2018年09月10日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」59

 ●民主主義と権力主義(2)
 社会を動かす原理が民主主義や自由主義であるかぎり、世界に平和や安定はやってこない。
 民主主義も自由主義も権力だからである。
 権力はかならず衝突して、火花を散らす。
 権力は一元論でもあって、権力の衝突は、政敵が存在するかぎり熄むことはない。
 平安時代や江戸時代、そして、戦後日本が平和だったのは、権力抗争がすくなかったからで、その一方、文化が隆盛をきわめた。
 権力と文化は、両極にある二元論で、権力は政治、文化は権威におきかえることができる。
 権力と政治、権威と文化は、それぞれ、同質で、権威と権力、政治と文化が次元の異なる二元論である。
 社会も国家も、権威と権力、政治と文化の二元論から成り立っている。
 両者は、補完関係にあって、一方だけでは、暗黒化するか、崩壊する。
 日本にも、建武の新政から南北朝、応仁の乱、戦国時代まで280年、第82代後鳥羽天皇(上皇)の討幕軍が鎌倉幕府に鎮圧された承久の乱を入れると400年にもおよぶ暗黒の中世があった。
 原因は、権威たるべき天皇が権力をもとめたため、権威の座が空位になってしまったためだった。
 権威が空位になると、権威によって正統性をあたえられない権力が、存続をかけて、群雄割拠の闘争に突入する。
 この争いは不毛で、権威が関与しなければ、最後には、すべてが、共倒れになってしまう。
 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らが天下をとれたのは、天皇の後ろ盾を得たからで、第106代正親町天皇が信長を立て、第107代後陽成天皇が秀吉を太閤に叙し、家康を征夷大将軍に任じて、権威と権力の二元論が恢復した。

 権威から権力の正統性を授かって、権威も権力も、ともに安定する。
 それが江戸の平和で、権力が封じられて、民が文化を享受したのである。
 その平和を根底からゆるがしたのが「黒船来航」だった。
 ペリー率いるアメリカの艦船4隻が江戸湾浦賀に着岸するや、日本は幕末という怒涛の大動乱の時代へ突入していった。
 江戸幕府は、黒船来航の翌年、井伊直弼を立てて、日米修好通商条約をむすぶが、違勅調印として水戸藩士が朝廷に直訴、孝明天皇が江戸260年の禁を破って、水戸藩などへ幕府非難の勅諚を出すに到った。
 ここから、安政の大獄や桜田門外の変と幕末政治は大暗転して、討幕運動が加速してゆく。
 江戸幕府ではなく、薩長による開国が、戊辰戦争をへて、尊皇攘夷から文明開化、西洋化、欧米視察、西南戦争、鹿鳴館文化、廃仏毀釈と八方破れになっていったのは、伊藤博文や岩倉具視らが暗愚だったというよりも、権威である天皇が政治に口出ししたからだった。
 倒幕後、明治政府は、権威不在のまま、天皇(王)を頭に戴くヨーロッパ型帝国主義国家のみちを驀進してゆく。
 日本は、その後、日清戦争と日露戦争へと打って出るが、この両戦に負けていれば、清国やロシアの属国になっていたかもしれなかった。
 日本は、天皇=権威という国体を捨てて、天皇ファシズムという帝国主義のみちをすすみ、日本を亡国の危機にむかわせたのである。
 その運動原理となったのが、権威と権力の一体化だった。
 権威や文化には、だれもが、好意や敬意を抱き、よろこんでしたがう。
 一方、人々を暴力的に縛りつけ、支配しようとする権力は嫌悪される。
 この二つを噛み合わせると、権力が増強され、権威が失墜する。
 歴史や芸術、宗教などは大きく文化のカテゴリーに括られる。
 政策や権力、イデオロギーが政治にカテゴリーにあるのはいうまでもない。
 その境界線を取っ払ったのが、天皇ファシズムで、天皇が軍服を召されて、軍馬にお乗りになった。
 権力が強化される一方、権威が形骸化された一つの典型が、国家神道と廃仏毀釈だった。
 明治神祇官(神祇省・教部省/のちの神道本局・神祇院)には、全国神社の神官が就いたが、多くが、平田神道の影響をうけた国家神道の信奉者で、廃仏毀釈という日本史上、最悪の文化破壊をおこなった。
 権威=天皇をまもるべき神官が、神祇官として権力にとりこまれて、権力=政治の下僕となり、神道の権力化(国家化)に血眼になったのである。

 超党派の保守系議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は2018年6月「新元号の公表は改元当日の来年5月1日にすべきだ」との見解をまとめた。
 新元号の事前公表は、今上天皇を諡(おくりな/平成天皇)でお呼びすると同様、あってはならないことで、これは当然である。
 ところが、安倍内閣は、@改元月日を5月1日のメーデーにあてるA元号の事前公表B運転免許証やビザ(査証)、役所文書の西暦表示(元号廃止)の計画を着々とすすめている。
 問題なのは、安倍内閣の閣僚20人中、安倍本人を含めて、19人が「神社本庁」とかかわりの深い「神道政治連盟」のメンバーであることである。
 神社は、天皇=権威をささえる中核であって、安倍政権をささえる政治勢力であってはならない。
 そのことは、本稿で、縷々のべてきたとおりである。
 神社本庁は、安倍首相の元号抹殺という文化破壊に手を貸すのか?
 次回は、このテーマについて、つっこんだ議論を展開したい。
posted by office YM at 19:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする