2018年08月26日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」58

 ●民主主義と権力主義(1)
 私は、昔から、右翼人や保守主義者たる以前に反権力主義者で、現在もそうである。
 右の運動も保守主義の涵養も、根幹にあるのは、思想ではなく、反権力という情操である。
 権力にたいして、猛烈な反発心があって、これは、気性なので仕方がない。
 一方、権力主義の本領は、左翼暴力革命につきるだろう。
 共産主義もまた、思想ではなく、革命運動のイデオロギーで、マルクスも、英国のインド侵略にはエールを送っている。
 マルクス主義は、自由でも平等でもなく、権力主義で、暴力革命とギロチンがその象徴である。
 夢想家ルソーはフランス革命家に、自然権のロックはアメリカ独立運動に、反資本主義のマルクスはロシア革命に、それぞれ、利用されただけで、革命の本質は、くり返すようだが、思想ではなく、権力闘争である。
 かつて、右の運動が反共・反革命にむかったのは、反権力だったからである。
 しかし、その後、右の陣営は、権力の擁護者となって、反権力の衣を捨てた。
 これが右翼の堕落で、権力にとりこまれた右翼は、体制の一員の大政翼賛会にすぎない。
 神社本庁は、安倍内閣の応援団になっているが、神社がまもるべきは天皇の権威であって、安倍政権でも自民党政権でもないはずである。
 このテーマについては次回にゆずるとして、閑話休題。
 さて、右翼が反権力主義力といっても、むろん、無政府主義ではない。
 国家権力をみとめるのは、保守主義者も同様で、西洋では、社会契約説のホッブスがいる。
 ルソーやロックも、王権神授説を超えた社会契約説だが、国家権力を大前提とするのはホッブスだけで、だから、フランス革命を批判したエドマンド・バークとともに保守主義者の父と呼ばれるのである。
 保守主義者は、日本でいえば、玄洋社の頭山満が筆頭で、大アジア主義の立場から、日露戦争の折、満州義軍(馬賊)を結成するも、朝鮮併合や満州事変、日華事変(日支戦争)では、政府に異を唱えた。
 そして、蒋介石との和平を望み、蒋も尊敬する頭山とは和平に応じる構えだった。
 これは、統制派から阻止されたが、一方、頭山は、同志だった犬養毅首相らから入閣をいくら請われても応じなかった。
 右翼人、大アジア主義者、思想家には、権力は無用なのである。

 保守主義は、改革や現状打破、進出・侵略を望まない。
 ふり返ってみるに、明治以降の西洋化と帝国主義が、原爆による敗戦に帰結して、3百万人戦死・戦災死をふくめて、すべてを失ったことを考えると、戦争を避けようとした保守主義は、もっとも賢明な政治哲学だったとわかる。
 保守主義が権力のブレーキになりうるのは、国体(天皇)という文化構造が権力という政治構造の上位におかれるからで、頭山満の玄洋社の憲則三条には、第一条皇室を敬戴すべし、第二条本国を愛重すべし、第三条人民の権利を固守すべし、とある。
 保守主義を国家主義・全体主義とみるのはおおまちがいである。
 国家主義はヨーロッパ型の帝国主義、全体主義は共産・共和主義で、保守主義は、天皇が権力ではなく、民の側にあったように、むしろ、人民の側に立つ。
 玄洋社の頭山満、黒龍会の内田良平が、日本政府のアジア戦略に反対したのは、東亜連携が、同胞のきずなではなく、アジアを植民地にした列強の支配・被支配の立場に立ったからであった。
 大東亜戦争のアジア解放も、独立運動のきっかけにはなったものの、当初は、英米蘭仏に代わって、日本の軍部が統治の実権をにぎった。
 日本の軍部および日本という国家が権力的だったのは、否定できない事実で、その権力主義を、戦後、そっくりひきついだのが民主主義であった。
 民主主義が、民権運動の延長線上にあって、権力主義の対極にあるかのように錯覚しているひとがいるかもしれない。
 私に反*ッ主主義の共同戦線をもちかけてきた西部邁氏がのべたように、民主主義は、自由も平等も、善もモラルも有さない、ただの多数決で、数の暴力にほかならない。
 民主主義を最大限に利用したのがヒトラーやスターリン、ルーズベルトで、ルーズベルトが日本への原爆投下をきめたのが民主的に4回目の大統領当選をはたした直後であった。
 ナチス党が政権をとるのに、民主主義は、なんの抵抗にもならなかったどころか、党の情宣活動から普通選挙法に到るまで、徹頭徹尾、追い風の役割をはたしただけだった。
 ロシア革命のボルシェヴィキ(多数派)は、プロレタリアート(労働者階級)独裁プロレタリアート政党と同義で、多数派をつくる民主主義ほど暴力的で強烈な権力はないのである。

 フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』で、民主主義(政治)と自由主義(経済)が最終的価値として残されたと記した。
 だが、それは、その二つが、哲学的な普遍性をもっているからではなく、民主・自由がもっとも野蛮で手がつけられない原理だったからである。
 民主・自由だから、平和や繁栄がもたらされるのではなく、逆に、ホッブスの万人の戦争ではないが、混乱と紛争、格差拡大がひきおこされるだけである。
 ひるがえって、保守主義はなにかと考えるに、これは、民主と自由の制御にほかならない。
 保守=伝統は、歴史的価値観に添いしたがうことで、それは、とりも直さず、権威にたいする謙(へりくだ)りで、現実的な力としての権力が権威によって制御されて、それが、社会や精神のバランスであり、節度である。
 民主主義も自由主義も、権力なので、放埓で、ブレーキも自己制御もきかない。
 それを利用したのが、前世紀における暴力革命だが、民主主義信仰が深く根を下ろしている現代においても、民主主義は、十分に、暴走しうる。
 先日、ある集会で、伊吹文明衆院議員が「民主主義は衆愚政治を生む」と発言されたのを印象ぶかく聞いたが、伊吹議員の認識はまれで、大方は、民主主義が賢明な政治手法にして人類の英知の結晶と考えている。
 警戒心がないだけに、その民主主義が暴走しても、チェック機能がはたらかないのは、小泉内閣の「皇室典範有識者会議」における万世一系否定の民主的決議をみてわかるとおりである。
 民主主義は、元来、一過性のもので、たとえ、民主政権(人民政府)が誕生しても、民衆は議事堂に入りきらないので、多数決の絶対権利は、個人(独裁者)や政党(一党独裁)にゆだねられる。
 こうして、統治権が取り引きされて、独裁政権がうまれる。
 権力が独占されるから独裁なのではない。
 委任された多数派権力≠ェ大きすぎるので、強権独裁になるのである。
 多数決の権力は絶大で、絶対である。
 第一次世界大戦は、20世紀の初頭(1914〜1918年)におきたが、時代的には、議会民主主義が定着して、議会の多数決で参戦がきめられる情勢下にあった。
 第一次世界大戦の戦死者が、第二次大戦をこえる1600万人、戦傷者2000万人にたっしたのは、多数決(開戦)と徴兵令、武器の近代化の三つがかみあった結果だった。
 第一次世界大戦は多くの犠牲者をだすに価する戦争ではなかった。
 ところが、民主主義体制においては、安易に、多数決という非人格的・機械的判断(決定)が下されるため、善悪の判断や忍耐、善意などの人間らしさが封じ込まれて、軍事衝突を回避することができなくなる。
 多数決は、縛り首(私刑)の論理で、かつて、アメリカでは、多数決によって、公的死刑の何倍、何十倍もの人々が吊るし首(奇妙な果実)にされた。
 世界大戦が民主主義の戦争だったことにだれも気がつかないのは、民主主義信仰がきわまっているからで、将来、世界戦争や大規模な紛争がおきるとすれば、引き金になるのは、民主主義という名の権力主義であって、君主の判断ではない。
 むしろ、紛争にブレーキをかけるのが、政治的無色の君主で、それが、反権力=伝統主義という権威である。
 権威が権力を制御できるのは、頭山満の高弟でもあった葦津珍彦が指摘したとおり、権威=君主は政敵を有さぬ(帝王学)からである。
 政治や権力が「敵と味方の峻別(C・シュミッツ)」であるなら、文化の範疇にある権威は、敵と味方の区別をつけないことで、この泰然たるところによって、国家間の紛争や利害の対立、民族の憎悪をのりこえることができる。
 右翼人・保守主義者が、反権力の立場に身をおき、歴史や文化、国体、天皇に最大の重きをおいてきたのはそのためである。
 次回は、元号と改元、安倍内閣をささえる神社本庁のありようについてのべよう。
posted by office YM at 14:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする