2018年06月18日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」48

 ●天皇と国家「古代史のなかのオオキミ」(6)
 古代日本が豪族の国で、大和朝廷が豪族の連合政権だったことは疑えない。
 だが、それ以上のことは、なにもわかっていない。
 日本人はどこからきたのか、国家の原型がいつできたのか、天皇のルーツはどこにあるのかについて、日本の歴史家は、知らぬ存ぜぬをおしとおす。
 史料にもとづいて歴史を確定する歴史実証主義に立っているからで、史料が乏しい日本の古代は謎につつまれたままなのである。
 大和朝廷の成立から拡張期にあたる3世紀半ばから5世紀の初めまで中国の歴史書に倭国にかんする記述がない(「空白の4世紀」)のは事実だが、だからといって、日本の古代が不明だ空白だとするのは、歴史学者の怠慢である。
 日本には、エジプトのピラミッドや中国の万里の長城と肩を並べる数多くの前方後円墳(箸墓古墳/3世紀、仁徳天皇陵/5世紀)のほか、三内丸山遺跡(縄文時代中期)や吉野ヶ里遺跡(弥生時代)、登呂遺跡(1世紀)などの遺跡も少なくない。
 古事記や日本書紀などの史書もゆたかなので、多少、想像力や推論をはたらかせれば、古代にもっと光をあてられるはずなのだ。
 史料がないからといって、空白だ不明だと言いだすのは、空想力と構想力の欠如で、歴史が記録されるもの≠ナはなく記述されるもの≠ナあることを忘れている。
 歴史は登場人物の活動をとおして理解される。
 それが生きた歴史で、歴史は、考古学とはちがう。
 歴史は、伝承や遺跡、史跡や史料からの推論だが、人々が信じてきた神話や伝説も歴史であって、歴史は、民族や国家のフィクションといってよい。
 源平から徳川に到る武家盛衰史を描いた頼山陽の「日本外史」は、幕末から明治にかけてもっとも多く読まれた歴史書だが、描かれているのは英傑偉人の物語である。
 戦後、日本の歴史観は、唯物史観と歴史実証主義に汚染されて、物語性を失い、日本人は、国史という民族の歴史から疎遠になった。
 歴史を失った民族は滅びるといわれるが、戦後、皇国史観を放棄させられた日本人は、建国の物語といっしょに国家や民族の誇りまで捨ててしまったように見える。
 戦後の日本人は、祖国の始原や民族のルーツ、日本文明の由来についてなにも知らない一方、アメリカ製の憲法と民主主義を第二の国体として、わが国が世界で最古の伝統国家であることを忘れはてている。

 国体とは、肇国以来の歴史で、国家も国民も、歴史という時間的蓄積からうまれる。
 GHQが目の敵にしたのがその国体で、神話や古典、伝統などの歴史的価値までが標的にされた。
 追い打ちをかけたのが、日教組や歴史学会で、皇国史観を徹底的に排除する一方、唯物史観や実証主義をもちこみ、古事記や日本書紀などそれまで国史とされてきた史料を根こそぎ否定した。
 その結果、日本は、伝統国家どころか、国家誕生の物語すらもたない亡霊のような国になってしまった。
 現在、もとめられているのは、GHQや左翼・反日、歴史家が破壊しつくした古代史を復活させることで、肇国の歴史(神話)をイメージすることができなければ、国家との一体感や日本人としてのアイデンティティは育ってこない。
 古代史を解明するキーワードは、大和朝廷と天皇、前方後円墳の三つである。
 この三つのキーワードを統一的に説明することができれば、豪族政治に終止符を打つ聖徳太子の飛鳥時代(崇峻天皇の弑逆から平城京に遷都まで)へ歴史の歯車がつながってゆく。
 天皇が豪族の一派だったという認識が、歴史学会では一般的である。
 だが、それだけでは、三十余国の小国家が分立していた3世紀の日本(魏志倭人伝)が4世紀末に大和・河内を中心に強大な統一国家をつくりあげ、朝鮮半島に出兵する国力をもつにいたった急速な発展に説明がつかない。
 大和朝廷と天皇、前方後円墳の三つキーワードをつなぐキーもみつからない。
 天皇が豪族の一派であったなら、他の豪族を従えて大和朝廷を樹立するまで多くのいくさがあったはずだが、記紀などの史書には、豪族間のいくさがほとんど記録されていない。
 わずか百年余で、三十余国の小国家群が強大な大和朝廷になっていった理由も不明で、そこに、別のメカニズムがはたらいていた可能性が高い。
 大王一族は、豪族らに擁立された宗教集団だったのではないか。
 群雄割拠する豪族が覇権をもとめて争えば、乱は、いつまでも終わらない。
 たとえ、どこかの豪族が覇権を握っても、権威がそなわらないので、政権は不安定きわまりない。
 大和朝廷が権威をそなえた安定政権だったことは、全国各地で、大和朝廷のシンボルである前方後円墳が4百年(古墳時代/3世紀〜7世紀)にも亘ってつくられたことからも明らかだろう。
 大王一族が豪族らに擁立された宗教集団だったなら、大和朝廷と天皇、前方後円墳の三つのキーワードもつながってくる。
 権力は権威によって正統性(レジテマシー)があたえられる。
 それが歴史の真実で、織田信長は、正親町天皇を保護するという大義名分を立てなければ京都を制圧できず、薩長軍も、官軍を名乗らなければ江戸幕府を倒すことができなかった。
 大和朝廷が豪族の連合政権だったことは疑えないが、それは、神格をもった大王を立てて、その下で連立を組む「権威と権力」の二元論だったはずである。
 次回以降も、大和朝廷の謎解きをすすめていこう。


posted by office YM at 09:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする