GHQ命令書)を尊重し擁護する義務を負ふ」

 国家主権から防衛権、統治権や国民の安全をまもる権利は、国家におのずとそなわっている自然権で、当然のことながら、この国家自然法は、人為法たる憲法をこえる。
 それが伝統国家のありようで、革命国家でありながら、伝統国家の体裁を保とうというイギリスは、国家を規制する憲法をもっていない。
 憲法は、伝統的価値や歴史的規範を捨てた革命国家が、その代わりに採ったイデオロギー法で、どの国の憲法も、タテマエとして、民主主義と国民主権を国家の最高法としている。
 近代主義の産物にして、歴史を捨てた革命国家は、民主主義や国民主権以外の規範をもちえないのである。
 戦後、日本では、民主主義が、人類の最高法としてさかんにもちあげられてきた。
 だが、民主主義は、多数決と普通選挙法のことにほかならず、そんなものを国家規範にして、政治が混乱しないわけはない。
 民主主義国家は、自然法にもとづいた国家よりはるかに後進的で、不完全な国家だからで、しょせん、人間が頭のなかで考えた人為法や人口国家が歴史の産物である自然法や伝統国家をこえるわけはないのだ。
 民主主義は歴史を拒絶する。
 それだけで、伝統国家の象徴である天皇と革命国家の象徴である民主主義が相容れないとわかる。
 日本に民主主義や国民主権の精神がなかったわけではない。
 その逆で、日本には「君民一体」という思想があって、天皇は国民とともにあった。
 天皇と国家国民が一体であれば、天皇陛下万歳が、国民や国土の弥栄(いやさか)をねがう心とわかるだろう。

 何事にも、矛盾や不条理、不思議や非合理がついてまわって、人間の知識がとうていおよぶところではない。
 国家もそうで、多数決にすぎない民主主義や実体のない国民主権をふり回したところで、なんの解決にならないばかりか、混乱がうまれるばかりである。
 イエスかノーか一元論では、片一方が否定されてしまうので、解決どころか、かえって、対立が深まる。
 51%を肯定して49%を否定する民主主義のどこに政治哲学があるのか。
 権力者にゆだねられて独裁を生じる国民主権のどこが国民中心主義なのか。
 革命国家が一元論なら、伝統国家が二元論で、グレーゾーンやあいまいさが矛盾や不条理、不思議や非合理をのみこんで、体制を安定させる。
 それが多様性と奥行きをもつ日本主義で、文明と価値観の衝突となる今後の世界情勢のなかで、対立をうむ民主主義に代わって、中心的思想になってゆくだろう。
 日本が提唱している異文化共栄圏思想(日・米・オセアニア・アセアン・インド)がそれだが、このテーマについては、後日、改めてのべよう。
 さて、二元論だが、伝統国家である日本が二元論の国家なのは、いうまでもない。
 権威と権力、国体と政体、天皇と政府、文化と政治が、互いに干渉することなく両立している。
 二元化されている価値と価値の中間にグレーゾーンが広がって、それがあいまいの文化である。
 ところが、価値が一元化されている革命国家には、グレーゾーンがない。
 戦後、民主主義絶対主義のアメリカによる日本改造が、いかに日本の文化や価値、伝統をゆるがしたか、いまさら、指摘するまでもない。
 戦後日本の迷走は、革命国家のルールを伝統国家にもちこんだ構造矛盾から生じたのである。
 次回以降、伝統国家のあるべきすがたと天皇問題をさらに検討していこう。
posted by office YM at 13:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする