2018年03月28日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」38

 ●天皇と国家「勅と法」(9)
 天皇が文化で、ヨーロッパの王が権力なのは、いうまでもない。
 ヨーロッパで王政が文化になりえなかったのは、そもそも、ヨーロッパには文化の土壌がなかったからだった。
 中世ヨーロッパでは、ペスト(黒死病)やコレラ、天然痘などの疫病が猛威をふるい、人々は、生きのびることだけに必死で、文化へ目をむける余裕などなかった。
 疫病が流行したのは、不潔で、貧しく、公共心がなかったからだった。
 上水道・下水道がなく、市街地は、人々が投げ捨てる糞尿まみれで、ペスト菌の媒介者であるネズミが、人間の数よりはるかに多かった。
 やせた土地から採れるのは小麦やブドウだけとあって、勢い、肉食に頼ったが、家畜との共存は、かれらの生活をますます不衛生にした。
 当時、死因の上位にあったのが、産褥熱などの感染症で、衛生観念はないにひとしかった。
 ヨーロッパの宣教師が、日本で、庶民が絵画や花を飾った清潔な家に住んでいるのを見て、度肝をぬかれたという。
 家畜とともに不潔な家屋に住み、生きてゆくのに精一杯だったヨーロッパでは、部屋に絵画や花を飾るなどの文化的な行為は、思いもおよばなかったのである。
 くわえて、宗教的迷信が根深く、魔女狩りで、百万人近い女性が処刑されたばかりか、その数倍、数十倍にのぼる人々が、異端裁判や宗教戦争などで命を奪われた。
 産業革命(18〜19世紀)前のヨーロッパは、文化面や衛生面で日本よりもはるかに後進的だったのである。

 ところが、産業革命以後、ヨーロッパは文明のみちを切り拓き、日欧の関係が逆転する。
 日本は、開国後(19世紀後半)、ヨーロッパから文物を輸入して、近代化へ走る。
 江戸時代まで、独創的だった日本文明が、近代化以後、鹿鳴館文化や帝国主義など西洋のコピーへ傾いていったのは、薩長の田舎侍が西洋を真似たからだが、ヨーロッパの近代は、革命の時代でもあって、日本が建国のモデルにしてよい国はどこにもなかった。
 先進国はむろんのこと、世界でも、伝統国家としての歴史と形態を維持しているのは、日本だけである。
 理由は、文化・経済の両面でゆたかだっただけではなかった。
 君民一体の下で、当時、世界に類がなかった平等という観念がゆきわたっていたからだった。
 宗教も、個人救済ではなく、国家護持で、ヨーロッパの世界観・宗教観とは大きくかけはなれていた。
 そこに、日本で、革命や宗教戦争がおきなかった理由がある。
 ヨーロッパでは、戦争に負けると、民が奴隷として売買され、教会の教えにそむくと死刑に処される。
 ペストやコレラ、食糧難をのりこえたところで、民に救いはなかった。
 権力者ににらみをきかせる民の味方、天皇という文化的存在がなかったからである。
 革命のエネルギーは、怨念や復讐心といってよい。
 フランス革命やロシア革命では、王族や貴族の皆殺しが何年にもわたって延々とつづき、中国の文化大革命やカンボジアのポルポト革命では、知識人や教養人というだけで、何百万、何千万の善良な人々が虐殺された。
 すべて、文化と権威が不毛だったことが原因で、文化と権威をもたない種族は、非戦闘員に原爆を投下したアメリカ人のように、どこまでも残酷になれるのである。

 三島由紀夫の『文化防衛論』がまもろうとしているのは、文化概念としての天皇である。
 国家をつくりあげているのは、文化と歴史、権威で、その象徴が天皇である。
 日本という国家の本質は文化にあって、その文化(菊)は、刀によってまもられなければならない。
 三島由紀夫は、日本の独自の文化をまもってきたものを、『菊と刀』になぞらえて、刀という。
 国家をまもることは、文化をまもることだが、文化をまもることは難しい。
 文化は、大砲や文化侵略、伝統破壊にたいして無力で、革命にはひとたまりもないからである。
 日本が他国侵略(元寇など)や宗教侵略(天草四郎の乱など)を防ぐことができたのは、文化の力ではなく、刀という、ときには、みずからの命さえ絶つ「力の論理」であった。
 外国人が、なによりも恐れたのは、武士の刀だった。
 刀は武士の誇りでもあって、武士の誇りを傷つけるとその場で斬殺されかねなかった。
 まして、軍靴で帝(みかど)の地を侵略すれば、武士がいっせいに抜刀して襲いかかってくる。
 日本侵略など、とうてい、思いおよばなかったのである。
 天皇をまもるのは、法でも弁論でも、正義でも真実でもない。
 ただ一つ、刀であって、それが文化防衛論の要諦だった。
 次回以降、タブーを破って、「刀と文化防衛」へと議論をふかめていこう。
posted by office YM at 01:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする