2018年04月04日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」39

●天皇と国家「勅と法」(10)
 天皇は、戦後、憲法上の存在となった。
 そこに、三島由紀夫の憤怒と絶望があった。
「自衛隊は憲法をまもる存在になったのか」
 自衛隊市ヶ谷駐屯地の三島の雄叫びは、新憲法で育った戦後生まれの日本人にはピンとこないかもしれない。
 げんに、市ヶ谷の三島の演説は、自衛隊員の野次と怒号で掻き消された。
 戦後、左翼が中心になってすすめ、保守が迎合した「憲法は新しい国体」という思潮のなかで、大方の日本人、自衛隊員さえ、戦勝国から投げ与えられた属国憲法を金科玉条としてきた。
 三島は、自衛隊にこう檄をとばした。
「オレは自衛隊が怒るのを待っていた。だが、もはや、憲法改正のチャンスはない! 自衛隊が国軍になる日はない! 建軍の本義はない! それをオレは嘆いている。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ることだ。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることだ。(略)自衛隊がたちあがらなければ、憲法改正ってものはないのだ。諸君は永久にアメリカの軍隊になってしまうのだぞ」
 現在、天皇も自衛隊も、憲法に規定される法的存在でしかない。
 憲法をもって国家を規制するのが共和主義である。
 革命をとおして伝統国家から共和(共産)制国家へと移行する。
 共和主義は、民主主義にもとづいて、君主制を廃止することである。
 このとき、歴史や伝統、習俗など、民族の文化が破棄される。
 三島にとって、憲法は、属国憲法である以上に、革命綱領であって、国体の破壊者でもあった。

 自衛隊が憲法違反というなら憲法を破棄すればよい。
 憲法は、もともと、共和制国家のもので、伝統国家には必要がない。
 共和制国家の支配構造は、憲法と大統領、議会の三つで、この三者が、民主主義(普通選挙法/議会の多数決)の原則にのっとって、国家を運営する。
 共和制国家における憲法の役割は、大統領の権限を制限することで、国家のありようを定めているわけではない。
 憲法は、いわばガードレールで、大きすぎる権力をもった大統領という車が道路からはみださないように見張っている。
 日教組教育をうけた者のなかには、憲法が、国家の監視役であるかのようにいう者がいるが、おおまちがいである。
 そんな理屈が通用するのは、憲法が、戦勝国が敗戦国を永続的に隷属させる占領法であるかぎりにおいてで、日本は、占領基本法を憲法として奉っている世界に稀有な国家なのである。
 伝統国家には、大統領は不要で、憲法も必要がない。
 歴史の英知や民族の知恵、伝統や習慣、独自の価値観、経験則など憲法とは比べようもないほどの文化をもっているからで、この歴史的規範が憲法をこえるのはいうまでもない。
 日本が憲法をもったのは、明治政府が樹立されてから22年後の1889年のことで、国内政治が一段落して、目を海外へむけた時期にあたる。
 日英通商航海条約と日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)、朝鮮併合(1910年)と、日本は西洋型の帝国主義をのみちをすすみはじめる。
 日本の憲法(大日本帝国憲法)は、ヨーロッパ化政策と天皇の政治的利用を目的にしたもので、モデルになったのが、主権者たる国王が国政に裁可権限を有するドイツのプロイセン憲法だった。
 プロイセン憲法において、国王は、権力者だった。
 プロイセン憲法の導入によって、文化概念としての天皇が政治概念としての天皇にきりかえられて、日本は、事実上、国体を失った。
 日本は、独自の文明をもった誇り高き伝統国家であって、列強を真似た帝国主義国家ではなかったからである。
 プロイセン王国は、第1次世界大戦の敗北によって滅びた。
 日本も、敗戦によって、第二のプロイセン王国になるところだったが、これを救ったのが、皮肉にも、日本国憲法の提唱者だったマッカーサーだった。

 日本国憲法が占領基本法だった以上、国家主権の否定や武装解除(憲法9条)、「天皇・摂政・公務員の憲法尊重擁護義務(憲法99条)」は当然だったろう。
 問題は、講和成立後、GHQが日本から撤退したあと、占領基本法の性格をもつ憲法を廃棄しなかったことである。
 戦後、勢力をもった社会主義・革命勢力(社会党・共産党・労組)が、日本の弱体化を企図したGHQ憲法を逆手にとって、憲法擁護を革命の戦略とした。
 共和主義を謳う現憲法下においては、議会内闘争をとおして、革命の実現が可能となるからである。
 革命は、憲法を停止させて、人民政府をつくることだが、現在の日本の状況では、憲法をまもることによって、左翼革命もしくは中国への属国化が容易に実現する。
 日本防衛の法的根拠は、日米安保条約と国連憲章、国際法や自然法であって、憲法には依拠していない。
 憲法には「敵が攻めてきたら白旗を掲げろ」としか書かれていないからである。
 革命の道具=民主主義だけが正義の現在の日本では、国体・国家の屋台骨はきわめてもろい。
 だから三島は自衛隊に憲法停止≠フ武装蜂起をうったえたのだった。
 日本には、国家反逆罪もスパイ防止法も、不敬罪もない。
 日本人の脳みそには「民主主義=正義」という方程式がインプリントされており、それは、皇室も例外ではない。
 今上天皇につづいて次期天皇(徳仁親王)も憲法擁護を口にされる可能性が高い。
 安倍首相は、憲法九条の維持をうったえている。
 そうなると、国体および国家がじりじりと共和制へ接近してゆきかねない。
 憲法をまもることが国体・国家の否定につながるジレンマに気づいていないのである。
 憲法や民主主義、近代主義や西洋合理主義などの相対的な価値観で、文化や歴史、伝統という絶対的な価値をまもることはできない。
 アメリカ民主主義は世界一の軍事力に支えられ、中・ロ・英・仏はむろんのこと北朝鮮も、軍事力が体制維持の主柱になっている。
 文化(菊)をまもるのは力(刀)で、それが、歴史の鉄則である。
 次回は、危機状態にある国体・国家防衛について、思うところをのべよう。

posted by office YM at 14:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする