2018年09月28日

 神道と世界最古の文明「縄文文化」63

 ●民主主義と権力主義(6)
 日本では、時折、邪道が正道をおしのけて、常軌を逸した事象が平然と姿をあらわす。
 とりわけ、伝統と革新がせめぎ合うシーンで、それは、よくみられる。
 伝統をまもることはむずかしく、革新が時代の潮流に乗りやすいのは、歴史が示すとおりだが、日本ではそれが、時代の節目にヒステリックな形であらわれてくる。
 ロッキード事件がおきたのは、対米従属一辺倒だった日米関係が、田中角栄によって転換されつつあったさなかだった。
 当時、角栄有罪を叫んだマスコミの狂奔がヒステリーでなくてなんだったろう。
「9条加憲」も、野党が弱体化して、自公あるいは自民党(保守陣営)単独で改憲に必要な三分の二議席を確保できそうな情勢下でおきた。
 9条加憲は、自衛隊を自衛ための必要最小限度の実力組織とした上で、同条の1項、2項を、自衛隊設置を妨げるものと解釈しないというものである。
 具体的には「第3項」で自衛隊設置を謳い、「前2項は自衛隊を設けることを妨げない」と但し書きを入れるというのだが、姑息すぎる。
 なぜ、「第2項」の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除して、自衛隊を国軍とする、としないのか。
 共産党や社民党、旧民主党の一部が騒いでも、しょせん少数派で、多数決でおしきれるではないか。
 国益や国家理性、伝統に照らして、正当と思われることがなんの注釈もなくひっくり返される。
 元号問題も然りで、今上天皇のご譲位の時期において、次期元号の事前公表という前代未聞の不祥事が、政府の手によって、着々と準備されている。

 政令が定める元号は、内閣が政令を閣議決定して、天皇が公布する。
 政府は、付帯決議を根拠に、地方自治体や企業の意見も聞いた上で、今年5月、皇位継承1か月前の公表を想定して、各省庁のシステム改修などの準備をすすめるという。
 これにたいして、神社本庁の機関紙「神社新報」は、新元号が天皇の御世であることをふまえ、新天皇が御聴許の上、政令としてこれを公布し、公表するべきとする主張を展開した。
 安倍首相をささえてきた神社本庁が、元号の事前公表はノーといっているのである。
 超党派議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」の会合でも、出席者から「元号の権威や伝統がどうまもられてのか」などの意見が相次ぎ、会長の古屋圭司衆院議院運営委員長が菅義偉官房長官に「新元号は新天皇から公布されるべき」と申し入れた。
 新天皇の践祚および即位の一か月前に新元号を事前公表をすることは、今上陛下の御代(平成)に次の天皇の時代の元号を謳うことになって、神事として成り立たない。
 新天皇の践祚前に新元号を公表すると一世二元となってしまうからである。
 御代替わりにあたって、宮中では、幾つもの重大な儀式が催される。
 これは国家的神事で、政府機関がおこなう御代替わりの式典は、この神の業(わざ)をうけるものにすぎない。
 践祚および即位は、国体の儀式であって、断じて、政体の行事ではないのだ。
 不都合だからといって、一世二元となる元号の事前公表をおこなえば、新元号発布が神事に則らないご都合主義となって、はなはだ、不穏当である。

 これと類似した問題に元号の開始月日がある。
 政府は、2019年5月1日に新元号を切り替える前提で、同年4月1日の公表を想定して準備をすすめると発表している。
 新元号が5月1日施行なのはなぜなのか。
 官邸は当初、「2018年末に新天皇が即位、2019年元日に改元する」という案を考えていたという。
 これに、天皇陛下の「ご意向」を重視する宮内庁が難色を示した。
 年末年始は皇室の重要行事が相次ぐ上、昭和天皇崩御から30年となる節目でもあって、「陛下ご自身が儀式をとりおこないたいお考え」を主張したといわれる。
 官邸は、次善の策として、年度替わりとなる「19年4月1日即位」の案を提出したところ、「年度替わりは転勤や入学などで慌ただしい」「中央官庁の人事異動と重なる」「3〜4月は統一地方選で政治家が多忙」といった異論が噴出して、結局、第3案の「5月1日即位」にゆきついたという。
 5月1日はメーデーである。
 保守主義者なら反射的に避ける月日で、忌避すべき理由やデメリットを挙げてゆけばきりがない。
 寿ぐべき元号の初日を、アメリカでは「ゼネスト記念日」としても知られるメーデーをあてたことをふくめて、親米主義者である安倍首相の政治姿勢には疑問をかんじざるをえない。
 ちなみに、私は、この件について、友人(福田富昭/国際レスリング連盟副会長/2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員/文部科学省五輪対策チーム実行委員長)を介して、神社本庁に申し入れをおこなった。

 親米保守である安倍首相は、親米だけを取って、保守を捨てた売国政治家に変貌しつつあるのではないかと疑問を抱かざるをえない。
 今上天皇の譲位のご意志を、憲法4条の解釈にからめて政治決定としたのみならず、神事ともからむ元号決定を政治問題(政令)にして、天皇を除外したのは、改憲主義者とは思えない憲法原理主義≠フふるまいで、国民感情とも遊離している。
 安倍首相は、アメリカ人の感覚をもって、日本の政治をおこなっているのではないか。
 9条1項、2項の遵守は、日本を潜在的仮想敵国と位置づけるアメリカの思惑に合致しており、皇室の無力化は、GHQ以来、アメリカの既定方針である。
 安倍首相から、日本独自の、国益や誇り、固有文化を訴える迫力がまったくかんじられないのは、かれは、愛国者でも民族主義者でもなく、根っからのアメリカンボーイだったからではなかったか。
 トランプ大統領は、貿易摩擦を回避するため、日本が、アメリカ製の武器を大量に購入する予定と嬉々として記者会見している。
 安倍首相の政治ウエイトは、日本よりもアメリカにかかっている。
 このままでは、安倍政治は、アメリカのための憲法改正、アメリカのための外交、アメリカのための経済政策に転落してしまう危険性がある。
 現在、日本国憲法は、9条をもちながら、世界第六位の軍事力をもっていることからわかるように半ば死に体≠ノなっている。
 半分、死んでいる憲法を改正する必要などどこにあるだろう。
 下手に改憲すると、自主憲法どころか、むしろ、現在のものよりもっとリベラルな革命憲法ができあがってしまう可能性が大である。
 それより必要なのが、対米従属のマニュアルになっている「日米地位協定」の抜本的改革である。
 次回以降、論旨を対米関係へと移していこう。
posted by office YM at 20:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする