2018年05月07日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」43

 ●天皇と国家「古代史のなかのオオキミ」(1)
 古代史は、記録(文字)が残っていないので、伝承や遺跡などから想像力をはたらかせるほかない。
 その意味で、古代史は、歴史というよりおとぎ話で、神話の延長線上にあるといってよい。
 民族の遺伝子的な記憶をさかのぼって、歴史をつくったわけで、その傑作が皇紀2600年の皇国史観だった。
 戦後、左翼や日教組、マスコミが、皇国史観を悪の権化としたのは、筋違いで、否定するなら、皇国史観ではなく、皇国史観を利用した軍部や軍国主義であろう。
 皇国史観は日本民族の文化であって、権力のプロパガンダでも、政治イデオロギーでもないからである。
 文献にもとづくのが歴史学、遺跡にもとづくのが考古学なら、戦後、日本の歴史学が手がかりとなったのが中国の史書(漢書地理志/後漢書東夷伝/魏志倭人伝)だった。
 八世紀のはじめに完成した記紀(古事記・日本書紀)は、伝承なので歴史学の範疇から外れるだろうが、中国の史書も、多くが伝聞で、どこまで信用できるか保証のかぎりではない。
 ■「漢書」地理志(1世紀に書かれた中国の歴史書)
 描かれている日本の時代/紀元前1世紀(日本にかんする最古の史料)。そのころ倭国が100あまりの小さな国に分かれていたと記されている。
 ■「後漢書」東夷伝(5世紀に書かれた中国の歴史書)
 描かれている日本の時代/57年(奴国の王が光武帝から金印が与えられた/その金印が江戸時代に福岡県の志賀島で発見された)107年(倭国の王が後漢に奴隷を贈った)147〜189年(倭国に戦いが多かった)
 ■「魏志」倭人伝(3世紀に書かれた「三国志」の一つ)
 描かれている日本の時代/3世紀ごろ(倭国の様子や習俗、地理や産物、習慣などについて書かれている)。邪馬台国の位置をめぐって、畿内説と九州説が対立してきた。女王卑弥呼が30余の国々をしたがえ統一国家(邪馬台国)をつくったと記されている。

 後漢書から2〜3世紀の倭国に争いが多かった(倭國大亂)ことがわかる。紀元前1世紀に「分かれて百余国を為す(漢書地理志)」とされる倭国は、大乱の時代(147〜189年)を経て、卑弥呼と壱与の邪馬台国に至って安定するまで、戦乱の渦中にあったのである。
 戦乱の原因は、農耕(稲作)社会と集落の成立であった。
 備蓄された余剰生産物をめぐって、武器をもった人々や防御的施設を備えた集落が争い、または統合されて、より大きな政治的な集落(クニ)へ発展していったのである。
 縄文晩期から弥生時代初期にかけて、日本列島で、人類史上、劇的な変化が生じたのは、一粒の種籾が一年で2000粒、2年で400万粒にふえる高い繁殖力の稲作が開始されたからである。
 採集・狩猟よりはるかに食効率が高く、なによりも「余剰」を生み出す稲作が、定住と人口の増加、備蓄と相俟って、社会の原型というべきものをつくりあげたのである。

 ここで、ふしぎなことがおこる。
 2〜3世紀まで闘争をくりひろげてきた倭国が、突如、争いをやめて、統一へむかい、一斉に、ヤマト朝廷への服従を意味する前方後円墳をつくりはじめるのである。
 これが古代史最大の謎で、たたかわずに成立した大和朝廷と、ピラミッドと並ぶ巨大遺跡の前方後円墳が大量につくられたことについて、なにもわかっていない。
 もう一つの大きな謎は天皇で、ヤマト朝廷を統一した天皇について、いまだに、定説が存在しない。
 中国の3史書もそのことにふれていない。
 卑弥呼の死後(248年)、13歳で女王になった卑弥呼の宗女壱与が洛陽に使いを送ったとされる266年以後、約150年間わたって中国の歴史書から倭国にかんする記載が消えた。
 これが「空白の4世紀」である。
 中国の史書がなければ、日本の古代史は暗闇にのまれるのである。
 中国が、晋の滅亡後、南北朝の分裂期にはいってしまったからだが、日本のほうも、国内の統一や建設、治世に精一杯で、外交に手がまわらなかった。
 その4世紀におきたのが、大和朝廷の発展と前方後円墳の建設だった。
 歴史学的にも考古学的にも、大和朝廷と前方後円墳は、大きな謎で、それが天皇とどのようにかかわるのか、そのことにふれた学説も論文も存在しない。
 天皇が穀霊祭(のちの大嘗祭)の祭祀王だったことに思い至れば、その謎が解ける。
 稲作社会は、天候不順や天災によって、集落の全員が飢え死にするリスクを負った社会で、稲作のゆたかさは飢餓の恐怖と背中合わせになっていた。
 天候不順や天災を避けるには、神とつうじる天皇もしくは巫女の祈念に頼るほかなかった。
 古代社会は、神霊に支配された非合理の世界で、当時、米の不作にたいする恐怖から、人々が、シャーマンとしての天皇を敬ったのは、卑弥呼の例をみるまでもない。
 自然崇拝と穀霊への敬い、それが神道の根本で、天皇への畏敬も、そこにある。
 次回以降、卑弥呼の邪馬台国から大和朝廷へつながる天皇の系譜へ目をむけよう。
posted by office YM at 10:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする