2018年09月17日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」60

 ●民主主義と権力主義(3)
「神道政治連盟」は安倍政権と密接な関係の「日本会議」より先鋭的な思想をもつといわれる。
 思想が文化にかかわるものなら、多彩でも先鋭的でもいっこうにかまわないが、政治や権力にかかわるものならそうはいかない。
 政治的先鋭は、大抵の場合、権力の暴走を意味するからだ。
 一般的に、政治あるいは権力という場合、権力抗争であって、国家や国民の安全やゆたかさ念頭におくまつりごと(政)とは別物である。
 政治がまつりごとにおかれる場合、おおむね、よい政治で、権力抗争や政権構想におかれる場合、劣悪な政治といわねばならない。
 長友学園や加計学園は、権力抗争のネタで、まつりごととなんの関係もない。
 出会い系バーに入り浸っていた元文部事務次官が持ち込んだ文書など「だからなんだ」というレベルで、それよりも、50年以上も獣医学部をつくらせなかったことによる日本の獣医学のレベルダウンのほうがまつりごとにとってよほど大きな問題だろう。
 テレビや新聞は、連日連夜、森友学園や加計学園問題に集中砲火を浴びせたが、これは、野党とマスコミ労連提携による反安倍闘争≠ナあって、国民の利益ということはまつりごとを度外視した権力闘争であった。
 石破氏の党総裁選スローガン「正直、公正」は、野党とマスコミ労連の反安倍≠フ論法をそっくり頂戴したもので、次期首相候補者たるものが、野党の権力闘争の論法を借りてきてどうするといいたい。
 党総裁選に大きな波乱はないだろうが、かといって、安倍首相の政治姿勢に問題なしとはしない。
 というより、本来、権威の側に立つべき神社本庁(「神道政治連盟」)が権力(安倍政権)べったりというのは由々しき事態で、これでは、権威が権力からおびやかされた場合、手の打ちようがない。
 小泉純一郎の「皇室典範に関する有識者会議」が万世一系を否定したときに真っ先に異義を唱えるべきは神社本庁だったが、権力になびいて、沈黙した。
 これでは、国体がまもれない。
 万が一、共産党が天皇制の廃棄を謳ったら、神社本庁が共産党打倒の戦いを挑むというのが、伝統をまもる権威=神社本庁のあり方だが、権力べったりの現状では、旧民主党系・共産党政権ができた場合、自民党と心中で、とうてい、権力とはたたかえない。
 政権から距離をおくから、政権を監視できるのであって、政権の太鼓持ちを演じて、国体をまもることなどできない相談なのである。

 神社本庁の前身は戦前の内務省神社局(後の神祇院)で国家機関だった。
「国家神道」の推進者で、廃仏毀釈を実行した神官の集団でもあった。
 権力の走狗となったのは、権威としての自覚がなかったからである。
 権威は聖で、権力は世俗のものである。
 その認識こそが権威と権力を分かつ分水嶺で、そのみきわめがつかなければ権威は権力をもとめて俗に堕ち、権力は権威をもとめて汚れた手で聖を冒す。
 それが、明国皇帝から「日本国王」に冊封された義満で、わが子足利義嗣を皇位に据えて「太上天皇」の尊号を手する寸前、急死する。
 朝廷は義満に「太上天皇」を宣下したが、幕府(4代将軍足利義持/管領斯波義将)はこれを返上した。
 権力の座にあるものが権威となると、却って、権力の座が危うくなると知っていたのである。
 権威が空位になると、権威から授かる権力の正統性が不全となるのである。
 ところが、安倍首相には、足利義持や斯波義将の知恵がそなわっていなかった。
 神社とアメリカお両方を味方につけて、無人の野を往く風情なのである。
 神社本庁は、戦後、宗教法人となって、国家機関ではなくなった。
 だが、地方機関である都道府県の神社庁をつうじて、全国約8万社の神社を包括している。
 宮司など神職約2万人、信者約8千万人を擁する圧倒的なスケールで、全国各地の祭り(神事)を担う氏子総代会や保存会の潜在的パワーは、他の宗教教団を寄せつけるものではない。
 安倍内閣の閣僚20人中、19人がメンバーにくわわっている神道政治連盟(神政連)の中核は、神社本庁の神職たちで、各県の神社庁ごとに地方組織が置かれ、地方議員連盟も組織されている。
 神政連は、保守陣営の理論的中核で大票田でもあるが、政治家は、この神政連から一定の距離をおかなければならない。
 神政連を、権力という俗物性で汚してはならないからだ。

 その兆しはすでにあって、神政連(神社本庁)は、安倍内閣が、天皇のご退位、新天皇のご即位、改元日を5月1日にきめたことに一言もなかった。
 5月1日はメーデー(労働者の日)で、アメリカでは、5人が死刑になったゼネストの記念日として知られている。
 日本では、1952年、暴力革命を叫ぶ一部左翼団体が暴徒化して、警察官側に740人、デモ隊側に200人の負傷者(死者1人)がでたが、この人民闘争は、労働界・左翼革命勢力のなかで、いまなお、高く評価されている。
 新天皇の船出、新元号発足の当日がメーデーとかさなると、メーデー行進のデモ隊が「元号反対」や「天皇制反対」のスローガンをもちださないともかぎらず、そうなれば、新生日本国の門出にも、治安上にも、大きな問題を残す。
 安倍首相はなにを考えているのか。
 また安倍政権は、パスポートや運転免許証などの西暦表記、政府による元号決定と事前公表(今上天皇による新元号の勅令)などという不埒な計画を着々とすすめている。
 次回はこのあたりのデテールについてじっくりのべよう。
posted by office YM at 15:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする